はてなキーワード: 評価とは
雇用を均等にだの男女平等だの言うくせに、同じ給料で女は辛い仕事をしなくていいのに男だけが辛い仕事をやらされる!みたいなやつ、あるじゃん?
結局これって、仕事では女なんて男の劣化品なんだからこんなの任せられるわけないっしょって思われてるからだよね
最初から、こいつにこんな仕事できるわけねーわって舐められてるんだよ
これに対して本当に文句を言うべきなのは男尊女卑を辞めろって日頃から言ってる女の人達の方なんじゃないの?
これがわかりやすく評価に直結するような仕事なら言うんだろうけど、雑用でも仕事は仕事で必ず誰かがやらなければならないんだよ
それを任せられる人と任せられない人とじゃ職場での評価に差がつくのは当たり前だよ
まさかとは思うけど、面倒臭い仕事しないで済んでラッキー!とでも思ってんの?
もしそうだとしたら、君達はああだこうだと言いながら自分にお得感を与えてくれる男尊女卑が好きで好きでたまらなくて手放したくないんだ
いい加減それに気付くべきなんだ
新宿区で生まれ、その後は23区外に引っ越したが、ずっと東京都内から出たことはなかった。
小学校受験をし、私立の小学校を卒業し、そのまま中学受験をして、いわゆる御三家に合格し、中高一貫の女子校を卒業した。
まさかそこでここまで大きなカルチャーショックを受けるとは思っていなかった。
私は自分がいかに世間知らずだったかということを全く知らなかった。
まず、初めに、医学部生同士での「親って医者なの?」という会話に驚いた。
喉元まで出かかって飲み込んだ。
私の周りの医学部志望生は、7〜8割は親が医者であり、親が医者であるかどうかを確認する文化がなかった。また、親が医者でなかろうと、会社の社長だの外交官だのばかりなので、「あ、そうなんだ。」くらいで終わりだったのであるが、ここでは違った。
非常に面食らった。
まず今までの人生で親の所得の話になったことが一切なかったことに気がついた。
なんとなくタブーのような、下品なような、お金の話をするという文化が存在しなかったし、他人を「金持ちだから羨む」という人に初めて出会った。
そして気がついてしまった。私が今まで通ってきた道は、『子供の教育費に月7-8万の学費を払い、かつ年100万近くかかる塾に通わせることのできる所得の親を持つ人間しかいない世界』であったということに。
加えていうと中高一貫の女子校ではバイトが禁止されていた。(している人は一人もいなかった。)
私自身小4〜6まで塾に通い、高2〜浪人1年間もまるまる予備校通いをしている。
かかった学費のことを親は何も言わない。
「医学部に受かってよかった。」
それだけである。
またさらにびっくりしたのが、
どこかに遊びに行こう!となった時に
と言われたことだ。
「お金がない」という理由を遊ぶ時に持ち出すという文化に触れてこなかったように思う。
遊ぶ時にかかるお金は、その思い出に対して支払うものであり、いくらになろうと楽しければ構わないし、やりたいことをしてきたと思う。(というと高級ホテルでランチビュッフェに行きまくっていたかのような印象だがそういう意味ではない。)
遊びたい時に、「何をしたいか」ではなく「予算」が先に来る文化。
そんな文化があることも知らなかった。
というかむしろ、うちの親は常に「うちは開業医でもないし貧乏だから節約しないと」と言っていたので、私はどっちかというと貧乏なんだな。と思って生きてきていたのである。
現にユニクロ大好きだし、特売も大好きだし、ポイントカードもめちゃくちゃ持っていて端からポイントを貯めている。
田舎とはいえ、本気の田舎では多分ないのだろうが、はっきり言って今の暮らしは本当に耐えられない。
友達と遊ぶ時はテレビか雑誌で特集していた店に行き、大きくなってからは食べログの評価が高い店を探し、予備校終わりに疲れたら伊勢丹に寄って化粧品を買ったり、ルミネセールで爆買いしてみたり。
レビューがなさすぎることで、食べログで店を探すことがこんなに困難になるとは知らなかった。
地方都市なんだからデパートくらいあるでしょうというが、私は新宿伊勢丹で先行発売の化粧品を、エムアイカードのポイント10%還元を利用して購入したいのであり、そのついでにフェラガモの靴を物色したり、グッチの新作にケチつけたりしたいのである。
前にトリーバーチの靴(一番スタンダードな、黒の革靴に金のトリーバーチのロゴが大きく付いているやつ)を飲み会に履いて行ったら、「その靴イトーヨーカドーで売ってるみたいだなww」と男子に言われて本当に驚いた記憶がある。
他人の持ち物(しかも靴などという少しこだわっていそうなもの)を平然とけなす神経と、トリーバーチすら知らないということに対する、二重の驚きである。
地元でずっと一番で、県で一番の高校を出て、この医学部に入ってきていた。
小さい頃からずっと「頭いいね!」「すごいね!」と言われ続けて、ピノキオみたいに鼻が伸びて育ってきている子ばかりなのだ。
何か言えば尊敬され、常にリーダー格として君臨してきた人たちばかりなのだ。
でも私は知っている。
たかだか地方の医学部に、賢い人間なんていないのだ。本当に賢い人は、理三だの、ハーバードだの、そういうところにいるのであり、
医者になるとか、ならないとか、そんな次元のところにはいない。
私たちはちょっとだけ努力するのが上手だったか、ちょっとだけ記憶力が良かっただけなのだ。
夜になると一人暮らしの部屋で本当に世界から取り残されたような気持ちになる。
私が今まで「当たり前」だと思ってきたことは、当たり前ではなかったのだと思う。
うちの親が「危ないから、事故った時に死なないように、強度のある車を」と言ってくれたから乗っている車でも、「目立つこと」の方が悪なのだ。
「昨日、コンビニにいたね」
いちゃダメなんだろうか。どこで何してもいいでしょう。万引きしてるわけじゃないんだから。
東京は、何をしてもいい。
何をしても、誰も何も言わない。
近くに住んでいても、知り合いに会うこともない。
早く卒業したい。
早く東京に帰りたい。
生まれ育った土地が自分には一番合っているというだけなのに、田舎と東京の話に置き換えている私はきっと性格が良くないのだと思う。
だからこっそり、ここに書く。
「はてなの運営、運用、管理に関する法律(以下、はてな法)」において、はてな匿名ダイアリーの運営、運用、管理について定めた第7章では、126条第1項において「増田は必要があれば特定の投稿を禁じることができる」と定めている。そして具体的にどのような場合に投稿を禁じるかについては、同条2項が「前項の必要は命令を以って定める」とされている。そしてはてな法の委任を受けた「はてな匿名ダイアリー施行規則(以下、増田規則)」は201条3号にて「再投稿を禁ずる」と定めている。
思うに、はてな法が投稿を禁ずることができる場合とは、犯罪の扇動、個人のプライバシーに関わる情報、個人の名誉を毀損する表現、その他運営に重大な支障を及ぼすものなどで、それらの中で国民一般に広く保障された表現の自由を考慮してもなお看過し難い重大なものに限るという趣旨であると読み取れる。
「再投稿によってサーバーに負荷をかけ、はてなの運営に支障が生じ、また同じ投稿が繰り返されることにより利用者が重要な投稿を見逃し、よって利用者の知る自由、知る権利が害される」という被告の主張するおそれは再投稿以外の投稿によっても容易に起こり得ることであり失当である。増田規則が再投稿のみを殊更に禁じたことは不合理なものであり、同規則の当該定めははてな法の委任を超えた違法なものと評価せざるを得ず、その限りにおいて無効である。
よって原告及び利用者は私生活上の自由の一つとして再投稿をみだらに禁じられない自由を保障される。また利用者は内容に対する非難はともかく、再投稿それ自体を非難する権利は保障されず、それどころか法律を以てこの再投稿を非難する権利を付与すること自体も許されない。
なお、この判決に抵触する限りに置いて増田規則の当該定めを違法ではないとした当裁判所の判決(~『お前らが恋したいちご100%の登場人物挙げてけ』再投稿禁止事件に関して~)を変更する。
CPUだけは悪くないの積んでるんだけど、知識が蓄積できないとかつきっきりで受験の最短攻略コースだけ教えてもらってたとかで、場違いに高評価の集団に入ってしまってプライドだけ高いが最終的には使えないポンコツみたいなのそこそこいるよな
だいたいそういう人が弾かれて最終的に3段階くらい下の集団に入り、落ぶれた人としか接する機会がない底辺にどこどこ卒は使えんみたいな妄信を持たせるまでがテンプレ
あとまぁ学力と経済力を含む人生が必ずしも比例しないってのはそうだよ。経済力ばっかり追い求めるのが人生じゃないし、人類への貢献みたいな観点を無視できるならそれこそいただき女子だの転売ヤーだのしてる方が儲かるしな
素敵な、アイホンをありがとう。脳みそと同じで容量足りない64GBしかない、ゴミは三万以上で、うります。
美品と嘘つく変な出品者!Twitterに載せて仲間増やすもメルカリは取引終わり!負けをみとめろ、腐った出品者は、メルカリ使うなガキ高校生。キャンセルの対応もせず、郵便に連絡しようともしない!いちいちツイッターとSNSにのせてわめいている。頭が弱いから神経質科行け、これは優しさで言っている。あのアイホンが美品?冗談は公立の受験の結果だけにしなさい。商品は傷だらけ、まるであなたのフリマアプリの評価の星。
Twitterはロックされるからここで書いているよ。Twitterのやつもおまえに関係あるか?あいつの嘘を信じるヤツばかり!
SNSに載せる暇なアイツはやっぱりクソ!一生会わないよに気をつけてください。
例が雑ゥ!
社員全員がインド人のインドの会社に日本人を就労させても、インド主体でインドのやり方に日本人はあくまで従うだけになる
仮にインドの会社に日本人が就職したなら、インドの流儀に日本人が合わせて当たり前では???
となると、会社を日本とインドの両方を主体にしなければならないが、そのためには無理やり日本人を多く起用するしかないし、過去の評価も体制も破壊して日本向けに変化させる必要がある
何で??? インドの会社に就職したんだから、インドの流儀に合わせるのは当たり前でしょ???
中国人が大勢日本で就職してるから、従来の日本の会社組織を破壊する! ってなったらおかしいでしょ??? 中国人が日本の流儀に合わせるべきでしょ???
アファーマティヴ・アクションがある程度正当化されるのは、
場合に限られるべきだろう。
アメリカで黒人がアファーマティヴ・アクションの対象になるのはわかる。彼らは、望んでアメリカに来たのではなく、無理やりアメリカに連れてこられた(かつ、奴隷化された)人々の子孫であるからだ(逆に言えば、オバマのような、望んでアメリカに来たケニヤ移民の子供は、一切、そのような優遇措置の対象になるべきではない。彼らには「差別されない権利」があれば十分だ)。
仮に日本でやるとして、アイヌ民族へのアファーマティヴ・アクションは賛成できる。彼らは軍事力によって無理やり日本の一部にされた側なのだから、特別な配慮を享受する資格がある。
あるいは女性のアファーマティヴ・アクションもいいだろう。女性は元からこの社会にいるのだから、、特別な配慮を要求してもよいかもしれない。
しかし、例として挙げられた「インド系企業での日本人のアファーマティヴ・アクション」なんてありえない。インドにおいて日本人は先住民でも何でもないんだから、日本人がインドに合わせて当然だ。それは、日本に来たインド人が日本のやり方に合わせるべきなのと同じだ。
歴史的に男性の方が当選しやすい環境があらゆるレベルで作られてるから、そこを男女同数にするには積極的是正措置に頼らざるを得ない
という話
社員全員がインド人のインドの会社に日本人を就労させても、インド主体でインドのやり方に日本人はあくまで従うだけになる
あらゆる制度もインド人向けだし宗教観もインド人を想定してるし評価もインド向け
偉い人はほとんどがインド人か、インドに同化しまくった少数の日本人にしかなりえない
となると、会社を日本とインドの両方を主体にしなければならないが、そのためには無理やり日本人を多く起用するしかないし、過去の評価も体制も破壊して日本向けに変化させる必要がある
「ありのままの自分を受け入れて欲しい」「受け身でも構って欲しい」なんて言うとたいていは批判に晒される
弱者男性にも良いところはあるはずなんだよ
それが見た目や態度によって「即チェンジ」されるから恋愛まで発展しない
弱者男性が取るべき戦略は多くの男女が行う短期決戦ではなく、長期持久戦
サークルや趣味の集いなど「強制的に関わらないといけない」場に参加して「即チェンジ」を無効化する
それがスタート
あとは徐々に弱者男性の良いところに気づいてもらえることを待つ
ひたすら待つ
もちろん会話はしないといけないぞ?告白とかアプローチはせずに待つという意味だ
相手に彼氏ができようが我慢だ。どうせ元彼は存在する。同じ同じ
あとはこの長期持久戦をできるだけ多い場所で実行する
それを覆すために見た目を整えたり、学歴つけたり、資格取ったりして評価を上げようとする
「他人は自分のことなんて見てない」ってのは違和感を持たれない存在であることが前提であって
コミュニティの人間は、まともに話したことがなくても主に経験則やノンバーバルコミュニケーションを通して、人柄や価値観を測ってる
情報共有も早いから増田のそれはバレバレで、男女を問わず「地雷」で評価が固定化しているように思う
だから手っ取り早くいくなら同世代の「女の子」は諦めて、マーケット・インの思考で親くらい年上の人とか、自分がアドとれる全くステージの違うとこ行くしかない
お金があるならプロのスタイリストに「フィードバック」してもらうのが一番いいのでは
この手の人は「俺にはこれしかない」的な独りよがりなスタイルに走りがちだけど
あなたは自分のちゃんとした評価が知りたいと思ってるのに何かもったいない
学校のランク分からないけどB3からカースト逆転狙うよりは就活頑張った方がいい
正しいんじゃなく外面だけを気にしてるだけ。身内の扱いをおざなりにして外の評価を上げているだけ。電車とか街中のエピソードばっかで家庭内の話がまったくねーじゃん。親を旅行に連れていったとか、親にプレゼント上げるとかさ。普通あるでしょ
典型的な内弁慶。周りからどう見られているかがものすごく大事だから、疲れ切ってる彼女を立たせてもなんとも思わないし、彼女が寂しい思いをしていても何も感じないだけ。
彼氏にとって身内の評価なんて上げても、外的評価につながらない。価値が低い。
イベントで彼女と楽しい時間を過ごして彼女から好かれるよりも、店の中で泣きわめいて注目を集めてるガキに整理券を渡して注目を集めたほうがよりたくさんの人から良い人だと思われるじゃん。でもお前なんかに気を使って集められる好感度はお前ひとり。それって俺にとってなんか得になんの?
彼女に対して善性を要求してるのではなく、彼氏の外的評価を上げるためにお前も我慢しろ。さらに言えば俺の評価がもっと上がるようにお前も自分を犠牲にして、他人に奉仕しろ、でも俺がお前に尽くすことにはリソース避けられないからって言ってるだけ。
そう言う男は人から見られてない空間だと人に対して冷酷。人から評価されることが全てで他人に普段身を削って尽くしている分、家庭とか身内に対してはすごくセコくなる。外面が良い男ほど過程では経済DVしたり暴力振るうってのはよくある話。
イリヤの空、UFOの夏はそもそも当時でも好きな人は好きかもねくらいの評価だったし
カブトムシみたいに美しくなりたい。
カブトムシの角や光沢、見た目の力強さと儚さのコントラストは、実際に手に取ってみないと分からないものだ。その美しさは、表面的なものだけではなく、存在そのものにあるのだと思う。私はそんな内面から滲み出る美しさを手に入れたいと願っている。(美談)
日常生活の中で、私たちはどうしても見た目や表面的な部分に囚われがちだ。スマホのカメラに収まる範囲で自分を評価しがちだが、実際にはそこに写らない部分こそが本当の価値を持つ。人間関係も同じだ。見た目や表面的なやり取りだけでなく、その奥にある感情や思いが重要なのだ。でしょ?
多くの場合、人は自分の価値観や考え方が正しいと信じてる。でも、正しさだけで人を惹きつけることはできない。むしろ、完璧すぎる正しさは、時として距離を生む原因にもなる。人間らしい弱さや不完全さが、逆に魅力となることもあるから。そう、カブトムシみたいに。(?)
過去の恋愛を振り返るとき、私は彼の正しさに圧倒され、息苦しさを感じることがあった。それは、彼が悪いというわけではなく、私がその正しさに対して自分を見失ってしまったからだ。カブトムシのような自然な美しさとは、無理に完璧を目指すのではなく、自分らしくいることにあるのだろう。どや?
日々の中で、自分を偽らず、本当の自分でいることの難しさを感じることもある。それでも、自分自身を大切にし、自分らしく生きることが、最終的には最も美しい生き方だと信じている。写真に写らない美しさを追求すること、それが私の目指すべき道だ。
なんか一部で名付けで「萌」を「も」と読んだり、「翔」を「と」と読んだりするのはおかしいというような風潮があるが、理由がよくわからない。
これらは普通にある訓読みなので名付けの読みで使ってもなんらおかしいことはない。
「萌える」も「翔ぶ」もどちらも漢和辞典に載っている読みである。
歴史的にも、
壬生忠見(みぶのただみ)の「見」
など、名前の読みで訓読みの送り仮名を省略して使う事例は多々ある。
確かに萌歌とか勇翔とかは最近出てきた使い方かもしれないが、漢字の読みの原則としては上記の歴史的な例と使われ方に違いはない。
これが例えば「星」を「ほ」と読ませるようなのはさすがに若干キラキラ感が出てくるとも思うが、訓読みの送り仮名の省略は伝統的にも普通に使われてきたとしか評価しようがない気がする。