2007-01-28

ネット上の議論を見てて思う

何で、相手が意見を正確に表現する文章を書ける、ということを互いが前提としているかのように議論するのだろう。

多少言葉がおかしかったり、提示した例が不適当だったり、文章の繋がりが変だったりしても、その言わんとすることが伝わるならいいじゃない。

行間を読むなり雰囲気を読むなり意を汲むなりして、相手の主張を筋が通ったものとして理解するよう努力すればいいのに。

もちろん、理解したつもりで発言者の狙いとは全然違ってるかもしれないから、「○○ということですか?」という確認は必要だろうけど。あとおかしな所に対する、攻撃じゃあなくて指摘とか。

敢えて誤読(文章の構造自体には忠実な読み)をして、相手の本来の狙いとは違った主張を読み取って、それを攻撃するなんて話をこじらせるだけじゃないか。

「議論とは当然正しい言葉・正しい手順・正しい論理で行う物だ」、なんていう考え方は、知識と覚悟のあるモヒカン族同士の議論でのみ使えば良い。

議論ってのは、参加者が同じ土俵に立ってなきゃ噛み合わない物でしょう。

一方が正確さ・厳密さを徹底しない(できない)なら、もう一方が一種ファジーさを容認するしかない。

裁判所の論争じゃあないのだから、相手の弱みを攻撃して崩壊させても俺TUEEにしかならなかろうなのだぁー。

議論や話し合いってのは、互いに敬意と好意を持って行ってこそ建設的になるのだと思うのだがなあ。

社会の荒波に揉まれてなくて甘ったれてる意見なのかなぁ、これ。

一部の有名人を除いて、現実利害関係からある程度距離を置けるネットでくらい、こういう相手を慮る議論が当たり前になって良いと思うのに。

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