2007-02-03

だれが「二次創作」を殺すのか? ドラえもん最終話同人誌訴訟問題

 小学館ドラえもん最終回を描いた同人誌の作者に対して、販売中止と損害賠償を求める訴えをしていることが話題になっている。小学館の主張は法に準拠すれば至極真っ当な正論であり、法的な観点から反論することはできない。するとすれば表現論としての同人誌存在意義という抽象的な見地からしかできないだろう。夏目房之介氏の言うように「模倣を切り捨てたら文化が衰退する」と言うこともできるし、岡田斗司夫氏の言葉を借りてきて「創作ピラミッド上になっており、上層に位置する優れた作品は同人誌などの肥沃な下層が存在するから生まれてくるのであり、これを排除したら優秀な作品も生まれなくなる」と論じることもできる。

 ネット上でも作者に対して否定的な意見が多く、大雑把に総括すると「同人誌を訴える小学館も野暮だが、儲けすぎた作者にも問題がある」というものだ。

 多くの人が「儲けすぎた」というところを批判している。確かに、ドラえもんという他者が創作したキャラクターを使い、ドラえもんを開発したのは実はのび太という他者が創作したストーリーを用いて約1万5000部売り上げるというのは、余りにも他人のふんどしな感じが出過ぎていて目に余る行為だ。さらにはこの作品の売り上げが社会に対してどのように還元されるのかが不透明なところも非難される要素であろう。

 何がこのような事態をもたらしたかと言うと、一言で言うなら「迂闊さ」である。作者が非難されるであろう隙を処理せずに出版に踏み切ったことが全ての原因だ。これがネット上での無料公開ならこのような事にならなかったことは自明であるし、売り上げをどこかの団体に寄付すると明言していれば(選択肢先にもよるだろうが)反応は大きく違ったであろう。

 では、作者が堂々と泡銭を得るには、いかに非難されるであろう隙を処理すれば良かったのだろうか?

 その鍵のヒントを私はアダルトビデオ業界に見いだす。

 問題なのは他者が創作したキャラクターを使って漫画を描いているところだろう。これは表現において決してしてはいけない行為として多くの人の倫理観に定着しており、覆そうにないように思える。しかし、それを堂々とやってのけているのがアダルトビデオ業界なのである。皆さんもご存じの通り、アダルトビデオ業界では売れっ子の女優アイドルに似た人、いわゆる“そっくりさん”を使ってAVを制作するのが定番を化し、広く利益を得ている。これが問題にならないのは

 一、あくまで“そっくりさん”であり、決して本人ではない

 二、パッケージ等にはあくまで「若○千夏」などと表記しており個人の特定はしていない

 三、アダルトビデオに目くじらを立てるのは大人げない

 他にも副次的な要素は沢山あるだろうが、大まかにするとこの三つであろう。つまり、ドラえもん容姿を「アゴがしゃくれている」などと微妙に改変し、題名その他漫画内表記を「ドラ○もん」にする。そして、著作権者に「こんな低俗なものなんて訴えることすらしたくない」と思われるように、のび太の内蔵が常に露出している、ドラえもんが壊れた理由が成長に比例させて首輪の大きさを変えなかったからだ、スネ夫の髪型がどう見ても男性器、しずかちゃんだけ劇画調の絵で何故か全裸、などのような要素を散りばめておけば良かったのだ。もちろん、しずかちゃんの登場シーンはワイルドマッチョな男たちに御輿のように担がれながら。ここまですれば著作権者も呆れて訴えるという行為をしようとも思わないだろう。ただし、原作ファンも不快感を示す可能性があるのがネックか。

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