例えば、池田氏が、
「紙媒体でもなんでもそうだが、筆者にとってはありがたい読者とありがたくない読者がいて、有益な情報を提供してくれたり、筆者が思わぬ視点から意見を述べてくれたり、あるいは単に励ましてくれるような読者というのはありがたい。逆にどんな内容のものを書いても、揚げ足取りとか、単に内容が気に食わないという理由で筆者攻撃を行う読者というのはいて、そういう読者に出会うと、へこんでしまう。しかしそんなことを言っていると、何も書けなくなってしまうので、前者のような読者に届けと思って物を書き、なるべく後者のことを考えないようにするのが物書きというものである。とは言うものの、はてなブックマークなど見てみると、批判ですらない罵倒のコメントやタグが並んでいることがあり、正直ぐったりへこむ。しんどい。おそらく“見ない、気にしない”が正解なのだろうが、システム的にもそういうものをフィルタリングできるようにすれば、より多くの人がブログを書き始めたり、書き続けるモチベーションを持つことができると思うのだがどうだろうか」
ってな感じで問題提起をすれば、ここまで揉め事になることはなかっただろう。
いや、腰を低くしろっていう話じゃなくてね。
別にネット上のコンテンツに限らずさまざまなコンテンツにおいて、人々、というかわれわれは普通にタグ付けやコメント記入をしているわけで、ひどいゲームのことを糞ゲーといってみたり、どうしようもないスポーツ選手や、政治家やらに向かって新聞読んだりテレビ見たりしながらぶつぶつ言うのは、まあ人の常だろう。はてブはそれを可視化しただけであって、はてブのせいでそれが発生したわけじゃないような気がするんだよなあ。
池田氏の一連のエントリとか、あるいは小倉氏の次の発言とか見ると
匿名の陰に隠れてだらだらと人の悪口を述べるのに便利な各種サービスに漬かっている
http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2007/06/post_7777.html
どうもその辺の認識にずれがあって話がこじれているように見えるのよ。「大衆はもともと、いろんなものに文句をつけてる」っていうのは大前提だと思うんだけどなあ。
小倉先生の場合は「匿名=悪」に着地させたくてしょうがないんだから、匿名以外の場で悪いことが行われてる前提で話し始めると都合が悪いんです。
素晴らしい考えだ。 Yet Another 池田信夫 Blog(略してYA池B)を立ち上げて、本意を変えず 万人に読みやすい文体で文章を書いてみる、というのも悪くない。