はてなキーワード: 食事とは
君ら「セックスしたい」と思ったら女の子を生身の穴としか見なしてないでしょ
出会いやデート、食事なんかをセックスに至るまでの障害としか捉えないでしょ
他人を道具としか考えてないし、それを当然の事だと思ってるから「人として接するべし」という批判をされるし、その意味もわからないんじゃん?
「俺みたいな人を道具としか見てないクソ野郎を好きになる人なんているの?」って自問しながら人に接してみたら少しは何かわかるんじゃないかな
彼氏いたことないブス喪女だけどすっっっごくわかる。受け身では結婚できないとか言われるしそんなこと百も承知だけど、学生時代に落とし物を拾ったり配布物配ってただけで触んな汚えよ死ねブスとか言われ続けて、自分が男性と関わることは公害で自分なんかが男性と話してはいけないんだって染み込んでしまった。未だに仕事以外で男性と話せないし、女性とはワイワイお話できても男性になった途端、キモがられるのが怖くてめっちゃ塩対応して避けてしまう。話しかけにくいとか壁があるとか、男性陣からは散々言われてるらしいけどどうしようもない。今はファッション・メイク・清潔感すごく気を遣ってるし同性からはおしゃれって言ってもらえて友達もいるけど、未だに男性の目が怖い。人前でマスクを外すのが怖くて食事の予定も可能な限り避けてしまう。もしマスクを外したらよくそんな顔で歩けるな死ねとかまた誰かから言われるかもしれない。。
電車で隣に男性が座ってくれただけで、自分の存在価値を担保されたような気になって安心する。傍目にはキモい奴ともやばい奴とも思われてないのかなって…男性が嫌いな訳ではないし話しかけられたらすごく嬉しい。でも自分は男性と接しちゃ駄目だってずっと思ってる。たぶん一生独身なんだろうな。
そうなのか、、なるほど 食事をしたかどうかにかかわらず体で糖の利用がうまくやれてないと
親が糖尿病だったこともあり、気をつけないととは思っており、食事も節制を心がけてるつもりだけど難しいな
ひどくなるようなら医者にいこうと思う
食事の有無とは関係なしに、人体は、糖を血中から臓器や筋肉に吸収させたり、
その仕組みに異常がおきると、
朝食 コーヒー
昼食 インドカレー
夕食 うな丼
ヤング・シェルドンロスでアマプラで観るものを探していたが、以前たまたまNHKで岸辺露伴を観て面白かったので一話から観ている
日本のドラマはどことなく仏教の匂いを感じるのは気のせいだろうか
運動やヨガ、食事をするのは許容範囲だが、パソコンの前でカタカタやるというのがどうも精神に堪える
何かで大成功するようなことに全く興味はなく、現状に満足し、スローライフを過ごしたいのである
おそらくユダヤ教の休息日のように、デジタルから意図的に距離を置く時間が必要だろう
パソコンの前にいると「これを使ってなーにか面白いことできねぇかな」と考えてしまい、疲弊する
最近、食事は宅食のおまかせコースに頼り切っている。今使っているサービスは和洋中を2:2:3くらいで毎週送ってくれて、そこそこ美味しいので問題なし。
娯楽はゲームをやっているが、耳が寂しいのでラジオをつけている。ラジオはテレビより音声だけで伝えることに特化していて、広告と番組の音量の差がないのが聞きやすくていい。そして何より、局によって番組の方向性がある程度決まっていて、テーマに沿った一定以上のクオリティの番組が流れ続けているのが良い。空間を占める音はラジオ局にお任せだ。
健康管理はスマホアプリに任せている。歩く、走る、食事をする、寝る…全ての場面にアプリの補助が入れられる。ある程度の指針を見せてくれるので、何をすべきか迷わなくていい。
体のメンテナンスは医者任せだ。ある程度以上の症状が出たら、自分なりに症状を記録した上で病院にかかれば、とんでもない時間勉強して知識を蓄えた人体の専門家が判断してくれる。それでいて1回700-800円くらいだ。雑貨屋で買うしょうもない物より安い。
意外と他人に任せられることはたくさんあって、サービスさえ知っていればかなり快適に暮らせる。大人って最高だ。もし過去に戻れると言われても、子供に戻りたくないし、技術の進歩していない時代にも戻りたくないから、二重の意味で拒絶するだろうな。
メメント・モリで人生が輝くのって、それだけじゃダメで諦めの良さとやる気が要ると思う。
有限であるならしょーもない事をしている暇はないし、やりたい事は可能な限り全部やった方がいい。
しかし有限なので何もかもは出来ない。
生存を維持するための行動を除いて、何かをしようとする度にそれが限りある人生の時間を投下する価値があるのかと考えなければならない。満足に生きるという目標を最大限効率的に実現するなら。
常に自分の確信を問い続けなければならない。その選択は他の可能性を捨ててまで選び取るべきものなのか。本当に自分の人生に満足をもたらすのか。
自分にとって大切なものを見極める誠実さと、そのために他の魅力的な可能性を捨てる諦めや思い切り。そもそも人間は一つの頭と一つの身体しか使えないのだから常に他の選択肢を捨てて何かを行っているし、人生の有限性なんか考えるまでもなくそれは大事な力だ。
むしろ変に有限性への意識とか持ってると、選択の心情的なコストを無駄に増やすだけだ。
それに、好きな事と言ったって24時間364日出来る訳ではない。
音楽が好きというなら、常に聴いているはずだ。睡眠中、食事中であっても音楽を聴くことは出来る。それをしないなら真剣に音楽を愛しているとは言えない。「本当の」音楽好き好きではない。
なんて言うのは極端過ぎる。そういう人インターネットによくいるけど。
どれだけ好きだったり憧れたりしていても、やっぱり地道な練習とか積み重ねは退屈でしんどい。
面倒臭さに屈する程度の「好き」が「本物」かどうか、なんてのは神様に聞かないと分からないけど、とにかく面倒臭いものは面倒臭い。
死の待ち受ける人生では好きを追求する時間にも限りがあるといくら頭で理解してたって、やる気がなきゃ始まらない。
有限性への焦燥感が義務感となり情熱に昇華されればいいけど、やっぱりやる気をもたらすのはもっとシンプルにこれが好きだという強い確信や実感なんじゃないかって思う。
面倒臭かったりしんどかったりするけど、それでもその先の純粋な楽しさだったり、もっと新しい可能性に辿り着きたいという好奇心が人を動かすんじゃないかと思う。
大谷翔平はめっちゃ練習してるらしいし、自分の目標も実現してる。そこに人生の有限性への意識があるかどうか、傍目には分からない。
してるかもしれないし、してないかもしれない。無意識にでもそういう感覚がちょっとはあるのかもしれないし、全然まったく、何の意識もしてないかもしれない。
限りある中での意義ある人生への義務感だとか、自己顕示欲や憧れで動いてるのかもしれない。ただただ純粋に野球が楽しくてああ生きているのかもしれない。そのどれもが混在しているのかもしれない。
ただ明確な事実として、他の魅力的な選択肢にかまけず野球一筋でストイックに練習している事だけは分かる。
まあ厳密に言えば我々が知ってる彼の生き方はテレビが切り抜いた部分だったり、他人の目を通した情報だったりでしかないけど。野球以外に色々なものを選び取っているのかも知れない。そこはいくら考えても邪推にしかならない。
満足な人生を送るのにはやる気とそれを支えるバイタリティ、思い切りの良さは確実に重要な要素だろうし、それさえあれば死なんか想う必要ないんじゃないかって思う。
結局メメント・モリなんて意識はあってもなくてもいい。ダラダラ生きてる人間への喝入れにはなっても、そこから誠実に生きるための道具にまではなってくれない。それどころか、下手すれば心を擦り減らすばっかりのレトリックなんじゃないかって思う。
全部欲しい、と何か一つだけでも心からの満足が欲しい、の間で揺れ動くのは辛い。
タンパク質は筋肉の補強に使われなかった分は脂肪として吸収されるからね。
そもそも、タンパク質とるのにわざわざプロテインなんか使う必要なんかないんだよ。食事から取れる分で充分だ。過剰にとるから太るんだよ
たぬかなが少し前にアウシュ◯ッツな発言をして若干好評を受けていたけど、実際弱者男性なんてアウシュビ◯ツなんてしなくてもそのうち孤独死するんだよねえ。ぼくもその一人さ!
でも孤独死するにしても、賃貸の畳に消えないシミを作ったり、ご近所をハエまみれにしたり、特殊清掃にゴーストバスターズしてもらうのは迷惑がかかるから嫌なんだよね。
なるべく綺麗に孤独死したいんだ。ここでいう綺麗にというのは、もちろん姿のことじゃなく周囲の健常者のみなさまに迷惑をかけない、という意味ね。
だから、弱った弱者男性(ここ意味が重複していて面白ポイント)を終末処分する場所が欲しいんだよね。
別に介護とか食事とか、あらゆるサービスは提供してもらわなくていい。木製ベッドだけの小部屋に寝かしておいてくれて、ぽっくり死んだらそのまま部屋ごと焼却処分してくれればいい。坊さんにお経読んでもらうとかいらない。適当に燃え残った骨を砕いて花壇とかに蒔いといてほしい。処分料は払うよ!500万まだなら出す!
とにかく孤独死とかで各方面に迷惑かけながら死ぬのは嫌なんだよな。弱者男性が嫌われてるのは仕方ないとしても、死に際まで迷惑かけるのはモヤモヤする。なるべく工場みたいに効率的に、無感情にぼくを処分してくれ。この世に生きた証なんて、弱者男性には不要なんだからさ。
先月から台東区勤務になったので、ランチで担々麺を食べたいと思い検索したら、有名店が徒歩圏内にあった。
何度か昼休憩時に見に行ったが、毎度行列してるので、諦めていた。
今日14時少し前に行ってみたら、待ちなしで入れた。
やったー!
とわくわくしながら、白胡麻担担麺1100円と半ライス50円を注文。
初めてなので、辛さもしびれもおすすめの3で。
カウンターに座るとLINE友だち登録でトッピングサービスなどがあったので、待ち時間にスタンプカードまで登録した。
到着。なるほど、きれいで美味しそう。
で、食べ始めたら、ふむ、麺も好みの感じかも、と思った
が、数口したら、あ、れ?しょっぱい!塩辛い!なんか間違えたの?
ってくらい、とにかくしょっぱくて、びっくりした。
もう少しだけ確認で麺をすすってみたが、スープがとにかく塩辛い。
ライスがあって、まだ良かった。
ひき肉をひとつぶ食べても、しょっぱい!
もう少しだけ確認のため麺を食べて、やっぱり無理だとなり、半分以上残してギブアップした。
こんなにしょっぱいとは。
体調のせいではないはず。自宅のいつも食事は同じ味で美味しかった。
期待して行っただけにショックが大きかったので、増田で吐き出した次第。
他に好みに合う担々麺を探そう。
まだ行ってみたいお店いっぱいあるしな。
感情のまま書き出しているので文章ぐちゃぐちゃで読みづらいと思う、申し訳ない
この前同伴したお客さんが本当にきつかった
いわゆる弱者男性ってこういうのを指すのか、というくらい清々しいくらいの弱者男性
まず自分が予約取った店なのに一向に先に入ろうとしない
私から誘ったなら私が先に入るべきだけど、こちらはあなたがどんな名前で予約したか知らないからあなたが入ってくれないと困るんだが?
行きましょーと行っても入らずイラついたので私が結局先に入ることに
普通に手でも挙げてすみません〜って声をかければいいのに、店員来ないねと挙動不審なくらいキョロキョロする始末
恥ずかしすぎる、頼むからやめてくれと思いこちらも私が手を挙げて店員さんを呼び、注文も私が済ませた
ここまでであればまだ我慢できたが、食事の時に音を立てて食べる 品がない、ありえない
その上店員さんについてボソボソネチネチと文句をつける 注文してないものが運ばれてきたことに対して奴はボソボソ文句を言い、これどうする?などと私に言った 直接店員さんに何かを言った訳では無いが、こんなもん頼んでないですと言って下げて貰えば良いだけだろ 面と向かって話すことはできないくせに裏でネチネチボソボソ文句を言う態度が心底気に食わなかった
もっと何かあった気がするが食事のときの話はこのくらい このあと私が勤務する店に行った訳だが、彼はここで高校時代の成績(現物)を見せてきた
40すぎの男が20代の女に30年ほど前の成績を見せてイキってる図が本当に惨めで仕方なかった、というよりものすごく引いた
つーか高校時代の定期テストの順位表なり模試の成績なりをまだ取っておいてるのかこいつは。そんなもん捨てるだろ。私に見せるためにせこせこ探したと思うと非常に哀れだった
これを見せる際に「中学時代の成績だと学年1位とかあるから嫌味になっちゃうと思って!」などと言われたが、なぜ私が40すぎのおっさんの中学時代の成績自慢を嫌味に感じなければならないのか甚だ不思議だった(見せてくれた成績はまあ四大行くならこのくらいは普通にあるよね、というくらい普通の成績だった 昔と今では教育内容も変わっていると思うのであくまでも私の物差しで見た主観だが)
私はこいつとこれまで関わってくる中で成績の話や学歴の話など1ミリも出したことは無い 一体何のアピールなのか。
こいつは人を見下しているのだとひしひしと感じ言い様の無い不快感があった
こいつと渋々フレンドになったゲームがあるのだが、それにログインしていないと「〇日ログインしてなかったね!忙しいのかな?」やら「〇時間前にオンラインになってたね!」やらメッセージを飛ばしてくる始末。恐ろしすぎて大好きだったそのゲームも離れがちになってしまった。許せない。早くオンライン非表示の機能を実装してほしい。
この他にも色々と哀れな要素はあるものの、あまりにも多すぎて書き出しきれないのでここまで。
どうしてこんなにコミュニケーション能力が欠如したプライドだけはバカみたいに高いモンスターが出来上がってしまったんだろうか
こいつは実家暮らしで友達もいないようだから、やはり人生の正しい段階で正しく人と関わることが出来ないとこのようになってしまうんだろうか
私も陰キャだが、仲良くしてくれる友達が一定数いて、それなりに辛くも楽しい学生時代を送れたことはとてもありがたいことだと思う
この投稿は、一部の社会的な風潮や過去の美意識に対する批判としての側面を持つ一方で、全ての男性を一括りにする不適切な表現や偏見が含まれています。過去の美意識が女性に対して与えてきた影響は理解できるが、現代の多様な価値観を認める姿勢が重要であると考えられます。
今まで、一部の日本人男性が「女の子は痩せてて小さい方が可愛い」と言って、自らの好みを押し付けてきた結果、女性に小柄であることを求める社会的プレッシャーが存在していました。このようなプレッシャーの中で、女性が小柄で栄養失調になるまで食事制限をしていたケースもあったと言われています。
しかし、最近では、一部の男性が「高身長の女性が好き」と言い出していることに対して、戸惑いや疑問の声が上がっています。日本において、女性の平均身長が他の先進国と比べて低いという事実があり、その一因として過去の美意識が影響している可能性があります。
一方で、「日本人男性は全てロリコン」という偏見や全体を一括りにした表現は不適切です。多様な美意識が存在し、一部の男性の好みを全体に適用するのは誤りです。現代においては、女性の身長や体型に対する美意識も多様化しており、「高身長の女性が好き」という好みも一つの傾向として認められるべきです。
過去の美意識が女性に与えてきた影響を考慮しつつ、現代の多様な価値観を認める姿勢が重要であると言えます。まずは、男性がこれまでの女性に対する抑圧について少しでも思いを馳せ、多様な価値観を尊重することが求められます。
ちなみに、先進国で最も背が低いのは男性も一緒なのでそもそも最初の問題設定が間違っているのだが、そこまでは指摘してくれないところが今のAIの限界かもしれない。
飲食店とか行くと、おじさんが4人席のテーブルを独りで占領しているところをよくみる。
なぜか若い男女や、おばさんではこうした傾向は見られない。独りで4人席を占領しているのは、ほぼおじさんである。
4人テーブルに独りで座られてしまうと、残り3席がデッドスペースになってしまう。店が混み始めてからも、おじさんだけが悠々と食事をしている光景もよくみる。
なぜこうなってしまうんだろうか?
日本男性の意見は変わってないしそれぞれ言ってる人立場違う人々
SNSなどの発達でノイジーマイノリティーだけじゃなくサイレントマジョリティが目に見えるようになって悪意を持って作られたイメージが瓦解しただけ
今までさんざん女の子は痩せてて小さい方が可愛いよねと言って、自らのロリコン趣味を押し付けて、女性の背を伸ばさないようにわざと食事を減らしたりして女性を自分好みに改造してきた日本人男さんが、今更デカ女好きなどと言い出している。
ガチで頭沸いてんのか?女性が小柄で栄養失調になるまで食事制限してきたのはお前ら男だろうがって。先進国で一番女性の背が低いのは日本ですよ。女の子は小さいほうがいいからってその遺伝子だけを残そうとしてきたのもクソ男。
日本人男はロリコンしかいねぇからそりゃ小さいほうがいいんでしょうね。小さいと抵抗しても力で押さえつけられるもんな。スポーツでも男がずっと優位に立てるもんな。
40代から体重が増えやすいのは加齢による筋肉量の減少で代謝が低下しているにも関わらず摂取カロリーが変わらないためオーバーカロリーにが日常的になっている事が原因です。
従ってまずは筋力トレーニングで筋肉量を増やします。ジムに契約し、フリーウェイトでコンパウンド種目を中心に全身の主用な筋肉を鍛えます。強度は漸進的にあげていき週2回程度の頻度で行います。
次に食事を改善します。直近1ヶ月の摂取カロリーと体重の変動からメンテナンスカロリーを算出します。減量するなら1日500kcalのマイナスカロリー、減量時以外はメンテナンスカロリー+200kcal程度に抑えます。タンパク質を体重kgの1.5倍グラム程度、脂質を体重g程度に設定し、残りを設定カロリーに合わせた炭水化物量にします。この範囲内で甘いものなど好きなものを食べてください。
東京と地方のどっちが住みやすいとか、文化資本がどうとか言われても、まったくピンとこない。
自分にとっては、東京はゴミ溜めであり、故郷は雪に埋もれた死体だった。
そんな俺が今、どういうわけか、20歳も年下の彼女と結婚している。このこと自体が信じられない。俺の人生において、こんなに若い人間と一緒にいることなんて想像もしていなかった。
彼女、名は美里と言う。都会育ちの美里は、デジタルネイティブ世代で、SNSの使い方が俺とはまるで違う。俺がスマホの使い方に四苦八苦している間に、彼女はインスタで新しいカフェを探し出し、サクッと予約まで済ませてしまう。俺はそれを見て、正直感心することもあれば、呆れてしまうこともある。
「ねぇ、これ見て!また新しいフォロワーが増えたよ!」と美里が嬉しそうにスマホを見せてくるたびに、俺は一瞬、彼女の世界についていけないと感じる。そんな時は、世代間のギャップを痛感せざるを得ない。彼女はどんどん前に進んでいるのに、俺はまるで止まったままのような気がする。
そんなある日、俺たちは彼女の実家に招かれた。彼女の両親は、初めて会った時から俺たちの年の差について心配しているのが明らかだった。食事の席で、彼女の父親が静かに言った。「美里を幸せにできるのか?」その問いかけに、俺は一瞬言葉を失ったが、「もちろんです」と答えた。
しかし、心の中では自信がなかった。俺と美里の関係が、この世代間のギャップを乗り越えられるのかどうか。それでも、彼女の明るい笑顔と、彼女が俺に対して見せる無邪気な信頼が、俺に少しの勇気を与えてくれる。
ある晩、俺は彼女に尋ねた。「美里、本当にこのままでいいのか?俺たちの年の差、時々不安になるんだ。」すると彼女は笑って、「そんなこと気にしないで。私たち、いいチームじゃない」と言った。その言葉に、俺は救われた気がした。
そして、俺たちは互いに歩み寄る努力を始めた。美里は俺の好きな古い映画を一緒に観て、俺は彼女が教えてくれる最新のトレンドに耳を傾けた。俺たちの間には確かに世代の壁があったが、それを超えるための橋を一つ一つ架けていくことに決めた。
ある日、美里が言った。「あなたといると、なんだか落ち着くの。今までの人生とは全然違うけど、それがすごく新鮮で好き。」その言葉を聞いて、俺は少し照れくさくなりながらも、心の底から嬉しかった。
それからも、俺たちの生活は続いていった。彼女が新しいアプリを教えてくれたり、俺が彼女に昔の音楽を聞かせたり。世代間のギャップは完全には消えなかったが、それを補うための工夫と努力を重ねていくうちに、俺たちの絆は確かに強くなっていった。
最終的に、俺たちは互いの違いを尊重し、補い合うことで、より良い関係を築くことができた。そして、そんな日々が続く中で、俺はふと気づいた。東京がゴミ溜めだとか、故郷が死体だとか感じていた俺の心に、少しずつ温かい光が差し込んできていることに。
それは、美里との結婚がもたらした変化だった。俺たちの世代間のギャップを乗り越える過程で、俺自身も変わっていった。そして、そんな俺たちの未来に対して、今は少しずつ希望を持つことができるようになったのだ。
ハッピーエンド?そうかもしれない。俺たちはまだ道半ばかもしれないけれど、少なくとも今は、互いに寄り添い、支え合いながら歩んでいく決意がある。それだけで、十分だと思う。