日本人に限った話じゃないのかもしれないけど、宗教という名前で一般的に連想されるのが、日常的な生活空間とは隔絶した“異界”の何かだった場合には、そういうことが起きやすいんじゃないかと思う。
逆に、実際にはまっている最中の人にとっては、そここそが自分の日常的な生活空間そのものだから、別にそれを“異界”とは感じない。クリスチャンにとってのキリスト教やムスリムにとってのイスラムがこれ。つまり「生活と宗教は切り離せないものだ」という日常生活イメージを持っている場合。形式的に見れば異常でもなんでもない。
じゃあ、増田やってる君らも、周りから見たらそう思われてるんじゃないの?
増田を“異界”と思う人から見れば、まさしくその通りだと思う。
どこの国の人に会っても、まずカルチャーショックを受けるのが、
「生活と宗教は切り離せないものだ」っていう事が当たり前であるっていう点だよね。
生きる意味を求めてみたいな人は、
あっちの人からはどう思われてるんだろう。これも気になる。
例えば火曜でも水曜でもいいのだけど、有名人が亡くなったとする。
そうするとあるアルファブログでは「●●さん、死去」というエントリが流れる。
それ自体は有意義なニュースだし普段ニュースを見ない人には有益だろう。
だがそこに生前その方が遺した本や映画のアフィリエイト・リンクが貼ってあった場合、複雑な気持ちになる。
それって商売じゃないかなと。
当日や翌日はなかなか検索エンジンに掲載されなくても、土曜や日曜に「今週こんなことがありました」的なニュース番組でその人死去のニュースが再度流れたら、ニュースを見ていた人はそこでその方の名前で検索するだろう。そして何百人何千人もの人がそのエントリを見る。エントリ中や末尾で紹介されている Amazon の商品により、生前その方が出演していた映画や、出版した本を見る。そこでの Amazon 商品のクリック率はまぁそこそこあるのだろう。
批判ではないのだけれど、「●●さん死去」系エントリにおけるアフィリエイトにどうしても違和感を覚えてしまうのだけれど皆さんはいかがだろうか。
もちろん、生前のご活躍の証や功績を検索エンジン経由の人たちに知らせるというのはそれはそれでとても有意義だし、生前何らかの影響を受けたことを吐露するのはとても参考になる。
だけど、Amazon の商品リンクに XXX-22 があった瞬間に違和感を感じる。
こんなことはコアな人がチェックしてるだけだし、自分は求めすぎなのかもしれない。
「一番抜ける映画」を紹介してるみたいだよネ
さりげなく罠をしこんでいるな
「アイツさー。」
「そうそう、アイツさ。何か夜な夜なインターネットで書き込みしてるらしいよ?」
「うっわー(笑)、マジ引くわそれ。あの頃、そういう奴じゃなくなかった?」
「うん、あの頃は普通だったよな。どんな経緯でそんな奴になっちゃったんだろ。」
「アレじゃね。インターネットに生きる意味とか求めちゃったんじゃね。」
「そういうのにはまると、たち悪いよなー(笑)可愛そうに。」
http://anond.hatelabo.jp/20070216185518
思う思う。そして、それが何故なのか知りたい。
太平洋戦争と神道の結びつきによるトラウマなのか、カルト宗教のイメージが強すぎるのか(ネガティブに「なんか宗教とか嵌ってる人?」って表現される場合は殆ど後者を指してる)。ホントに、他にこんな国がないのか。教えてエライ人。
コレってさ、
「あの頃は健全だったのに、何かにはまってしまったばっかりに・・・可愛そう・・・。」
っていう事だよね。
じゃあ、増田やってる君らも、周りから見たらそう思われてるんじゃないの?
PSPが2.80から1.50へダウングレードできるようになったらしい。
http://red.ribbon.to/~pspemu/DG_v280_to_v150_all_mother.html
↑PSPonEMU
全ての基盤で可能なので、みなさんご安心ください。
http://anond.hatelabo.jp/20070216190932
衆愚理論も理解できないで、「難しい理屈はどうでもいい」という類のコメントをしてくる。のように、議論の中身よりレトリックに関心をもち、「fromdusktildawnさんの話は喩えがおもしろい」とかいうレベルの話が多い。日本のSBM界は幼稚園ですね。
http://anond.hatelabo.jp/20070215112736
カントぐらい読んで自分の物にしてないと非モテを語るなんてもってのほかだよ?
同レベル
http://anond.hatelabo.jp/20070216134301
なぜ彼女(妹のほうね)がこんなに本気なのか、いろいろと聞いた話と彼女の言動をあわせて考えるに、彼女は生きる意味が欲しかったのだろうと思う。姉について都会に出てきたはいいけれど、いまいち目標がはっきりせず、バイトをして日々を送っていた彼女にとって、人の為になる仕事というのはある意味福音だったのだろう。その生きる意味を否定されるわけにはいかない。だからこそ、金にならなそうな俺をビジネスライクに切り捨てずに生真面目に反論してみせたのだろうと思う。
自分が生きる意味なんてそう簡単に見つからないというか一生見つからない人の方が多いくらいだと思うのですが、そういうことについて考えさせてくれる映画をご存じの方がいらしたら紹介してください。
http://anond.hatelabo.jp/20070217024943
にお礼を書きました
別に私は人気を得ようと思って書いているわけではありません。何が正しいかを議論しているときに、「どっちが人気があるか」なんてどうでもいいことです。
それにしても、日本のSBMのレベルは低いですね。たとえばdel.icio.usと比べても、S/N比が非常に低い。これは情報学の知識というより、日本人が論理的に議論する訓練をしてないからでしょう。
衆愚理論も理解できないで、「難しい理屈はどうでもいい」という類のコメントをしてくる。のように、議論の中身よりレトリックに関心をもち、「fromdusktildawnさんの話は喩えがおもしろい」とかいうレベルの話が多い。日本のSBM界は幼稚園ですね。
http://anond.hatelabo.jp/20070216003258
そういう人は、自説を述べる機会を求めて講演会やらシンポやらに行っているから。
もうちょっと好意的に解釈すると、いつもそのことが頭にあって、どんな話を聞いてもそれに惹き付けて考えてしまうから。
日本人だけだよね。宗教に走ったら駄目みたいな思想を持ってるのって。
私はそう思って、ふかふかのお布団で日本人である喜びにまどろむのでした。
そういう部分に喜びを感じるのかw
http://anond.hatelabo.jp/20070216162739
発音しにくいID....つーか、脳内で発音が思いつかないIDは認識しにくく、ゆえに覚えにくい気がするよ。
信頼がおけないか否かはなんとも。IDを決めろと言われて、無機的でユニークな文字列の方が"らしい"と思って、自分もそういうのを好んで使ってるからかなぁ。他の人もそうだと無意識に類推してるのかも。あと、古いサービスのIDパターンとか有名なスペルミスとか、その手の通じる人には通じる系の元ネタ付というのもあるし。
なんかさ、ニックネームとか自分の好きなものとか、そういうものをIDで主張するってこっぱずかしいって気分があって、だから無機的でユニーク風味、機械的に割り当てられたみたいな文字列にしたいというのはあるかも。
だめんずっぷりをもうちょいくわしく
「わたし、宗教団体に入ったの」
「ハッピーですか!」
「ハッピーですか!」
「とってもハッピーよ!」
「ハッピー!」
「ハッピー!」
「ハッピー!」
「We are "Happy God Group"ハァーッ!」
今さらですが夫がどう見てもだめんずです。本当にありがとうございました。
もうちょい詳しくってことなので
毎日笑いながら絶望の種を拾っている。
きのこじゃないけど、いつのまにか宗教にはまっていた友達を思い出した。「すごくいいの、今楽しいの」とキラキラした目で語っていました。幸福の手紙(不幸の手紙じゃなく)とかも信じてた子だったけど、のんびり屋さんでもあったので、ビックリしました。とりあえず全てに反論しました、まだ布教の技術は浅いらしく、あっさり看破してしまいましたが。
そういえば、大学卒業した頃、「自分の"やるべきこと"がわかんないんだよねー」「そうだなー」と電話で頷きあったことがあった。思えば、あの頃からはまり始めたのか。
人間が生きる意味とか、生まれてきた意味とか、ないんだよ。使命とかありゃしない。それがむごいことかい? つらいことかい? そういう使命感から解き放たれると、それもまた楽なのに。
私はそう思って、ふかふかのお布団で日本人である喜びにまどろむのでした。