それを「悪」であるとして「怒り」をもって?
それを「悲劇」であるとして「悲しみ」をもって?
それを「忌むべきもの」であるとして「憎しみ」をもって?
それを「決意」であるとして「畏敬」をもって?
…
子供達には「かけがえのない命を大切に」と説くかもしれない。
命の大切さをもって自殺をしないように語りかけるかもしれない。
では、いじめを苦にした学童の自殺と、疑惑を抱えた現職大臣の自殺。
いじめの原因をいじめた当事者ではなく社会構造のせいであるとするのならば、
理不尽ないじめについに屈してしまった学童は責められるべきなのだろうか?
2つの自殺における「違い」と「共通するもの」とはなんだろう?
悪人の自殺は許される?
善人の自殺は許されない?
…
2つの自殺は比べられるようなものじゃないとは思う。
あまりにも状況が違いすぎる。
でも、命がかけがえのないものであるとするならば、
自殺によってそのかけがえのない命が失われたと言う事実以上に大切なことがあるのだろうか?
「命」を差し置いて「状況」が語られるべきなのだろうか?
「命」以上に語られるべきことがあるのだろうか?
状況は次の命を消しかねない