2007-06-03

自殺をなにで語る?

それを「悪」であるとして「怒り」をもって?

それを「悲劇」であるとして「悲しみ」をもって?

それを「忌むべきもの」であるとして「憎しみ」をもって?

それを「決意」であるとして「畏敬」をもって?


子供達には「かけがえのない命を大切に」と説くかもしれない。

命の大切さをもって自殺をしないように語りかけるかもしれない。

では、いじめを苦にした学童自殺と、疑惑を抱えた現職大臣自殺

世論の反応がこうまで違う2つの自殺をなにで語る?

いじめ原因いじめ当事者ではなく社会構造のせいであるとするのならば、

大臣政治が抱える悪しき構造の犠牲者なのだろうか?

大臣自殺を身勝手だと責めるのならば、

理不尽ないじめについに屈してしまった学童は責められるべきなのだろうか?

2つの自殺における「違い」と「共通するもの」とはなんだろう?

「許される自殺」と「許されない自殺」があるのだろうか?

責任ある立場にある人間自殺は許されない?

あまり責任のない立場にある人間自殺は多少は許される?

悪人の自殺は許される?

善人の自殺は許されない?


2つの自殺は比べられるようなものじゃないとは思う。

あまりにも状況が違いすぎる。

でも、命がかけがえのないものであるとするならば、

自殺によってそのかけがえのない命が失われたと言う事実以上に大切なことがあるのだろうか?

「命」を差し置いて「状況」が語られるべきなのだろうか?

「命」以上に語られるべきことがあるのだろうか?

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