「私見ですが」「個人的な意見ですが」
あちこちのブログのコメント欄で、この前置きや中置きを目にする。たとえば最近のプロ野球での裏金をめぐる改革案などについてのとき、粉飾決算なり経済事件に対する意見などのとき。いや、なんに対してでも登場するんですけどね。
この「私見ー」が出てくるコメントは、たいてい読むに値しない。お前に言われんでもわかっとるんじゃ、匿名で短く根拠も薄弱なコメントという意見がお前風情の管見に基づく短文だということは。「私見」だとわざわざ文字で書く人は、自分がたいしてモノを知らず深く考察もせずに脊髄反応で書いてみただけということがわかりますねえ。
ためしにGoogleに「私見ですが」「個人的な意見ですが」をぶちこんで検索してごらんなさい。ゴミのような短文や回答があふれてきます。
http://anond.hatelabo.jp/20070316193101
良い感じだね。羨ましい。>講師の人
そう、無関心。無関心なことがきりがなく続くのは面倒だという感覚。
でも、現在の自分のルーチンワークは許容できる。今すぐ死ぬことから2番目くらいの良い方法と判断したから。
死にたい気持ちに変わりはないが、自分で選んだ方法として、それなりに楽しくこなしている。
これがどうにも嫌な人は、突然「生きがい」とか「世界滅亡」とかに飛びつきたくなるのかもしれない。
親御さんだけが気がかりという状況は正直羨ましい。
自分は既に三十代だけれど、長く生きれば生きるだけ、恩のある人が増えてきてしまった。
関わり合う人は極力少なくするように暮らしているが、今日突然自殺して仕事を滞らせては職場に迷惑がかかるし、
同僚もショックを受けるだろう。兄弟や、なついてくれてるその子どもたちもショックだろう。
困らせたいわけじゃないんだ。自分が早く死にたいだけで。参ったなあ。
社会生活というのは、つまりそういうことなのだろうと思う。
平均寿命からすればまだ折り返し地点にすら着かない。まあ、ペースを守ってぼちぼち行くとしましょう。
以上、直接恩のある人がいないここで、増田はいつも考えてることをつぶやいてみました。
他人の話における苦労って「何だそんなことか」の一言で済ませそうになる時ってあるけれど、
自分の話も他人から見れば「なんだその程度か」って思うこと、あるんだろうな。
しかし自分が嫌だと感じた体験を話して「何だそんなことか」って言われた日には
荒れ狂うだろうなと自分で思うので、他人と「幸せ比べ」と「不幸比べ」をしないように心がけている。
全然話が変わってしまうんだけど、
死ぬ程嫌だと感じてた事が年を重ねてしまえば
「あんなこと嫌がってたな??」「懐かしいな??」って笑って話せるようになってたりするよね。
喉もと過ぎれば熱さを忘れる、って本当だと思う。
全く同じ人間の視点のはずなのに許せるようになるのは、
時間の経過のせいなんだろうか、人が成長するからなのか、それとも別の何かのおかげなのかなぁ
でもね、今なら「そんなことで目くじら立てちゃって。仕方ないなあ」と笑える、
そんな些細な出来事が当時を生きていた自分にとっては人生の全てだった、ってのも本当なんだよなぁ。
男の人でもそう思ったりするんですね。
勝手に決め付けるような書き方に見えたら申し訳ないんですけれど、
あなたも私も本気で片思いできたことって全然無駄なことじゃなくって
素敵な経験ができたと思います。
そんな人に出会えるなんて、なかなかあることじゃないですよ。
ただ、手が届かない人のぶん、いつまでも心に残ってしまってちょっとツライけど。
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まぁ、そこらへんは程度問題だよね…
鬱病にもさ、通常時は普通で、ネガティブな事をちょっと考えちゃうと一気に穴に落ちるみたいに重度の鬱症状を示すタイプとかあるのよ。
だからそういう人だと、普段は全然感じさせない場合もあるよ。
あとまぁ、ネットでは明るくても、リアルで会って見るとまったくしゃべれないみたいなのも居るから、判断が難しいのよ。
鬱病の一番の問題はそういう、一般の人に非常に理解され辛い病症を示す所だから、あんまりこの手の話題でdisって欲しくないなって思う。
確かに本当に鬱なのか疑わしい逃げてるだけの人も最近は増えてるらしいけどさ。
一応自分は鬱脱出組です。また落ちるかもしれない恐怖は今でもある。まるで薬物中毒みたいな感じ。
悪い悪くないではなく、「鬱病」で闘病している知人を見る限りは、水平線から上の感情にいることがほとんどないもんで、それは「鬱病」なのかい?と思うだけ。
「抑うつ」や「気分変調性障害」とかと鬱病は違うからさ。あと、気分がブルーで「なんだか鬱」とも違うけど、それはさすがにわかるよね。
躁鬱だとしたら、またそれはそれで気の毒。
帰ったら冷蔵庫がほとんど空だった。
牛乳と、冷凍ブロッコリーが少しとあったので、お好み焼き粉と牛乳だけ混ぜたタネに
ブロッコリーを刻んで入れてゴマ油で焼いて、ソースとマヨネーズをたっぷり塗って一味を振って食べた。
結構うまい。
でも、近所にコンビニが欲しい。巨大My冷蔵庫としてのコンビニ。
なんでそんなに予防線張ってるの?
でも絶対に手が届かない人に入れ込んでたからか、セックスしたいとかそこまで想像が
及ばなかったために現実に誰かと付き合ってもセックスしたいと思わなくなってしまった。
この辺り男のアイドルファンにも当てはまりますよ。
今はそうでもないけど少し前まではアイドルに本気で恋してたから。
http://anond.hatelabo.jp/20070316174810
色々忙しくなって余計な事を考えなくなっただけなのでは。
コミュニケーションに飽きてくるか、コミュニケーションがルーチンワークになってしまうか・・・ああもうなんて言えばいいか分かりませんが目の前の「壁」に飽きが来たときに「死にたい」気持ちが蘇ってくる、かもしれません。
人生何が起こるかわかりませんからね。
僕は親が死ねば自殺しようと漠然と思っています。
生きる理由が見つからないから。
世の中には楽しい事が溢れているし、ソレを享受してて楽しい。
だけど色々ありすぎてキリが無いから適当に幕を下ろしたいという気持ちもあります。
なんだろうね。無関心?
だけど親にはいろいろ大恩がある。
だから彼らが生きてる間は死んだり親に顔向けできない状態になったりということはよくない。
親の葬式までは頑張って生きて、喪主を勤めた後に首吊って死んでやる。
こんな考え、変わった方がまっとうに生きられるんですけどねぇ。
躁鬱について調べましょう。
恋人とのラブラブ日記を書くとか、内容細かく知らないからあれだけど、
そんな現状楽しそうなのは鬱病なのかなと。
うちの父が鬱病になってから全く笑わなくなったので
そんな楽しげな鬱病ってあるもんなのかと。
鬱病だって誰かが好きだったり、
鬱から回復したいって希望をもってみたりしてもいいんじゃないの?
なんか鬱=終わりみたいな感覚がやだなぁ…
鬱が治る病気だってわかってる?