http://d.hatena.ne.jp/nonoyume/20070929/p1
私は自分が親失格な親であるという自覚はある。リアル友達には何人も結婚していない人がいるけれど(男も女ももうすぐで四捨五入で50なのにね)、そのうちの一人には、それでもちゃんと子供育てている、すごいことだよって言われるんだけど。でも、私は一人で子供を育てたんじゃない。産んですぐに病気して入院・手術して、一番傍にいなくちゃならないときに子供にスキンシップすることもなかった。だから、私が抱っこしてもまったく泣き止まず、姑が抱っこすると泣き止むのを見るたびに辛かった。
泣き止まない。言うことはきかない。イライラする。むかつく。本気で高いところから落としてやろうと思ったことだってある。そんな私だったから、本当は子供なんて産むんじゃなかったんだろうね。
思い通りにいかない子育て。やりたいこともできない毎日。どうして子供なんて…と思ったものだった。こんな私なんかの子供に生まれて、なんて不憫な子供なんだろうとも思った。
何だか、あのとき姪に微妙な表情をさせてしまった自分が嫌だ。
私も何度もそんな表情を子供にさせたよ。感情が爆発するとヒステリー起こしてたし。何とか虐待だけはしないように食いしばって耐えるのが精一杯。もっとも、ヒステリーで子供に向かって怒鳴り散らすのも、十分虐待なんじゃないかとも思うけれど。でも、ほとんどの親がそうなんじゃないかと思う。私だけじゃない。きっと。ううん。全ての親がそうなんじゃないかな。だからといって、簡単に「子供産めば」とも言えない。私のリアル友達にも言えないことだもの、結婚して子供産みなよって。というか、もう今からじゃ無理か。高齢出産間違いなしだもんね。それにしても、こんな子供みたいな私が、よくここまで子供と一緒に生活してきたよと思う。一生、結婚も出産も経験しないだろうって思ってたのに。
というようなことを思ったんだけど、さすがに自分の日記には書けないなあということでここで書いてみた。(汗)
俺もそんな感じだな。
自分のオフィスは23Fにあるんだけど、喫煙する為には1Fの喫煙所に移動する必要がある。そこまでして吸ってられない。やってらんないと言う事でいつのまにか吸わなくなった。当初は昼とか夕方とか思いっきり吸ってたけど、いつのまにか吸わなくなった。
はてなだけでなくて、blog界もほとんどがそんな感じ。充実した日々を送っている人は書き込みで発散しない。建設的に日々を充実して生きている人達は基本的にインターネットの世界で繋がっていないから、オンラインでポジティブ情報を出す必要も無い。必然的にはてなやblog界にはネガティブな話ばかりが並ぶ事に。
正社員vs非正規、モテand非モテとかそういう話なんて、現実に興味がある人なんてかなりの少数派だったりする。非正規労働者も非モテも人口の割合で言えば1割そこそこ程度しかいないのだ。
そういう人は冷蔵庫も賞味期限切れまみれだったりするんだろうな。
自分の場合はその日のうちに食べる分しか買わないので冷蔵庫いらず。
んんー?
//anond.hatelabo.jp/ を開いたときはリーダーの画面になるけど、その中のリンクをクリックすると増田本体のインターフェイスになっちゃって、見本Flashみたいにリーダーの中で切り替わっていかないよ。当方Win+Firefox
http://anond.hatelabo.jp/20070930225129
もっと俺をけなしてくれふぉおおおおお!
っと、ふざけたのはすまなかったが、馴れ合いはかえって社会にとって害悪だ。適切な程度に切磋したほうがいいし、私もそういう環境の方がかえって心地いい。
根拠に合ってない褒め方はかえって人を壊す。
おおー。真ん中のカラムが便利。さんきゅ!
どうなんだろ。「自分の幸せを求める」が家族とか身近な人を犠牲にして自分のやりたいことを貫くという文脈なら、それは逆にマッチョな男らしさ、より典型的な男らしさな気がするんですよ。
男の思う男らしさってのは、大抵男(男社会)が自身に課した縛りであって、そこを自覚しないと解決しないと思うんですよ。最近、男が男自身に嵌める箍がどんどん狭くなっていってて、見てらんない気がします。
>でも、だから知識なんてあったって全然偉くない、皆一緒さ、みたいな流れはどうなんだ?と。それはさ。知識がない方が言える言葉なのか…?とか思っちゃうわけ
とつげき東北が同じようなことを言ってた気がする。
百聞<一見。デモを見ておくれやす。
作った本人が書き込むって、何かルール違反のような気もするけどまあいいや。
長く使い続けてると徐々に重くなる。まあ「そんな入り浸ってるんじゃねぇ!」ということで。
とりあえず慣れるともう戻れない。
こんなにあったんだな。
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そうそう、辞める気ないんだけど気づくと禁煙していて困る。いや困らないけど。
「禁煙したの?」とか言われて、そういえば吸うの忘れてた、と吸いにいこうと思って煙草持ってないことに気づいて、また忘れる。
煙草の自販機が夜使えなくなったり、吸える場所を探すのが面倒くさかったり、元々吸う銘柄がアメスピでどこにも売ってないってのもあってどんどん吸わなくなっちゃうんだな。
まあ誰でも面倒なことはやめちゃうよね。
だっていいじゃない
知識がなくたっていいじゃない……
みたいな風潮が、最近寧ろ優勢になってきた気がする。
ちょっと前?は、「おいおいこのくらいの知識もなくてオタとか言うなpgr」っていう、オタ同士の優越感ゲームな風潮があった気がする。それが主流だった気がする。でもここ最近は寧ろ、(少なくともはてな界隈では)「なんで?ぬるオタだっていいじゃない。どうして知識があるほうが偉いの?俺たち私たち、楽しんでるだけだよ。でもそれでいいジャン☆優越感ゲームなんておっくれってるー☆てか知識自慢のガチオタこそ自重しろ」な風潮が大きくなってきた気がする。
確かに、自分が「そんなに詳しくはないがまあまあ好き」な感じのアニメなんかを見てて、ガチに詳しい奴に何か色々言われたりすると、「なんだよ」とカチンとくるもんだが、かといって、「自分が滅茶苦茶好きで詳しくなった」アニメのスレなんかで、分かってない人が今更な質問をしたりすると、「おいおい、そんなんで本当に好きなのかお前?」と呆れる気持ちはないとは言えない。いや、バリバリある。
よくどっちの立場にもなるため(俺の場合好き度で詳しくなる度が滅茶苦茶変わるから。まあ普通そうかもしれないが)、どっちにも賛成し辛い。単純により深い知識や技術を持ってるオタを賞賛する流れにも、その反発として生まれた別にぬるオタだっていいじゃん的な流れにも、どっちにも乗り難い。自分が知識がないけど楽しんでる状態で、「おいおいこんなのも知らないのか」と見下されれば腹は立つけど、かといって自分が滅茶苦茶詳しくなってイラストなんかも描いちゃったりしてサイト作っちゃったりしてるアニメがある時、ちょっと観ただけでそのアニメのオタと自称するような人間に、「ぬるオタだってなんだって好きって気持ちは同じじゃん?」などと簡単に一緒にしてもらいたくはない。ぬるオタだっていいじゃん、知識なくたっていいじゃん、ってのはそれはそれで分かるが、でも、だから知識なんてあったって全然偉くない、皆一緒さ、みたいな流れはどうなんだ?と。それはさ。知識がない方が言える言葉なのか…?とか思っちゃうわけ。
同じスポーツのファンでも、なんとなく人気の選手がいるからという感じで見始めたような、ルールも覚束ない奴から、バリバリ知識があって、何度も応援に行くような奴までいるわけで、「ルールが覚束ない奴はダメだ!ファンの資格はない」そう言うつもりは全くないけど、かといって、ルールが覚束ないようなファンが、「別にルールなんて、このスポーツの過去の知識なんて、今の選手の名前なんて、知ってたって偉くないよ。そんな事は好きな気持ちに全く関係ない。皆同じファンじゃん」とか言い出すと、それはどうなんだ?って思うんだよ。それは、まだ、知識があるほうが言うにはいいけどさ。知識がない方が言うのは、なんつーか単に、自分の知識の拙さを、知識を得ることによってじゃなく、「知識を得たってしょうがない、知識を得てようが得てまいが皆同じ」と知識ある奴を自分のトコまで引き摺り下ろして、無理矢理一緒くたにしてるような(わざと大袈裟に言ってるんだが)嫌さを感じる。
関係ないことはないと思うんだよ。簡単にこんな事言っちゃうのもなんだけど、やっぱ好きな度合いと、知識レベルって、完全には一致はそりゃしないんだけど、かといって相関性が全くないかっていうとそういうことも無いと思うんだよ。全然好きじゃないけど知識だけありますなんて、そりゃ仕事ならそれもあり得るけどさ。趣味の範囲でそんな事はないでしょ。やっぱり基本的に好きなら知りたくなるもんだし。知識が深いオタが、色々難癖つけてくるのは鬱陶しいけど、でも、そいつの知識は、そのウザさとは別問題として、凄い事は凄いと思うんだよ。知識が深けりゃいいってもんじゃないけど――でも知識があろうがなかろうが皆同じってのは違うっつーか…
「俺はこの、ただアニメを観るってだけのレベルで満足してるんだから、余計な事言ってくんな」それは分かる。言われるとウザいもんね。でもだからといって知識なんか関係ねえ、でもないだろと。知識がある奴は、有る奴で、尊敬(ちゅーと大袈裟だが)する。それはそれで凄いことだ。だからといって知識ない奴に厭味言う権利はないけど知識ない奴もその知識を勝手に軽視したりするのってどうなんだろって。
よーするに、詳しくない時は、「俺はこのレベルで、満足してるから。別に知識これ以上いらないし」というスタンスでありながら、「でも知識が有る奴はすげーと思う」というスタンスでいたい。詳しい時は、自分より知識ない奴を「全くこいつはこんなことも知らずにこれを好きだというのか」なんて意地悪言わず、ただ、自分の好きなように詳しく好きな物を突き詰めていく。そんなスタンスで俺はいたいと思う……なんだかごちゃごちゃになっちゃったな。
ちょっと追加。
優越感ゲームって、それ自体が避けるべきものみたいな扱いだけど、そんなに過剰にならなきゃそれはそれで人生の妙味なんじゃねーかなーと思う。どうしたって人間そういう欲ってあるし。他人より凄かったらやっぱ面白いんだよ。そういう欲はどうしたってあるし。そんなのを、オタクの知識なんていう安全なもので満たされるなら、いいんじゃん?とか思う。それも知識なんだからスポーツやら何やらよりよっぽど平等に頑張れて、よっぽど優越感ゲームの勝者になりやすい。あ、だからこそ、他に何もない非モテ系がオタクになりやすいのかもしれんが…でもそいつらがオタクの中でそうやって頑張って勝利した感覚を得られるならそれはそれでいいんじゃないか、いい救済なんじゃないかとも思うんだ…