2007-03-14

「ここが駄目」から始まる啓発からは正しい改善は生まれない

「○○してはいけない」「○○する人間は嫌われる」という啓発は、改善に繋がらない事が多い。それどころか、論点が激しくズレてしまう可能性を秘めている。

例えばこの文、

脱オタに言いたい4項目

1. ブランドにこだわらないでくさい

2. 斜め上に行かないでください

3. 足元見てください

4. 雑誌に影響されすぎないでください


この文章が正しいか正しくないかに関わらず、この啓発は改善を生み出すことは無い。その理由は2つである。

ちなみに、この文章は、改善を産み出すための文章ではないので、「ここが駄目」という文章で書く事にする。

1.「ではどうすればいいか。」がキチンと書いていない。

「ここが駄目」という部分は長々と書いている癖に、「ではどうすればいいか」の部分は文章の最後に、申し訳程度にしか書かれていない事が多い。

改善を促す文章を書くのであれば、駄目な部分より、改善策の部分に力を入れるべき。

2.「ではどうすればいいか。」が書かれていても、「ここが駄目」の部分だけを改善する策になっている。

さっきの文章の「4.雑誌に影響されすぎないでください」の「ではどうすればいいか」は、「のだめカンタービレ千秋様の格好でも参考にしてください」である。

しかしこれは、「雑誌に影響されすぎない」という部分に対する回答であって、「お洒落になる」ための回答ではない。

何も受けずに、脱オタに対して「のだめ千秋様の格好を参考にしてください」などと書いて、それは改善に繋がるだろうか。

同様に、分裂勘違い君に代表される以下のようなエントリーも読者の改善には繋がらない。

分裂勘違い君劇場 - コミュニケーション能力をウリにする人が醜悪な理由

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