鏡を見ることが日課になっていた時期があった。
鏡をまじまじと見つめて、じっと中の自分と目をあわす。
時々目を逸らして染め続けでバサバサになった髪や、必要以上に肉付きの良い体を見る。
そうすると自然に吐き気がこみ上げてきて、狭いユニットバスの隣にある便器に向かって思い切り吐く。
私はいつも誰かになりたかった。
それは日々変化して
ある時は恋人に
ある時は親友に
ある時は恩師に
ある時はペットの猫に
休む暇なくその姿になることを妄想する毎日だった。
とにかくこの鏡の中にいる自分は本当の自分では無くただの「入れ物」であり
誰かに見られる私はもっともっと違うんだと、もがいていたように思う。
そしていつも誰かを羨んでいた。
ああなりたい、こうなりたい
色々とその時になりたい姿や性格を想像しては
この場面ではこう言えば良い、こう言われたらこう返せば良いと
まるで舞台の上の役者のように振舞っていた。
ある日、夢を見た。
それでも夢の中ではそれが間違いなく私であり
周りの人々もそれを私と認識していた。
その日をきっかけに、毎夜見る夢の中には現実の私は一切登場しなくなってしまった。
目が覚めるといつも、なんとも言えない感情が沸き起こって来る。
最高に嬉しくて、最高に悲しい気持ち。
相反する感情に私はどうしていいのかさっぱりわからず
ただただ、ぼんやりと夢の話を反芻する日々が続いた。
そんなある日、初対面の人と話す機会があった。
第一声を出そうとした瞬間、言葉に詰まった。
あれ、どう話すのだったっけ?
ふと気づくと、私は現実の自分がどういった人物なのかわからなくなっていた。
私は鏡を見るのをやめた。
やめた、と言うより見れなくなってしまったというほうが正しいかもしれない。
鏡の向こう側が「自分」だと認識できなくなる恐怖に怯えていたのだ。
その時初めて、「自分」になりたいと思った。