ウソをつけば付くほど「相手がウソをついている可能性」を想定できるようになる。
ウソを全く付かない人は、相手がどの程度のレベルまでウソをついてくるか想定できない。
つまりウソを付きまくれば人を信用できなくなり、その反面だまされる可能性が減る。
ウソを全く付かなければその逆。
俺はたくさんのウソをついてきたけど、最近逆の可能性に気がついた。
善意も然りなんだな。善意もウソも、とことんやろうとすれば底無しに極められる。
多くのウソをつきながらもそれなりに善意を持ってきた俺は、俺が与えようとしてきた善意と同じ
レベルの善意を他人の行動から嗅ぎ取ることができる。
それ以上のレベルの善意は不可能だけど、これって何気に長所だと考えていいのかもなと思った。
さんざんウソをついてきた俺は人間のクズで、嫌われるのは当たり前だし、そんなもん屁でもない。
けど、もうちょっと生きて頑張れるかもしんない。
そうだな、生きて、頑張れ。影ながら応援するぞ。 嘘だけど。
http://anond.hatelabo.jp/20071026011235 何か大切なことを言っている気がする。しかしわかりにくい。 具体的な例をあげてくれるとありがたいです。