はてなキーワード: 等身大とは
「王子様」を目指す女の子が、笑うとふにゃっとした表情になる。
そのギャップに惹かれて、有村麻央Pとして学園アイドルマスターを始めた。
彼女は「王子様」を目指しつつも、Pに言われる「可愛い」の言葉を喜んでいる。
これがもし「外見の可愛さをも上手く利用することで、より自然体のかっこいい王子様になれる」なら分かる。
しかし実際のプロデュース方針は、「麻央をひたすら可愛がり、デレデレの可愛い王子にしよう」というものだった。
なんだかなあ……。
そこで一旦ことねのプロデュースに移り、ホームに置いた麻央をフラットな目で見ることによって気づいた。
「自己の在り方に悩んで藻掻きながらも表現することは諦めない、等身大の高校生」そのものだった。
だから彼女は「王子様」ではない。王子様に憧れながらも可愛らしい外見と内面を持ち、その折り合いをつけかねている、いかにも思春期らしい悩みを持つ一人の少女としての「有村麻央」である。
つまり有村麻央のプロデュースは、ある種彼女に「理想の王子様像」を脱却させる物語である。
だから私のように、王子様キャラに魅力を感じて始めた人だと戸惑う部分があるかもしれない。
まあここまで書いたことは全てソロ曲に書かれているのだが……。
コミュは麻央を猫可愛がりしている印象が強くて説明不足な気はする。
改めて麻央の魅力はどういうところかというと、「人間らしい悩みを抱えて揺らいでいる」ところだと思う。
仮にも経営者だったらありえないなあ…
西崎義展が庵野氏と岡田氏に、仕事の話なしに二千万ガイナックスの口座に振り込むから、と言われても、
岡田氏は面白がりつつ微妙にビビってるし、結果的には断ってるし、
断った理由は、西崎氏は最初にドーンとお金を払った後はお金を払わないで、仕事の催促ばかりするようになる、
というのは業界内でも有名だったらしく、松本零士もその被害者だった
資金を提供する、ってことは、そのスポンサーに実質的に逆らえなくなることを意味してる
ガンダムだってスポンサーである玩具会社の意向を断れないから、最初は等身大であったモビルスーツ(その名の通りスーツ)だったのに、
いつの間にか巨大ロボになり、合体機構を無理やり組み込むためにコアファイターができた
お金をもらう、ってことは、そのスポンサーに意見されることを承諾したことにもなるわけで、
ガールズバーとはいえ、まともな経営者が二千万、三千万を、よく知らん客からもらうということ自体が普通に考えておかしい
それに使っていないのであれば、それを返せばトラブルは回避できたはず
ここからは勝手な予想だが、頂き女子りりちゃんと同じように、殺された被害者はホストに貢いでいたとか、
何か上納金を払わなければならない上に当たるバックがいるのではないだろうか
店の経費と考えても、普通に営業しているのであれば、数千万円をそんなに短時間に溶かすということは、普通ありえない
わかるわかる。必ずしも私の考え方は貴殿の意見とは全面的には一致しないと思うが、これだけ技術が進歩しても未だに出てこない物を渇望する気持ちはよくわかるつもりだ。
私としてはまず人間が持つツルツルサラサラな肌の代替、すなわち人工皮膚をさっさと発明してくれと何度も願っているのだがなかなか一筋縄ではいかぬようである。
また現代のオナホの素材は、どうあがいても樹脂を使うしかない。貴殿のご指摘の通り、これは常にブリードの問題がつきまとう。サーモプラスチック・エラストマーだろうがシリコンだろうがぬるぬるでベタベタの油がじわあと滲み出る現実からは逃れられない。感覚的に言えば豚肉を素手で掴んだような感覚に近い。
数年前、G PROJECTから発売している「次世代HOLE HON-MONO[ホンモノ]人工皮膚」というもしや期待できそうな響きのオナホールを発見したのでさっそく購入したが、聞いて呆れる。触ってみればふつうの樹脂製のオナホールである。ブリードは少なめのようであるが「人工皮膚」を名乗れるクオリティだとは到底思えない出来であった。撫でていても虚しさしかなかった。
完全なる人の肌を再現することさえ出来れば、別に穴なんて要らない。非常によくわかる。布団の中で抱きしめていれば私の体温が移ってあたたかくなり、まるで人の身体を抱いているようになる。その抱擁によって生じるヒーリング効果を求めているのであって、性的快感を求めているわけではないのだ。効率よくオーガズムに達するだけであれば己の右手があればよろしい。
人類の科学技術は目覚ましい進歩を遂げているとはいえ、まるで人のようなツルツルサラサラな肌を搭載したオナホールが登場するのは、まだまだ先の事であると思われる。そんな中で、じれったい気持ちが抑えられない私が辿り着いた解決は、等身大の人形に服を着せることである。服を着ればあとは身体の形さえあればいいわけである。つまり最悪、マネキンのようなものでも代替可能なのだ。ま、さすがにマネキンでは幾分か固いだろうと思うが。
多分嘘だろうね
でもマイノリティ盾にして他社キャラ持ち込みNGのディズニーに等身大ミク連れ込もうとして、ぬいぐるみならオーケーですって言ってもらえたのに理解がないとブチギレたり、オタク達と組んでフィクトセクシャルという性的マイノリティを弾圧するなって表現の自由界隈の盾にしたりとか、やることなすことやべえんだよな。
表現の自由オタクも元々は現実と妄想の区別はついてるつってたのに、いつの間にかオタクは現実の女のように2次元を愛しているマイノリティだと主張始めていてドン引きよ。
フィクトセクシュアルがそもそも、同性愛のようにキャラクターを愛する特殊性癖らしいから、愛するキャラクターを大事にしたいのは筋通ってると思う。
等身大ミクと結婚した男オタクはキャラはキャラだから何しても良いって線を引いてて、
「初音ミクに人権はないから結婚に合意は不要」「初音ミクを○害する写真を撮ろう」「架空のキャラはあらゆる不幸な目に遭わせても良い」とか言っている。
等身大人形とのイチャイチャでテレビに出まくって、世間にミク=オタと結婚してキスとかしてるキモいキャライメージ植え付けてるし、公式はガチ目にやめてほしいんじゃないかなあれ。
今朝ワイドショーで、マイノリティのフィクトセクシャルとして紹介されていた初音ミク等身大人形と結婚した男オタクが、朝からお茶の間に初音ミクのネガティブイメージをばら撒いていた。
Twitterで検索してみると、フィクトセクシャルの女オタクが、自分も取材申し込みを受けたが、推しに迷惑をかけたくないのでキャラを伏せて下さるならと条件を出したらそれでは弱いからと取材が消えた話をしていた。
痛い女オタクも当然居るが、推しに迷惑をかけるのは結構な重罪だ、学級会が始まり吊るし上げられる。
対して男オタクはごちうさリプトンのように、リプトンに印刷されたキャラの股間にストローを差し検尿カップに入れて推しの尿だの、赤いから生理中の推しの尿だの、胸から出して母乳だの、よりにもよって紅茶に尿イメージをつけるような、公式とコラボした企業のイメージまで損なうようなことでも、躊躇いなく大人数でやる。
女オタクは推しと共に笑いものにされるキモいと言われるのを嫌うが、男オタクは積極的にそれをやる人が結構いる。
隠れるばかりが良いとも思えんが、推しの等身大人形と結婚してテレビに出たり飲尿とかやってる男オタクと結構生態が違うのは何でだろう。
自分のモラトリアムにセカイ全てを巻き込み、セカイの全てを自分がモラトリアムを卒業するための踏み台にする物語。
自己陶酔、自己憐憫、自己解決、自己完結で突き進むどこまでも俺俺僕僕私私自分自分な物語。
ポップカルチャーとの適当な距離感も取れないまま大きくなった精神年齢中高生の中高年向け雑誌たるアフタヌーンで煩悩の数だけ連載されただけのことはある。
「まだるっこしく小難しく語られ物語世界全てを巻き込み人類の善悪を裁く長大なSF」だが、とどの詰まりは「僕が僕という人間を理解し、等身大の気持ちで世界と向き合った結果、あんなに空回りしてBIGなことを求めていた気持ちの内側が、愛情に飢えた赤ん坊みたいなものでしなかったことを認めるまでの物語」でしかないという。
セカイ系はセカイと愛する誰かを天秤にかけるが、その天秤にかける誰かさえ存在せずただひたすら「いつも苦しくて辛い僕の気持ちを理解してくれないセカイに対して思い知らせてやるぞ」と意気込んでは何もかもを滅茶苦茶に壊し続けるだけという。
挙げ句世界中からそんな自分を見透かされ、いいように役を与えられた役をそのままやりきって、気づいたら全員に置いてけぼりにされてたことに唐突に気づく。
どうしようもないほどに独り善がりで、悲しいぐらいに幼い主人公の物語だ。
世界全てと自分を天秤にかけてアッサリ自分の価値が勝ってしまうほどの強烈な自己愛のせいで、実際の世界を正しく認識できず自分の認識するセカイの像に振り回されるがままに堂々巡る。
世界を正しく捉えることが出来てないから自分の立ち位置も分からず、世界や誰かを鏡とすることで自分を客観視することもずっと出来ないから自分が何を望んでいたのかも最期の最期になるまで理解できない。
終わりのないモラトリアム、周りがとっくに卒業したハシカにずっとずっと悩まされ熱にうなされながら自分の心に映ったセカイの姿に振り回されるままに世界を彷徨い世界を敵に回し世界に利用されてセカイが壊れる。
世界を相手取ってるはずなのにどこまでも完全な独り相撲、だけどそれに皆が付き合ってくれているからさも自然と噛み合わさせていただいていたことに後から気づいて赤面する気も失せていく。
強すぎる自己愛は世界を滅ぼすが、滅ぼされた世界は滅びたいから滅びただけで結局ガキ一人がどうこうしようが世界の行く末なんて何一つ変わっちゃいない。
しんどいな。
世界全部と引き換えにしなきゃ治る機会さえないようなモラトリアム。
フォスは卒業したけど、読者のオタク共に世界と引き換えにモラトリアムを卒業する機会なんてやってこない。
だから読者のオタクはずっとずっと変わらずにモラトリアムのままで生きて、モラトリアムの中で死ぬんだ。
この話はこれでおしまいなんだ。
世の中にはディズニーはただの子供を連れて行くだけの義務的イベントだと思っていて
その中でも最悪レベルの施設だと感じてる人が「割と多い」ことを知って欲しい
「憧れのディズニー!」
以下に嫌いな理由を書いてく
なぜか大人でも楽しめる施設、みたいなプッシュをされているけれど
冷静に考えてどう考えても子供向けの施設なので大人にとっては全然楽しくない
大人になってもディズニーの映画やアニメが好き、というのは全然分かるし自分も観る
だが好きだからといって等身大のファブリックなキャラクターが出てきても全然会いたいと思わないし
「中の人はどんな人なんだろう」
アトラクションも長蛇の列に並んでヘトヘトになって5分で終わってしまうので微妙感が半端ない
子供にとっては新鮮味があるだろうけれど大人になるとこの手のアトラクション・アクティビティは各地で体験したりしてきてるので
という余計な推測をしてしまうのでちっとも楽しくない
シーならレストランで酒が飲める、とか言われても
別に海が見えるわけでも無ければ山の上でも無くて
しょぼい作り物の施設を観ながら酒を飲んでも何も新鮮味はないし
ただただ高いだけの店でメシも全然美味しくない
大人が楽しめる要素はゼロで、まだ4DXの映画観てる方が楽しめる
それこそ昔はエレクトリカルなパレードは新しさがあっただろうけれど
昼間のパレードなんてただただ暑いか寒いかのどちらかの印象しか残らない
ショーもプレミアムチケットのくせに内容スカスカで全然面白くない
おまけに自分の好きな作品の舞台を見れるんだからわざわざ興味の無いディズニーのショーなんて見なくて良い
子供にとっては面白いと思うが、やっぱり大人ならまだ4DXの方が面白い
上記のような人でもそれほど混雑してないなら楽しめると思う
例えばレゴランドとかレゴに興味なくても混雑してないので楽しめる
おまけにそんな人混みに行くのに高い金を払わされるし
おまけに飲食関係は全てが高額、お土産もクッソしょうもない駄菓子にプリントしただけで高額
アホらしくて二度と行きたいとは思わない
ウィーーーーーーーン
ガシャーーーン
うおおおおおお
ウィーーーーーーーーン
ガシャーーーーン
ウィーーーーーン
えぇぇぇぇぇ……
巨大な人型ロボットの試運転というにはあまりにも弱々しい動きに失望しかなかった。
全身を機会に支えられてなんとか進む姿に、介護される老人やリハビリ中の患者が思い起こされた。
アレは巨大な兵器じゃない。
だがその一方で、巨大な人型ロボットの動緩慢さたるや。
本当に遅いのだ。
どう考えても戦闘になんて向いてないだろう。
つうかもう戦車でいいよね。
多脚戦車が正解だよ。
実物大ガンダムは俺達に夢を見せてくれると思ったが、実際には夢を壊すだけの存在だ。
戦艦並みのビームライフルをもたせつつ機動力が欲しいなら、その形は結局戦闘機になってしまうんじゃないのか?
だが、人間の作る兵器として機械仕掛けの巨人である必要性はないだろ。
実物大ガンダムは俺達が密かに持っていた「巨大人型兵器の実現可能性」という夢にとどめを刺すだけの存在だった。
確かに大きかった、そして歪だった、明らかに無理があった、戦闘でなんて使えるはずもなかった、ありえなさ、それが凝縮されていた。
発言から推察される彼の考え方や価値観は以下のようなものだと思います。
・若い頃は、一時的にFXで大金を稼いだことで、社会や他人の営みを見下してしまう時期があった。
・それは未熟な価値観に基づく錯覚だったと今は自覚している。世の中を支える一人一人の仕事に感謝の気持ちを抱くようになった。
・会社員を続けることで、自分なりに社会に貢献したいと思っている。
・配属された仕事に政治的側面があり意義を感じられず虚無感を覚えていたが、人の感情や責任を調整する儀式的な作業も社会には必要だったと今なら分かる。
・したくない仕事を一生懸命こなしている人々に感謝の念を抱いている。迷惑をかけていなければ、誇りを持ってよいはずだ。
全体として、若い頃の未熟で独りよがりな価値観を反省し、働く人々への敬意と感謝の念を深めるようになった過程が窺えます。
同時に皮肉を込めて、「FXは結局勝てない」「あの仕事は今でもやりたくない」と述べるなど、過去の考え方を完全に否定し切れていない面もあるようです。
社会人としての責任感や倫理観は身についた一方で、本音では相変わらず面白みを感じられない仕事も多いのかもしれません。
そうした、染み付いた価値観と、大人として身につけるべき価値観との間で揺れ動く、等身大の姿が浮かび上がってくる告白だと感じました。