はてなキーワード: 自身とは
うっすらバカにされてるから敵って何なんだよ。誰からもうっすらバカにされるんなら自分の方に何かあるんだろ。それを自分で解決してやりもせずに放置するのは自分で敵を増やしてる。自分への裏切りだ
本当の敵はお前自身になってるんだよ。せめて嘲笑される状態から無関心に留められる程度までは自分の世話をしてやれよ。顔がダメでも男は声と身体と手と金で勝負できる。顔がダメすぎるなら整形もある。そこまで肉体改造しなくても、定期的にシャツを買い替えるだけでもいいし、とにかく自分をないがしろにしすぎるなって
暇空のやってる事(住民訴訟)ってざっくりまとめると
何故か従来のリベラル界隈には受け容れがたい発想なのが本当に不思議でしょうがないんだよね。
「ある日、ある一般市民がちょっとしたきっかけである団体の公金不正疑惑に気がつく」
「疑惑を追求しようとした所、団体だけでなく繋がりの深い政治家や政治団体、マスコミ等のバッシングに晒される」
「それに反発した市井の人間が立ち上がった者にエールと支援を送り、巨大な疑獄に立ち向かう」
仮に一般市民が平凡な主婦のH子さんだったら、かのアカデミー賞映画『新聞記者』の続編のプロットになりそうだよね。
望月ライクの主人公が平凡な主婦H子さんに寄り添って共に戦う役回りでさ。
リベラル界隈が異常に反発するのって、その役割をよりにもよって「中年のオタク男性」という
彼女ら・彼らが最も忌み嫌い差別する属性の人間に取って代わられた嫉妬もありそうなんだよね。
とは言え嫉妬は抜きにしてもやってる事はリベラリズムそのものであるにも関わらず
左翼やリベラルサイドの人間は何故か権力者側である被糾弾側に肩入れし、暇空や彼を支持する人間を異様なまでに悪魔化して
一丸となってバッシング・誹謗中傷の限りを尽くしているというのは本当に不思議なんだよね。
えっ?あなた達、弱者や一般市民の味方を標榜したり自認してるし「公金の不正利用・会計疑惑」とか叩く側だよね?
何で政治家や政党のバックを盾にやりたい放題やってる権力者側の肩を全力で持ちまくるの?って。
党派性とか抜きにしてリベラリズムを支持しなきゃいけないんじゃないの?自称リベラルの紛い物じゃないんならさ。
裁判一年やっても未だに領収書すらまともに出せないなんて、一般的に考えれば
or
・領収書を物理的に出せない(まともな会計処理をやっていない、不正の温床)
だったかの二択なんだけど、未だに「女性差別!女性に攻撃するな!」で押し通そうとしてるのも
そんなのを支持しているってのもある意味凄いよ。一般市民の感覚と完全にかけ離れてる。
一体リベラルはどこの上級国民様なんでしょうね?それで「一般市民の代弁者」を自認しちゃあかんでしょ…
仮に杉田水脈や三浦瑠麗が自身の言動や活動、息のかかった団体の公金不正利用疑惑に対し
「批判するのは女性差別!女性達を攻撃するのを止めろ!」って言ったら、一体どうするんだろうね?
絶対に無視するか「言い訳するな!」って更に燃やす人の方が大半でしょ?リベラル界隈は。
杉田水脈や三浦瑠麗が「(私を攻撃するのは)女性差別!」と言った時、
石を絶対に投げないと誓える者だけが、暇空を批判する権利があると個人的には思うよ。
まあ俺は石を投げる側だし暇空も同時に批判するけどね。それがリベラルでありリベラリズムだから。
たまたま自民党系の息がかかった団体じゃなかった、というだけで、リベラリズムを自ら否定して
権力者側についちゃうのは、ハッキリ言ってリベラルじゃないと思うよ。マジでね。
暇空のやってる事に批判があるのも分かるんだよ。
彼は確実に敵を作りまくる側の人間だし過激な発言も多い。批判されるのはよく分かる。
で攻撃する人間が未だに少なくないのはさすがに酷いって思うけどさ。
問題が始まって一年以上も経つのに未だに暇空への解像度が低いってのもどうかと思うよ。
神原先生らがやっている「暇空は温泉むすめを批判した事の恨みで女性支援団体を攻撃してる!」って主張。
俺はてっきり、悪性立証という裁判戦術の一つでやっていると勝手に考えてたよ。
やましい事が無いのなら悪性立証なんて事をせずに堂々と戦えとは内心思ってたけどさ。
でも最近、ひょっとして本気で「オタクの中年が温泉むすめという萌え作品を批判した恨みで攻撃している!」
と考えているのでは?と思うようになってきたよ。
だとしたら未だに解像度も低いし攻撃も頓珍漢で、ギャラリーである我々から疑問符が浮かびまくる様な
戦術で攻撃しているのも納得するよ。いくら何でもレベルが低すぎるーよ。一年以上も何をやってきたのさって。
いくら何でも戦い方も向き合い方も下手っぴ過ぎる。
そりゃ暇空なんかを支持する人間が未だにいるってのも分かるよ。カンパも一億円突破するわなって。
「カンパで儲けてる!」に代表されるデマ連呼(ナザレンコさんに共同通信のデスクがやっていた様なヤツね)
ちょっと党派性が強いメディアによるメディアスクラムから増田への怪文章投下とかいう草の根ネット活動までやっててさ、
これがどう中立層の第三者にどう判断されるのか、マジで分かっていないか、これで影響される様なコア層にターゲット絞ってる確信犯かのどちらか。
もう「こんなのを支持する方がちょっとヤバいかも…」ってなって、元々の支持者側(自分含め)からもドン引きされてるのが現状だよ。
一時期の仁藤さんと一緒でさ、過激な言動で先鋭化してくとマイルドな層って普通に脱落していくのよ。
ただでさえ高齢化で層が薄くなりつつある支持層を更に先鋭化で削っていくやり方に固執するのか、俺には全く分からないよ。
暇空ってさ、あくまでも合法の範囲、正当な手法(裁判)というやり方で決着をつけようとするタイプじゃん?
良くも悪くもルールを厳守しルールの範囲内で暴れまくるタイプに思えるんだよね。
またそれは彼が自認・自称するアスペルガー症候群(発達障害)の特徴でもある。
生きづらい発達障害の人間を集団で攻撃するのって凄い差別的なヘイトだと思うんだけど、ヘイトが嫌いな人達は当然反対だよね?
サッカーで例えるなら、暇空はラフプレー上等でルールのギリギリを突きまくるしカード上等のプレイもするけど
あくまでもサッカーというゲームの中で戦うタイプのプレイヤーなんだよ。
しかし一方で相対する側は、サッカーのフィールドで釘バットとか青龍刀を振りかざしながら
「ピッチャービビってる~ヘイヘイヘイwww」と煽りまくってる輩というね。
で、観客であるお左翼やリベラルの人達がフィールドに向かってゴミや汚物を投げ込んだり
「ヒトラーの子孫は死んで下さい」という垂れ幕を堂々と掲げている様な状況だったりするじゃん?
今日日フーリガンですらそんなマナー悪い事しねーでしょって思うんだけど、清廉潔白とか社会的正しさを標榜している人達が
何故かそういう蛮行をしているか、堂々と支持しているってのが本当に不思議でしょうがない。
君たちのリベラリズムは「自己矛盾」という言葉を捨ててしまったのだろうか?
例えばColaboのバックは共産党系の勢力で、フローレンスのバックは公明党系の勢力だったりする。
本来彼らは対立する勢力なんだけど、対暇空に関しては一致団結しマスコミや政治家の力も使って
ありとあらゆる盤外戦術を取りながら暇空という存在自体を潰そうと協力している様にも見える。
これじゃ暇空のいう「ナニカ」とかいうダサい概念を否定出来ないよね。これが本っ当に気持ち悪い。
いい加減リベラルはリベラルをやってくれよって思うよ。これじゃリベラルを自認してた自分が馬鹿みたいじゃん。
素直に公金を雑な会計でやってる団体は公金事業に関わって欲しく無いし、無駄遣いしてるのなら返金しろって思うよ。
男女平等の観点で言えば、女性支援の異常な厚遇や一切の批判も許されないってのもどうかと思うよ。
ホームレスへの炊き出しとか手伝った事ある?95%ぐらい小汚いオッサンかジジイだよ?
生活困窮者という意味では彼らも助けなきゃおかしいでしょ、ってさすがに思うよ。
批判されにくい女性支援を盾に政治家の権力も使って好き勝手に公金使ってるのなんて、ハッキリ言って市民社会の敵だよ。
何でその対象と一緒になって、批判側を躍起になって攻撃しているのか…
Colaboから端を発した騒動は、左翼とかリベラルと呼ばれていた人達の壮大な自縄自縛の自爆に思えてならないよ。
もう暇空と一緒に左翼の星になって爆散して欲しいとすら思うよ。
いいじゃん超新星爆発みたいでさ。素敵じゃない?
政治家なんてのは権力を手に入れるために必死こいて選挙を戦ってるわけで、一度その椅子に座ったら手放したくないのが本音だ。金や権力を手に入れるためには手段を選ばない奴らが大勢いるってこと。
まず、政治家ってのは特権階級なんだよ。一般市民とは違って、法律の抜け道を知ってるし、影響力も持ってる。そりゃ、甘い汁を吸いたくなるのも無理はない。汚職なんてのはその延長線上にある。金が欲しい、権力が欲しい、地位を守りたい。そんな欲望が渦巻いてるんだよ。汚職なんてのはその結果だ。
「でも、政治家には誠実な人もいるじゃないか」って言う奴もいるだろうけど、それは幻想だ。政治の世界は汚れたもんなんだよ。誠実な政治家がいたとしても、そんなのは少数派だ。結局、大多数は自分の利益を優先する。それに、誠実な政治家が汚職をしないでいられる保証なんてどこにもない。
汚職が発覚したら、「そんなの一部の政治家だけだ」とか「個人的な問題だ」って言う奴らもいるけど、それもおかしな話だ。汚職はシステムの問題なんだよ。政治の世界全体が腐ってるから、そんなことが起こる。個々の政治家がどうこうじゃなくて、システム自体が腐敗を助長してる。
「じゃあ、どうすれば汚職をなくせるんだ?」って反論もあるだろうけど、それも難しい話。監視を強化する、法律を厳しくする、ってのは一つの手だけど、根本的な解決にはならない。政治家自身が変わらなきゃ意味がないんだよ。でも、人間の欲望ってのはそんな簡単に消せるもんじゃない。だから、汚職はなくならない。
結局のところ、政治家が汚職をするのは人間の本性だからだ。権力を手に入れたら、それを守りたいと思うのは当然のこと。金や地位が絡むと、人は簡単に堕ちる。汚職がなくならないのは、そのせいだ。政治家が汚職をするのは、権力と欲望が絡み合うからだってことを理解しろ。現実はそんなもんだ。
だから、政治家にクリーンさを求めるのは無理。システム自体が変わらなきゃ、汚職はなくならない。それが現実だ。まぁ、悲しいけどこれが真実なんだよ。
芦原先生は、自身の作品がドラマ化される際に発生した問題について、SNS上で声明を発表しました。しかし、その声明が予想外の反応を引き起こし、ドラマの脚本家が中傷されるという事態に発展してしまいました。このような展開は芦原先生の本意ではなく、「攻撃するつもりはなかった」と慌てて投稿したことからも、自分の言葉が誤解され、意図しない方向に事態が進んでしまったことに動揺していたのでしょう。
- 責任感と罪悪感:芦原先生は、自身の声明がきっかけで脚本家が中傷されていることに責任を感じ、罪悪感に苛まれた可能性があります。特に、創作業界では「表現の自由」と「表現による影響」のバランスが常に議論されるテーマであり、先生は表現者としての責任を重く感じたのかもしれません。
- 予想外の事態に対する恐怖:SNSは時に予想外の方向に世論を動かします。芦原先生は、自分の言葉がこれほど大きな反響を呼び、攻撃的な行動に繋がるとは予想していなかったでしょう。この想定外の事態に恐怖を感じ、パニック状態に陥った可能性があります。
- 創作者のプライド:芦原先生は漫画家として、自身の作品に強い思い入れがありました。その作品が自身の意図しない形でドラマ化され、さらにその問題を指摘した声明がさらなる問題を生んでしまったことに、創作者のプライドが深く傷つけられた可能性もあります。
- 孤立感と絶望感:SNS上で騒動が起きたとき、芦原先生はひとりで対応していたのでしょうか。所属する出版社やテレビ局などのサポートがあったのかは不明ですが、騒動の渦中で孤立感を感じていた可能性はあります。さらに、テレビ局側が何らかの対応をする前に先生が亡くなってしまったことから、事態の収束や解決への道筋が見えず、絶望感を深めたとも考えられます。
これらの要因が絡み合い、芦原先生は自殺という選択をしてしまったのかもしれません。創作者の表現は、時に思わぬ影響を及ぼすことがあります。この悲劇をきっかけに、SNS上での発言の重みや創作者の責任などについて、改めて考える必要があるでしょう。
女だと高齢男性が妨害したりセクハラしたり話聞かなかったり罵ってきて地獄
日本のバカ有権者は政策内容をちゃんと聞いて投票する「人間」じゃなくて、笑顔が素敵とか握手してくれたとかの馬鹿げた理由で投票する猿ばかり
選挙やればわかるが
元増田をインターネット不適当罪として半年ROMの刑とする。また、び物理的なガバガバは昔から使われているだろと指摘をしていたブクマカも同様に半年ROMの系とする。
「ガバガバ(計画や見積もりの精度が極めて低いという意味で)」が淫夢を語源としているという元増田の主張について、元増田自身が論拠を示すべき所を放棄しており、バカと言わざるを得ない。
一方、元増田が追記にて指摘するように多くのブクマカが物理的な緩さに対しての「ガバガバ」という表現が昔から存在するという的はずれな指摘をしており、これを論拠に鬼の首を取ったようなコメントをするのもまた知能が足りていないと言わざるを得ない。
よって、元増田および物理的なガバガバは昔から使われているだろと指摘をしていたブクマカの両者についてインターネット不適当罪として半年のROMを言い渡すものとする。
アラサーを迎えて振り返ってみると、リアルはもちろんネットの世界でも友達と呼べる人が皆無な事に気が付く。
仕事の人間関係はあるが、ここには自己を開示できるような関係は無い。
それは自分自身、仕事は自己とビジネスを切り離してきたのもあるし、同僚もそのように考えている人がほとんどなので、押し売りのような事を避けたいからというのもある。
孤独には耐性がある方だとは思っていて、死ぬまで一人でも耐えられるかなとは思っていた。
しかし、それはそれとしてせっかく生きるなら楽しめた方が良いとは思う。
友達がいれば自分の好きなものを共有できるし、自分の知らない世界を見せてくれることもあるだろうし、それはきっと幸せなことなんだろうと思う。
白状すると、わいわいVC繋いでオンラインゲーム楽しんだり、そういうものに憧れがある。それを体験せずに死ぬのもなんだか損な気がしてくる。
こういう問題意識というか、あるいは下心によって、年齢や環境的に既に手遅れかもしれないが友達を作ろうと考えてみる。すると、思考を深めるほどに私には友達の作り方がわからないことが分かる。
結局のところすべての人間関係はギブアンドテイクで成り立つものなんだと思う。
人が友達を作るのは、自分の話したい事柄について1話すと10返ってくるような、そんな知識量があったり、あるいは私もそういうのを期待している通り知らない世界に連れ出してくれるのも嬉しいだろう。
または、ルックスに優れていて関わっているだけで楽しくなったり、趣味に合う創作物があったり……つまり、与えられるものがあるから友人になりたいと思うし、思われるのだろうと。
逆にこれを満たせない人間とは関わりたくないものだろうと。そんなものだと思う。
では自身を顧みるとどうか?私にはいくつか趣味や好きなものがあるが、ミーハー気質で幅は多分あるものの底は浅め。
ただ、それ以上に私の好むコンテンツというのがどれもメジャーではないような、人を選んでしまうようなサブカルばかりなので、多くの人と共有できる話題をほとんど持たない。
何かしら創作を通じて自己表現ができればと苦悩はするものの、将来への不安から金につながる短期的なことばかり、例えば仕事関連の事に時間を割いてしまい、人に見せられるようなものはさらさらできずじまい。
本当は金の事に苦心する生き方なんて反吐が出るほどしたくないのに。人と会話するための話題が不足してしまうのも、こういうのが原因なんだろう。
更に内向的な性格なのでそもそも人と関わること自体が苦手。それはそれとして寂しさは感じるからめんどくさい人間だと思う。
少し愚痴っぽくなってしまったが、こんな人間なので人に提供できるものなんて無いんだろうと思う。
要するに現代においては私よりもよっぽど時間を割くべき価値ある人々で溢れている。SNSを通じてそういう人々とつながることができる。ゲームだって下手くそよりは上手い人としたいだろう。
なんだったら大抵の場合ChatAIとでも話してたほうがずっと楽しいし有意義なんだろうと思う。
実際私自身も仕事の悩みやスキルアップのメンターのお願い、あるいはこういう人生の悩みの相談をChatGPTにしてもらうことが多々ある。きっとAIがなければ人に投げかけたはずの話題を機械で解消してしまう。
だから、人に声をかけるところまで至れない。友達を作るための最初の一歩を踏み出すことが出来ない。
出来ないと分かりきっていることに時間を割くほど私も暇ではないし、恐らくスパム扱いされるようなリプライを他人に投げかけて時間を無駄にさせてしまうことも申し訳なくなる。
とはいえ、結局自分自身の悩みの原因は自分自身のギブアンドテイクではない人間関係を想定できない狭い世界観とそれに裏打ちされた行動によって縛られているからなんだろうとは思う。
では、世界のすべての人は世界一の人だったり優れた人間とのみ繋がっていれば良いではないか、ということになるものの、実際にはそうはならない。
世の中には明らかに問題のあるような人ですら多くの友人に恵まれているというのを多々見るので、このような砂漠のような人間観に対する反証はいくらでも思い浮かぶ。
きっと世界は自分が思ってるほど厳しさに満ちたものではなく、恐らくもう少し優しさを内包しているんじゃないかなと。
今は「友達が欲しい」という、まだ自分の中では深刻でない悩みとして表出しているものの、他人を頼れないから嫌でもお金を優先して生きなきゃいけないと思いこんでいたり、そういう更に切実な問題に繋がっている気がしないでもない。
閑話休題、だからこそ、私にはわからない、ギブアンドテイクではない友達というのはどうしたら作れるのか?きっと存在するはずのその疑問の答えを見つけたい。
そんなものが本当に成立し得るのか全くわからないし、こういう問題はAIにも答えられないだろう。でも、これを解決しない限りは私は他人に対して希望を見いだせないと思う。
色々詰め込みすぎてしまって長くなってしまって申し訳ないです。こんな長文をここまで読んでくださった稀有な方で、さらにもしも友達に恵まれている方、あるいは同様の問題を抱えていたものの解決できた人がいれば、この哀れで孤独な人間に少しの同情心を持っていただき、その心得を少しでも分けていただきたいです。
もっと具体的に言えば、統計を「平均」のことだと思い込んで、「分散」を考慮に入れて議論することができないから。
個々のデータと平均値の差の2乗の平均のこと。分散が大きいとデータのバラツキが大きい。
分散の平方根を「標準偏差」という。平均値を50とし、標準偏差を10とするようにスケールし直したデータをおなじみ「偏差値」と呼ぶ。
分布が正規分布に近い場合、凡そ68%が偏差値40〜60の間に収まる。また95%が30〜70の間に収まる。
もともとの日本の「一億総中流」のような、多様性を否定する信仰がさらに「平均以外に意味はない」というバイアスを強めている可能性がある。
日本人にはもともと「普通」を定義しその中に収まるという強い欲求があるために、たとえ義務教育で統計の基礎を学んでいても、その中から「平均」という普通の定義だけを学び、「分散」という多様性の定義を学ばない心理的取捨選択があるということだ。
増田自身、男女の能力差に関して「統計的に考えろ」とここに書いたら、「女は男より(平均で)下だと統計が言ってるんだ」と騒ぐやつばかりで話にならなかったことがある。
統計的に言えば、「普通」と言うのは、例えば偏差値40〜60のように平均以上以下に幅を持って定義しなければ意味がない。平均の周囲どれだけに何%が収まるのかという分散の発想なしに「普通」は本来定義できない。
「生活保護基準」と「相対的貧困ライン」は、それぞれ別の定義で、別の目的で作られた概念だが、結局は同じ層だよねってなることが学術的に知られている。
https://cir.nii.ac.jp/crid/1390853651279758080
相対的貧困ラインは「可処分所得(手取り)」が中央値の半分を下回る水準であり、これは収入格差が大きいほど当然拡大する。
欧州などは10%程度に抑えられているが、日本のように16%もの相対的貧困層がいる場合、「生活保護の本当に必要な人」は1000万人〜2000万人は見積もる必要があると統計を理解していれば必ずわかるのだ。
一定数いるんだけど
同性愛に対してすごく厳しい人もいる
これも2、3割くらいのイメージ
ただ現代では殊更大きな声で言う人が少ないから年々居ないものとされていってる
これらの存在について気になるのは
彼らは単純に「自分の理解できないものに対して不寛容なだけ」なのでは?という疑問
できれば、その他の特殊性癖についての許容/否定をアンケートしてみたい
変更案→不快な言動をとられたことにより精神的な苦痛を被ったことに対する賠償を求めて、ジャイアン側がのび太に損害賠償請求を行う
検討事案②:スネ夫の自慢話を聞かされたのび太が悔しがってスネ夫に報復を行う
変更案→自身の行動を模倣されアイデンティティを毀損されたことに対する賠償を求めて、スネ夫側がのび太に損害賠償請求を行う
検討事案③:しずかちゃんのお風呂を覗いたのび太がお湯をぶっかけられてトホホな被害者ヅラをする
変更案→自身の裸体を性的搾取されたことに対する賠償を求めて、しずかちゃん側がのび太に損害賠償請求を行う
言ってみれば弱男のチー牛だからこうなるのか。
ひどいね令和。
ある会社のバイトさんから誕生日プレゼントだと言われて、小学生が雑貨屋さんで買ったものの詰め合わせみたいなのをもらった。
キャラ的に受け狙いではないことは明白で、こんなの大人に贈る人いるのか…と衝撃を受けたが気持ちはうれしいのでありがたく頂戴して家(実家)に持ち帰った。
母親にも、会社の友達から誕生日プレゼントをもらったんだよという話をした。
しばらくしてもらったことすら忘れた頃、母親に「あんたがもらった部屋にあったプレゼント、芳香剤があったから車につけたんだけど死ぬほど臭くてよぉ、吐くかと思って引きちぎって道路に捨てたわ。あー臭かった!」と言われた。母親は最近あった面白いかつ自分がかわいそうな目にあった話という感じだった。
私は
・部屋勝手に入るなよ
・なんで私あてのプレゼントの芳香剤を勝手に使おうと思ったんだよ
・私が大切な人からもらって大切に保管してたものかもしれないものを、どうして勝手に使った挙句捨てた話するんだよ
と全てに引いて強い嫌悪感が湧いた。私はとりあえず一番強く感じた3番目のことを母親に伝えた。
母親は自分の非を認めないので、その時も胸糞悪い言い訳をして最後に「オマエが悪いんだろ」と言って締めくくっていた。
今なら分かるが、たぶん母親は私がプレゼントで何をもらったのか知りたくなったのだと思う。
昔から、母親は子どものプライベートを暴くのが好きだなぁと感じていたので、その興味からの行動だったと思う。
そしてプレゼントをもらっている私に嫉妬か、何か気に食わないと無意識に感じたのだと思う。
それで使ってやれ、と持ち出して使い、臭かったことが愉快で気が大きくなり、普段ならしない「ドアからゴミをポイ捨て」行動をしてしまったのだろう。
これを本人に伝えたらきっとショックを受けるに違いない、母親自身の胸がすく思いも味わえるに違いない、と感じて話したんだと思う。
こういう親に育てられた子どもにありがちな話で、私は精神を病んで仕事をやめることになった。
その頃は実家を出て一人暮らししていたが、医者から「実家に帰省してゆっくりしたらどうでしょうか」と提案された。
私は、実家に帰ったら症状が悪化するだろうとすぐに感じた。嘲笑して、ひどい言葉で傷つけてきそうだなと思った。
今思うと、こんなひどい人私の周りに親しかいないわ。
親は自分たちは良い人たちだという認識でいるので、電話で「実家に帰ってきたら」と言っていた。私は「それはやめておくよ」とだけ伝えた。
それから治って新生活を始めたが、今度は実家から遠く離れたところで暮らし始めた。
実家に帰ると金銭面は助かるのだけど、精神的には取り返しが付かないほど病みそうなので、たぶんこの先一生実家に帰らないのかもしれない。
でもそんなことは、親には言ってない。
こんな言い方しかできなくてあれだけど、ブコメトラバの各意見どれもめちゃくちゃ勉強になった……
あと↓の話題すごく語りたいので隙自語させてほしい。
してる。必ず先に「そこの人、困ってそうだね。○○したいんだけどいい?」と聞いて合意を得るし、一通り終われば平謝りで戻ってきて、精一杯のフォローに努める。そのせいか、怒らせはしてもこれ一発でフラれたことはまだない。
だけど増田が一番困ったのは、合意を取ってもそれが常に空手形であることなのだ……
彼女の好みで選んだデート先、せっかくだからもう少し見て行こうかと聞いたらはっきり頷いたのに、帰宅した彼女が「可愛い靴で行ったのに散々歩かされて足痛い、最悪」と吹いて回っていたことを知り、良かれと思って人を傷つける苦さを知った若き日。抗議は後から来る、これがデート怒らせの一般的なスタイルだ。
今ならわかるが、女性たちは悪気があって言わないのではない。ただ悪者になりたくないだけだ。
テーマパークのショーの最前列を子供に譲るかどうかで言うなら、自分だけ譲るは寂しい思いさせるから×、2人で譲るは1時間並んだ楽しみを奪われて×、しかし「嫌だ、譲らないでと言わせる」のも、彼女を子供に冷たいワガママ女という悪者にしてしまうから×なのだ。後ろで見えない見えないとグズり始めたお子さんを無視できなかった時点で、既に投了ルートに入っている。
これは多少悪意のある例だが、彼女に益のない二択を提示すること、彼女が悪者にならざるを得ない立ち回りをうっかり選んでしまうことは相手によっては重罪なのだ。
増田はこの感情を理解するまでに10年を要したし、「そんな嫌ならその場で言ってくれよ」を着火剤とする喧嘩も相当数経験した。
友人や社会人・趣味人として立派なところをたくさん見てきた女性でも、恋人候補になった瞬間なぜか赤ちゃん返りのような豹変ぶりで責任回避ムーブを見せるのには、正直驚くしガッカリもする。
だけどこの「悪者になりたくない」は不思議な性質で、恋愛関係に期待がある相手にはより強く出るらしい。つまりこれこそ乙女心というやつだそうな!勘弁して〜〜〜!
こういった「私を一番に考えて・私を悪者にしないで・責任は貴方が取って」なる乙女心を増田の「ダメなとこ叱られつつ許されてえ・忖度ばっかしたくねえ・人を助けて気持ちよくなりてェ〜〜!!」と同列のエゴとして扱うのは失礼かもしれないし、どっちも業だとしたところでぶつかり合う業バトルの果てに何があるのか、増田自身にもぜんぜんわからない。
だけど崩れると知ってなお淡々と石を積み、崩れたら一から積み直すことをやめられない。
女の子に無理めのお願いを「しょうがないなあ」と呆れられつつ聞いてもらうとき、「ガラガラの電車で女子高生が隣に座ってきた時の、存在を許された感じ」を5000倍に濃縮したような悦びが脳髄に降り注ぐ。とにかく私は許されたい、できれば好みの女の子に。
それならもう試行回数を増やして場数を踏み、匙加減を身につけていくしか……ないかも……と最近は思っている。
人助けにしても横断歩道渡り切ったらさようなら、最寄りの交番にお連れしてさようなら、シャッター頼まれたら必ず自分たちも撮ってもらってさようなら。自分はそういうバランス感覚が数年前より身についたし、この先も多分上手くなる余地がある。どこかに奇跡的に惚れ直してくれる女性がいるかもわからんという声もある。
初デートでこれを経験した元増田はかなり堪えただろうけど、私増田は堪えた上でもまだやれる気でいます。
がんばれそうなら一緒に頑張ろうってひっそり思っておく。
その時点でもう頭わりーじゃん
『差し障る』とか『癇に障る』とかは普通に使うだろうになんで耳障りだけ知性が乏しくなるんだよ
言わんとすることは『聞こえが良い』とかいくらでも言い換えれるだろうがよ
一連の聖人彼氏の増田を読んで、俺はやっぱ常に自分自分な人とは付き合えないなと思った
いや、別に俺自身が聖人だなんて言うつもりは毛頭ないし、むしろ偏屈な人間だと自分でも思ってはいるが、それでも俺ですら似たような場面に出会したら同じ行動を取るだろう
そもそも目の前の一個人を優先してまでして、困った状況にある人に手を差し伸べない意味が分からないし、こんなの正しい正しくないの問題以前の話なんじゃないのか?
いったい今までどれだけ荒廃した誰もいない世界で生きてきたんだよ
一連の聖人彼氏の増田を読んで、俺はやっぱ常に自分自分な人とは付き合えないなと思った
いや、別な俺自身が聖人だなんて言うつもりは毛頭ないし、むしろ偏屈な人間だと自分でも思ってはいるが、それでも俺ですら似たような場面に出会したら同じ行動を取るだろう
そもそも目の前の一個人を優先してまでして、困った状況にある人に手を差し伸べない意味が分からないし、こんなの正しい正しくないの問題以前の話なんじゃないのか?
いったい今までどれだけ荒廃した誰もいない世界で生きてきたんだよ
事実だとわかるのは、
該当の脚本家は指揮権のあるプロデューサーに困惑や苦い気持ちをSNSで伝えたわけでもなく、
何故か2次創作者の立場でありながら同業者と原作者をSNSで批判したこと、
日テレもプロデューサーも出演者もそれを放置したこと、
ただこれだけだぞ
魚拓より
がら急きょ協力という形で関わることになりました
魚拓より
最終回についてコメントやDMをたくさんいただきました。まず繰り返しになりますが、私が脚本を書いたのは1〜8話で、最終的に9・10話を書いたのは原作者です。誤解なきようお願いします。
(中略・気になるなら魚拓見て)
脚本家の存在意義について深く考えさせられるものでした。この苦い経験を次へ生かし、これからもがんばっていかねばと自分に言い聞かせています。
どうか、今後同じことが二度と繰り返されませんように。
魚拓より
某脚本家
○○さんの一ファンとして悔しいです。🥺
1〜8話で変化、成長していった登場人物たちが、9、
んと描くだろうなと思いながら観ました。
で、その時間経過も描けてなかったですね。。
まったのが残念でした。😢
私もこの事、胸に刻んでおきます。
某脚本家
あろうとです。わたしもいろいろ考えさせられまし
た。ともあれ素敵な作品をたくさんおつかれさ
までした!良いお年を迎えてください
文業の人
はじめまして。毎週楽しみにしてました。
わったので不思議でした💦そして、えっ、
ここでふんわり終わり?と。
でも訳がわかりました。
そして、私も物書きの1人として尊厳を傷つ
素性不明
な?誰かが手を入れたりして現場も混乱した
のでは?
他にもドン引きコメントにいいね❤️推してるのが確認できるので気になるなら魚拓見ようね
せめて下記のように発言すれば、よかったよね、これなら表立っては誰からも責められずに『私が書いたんじゃないから』をできた
『最後の2話は、な…なんと!!!原作者様がご自身で脚本を書いてくださいました!サプライズプレゼント🎁🎄でしたが、原作ファンの皆様にも喜んでいただけるような作品に仕上がったと自信を持ってお伝えできます』
こう言っとけば、ゴタゴタが取り沙汰されても、下記のように言えば全部問題片付いた
『このドラマの製作過程では、チームメンバーの間で様々な意見が飛び交いました。それは、原作のファンやドラマの視聴者に、最高の作品を届けたいという共通の想いがあったからです。原作者の方にも、貴重なご意見やご協力をいただきました。おかげさまで、素晴らしい作品に仕上げることができました。ぜひドラマをご覧になって、製作チームの情熱を感じてください』
それすらもしないで、2次創作者の立場で原作者をドラマ出演者と一緒の写真を添えて非難という傲慢な奇行、そりゃ燃えるよね🔥
どこぞの脚本協会だって、『著作権法第20条』が大事だって言ってるだろうよ
【日本シナリオ作家協会・脚本契約7原則】
(1)「オリジナル企画」および「オリジナル脚本」の脚本家は、原作者として尊重されなければならない。
(2)「オリジナル企画」および「オリジナル脚本」が映像化に至らなかった際は、特段の取り決めがある場合を除き、いかなる場合も著作者である脚本家が任意に利用できなければならない。
(3)企画開発費と脚本料を一元化してはならず、企画段階の企画書・プロット執筆、脚本執筆には、別途ギャランティが支払われなければならない。
(4)脚本料は受注時に取り決め、長期間に及ぶ脚本執筆 の場合は随時支払われるものとし、決定稿を提出した後、速やかに支払いが完了されなけれ ばならない。
(5)企画開発および脚本執筆のために必要とする取材費、資料費、交通費その他の実費については、発注者が負担しなければならない。
(6)氏名表示に関して著作権法第19条の規定を遵守し、宣伝・広告活動の際にも配慮されなければならない。
(7)著作権法第20条の規定を遵守し、脚本家に無断で脚本を改訂してはならない。
大学3年生で今まで彼女が欲しいと思い行動を起こしてきたが恋人が全くできそうもなくつらい。外で歩いている恋人を見ると羨ましくて悶絶しそうになる。
いつか読んだ本で彼女は本当は必要ないのではないか周りの影響でほしがっているだけなのではないかと読者に問いかけるような内容を読んだことがあるが、全く持って私の場合これは当てはまらない。純粋に周りの影響関係なく彼女が欲しいのだ。
アイドルマスターが好きでライブにも言っているのだが、そこで声優さんと出会い、女の子の可愛さと2次元とは違った奥深さ(例えば、いわゆる”ゆるふわ”な女の子でも掘ってみると”ゆるふわ”という一言では表せない多面的な要素が複雑に絡まり合って人格を形成しており、2次元とは異なる、性格を一言で表せない奥深さを感じる)に気づきそこから彼女がいてくれたらと思うようになったのだがいまだできたことがない。
大学1年の頃から試行錯誤しており、主にファッションとスキンケアについて転がり立ち上がりようやく様になってきたが女性側からの反応はいまだない。髪もセットしているのであるが、フィードバックを求められるおしゃれな友人もおらず、これでいいのかと不安ながら通学をしている。私を不安にさせているのが女性からの反応が全くもらえないことであり、ファッションについては人気のファッション系ユーチューバーを参考にしているので間違いないと思うがヘアセットやその他の要素(例えば猫背、肌など)についてどう思われているかが不安である。
最近パーマをかけたのだがセットしてもいわゆるチー牛顔にしかならず本当にショックだ。やはりヘアセット初心者の私にパーマは早かったのか。しかし、マッシュ等の髪型には惹かれず一番パーマがよさそうとインスタを見て思ったのだが、私には似合いそうもない(誰からのフィードバックもない)。
今まで女性に何度か話しかけたことがあるがその話しかけた女性から自分は話しかけられることがないのできもがられているのではないかと感じ、それが私を悲しい気持ちにさせる。今となっては黒歴史であるが、以前ひげ脱毛のダウンタイムの関係もあり大学にひげを生やしていったことがあった。相当な変化であるがだれからも反応をもらえず、なぜ誰もフィードバックをくれないのだろうと怒りすら感じる。
いままで大学に入って好きな女の子が3人で来たのだが初めて好きになった子にも次に好きになった子にも彼氏がおりそれが本当にやるせない。女性は簡単に彼女ができるというが(ネットの受け売りだが)その受け身でも彼女が出来るのは本当にうらやましい。前述した私の見ているファッション系youtuberでは「街中で好きな男性の服装を女性に聞く」という企画があるのだが、そこで偉そうに男性の服装に意見している女性を見ると非常に憎たらしく感じる。私は拒絶され(女性から話しかけられないことを私は拒絶ととらえている)ているのに、世の中の女性は男性のアプローチにケチをつけ、アプローチをもらったことで自信を高め、さらにそのひとをけなすことで快感を得る。なんて偉そうな立場にいるのだろうと嫌悪感を感じる。私が初めて好きになった女の子はあまりいけていない子であったので(性格が悪い言い方であると思うが誰しもこれくらいの性格の悪さは持ち合わせていると思う)私自身と同一視している部分もあるのだが、なぜ私は恋人ができず受け身な彼女は恋人ができるのだろう→彼女が女だからだ という論理でネットでみた女性だから受け身でいいという言説を鵜呑みにして(実際自分で確認したわけではないので本当に受け身でいいのかはわからないが)受け身なくせに女性のほうが恋愛がうまいという論理が破綻しているように感じる世の中の言説も合わせて、近頃は女性に憎しみを感じている。
私がそのうち彼女が出来ればいいのような楽観的な思想になれないのは結婚相談所やマッチングアプリでの恋愛をしたくないという点がある。マッチングアプリや結婚相談所は男性が多く払うという制度があるのだと思うがこの男性が多くというのが結婚相手とは平等の関係を築きたい私にとっては拒否感があり、今恋人がほしいのだ。
恋愛で死ぬというのはバカであると感じる人も多いと思うが、最近は本当に自殺を考える原因になっている。女性の可愛さを認めている私にとって女性が周りにいる環境で女性に相手にされないというのは非常に自己肯定感を失う体験の連続であるし、目の前異性がいるのに、ネット等で誰でも頑張れば恋人ができるという言説があるのにも関わらず恋人ができないのは、自分はニンジンを目の前にぶら下げられた馬であり、手に入らないのにそれ求め続ける、しかし手に入らないことを薄々は感じていているのに求め続けるむなしさを感じる。私は人一倍無能であり、バイトでも何回も無能扱いされてきた、将来仕事でも成功は納められないだろう。そういった自身の無能さを勝手に女性の目を借り自分を下げ、自身の首を絞めているのかもしれない。今、バイト先ですごく素敵な女性と出会い、この人と一緒にいられたらと思っているがどうせこの人にも彼氏はいるのだろうと思い、どうしていいのかわからず心がかき乱される。そして簡単に恋人ができる女性へのヘイトを考えてしまう自分がいる。
私が恋人になってもいいと思っている女性がいるなら何か合図が欲しい。こういう部分に拒否感があるのような女性側の意見もわからずアプローチをするのはつらい。女性からの愛に餓えているのかもしれない。私のことを愛してくれる女性なら誰でも好きになる自信がある。女性も異性からの愛を求めていて、お互いが空回りしている状態だったらどんなに良いだろう。女性は私が話しかけてうれしいのだろうかそれとも嫌悪感を感じるのだろうか。女性は基本自分から異性に対して話しかけないのだという情報をネットでみた。私も女性に何度か話しかけたことがあるがその女性から以後話しかけかえしてもらえることはなかった。話しかけてもらったら次にお礼で自分から話しかけるという考えを持っている自分にとっては無礼な行為であり、怒りを感じるがこれが私が彼女から嫌われているからではないかという悲観的な考えもある。どうせ彼氏がいるから私に話しかけてこないのだろうという 女性=誰しも彼氏がいる というネットで見たことと私の経験から作った法則に当てはめ、恋人が簡単にできる女性への憎しみも感じる。
↓ここからは私の日ごろためている女性ヘイトについて書こうと思う。
正直女性はかなり優遇されていると感じる。恋愛面に関しては男性が寄ってきてそれを見定める立場である。バイト先でも男性は女性よりきつい仕事を任されることが多い(女性より時給300円くらい多くもらっても良いのではないかと感じるくらいハードな仕事を同じ職場でも求められることがあるし、それで今日の仕事きつかったねと話しているところを見るときつい仕事は男性がして当たり前なのかと殺意がわく。バイトや自動車学校等でもネットの女性のほうが優しくされるという言説を意識して見てみると大事にされているというのを感じる)大学で女性がやたらとジェンダーと関連付けたレポートを書きたがるのは憎たらしい。今の待遇に不満があると言いたげなその姿勢は本当に憎たらしい。
ここまで長々と書いてきたが私は結局女性のせいにしたいだけなのだろう。女性にも興味がない男性を拒否する権利はあるし私が女性でもそうしていただろう。私は軽度の障害もあるし、仕事もできないので未来がない。文系なので女性が多い職場で女性の目を借り自身を傷つけながらこれからも生きていくのだろう。もともと私は理系だったのだが、理系でも女性が少ないと不満を言っていたと思うので、結局私は身の回りに常に不満を感じるような人物なのだろうと感じる。今、バイト先で好きな女の子がいるがこのような歪んだジェンダー感と他責思考を持つ私が彼女に話しかけていいのかと感じる。本当に久しぶりに出会った素敵な人なので彼女から拒絶されたり、彼女にすでに彼氏がいたりしたらリミッターが外れこれまで以上の女性ヘイト思考になり私の感情はぐちゃぐちゃになりどう変貌してしまうか(おそらくモンスターになってしまう)は想像ができず非常に怖い。しかし、私の課題を先に終わらせたい思考から彼女との関係をどうにか帰着させたい一心だ。
大学3年生で今まで彼女が欲しいと思い行動を起こしてきたが恋人が全くできそうもなくつらい。外で歩いている恋人を見ると羨ましくて悶絶しそうになる。
いつか読んだ本で彼女は本当は必要ないのではないか周りの影響でほしがっているだけなのではないかと読者に問いかけるような内容を読んだことがあるが、全く持って私の場合これは当てはまらない。純粋に周りの影響関係なく彼女が欲しいのだ。
アイドルマスターが好きでライブにも言っているのだが、そこで声優さんと出会い、女の子の可愛さと2次元とは違った奥深さ(例えば、いわゆる”ゆるふわ”な女の子でも掘ってみると”ゆるふわ”という一言では表せない多面的な要素が複雑に絡まり合って人格を形成しており、2次元とは異なる、性格を一言で表せない奥深さを感じる)に気づきそこから彼女がいてくれたらと思うようになったのだがいまだできたことがない。
大学1年の頃から試行錯誤しており、主にファッションとスキンケアについて転がり立ち上がりようやく様になってきたが女性側からの反応はいまだない。髪もセットしているのであるが、フィードバックを求められるおしゃれな友人もおらず、これでいいのかと不安ながら通学をしている。私を不安にさせているのが女性からの反応が全くもらえないことであり、ファッションについては人気のファッション系ユーチューバーを参考にしているので間違いないと思うがヘアセットやその他の要素(例えば猫背、肌など)についてどう思われているかが不安である。
最近パーマをかけたのだがセットしてもいわゆるチー牛顔にしかならず本当にショックだ。やはりヘアセット初心者の私にパーマは早かったのか。しかし、マッシュ等の髪型には惹かれず一番パーマがよさそうとインスタを見て思ったのだが、私には似合いそうもない(誰からのフィードバックもない)。
今まで女性に何度か話しかけたことがあるがその話しかけた女性から自分は話しかけられることがないのできもがられているのではないかと感じ、それが私を悲しい気持ちにさせる。今となっては黒歴史であるが、以前ひげ脱毛のダウンタイムの関係もあり大学にひげを生やしていったことがあった。相当な変化であるがだれからも反応をもらえず、なぜ誰もフィードバックをくれないのだろうと怒りすら感じる。
いままで大学に入って好きな女の子が3人で来たのだが初めて好きになった子にも次に好きになった子にも彼氏がおりそれが本当にやるせない。女性は簡単に彼女ができるというが(ネットの受け売りだが)その受け身でも彼女が出来るのは本当にうらやましい。前述した私の見ているファッション系youtuberでは「街中で好きな男性の服装を女性に聞く」という企画があるのだが、そこで偉そうに男性の服装に意見している女性を見ると非常に憎たらしく感じる。私は拒絶され(女性から話しかけられないことを私は拒絶ととらえている)ているのに、世の中の女性は男性のアプローチにケチをつけ、アプローチをもらったことで自信を高め、さらにそのひとをけなすことで快感を得る。なんて偉そうな立場にいるのだろうと嫌悪感を感じる。私が初めて好きになった女の子はあまりいけていない子であったので(性格が悪い言い方であると思うが誰しもこれくらいの性格の悪さは持ち合わせていると思う)私自身と同一視している部分もあるのだが、なぜ私は恋人ができず受け身な彼女は恋人ができるのだろう→彼女が女だからだ という論理でネットでみた女性だから受け身でいいという言説を鵜呑みにして(実際自分で確認したわけではないので本当に受け身でいいのかはわからないが)受け身なくせに女性のほうが恋愛がうまいという論理が破綻しているように感じる世の中の言説も合わせて、近頃は女性に憎しみを感じている。
私がそのうち彼女が出来ればいいのような楽観的な思想になれないのは結婚相談所やマッチングアプリでの恋愛をしたくないという点がある。マッチングアプリや結婚相談所は男性が多く払うという制度があるのだと思うがこの男性が多くというのが結婚相手とは平等の関係を築きたい私にとっては拒否感があり、今恋人がほしいのだ。
恋愛で死ぬというのはバカであると感じる人も多いと思うが、最近は本当に自殺を考える原因になっている。女性の可愛さを認めている私にとって女性が周りにいる環境で女性に相手にされないというのは非常に自己肯定感を失う体験の連続であるし、目の前異性がいるのに、ネット等で誰でも頑張れば恋人ができるという言説があるのにも関わらず恋人ができないのは、自分はニンジンを目の前にぶら下げられた馬であり、手に入らないのにそれ求め続ける、しかし手に入らないことを薄々は感じていているのに求め続けるむなしさを感じる。私は人一倍無能であり、バイトでも何回も無能扱いされてきた、将来仕事でも成功は納められないだろう。そういった自身の無能さを勝手に女性の目を借り自分を下げ、自身の首を絞めているのかもしれない。今、バイト先ですごく素敵な女性と出会い、この人と一緒にいられたらと思っているがどうせこの人にも彼氏はいるのだろうと思い、どうしていいのかわからず心がかき乱される。そして簡単に恋人ができる女性へのヘイトを考えてしまう自分がいる。
私が恋人になってもいいと思っている女性がいるなら何か合図が欲しい。こういう部分に拒否感があるのような女性側の意見もわからずアプローチをするのはつらい。女性からの愛に餓えているのかもしれない。私のことを愛してくれる女性なら誰でも好きになる自信がある。女性も異性からの愛を求めていて、お互いが空回りしている状態だったらどんなに良いだろう。女性は私が話しかけてうれしいのだろうかそれとも嫌悪感を感じるのだろうか。女性は基本自分から異性に対して話しかけないのだという情報をネットでみた。私も女性に何度か話しかけたことがあるがその女性から以後話しかけかえしてもらえることはなかった。話しかけてもらったら次にお礼で自分から話しかけるという考えを持っている自分にとっては無礼な行為であり、怒りを感じるがこれが私が彼女から嫌われているからではないかという悲観的な考えもある。どうせ彼氏がいるから私に話しかけてこないのだろうという 女性=誰しも彼氏がいる というネットで見たことと私の経験から作った法則に当てはめ、恋人が簡単にできる女性への憎しみも感じる。
↓ここからは私の日ごろためている女性ヘイトについて書こうと思う。
正直女性はかなり優遇されていると感じる。恋愛面に関しては男性が寄ってきてそれを見定める立場である。バイト先でも男性は女性よりきつい仕事を任されることが多い(女性より時給300円くらい多くもらっても良いのではないかと感じるくらいハードな仕事を同じ職場でも求められることがあるし、それで今日の仕事きつかったねと話しているところを見るときつい仕事は男性がして当たり前なのかと殺意がわく。バイトや自動車学校等でもネットの女性のほうが優しくされるという言説を意識して見てみると大事にされているというのを感じる)大学で女性がやたらとジェンダーと関連付けたレポートを書きたがるのは憎たらしい。今の待遇に不満があると言いたげなその姿勢は本当に憎たらしい。
ここまで長々と書いてきたが私は結局女性のせいにしたいだけなのだろう。女性にも興味がない男性を拒否する権利はあるし私が女性でもそうしていただろう。私は軽度の障害もあるし、仕事もできないので未来がない。文系なので女性が多い職場で女性の目を借り自身を傷つけながらこれからも生きていくのだろう。もともと私は理系だったのだが、理系でも女性が少ないと不満を言っていたと思うので、結局私は身の回りに常に不満を感じるような人物なのだろうと感じる。今、バイト先で好きな女の子がいるがこのような歪んだジェンダー感と他責思考を持つ私が彼女に話しかけていいのかと感じる。本当に久しぶりに出会った素敵な人なので彼女から拒絶されたり、彼女にすでに彼氏がいたりしたらリミッターが外れこれまで以上の女性ヘイト思考になり私の感情はぐちゃぐちゃになりどう変貌してしまうか(おそらくモンスターになってしまう)は想像ができず非常に怖い。しかし、私の課題を先に終わらせたい思考から彼女との関係をどうにか帰着させたい一心だ。
この件、新聞各紙やNHKも報じて思ったより大ごとになって驚いていますが致し方ないと思います。
カメラ好き・写真趣味の界隈でも概ね「明らかに機能説明や性能イメージと認識される画像はともかく作例と誤認させる画像はアウト。しかも他社機による写真だったとはカメラメーカーとして情けない」という見解です。
ごく一部アレなLUMIXファンがめちゃくちゃな擁護をしたり他社ユーザーに当たり散らしたりしてお恥ずかしい限りですが(ゲームハードみたいにカメラでも熱狂的なファンがいるのです…)ほとんどのユーザーはまともです。
例えば機能紹介の小さな画像はストックフォト(素材画像)で問題なかったでしょう。
こうした画像は機種が違っても使い回されることがありますしユーザーもあくまでイメージであることを認識しています。
一方でカメラは写真を撮る製品ですから大きく扱われた画像は作例と捉えられるのが普通です。
腕前はともかくユーザーも同じ写真を撮ることができるということですね。
作例は炊飯器なら実際に炊いたごはんの試食、化粧品なら無料サンプルのようなものです。
今回はその作例が借り物で、その機種では撮れない写真が含まれていることが問題の本質です。
※画像元
「LUMIX」商品サイトでのストックフォト使用、新機種以外にもあったと認める パナ「認識の甘さを反省」(1/2 ページ) - ITmedia NEWS
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2405/31/news098.html
More bad news for Panasonic: Lumix S9 product page controversy and the use of stock photos *UPDATED* - Photo Rumors
https://image.itmedia.co.jp/l/im/news/articles/2405/31/l_my_0530panasonic01.jpg
当該機種で撮影してない点はさておき、これはセーフと考えます。
パナソニックのオートフォーカス性能(ピントを合わせ続ける力)はソニーやキヤノンに比べ弱いのでたやすく撮れるかはわかりませんが、同じ写真の撮影は可能だからです。
https://image.itmedia.co.jp/l/im/news/articles/2405/31/l_my_0530panasonic05_w480.jpg
https://image.itmedia.co.jp/l/im/news/articles/2405/31/l_my_0530panasonic07_w360.jpg
記事で解像度の違いが指摘されていますが、とはいえサイトに掲載するサイズに縮小した範囲では問題になりません。
https://pbs.twimg.com/media/GOki_m9aAAAtt-e.jpg
これは微妙です。
というのもこの新型機LUMIX S9はメカシャッターという機構を省いて小型化を実現しています。
スマホで目の前を通過する電車や車を撮影すると斜めに歪んで写る現象を知っている方も多いと思いますが、メカシャッターがないカメラも同じことが起こるのです。
そのため鳥の翼がこのように写せるかはわかりません。
歪んでも直線的な人工物と違って気にはならないかもしれませんが。
https://image.itmedia.co.jp/l/im/news/articles/2405/31/l_my_0530panasonic03.jpg
光学的な説明は省略しますがこのレンズでこのような背景がきれいにぼけた写真は撮れません。
一眼(レンズ交換式カメラ)はレンズとボディで構成されますが他のボディを使っても不可能です。
このレンズはメーカー希望価格4万円台と安くライトユーザーをターゲットにしたレンズですが、この画像を信じて買って「なぜかサイトの写真みたいに撮れない…」とガッカリした方もいるであろうと思うと胸が痛みます。
複数の機種で同様の問題があり、パナソニック自身もミスではないことを認めています。
わかりませんが、新型機に注目が集まったことが一因でしょうか(たまたま元画像を知っている人の目に触れた、など)。
またカメラファンほどサイトの画像だけで判断しないので「実害」がなくあまり問題視されなかったのかもしれません。
問題が発覚してから界隈では各社のサイトを検証する動きがありましたが今のところ特に見つかっていません。
一般の方からするとパナソニックは家電メーカーかもしれませんが、ミラーレス一眼においては派手さはなくとも堅実な良い製品を作り続けている立派なカメラメーカーです。
シェアは小さいですが動画分野で定評があり製品自体は悪くありません。