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はてなキーワード: 言論とは

2024-06-02

シンクタンクレポートを見たはてなー「よくまとまっている」だとさ

三菱UFJリサーチが出したサマリレポートブクマが集まっているのだが、

地政学リスク全体像の整理 | 三菱UFJリサーチ&コンサルティング

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.murc.jp/library/economyresearch/analysis/research/report_240528/

そこで「よくまとまっている」とかコメントしてるブクマカが数人いて失笑するするしかない。なんだよそのエラソーな態度はw

 

そもそもネット国際関係に関して調べる時、膨大なゴミ情報が掛かり易いわけだ。だからこういう金融シンクタンクレポートが出てくるま検索を続ける、出てくるま検索式を変えてみるっていう風に一定基準とされる事が多いもんだろ。

大学レポートでどっかのインフルエンサの動画を参照したとかネット活躍する誰それのメルマガ参照とか書いたらリジェクトされるし、仕事でやったら馬鹿レッテル貼られて渉外的な仕事からは一生干される。そういう意味で安牌なのがこういう金融シンクタンクなわけだ。

仮にその予想や分析が間違っていても格好はつく。

 

特に今回みたいな「地政学リスク」を論じる時には重要だ。何しろこの10年の日本で「地政学」と来たら新聞も読まない馬鹿向けコンテンツとして有名だ。

なんでそうなるかというと、元々日本での地政学アゲの元祖90年代福田和也で、反米知的スノビズムなのよ。

一方で80年代末に急な円高による海外旅行ブーム対米貿易摩擦があった。これに刺激されて「国際的」というのがバズワード化して、多くの大学に「国際学科」なんかが雨後の筍のように出来たのだが、元が必要に迫られた国際化なのでこれ以後特にビジネス教養として国際関係重要視されるようになった。

 

この「国際政治と国際経済を中核とした常識化した教養」が無い人にとって「地政学」とやらはもの凄く魅惑的で、それらの踏まえなきゃならん常識無視して、他国本質も見えるし物事が明瞭に見える。

なんでそんなに明瞭に見えるかって言えば、白紙からだ。白紙に線引きゃ明瞭だし自由に引ける、A国の隣にB国がある、とか中国概要進出ブロックする形で日本列島がある、とかそういう目で見て直ぐに判るような事ばかりで構成される。

本質が見える」「よくわかる」というのは、単純にその対象の事を全く知らないという事はしばしばである

 

でも普通の人にはそうは出来ない。各国の産業構成グラフとか、輸出入品目の図、国の成長度合いと関税品税率、航路貿易協定の線とか、世界地図上はごちゃごちゃしてる。そこでカッコ付き「地政学」で使われてる地図図示されても「今は帝国主義じゃねーし」で終わりだ。「中国海外進出の蓋になってる日本列島」の図を見ても「いや、中国海洋条約に対して大陸棚方式を主張してるし」とか「11段線の元は民国9段線とかなんとかでそれを一国主義に基づいて反射的に主張したのが最初から…」とか余計な事を考えてしまう。

それらの知識消しゴム掛けなきゃ「地政学」の線を引けないんだが、正直、元の記述より重要なの?この線は?って感じでリーチしないんでありますな。

地政学」が小馬鹿にされてるのはこういう事だ。

 

そもそも現在現役の地政学講座なんかがあるのは多分英国の幾つかの大学くらいではないかな?麗澤大学とかハッピーサイエンスユニバーシティにはあるかもしれないが。

そうなると議論で踏まえるべき「正統」も無いって事になるので、余計に白紙に線を引く自由度は上がる

 

さて一方で「地政学リスク」というのはシンクタンク国際政治論なんかの頻出ワードだ。国家間地理的条件が政治的緊張を産み、戦争リスク経済リスク世界的な不安定さに繋がるって意味で、かなりカジュアルに使われる。

こういう地政学リスクを扱う場合ネットとか本屋の一階、特にマンガサブカルコーナー寄りの平積みとかブックオフの200円コーナーとかで情報仕入れようとすると、どうしても俗流地政学」の方を引いちゃう可能性あるわけよ。

そういう時は検索式を工夫したりして、首記の金融シンクタンクが出てくるまで頑張るっていうのが恥をかかない為のハウトゥなわけだ。

 

でもブクマ見ると地政学地政学リスク混同している人は結構いるし、それよりも目立つのウエメセで「よくまとまっている」だ。

あのさ、これってどういう風にまとまっているかって言えば、「ネットゆっくり地政学とかで言ってる事が書いてある」って事でしょう?そういうのと区別する為に金融シンクタンクなどを引くものなんだよ??

因みにシンクタンクだけだとこれもダメだ。というのもネットおかし言論商売してる奴っていうのはみんなシンクタンク名乗ってるのでな。

 

はてなのこういう常識が無いせいで間抜け情報に踊らされてるのに偉そうな態度などは外から見るとかなり目立つし結構滑稽なんだよ。

コロナの初期に社会免疫デマに乗っかってしまい、内容を理解してないのに「SIモデルがー」と挙って言ってたのも超害悪だったし、その後はPCRデマに乗り換えてウジウジ言い訳してたのも超害悪で溺れる者藁をも掴むの典型だった。

コラボ事件では盛り上がったのに暇が全然成果上げないのでいつの間にか女叩きにスライドしていって、数か月間もホッテントリの1/3が扇動的な男女論と女叩き、男性差別論という状態を出来させていた。

で、いつもそんな時にやたらイキってるのが特長で、馬鹿晒してイキってる、というのがはてなイメージになっている。

 

もういい加減努力もせずに知的背伸びしてイキるのは止めるべきだし、ソーシャルブックマークなのだから踏まえるべき基礎的なコンテンツブックマークするようにせんといかんだろ。

ホッテントリなんかSEOが強いサイトばっかじゃねーか。それってソーシャルブックマーク意味あんのか?

anond:20240602151344

ネット言論が異常なだけで普通にそういう人は居るよ。年収のせいにしないと自分結婚できない事実に向き合えない人たちが言い合ってるだけ。

anond:20240601225123

そういえば日本現代死刑執行の係って、ボタンか何か押すお手軽システムなんよね

あの係にリベラル言論人やリベラル社会学者リベラル活動家を任命したい

果たして彼女らは?(※男性可能性もあります

受刑者ネトウヨや性暴力加害男性異常毒身チー牛弱者自民お爺ちゃんの時に安心してボタンを押すのか

憎悪感情を日頃の死刑制度反対の良心凌駕し、刑執行を辞退するのか

2024-06-01

anond:20240601232344

言論という目で見て悪影響があって有害から言われてるんだよなあ

日本の生きづらさ(男女差別格差社会)は統計を歪曲する信仰のせい

もっと具体的に言えば、統計を「平均」のことだと思い込んで、「分散」を考慮に入れて議論することができないから。

 

分散とは

 個々のデータ平均値の差の2乗の平均のこと。分散が大きいとデータバラツキが大きい。

 

分散から何がわかるか

 分散平方根を「標準偏差」という。平均値を50とし、標準偏差10とするようにスケールし直したデータをおなじみ「偏差値」と呼ぶ。

 分布正規分布に近い場合、凡そ68%が偏差値40〜60の間に収まる。また95%が30〜70の間に収まる。

 

分散理解してない言論の例

 

【おまけ】そもそも平均を理解してない例

 

「みんないっしょ」信仰が癌である

 これは単に文系馬鹿というだけではない気がする。

 もともとの日本の「一億総中流」のような、多様性否定する信仰さらに「平均以外に意味はない」というバイアスを強めている可能性がある。

 日本人にはもともと「普通」を定義しその中に収まるという強い欲求があるために、たとえ義務教育統計の基礎を学んでいても、その中から「平均」という普通定義だけを学び、「分散」という多様性定義を学ばない心理的取捨選択があるということだ。

 増田自身、男女の能力差に関して「統計的に考えろ」とここに書いたら、「女は男より(平均で)下だと統計が言ってるんだ」と騒ぐやつばかりで話にならなかったことがある。

 統計的に言えば、「普通」と言うのは、例えば偏差値40〜60のように平均以上以下に幅を持って定義しなければ意味がない。平均の周囲どれだけに何%が収まるのかという分散の発想なしに「普通」は本来定義できない。

 

生活保護基準相対的貧困の連動

 「生活保護基準」と「相対的貧困ライン」は、それぞれ別の定義で、別の目的で作られた概念だが、結局は同じ層だよねってなることが学術的に知られている。

 https://cir.nii.ac.jp/crid/1390853651279758080

 相対的貧困ラインは「可処分所得手取り)」が中央値の半分を下回る水準であり、これは収入格差が大きいほど当然拡大する。

 欧州などは10%程度に抑えられているが、日本のように16%もの相対的貧困層がいる場合、「生活保護の本当に必要な人」は1000万人〜2000万人は見積もる必要があると統計理解していれば必ずわかるのだ。

 

まとめると

MeToo必要だったもの

そもそもMeTooとは何だったのか

社会的に弱い立場にあることが多い女性セクハラ被害等に声を上げても、強い立場にある当事者男性による圧力とか、世間からバッシングとか、いろんなものによって潰されてしまうことが多い、または潰されることを恐れて声を上げづらい。

なので一緒に声を上げましょう、連帯して支え合いましょうという運動だったと俺は思っている。

 

から声を上げた女性に対しては、真偽の究明よりも先に、まず連帯支援を表明して支え合いましょうとなる。

決して褒められたものではないが、じっくり見定めてたら女性が潰されてしまいかねないという現実を前にした面もあり、一概にダメとは言いにくい。

実際に声を上げたもの支援が足りなかった女性がどうなるかといえば、園子温の一件でグロテスクなほどわかりやすく示されている。

 

欠けていたのは、自らの言論や行動に対する責任感。

もし訴えが虚偽だった場合被害男性に対しても被害女性に対するものと同じくらいの熱量や物量をもって、名誉や損害の回復に尽力するという姿勢

連帯を示した当事者として、批判をおこなった当事者として、賛同し声を上げた当事者として、それらに責任を持つという当たり前の覚悟

これがまるで欠如していたことが草津の一件でこの上なく明確に示されてしまった。

そんなもん賛同を得られるわけがない。

anond:20240601141120

そもそも削除の申し立てする必要なんてある?

ブックマークコメントという形で全世界意見を発信しておきながら、反論されたら削除申請という形で反対意見黙殺するなんてダサすぎねえ?

誹謗中傷された訳でもないのに。

「うえええ~ん。ドラえも~ん。ジャイアン正論で殴られてくやし~よ~。なんとかしてよ~」

ってドラエもんに泣きつくのび太も同然じゃん。

ドラエもんの世界ならのび太小学生から保護者同然のロボットに泣きつくのも仕方がないけどね。

でも、いい年した大人が、

しょうがないなぁ、のび太君は。アカウントBAN~」

などと言論封殺によってアイデンティティを守ってもらうことを良しとするなんて、みっともないったらありゃしねえ。

だったら最初からはてブやるんじゃねえよって俺なら思うね。

まあ、俺の投稿が削除されるなり垢BANくらうなりしたら俺の勝ちってことだな。

ドラマセクシー田中さん」の件について言及している人たちを見ながら

SHIROBAKO面白いって言っていた人をたまに見つけて、最終話付近での言論が一貫しているかを見る作業をしている

新卒二ヶ月目を終えるうつ病新社会人

数年通院と投薬治療を続けてる 朝晩、頓服睡眠導入剤

うつは昔のことがおそらくの要因であって会社は全く関係ない

しろ良くしてもらっていると思う

出回ってる言論に「うつならバイトなんてできない」とか何とかあるけど本当に人によるんだなと思う

働けてしまうから働く、たぶん本当に分別がつかなくなるとかぶっ倒れて動けなくなるまではこうしているんだろうと思っている

四月から朝なんとか出社して昼間普通に働いて夜に電池が切れてを繰り返し

日にもよるけど帰ってから動けないことも多い 調子悪いと入眠できても夜中に目が覚めるし悪夢とか幻覚を見る でもなんとか生活している

でも逆に制御効かなくなって何も出来ない瞬間自分うつってことを実感して絶望してるのにほっとしたりする

ただの怠慢じゃないって思えるから

そんなんでとうとう社会人になってしまったけど、この状態はいつまで続けられるんだろうか

死んだら迷惑がかかりすぎるから頭がまともに働くうちは死ぬ予定ないけど、ふっと終わる瞬間がいつか来そうで怖い

今年から他県で社宅一人暮らしから自滅したら自滅のまま

何年も綱渡りをして生きている はやくこの綱を降りたい

2024-05-31

anond:20240531160620

デマゴーグバカを見つけたのでボコボコ叩いてあげてるだけで議論ではないですよ

ゴキブリと一緒でこういうのは見つけたらすぐに叩かないといけないんですね

良い言葉は何度も繰り返し言わなければ簡単に悪い言葉駆逐されるし、悪い言論放置すればバカが信じるから放置してはいけない

という旨のことは民主主義の中で繰り返し語られてる言葉です

バカジャップバカなので綺麗事だとか偽善とか言い出しますが、日本には善の考え方がほとんど定着してないのに偽善偽善言ってるのバカすぎて面白いですよね

出版業界パンティズム

出版業界パンティズムに染まりすぎて正直気持ち悪い。

言いたい意見が言えない空気になっていて言論不自由になってしまっている。

パンティズムの本はどんどん発売されるが、パンティズム批判の本はまったく発売されない。

いつからこんなことになってしまったのか。

パンティ増田は今こそパンティズム批判の本を出し責任を取ってもらいたい。

出版業界フェミニズム

出版業界フェミニズムに染まりすぎて正直気持ち悪い。

言いたい意見が言えない空気になっていて言論不自由になってしまっている。

フェミニズムの本はどんどん発売されるが、フェミニズム批判の本はまったく発売されない。

いつからこんなことになってしまったのか。

内田樹は今こそフェミニズム批判の本を出し責任を取ってもらいたい。

2024-05-29

anond:20240529181234

ちなみに政党言論活動だとよいので、その文脈政治資金パーティー言論活動だという事で許可されている流れがある。

しかしたら超豪華装丁大先生語録の販売かになるかもしれない。赤旗合法ならこいつも合法でしょ?みたいに。

2024-05-28

anond:20240528070509

「俺を虐げるな」=「無条件で俺を世話して性処理をする女をあてがえ」

そもそも、誰かがそう主張すること自体自由です。その主張を議論俎上に載せて対話するのが民主主義です。もちろん、こんな主張を議論に乗せれば、それが通らないことは自明です(1人の人権保障するために1人の人権犠牲にするのでは社会にとって問題は何も解決しないからです。一般的に言って、無辜な何者かの生活犠牲にすることによる解決は、少数意見尊重する真っ当な民主主義においては認められる主張ではありません)が、それはそれとしてその「主張をすること」は自由であり権利です。逆に、その意見封殺することは非民主的な行いです。

従って、

そんな主張なんか知ったこっちゃねえよとしかならんのだよな

という態度は望ましくありません。意見荒唐無稽だとしても、両者の意見のすりあわせと妥協点を探る(女性奴隷にせずに、「俺」さんが「虐げられていない」と考える道は本当に無いのか?など)態度が民主主義です。このように、民主主義標榜するなら「俺を虐げるな」などと言う人と対話しようとする姿勢必要です。もちろん、相手がマサカリ武装しているなら、対抗言論上多少きつい言葉を使うことも許容されるべきでしょう。しかし、少なくとも人権民主主義尊重する近代人のふりがしたいなら、対話すべき相手人間以前の生き物のようにレッテル貼りして言論封殺しようとするべきではありません。そういう( 「弱者男性に対する )マッチョな振る舞いが一部界隈では人気を博すのかもしれませんが、それは人権に名を借りたただの差別主義です。

差別主義とは何か。それは、社会に、本来存在しない見えない線を区切ることです。そのような見えない分断は多くの人にとってはただ不都合しかありませんし、特に、その区切りによって不利益を被る側には耐えがたいマイナスですが、その分断を強く主張し主導する人々にとってはそれが権力の源泉となります。たとえばエセマナー講師は、わかりやすいその一例です。奇妙なマナー提唱して、社会を「"マナー"を知ってその通りに振る舞う人/"マナー"知らずで無礼な人」に区分けする、多くの人にとってはただ面倒が増えるだけですが、マナー講師にとってはその「社会全体の不利益」がそのまま「飯の種」になります。「流行ファッション」などというのも、多くの場合これです。しかし、流行ファッションを飯の種にする人は多くいて、そうなるともうこの「流行」なるもの実態のように振る舞い始め、被搾取者だけでなく受益者まで巻き込んで様々な悲喜劇引き起こします。「文化伝統」「宗教信仰」もその類いであることは言うまでもありません(本来信仰の守り手として受益者であるはずの行為宗教家が、狂信者となることでどんな悲喜劇を引き起こすことか)。

ここで、しっかりと区別しておきたいことは、私はこのように振る舞うのが「好きだ」、私はこのような服装が「好きだ」、私はこのような文化が「好きだ」、私は神様を「信じている」……それは差別主義ではありません。しかし、人はこのように振る舞う「べきだ」、このような服装をする「べきだ」、このような文化を守る「べきだ」、誰もが私の神を信じる「べきだ」……となると、それはもう差別主義に足を踏み入れています。なぜならそれらは、そうする人としない人を区分けする考え方であり、しばしばまさに「区分けするため」になされる主張だからです。敵と味方にわけて闘うための思考差別主義です。差別主義は戦いからこそ利益を得るのです。

同じく、私は人権を「大事だと思う」、人権は「大切だと思う」、はただの選好ですが、誰もが人権を「尊重するべきだ」、人権を守る「べきだ」、人権を信じる「べきだ」、人権に則って振る舞う「べきだ」……は、ここで言う差別主義に当たることになります一見人権を大切にする結構な主張に似て見えますが、それらは社会に分断をもたらすことで結局は全体に不利益を与え、見えない壁を作り、そしてそう主張する者だけがそこから部分的利益権力を得る、そんな行いだからです。人権民主主義も、この社会構成員全てを等しく扱う考え方であり、「敵/味方」という思考から最も遠いはずのものですから、「彼らは民主主義の敵だ」とか「我々は人権派だ(あいつらはそうではない)」といった主張は、本来存在するはずがないのです。

私たち一人一人は、弱く愚かです。間違いも犯す。だからこそ、いろいろと問題のある中で民主主義が選ばれ、尊重されているのです。たとえ自分民主的人権尊重する人間であると自負していたとしても、私たち不断に自らが本当にその名にふさわしい振る舞いをしているか再確認する必要があるでしょう。人権民主主義はありがたく飾っておけばすむ錦の御旗などではなく、常に実用最前線にあり、限りない問いかけと異議申し立ての中で磨きぬかれてきた存在なのです。

anond:20240528154256

アンフェ言論人や有象無象のアンフェバカ言論デタラメ素人論をバカにしてるのは周辺学問を齧ってたら当然だろう

勝ち負けなんか関係ないぞ

お前らはレスバの勝ち負けだけが唯一の動機感情なんだろうが

anond:20240528134914

転スラ愛好家のお前は、

ひろゆきと反ワクチン水素水ネット右翼言論人とアムウェイにハマってるの?

どれにハマってるんだ?

anond:20240528134343

書いてないことを妄想してるだけなのわかるか?

見てるモノである程度想定できるだろ



ひろゆきにハマる奴、転スラにハマる奴、反ワクチンにハマる奴、水素水にハマる奴、ネット右翼言論人にハマる奴、アムウェイにハマる奴

経済学者アムウェイにハマらないし、医師水素水にハマらないし、政治学者ネトウヨにハマらない

特定認識知識感覚をあるレベル以上に欠いている人間であることを指しているにすぎない

anond:20240528134343

書いてないことを妄想してるだけなのわかるか?

見てるモノである程度想定できるだろ


ひろゆきにハマる奴、転スラにハマる奴、反ワクチンにハマる奴、水素水にハマる奴、ネット右翼言論人にハマる奴、アムウェイにハマる奴

経済学者アムウェイにハマらないし、医師水素水にハマらないし、政治学者ネトウヨにハマらない

特定認識知識感覚を欠いている人間であることを指しているにすぎない

2024-05-27

anond:20240527034702

女性選挙権を奪うためにドイツ法学書を捏造し、利権天皇制維持のために国民戦争原爆水銀その他の犠牲にし、メディアを使って大衆の支持を装っているインテリヤクザは、女性弱者男性言論収入制限しようと躍起になっているようである

女性賃金上昇のためにストライキをする労働組合など存在しないくせに、人件費に一切関係ないフェミやら環境改善レベルで、さも争っているかのように見せる米国植民地姑息

勝てないと分かっていながらアメリカ戦争突っ込み原爆投下で日本国滅亡の危機に陥っ

支配者層や女性全体に絶望を与えたり分断しようという言論がしばしばあるが、被支配者層の言論はい解放されるのか。統一教会の話さえ水面下に沈められ、公になればイスラエル戦争話題さらう、メディアユニタリアン歴史も、大成建設(大倉財閥)を作ったのは政府であることも報じない、きな臭さ。

今に始まったことじゃない。女性エネルギー源だったのは置き屋と製糸工場ぐらいだったろうに、平塚らいてうは「ゲンシ、女性太陽であった」などと言った上、不倫騒動で失墜してみせ、日本人女性は低レベル実例になったし、政府は地所を抑えている大成建設となかよくして、爆発でふきとぶ建屋も建てられた

2024-05-26

anond:20240526082042

そんなネット言論を寄せ集めたのがAIから期待する方が間違ってる

米山「党としてはパーティ禁止法案は出しますが、自民以外の政党パーティ問題とは思いません」

立憲支持者「党内でもいろいろな意見があって、それを競い合わせてよりより政策を取れるのは立憲だけ!」

枝野「消費前減税は悪影響が予想される為、絶対反対です」

立憲支持者「枝野は立憲内自民議員裏切り者!今すぐ辞めろ売国奴!」

 

この間、わずかに1日である

  

こんなんだから立憲は支持できないんだよな。

自民攻撃する為にダブスタを導入するのは立憲に限らず野党伝統芸だからもう許容するとして、

自党内に対してすらダブスタで都合のいいように敵味方設定して内ゲバしてたら、得するのは自民だろ。

執行絶対体制を取って、異論者には言論リンチも辞さないことで、党としては首尾一貫した姿勢を取れる共産や、

山本太郎以外が空気なおかげで、実質山本太郎が唯一絶対正義の礼賛体制であるれいわの方がまだマシに見える。

はー、本当クソクソ。脱糞スカトロファックですわー。

2024-05-25

一部の女性言論で苦手なところは、

女性同士で勝手ルッキズムによる順位付けを、

女性同士でジャッジすることによって、

女性社会での階層を自ら構築しているのにも関わらず、

そのルッキズム至上主義男性価値観によるものであると断言してくることだ。

自分たち勝手にやっていることを、関係がない勢力に求めるのはお門違いも甚だしい。

こういう他責思考は結果として男女間差別をより助長することに気付けないのは愚かとしか言えない。

anond:20240525073856

自民所属の現役大臣ならそれ位言論界隈は敵だらけと自覚して欲しいものですね…

それを自覚した上で、それでも積極的言論で戦えてはじめて大臣としての職責を全うできるのであって、

揚げ足とられて半泣きで謝罪撤回するような無能はいらんのです…

2024-05-24

これね、共同通信だけの問題じゃないけど、そういうことだよね。ミスインフォメーションキャンペーン

[B! 上川陽子] 【内部文書入手】上川陽子「うまずして」切り取り報道の共同通信「全くひるむ必要は無い」差し替え経緯も判明

共同だけの問題じゃないというのは、共同通信に乗せられたとしても、各社一斉に

出産を願ってもできない人への配慮に欠けるとの指摘」で揃ったこと。いかにも日本的な乗せられ方だ。

これは欧米ミスインフォメーションキャンペーンと呼ばれるもので、誤報による世論誘導だ。

ミスインフォメーションキャンペーンとは、世論有権者の行動に影響を与える目的で、意図的に虚偽の情報や誤解を招くような情報を流すことを指す。こうしたキャンペーンは、民主的プロセスに対する信頼を損ない、地域社会を分極化させる可能性がある。誤情報は、ソーシャルメディアマスメディア口コミなど、さまざまなチャネルを通じて拡散される。フェイクニュース作成したり共有したり、事実操作したり、問題を誇張したりして、有権者の間に疑念や混乱を生じさせるような戦術がとられる。

その目的は、選挙結果を左右したり、政敵の信用を失墜させたりすることだが、ひいては選挙制度に対する国民の信頼を低下を招くため、このようなキャンペーンは、選挙結果に対する有権者の信頼や民主主義全体の健全性に影響を及ぼす可能性がある。

これがいかヤバいことかのメディア自身自覚のなさが、世界報道自由度ランキング70位という結果にも反映しているんだよ。

今回の場合、完全に誤報を流したというより、もともと解釈に幅がある、どちらにとられてもおかしくない表現だったことが特徴だ。

それは、女性たるもの出産すべし、と解釈できる、そういう解釈しか思いつかない人が一定数いる、というのは、この記事がでてもなお、上川発言に非があるとするブコメが少なくないことでわかる。

上川氏が女性役割に対して固定観念を持っている、という指摘はありうると思う。ただ、最初からそういう指摘をする報道だったら、ここまで炎上しなかったのではないか

しかし、これが炎上したのは、実際の各社の報道が「出産を願ってもできない人への配慮に欠けるとの指摘」だったからだと私はみる。

ジェンダーロールの偏見の指摘と弱者への配慮欠如の指摘は必ずしも同一のこととはいえない。

今回のメディア場合不妊で悩む女性を主に念頭に置いたのかしらないが、そういう方々が可哀そうだと、感情的正義に訴えたわけだ。

上川氏の潜在的差別意識を指摘するのとちがって、この訴え方は、「出産を願ってもできない人」というデカ主語を据えるものだ。


出産困難者というのは、もやっとしたイメージだ。人それぞれ「出産を願ってもできない人」のイメージが違う。

子育て環境制度的な脆弱さを思い浮かべるひともいるだろうし、家族親族からプレッシャーとして理解するひともいるだろう。

女性出産役割自己実現価値見出している人もそうでない人も含めて、かなり多くの人が感情的共感の網にかかってしまう。

まり上川叩きの味方を増やす効果があって、上川からすれば、保守から批判されうるし、フェミから批判されうるという状況に置かれてしまたことになる。

今回の誤報キャンペーンでは、感情的共感をより広く、網を張り、特定ターゲット層に的を絞らない戦略が功を奏し、同町圧力の強い傾向のある日本で、あとに続くメディアを一斉に吊り上げ、ばっちりと効いてしまったというわけだ。

その意味で、上川氏がすぐに発言撤回したのは賢明だった。

出産を願ってもできない人」への配慮、という形で大衆感情を煽ったのが今回のミスインフォメーションキャンペーンだったといえるだろう。

問題は、これが選挙に影響を与えかねない、ということを報道機関が自覚しているかどうか。

それに対して「全くひるむ必要は無い」というのが、共同通信スタンスなのね。確信犯であることがよくわかった。


とはいえ共同通信だけでなく各社報道機関は、「出産を願ってもできない人」への配慮を犬笛として使いたかったのかもしれないが、その副作用についてはやっぱり少しは考えてもらいたい。

出産を願ってもできない人」への配慮を訴えたつもりでいても、出産を願ってもできない人々を一つのカテゴリーとして固定化することで、そのグループが常に特別配慮必要とする、社会的に弱い立場にあることが強調され、固定観念が強化されることもありうる。

これって女性の弱さ傷つきやすさについての別の意味偏見が強化されるってことでもある。

社会的に弱い立場であるとの認識が広まれば広まるほど、社会的に敏感なトピックになり(タブー化)、それついて話す際に、他者感情意見を過剰に気にすることになる。これにより、人々は自分発言自己検閲し、無意識のうちに自らの意見抑制するようになる。

兵隊さんご苦労さん」みたいな、何気ない表現大衆戦争に巻き込むプロパガンダとして一番効果があるのと似た話で、こんな配慮や遠慮、忖度の積み重ねで、誰かが傷つくのを恐れて何もいえない社会にどんどんなってしまう。

これに対して、いやいやむしろ偏見解消は積極的キャンペーンをやるべきだ、女性に対する偏見が解消されて、社会全体としてハラスメントが減るならそれは結構な話じゃないか、といわれるかもしれない。


しかし、実際のところ、偏見というのは、配慮すればなくなるというものでもない。

強さや傷つきやすさの男女差というのは、いってみれば偏見なんだけど、悟りを開けば自分偏見を解消できるわけでもないし、

言論警察よろしく配慮に欠ける発言バッシングすれば解消できるわけでもない(公言しないようにすることは可能だとしても)。




近代黎明期に、イギリスから隣国で起きているフランス革命で、反革命派が断罪されている様をみたエンモンドバークは、

なんでも理性的判断できる、偏見を解消できると考えちゃう傾向はヤバいと考えた。

偏見なんてなくならないんだから偏見をなくそうという発想をやめて、偏見を生かそうという考えを進めた。

それが保守の出発点なんだけど、世の中が保守一辺倒というのもそれはそれでどうしようもない社会だ。伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとだっている。

さすがに、公平性については、制度が、最低ラインとして補助線というか設計図を引かないと、いつまでも伝統的な価値とか懐古的になっててもしょうがないだろう。

ということでまあ、ジェンダー問題は、極力、制度としての公平性、機会としての公平性という観点限定して話をするように注意しておくのがいいってことかな。

もちろん、制度機会平等理性的に討議したとしても偏見がなくなるわけじゃない。

偏見はなくならないけど、制度の普及・概念進歩に伴い、ひとの意識は変わっていくだろうと期待する。それだけでよく、それ以上のことはあえてしないほうがいい。

ひとはすべて進歩した価値観にもとづいて幸福を追求しなければならない、みたいなのは押しつけがましい左翼傲慢からだ。

伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとがいる」一方で、伝統的な価値観で自己実現をしたいひとだっているんだよ。

進歩的な価値観に基づいて偏見を解消しようすると、社会のどこかで肩身の狭い思いをする人が出てくる。

「世の中はいつも変わっていくから頑固者だけが悲しい思いをする」(中島みゆき、世情)というわけだ。

から言わせると、そういう進歩史観を押し付けようとするところがもっとサヨクのムカつくところなんだよ。

かつて反戦フォークの全盛期、学生運動が最高潮を迎えていた時期、中川五郎の「主婦ブルース」のなかにこんな歌詞がある。

機動隊学生の衝突が テレビニュースで映される

息子は今夜も帰らない 私は心配で眠れない

息子は私に議論を吹っかけて 沈黙共犯だと責め立てる

だけど私は家庭が一番 真面目に生きるのには疲れた

おお 人生は悩みよ ちっとも楽しくない 恋なんてしない間にふけちゃった

わびしい夢に はかない楽しみ 思い通りには何もならない

安保世代では親ですら論破すべき守旧派だった。しかし、学生運動は結局、どの社会階層とも連帯できずにスピンアウトしてゆく。1968年に作られたこの歌はそれを暗示しているかのようだ。一方、中島みゆきの「世情(1978)」は、この10年後の70年代世界がうたわれたものひとつ前の安保世代情熱新左翼へと変遷、空回りしてゆくさまを見せつけられたシラケ世代からみると、左翼残党はあたか守旧派とさして変わらない頑固さでイデオロギー打破を訴えている、という皮肉な構図になる。


今回の場合でも、産みたくても産めない人が可哀そうだなどと感情的正義で持論を補強すると、そうした表現タブー視が蔓延し、出産自己実現見出している人まで遠慮しなければならない、という空気をつくるかもしれないし、他方で、女性の傷つきやすさを過度に強調することで、女性が弱い存在であるという潜在的差別意識助長されるおそれだってある、みたいな妙な副作用が現れる。


かつて、なだいなだが、ケシカラニズムといって、理性的正義感情的正義区別し、自分のことでもないくせに感情的共感によって主語がでかくなるのが感情的正義の特徴だとした。そのことで人々がプロパガンダに流されやすくなる、という趣旨のことをどこかで書いていたのをひさしぶりに思い出した。

たまにはケシカラニズムに陥っていないか自己点検でもするか。フェミニストさんも自分偏見を認めたほうがいい思うんだよね。

制度的に不幸になっている者は救済する、しかし、偏見ある社会のなかで生きている者の幸せ自己実現否定しない、という具合のバランスがちょうどいい。

男性社会にあって嫁として母として子供を育ててきた誇りある人生否定するのがフェミではないと思うし。

そういう意味じゃ、左翼保守主義のマインドも頭の片隅に入れておく必要があるし、保守派も制度的な公正について左翼の主張に耳を傾ける必要がある、といったところか。

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