2007-07-21

感覚と社会的なジェンダー

匿名ダイアリーの id:20070718150956 を読んで思ったこと。

ひょっとしたら、自分の「はてな」本館((ここはあくまでも匿名で名前は書かないのが流儀なんだろうから、今の所は伏せておくけど))で同じネタ書く((下手すりゃ、コピペ?))かもしれないけど。

正直な所、男性が性的な視線で見られるという事に鈍感だというのはあると思う。

逆に言うと、そのあたりは社会的な。と言うか明治以降、男性身体性を否定されつづけてきた日本社会ジェンダー観がかかってくると思う。

実際、戦前戦後男性というのは労働をすると言う役割が強くて一部の「種馬」は逸脱した存在であったと言う暗黙の共通認識((っつーか共同幻想))があって、その中で、男性のリビドーというのは存在しつづけたわけで、その部分を「赤線」「青線」なんかや「お見合い」と言うのがガス抜き装置として作用していたんだけど、そこいらも社会的な部分から否定されて、残ったのは、「恋愛」を通じたセックスの回路だけになってしまったと言う感じがするんですよね。

逆に、女性の側も身体性を否定されていて、「良妻賢母」だ「貞操」だなんだと言うあたりで抑圧されてきていて、抑圧がきつかった分、逆にアメリカ文化が入ってきたときにハジける具合が早くて、女性男性セックスアピールを見る目も、自分のセックスアピールがどう見られているかという視点も「鍛えられた」

そういう意味では、ガス抜き装置がある程度作動している分、男性の方が鈍感な場合が多くなるのは必然だし、「性的な視線で見られている」と言う意識は、実は男性の場合は恋愛と直結している訳ですよね。

笑えないのは、男性女性に対する性的な視線と恋愛が直結している訳ではない。と言うパラドックスがある事なんですけど。

それはともかく、実際の所、「恋愛資本主義」って言葉に代表される最近の状況ってのは、男性が、自分の性的魅力がどう見られているのか、敏感になりはじめていることなのではないかな。と思います。

恋愛モテること=自分の性的魅力があること」であると言う事を、直感的な部分で感じているのではないかと。

ただ、そこをまだ言語化できていないとか、自分の性的魅力も他人の性的魅力もを通り一遍の基準で見ようとしている辺りが、ジェンダーの縛りがまだ(最低でも男性には)かなりきつい状況から抜け出せていないのではないかな。とかおもうんですけおね。

  • 正直な所、男性が性的な視線で見られるという事に鈍感だというのはあると思う。 性的な視線で見られたことのない男が鈍感なのはあたりまえだな。

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