少なくともやらなきゃいけないことがあるのに増田ってしまう奴はいるはずだ
そう そこの君だ
つうか増田の話はしてねえ
ウォッチの何が面白いのかが分からんのよ
その時間旨いもの食べに行くとか
そういう楽しいことに費やせばいいと思うんだが…
別に増田をしてると、旨いものが食えなくなる訳じゃ無いと思うんだがw
行政の強制撤去権(命題:「野宿者はそこに住んではならない」)が
(ちなみに「強制撤去権」は俺がいま勝手にこしらえた表現)
居住権と強制撤去権の有無の組合せでマトリックスを組んでみれば
わかりやすくなるのかもしれない。
どっちかが有る時にもう片方は無いというケースはまあいいとして、
「野宿者の居住権は有る、一方で行政の強制撤去権も有る」
でもその場合には私権の制限が行なわれる時点で一時的・部分的に居住権が停止されるわけだから
「居住権は無い、行政の強制撤去権は有る」の組合せと同じかなあ。
「野宿者の居住権は無い、一方で行政の強制撤去権も無い」
……これはどうイメージしたらいいのかわからない。
好き勝手にしてもいいと個人的には思う
というかネット上の言説は全部好き勝手にすればいいと思ってるけど
痛いと思ったことを皆で見て何が楽しいのかとも思う
その時間旨いもの食べに行くとか
まあ気になってる時点ですっぱり切れてないよね
ってタイトルで、
http://nikkeibp.weblogs.jp/gato/2005/06/2channel.html
のパロディを誰か書いてくれないかなぁ。
http://anond.hatelabo.jp/20070217214924
ってこの日記を読んで思いました。
地球温暖化ってなんだろう。
櫻井よしこのこの記事を読んでへーっと思ったあとに、
http://mikerosstky.spaces.live.com/Blog/cns!65DFD4754018BC2A!2341.entry
IPCC - 信じられますか?
この記事を読んでへーっと思った。
http://mikerosstky.spaces.live.com/blog/cns!65DFD4754018BC2A!2342.entry?_c=BlogPart
温暖化論をサポートする方々にチャレンジです。上記に間違えがあるとおもうのであれば、その間違えを指摘及び立証していただきたいと思います。
で、たてつづけてこの煽りを読んで反論がなかった。
いや、茶番劇だとはおもうんだけど、自分は温暖化対策は支持はするんだけどね。
タミフルを服用したときとしてないときで異常行動に統計的な差異が認められない、という話だったと思う。
子供のころ熱出して窓から逃げ出したことあったなあ。一階でよかった。
まぁプロフィール等々の状況証拠的なものからその人物が元彼女なんじゃ無いか?と推測されるんだけど、あんまり関わりあうと後々しんどいし「mixiやってるでしょ?」的な下らん用件で連絡取りたくない。
っていうのも、その人とは高校の先輩後輩で、お互いに違う大学に入ってから付き合いだした遠距離恋愛。3年ぐらい続いたんだけどある日突然、一方的に「好きだから、このまま恋人でいると辛いから友達に戻りたい」というような趣旨のコトを言ってきて、そのあまりに理不尽な言い分に俺は腹に据えかねて、別れる事になって以後一切の連絡を絶っていた。(長くなるから省くが)諸々の障害を踏み越えて付き合っていたから普通の恋人関係よりも絆は深いという自信が少なくとも俺にはあったし、だから別れ話を切り出された時はすごい裏切られた感があって、別れて2年ぐらい経った今でも少し許せない部分がある。
結局何が言いたいか。
上にのべたような経緯もあって未だに俺の近況を探ろうとしたり、他にもちょっと真意を測りかねる点がいくつかあってそれを問いただしたい気持ちもあるけど、そういうのがきっかけでまた交流ができて、スッパリ切った気持ちが戻ってゴタゴタするのも嫌だからアクションしにくいなーどうしよう?という俺の壮大な独り言。
>>要するにストーカーとかじゃなくて、イニシアティブ渡したくないから云々
そんな感じだろうね、俺も向こうも。
別れるに至るまでに俺に非が全くなかった・とは言わないけど、やっぱり俺には「振られた」って意識があるせいか「こっちからアクション起こしたら負け」みたいな感覚がある。我ながらガキっぽい考えだな。
私はいわゆる「障害者」であり、
その上でできること、できないことを把握してそれを主張して
仕事の割り振りを考えてもらっているが、
それが仕事をしない言い訳と捉えられることがあるのが非常に心外だ。
でも、いわゆる「健常者」の目からみれば、
私のような人間は単なる仕事の出来ない人間でしかないのは紛れもない事実だ。
その上で「差別」ではない、「区別」だ、といわれると私には何も反論できない。
「区別」はかまわないが「差別」はやめてくれと日ごろから主張してるもんだからなおさら。
そもそもLite2なら◇キーはWindowsキーとして使えるでしょ。
それで俺は邪魔だから◇キーをわざわざ引っこ抜いて使ってるんだし。
質素にくらしても限界がある。
日本で経済的理由で自殺者がでるのは、どんなに質素にくらしてもミニマムのキャシュアウトが大きいことにかなりのウエイトがあるからなんじゃないかと思う。
商店街の世界に入って思ったんだ。これは無理だなって。
やっぱり無理。
例えば昔ながらの商売をしてきた人に才能と努力をもちあわせてたとしても成功はおぼつかないと思うんだ。同じだけの才能と努力をほんの少し違う場所で生かせればもっと簡単に稼げるのは事実だと少なくとも自分は知ってしまっている。
だけどまじめな人ほど今までやってきた事を辞められないよね。
むかしながらの取引先をやめるとか、納入先を辞めるとか、個人のお得意を切り捨てるとか。
もっといえば店を閉めて百貨店のブースに切り替えるなんて判断をとれるわけながい。
それを合理性判断とするか、非情な行為とするかで心の重みが違うと思う。
彼らはむしろ知的障害者である事をいい事に、警察側、被害者側の都合の良いように扱われる事が多いです。
知的障害者だから優遇されるという事は、社会ではありません。むしろ逆です。
身寄りが無くても、知的障害者であるという事がネックになり、どこの施設も快く受け入れてもらえないのが現状です。
間違って買ったとしか思えん
私は"知的障害者"が嫌いだ。
と言ったら、遅れている人だとか社会とズレている人だとか差別をしている人だとか思われるだろうか。
私は小学生の頃に通っていたスイミングスクールで"障害者"に痴漢を受けた。
====
背の高い、狐みたいな顔をした奴だった。中学生に見えたが実際はどうかわからない。
プールでは順番に泳ぐので壁沿いに並んで待っている時間があるのだが、
奴は後ろに並んだ時、そっと尻の割れ目に指を這わせた。
この気持ち悪さをわかってもらえるだろうか。
水着なので布一枚しか隔てるものがない。
物心つく前の自分にはそれはもう本当にただ単純に「気持ち悪いこと」でしかなかった。
プールの中、プールサイド、挙句の果てには泳いでいてコース越しにすれ違った時まで。
痴漢は続いた。
ちょうどその頃自分は小学校の体育の授業で性教育の初歩の初歩を習った所だった。
「セイシが女の子にあるランシとくっついて赤ちゃんが生まれます」
それだけ習っていたので、自分は
「もしこの男が這わせている指にセイシがくっついていて自分の体に入って赤ちゃんができたらどうしよう」
と本気で心配していた。そう考えていたことは誰にも言わなかったが。
本当に幼かったんだと思う。
痴漢にあっていたのは自分だけではなかった。
同じクラスのひとつ年下の女の子たち((確か当時自分は小学四年生くらい))もみんな被害にあっていた。
親やコーチに訴えたら話を聞いてくれた。それは恐かったねと同情してくれた。
だけれどなかなか状況は変わらなかった。「話はしたんだけどね」の一点張りだった。
母から耳打ちをされた。「あの子あの年になってお母さんと手を繋いでいたんだって。ちょっと"障害者"かなにかみたいよ」
そして何度もの懇願のすえに男は私たちのクラスから姿を消した。謝罪も何もなく。
その少し後のある日、私はいつもの火曜日のクラスに用事があって出れなくなって金曜日のクラスに振り替えた。
そしたらそこにはあの男が平然といた。
そして警戒していたもののやはり尻を触られてしまった。
何も変わっていなかった。何も解決していなかった。悔しくって涙が出た。
「言ってもわからないんだから仕方ないじゃない」「可哀想な人だから許してあげようよ」
"障害者"は合法的に犯罪を犯すことが許されているのだろうか?
今なら周りの大人の対応や言葉の選び方が悪かったのだとわかる。
だけども、あちら側にまったくの責任がなかったとはどうしても思えない。
社会に出る以上、どんなハンデを背負っていても社会のルールは守らなくてはならないし
ルールを破ったならばルールを知らなかったとしても罰せられなければならない。
そして例えばそういった人の親や保護者も、社会に出す以上責任を負う義務があると思う。
その人に合った教育を受けさせなければいけない。
障害じゃなくたってコミニュケーションが苦手だったりするのはざらにある。
だけども「設計図」つまり例えばDNA的な点などで
どうしても治らない本人にも誰にも非のない障害があるのはまた別の話だと思う。
努力ではどうしようもないものがある。しかしそれは過ちを犯す言い訳にはなりえない。
自分が将来子供を授かったとして、もし堕胎可能な時期にその子が障害を持つとはっきりわかったら
自分や自分の子供が傷つくだけならまだいい。苦労しようとかまわない。
だが、自分以外の見知らぬ誰かの人生を狂わせてしまうのではないかと思うと怖くて仕方ない。
匿名だからこそ言えることだが、自分は「社会に出るのに不適切な人間は隔離されるべきだ」と考えている。
もちろん、社会に出る訓練をしてそれでもどうしようもないとわかった後に。
例えば一月の男児突き落とし事件も、男性には前科があったはずだ。だが繰り返された。
わかっていたのにどうして防げなかったのか。
知的障害者は確かに生まれながらに不本意なハンデを背負っている。
しかしそのハンデが言い訳になるような社会のままでは差別もなくならない。
まだたった17年しか生きていなくて知らないことのほうが多い自分だが、いま思うのはそういうことだ。
昔はパソコン雑誌がたくさん発売されていた日で、これは8日もそうであった。たいてい、その前日や前々日に秋葉原の某ショップへ行くとすでにその月の号が並んでいて、それを買ったものだ。
当時は、今よりも給料が安かったのだけれど、家族もいなかったせいか、可処分所得は多めで、今みたいに領収書などもらわなくてもぜんぜん平気だった。ガンガン買った。
本を買ったあと、その足でいくつかのゲーム売り場を周り(ファミコンなどのゲームではない。もちろん、パソコンのゲームだ。もっとも、MSXやらそんなものだが)、一度に2つも3つもゲームソフトを買ったものだ。
とはいえ、ほとんどのソフトは、数分遊んだくらいで「なんかつまらないな」と辞めてしまっていたものだ。
ゲーム好きではないくせに、ゲーム好きでありたいと思っていたという自覚は当時なくて、当然のように、自分はゲーム好きだと信じていたんだ。そんな体たらくなくせに、だ。
それでもそこそこ、ゲーム業界で生きているということは、地頭の良さがあったせいだけれど、もう疲れた。
ゲーム、つまんないじゃん。
と思う。
たぶん、そういう年代なんだろう。
暗い話にばかり、やたら詳しくなったもんだ。もんだ。もんだみん。もんだあんどぶらざーす。ブラジャーす。ブラジャーはしません、普通のときは。
蟹が食べたい。
Windowsキーが無いのは辛い。
Unixの人はいらないかもしれないけど、Windowsでキーボードショートカット多用するような使い方をする場合必要だ
ControlキーがTabとShiftの間にあるのは慣れない
こんな人間がHappy Hacking Keyboard を買う理由が分からない。