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はてなキーワード: 酷評とは

2024-09-06

BLゲイコンテンツショタコンテンツはゆるやかに繋がっている

放サモのイラストレーターとして腐女子が入ってきたとき2chオカマの一部が酷評をしていたが

ゲイ作家もそのキャラ二次創作する人多くて結局受け入れられたし

ゲイの大多数がBLを読んでるってほどじゃないけどゆるやかに繋がっている

2024-08-31

けいおん!』を「中身がない」と酷評したオタクはどこに行った?

あいつらは、ジャンプに行ったんだろうな。


8月30日山田尚子監督オリジナル作『君のいろ』が公開された。

山田尚子監督といえば『けいおん!』であろう。10年以上前アニメ史に残る大ヒットを遂げた代表である

しかしながら、けいおんに対する反発がオタクの間で非常に強かった。「中身がない」の大合唱だった。

けいおん酷評して硬派な作品推していたオタクはどこに行ったのか?

おそらくジャンプかに行ったんだろうな。「進撃の巨人」とかも好きそう。

2024-08-10

今の朝ドラは、全てを絶賛する人と沈黙する人に分かれている。そしてネットでは少数ながら、匿名酷評する人がいる。私はAMラジオを好きでよく聴いているが、これまでは雑談ネタとして朝ドラ話題が割とよく出てきたが、今回に関しては非常に少ない印象がある。

個人的にはあまり評価しない立場である。今の朝ドラの何がダメなのかというと、絶賛している人の感想が「わかる、わかる!私も寅子さんと同じ!」みたいなものが多いことに象徴されている。

少なくとも自分面白いと感じてきたドラマ映画は、自分とは異なる、基本的には想像の外にいる立場の人(たとえば戦場兵士など)のリアルや心情が理解できるような内容である。これまでの狭かった自分視野が広がる感覚といって良いだろう。


そもそも兄弟も含めて、全ての人間他者である朝ドラのように80年前の社会に生きていた人間なら尚更であり、「私も同じ」と無条件に共感できるような内容だとしたら、それは質の高い表現とは言えないと思う。異なる他者への理解とは逆の、閉鎖的な視線をもたらしている可能性が高いことは、今回の朝ドラについての絶賛と沈黙の極端な態度にも表れている。

2024-07-26

anond:20240726080825

知ってるよ

から弥助ポジ日本人主人公だったとしても酷評だっただろうと言っている

ちゃんと読もう、調べる必要すらないぞ

2024-07-25

anond:20240725230409

仮に日本人主人公だとしても酷評だったよ、っていうメインのとこスルーされてもなぁ

anond:20240725224644

実在黒人主人公難易度上がるのはそうだけど、

アサクリはそれ以前のところで躓いてるように見えるがな

当初は日本人主人公にしようとしてたのを急に弥助ねじ込んだと聞いてるけど

仮にあれが日本人主人公だったとしても酷評の嵐であることには変わりないと思うわ

侍の定義とは、みたいな話がなくなるだけで

anond:20240725113258

甘やかされた結果が絵師界隈からだけ反AI大量発生から

辛口添削絵師炎上してるが絵公開するってのは実際あのくらい酷評されるのが普通であるべきだとずっと言ってる

2024-07-23

逃走中映画酷評だね

2000円を笹船に乗せて流した方がましとかボロクソ言われてるね。

でも実際自分の2000円を燃やしたら燃え尽きるまで目を離さないし、ずっと2000円で出来た事考えて動揺すると思う。

2024-07-17

オタクくん達の中で、変なところもあるけどまぁ面白いじゃんくらいの作品でもとにかく酷評するムーブ流行ってる気がする

辛口評論家がかっこいいと思ってるのかね

2024-07-13

日本人ゲームオタは表現の自由なんて毛ほども思ってない

方言がきついと炎上した「Still Wakes the Deep

https://store.steampowered.com/app/1622910/Still_Wakes_the_Deep/

公式公認翻訳なのに文句言ってるsteam民。もうこんなの文化弾圧でしょ。

自分たち多数派だと勘違いしてる酷いレビュー

先に結論を言っておくと、こいつらゴミが言いたいことはゴールデンカムイあたりで有名になったアイヌは同じ日本として認めるけど、

マイナー九州弁なんか知りたくもねーから同じ日本語ではない、の言い換えでしかない。

多様性”は、独りよがり押し付ける為の免罪符ではない。

これを理解しない人間によって今後も乱用され続けると、その内”多様性”という言葉のもの傲慢思想押し付け同義にされ、それ自体排斥対象になりかねない事を理解できないのだろうか。

多様性叫び押し付け人間こそ多様性を殺していく。

そんなパラドクスからいい加減抜け出すべきだろう。

本来多様性とは個々の性や感性を認めようという寛容を示すものであって、主張し認めない人間を悪と断じる踏み絵ではない。

購入するなら、標準語日本語化MODが出るのを待ってからのほうが良い。

https://megalodon.jp/2024-0713-1045-16/https://steamcommunity.com:443/profiles/76561198053375925/recommended/1622910/

多様性理解できず、自分文化弾圧正当化するバカ

最初に言っておきますがこのゲームグラフィック音楽そして演者共に高いクオリティであり

インディーズとは思えないほどの高品質ゲームであり

お勧めに値するゲームです。

しかしそれらを一気に台無しにする要素があります

翻訳した字幕がすべて謎に九州弁になっていることです。

これによりゲーム雰囲気がぶち壊され没入感が大きく損なわれています

翻訳者は方言多様性を訴えてるがこっちはそんなもの求めていない

翻訳者の独善的そしてエゴ押し付けないでいただきたい

多様性を求めるなら九州弁だけじゃなく標準語尊重してほしいですね

https://megalodon.jp/2024-0713-1050-31/https://steamcommunity.com:443/profiles/76561197997757680/recommended/1622910/

自分独善性エゴは許されると思ってるバカ押し付けないでください。

日本語の翻訳家は方言での日本語化は多様性といっているが選択肢を与えないホラーゲームとしての雰囲気をぶち壊しにするこの一方的字幕多様性とは言わない。ただの押し付け選択肢を用意してからそのように発言して欲しい。

方言のせいで内容が入ってこない。

https://megalodon.jp/2024-0713-1040-43/https://steamcommunity.com:443/profiles/76561198003141589/recommended/1622910/

自分無知さを盾にしてるクズ選択肢がない?オリジナルプレイしてろ。節穴かよ。

覚悟を欠いた多様性ごっこ

 前置きしておくと、私は本作を購入後プレイの前に方言翻訳問題とその翻訳担当の不遜な態度を先に目にしました。その上で、結論ありきとはならないよう心がけたつもりですが、内容は予想以上に酷かった。主に人物表現ローカライズに関して酷評します。クソ長いです。最後段落だけ読めば足ります

...(省略)

独善的な正しさの押しつけ

 Steamプラットフォーム対応言語日本語」の表示に期待されるのは、標準語または標準語スムーズ理解できる言語のことです。そんなことはいちいち指摘するまでもない。この標準語を期待するユーザーに対し方言強制すること、そしてその押し付けを受け入れないユーザーは正しさに背く者であるかのように翻訳担当自らがネットでチクチクと後追い示唆を続けるのは、端的に言って独善的で幼稚です。

 ここまで示した通り、人物表現でのリアリティの追求、他の方言翻訳する際の配慮押し付けではなく丁寧な手段を講じること、検討すべき内容は他にいくつもある。にもかかわらず、それらをなおざりにしたまま方言翻訳で注目を浴び「多様性で御座い」と偉ぶるのはお笑いという他ないのです。最後にハッキリ言っておきますが、こんな目障りな実装なら方言による主張など無い方がマシだった。標準語でも文脈くらいは読み取れますよ。馬鹿にしないでほしい。

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 この目で確かめるためとはいえ、正しさごっこに付き合わされた時間苦痛でした。主張するのならもう少し見識と覚悟と気配りを持つべきというのが私から評価です。まぁパブリッシャー自身も正しさに浸って気持ち良くなっておられるようなので、少なくとも今は何も耳に入らなさそう。逆にこんなチャチな仕掛けで「わぁ方言翻訳だって!すごぉい進歩的!」などと文化ポイント稼ぎに乗っかってみせるのも私には難しいですね。恥ずかしくて。

 ゲーム部分は歩きとインタラクトの繰り返しで進む、よく言えば雰囲気を味わう、悪く言えば抑揚を欠いた一本道のホラー小説プレイした範囲では探索も謎解きも勝手に進むので迷うこともなかった。物語ありがちな展開で特にこの先を見たいとも思いませんし、一週間程度様子を見て返金申請します。

https://megalodon.jp/2024-0713-1053-40/https://steamcommunity.com:443/profiles/76561198020342836/recommended/1622910/

自分弾圧行為正当化したい糞長レビュー。”Steamプラットフォーム対応言語日本語」の表示に期待されるのは、標準語または標準語スムーズ理解できる言語のことです。”>インチキ解釈乙。そもそもオリジナルが標準英語ではない上での翻訳なのを理解してないアホ(そもそも標準英語ってなんだ?って話でもあるが)。アプデで翻訳が追いつかない未翻訳を見つけただけで全否定してきそうなゴミ多様性文化を何も理解してない。

一番酷いのは、俺が翻訳すると名乗る者は誰もいないことである。一生消費者側で一緒にゲーム文化を作る気はないようだ。

anond:20240713030453

普段私は夢見て海外に来るやつに、どこの国も問題を抱えているし予算に喘いでるし大変だ、夢の国ではない、みたいな話ばかりしている。私は別に滞在国を美化しているわけではない。

おそらくお前と私の認識の差は日本に対する評価の差だと思う。お前が日本評価する1/3くらいに私の日本への評価が低いか相対的にそう感じるんじゃねという感想

企業とかが国の事業研究成果とかにただ乗りして金は出さないみたいなことばっかやってるのが問題だと思うけどな。民間レベルがナメたことやりすぎ。

具体的に何の話をしてるか分からないのでここは完全な妄想しかないが

民間が舐めたことをできてしま制度設計、舐めたことをする民間、それを咎めない国民、全部揃ってるだけだよな

結局は政治を行う日本国民民度程度に行き着くことが多いんじゃないかと思うよ

一般人アカデミアの距離が近いってのもだからなんだって話だしな

別ツリーに書いたか割愛

5分検索した内容だけで専門家と対等なツラ

お前も私の専門分野から見たら非専門家が揚げ足取ってきてるんだけどな?

議論のやり方を学べない日本語人のTwitterはただの動物園から

人間のいる場所じゃないね

院卒や博士が多くて意思決定層がまともってところだけは同意

なぜ、その国は意思決定層に院卒や博士が多くてマトモなのか?というところの話をしてるんだけどね

突然制度が湧いてきたわけでも、急に院卒や博士意思決定層に採用する天啓が降ってきたわけでもない

ここの違いが私の日本への評価がかなり低い理由であり、お前が日本酷評しない理由だろうな

2024-07-09

学歴投票先について

学歴と投票先酷評されてた。

冗談抜きで本気で言ってるんならマジで心配なので近くの山にでも登って汗かいて心身共にスッキリしてきたらどうだろうか 妹やら個人情報やらを人質にとられて言わされてるんだとしたら同情するが……

これはすごい都内在住有権者学歴投票先を全て紐付けたデータ増田は持っているということだ。これはすごい

まぁそうかと思ってたらこういう分析があった。(https://x.com/ShinagawaJP/status/1810314800238608440

もちろん、それぞれの学歴の人がどこに投票たか不明だが、それぞれの基礎自治体学歴大卒比率別に得票率を出すのは可能って算段だ。

で、この方法で見ていくと元増田

それぞれの得票のうち、大卒以上からのものが高い順(高学歴な順)に

  暇空茜>安野>石丸蓮舫>>小池

が概ね正しいことがわかる。

ブクマカも腐す前に元データを見に行けばいいのにね。

おおむねと書いたがたぶん暇空のデータだけ間違ってて(計算ミス?)、安野と石丸の間に入る可能性が高い(細かい計算はしてないが安野の得票率が都心で極端に高いのと、暇空は千代田区などで得票率が少し高くなってるので)。

都知事選である以上、都民の多くの部分をカバーしなければ勝てないのは自明で、それができてるのが小池だけってわかりやすい結果だね

ちなみに内海面白いことにどの自治体でも同じくらい得票しててほぼ学歴相関が見られない

※ここで4番手にしてる蓮舫でさえ、得票率の高いのは新宿以西の中央線沿線大卒比率の高いリベラル地域

※もちろん擬似相関の可能性は否定しない。学歴なのか、所得なのか、地域なのか、何が決め手かは不明

anond:20240709104618

暇空が酷評してる安野もこれから超特大のスキャンダルが出てくるのか

選挙戦から石丸酷評してたインフルエンサーって暇空茜くらい

お前らは結果が出てから石丸のヤバさについてさわいでるけど、暇空茜は選挙公示から

石丸言動は目茶苦茶」
「対小池本命蓮舫じゃなく石丸
「見えてないけどバックにデカ資金源と人脈がある」

って言い続けてたからね。

触れないのはともかく(触れないのはまぁぁ知名度的にも当然)、石丸を絶賛してるインフルエンサーが多数いた中でね。

もちろん偶然というか気に食わなかっただけ

だろうけど

2024-07-03

anond:20240702002202

暇空が戦国ランスMODプレイせずに「正座させるレベル解釈違い」と酷評してファンネル飛ばし更新停止させてから批評されるのに耐えられないのはナイーブすぎる」とさらに落としたり、琴葉茜のデザイン酷似させてオリジナルだと主張したり、暇界隈って温泉むすめ攻撃したColabo許せねぇってなってるわりには、結構オタクコンテンツ叩き潰してるよね。

2024-06-24

anond:20240624214549

最近歴史メンタリスト酷評YouTubeでやたら流れてくるんだけど

あれそんなアンチが出るほど人気があったのかと驚いている

なんか打ち切られてなかった?

anond:20240624092225

前回も言いましたが、商業でやる出版社編集者承認を通してはじめて実績としての「単著」であって、

金や手続きさえあれば発行できる同人誌単著って自慢できるものじゃないってのはまだ理解できませんか。

赤の他人に認められた上で出版するってプロセス単著を立派な出版物たらしめる本質です。

Amazonレビュー酷評されてるような基本的な内容について自画自賛でない客観的視点が入った上で、出版プロの目が入って一定の質を担保しているわけです。

ちゃんとした社会人なら当たり前に理解できる内容なのですが、やはりあなた客観性社会常識が欠けたままなんでしょうね…。残念です。

単著もないくせに」とか言われ続けたか電子書籍を書いたのその後

作者「書いた。否定できるものならやってみろ」

https://anond.hatelabo.jp/20240612003341

「1か所2か所ならともかく、本の内容が多岐にわたりすぎて、すべての内容を否定することは絶対にできない(できるもんならやってみろ)」

という内容になってます

ぼくに10年ぐらい粘着したある人物や、悪い意味言及した人物が読むことを想定して「重箱の隅をつつくことぐらいなら言えるかもしれんよ?」「でも、本の内容をちゃん論破しようと思ったら、ぼくよりも幅広い知識と、オリジナリティの両面がある人じゃないと無理(そんなに能力があるならもうお前が電子書籍出せばいいし、俺の論破とかやる暇があったら、もうお前本書いて自分人生変えたほうがよくね?)」という内容になっとります。


Amazonで数名から酷評現在評価は平均★1.6

https://www.amazon.co.jp/dp/B0D6NCB574/

本を読み終えて怒りのままレビューしたので長文になってしまっておりました。

端的に申し上げます

文章力が低すぎて読みづらい

・著者の境遇思考が(悪い意味で)特殊すぎ、一般の人には参考にできない

以上です。

この本には「レベルの低い言い訳」が目立ちます

「頑張って書いた」とか「(図が)少々見ずらいのはご愛嬌」とか

私も数多くの本を読んできましたが、このレベル言い訳を著書の中に書くのはプロはおろか、小説サイトしか投稿しないアマチュアですら見たことがありません。

そして実際「言い訳」が必要なほどの出来となってしまっています

ブログ読書感想文として書くならこれでも良いのかもしれませんが、さすがにこれを売り物にするのは良心がないのかと言いたくなります



作者「読者の反応を見た。想定してるより読者が馬鹿すぎて俺の作品の素晴らしさを理解できなかったらしい」

私の誤算は2つ。

まず、

「今の時代、本を読む人ならこのレベルぐらいかな?」

と思った位置が高すぎた。

「今の時代9割は高校出てるんだから高校レベルで書けば誰でも読めるぐらいになるかな?」

と思ったけど、これがそもそもの間違いだった

もう1個が完全に計算外すぎて

ウソでしょ?」

と思ったところで…

それが「私ごとき嫉妬する人間がいる」というところ。

自分をよく見せようと思うなら、ダメなところとか書かないのですが…ダメなところとか書いてても自慢話に聞こえる人とかがいたらしくて

「ええ…」

と本気で驚きました


作者「ここはもうリライトどうこうじゃなくて、コンセプト上の失敗ですから…新作として実装するしかないです。」

「難しくしすぎない」

実在する人間を登場させない」

という意味で、戯曲方式の方が良かった。

ここはもうリライトどうこうじゃなくて、コンセプト上の失敗ですから…新作として実装するしかないです。



作者「文章を手直しします」

今、本の改訂作業をしてます

文章を早くする意識で作り直してます

「1文に1つの内容」を意識するといいそうです。

練習のために、ツイートでも「1文で1つの内容」を意識します。

2024-06-16

最近スペイン村に関するニュースに関して、リピーターからの補足と

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志摩スペイン村入園料5700円に「安すぎません?」広報直撃! 大盛況報道で生まれた復活イメージに“中の人”が困惑する理由 | 集英社オンライン | ニュースを本気で噛み砕け https://shueisha.online/articles/-/250821

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上記記事に以下のコメントを付けたら、意外と評判良かったので、色々補足しつつスペイン村について語ってみる。

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ここ10年毎年1,2回スペイン村行ってる身からすると、vtuber好きっぽい雰囲気の客が昔の1割、多くても2割体感増えた印象。USJレゴランドの間くらいのクオリティスペイン村伊勢志摩旅行とセットで良さが出る場所

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基本、主観まみれで正確性は無いのでよろしくです。

## vTuberの影響で増えてるのか?

上記コメントでもあるように、体感では以前よりも1〜2割増えた印象。

id:marilyn-yasuさんがコメントで補足してくれてる。

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id:mak_inさんが書いてることの裏付けとして過去資料で年間入園数の推移を読んだところ1割強ほどの増加量。コラボ期間が主なので平時から1割とは言わんが無視できないくらいの人数が来てるのは間違いない感じ。

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実体感をもっと詳細に記載すると、コラボ期間に入る前から、ンゴちゃん言及からスペイン村ブームになった時点で既に1割くらい増えてた印象で、イベント期間に行った際は2割くらい増えてた印象。

以前から見かけた組み合わせとしては、乳児から小学生くらいまでの小さな子どもを連れた親子連れカップル、2-3人での女子旅、たまに大学生仲間っぽい男女、これがほとんどだった。

これがンゴちゃん言及以後、元々いた人たちの数はあまり変わっていないものの、以前はあまり見なかった組み合わせの人たちを見かけるようになった。

総じて、なんとなくオタクっぽい雰囲気に、何らかのvTuberグッズを身に着けてるのでなんとなく分かる。

中高生1人を連れた親子、2-3人男旅、ソロで来てる人(男女ともにいる。ただソロ率は女性の方が高いような……)。

大学生仲間っぽい男女も増えてて、前は比較的陽のオーラ強めの集まりが多かったが、陰のオーラ強めの人が増えてる。

これら以前見なかった属性が増えたことでだいたい1-2割増という感じ。

雑に言うと、全体的に陰キャ風の若者が増えた?

## なんでそんなこと詳細に体感で分かるんだ?

自身遊園地苦手過ぎて、ワイフや子ども達がアトラクションに並んでいる間、乗り物に乗れない子と待ってるから

うちは子ども4人で、一番小さい子は常に誰かベビーカーに乗ってて、誰かが乗り物に乗れない。

そうなると、待っている間、特に何もすることなく、ずっとぼーっと園内を眺めてることになる。

ただぼーっと眺めてるだけなので、自然人間観察とかしてしまう……

## 何故そんなにスペイン村に行っているのか?

ワイフの実家志摩市にあるから

子どもが産まれからは、ワイフの実家によった際には必ずスペイン村に行くことになっている。

これは志摩スペイン村志摩市民向けに格安チケット提供してることが関係してる。

https://www.parque-net.com/ticket/isepassport/index.html

昔はチケットの購入条件が緩く、価格ももっと安かったのでこれを悪用し、スペイン村の近くのコンビニの前で、駐車場の案内みたいな雰囲気パラレルの下、椅子に座ってるオババがダフ屋みたいなことをやっていた。

10年近く前に対策されて、受付で志摩市民だと証明しないと入場できないようになった。

今このチケット志摩市民が年間パスポート買ってからでないと別途チケットを購入できなくなったので、子沢山だと知る義父母のご近所さんが、帰省シーズンになるとくれるようになった。

入場の際には、義父母と一緒に受付し、僕らだけ入場するようにしてる。

チケットくれるご近所さんには、こちらのお土産を持っていってる。

## スペイン村の噂: 東京ディズニーランド超えの待ち時間、園内ガラガラ、どっちが正しいのか?

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ガラガラだった志摩スペイン村が客急増でディズニーRより待ち時間長く…なぜ

https://biz-journal.jp/company/post_380711.html

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上記コタツ記事ネットの噂を要約してる。

スペイン村は、単純に敷地デカく、その割に客が少ないので、一見ガラガラなのは今も昔も変わってない。

先に書いたように増えたのは1-2割なのに、何故激混みの印象を与えるような待ち時間が長い、という話があるのか。

それは、ンゴちゃん言及以前からスプラッシュモンセラーと氷の城は並んでいたから。

特にスプラッシュモンセラーは回転率がかなり悪い割に、人気のあるアトラクションだ。元々シーズン中は60分待ちとかは普通だった。

これは、スプラッシュモンセラーが必ず1組1台で乗せ、1台辺り2分程かかるので30組いれば1時間はかかるから

https://www.parque-net.com/attraction/splash_montserrat.html

スペイン村場所の広さの割に客が少ないだけで、客自体ちゃんといるので、普段からそれくらいかかる。

他は一度に何人も遊ぶので、混むことはほぼない。

ただ今回のイベントで増えた比較若い層が、とりあえずスプラッシュモンセラーに流れたこともあり、いつもより待ち時間が長くなったように感じる。

先の言及で、ソロで来てる人が増えた、と書いたのは、スプラッシュモンセラーを待ってる間、以前はいなかった一人で乗る人を結構見かけたから。

遊園地を一人で!?と一瞬思ったが、混んでないからか、広いからか、親子が多いからか、何か分からないけど、遊園地はみんなで!みたいな集団圧力みたいなのがココには全く無いので自分の好きなまま楽しめるのは、なんかめっちゃ良いな、と思った。

ちなみにスペイン村で一番有名なアトラクションジェットコースターピレネーは一度も複数人で乗れることもあり、ほぼ待ち無しで乗れる。

そもそもスペイン村に来るような層は、ピレネーハードルが高過ぎて、スプラッシュモンセラーくらいがちょうど良く、ニーズが少ないのかもしれない。

## スペイン村料理は美味しいのか。

普通に美味しい。

普通に」というのがポイント

名古屋スペイン協会の人らと仲良かったこともあり、結構色んなスペイン料理屋には行き色々教えてもらい分かってる方だと思うが、スペイン村料理ちゃんと作ってあり、遊園地の中であるにも関わらず、外で普通スペイン料理店で食べるクオリティで出してくれる。

僕が遊園地苦手な理由の一つに、何も彼にも全てが高い割に、だいたいファーストフードにも満たないひどい味だ、というのがある。金払うのは良いけど、払うならちゃんとしたものが食べたい……

外だと普通のもの遊園地の中で食べられるだけで、異常に美味しく感じてしまうかもしれない。

同じ理由で、大人気、ンゴちゃんイチオシ世界一美味しいチュロスは、遊園地の中では世界一美味しいかもしれないと思わせてくれる。

ちなみにレビューとか見ると、スペイン村の中のレストランの中で、いくつか酷評されてる場所があるが、コレは価格遊園地にしては安く、味が遊園地っぽい場所である

お財布と好みで選んでもらうと良い。

## 最近良かったスペイン村での個人的なできごと

キャラクターショーが、ドン・キホーテチャッキーなどのキャラパティオの飾りを競うコンテストを行う、という内容だったのだが、バイキンマン的な立ち位置アレハンドロが優勝して、盛り上がる内容だったこと。

娘のアンパンマン見てていつもバイキンマン可哀想だと思ってたので、何故か無駄に感動してしまった。

https://www.parque-net.com/kids/zukan/arejandoro.html

あと、フリーレンとフェルンのコスプレしてる人がおり、勇者ヒンメルになりたい息子のために一緒に写真を撮ってもらった。

息子は恥ずかしながらも目茶苦茶喜んで、あれから勇者ヒンメルごっこを良くやるようになった。

## USJレゴランドと比べて

僕は遊園地が苦手でも家族希望で連れて行かれる。コロナ明けてから両方に行った。

USJは単純に派手だし楽しめる場所だよ!!という空気感が凄かった。

ただ人気の場所だということもあり、人がとにかく多いのと、それに伴う攻略法を予習してこなしていかないとマトモに遊べないのは正直しんどかった。

スペイン村にはそこまでの言及力はない。

一方で、沿道をまわるショーは、スペイン村も遜色ない気はした。

なんやかんや言って、長い歴史と本場スペインダンサー達のパフォーマンスが、資金力の差を埋めてる気がする。

陽キャ若者にはスペイン村は物足りないかもしれない。

レゴランドは、よく「子ども騙しだ」と言われることがあったが、良くも悪くも大人よりも子どもに刺さるコンテンツが多い気がした。

レゴアニメや、マイクラ、ロブロックスのおかげで、レゴ世界観は、思った以上に子どもらに刺さったみたいで、大人の満足感の少なさの割に、子どもの満足感がかなり大きかった。

一方、スペイン村キャラクターショーなどはちゃんとあるものの、キャラクター自身コンテンツ力が弱いせいか子どもらの刺さり具合は弱かった。ショーの良さや遊園地全体で挽回、という感じ。

というわけで、レゴランド以上、USJ未満、という感じで、USJでは強すぎ、レゴランドでは弱すぎ、という人にはスペイン村がちょうど良いのかもしれない。

## 実際に自分がやってるまわり方

シーズン中、もうスペイン村には行き慣れてる or 僕のように遊園地アトラクションが得意でない人は、ムーンライトパスが良いのかもしれない。

16時以降入場だが、物販や代表的アトラクションはだいたい17時までやってるので、ササッと目的のものだけ消化し、ナイトショーを楽しむ。

ナイトショーは、ショー自体クオリティも高いが、花火の量も凄いので、価格の割にかなり楽しめる。

ただし、スペイン村伊勢志摩旅行とセットで楽しむと良さが引き立つ場所であり、伊勢志摩旅行の魅力の大きな点に宿の食事が挙げられるので、スペイン村ホテルでない限り、どちらかを選ばざるを得ないことが難しいところ。

元気があったら、こんな感じで続編として経験談から伊勢志摩旅行ポイントもまとめるかも……

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追記:

見づらい、タイトル引用ちゃんせいや

はてな記法で書き換えたんだが、どうも上手くいかず……スマホからだとあかんのか……?微妙に間違えてる??

読みにくいのは承知してますが、仕方なく、Markdownのままにしてます

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スペイン村だったら、フラメンコショーのことも触れてー!!あれは生で見たら素直に感動する。

評判が目茶苦茶良いことは、噂には聞いてるのですが、常に乳児を連れてる状態だと子どもらが我慢できないので入れなくて、スペイン村20回以上行ってるのに、結局一度も観れてないです。

なので、言及できてないだけです。

逆に言えば、スペイン村の客の大多数を占める親子連れが、うちと同じく、このフラメンコショーには行けてないので、特に事情がなければさっと入れるのでオススメです。

子どもらがもう少し大きくなったら行こうかと思ってます

名古屋スペイン協会繋がりで何度かプロフラメンコショーは見に行ったことあるので、その際にはそこと対比しながらコメントできれば。

2024-06-10

中田敦彦Youtube大学というYoutubeチャンネルが叩かれている。

まず結論を言うと、おれはこのYoutubeチャンネルは消えてほしいと思っているし、 もはや中田敦彦には自殺なり事故なりで死んでいただきたいなと思っている。 こいつが、おれがこの社会をおれのような人間にとって生きにくくしてる元凶だと思うからだ。 こいつは、適合人間権化だ。害悪である

中田敦彦Youtube大学について、おれはもともと良いと思っていなかった。

誤っていることが多いからだ。 また、文学を紹介する時にも、著者に対するリスペクトが欠けているなと感じることがあった。

ということでおれは無視していた のだが、中東史のビデオが、それに詳しい人に酷評され、そこから中田敦彦批判が広まっていった。

おれも、彼の新選組ビデオ登場人物名前はじめあまりに誤りが多く、 おれ自身は以前に話したとおり、麻布学園自由論テーマ土方歳三を選ぶほど新選組のことが好きであり、 本来ならば、中田敦彦のような著名人新選組を広く紹介してもらうことは本意であるべきなのだが、 そのビデオを見た瞬間にチャンネル登録解除したし、レコメンドも停止した。 気づけば、ディスプレイの中にいる中田敦彦に対して中指を突き立てていた。

それ以外のビデオに関しても、見る人が見れば誤ってるとわかるものが多いようなので、 彼のビデオ結構いい加減ということは言えると思う。

おれが中田敦彦のように、 お金を稼ぐためならば、多くの人に見てもらうためならば何をしてもよいと 考える人間が嫌いだ。

また、それに対して群がる人間も嫌いだ。

ツイッターなどで、何も面白くない、知能指数3くらいの白痴ツイートが 1000Likeを得ていたりすることがあるが、 こういうものLikeするやつは全員ガス室に送るべきだと考えているし、 当然、ツイートした本人も死刑になるべきだと考えている。

なぜか。

それが、適合するということだからだ。

適合人間にとって真実はどうでもよい。 多くの人が正しいと信じていることであれば、それは正しいということになる。 間違っていることであっても、みんなが正しいと思っているから正しいという人間がこの世には結構いる。

中田敦彦にとって正しさの優先度は低い

これが、中田敦彦本質である

中田敦彦にとって、ビデオが正しいことを言ってようが何であろうと関係ないのだ。 ただ小説歴史をてきとうにおもしろおかしく紹介出来て、それによって自分チャンネル肥大して、 多くの視聴数が得られ、高額な報酬が得られればそれが正しいことなのだ。

Youtuberは多くの場合虚業である。 彼らが提供しているのはエンターテイメントであり、 現代価値基準でいうと、本来なくても良いものからだ。

しかし、百歩譲って単なるエンターテイメントであれば問題がない。 それどころかおれは、人間経済的に豊かになった時代においては、人の心を豊かにする エンターテイメントこそが必要ものになると考えている。

では、中田敦彦Youtube大学エンターテイメントなのか? 彼はそのつもりかも知れない。 しかし、見ている人間からするとそうではないのだ。 不愉快に思うこともある。

もちろん、不愉快に思う人がいるからやめろというつもりはない。 なぜならばそれはまさに適合サイドの論理からだ。 全員が不愉快に思っても、正しいことならばやればよい。

しかし、これを「大学」と名乗るのはやめろ。 大学と銘打つのであれば、提供する内容に専門家レビューを通すのを最善とした何らかの検査しろ。 正しいことを伝える最低限の努力しろ。さもなくば、「大学」と名乗るのはやめろ。

なぜ彼が、正しくないことを言ってるにも関わらずそれを大学を呼んでしまうかというと、 そういうもの大学と呼ぶことに罪悪感がないからに他ならない。 なぜかというと、彼にとって大学ないしは学問というのがその程度のものからだ。

これは恥ずかしいことだと思っていただきたい。 まともに教育を受けた人間で、中田敦彦Youtube大学真剣に見てる人は 誰一人いないと断言出来る。 メンタリストDaiGoなんかも似たようなものだ。

中田敦彦がこのチャンネルを「大学」と呼ぶ背景には、 彼が本当に知識を多くの人に届けていることに正義を感じているかというのもあるだろう。

学校いじめられて引きこもってしまった子などが、自分ビデオを見て学ぶことに喜びを感じているのかも知れない。 経済的大学にいけない人に学ぶチャンスを与えたいとか思ってる可能性もある。 というか誓ってもいいが、きっとそういうことを言うのだ。なぜならばそれが適合人間からだ。

しかしおれはそうは思わない。

理由その1は、彼がやってることはただの捏造からだ。

歴史上の人物について何かしらの真実を捻じ曲げたりすることは、 生きている人間にとって嘘の情報を流してその人間社会的地位を貶めることとなんら変わりない。

なぜならば、第一にその人の子孫は今の世の中に存在しているからだ。 これは、不愉快に思う人がいるから正しくないと言ってるのとは違う。 単に、犯罪行為をやめろと言ってるに過ぎない。 しかも悪いことに、登録者は100万人を超え、何万何十万というオーダー の人間に見られてしまっているのだ。

また、歴史というのは生きている人間共通認識でもあり誇り・財産でもある。 これらを穢すことは当然許されない。 歴史は、空気中に浮かんでいる何かではないのだ。

おれは、中東歴史については詳しくないので上で挙げたツイートについて それが真実かどうか判断する目を持たないが、 もし真実でないとして、それを中東の人が見たらどう思うのだろうか?

理由その2は、一度誤った知識を身に着けてしまうと、 それをあとで修正することが難しくなるからだ。

小学生中学生の子供が、中田敦彦Youtube大学を見て 何かを学んだ(?)とする。 そしてのちに学校で同じテーマについて正しい知識を学ぼうとした時に、 正しい知識の方が定着しない可能性がある。

理由は、

1.動画で学ぶことは、退屈な教科書で学ぶことより記憶に定着しやすいか

2.時間的に先に学んでいるから。記憶の書き換えは難しい

3.多くの人が見ている動画から正しいと思い込んでしまうから(適合人間の悲しさ)

である。もはや害悪だ。

人間から間違うこともある」というのが適合人間論理だ。 しかも間違うことを許さないと社会が進んでいかないとか言い出したりもする。 というか中田敦彦はきっとそう言うはずだ。

しかしすでに述べたように、 間違ってると思うのであれば、それを大学と銘打って垂れ流すのはやめろというのが一点だが、 その間違いが単にケアレスミスとかそういうレベルではなく 「そもそも正しいことを広める気がない」という点を問題視していることから 自分に対する批判が始まっていることを認識していただきたい。

2024-05-22

anond:20240521153803

日本ドラマ世界勝負するまえに国内でも、ラガート層の暇つぶししかないって酷評されてただろ

既に世界に輸出してるアニメと同列にかたるなよおこがましい

2024-05-12

詩とか俳句短歌について思うことメモ

もう人生の折り返し点をすぎて久しい。目を通す文字は、仕事書類ばかりとなった昨今。

でも小学校高学年から中学生にかけての頃に、文学少女に憧れた時期があった。

書店の奥のほうにいっては新潮文庫コーナーで、適当に数冊手に取っては解説に目を通したりしていた。

まれて初めて自分で買った詩集は、井上靖詩集だった。小学校5年生か6年生の頃だと思う。

頁を開いたとき、これは詩なの?というのが最初感想だった。普通に文章だったからだ。

調べてみると、井上靖の詩は、散文詩という形式らしい。なにが自分の知っている詩と違うのだろうというところで

「韻」という言葉もその時初めて知った。

井上靖詩集を手に取ったのは、国語教科書に載っている著者の本でなるべく読みやすそうなものを探したからだった。

というわけで、あすなろ物語のついでに手にしたのが、人生最初詩集だった。

小中学生の頃、国語の授業で、詩や短歌に少し関心をもった私は、韻を踏む、という作法が苦手だった。

季語などルールがあったり、韻で楽しめなければならない、みたいなもの短歌俳句だとすると、ちょっと縁がないなと。

特に覚えているのは、中学校の時習った在原業平短歌に、かきつばたを詠みこんだものがあるが、韻だけでなく、言葉ニュアンスにいろいろな仕掛けを作らないと詩として成立しないのかと思うと到底自分には向いてないジャンルだった。しかし、そうはいっても、短い言葉で何かを表現してみたいという思いは消えず、ひそかに詩集をつくって引き出しの奥底にいれていた。


井上靖の詩のなかに

幼少の頃、川辺の石段の下で手を洗っているとき不意に石鹸が手元を離れ、深みに落ちていったという情景の詩があった。その喪失感をその後の人生でも刻まれているという内容だった。これなら自分でも書けるかもしれない、と思った。

自分世界表現の仕方や詩の味わい方を学べたのも井上靖の詩の影響が大きかった。

例えば、雪という詩がある。


 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

 こういう二行の少年の詩を読んだことがある。

 十何年も昔のこと、『キリン』という童詩雑誌

 みつけた詩だ。雪が降って来ると、

 私はいつもこの詩のことを思い出す。

 ああ、いま、小学校教室という教室で、

 子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。

 この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。

 勤勉、真摯調和

 そんなものともどこかで関係を持っている。

井上靖詩集運河」より

中学生の私は、なるほどと思った。

詩というのは、雪が降って鉛筆の字が濃くなったという描写やその言葉なかにあるのではなくて、物語は書かれてない背景のなかにあるのだなと。

鉛筆の字という描写だけだったら、だから何?という感想しかない。しかし、鉛筆を持つ誰かの表情を想像し、その背景を想像して足してあげることで一枚の絵になる。

井上靖の次に手に取った詩集もよく覚えている。

武者小路実篤だった。やぱり散文詩だった。

当時、大好きだった先輩が「友情」を読んで感動したといっていたので、友情ともう一冊詩集を手に取った。その後しばらくして、私の失言が原因で先輩は私からフェイドアウトしていった(つまりフラれた)ので文学をダシに先輩と仲良くなろうという作戦は失敗した。しかし、武者小路実篤の詩はそんな私をなぐさめる言葉にあふれていた。

いじけて 他人にすかれるよりは 欠伸(あくび)して他人に嫌われる也 夏の日。 嫌う奴には嫌われて わかる人にはわかってもらえる 気らくさ。


ほどなくして、種田山頭火という自由律俳句というジャンルを知った。

山頭火面白い普通俳句じゃないところがいい。規律から解放されるってすばらしいことだと。

定型詩嫌いな私にとっては、ある意味で、俳句短歌エントリーポイントとなって、

新聞の俳壇や短歌欄に時々目をやるようになった。

いわばお勝手からこっそり入門したような形だ。

しか俳句は、季語の煩わしさにどうしてもなじめず、自分には遠い世界のままだった。

いつしか手にしていたのは、興津要解説する江戸川柳 誹風柳多留だった。古典落語にはまり始めた時期だった。

剣菱という酒を飲むことを江戸時代の人が剣菱る(けんびる)と言っていた、など、現代言語感覚と近い、興味深いことがいろいろと書かれていた。

エロい川柳結構好きだった。今でいうサブカルチャーだ。

その後は巴毎晩組み敷かれ

木曽義仲の元を離れ、和田義盛に見初められ身柄を預けられた巴御前、ネトラレ系の元祖ともいうべき味わい。思春期の私はこうした江戸時代川柳妄想たくましく想像し、手が動いた。五七五だったら、こっちの世界のほうが楽しい

一方、短歌のほうは、というと、当時の朝日歌壇は毎週とても楽しみにしていた。

俵万智サラダ記念日ベストセラーになったからというのとは全く関係なく、プロではなく、市井のいろいろな人が短歌を詠んでいるということが興味深かった。

例えば、こんな一首。

わが胸にリンチに死にし友らいて雪折れの枝叫び居るなり

あさま山荘事件を起こした連合赤軍幹部坂口弘収監中の東京拘置所から毎週のように短歌朝日歌壇投稿していた頃だ。

朝日歌壇では他にも穂村弘がいた。短歌表現する世界の幅広さを朝日歌壇で知った。

そして渡辺松男太田美和が常連投稿者として名を連ねていた。

風花って知っています

さよならも言わず別れた陸橋の上

渡辺松男太田美和は実社会で互いに関係があるわけではなく、それぞれの思いを歌に込めていたのだと思うけど、なぜか不思議と互いに呼応し合うものがあった。これは当時の歌壇リアルにみていた人にしかからないことだけど。雨の森や樹々など独特の世界観を表現する渡辺松男に対して、雨の日に部屋にこもれば憂鬱発酵すると詠んだりする太田美和。

生活で恋をしていた私は太田美和の言葉自分を重ね合わせた。


でもこのころが私の文学少女期のおわりだった。

大学卒業したものの、就職できずに苦しむ時期がやってきた。就職氷河期というやつだ。

生活が一変した。

書店で立ち寄るのは、奥の文庫コーナーではなく、店の前の新刊コーナーであり、資格取得のコーナーだった。

購読紙も朝日新聞から日経新聞に代わり、東洋経済となった。

世の中からどんどんと取り残されてゆく焦りでいっぱりになっていた。

山頭火武者小路実篤もへったくりもない、そんなことより面接資格だ!という日々。

就職が決まってからは、病気になったら人生終わりだし、干されたら終わり。もう一歩先に、もう一歩とただひたすら走り、走らされる人生が始まった。

たまに思い出しては、現代短歌最近の潮流を知りたくなって、枡野浩一の本を手に取ってみたりはしたものの、ピンとこなかった。

若い頃あれほど好きだった渡辺松男も改めて著作をみると作風が変わったのかと思うほど、何一つ言葉にくすぐられることなく、不感症になっていた。変わったのは自分のほうだ。


それから数十年、あるとき気が付くと、新しい家族が増え、家が建ち、旅行などしている。

そういえば何十年も詩や短歌を目にしていない。寺山修司の本は引っ越しのどさくさでどこかにいってしまっていた。

思春期のことを遠く思い出すようになった。実家の部屋の引き出しにはまだヘンな自作ポエム集が眠ってるはずだ・・。自分死ぬ前にはなんとしても奪取してこないといけない。

中年になっていいかげん自分限界を悟って、ふっと一息いれた、という形だ。

ふと思い出すのが、最初に買った井上靖詩集

 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

この二行の子供の詩を、何十年も経って思い出す井上靖感覚がとてもよくわかるようになった。


これは人生の楽しみを食に見出して、ワインをたしなむようになってから思ったことでもある。

詩を楽しむということとワインを楽しむことには、ひとつ共通点がある。

どちらもウンチク語ってめんどくさい奴がいる、という意味じゃない。

鉛筆の字が濃くなる、という情景として、勤勉で真摯子供の姿を思い浮かべる、という

文として書かれていることと、書かれていない想像の背景の補完的な関係は、ワイン食事、一緒に食事するひととの関係によく似ている。

ワインの味や香りは、それだけで勿論、それぞれのワインに特徴があるし、品種ビンテージ気候土壌などさまざまな情報がある。

しかワインのおいしさを決めるのはそれだけではない。過去に飲んだ記憶とか、一緒に食べているもの、そしてそのとき話題、体調などに大きく左右される。

だって同じことで、喉が渇いているときの一杯と会議中にやり込められているときの一杯は全然違うはずだ。

マリアージュという言葉があるように、ワイン一種調味料として機能するため、食べ合わせ重要だ。

またワインプロファイル情報あるかないかも味を左右する。

ブラインドで呑むワインはどんな高級ワインだろうが、初見ワインしかない。ワインの特徴まではわかってもそこまでだ。

逆に偽の情報表現かに補完してしまえば、コンビニ販売しているワインを高級ワインと偽って出してもたいていの者には気が付かれないだろう。

ワインを色やら香り、余韻など物理的に因数分解した表現ができても、美味しさは客観的規律として表現することはできない。

詩も同じだと思う。規律ばかりを語るひとがあまりにも多い。本居宣長には悪いけれど、歌をつくるのは道だとしても楽しむのは道じゃないと思うんだよね。

井上靖が「小学校教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。」というとき井上靖にとってその詩に初めて出会ってからの何十年間が効いてくる。井上靖は詩は規律ではなく、詩との出会い方だと教えてくれた人だ。

その情景を自分のなかでセットできるかどうかは、鑑賞眼の問題ではない。

どちらかというと、そのような情景がセットされてしまう、長年の思いの蓄積、その詩と出会ったときメンタル、いわば偶然の力だと思う。

渡辺松男太田美和が並んで歌壇掲載されていたあの空気感にしても、あのとき限りのものだったのだろう。

失恋をして武者小路実篤の詩に慰めれられた思い出もそう。まさに一期一会

先ほど、卒業してから詩どころではなくなったと書いた。

そのとき自分が置かれれる状況やそれまでの経験によっては、詩に対して、鈍感になることだってあるのだ。


ところで、先日、Yahoo芸能ニュースをみていたら、TBSプレバトというバラエティー番組で、俳句を競う企画があって、ある芸人俳句先生から5点と酷評されたと報じていた。

お題は「文房具」で彼女が読んだのは

消しゴムが 白き水面に ボウフラを

というもの。作者は「頑張って勉強して、消しゴムを何回も消すと、消しカスがたくさん出る。それが白いノートにたくさん積もっていると、ボウフラのように見えるという句です」と意味説明したものの、腹が立つ、とまで評者先生にののしられている。

ちょっと間抜けた感じはするものの、正直、なんでそこまで素人俳句酷評されなければならないか理解できなかった。だが、番組演出脚本としてはそれがオチなのだろう。

演出もさることながら、これは、他の出演者俳句が以下のようなものだったことも影響しているように思えた。

迎え梅雨 紙端に滲む 友の文字

虹の下 クレヨンの箱 踊り出す

天王山 黒ずむ袖に 薄暑光

薫風や 隣の君と 教科書

こんなふうに優等生を気取った俳句がずらりと来たら、それは「お約束」として、こき下ろすしかないのかもしれない。

バラエティー番組のなかで俳句を味わうということはつまり、こういうことなのだ。その芸人に対するイメージ作品クオリティが補完されてしまうのだ。

しかし、この句が仮にお笑い芸人ではなく、どこかの学校児童生徒が作ったものであったとしたらどうだろう。

消しゴムをかける姿は、情景としては授業中であることを示唆している。5月番組文房具からまだ気持ちフレッシュだ。だけどがんばろうという気持ちは長続きしない時期でもある。

ぼうふらにみえるほど消しゴムをかけるくらいだから、授業中、何度も消していて、その間、ノートをとる手が止まることになっただろう。

それでも授業はお構いなしに進んでいく。溜まってゆく消しごむのカスからは、授業についていく焦りとともに、生徒のひたむきさ、間違って消すことが多い生徒のどんくささも垣間見られる。

いかげん疲れたかもしれない。めんどくさいと思ったかもしれない。

一方で白い水面(ノート隠喩)は、清潔さや純粋さを象徴している。

ふと手を止めた瞬間に、そこにボウフラがいるようにみえた、というのは、一瞬立ち止まってボウフラ?などとくだらないことを想像してしまった自分の不純さや切れた集中力で抜けてしまった気力(投げ槍感)との鋭い対比となっている。

と、このように解釈すれば、俳句としてむしろ「ボウフラを」で間抜けた形で止めた意味が出てくる。そこから先は、苦笑いなのだ

ボウフラを季語と認めるかどうかはわからない。しかし、純粋に詩としてみれば、消しゴムとボウフラという組み合わせは非常にユニークだ。

また、どんくさいもの弱者がボウフラというノート上のより小さい存在視線フォーカスする、という手法小林一茶方法とも通じるところがある。

番組の評者は、この芸人俳句酷評したうえ、次のような添削をしたという。

しかすはボウフラみたい夏休み

夏休みかよ。口論の途中で勝手に話の前提を変えられたときのような不快感を覚える添削だった。消しかすって文房具じゃないし。

しかし、誰しも詩に対して鈍感になる、そういうことはある。端的にあれバラエティ番組からね。

ただ、私の場合、やっぱり俳句には縁遠いのだろうと思った。俳句がメインのカルチャーであろうとする、優等生を選ぼうとする、そのいやらしさも嫌だ。上品そうな季語を競うかのような世界一種ルッキズムだ。夏休みかいって勝手おめかしさせようとするんじゃねーよ。

そういうところがまさに、かつて私が川柳などのサブカルに引き寄せられるひとつ動機だった。ボウフラにシンパシーを感じる感受性は恐らくはかつて親しんでいた落語川柳で身につけたものだろうからゆりやん一句を悪くないと思うのは邪心かもしれない。そもそも番組ADがテキトーにつくりましたってオチかもしれないんだけどね。

300円でおいしく飲めるワインもあれば、駄作でも楽しめる作品もある。そういうことだと思う。

2024-05-08

https://youtu.be/zFD6TujMsj4?si=f1Ax2gNqQpBkwlwc

ダンバインリブート?再製作?視たけど。なんかピチカート・ファイヴのBellissima!を「仏つくって魂いれず」って酷評した気持ちがわかったような気がしないでもない

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