はてなキーワード: 黒澤明とは
正直なところ、諸事情もあって君たちはどう生きるかはまだ観てないのだけど、
ぶっちゃけ、千と千尋の神隠しとか、自分にはもうよく分からんのよな、俺にはもう理解できない
イシナガキクエほどではないけど、ハウルの動く城もそうだけど、どんどん宮崎駿が自由になりすぎちゃって、
起承転結がない、尻切れトンボ感さえある、もしくは無理矢理盛り上がって終わるとか、そんな感じ…
ナウシカ、ラピュタ、ってやっぱり分かりやすい、分かりやすすぎるぐらい分かりやすい
あの頃の宮崎駿やジブリって興行的な失敗が許されないから、ナウシカなんか完全に宮崎駿は折れてる
俺はこういうオチにしたいんだ、というのを折られてる
恥ずかしながら最近になって知ったんだけど、紅の豚のラストも当初の宮崎駿の考えとは違ってるんだよな
自分としては当初想定していたオチは流石に酷いと思ってて、でも、当の宮崎駿本人はノリノリで描いてたんだろう
紅の豚は分かりやすい、魔女の宅急便とかとなりのトトロも深読みしなければ分かる
というか、なんで深読みしなければならんのだ
個々人によって作品の深読みレベルなんて異なって当然だし、最近のネット上のアニメ評とか深読みしすぎてるのもあったりして、ちょっと怖い
そう考えると、士郎正宗作品はなんでアニメ化失敗するのかというと、あれも標準的な読者にはよく分からない、一読して分からない
あと、個人的にはM-66は素晴らしいと思うんだけど、あれもストーリー構成として考えると、同人誌っぽい、起承転結がなんか薄い
士郎正宗作品の格闘とか、そういう細かい所を楽しむためにあるような作品だと思う
攻殻機動隊とかアップルシードになると、一読しただけでは正直自分にはよく分からない、一読目は雰囲気だけは楽しめる、だから、何度も読む
宮崎駿が今、どんどんよく分からない、黒澤明の夢じゃないけど、そういうことができるのは多くの作品を作ってきた御大の晩年だから、というのがあると思う
どんどん私小説になっていって、なんか宮崎駿のオナニー見せられてるんだな…、と思って嫌になっちゃうときもあるんだけど、
なんかよく分からんけど作画レベルは異常に高いし、なんか海外にまで評価されちゃってる
一方で、士郎正宗作品で分かりやすい、そこそこ成功した作品って、ドミニオンぐらいだと思うんだよな
ドミニオンにも文句がないわけではないが、総じて作品として成立してる
DoGAのはCGがちょっと残念、やろうとしたこと自体は良かった気がするんだけどね、でも、まあ観れなくはない、個人的に甘く評価してしまってるのもあるけど
士郎正宗も宮崎駿みたいに、最初分かりやすいラピュタとかナウシカから始まって、次々に作品を生み出して巨匠になって、
晩年に向かって周囲が益々口出しできなくなって、完全に自分勝手な作品を作れるようになっていれば、原作のまんまみたいなのも可能になるんだろうけどね
どうしても作品として小さくまとめようとされちゃうよね、攻殻機動隊もアップルシードも
興行的に大失敗してもいいから、原作そのまんまのテイストでわけわからんの作っていいよ、とは士郎正宗氏が死ぬまでならん気がするんだよね
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.cinematoday.jp/news/N0143052
そもそも宮崎と高畑のためのスタジオだ~黒澤明やスタンリー・キューブリック後継者なんていないとかいつものコメントが上がってるけど
あのな確かにラピュタからジブリ立ち上げてトトロまでは宮崎と高畑のためのスタジオだったんだよ。
宮崎がまだ売れてない頃に用意してた企画がトトロまでで、トトロ終わったら宮崎はジブリは解散するつもりだった。
でもそれはもったいないって鈴木が止めて、その時の宮崎の条件で【スタッフを正社員化する】ことになってそれ以降話が変わってくるんだよ。
これは社員の生活に責任を持つってことなんだから、アーティストぶって作りたいときに作って飽きたら引退するなんてありえないんだよ。
ここらへんのいきさつも人を雇う覚悟も宮崎がインタビューで語ってたことだろ。
だからジブリで演出家育成の試験やったり外部から望月、細田、森田って優秀な演出家を呼び寄せて撮らせてたのになんでそれを無かったことにしてんだよ。
今回身内の吾郎が世代交代失敗したって言ってんのに知ったかぶった奴らがいつものコメント残すだろ?
こいつらなにがしたいんだ?
職場の食堂行くとテレビのチャンネルがNHKでちょうど「ちゅらさん」と「虎に翼」やってる時間に飯食うことになるんだけどさ、どっちも笑えるぐらいレベル低いよな。
説明ゼリフの連続みたいな脚本、それを棒読みしてるだけの俳優、リアリティもなければ面白みもない動き、学芸会とはこのことだなって感じ。
確か「ちゅらさん」って朝ドラの中では評価スゲー高かったよね?
でも改めて見てもこの酷さよ。
皆して沖縄風を装おった変な喋り方するのに精一杯でほぼ棒読み。
演技に感情が全く籠もってないんだよね。
指先の演技みたいなのも全く出来てない。
狭いスタジオの中の狭い価値観で狭苦しく合格を貰うだけの内容。
まあそもそも脚本やストーリーテリングが全く持ってお粗末というかさ、奥行きというものがないんだよねえ。
1話15分って短さを活かしてワンテーマを確実にこなしていくような作りにすればいいのに、半端なクリフハンガーを繰り返して細切れにしていって、そんで1週間分全部つなげても結局しょーもない話にしかなってない。
NHKが視聴料徴収して低レベルなドラマ作ってるのはもうしゃーないけど、こんなものを評価してる日本人が大勢いるってことに絶望しかないわ。
「ちゅらさん」「が今見たら駄目駄目に感じるのはしゃーないと思う。
でも、「虎に翼」の出来は2024年にお出しするにはショボすぎる。
「虎の翼」の何が終わってるかって、語りたいテーマについての掘り下げが足りてないんだよね日本ドラマ全般がそうだけど。
「女性の社会進出」ってお題目を掲げてそこで満足して、毎話毎話思い出したように「そうだ。このシーンでそのテーマ言及してみませんか?」と思いつきのように脚本に入れてキャストに棒読みさせる。
ひえぇ~~~~~~恥ずかし~~~~~~~~~海外ドラマがとっくの昔に卒業してることをまだやってる。
これじゃ小学生の作文だよ。
テーマに沿ったことをそれっぽくやって「それっぽいことしてるでしょ?」をアピールして花丸貰おうとするだけじゃ駄目だよ。
最初の段階で全体の構想をしっかり練って、全体の背骨をまず一本通し、それぞれのキャラクターにも設定や物語としての背骨を一本一本通していく、そういう最低限の下準備をせずにその場の思いつきだけで見切り発車はプロの仕事じゃないって。
「視聴者の反応を参考にしてある程度フレキシブルに動かしていきましょう」みたいな言い訳でもして最初の作り込みをサボりまくってることを会議で誤魔化してんのかもだけど、そのやり方じゃ世界水準じゃ話にならねえっての。
ほんまありえんぐらいに程度が低いなあ。
そして昔からずっとそうだった。
映画はそこそこ作れてるけど、それは黒澤明みたいに映画監督としての映画監督が作った時に面白いものが出来てただけ。
ドラマの技法を取り入れるに従ってどんどんしょーもないものばかりになっていった。
日本のドラマはレベルが低くて、ドラマ業界が作った映画は酷いものばかり。
映画業界はレベルが高い部分もあったけど、ドラマ業界の連中に毒されることによってどんどん駄目になった。
つまりさ、日本のドラマ業界は昔から今までず~~~~~~~っと学芸会しかしたことがないわけ。
ほんましょーもないよ。
前々から「推し活」というものにうっすらと疑問や違和感を持ってきたが、最近少しずつ言語化できるようになった気がするので、ここでまとめておきたい。
第1に、「推し活」においてはドラマや映画などの作品の内容や質が軽視されていることである。
昔ながらの映画ファンは、宮崎駿の「ナウシカ」「ラピュタ」は素晴らしいけど「ハウル」は意味わからないとか、黒澤明の「七人の侍」「椿三十郎」は凄いけど「影武者」はスケールが大きいだけで内容はつまらないとか、三船敏郎は黒澤映画では神だけどそれ以外では大根役者でむさ苦しいだけだとか、そういう話を当たり前のようにしてきた。
しかし「推し活」をしている人たちは、その当たり前のことを許さない。「推し」が出演している映画やドラマについて、「あれは出来がよくなかったね」と言ってはいけない雰囲気が強く存在する。事実、近年の日本のドラマがレベルが高くて面白いという話は全く聞かないし、「個人の感想」で言えば5分と見続けられないレベルだと思うが、Tverの視聴回数はドラマが上位を独占しているという。これは、ドラマや映画が「推し」を鑑賞するための舞台背景でしかなくなり、その内容や質が軽視されていることを意味している。
最悪の結果になった「セクシー田中さん」騒動について、その背景には間違いなく「推し活」がある。つまり、現在のドラマ作りは、優れた原作や脚本を土台にして配役を決めるという当たり前の順番ではなく、まず「推されている」人気の俳優やアイドルのキャスティングが先にあり、その後に適当な(人気と知名度がありそうな)漫画原作を探す、という逆の順番になっているのだという。そのように、日本のドラマ制作の現場は、主要な視聴者・顧客層である俳優・アイドルの推し活をしている人々の期待に応えることを優先してしまっており、当然ながら原作者の意図や想いなどはほとんど重視されない結果になる。
第2に、「推し」に不祥事があった場合の精神的なリスクが大きすぎることである。
普通の映画ファンなら、たとえ宮崎駿がセクハラ疑惑で文春砲を浴びたとしても、当たり前の話、「ラピュタ」の面白さまで否定されたとは感じないだろう。しかし「推し活」をしている人たちは、「推し」の全人格・全人生にわたって推しているので、「推し」が不祥事で文春砲を浴びてメディアから消え去ってしまった場合、「推し」の出演作を鑑賞するのもつらくなり、精神的に病んでしまうことになる。当人だけのことなら自己責任だが、大抵の場合は友人や家族を巻き込んで、周りも疲弊させることになる。
第3に、最終的に犯罪的行為や人権侵害を擁護してしまうことである。
昔ながらのプロ野球ファンなどは、例えば巨人の選手や経営陣に何らかの不祥事があった場合、巨人ファンが真っ先にそれを批判することも普通だった。しかし近年の「推し活」の場合、旧ジャニーズや宝塚の問題で露見したように、「推し」の不祥事がパワハラや性加害のような事案にあたる場合でも、完全に無視・スルーする人はまだましなほうで、それを全力で擁護したり、報道を虚偽と決めつけたり、被害告発者をバッシングする人たちが目立った。当然外野には全く理解されないし、犯罪的行為の肯定にもなるので、SNSでは大炎上するし、やはり精神的に疲弊して病んでしまうことになる。「推し活」の内部からパワハラや性加害を反省してなくそうという主張や運動は、残念ながらほとんど皆無に近かった。
前々から気にはなってんだけど。
宗教団体がその教義を広めるために、信者の動員も期待して作る映画って言うと最近はハッピーをサイエンスする人たちのやつが有名だけど、どうもそんなんとは格が違うっぽいんだよね。
まあ古い日本映画のことを知らなければなんのこっちゃ?だろうが、かなりな組み合わせた。
舛田利雄がどれくらい凄いかというと、かつて『トラ・トラ・トラ』というハリウッド資本で真珠湾攻撃を映画化する企画があって、当初、日本側の監督だった黒澤明がトラブルで降板したあと、共同で日本側監督をやったくらいの人。(もう一人は、『仁義なき戦い』『バトルロイヤル』の深作欣二)。
橋本忍は、黒澤の『羅生門』の脚本書いて世にでた人で、その後の凄さはもうwikipediaでも見てくれ。
で、主演(創価学会第二代会長の戸田城聖の役)が丹波哲郎、日蓮大聖人役は仲代達矢。
“今度の新作には千眼美子が出てるらしい”とか言うのとはレベルが違う。
“東宝映像が制作を行っていることから、1作目での十界論のイメージや『続』での立正安国論の天変地異描写などに特撮が用いられている。当時は映画業界の斜陽化により特撮作品の制作も減少していたが、東宝は本作品でその存在感を知らしめ、以後キャラクター・パニックもの以外の映画やCMなどでの特撮制作の受注が増加していった”
のだそうだ。
なんかこれ、純粋に映画としても結構おもしろいんじゃなかろうか?
過去にシナノ企画という学会系の会社からDVDも発売されたようだが、今は中古しか出回っていないようで、Amazonでは1万円くらいで出ているのだが、さすがに1万だしてまで見たいか?と聞かれると
まあそこまでではない。
が、やはり気になる。
中村主水や他の人の刀の斬る・刺すの音に関しては…
あれは「川の流れる音」や「水を流したまま石鹸で手を洗う音」の「録音テープ」を、手で早く送る(斬る・刺す)、手でゆっくり戻す(抜く)という感じ。【必殺シリーズ完全百科という本にも書いてあるから間違いないと思います。】
中村主水の効果は比較的簡単、実際に”肉の塊”を切ったり突いたりして録音した音をサウンド・コンポーザーで加工しています。シーンにあわせて伸ばしたり縮めたりしてますね。
時代劇のチャンバラの音はたいていこれ。一説には黒澤明が発案したんだとか・・・。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1016637550
観客が作品本体の話で盛り上がるのではなく、作品の中に自伝的要素を探しはじめてあーだこーだやりはじめると失敗作の証拠で、かつは黒澤明の『夢』、ジョージ・ルーカスのプリクエル、コッポラの『ゴッドファーザーPart3』なんかもそうだった。作品として強度が弱くつまらないからこういう現象が起きるのだが、たとえ自伝だったにせよ、作家の人生のうち我々に見えているものなんか0.01%もないわけで、作家が何に何を投影したかなんて全く関係ない観客が正確に理解できるわけもなく。
老境に入ってからの作品といっても『かぐや姫の物語』とか『アイズ・ワイド・シャット』とかそんな現象は起きなかったでしょ? 優れた作品とはそういうもの。作品本体の話で盛り上がれるもの。
しかし、それゆえか映画を見終わったあと若い人たちからはよくわからなかった、という会話も聞こえてきた。
だが、子供時代から宮崎駿のアニメに親しみ、そして反抗し、そして再び畏敬の念を抱き、そのあと少し忘れてしまっていた世代である私には響いた。
なんというか、これは宮崎駿から私たちへの最後の挨拶のようにも感じたからだ。
舞台は戦中、主人公の少年は裕福な家庭に生まれ、田舎へと疎開する。
作品を見る前の予想
・自伝的要素が強い
・宮崎駿アニメの集大成的要素(あるいは大甲子園的な展開もありえる?)
しかし、物語冒頭の観客の心を鷲掴みにしてくるパートの見事さから宮崎駿の老耄ぶりを心配する必要はなくなった。
はず、だったのだが、どうにも見ていて大丈夫か?この映画?と心配になるときが何度かあった。
というのは映画の冒頭から序盤までのパートはいいのだが、サギが出てくるパートから映画に対しての不愉快さが積もり始めるからだ。
予想していた悪夢的な醜さをコントロールできていないのではないか?と心配になり始める。
だが、見終わった段階で言えることはこれは計算通りのものであり作品の設計に狂いはない。
観客がそろそろ、この映画に見切りをつけたくなる、というタイミングで物語は猛スピードで展開し始める。
まだ上手く消化できていないのだ。
創作とは。
確か村上春樹とスティーブンキングは創作とは、掘り進める行為であるとか言っていたような気がする。
小さなミノで岩とトントン、トントン自分の心の底を削り続けるうちに創作の源と出会うとかなんとか、そういうイメージ。
その石の力で、世界をつくりあげた人物であり、今となっては力尽きようとしている老人。
石の積み木の位置を渾身でもって微調整しても世界はもう保たないのだ。
世界は滅ぼうとしている。
そう世界は滅びるのだ。
老人の世界を形作る石の積み木は微調整しても、もう新しい世界を生み出すことはないし、
ああ、駿、駿、駿。
なんと悲しいことを律儀に告げることのなのか。
みんな、みんな突然いなくなる。
志村は、なんの前フリもなく消えた。
その他のたくさんの愛すべき人たち。
彼らは何の別れの挨拶もなく消えていった。
でも。
ああ、駿、駿、駿。
お前は何と律儀に別れの挨拶をしてくるのか。
そして、その悲しさに私は胸が張り裂けそうだ。
インコ王様は、新しい積み木をこうやってああやってこうすれば、それで世界は再生するのだ。
とやってみせるが、それは世界の滅びを早めるだけだった。
世界は石の力を扱える血族でなければ、存続させることが出来ないのだ。
黒澤明でいうところの夢じゃろ
※不妊治療されてる方は傷つく可能性がある表現があるのでご注意ください※
最近何だか生理が今までになく重くて辛くなってきたなと思っていたら、健康診断の婦人科検診でチョコレート嚢胞があるので再検査が必要とのことで。
言われるがままに近所の婦人科で再検査を受けた結果チョコレート嚢胞と内膜症ですねとの診断だった。
寝てても途中で起きるぐらいの激痛と、経血量は1時間多い昼用のナプキンがもたなかったから、やっぱりそのレベルの人は病院行ったほうがいいっていうのは本当なんだなと思った。
最近の不調はやっぱり理由があったんだなあと納得したし、あーほんとにアラサーになると色々体が変わってくるんだなあとか色々思ったけど正直心底ホッとした。
不妊で悩んでる人には本当に本当に申し訳ないけど、あーこれで「子供は?」って聞かれた時に質問をかわせてその後も掘り下げにくい感じにできる理由ができたなってホッとした。ぶっちゃけ激痛だし辛いけど積極的に治療する気になれない。
一人は寂しいから一緒に住んでる人はいるけど本当に子供産むつもりない。なまじ一緒に暮らしてる彼氏がいるので当然産むだろうと思って周りの人たちも思って聞いてくるのが本当に面倒で期待されるのもダルかった。
もちろん内膜症だったら絶対に子供が産めないわけじゃないし、内膜症の治療や不妊治療をすごく頑張って頑張って授かってる人もいるけど、私の周りの人たちは流石に結婚してない段階のアラサー女に不妊治療頑張れと言ってくるほどデリカシーが終わってるわけじゃなかったのがありがたかった。
ずっとちゃんと生きてる大人の仲間のふりをしてきたけど、ずっとずっと降りたかったものがいろいろある。
仕事は自分のできる限り頑張ってきて、自分のやりたいことなんて何にもないから会社にとって必要なことを任されれば任されるだけ全部頑張って過労死ラインで一生やってたら去年ついにダメになって退職した。
本当はもう無理ですって言いたかった仕事がたくさんあったけど、あなたの経験になるから、あなたならできるって言われるともう無理だったし、コミュ力が終わってるのでそんな交渉をする元気も胆力も残ってなかった。
元々自分の不調に気付きにくい性分なのも相まってもう降りたいって思った時には完全にダメになってたし、勇気を振り絞って言った「もう無理です」は「ちゃんとできてるよ、十分にやれてるから気にしないで!」で返されておしまいでした。
基本的にコミュニケーション能力が弱すぎるので、「ああもう降りたい」っていうものに一つ一つ理由をつけて自分で言い訳ができるとしたらもう病気が見つかるしかないダメな大人になりました。
黒澤明の「生きる」をみてなんていい映画なんだろうと思ったけど、今自分が癌の告知を受けたとしたらあんなにショックを受けれるかなあ。
ああこれでやっとまた降りれるって思うんじゃないかな。