正論というのは、いついかなる時でも言えばいいというものでもないと個人的には思う
正論を言う人というのは、いついかなる時でも「正論なのだから」を盾にどんどん進んでくるが、敢えて極端な事を言えば、「正しいかどうか」なんて人間社会ではどうだっていいのだ。必要か不必要か?そっちの観点の方が大事なのではないかと思う。
彼の愚痴で言えば、彼女が上司の立場からの見解なんかを提示してみたところで、彼はいい方に流れてくれるのか?ってことだ。彼がいい方向に流れるために、「上司の立場からの見解も示してみる」という行為は果たして本当に必要か?不必要か?
万人が、「正論」でいい方向に流れるわけではない。正論をぶつければ、中立的立場の正しさをぶつければ、全てがうまくいくわけではない。極端に言えば、間違っていようが、偏っていようが、「物事がうまく行けば」それでいいのだ。勿論正論が何においても優先されなければいけない事はあるが、ミクロな人間社会ではその方が少ないのでは、と感じる。
無論「上司側の見解を指し示した」ことで、「そうか、俺は完全に自分側からの考えに固執していたけど、確かに上司からすりゃそうだよなぁ」と反省し、改善する人になら、そうするのもいいだろう。
ただ、実際に、今彼女が指し示した事で、彼はただ凹んだだけだった。へこませるのが目的ならいいのだが、勿論そうではないだろう。
正しさというのは時に何の価値も持たない。
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