はてなキーワード: 知的とは
重度の知的障がいを持っている子供を見世物にして小銭を稼ぐYoutuberがたまにいる。「(障害を持った子どもが)またテレビを壊した」みたいなのだ。
なんだろう、自己情報コントロール権を侵害されて親の金稼ぎの道具に使われているというのは虐待以外のなにものでもないと思うんだが。
そもそも意思決定すらままならない(=本人の「意思」があるかどうかも不明)状況ということに付け込んで勝手に見世物にされるのはおかしいとしか思えん。
虐待は英語で"abuse"というが、この単語には「濫用」という意味もある。
で、意思決定すらままならない社会的弱者を使って本人の意思を無視し私腹だけを満たす養育者の行為は、はっきりいって権利の濫用いがいのなにものでもない。
はっきり言うけど、へずまりゅうやジョニー・ソマリみたいな迷惑系よりこっちの方がよっぽど問題だと思う。
というかこういう親がスパチャとかスーパーサンクスもらっているのを見て本当に気持ち悪くなったというか、人間ってここまで醜くなれるんだなーと悲しくなった。
いや子供が嫌いとかそういう感情もあるかもしれんしそこは仕方ない。ただ、それを胸三寸に納めずにネットを使って全世界に晒しものにする意味あるか?って感じる。
せめて5chみたいな匿名掲示板が限度なんじゃないの?(個人的には匿名ツィッター/Xもアウトだと思う)
ついでに「あいぽんの毎日」やSyamuのように、知的障がいを持っていると思しきYoutuberが自分の意志で投稿する動画に関してはまた別です。
これは基本的権利を行使しているだけなので動画投稿「自体」は責めるべきでは絶対にないと思います(動画の内容が問題とかはまた別問題)
三菱UFJリサーチが出したサマリレポートにブクマが集まっているのだが、
『地政学リスクの全体像の整理 | 三菱UFJリサーチ&コンサルティング』
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.murc.jp/library/economyresearch/analysis/research/report_240528/
そこで「よくまとまっている」とかコメントしてるブクマカが数人いて失笑するするしかない。なんだよそのエラソーな態度はw
そもそもネットで国際関係に関して調べる時、膨大なゴミ情報が掛かり易いわけだ。だからこういう金融系シンクタンクのレポートが出てくるまで検索を続ける、出てくるまで検索式を変えてみるっていう風に一定の基準とされる事が多いもんだろ。
大学のレポートでどっかのインフルエンサの動画を参照したとかネットで活躍する誰それのメルマガ参照とか書いたらリジェクトされるし、仕事でやったら馬鹿のレッテル貼られて渉外的な仕事からは一生干される。そういう意味で安牌なのがこういう金融系シンクタンクなわけだ。
仮にその予想や分析が間違っていても格好はつく。
特に今回みたいな「地政学リスク」を論じる時には重要だ。何しろこの10年の日本で「地政学」と来たら新聞も読まない馬鹿向けコンテンツとして有名だ。
なんでそうなるかというと、元々日本での地政学アゲの元祖は90年代の福田和也で、反米+知的スノビズムなのよ。
一方で80年代末に急な円高による海外旅行ブームと対米貿易摩擦があった。これに刺激されて「国際的」というのがバズワード化して、多くの大学に「国際学科」なんかが雨後の筍のように出来たのだが、元が必要に迫られた国際化なのでこれ以後特にビジネス教養として国際関係が重要視されるようになった。
この「国際政治と国際経済を中核とした常識化した教養」が無い人にとって「地政学」とやらはもの凄く魅惑的で、それらの踏まえなきゃならん常識を無視して、他国の本質も見えるし物事が明瞭に見える。
なんでそんなに明瞭に見えるかって言えば、白紙だからだ。白紙に線引きゃ明瞭だし自由に引ける、A国の隣にB国がある、とか中国の概要進出をブロックする形で日本列島がある、とかそういう目で見て直ぐに判るような事ばかりで構成される。
「本質が見える」「よくわかる」というのは、単純にその対象の事を全く知らないという事はしばしばである。
でも普通の人にはそうは出来ない。各国の産業の構成グラフとか、輸出入品目の図、国の成長度合いと関税品税率、航路、貿易協定の線とか、世界地図上はごちゃごちゃしてる。そこでカッコ付き「地政学」で使われてる地図図示されても「今は帝国主義じゃねーし」で終わりだ。「中国の海外進出の蓋になってる日本列島」の図を見ても「いや、中国は海洋条約に対して大陸棚方式を主張してるし」とか「11段線の元は民国の9段線とかなんとかでそれを一国主義に基づいて反射的に主張したのが最初だから…」とか余計な事を考えてしまう。
それらの知識に消しゴム掛けなきゃ「地政学」の線を引けないんだが、正直、元の記述より重要なの?この線は?って感じでリーチしないんでありますな。
そもそも現在現役の地政学講座なんかがあるのは多分英国の幾つかの大学くらいではないかな?麗澤大学とかハッピー・サイエンス・ユニバーシティにはあるかもしれないが。
そうなると議論で踏まえるべき「正統」も無いって事になるので、余計に白紙に線を引く自由度は上がる
さて一方で「地政学リスク」というのはシンクタンクや国際政治論なんかの頻出ワードだ。国家間の地理的条件が政治的緊張を産み、戦争リスクや経済リスク、世界的な不安定さに繋がるって意味で、かなりカジュアルに使われる。
こういう地政学リスクを扱う場合、ネットとか本屋の一階、特にマンガサブカルコーナー寄りの平積みとかブックオフの200円コーナーとかで情報誌仕入れようとすると、どうしても俗流「地政学」の方を引いちゃう可能性あるわけよ。
そういう時は検索式を工夫したりして、首記の金融系シンクタンクが出てくるまで頑張るっていうのが恥をかかない為のハウトゥなわけだ。
でもブクマ見ると地政学と地政学リスクを混同している人は結構いるし、それよりも目立つのはウエメセで「よくまとまっている」だ。
あのさ、これってどういう風にまとまっているかって言えば、「ネットのゆっくり地政学とかで言ってる事が書いてある」って事でしょう?そういうのと区別する為に金融系シンクタンクなどを引くものなんだよ??
因みにシンクタンクだけだとこれもダメだ。というのもネットでおかしな言論商売してる奴っていうのはみんなシンクタンク名乗ってるのでな。
はてなのこういう常識が無いせいで間抜けな情報に踊らされてるのに偉そうな態度などは外から見るとかなり目立つし結構滑稽なんだよ。
コロナの初期に社会免疫論デマに乗っかってしまい、内容を理解してないのに「SIモデルがー」と挙って言ってたのも超害悪だったし、その後はPCRデマに乗り換えてウジウジ言い訳してたのも超害悪で溺れる者藁をも掴むの典型だった。
暇コラボ事件では盛り上がったのに暇が全然成果上げないのでいつの間にか女叩きにスライドしていって、数か月間もホッテントリの1/3が扇動的な男女論と女叩き、男性差別論という状態を出来させていた。
で、いつもそんな時にやたらイキってるのが特長で、馬鹿晒してイキってる、というのがはてなのイメージになっている。
もういい加減努力もせずに知的に背伸びしてイキるのは止めるべきだし、ソーシャルブックマークなのだから踏まえるべき基礎的なコンテンツをブックマークするようにせんといかんだろ。
のラインって、結構ものすごく簡単なところだったりするんだよな。
例えば、
言葉にするとこんなに簡単だけど、こんなことが実践に移せないだけで本当にトンチンカンで何の役にも立たないことしか言えない人間が世の中にはいっぱいいる。
増田にはそういうのが凝縮されてる。
考えてみると、例えば人間は「あいつと俺は人種が違う」とものごとをふたつに分けた瞬間に何かの法則を見つけた気がするのだが、そこで「本当にふたつだけか、ここに分類できないみっつめもあるんじゃないか」と踏み込んで考えるくせがあるかどうかでこういう注意力が育つかどうかって決まるんだろう。
上の例でも、とりあえずふたつ浮かんだから書いたあとで、みっつめを探して書いてみたし。
人がどこに眩しさ感じるかなんて人それぞれだしなあ
ひろゆきに知的コンプ感じる人がいたって、詭弁だろうが取り敢えず言いくるめた風に圧倒して言葉に窮させる頭の回転に憧れを持つ人なら不思議と思わない
感情とは何か?
更には偶然の要素もあるが、時間の長さによってその要素も消えるのではないか?
地政学的要素のように気づいていない要素があるはずだから必ずしも生存競争の原理にだけ従う者ではないだろう。サルがライオンになる場合だってあるのだ。
どうすれば私は賢くなるのか。
無知と愚かさを認め、生理的な欲求ではなくて知的な探求を保ち続けることだ。
ならば私は賢くなることはない。
肉体的欲求には勝てない。
ごめんな、今は平社員だけど一流大学通ってたから文化資本受けてたんだわ
嫌味になるから言わなかっただけで
英語の本も好きだから五十冊くらい洋書屋で買って読んだり、都立多摩図書館でお硬い洋雑誌片っ端から読み漁って知的な生き方してた
資格と教養が必要な界隈に入れない底辺のコンプレックス刺激しちゃってほんとにごめんな
努力もしないし人を殴りたいだけの田舎のド底辺が読む事を想定してなかったからさ
ほんとに悪かったな
とか
くっだらねえ理由で反社と付き合ってた過去があってしかも自分自身もその影響で薬物経験もあります
とか
自分のハメ撮りを消さずに大量に持ってる可能性がある男が存在してます
とか
とか
とか
これらレベルの過去があっても、20代のうちに完全にその" 汚物感" を漂白し切って、一般社会のいわゆるお堅い仕事の知的エリート層の男とまんまと結婚して、子供作って、普通に母親やってる奴はマジで結構いる
数年前からニュースを真面目に追うのをやめた。SNSも自分の友人以外はほとんど見ないようにした。
現代社会は情報過多で疲れるし、どうせ自分には関係ないからだ。
社会問題に思いを馳せて、知り合いと話題にできるぐらいの知識を入れておくのは大人の義務なのかもしれないが、
どうせ、おれの半径5m以内で起こってない問題をおれがどうにかしようとすることはない。
ウクライナの戦争についても1mmもわからないが、とりあえず1000円だけ募金しといた。
親父が反面教師になった部分はある。
うちの親父は家で晩飯の時間にニュースを見ながらやれ誰々はアホだの不平も漏らす。
当然それで食卓が明るくなることはないし、世の中もよくなっていない。
「日本のどこかで殺人事件が起こったニュースを流しても、視聴者が似たような事件に遭遇する確率は非常に低いのだから
いたずらに不安を煽っているだけ」という親父の意見には同意したが、自分の発言が周囲の人間に及ぼす影響について
配慮することが人間関係を良好にし、結果的に自らの幸福度を高めるということはメタ認知できていないらしい。
それよりも目先の不満を吐き出してストレスを解消することにとらわれている。
うちの親父はそこそこ頭のいい大学を出て、実際頭も悪くないし仕事もがんばっていたが、
なんかコンプレックスありそうだしね。否定するとめっちゃ怒るし。最近は少しマシになったけど。
話が逸れた。
ニュースを見ないようにしたといいつつ、なんだかんだ頂き女子のことは知ってるし、周りとの会話にも困ってない。
頂き女子のことも本当はどうでもいいんだが。まあこれもエンタメ消費だよね。
ニュースをエンタメのように消費している。世の中の大半もそうだろう。
暇で退屈なんだろう。
昔からきっとそうだったんだろう。
いや、おれも知らん。
文化資本(英語: cultural capital、フランス語: le capital culturel)とは、社会学における学術用語(概念)の一つであり、金銭によるもの以外の、学歴や文化的素養といった個人的資産を指す。フランスの社会学者ピエール・ブルデューによって提唱されて以来、現在に至るまで幅広い支持を受けている。社会階層間の流動性を高める上では、単なる経済支援よりも重視しなければならない場合もある。
wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B3%87%E6%9C%AC)
フランスの社会学者ピエール・ブルデュー,P.(Pierre Bourdieu, P.)とジャン=クロード・パスロン,J-C.(Jean-Claude Passeron, J-C.)が考案した概念で,人間の知識技能を資本として捉えたゲーリー・ベッカー,G.S.(Gary S. Becker, G.S.)の人的資本概念を文化領域に拡張し,貨幣や財の経済的側面のみならず,教育や文化の面において財が相続・生産・蓄積・投資される過程を説明する。文化資本は言葉遣いや立居振る舞いなどの身体化された様態,書物・絵画などの文化財所有による客体化された様態,学歴・資格によって制度化された様態からなり,それらを教育や就職など,経済的には「市場」となりうる「場=界(champ)」に投資することで,再生産戦略を可能にする物質的・象徴的な利益を引き出す。それは幼少期の家庭から相続継承され,学校教育を通じて中立的な能力証明へと変換され,社会的な地位や権力の再生産に結びつく。この概念によって,一見利害関係なく実践される文化慣習行動を,貨幣経済より広範な「象徴交換の経済」に取り込んで分析することが目指される。
コトバンク(https://kotobank.jp/word/%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B3%87%E6%9C%AC-377212)
小難しいがようするに、
という前提があって、
・金だけでなく、文化的素養や学歴、スキルなどの見えない資産も子に受け継いでいるんだ!
ということなんだな。
で、その受け継ぐ過程で使われる個人的資産(=投資のもとになるもの=資本)を文化資本というらしい。
てことは、美術館それ自体は文化資本ではないやんけ!(個人資産じゃないから)
おいおい、「文化資本」という言葉もまた、はてなーたちの反知性主義によって意味が捻じ曲げられているじゃないか。
「なんか語感がかっこいいから、意味はよくわからんけど使ってみました」じゃねーんだよ。
美術館そのものではなく、「親が美術館によく行く習慣がある」とか、そういう「家のなか」の話なんだよ、文化資本てのは。
しかも資産や社会的地位の再生産に結びついていることが前提なのであって
庶民が「お、、おれはモネの展覧会とかよく行くし?」とか「いやー、声優の舞台挨拶が家から近くていいっすわ!」とかホクホクしてるのは文化資本じゃないんだよ。単なるエンタメ消費だそれは。アホか。
「親父が社長やってたんで、起業は自分にとって自然な選択肢でしたね」ってやつだよ。
あれこそ文化資本だよな。
・・・と、こうやって知らない言葉の意味の確認すら行わない、知的誠実さ皆無のお前らが親からたいした文化資本を受け継いでいないのは明白。
地方民は「美術館いってまーす☆文化資本文化資本☆」とかなんとか自慢してるスノッブどもを見下していいぞ。
・適当に調べたり考えたりしてみる感じ、居住地域に美術館だとかいい学校があるだとかは社会資本の話な気がするわ
・文化資本て、「親の語彙の豊富さ」とか「親同士の会話の知的水準の高さ」とか「親が教育資格を保有していて、知的水準の高いフィードバックが日常的に得られる」とか、「社会的地位の高いオトナとの会話機会の豊富さ」とか、そういうものなんじゃねーかな
・「文化資本の定義を都市や地域に援用」とか言ってるやつ、文化資本て社会階層の再生産を説明するロジックで生まれた言葉らしいから、「都民=殿上人、地方民=下層民!」的な東京の選民思想を前提に生きてるってことになると思うんだが、大丈夫そ?
・つーか、東京のなかでも当然ながら格差や階層があるわけで、そのなかでざっくり「もとの定義は家の話だけどぉ、都市に援用すればぁ」っつってるやつは、東京の内側で生まれている格差にはどう説明をつけるんだ?東京にいるだけで文化資本の恩恵を享受できるなら、東京の内側の社会格差はその他の地域と比べて小さくないといけないはずだろう。まずはそれを示してくれ
・いい学校とか文化施設へのアクセスを高めるために東京に住む、はたしかに「その判断能力があったり意思決定をする家庭である」という意味で文化資本があるといえそう。ただ、その意思決定の内実が本当にそうなのか?というのは問いたいところではあるな。なんとなく東京で就職したとか、職場が東京だからそのまま住んでますとか、そっちが主要因なやつも多いんじゃないの?
・いくつかブコメ読んで、格差を批判する文脈でなら都市間に援用してもいい気がしてきたが・・・仮に「都市の文化資本」という概念が成り立つ場合、以下が疑問。詳しい人おしえて
1.文化資本の枠組みだけで考えると、いい学校、いい美術館などは「客体化された形態の文化資本」に分類されるはずだが、そもそもこれらは社会資本ではないか?どう整理するのか?「ハビトゥスを形成しやすい環境が東京の文化資本」と言ってるやつもいるが、わざわざ"援用"せずとも「東京は社会資本が充実してますなー」で済むんじゃないか?
2.もとの定義に照らすかぎり、文化資本=経済的な格差・階層の再生産に結びつくものなので、「他地域よりも東京を経済的・社会的に特権的地位たらしめている、東京に特異的な文化慣習行動」が「東京の文化資本」ということになる。それってなに?そんなんある?
3.ここまで考えて、いわゆる「ユダヤの商法(ほんとにあるのかしらんが)」はユダヤ人の文化資本といえそう、つまり都市という地理的な要素よりは特定の価値観を共有する集団内においてなら、文化資本という概念は家を超えて援用できそうと思ったんだけど、どうなん?
ワイって育ちがいいから
すべての人間は物事を理知的に考える頭脳を持っていて、共同体のために最善の行動を取るに違いない
と信じているところがある
ん?と思うことがあっても「あぁ、きっと俺が把握していない事情があって彼なりに考えて導き出した答えなんだろうな」ととりあえずは様子見する
そんなことをやっていると
いつかクソみたいな利己的な人間が出てきて、こそこそ隠れて好き放題やってチームが崩壊する
そうしてマイクロマネジメント上司が誕生し、ペンの上げ下げにネチネチ言われるようなチームになる
部下に伸び伸び働いてほしいという気持ちはいつも持っている だって俺もその方が楽だから
そしてクズに対抗するためには規則でガチガチの組織にするしかないんだよなぁ
あーやだやだ
科学教育への要求が言外に主張するのはどんな問題であれ科学的な訓練を受けた者の問題への取り組み方はそうでない者よりも知的であろうということだ。
科学者の政治的見解、つまり社会学や倫理、時には芸術に関する見解さえ、科学者のものは門外漢のものより価値があると言っているのだ。
言い換えればもし科学者が支配すれば世界はもっと良い場所になるだろうというのだ。
しかし私たちが見てきたように現実には「科学者」とは厳密な意味での科学の一分野の専門家という意味だ。
そうすると化学者や物理学者などが詩人や法律家などよりも政治に関して聡明であるということになる。
そして実際のところすでに固くそう信じている人々が数百万人もいるのだ。
だが科学的とはいえない問題に客観的な方法で取り組むことに関して狭い意味での「科学者」がそれ以外の人々よりも適しているというのは本当に真実なのだろうか?
科学とは何か ジョージ・オーウェル
親族(両親の兄弟姉妹)に障がいを持っていた経験のあるアラサーです。
あなたの言いたいことはよく分かる。
知的障碍は多くのコミュニティで嬰児殺の対象とされてきたのではないかと思う。
実際に、優生保護法によって手術は行われていたし、周囲に隠すのも当たり前な時代。
私の場合、当人は身体的な部分であったので周囲の介助で何とかなりました。
昭和前半生まれにしては裕福な家庭だったようで大学まで行って、家業の経理を担当をしていたそうです。
ただ祖父母の話を聞くに、当人の兄弟姉妹たちの縁談では非常に苦労したと語っていたのを思い出します。
自分の地域では多少人権意識が進んでいたのか、いわゆる特別学級が隣だったこともあり
当人が生まれた当時、幼少時代を考えると非常に大変な思いをしたのだろうと感じていました。
身体的な障がいに関しては、古くから按摩さんに始まり社会の中で活躍する場があるし用意できるでしょう。
ただ、知的な面においては、勿論憲法で規定されているということは理解しているつもりでも
当人の為にも、周囲の為にも、社会の為にもならないのではないか、というのは個人的感情では思います
自分も半出生主義とまではいきませんがパートナーと子作りに消極的なのはそこが大きい気がします。
それを、一家族、一個人に任せていいのか、という思いがあります。
行政の支援があるとか、そういう話ではないのです。産んだ責任、とされるのが怖いのです。
単細胞生物や単純な多細胞生物に見られるような、基本的な感覚能力を持つ。
刺激に対する反応、光や温度の変化の検知など、限られた情報処理能力を持つ。
過去の記憶や将来の計画を立てることができ、感情や感覚を経験することができる。
意識レベルに加え、複雑な社会構造を形成し、他個体と協力したり競争したりする能力を持つ。
社会的知性レベルに加え、宇宙や生命の起源について理解し、他の惑星や文明と交流する能力を持つ。
意識を構成する条件がなく、意識が意識のみで成り立ち、電磁相互作用、重力相互作用、強い相互作用と弱い相互作用の制限から解放されている。
増田のシステム停めるのが最大の狙いであり知的快楽なんだから止めるわけねえじゃん。お前の会社の計算か光かのどっちかが停止すれば、人々が自然に暮らすことができるんだから。
養育したい欲求自体はあっても子供が自立できなかったときに2000万じゃ済まないし親が死んだあとの子供がどうにもならないしで責任取れないから犬猫に行くんでしょ
犬猫を高齢者が飼い始めることも飼い主のほうが先に死ぬ可能性があって犬猫が残されるから無責任って言われているし
養育する側の責任がとても重たいから短命でローコストな生き物に向かうのは当たり前だと思う
ペットの猛犬が子供を襲った事件はあったけど、ペットはどれだけ飼い主がカスで飼い方が間違っていたところで、
京アニ放火や心療内科放火や秋葉原トラック加藤や池田小の宅間みたいに育つだけのポテンシャルがないという安全さがある
小中学校の時点で子供が不登校引きこもりになってしまって重い発達障害が判明して就労が絶望的みたいなケースを目にするほどに「どうするの?」って思う
子供が小さい現在であっても親はすごく大変そうにしているけど、現在よりも子供が大人になったあと中年になったあと、より悲惨になっていく未来しか想像できない
熊沢英一郎の父・母・妹の全員が可哀想だと思うし、父が手間も金もかけて結構努力していたけどどうにもならなかったし、ああいうケースについてはどこにも出口がない
寿命から考えたら絶対に親のほうが先に死ぬわけで親が死んだあとも子供が生きていけるように育てるのが親の責任だと言われているけど
子供が重度の発達障害の場合・・・というか自閉の特性が強い場合は環境を調整するしかないし、その人のために奴隷になる人が周りにいないとダメだよね実質的に
そもそも子ガチャで自閉児を引いた時点で人生が終わるし人生全部自閉児の環境調整に捧げたうえで子供より先に死んだら無責任ってことになるの酷すぎない?
知的障害児の親を何組か見たことがあるけど知的障害のみの子の場合は親が実はそんなに疲弊していなくて、ボロボロになってたのは自閉特性が強烈な子の親だったよ
自閉が強烈かつ知的能力も低いとなると自閉傾向によるストレスの発散の仕方が暴力的になり親に当たって本当に酷いことになってた
あとなんか被害妄想が凄い気がする・・・陰謀論の界隈にも見るけど知性が低くて自閉傾向があると無から「被害感」を製造する傾向があるし先天的な傾向で治らないよねこれ?
子ガチャで「被害感」を感じやすくて「被害感」を理由として加害しまくるタイプの子供を引いてしまったら親の人生終わりだと思う・・・
自分に軽度の自閉傾向がある「ギリ層」だったり親族に微妙な人がいたりしたら、子ガチャで「詰み」を引いてしまう確率が高いわけだからもうやめとこうってなるよね
私の場合、自分は辛うじてなんとかなっているけど理由は運としか言いようがないし、それでも定期的に「無理」になるから子供なんて絶対考えられない
健常児だったら微妙に特性のある私のヤングケアラーになってしまいそうだし、自閉児だったら軽度自閉が重度自閉の環境調整を続ける地獄になるし私より重度の子だったら絶対社会適応できない
だいたいIT産業が大量の自閉傾向の持ち主を資本主義経済に取り込んでる節があって、これAIが発展したら大量に不要化される気がするんだよね
必要な人間の数がゼロになることはないだろうけど少ない人数で回しまくれるようになると思う
今、ギリなんとかなってるギリ層の椅子は無くなって知的能力トップ層がAI活用して少人数で回しまくれる
そう思うと賢い健常の子以外、生まれてきて生きていく幸せってあるの?と思ってしまう
ギリ層で不安定な親から生まれてきて不登校児になって無職ルート行って人生経験をつめないまま社会や他人への不満だけ抱いたまま
フィクションだけ摂取する人生って本当に苦しむばかりだし生まれないほうがましだと思う
itotto 他人からどう思うわれるのかばかりを気にしてるみたいだけどそんなことよりも自分がどうしたいとかないの?したいことがないから人の目が気になるんじゃない?
https://b.hatena.ne.jp/entry/4754002417981406752/comment/itotto
私は子供に自閉傾向が出て環境調整人生になるくらいだったら要らないと言ってるし自分自身が生まれたかったかというとそうも思わないってだけです
「他人からどう思うわれるのかばかりを気にしてる」なんて話は夜職女子やゲーム課金等々顕示的消費の話などで好きなだけやれ。療育や医療福祉の領域には出てくるな