2007-10-26

ウソと善意の可能性

ウソをつけば付くほど「相手がウソをついている可能性」を想定できるようになる。

ウソを全く付かない人は、相手がどの程度のレベルまでウソをついてくるか想定できない。

つまりウソを付きまくれば人を信用できなくなり、その反面だまされる可能性が減る。

ウソを全く付かなければその逆。

俺はたくさんのウソをついてきたけど、最近逆の可能性に気がついた。

善意も然りなんだな。善意もウソも、とことんやろうとすれば底無しに極められる。

多くのウソをつきながらもそれなりに善意を持ってきた俺は、俺が与えようとしてきた善意と同じ

レベルの善意を他人の行動から嗅ぎ取ることができる。

それ以上のレベルの善意は不可能だけど、これって何気に長所だと考えていいのかもなと思った。

さんざんウソをついてきた俺は人間のクズで、嫌われるのは当たり前だし、そんなもん屁でもない。

ウソ、屁くらいはある。自業自得だけどそれなりにしんどい。

けど、もうちょっと生きて頑張れるかもしんない。

  • そうだな、生きて、頑張れ。影ながら応援するぞ。 嘘だけど。

  • http://anond.hatelabo.jp/20071026011235 何か大切なことを言っている気がする。しかしわかりにくい。 具体的な例をあげてくれるとありがたいです。

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