はてなキーワード: 認識とは
創作に政治的な主張がくっついてるやつ、創作が面白いから人がそれを見に来て、ついでにくっついている主張を見て「なるほどそういう考え方もあるのか」とか思って帰っていく、だと効果があると思うんだけれども
主張をするために創作をする、の場合創作そのものに情熱がないから創作が面白くなくて、感想が「主張が強かったな」だけになってしまうのかなと思った
主張ってどうしても誰が言ってるかによって受け取り方が変わってしまうと思うので、創作そのものがしょうもないと「しょうもないやつが主張が強いことを言ってるな」になってしまって、これが「アートに政治を持ち込むな」みたいな感覚になってしまうんじゃないかなと
創作に主張を持ち込むな、とは全く思わなくてそれは個々で好き勝手やればよいと思うんだけど
ただ、創作をピックアップする側が「面白い創作に主張がくっついている作品」を「主張があるから良いのだ」と認識して「しょうもない創作に主張がくっついてるやつ」をピックアップしていった結果「しょうもないものばっかり展示されている」からの「しょうもない展示って主張が強いのばっかりだな」になってしまうのが良くないんじゃないかと
個人的には面白い創作の作者に強い主張がある事自体は創作に対して前向きなことなんじゃないかと思っていて、創作に対して「我が強い人間がこだわって作りました!」みたいな印象を与えるのに効果的だとは思っているんだけど
ただこれってやっぱり創作ありきで、創作である、というところをないがしろにするのはやっぱり違うんじゃないか、という気持ちになった
それはそうとして主張は主張でどんどんしていくべきだと思っていて、芸術の文脈とは関係なくいろんな主張を見れる会、としてなにかやるのは良いと思う
会場でも「このような主張がある」を見せるためにクオリティーを上げようと思っている人たちの展示は良かった
ただこれだとみんな来ないのかもしれないけど
でもやっぱり過去の「情熱のある創作に主張がくっついてるやつ」の肩をに乗って情熱のない創作を垂れ流すと長い目で見たときに過去の貯金が失われていくんじゃないだろうか
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2376510
>転売に反対してるのってこういう感情論しか見たことないんよな。反対するのは個々の意見だから構わないけど、感情論だという自己認識を持ってほしい。
6/2正午現在ですでに80くらいブクマしてる、6/1は多すぎて数えてない(200以上?)、タグもほとんど付いてない
内容は統一感なし、ブコメもほぼ全て無し、使ってるサービスははてブだけ
他ブコメ
■イスラエルはどうしてあんなにひどいことができるの? 早尾貴紀——前編|じんぶん堂
>イスラエルも同じようにひどいことをされてきたからじゃないかな?(☆なし)
これだけ本音を言ってくれてる増田にすら、綺麗事の偽善をコメントする人たち。というか口だけなら何とでも言えるから実際は絶対やらないだろうし。綺麗事で溢れる社会は苦手だ。(☆4)
ギブ
I object to the statement that a trans woman is a woman. This is a distortion of language and science.
・他人を搾取して自分の利益にしないように、他人に貢献すること
・自分が世界にとって害悪な存在だと認識し、言葉や行動を改善すること
・これまでの人生が中身がない社会のガンである犯罪者だと知り、他人ではなく自分を見つめること
・クサマンなのでよく洗うこと
このあたりだろうか
浅野文直のColabo告発は生活保護不正受給実行犯のsioが有罪になることが前提条件って方がハードル高かったはず
警察から守るとは言ったけどその手段は最後まで明かされなかったし
sioが不正受給と認識しててもColaboは脱法テクニック使ってる訳じゃないので、sio有罪、Colabo無罪の可能性が高いとは言われてた
あ、追加の質問ね。いいよ、答えるよ。ビッグマックの片手に頑張る!
リオで初めて「ボサノバ」と認識される音楽を演奏したのは、ジョアン・ジルベルトっていうギタリストなんだ。彼が1950年代後半に、リオデジャネイロのクラブや小さなバーでギターを弾きながら歌い始めたのがきっかけだったんだよ。
ジョアン・ジルベルトのスタイルは、すごく独特で、サンバのリズムをもっと静かで控えめな感じにしたものだったんだ。これが「ボサノバ」のリズムって感じになって、みんなに広まっていったの。
彼の演奏スタイルは「バチーダ」とか「スウィング」って呼ばれることもあって、ギターのストロークとリズムがすごく特徴的なんだよね。このスタイルが新鮮で、多くの若いミュージシャンたちに影響を与えたんだ。
それと、ジョアン・ジルベルトの歌い方もすごく重要だったの。彼の声は、サンバの伝統的なパワフルな歌い方とは違って、もっと柔らかくて控えめで、まるで囁いてるみたいだったんだ。このスタイルが「ボサノバ」の歌唱スタイルとして定着したんだよ。
だから、ジョアン・ジルベルトは「ボサノバの父」って呼ばれていて、彼の演奏がボサノバの始まりとされているんだ。彼の影響でアントニオ・カルロス・ジョビンとか、ヴィニシウス・ヂ・モライスとか、他の才能あるミュージシャンたちがボサノバをさらに発展させていったんだよ。
そういうわけで、リオで初めて「ボサノバ」と認識される音楽を演奏したのは、ジョアン・ジルベルトなんだ。じゃ、今度こそビッグマック食べるね!
「同年3月9日、及び同年3月29日の打ち合わせの際には、2024年1月26日に公表された本件原作者のブログにあるような「必ず漫画に忠実に」「漫画が完結していない以上、ドラマなりの結末を設定しなければならないドラマオリジナルの終盤も、まだまだ未完の漫画のこれからに影響を及ぼさない様『原作者があらすじからセリフまで』用意する」という条件は小学館からは口頭あるいは文書で提示されていなかった。 なお、この点についての当調査チームの質問について、C氏、D氏は条件として文書で明示しているわけではないが、漫画を原作としてドラマ化する以上、「原作漫画とドラマは全く別物なので、自由に好き勝手にやってください」旨言われない限り、原作漫画に忠実にドラマ化することは当然という認識である旨書面回答している。」
この報告書の内容が嘘じゃないのなら、原作者の出したドラマ化条件を日テレに伝えない判断をしたのは、間違いなく小学館側。
同様に報告書にある通り、あの条件をそのまま伝えていたら、たぶん日テレは断っている。つまり、断られたくないから、オブラートに包んで「難しい作家」なので、と言った。この「難しい作家」という発言も最初に言ったのは小学館。
そして、原作者のブログ見る限り、彼女は最後まで「日テレにはドラマ化の条件を伝えてOKをもらってる」と信じていた。つまり原作者に、「日テレには条件を伝えました。その通りやると言ってます」と伝えた人間がいるということ。もちろんそれは、小学館の人間以外ない。彼女はブログアップ前にも小学館の人間に内容を確認して間違いがないかチェックしてもらっている。最後まで小学館を信じていた。
どこに書いてあるんだそんな話
わざわざ太字にしたり、何か自分ではすごく正しいことを論理的に主張しているつもりかもしれないけれど、一番最初のところで認知の歪みを爆発させている
こういうのがはてなには多すぎる
理系民の考える国語の想像力がセンターの国語で終わってることに涙を禁じ得ない
同月10日、A氏がC氏に7話のプロットをメールにて送付したところ、同月16日、C氏からA氏にメール添付の Word文書にて長文で本件原作者の指摘が送られてきた。A氏の認識では、本件ドラマ7話中の小西と朱里の喧嘩のシーンを盛り上げるか盛り上げないか(制作サイドはドラマ的に盛り上げたい)、
(略)
本件原作者によると、小西と朱里の喧嘩のシーンは、相手をdisる言葉がいつも極端に無神経すぎて、幼いし大人としてくだらなさ過ぎるように思うということであった。
この辺のこと?
A 氏は本件原作者がプロットに不満を持ったまま制作を進めると今後うまく進行しないと思い、C氏に対し本件原作者の懸念点を教えてほしいと依頼したところ、同年6月14日、4話のプロットについてのやりとりをしている中で、C氏からA氏に本件脚本家に読んでもらうには少々憚られる内容であるが、推敲するとわかりづらくなってしまいそうなので、というコメント付きで「脚本懸念点について」というタイトルで本件原作者の言葉通りそのまま Word文書にしたものをメールで送ってきた。
そのWord文書では、オリジナルのセリフやり取りが挟まっている点について、冗談とはいえ、ふつーに感じ悪いなと思ってしまう、一連のセリフの流れが意味不明、こんな短いシーンでも理論立てて説明できないキャラの言動の不一致が起こってしまう、他人をディスる言葉の扱い方と、文脈やキャラの言動の破綻が気になる、切り貼り挿入も前後の意味が繋がっていない等と指摘のうえ、「原作があるうちは、失礼だと思いつつ事細かに指摘して修正してもらうことも可能だけど・・、オリジナル展開の9話10話で、収拾つかなくなっちゃうんじゃないかと、不安に感じてます。」と記載されていた。この時、A氏は、C氏が今までは表現を柔らかく変えて本件原作者からの指摘を自分に送ってきていたことを認識した。このWord文書の各指摘点については既にプロットで修正済みであったこと、本件脚本家に対しかなり厳しい表現であったため、A氏はこの Word文書は本件脚本家には共有しなかった。しかし、コアメンバーに対し、本件原作者がキャラクターがブレることについてコアメンバーが思っているより、気にしているとの趣旨の話はしていた。
ここ面白かった
『セクシー田中さん』報告書、何というかこうありえない箇所が多すぎるのでいくつか抜き書きしてみた。()内は報告書のページ数を指す。
企画書には、企画意図、企画ポイント(①自分を縛る“呪縛”から解放された時のカタルシス、②真反対なふたりの女の友情がスゴい!、③9笑って、1グッとくるドラマ、④あらゆる世代に響く! 60 代専業主婦女性の1歩、⑤田中さんと笙野の恋の行方は!?)、主要想定キャスト等が記載されていた。(9)
あっ……(察し)。TVドラマのスタッフには恋愛脳しかおらんのか?
なお、これらの本件原作者の意見については、A 氏 はコアメンバーに対してはそのまま伝えたものの、本件脚本家に対しては ドラマ化について本件原作者の不満が高まっているという 温度感のみ伝えた。一方で本件脚本家は、 8 話のやりとり あたりから本件原作者の語調が強く、こだわりが強いという印象を抱き始めた。(24)
温度感のみ共有してんじゃねえよ! 具体的な指摘も共有しろよ!
「キツい指摘は見ててつらいから咀嚼して伝えて」という相沢友子の要求は、メンタルケアとしては間違ってないんだけど、それは当然「パイナップルは味の相性が最悪なので絶対に酢豚に入れないで」という要求を「原作者はパイナップルを酢豚に入れてほしくないそうだ」と伝えてほしい、という意味であって、「原作者は酢豚の出来に怒ってるよ」と伝えろっていう意味じゃねえんだよ!
C 氏を通じた本件原作者の撮影シーンに関する問い合わせに対し、 A 氏は既に当該シーンは撮影済みである旨回答を行ったが、実際の撮影は 5 日後に予定されており、そのまま予定通り撮影が行われた。その後、これらの経緯を本件原作者が知ることになった。 A 氏によると、まだ撮影していない旨を回答すると本件原作者か ら撮影変更を求められるのは確実であると思ったが、 A 氏は当該撮影シーンは客観的にも問題ないものだと思っていたこと、及び当該シーンの撮影のために 2 か月にわたって キャスト・スタッフが入念に準備を重ねていたため、撮影変更はキャストを含め撮影現場に多大な迷惑をかけるので避けたいと思って咄嗟に事実と異なる回答をしてしまった。このことは反省しているということであった。(25)
C 氏から A 氏に、 6 7 話の脚本の修正文書、及び「修正について」と題する文書がメールにて送付され、そのメール本文には本件原作者が書き下ろした 8 10 話に関しては、撮影の都合などの理由以外では、出来るだけ改変しないでほしい旨述べられており、 A 氏は C 氏に対し電話でドラマ化の上で改変は発生するので、今まで通りやらせてほしい旨回答した。(29)
何で??? 真剣にホラーだった。TV関係者の認識ってこんななの??? そら、芦原妃名子先生がなに言っても暖簾に腕押しで糠に釘で馬の耳に念仏だわな。
本件ドラマ 5 話のダンスのシーンで使われた音源は、配信 許諾が取れていなかったので、 配信で使用出来る別の音楽に差し替えた。しかし、セリフで「シャー・ルク・カーンの『マルジャーニ・マルジャーニ』!! 」と笙野が叫んでおり、セリフはすでに収録していたため、差し替えることが出来なかった。そのため音楽とセリフの不一致が生まれた。(32)
役者が「モーツァルトの『トルコ行進曲』!」って言ってるのにジャジャジャジャーンって聞こえてくるようなもんだろ。ギャグにしか聞こえんわ。マイナーな音楽ならいいと思ってるのかもしんないけど、そのマイナー音楽が頻出する作品のドラマ化でやることか? 許諾を取るか、セリフ部分だけ収録し直して差し替えるとかしろよ……(アニオタ並の感想)
B氏は日本テレビのライツ部門に状況を共有し、同部門の顧問弁護士である P 氏に本件脚本家の「クレジットの約束が守られないのであれば9,10 話で本件脚本家のアイデアを一切使わないでほしい、それができないのであれば 8 話までの私の脚本を使わないでほし い。」という発言の法的根拠について確認を依頼した。 P 氏の見解は、この時点で脚本利用契約が未締結であるので、脚本家は原著作者であるため二次利用の差し止めは可能であるということであった。(34-35)
この「アイデア」って何を指してるんだろう……そこの検討が必要不可欠じゃない? 相沢友子が何をもって「アイデア」と呼んでいるのかがクリティカルなのにそこを書いてないのは不親切に感じる。もし相沢が「自分が考えた、原作にはないキャラのセリフ」を「アイデア」と呼んでいるなら、確かに相沢には著作権は発生するので彼女の要求は法的に正当なものかもしれないけど、もしも「最後は溶鉱炉に沈みながらサムズアップするんですよ!」みたいな「ストーリーの展開」を「アイデア」だと思っているなら、それは著作権法で保護されるものではないわけで、彼女の要求に法的根拠は一切ないことになる。どっちなんです? 著作権法に詳しいであろう顧問弁護士が「可能」って言ってるってことはマジでセリフをそのまんま使ってたってこと? それとも相沢の言葉通り「アイデア」が使われていただけなの?
原作では朱里が短大に進学した設定があるが、本打ちでは、同設定に関して、「短大に進学するよりも専門学校に進学する方が近時の 10 代、 20 代としてはリアリティがあるのではないか」、(短大進学の原因となっている)「 父親のリストラはドラマとしては重すぎるのではないか」等の議論を経て、 高校受験の際に、父親が勤める会社が不景気になり、母親から「高校は公立でいいんじゃない?」と言われて 本当は友達と一緒に制服がかわいい私立校に行きたかったけど、 「うん、そうだね」と笑って受け入れた という設定に変更する旨のプロット案を送信した。
2023年6月12日、上記プロット案に対する本件原作者の返事として 、かわいい制服の私立高校に行けなくなったことなどは「心底どうでもいい」ことである、原作のジェンダー要素も逃げずに書いて欲しい、制作サイドは短大での設定を避けているのか?といった趣旨の記載がなされた文章が送信された。
その当否は別として、本打ちメンバーが当該原作の設定を変えようと試みたことには、それ相応の議論と積極的な理由があった。しかしながら、本件原作者の上記返信内容をみる限り、本打ちメンバーで議論した内容・意図が十分伝わっているとは思えない状況であったことがうかがえる。(60-61)
「あなたは女の子だから短大でいいよね」という理由で進路を決められたという深刻なエピソードを「あーあ、あっちの制服の方が可愛かったのになー」に変えていいと思う神経が理解できなさすぎてヤバいし、原作者に「議論した内容・意図が十分伝わっ」たからそういう反応になったんじゃないですか??? と思わざるを得ないというか……
芦原先生は真面目で良い人だったんだろうな、と思った。
仮に自分が原作者だとしたら、途中で「もう撮っちゃった? そんなの知らない、撮り直して」とか「ちょっとすぐに解決するとは思えないんで、今週のオンエアはなしで」とか「なんか作品のコンセプトが理解されてない感じ? じゃあもう制作中止しよっか」って言ってただろうな、っていう場面が少なく見積もって1ダースはある。
でもそれをやると方々に迷惑がかかるから、自重して、頑張って耐えてらっしゃったんだろうな……
TV局や俳優なんて、あなたの作品にとって不可欠でも何でもない、添え物以下のどうでもいい無価値な存在なんだから、もっと振り回してやってもよかったのに(それができない人だったから繊細な作品を描けた? それはそう)。
増田は日本の実写化を憎みぬいている勢なので(『天地明察』も『インシテミル』も『ビブリア古書堂の事件手帖』も許してないからな)、実写化に出る俳優にも欠片の同情も感じないんだけど(『咲-Saki-』を汚した浜辺美波は個人的に不買してるし、岡田准一のことも「あっ『天地明察』とかいうクソ映画でゴミみたいな主演してた人だ!」と認識してる)、俳優の苦労とかにうっかり思いを馳せてしまったらそんな要求をするのは難しくなるのはわかるので、やっぱり実写化に出る俳優は(「ひどい実写化だったけど、俳優さんには罪はないよねー」と庇われるんじゃなくて)積極的な共犯としてもっと叩かれてよいのでは、そうすれば俳優の苦労とかを慮って言いたいことを言えなくなってしまうことはなくなるのでは、と思いました。
ある会社のバイトさんから誕生日プレゼントだと言われて、小学生が雑貨屋さんで買ったものの詰め合わせみたいなのをもらった。
キャラ的に受け狙いではないことは明白で、こんなの大人に贈る人いるのか…と衝撃を受けたが気持ちはうれしいのでありがたく頂戴して家(実家)に持ち帰った。
母親にも、会社の友達から誕生日プレゼントをもらったんだよという話をした。
しばらくしてもらったことすら忘れた頃、母親に「あんたがもらった部屋にあったプレゼント、芳香剤があったから車につけたんだけど死ぬほど臭くてよぉ、吐くかと思って引きちぎって道路に捨てたわ。あー臭かった!」と言われた。母親は最近あった面白いかつ自分がかわいそうな目にあった話という感じだった。
私は
・部屋勝手に入るなよ
・なんで私あてのプレゼントの芳香剤を勝手に使おうと思ったんだよ
・私が大切な人からもらって大切に保管してたものかもしれないものを、どうして勝手に使った挙句捨てた話するんだよ
と全てに引いて強い嫌悪感が湧いた。私はとりあえず一番強く感じた3番目のことを母親に伝えた。
母親は自分の非を認めないので、その時も胸糞悪い言い訳をして最後に「オマエが悪いんだろ」と言って締めくくっていた。
今なら分かるが、たぶん母親は私がプレゼントで何をもらったのか知りたくなったのだと思う。
昔から、母親は子どものプライベートを暴くのが好きだなぁと感じていたので、その興味からの行動だったと思う。
そしてプレゼントをもらっている私に嫉妬か、何か気に食わないと無意識に感じたのだと思う。
それで使ってやれ、と持ち出して使い、臭かったことが愉快で気が大きくなり、普段ならしない「ドアからゴミをポイ捨て」行動をしてしまったのだろう。
これを本人に伝えたらきっとショックを受けるに違いない、母親自身の胸がすく思いも味わえるに違いない、と感じて話したんだと思う。
こういう親に育てられた子どもにありがちな話で、私は精神を病んで仕事をやめることになった。
その頃は実家を出て一人暮らししていたが、医者から「実家に帰省してゆっくりしたらどうでしょうか」と提案された。
私は、実家に帰ったら症状が悪化するだろうとすぐに感じた。嘲笑して、ひどい言葉で傷つけてきそうだなと思った。
今思うと、こんなひどい人私の周りに親しかいないわ。
親は自分たちは良い人たちだという認識でいるので、電話で「実家に帰ってきたら」と言っていた。私は「それはやめておくよ」とだけ伝えた。
それから治って新生活を始めたが、今度は実家から遠く離れたところで暮らし始めた。
実家に帰ると金銭面は助かるのだけど、精神的には取り返しが付かないほど病みそうなので、たぶんこの先一生実家に帰らないのかもしれない。
でもそんなことは、親には言ってない。
https://www.ntv.co.jp/info/pressrelease/pdf/20240531-2.pdf
同年 3 月 9 日、及び同年 3 月 29 日の打ち合わせの際には、2024 年 1 月 26 日に公表された本件原作者のブログにあるような「必ず漫画に忠実に」「漫画が完結していない以上、ドラマなりの結末を設定しなければならないドラマオリジナルの終盤も、まだまだ未完の漫画のこれからに影響を及ぼさない様『原作者があらすじからセリフまで』用意する」という条件は小学館からは口頭あるいは文書で提示されていなかった。
なお、この点についての当調査チームの質問について、C 氏、D 氏は条件として文書で明示しているわけではないが、漫画を原作としてドラマ化する以上、「原作漫画とドラマは全く別物なので、自由に好き勝手にやってください」旨言われない限り、原作漫画に忠実にドラマ化することは当然という認識である旨書面回答している。
「漫画を原作としてドラマ化する以上、「原作漫画とドラマは全く別物なので、自由に好き勝手にやってください」旨言われない限り、原作漫画に忠実にドラマ化することは当然」
そんなわけあるか。
マンガの実写化を少しでも見ていれば、実際にはそれと正反対の、大幅な改変があって当たり前の世界になっていることは誰でも分かるはず。ましてや日テレのドラマだぞ。
良いか悪いかはともかく現にそういう状況である以上、「必ず漫画に忠実に」やってほしいのなら、最初の段階でくどいほど念押ししておかなければいけないところだろう。
ほっといても忠実にやってくれると思ってた、はさすがにカマトトぶりすぎだと思うのだが…
だから欧米では性にしろ恋愛にしろファンタジーを徹底的に排除してリアリティを重視するんだよ
なんで他国は規制してるのか、人間の性能にそんな大差ないんだからさ、いっぺん調べてみたら?
性コンテンツの規制もそう、隠したりぼかしたり現実を分からない人間が変な情報だけ得たりファンタジー化したりすると、分かった気になるし認識の歪んだおかしな大衆、ミソジニーや女性ヘイトを育ててるよね
実際認知が歪んでる男に日夜加害されてるくせに、エロコンテンツ自体はあってもいいと思うとか、風俗で抜く分には気にしないとか(金銭を介してても不倫です離婚事由です)
風俗やキャバクラなんて花街江戸吉原の進化系だろ?親の借金のカタで連れてきた奴隷女にせざる得ない状況で無理やり同意させて早死にさせてんだろ?性ファンタジーの集合みたいなもんだが?
ミソジニー女性差別を育てる舞台装置を整えることにこんなに寛容な女も世界中で珍しいよ
日本はエロに寛容な大人な女とかいう害悪な存在がより助長するからな
性欲強いだけの女とは別概念だぞ
俺別に伊坂幸太郎も東野圭吾も好きでも嫌いでもないんだけど、普通に読みやすいしいい作品書く作家だっていう認識なんだが、
「伊坂幸太郎はラノベ!」みたいなネットの書き込みみてると、そいつの小説読みに対する高尚か低俗かみたいな選民思想みたいなもの感じてしまってすげえ苦手
だから欧米では性にしろ恋愛にしろファンタジーを徹底的に排除してリアリティを重視するんだよ
なんで他国は規制してるのか、人間の性能にそんな大差ないんだからさ、いっぺん調べてみたら?
性コンテンツの規制もそう、隠したりぼかしたり現実を分からない人間が変な情報だけ得たりファンタジー化したりすると、分かった気になるし認識の歪んだおかしな大衆、ミソジニーや女性ヘイトを育てるよね
実際認知が歪んでる男に日夜加害されてるくせに、エロコンテンツ自体はあってもいいと思うとか、風俗で抜く分には気にしないとか(金銭を介してても不倫です離婚事由です)
風俗やキャバクラなんて花街江戸吉原の進化系だろ?親の借金のカタで連れてきた奴隷女にせざるを得ない状況で無理やり同意させて早死にさせてんだろ?性ファンタジーの集合みたいなもんだが?
ミソジニー女性差別を育てる舞台装置を整えることにこんなに寛容な女も世界中で珍しいよ
日本はエロに寛容な大人な女とかいう害悪な存在がより助長するからな
性欲強いだけの女とは別概念だぞ
thirty206 ゆるっと使えて便利やからね、仕方ないね。/女性器が緩い、という用法では少なくとも1953年までは遡れる。https://x.gd/5Y24u
mobile_neko 淫夢ネタにはほとんど触れずにインターネットしてきたのでよくわからんが、元々「ガバガバ」という言葉の用法にあったからビデオ内で使われて視聴者も理解できたのでは?
mutinomuti 40年前にお下がり着てる子どもにガバガバだね、詰めようかっていってたよ@関西
WinterMute "淫夢由来の言葉" 違います。お前の認識ガバガバだな
ignio 青空文庫はこういうときに便利。大倉燁子の「恐怖の幻兵団員」(昭和25年)に「孔のまわりの羽目板はがばがばにゆるんでいる」という文がある。
red_kawa5373 id:ignio 国立国会図書館サイトも良い。昭和28(1953)年の最高裁判例に「ガバガバのゴム長靴を履いて」な記述があるので、ガバガバの「しまりがない」の意味は淫夢由来ってのは違うと思う。 https://dl.ndl.go.jp/pid/1349044/1/52
officesitter 昭和の筒井康隆の短篇で、女性に対する罵倒語として使われていたのを見て覚えた。自分の口から発したことはない言葉。なんとなく関西弁っぽい気がする。
ni_ls ウン十年前の高校(男子校)生時代、ガバガバアナルの略で「ガバナル」って呼ばれてた先輩がいたよ
redundancy 老が使ってる時点で元ネタそこじゃないって気づくだろうから書き手の判断力がガバガバっていうネタでは
otihateten3510 普通に使う言葉を淫夢用語だと思う方が何倍も恥ずかしいけどなあ
star_123 最初しか呼んでないけど前世紀からそういう意味で使われてたような…
marilyn-yasu 淫夢以前から穴の精度が悪くてガバガバ、計画が穴だらけでガバガバなんて使ってたから何言ってんだコイツとしか思えない。
ht_s 老人が(も)淫夢由来でガバガバって言葉を使っているあるいは淫夢以前は使っていなかったと思えるの、ちょっとかわいいな。バカほどかわいいってこれか。