なにか大きな決断、行動をしたあと、大抵なぜそうしたのかと訊かれる。
あれはこういう理由で、こういう考えがあったからこうしたんだよ、と答えるが、
後になってそれはあとづけの理由だな、と思うことが多い。
本当は言葉にできないようなもっと複雑な感情でその行動を選択したのに、
人に説明するときは単純で明快な理由を説明する。
そうして、その理由が自分自身でも本当の理由だと思い込み、過去があとづけの理由で整理されていく。
この整理が続くと、まるで一貫性のある明快な人生を送っているように思えてくる。
本当はもっとどろどろとした感情の動きがあったはずなのに。
だからもうあとづけの単純化された理由を語るのはやめた。
決断とはなんとなく、そのときの感情で行われるもので、それでよいものなのだ。