はてなキーワード: 登場人物とは
「はてなの運営、運用、管理に関する法律(以下、はてな法)」において、はてな匿名ダイアリーの運営、運用、管理について定めた第7章では、126条第1項において「増田は必要があれば特定の投稿を禁じることができる」と定めている。そして具体的にどのような場合に投稿を禁じるかについては、同条2項が「前項の必要は命令を以って定める」とされている。そしてはてな法の委任を受けた「はてな匿名ダイアリー施行規則(以下、増田規則)」は201条3号にて「再投稿を禁ずる」と定めている。
思うに、はてな法が投稿を禁ずることができる場合とは、犯罪の扇動、個人のプライバシーに関わる情報、個人の名誉を毀損する表現、その他運営に重大な支障を及ぼすものなどで、それらの中で国民一般に広く保障された表現の自由を考慮してもなお看過し難い重大なものに限るという趣旨であると読み取れる。
「再投稿によってサーバーに負荷をかけ、はてなの運営に支障が生じ、また同じ投稿が繰り返されることにより利用者が重要な投稿を見逃し、よって利用者の知る自由、知る権利が害される」という被告の主張するおそれは再投稿以外の投稿によっても容易に起こり得ることであり失当である。増田規則が再投稿のみを殊更に禁じたことは不合理なものであり、同規則の当該定めははてな法の委任を超えた違法なものと評価せざるを得ず、その限りにおいて無効である。
よって原告及び利用者は私生活上の自由の一つとして再投稿をみだらに禁じられない自由を保障される。また利用者は内容に対する非難はともかく、再投稿それ自体を非難する権利は保障されず、それどころか法律を以てこの再投稿を非難する権利を付与すること自体も許されない。
なお、この判決に抵触する限りに置いて増田規則の当該定めを違法ではないとした当裁判所の判決(~『お前らが恋したいちご100%の登場人物挙げてけ』再投稿禁止事件に関して~)を変更する。
誰かが漫画のセリフ書き起こしたの読んだだけで、絵は見てないかもよ
登場人物の一人が「可愛い制服の高校に行きたかった」旨の原作にないセリフを言うそうだが
スポンサーにはProcter & Gamble Company
アメリカ合衆国オハイオ州に本拠を置く世界最大の一般消費財メーカー(化学・製紙)、イスラエルと企業も関連ある柔軟剤ダウニーの会社だ
報告書によれなプロデューサーは「スポンサーへの配慮等による原作の改変は発生すると考えていた」
またモサドかもしれんよなあ
日本映画テレビプロデューサー協会は何のためにあるんだろうなー
芦原先生は、自身の作品がドラマ化される際に発生した問題について、SNS上で声明を発表しました。しかし、その声明が予想外の反応を引き起こし、ドラマの脚本家が中傷されるという事態に発展してしまいました。このような展開は芦原先生の本意ではなく、「攻撃するつもりはなかった」と慌てて投稿したことからも、自分の言葉が誤解され、意図しない方向に事態が進んでしまったことに動揺していたのでしょう。
- 責任感と罪悪感:芦原先生は、自身の声明がきっかけで脚本家が中傷されていることに責任を感じ、罪悪感に苛まれた可能性があります。特に、創作業界では「表現の自由」と「表現による影響」のバランスが常に議論されるテーマであり、先生は表現者としての責任を重く感じたのかもしれません。
- 予想外の事態に対する恐怖:SNSは時に予想外の方向に世論を動かします。芦原先生は、自分の言葉がこれほど大きな反響を呼び、攻撃的な行動に繋がるとは予想していなかったでしょう。この想定外の事態に恐怖を感じ、パニック状態に陥った可能性があります。
- 創作者のプライド:芦原先生は漫画家として、自身の作品に強い思い入れがありました。その作品が自身の意図しない形でドラマ化され、さらにその問題を指摘した声明がさらなる問題を生んでしまったことに、創作者のプライドが深く傷つけられた可能性もあります。
- 孤立感と絶望感:SNS上で騒動が起きたとき、芦原先生はひとりで対応していたのでしょうか。所属する出版社やテレビ局などのサポートがあったのかは不明ですが、騒動の渦中で孤立感を感じていた可能性はあります。さらに、テレビ局側が何らかの対応をする前に先生が亡くなってしまったことから、事態の収束や解決への道筋が見えず、絶望感を深めたとも考えられます。
これらの要因が絡み合い、芦原先生は自殺という選択をしてしまったのかもしれません。創作者の表現は、時に思わぬ影響を及ぼすことがあります。この悲劇をきっかけに、SNS上での発言の重みや創作者の責任などについて、改めて考える必要があるでしょう。
そして2001年12月20日発売の男性同性愛者向けポルノビデオ『Babylon Stage 36 実録ザ・ドキュメント 本当にあった体育会ワイセツ話』にて通称「ECZN」と呼ばれる登場人物が「なんだよ…お前のケツ、ガバガバじゃねえかよ」と発言した。
ここから、TDNスレで「しまりがない」「気合が入ってない」「だらしない(レ)」「杜撰である」的な意味の定型として10.の用法で使われるようになり、専らやる気のない物や事柄に対しては大体「ガバガバ」の一言で済むようになった。
いやそもそも淫夢作品内では物理状態を指す普通のごく用法やないかい
これで由来扱いってガバガバでは?
みたいな感じですがご堪忍ください。
皆様の力をお借りしたく。
https://jinsung.chronicle.wiki/d/%bf%e5%b7%d0%c3%ed%a1%a1%bf%cd%cc%be%ca%cc%ba%f7%b0%fa
編者が漢以前に弱く、精度がひどいことになっています。
(よみがなも、ひとまず機械的に入れたので
一部が壊滅的になっています)
まぁ指摘してやってもいいか…
という方、ここへの返信という形で
ご指摘いただけないでしょうか。
反映状況については
https://jinsung.chronicle.wiki/d/%bf%e5%b7%d0%c3%ed%20%bd%a4%c0%b5%cd%fa%ce%f2
にて、定期的に報告していこうかと。
事実だとわかるのは、
該当の脚本家は指揮権のあるプロデューサーに困惑や苦い気持ちをSNSで伝えたわけでもなく、
何故か2次創作者の立場でありながら同業者と原作者をSNSで批判したこと、
日テレもプロデューサーも出演者もそれを放置したこと、
ただこれだけだぞ
魚拓より
がら急きょ協力という形で関わることになりました
魚拓より
最終回についてコメントやDMをたくさんいただきました。まず繰り返しになりますが、私が脚本を書いたのは1〜8話で、最終的に9・10話を書いたのは原作者です。誤解なきようお願いします。
(中略・気になるなら魚拓見て)
脚本家の存在意義について深く考えさせられるものでした。この苦い経験を次へ生かし、これからもがんばっていかねばと自分に言い聞かせています。
どうか、今後同じことが二度と繰り返されませんように。
魚拓より
某脚本家
○○さんの一ファンとして悔しいです。🥺
1〜8話で変化、成長していった登場人物たちが、9、
んと描くだろうなと思いながら観ました。
で、その時間経過も描けてなかったですね。。
まったのが残念でした。😢
私もこの事、胸に刻んでおきます。
某脚本家
あろうとです。わたしもいろいろ考えさせられまし
た。ともあれ素敵な作品をたくさんおつかれさ
までした!良いお年を迎えてください
文業の人
はじめまして。毎週楽しみにしてました。
わったので不思議でした💦そして、えっ、
ここでふんわり終わり?と。
でも訳がわかりました。
そして、私も物書きの1人として尊厳を傷つ
素性不明
な?誰かが手を入れたりして現場も混乱した
のでは?
他にもドン引きコメントにいいね❤️推してるのが確認できるので気になるなら魚拓見ようね
せめて下記のように発言すれば、よかったよね、これなら表立っては誰からも責められずに『私が書いたんじゃないから』をできた
『最後の2話は、な…なんと!!!原作者様がご自身で脚本を書いてくださいました!サプライズプレゼント🎁🎄でしたが、原作ファンの皆様にも喜んでいただけるような作品に仕上がったと自信を持ってお伝えできます』
こう言っとけば、ゴタゴタが取り沙汰されても、下記のように言えば全部問題片付いた
『このドラマの製作過程では、チームメンバーの間で様々な意見が飛び交いました。それは、原作のファンやドラマの視聴者に、最高の作品を届けたいという共通の想いがあったからです。原作者の方にも、貴重なご意見やご協力をいただきました。おかげさまで、素晴らしい作品に仕上げることができました。ぜひドラマをご覧になって、製作チームの情熱を感じてください』
それすらもしないで、2次創作者の立場で原作者をドラマ出演者と一緒の写真を添えて非難という傲慢な奇行、そりゃ燃えるよね🔥
どこぞの脚本協会だって、『著作権法第20条』が大事だって言ってるだろうよ
【日本シナリオ作家協会・脚本契約7原則】
(1)「オリジナル企画」および「オリジナル脚本」の脚本家は、原作者として尊重されなければならない。
(2)「オリジナル企画」および「オリジナル脚本」が映像化に至らなかった際は、特段の取り決めがある場合を除き、いかなる場合も著作者である脚本家が任意に利用できなければならない。
(3)企画開発費と脚本料を一元化してはならず、企画段階の企画書・プロット執筆、脚本執筆には、別途ギャランティが支払われなければならない。
(4)脚本料は受注時に取り決め、長期間に及ぶ脚本執筆 の場合は随時支払われるものとし、決定稿を提出した後、速やかに支払いが完了されなけれ ばならない。
(5)企画開発および脚本執筆のために必要とする取材費、資料費、交通費その他の実費については、発注者が負担しなければならない。
(6)氏名表示に関して著作権法第19条の規定を遵守し、宣伝・広告活動の際にも配慮されなければならない。
(7)著作権法第20条の規定を遵守し、脚本家に無断で脚本を改訂してはならない。
これを読んで昔の彼氏のことを思い出したのでちょっと書く。この増田の話と私の話が同じとか言うつもりはない思い出しの書き散らしだ。
私の元彼は優先席でなくても電車でお年寄りや子供連れを見つけたら速攻で立って譲るとか、ゲームセンターで取れたぬいぐるみを子供にあげるとか、街中で迷ってるぽい人がいたら声かけて道案内するとか、お年寄りの荷物持ってあげるとか、フィクションの登場人物か?ってくらい人助けをする人で、それは別にデート中とか関係なく行われる超正しい人であった。そういうところが好きだったんだけど、そういうところが原因で別れた。
ひとつのことが原因というより積み重ねだったのだけれど、一番決定的だったのは彼と私が好きだったキャラクターのショップに限定商品を求めて並んだときのことだ。この手の行列にしては短いのかもしれないけど、一時間半くらい外で並んで整理券を手に入れた。一人一枚なので彼と私で二枚。
記載時間までかなり時間があるからどうしようか、って歩いているところで整理券が終了したことを店員に告げられて泣いている子供と慌てている親がいた。正直に言って超嫌な予感がした。案の定彼氏はその場で店員に一枚で親子が入れるか確認したうえで自分の分の整理券を譲った。二人分の個数制限分ほど買わないからこれでいいよね、外で待ってるから俺の欲しいものもお願い、と言われた。
彼氏の行動は今考えても間違ってはいないと思う。一人分の購入制限で欲しいものは足りるのも、子供がメインターゲットに含まれているようなコンテンツだったので、子供を優先する態度を取るのも正しい。
でも綺麗にかわいくラッピングされたりオブジェが置かれた店内を一人で回って、なんで私は今これを一人で見ていて、かわいいね素敵だなって彼氏と言い合えていないんだろう?と思った。それを彼氏に伝えた。でも子供優先じゃん。俺が見られなくても、その分あの子たちは楽しんだと思うからよかったよと言われた。喧嘩した。たぶん幻滅された。別れた。
よく女は感情(笑)って言うけど、そうなんだろうなーと思う。結果だけ理性的に見れば、彼氏の行動は超正しい。むしろ利益を生み出している。私たちは欲しいものを全て買うことができた。譲られた親子も欲しいものを買うことができただろう。私が一緒に店内を見たかったとか、買い物がしたかったっていうのは感情の話だ。彼氏にとってその感情は他人のために我慢できる範囲であった。皮肉でもなんでもなく素敵な価値観だと思う。
でも私はそうなれないなと思った。テーマパークで一日遊んだあと、足が痛くて疲れてるのに優先席でもない席でお年寄りに席を譲れるほど、美味しそうって事前に言ってたのに後ろの人が食べたがってるからってビュッフェで残り少ないケーキを我慢できるほど、頑張って朝から並んで手に入れた整理券を知らない子供に譲れちゃうほど、他人のために我慢できないのである。それが当たり前だって言えない。
彼氏は当然私にもその飛び抜けた善性を期待するが、私は利己的な人間のため、電車を一本見送ったら座りたいし、自分の順で食べられるものは食べたいし、ゲームセンターで二人でとったぬいぐるみは思い出に持って帰りたかったし、朝から並んだら一緒に店内を見て回りたい。それも伝えたがわかりあえず、私は彼氏の当たり前の基準値の高さについていけなかった。
たぶん人によって他人のためにどこまでリソースを払えるか、損を許容できるかってちがって、それがずば抜けて広い人と私みたいな狭いカスが付き合うと破綻する。
私はおばあちゃんの迎えが来るまで待ちながらイライラしてしまった彼女さんの気持ちがわかってしまう。好きな相手との初めてのデートで、二人で楽しく過ごす時間というリソースがどんどん他人のために払われていくことが辛くて、辛く思ってしまう自分の心の狭さを感じてさらに辛くなったのだと思う。私もそうだった。聖人とカスは付き合えない。
この増田で彼女をぶっ叩くトラバやブコメが多すぎて本当にびっくりしてしまった。この文章だけを読んで、この男と彼女の過失を0:10で考えられる人たちが怖い。
この男、彼女のことは何にも書いてないんだよね。書いてあることは、”自分よりも若い女性であることを示す”年齢と、”あたかも彼女のヒステリーかのように”一方的に別れを告げられたことだけ。
徹底してこの女性を下げるために他の要素を隠してるのね。おそらく、そこを記載すると自分に不利になるということを分かってるから、意図的に省いてる。
それでいて、書いてあることは常に自分のことばかりで、他人の気持ちを想像する文章は一行すら挟まれてない。問題の彼女のことも、老婆のことも、あたかもただの登場人物かのように記述している。
推測だけど、そもそも彼女も自分の添え物程度にしか扱ってなかったんじゃないかな?そうした積み重ねが、今回のデートで放置された結果糸が切れてしまったんだと思う。
一番気になるのは、普段は「男女双方の言い分を聞かないと判断できない」とするはてな民たちが、今回は男の言い分だけを聞いて女性を批判していること。
確かに、ポリコレの要素が入ることで物語の自由度が制限されることもあるかもしれない。けれど、それが本質的に作品の面白さを損なうかどうかは、また別の話だ。たとえば、昔ながらの冒険譚に多様なキャラクターを加えることで、新しい視点や深みが生まれることもある。多様な背景を持つキャラクターたちが、それぞれの価値観や経験を持ち寄ることで、物語が豊かになる場合もある。
俺が最近読んだ小説でもそうだった。主役は、障害を持つ探偵と彼の友人であるトランスジェンダーの医師。最初は、これもポリコレかと斜に構えていたけれど、読んでいるうちに、彼らの背景が、物語の中で重要な要素として機能しており、むしろ物語に深みを与えている感じがした。
一方で、ポリコレを意識しすぎて、不自然に感じる作品もある。登場人物がステレオタイプに描かれ、ただの象徴として扱われているように感じる時だ。そんな時、確かにつまらなくなる。キャラクターがただの「役割」以上の存在にならないと、物語は深まらないし、感情移入もしづらい。大切なのは、キャラクターが生き生きとしていて、その存在が物語にとって不可欠であることだ。
結局、ポリコレが作品をつまらなくするかどうかは、作り手の力量にかかっている。キャラクターやテーマをどう描くか、どれだけ物語に自然に溶け込ませるかが肝心だ。そして、受け取り手の気持ちも重要だ。読者や視聴者が作品に対してオープンな心を持っていれば、新たな視点や価値観に触れることで、むしろ作品の楽しみが増すこともある。
シンプソンズがリアリティ番組に出る話でそういうセリフがあって、まあ短絡的なんだけど間違ってはないよね。
ドラマ性をもたせるうえで、最も手軽な方法は対立・喧嘩させること。
もちろん、対立や喧嘩なんてギスギスしがちで、受け手にとってストレスにもなりやすいから乱用しすぎるのも危険だけどね。
韓国の連続ドラマとか熱心に観てた時期もあったけど、ふと「こいつら、いつも言い争ってんなあ」と思うようになって。
問題は「言い争ってるだけのシーン」が多すぎることで、その言い争いも話の本筋的にあんまり意味がない。
極端な話、主要な登場人物を喧嘩っ早い性格、やたらと因縁をつけてくるキャラにすれば常にドラマティックな話にできる。
漫画でこれを多用しているのだと、最近なら『龍と苺』が思い浮かぶ。
将棋なんていう絵的に地味になりやすくて、ルールを分かってない人にはサッパリなものを題材にしているけど、それをドラマ性でカバーしている作品。
脳内物質の分泌に問題を抱えた女の子たちの、衝動に任せた刹那的な生活の物語。
公共の場で暴力行為や罵り合い繰り返す彼女たちに対し、周りの大人は冷たい目を向けるだけで何もしようとしない。
社交性が欠落しやたらと攻撃的で、互いの事を何も説明しないせいですれ違っていく感じは、ある意味で実際のバンドマンらしさもある。
いまのところ話の進展はほぼないが、なぜか主人公たちのバンドは人気が高まりつつあるらしい。
その前に登場人物の誰かしらの預金残高が尽きる気がするのだが。
性格がピーキーな登場人物をキャットファイトさせることで、何か物語が進展しているように見せかける手際は、いかにも花田十輝らしい。
ただ、見せ場のために非現実的で衝動的な行動をキャラクターに取らせる悪癖が、このアニメにおいては奇跡的にマッチしている。
最新話で、雨の中、軽トラの前に飛び出す主人公や、メジャーアーティストがステージ衣装のまま楽屋裏から屋外に駆けてくるシーンは、
思わず「そうはならんやろ」とモニターにツッコミを入れてしまった。
1話で切った。1話はよくできていたが、オリジナルストーリーで再スタートを切れなかったのは致命的失敗だろう。
原作に詰め込まれた小ネタのキモになる部分を巧みに採用しつつ、映像化に際してテンポを落とさないようにチューニングされている。
カットされているセリフが聞きたかった、と思うことはしばしばあるが、大きな不満はまったく無い。
「今期の覇権アニメ」といった刹那的なポジションではなく、耐用年数が長く何度も見返せる作品を意識しているのだろうか。
映像化に際してかなりの準備期間・制作期間をもって作られているらしいところがあるので、
3クール目がまだまだ先になるのでは無いかと懸念している。できれば、迫力のある絵で劇場でやってほしい。
制作会社が変わったせいか、どうも会話のテンポ感にハマりきらないところがある。
パッと見は作画が変わったくらいで、劇伴や声優はこれまでと変わらないだけに、この「ハマらなさ」がどこから来るのかがよく分からない。
たしかに、原作でもこのあたりの話は間延びしている感じはあったのだが、広角レンズを使った大コマの迫力があるぶんあまり気にならなかった。
アニメの場合、広角のシーンでもパンが振られていたり、キャラクターが動いているせいで逆に安っぽく見えるときがある。
視覚のすごみに欠けるせいで、見せ場となるシーンが単なる長回しになってしまい、テンポが悪く感じられるのかも。
予断だが、賛否両論あった映画のオリジナルストーリーは、個人的には大好きです。本編に影響がない未来の話だし、あれくらいやったほうがよい。
冬のオフィスに出社したときのひんやりとした空気感などがよく伝わってきたところが良かった。
3期は、キャラクターに「寒い」と言わせなければ寒さが伝わってこないような感じがある。いちゃもんっぽい批判ですが。
前回のアニメ化は1話しか見ていないので、話も含めて実質初見視聴。
概ね楽しく見ているが、街の風景や旅路、宿屋や酒場の描画が、全て同じに見える。リアリティが無いというか、生活感を感じられない点がちょっと気になる。
もっとも、この作品の面白さは何と言っても会話劇にあるから、背景の描き込みはほとんど気にならない。
主役の二人はもちろん、モブも交えた会話でも、小粋なセリフ回しで心地がよい。セリフそのものの魅力に、声優のバフがかかっている感じ。
この作品なら、動くアニメではなくて、朗読劇や舞台で見ても面白そう。
原作未読で、アニメで初見。さすが横手美智子とうなる軽妙な脚本。宮野の当て書きじゃねえか、とツッコミを入れたくなるくらい、宮野がハマっている。
記憶喪失の人物を通じて、野球という題材の汗臭さや泥臭さをメタにネタにしつつも、
当事者たちが取り込まれるある種の狂気も、野球未経験者にも分かりやすく伝わってくる。
うっとうしいくらいのギャグが脳に残ったところで、登場人物のシリアスな過去もばっちりと魅せてくる。
ダンジョン飯もそうだが、このアニメもキャラクターの作画上の演技が細かくて見入ってしまう。
アクションシーンが長いのではなく、さりげなく差し込まれる捕球のシーンなどの動きがよい。
グローブに球が収まるときの反動や、投げるときの重心移動の身体感覚が、視聴者に自然に伝わってくる。
増田は野球未経験だが、バッティングセンターに行ってみたくなる。打てるのかな。
吹奏楽部を題材にした学園サスペンスもの。ファムファタールに出てきそうな新キャラを交えて、陰湿さにもオーバードライブがかかっている。どう考えてもNHKの日曜夕方17時に放送していいアニメではない。なんとなくだが、売上の一部を不登校支援の寄付などに回したほうがいいと思う。
要するに、そのくらい心理描写が細かいアニメだと思う。破綻の無い作画もさることながら、表情やカメラワークが良い。黒沢ともよは化け物。アニメの黒沢ともよの演技が凄すぎるせいで、この作品は実写化できないんだと思う。
原作は未読だが、ねちっこい女性同士のからみにフォーカスして構成するあたりが花田十輝らしい。
それと、京アニのキャラクターの演技ってやたらとわざとらしいよね。顔の前で手を合わせたり、わざとらしく頭を掻いたり。変に心理描写が細かいから、そういうアニメっぽい仕草が浮いて見える。
推理小説ぐらい人が出てくる
同僚とか後輩も同じように複数人いて、話を深堀りしないとどの人間について話しているかわからないし、わかっているかどうか時々探りを入れられる
次に固有の人名、インターネットの知り合いの誰それさんとか地元の友達のなにがしさんも頻出する
会ったこともない、顔も知らないような連中のことなんて知らんとしか思わないが
繰り返し話されることでSNSアカウントもセットで覚えさせられてしまった
この傾向は嫁の雑談が回数を重ねるにつれ拡大を続けており、
嫁を中心とする複雑なコミュニティの組織図、その広大なネットワークを網羅するのに毎回結構苦労している
これってどうしたらいいんだ?
登場人物一覧作ればいいのか?
まずね、架空の食い物というのが、理解できない以上題材として全く面白くない
そこで貝とか鶏肉とか分かりやすくしてくれてるのだが、かえって陳腐化している
そこで他にも冒険要素や人種差別要素を盛り込んでいるが、はじめっからこれを主軸にした方がよかったのではないかという感じだ
しかし顔芸はなかなかよい
いいよな〜変顔
完全に蛇足なのはわかってるけど、俺がうかつにも二人ともモテないとか書いたせいでブコメで妻までブス呼ばわりされてムカつくので追記
俺は低身長チー牛顔だからまあ何言われても仕方ないけど、妻は客観的に見ても(無理だけど)美人なんだ
でもちょっと気が強いというか、昔から勉強もスポーツも人よりできて言いたいことをはっきり言うタイプだったから、女子グループからは浮いて男子からは敬遠される感じだったんだ
だからお互いモテないし友達少ないし、自分にはこいつしかいないなって感じでここまできた
ブス呼ばわりは許さんから
なんかただ惚気話を吐き出しただけなのにたくさん反応もらって驚いた
問題は飽きてあっさり捨てられるとこやね
いや、いまさら飽きるとかないわ
児童館の子育てサークルからいっしょなんだぞ(いうて流石にその頃のことは覚えてない)
耐えられるとは思えない
それ抜きで子育て無理だったと思う
お互い大学以外地元を離れたことないので視野は確かにかなり狭い自覚はある
いや、もちろん生物のオスとしては反応するけれども、自分とそういうことする相手だとは全く思えないわ
というか幼稚園のころに「増田くんのお嫁さんになってあげる」と言ってくれた人と実際に結婚して良かったことを書いていく
これには理由があって、異性を意識し始める頃にはすでに好きだったので、俺の中ではかわいい=彼女になってるから
当然ほかの異性をそういうふうには見れないので浮気も考えられない
自分のダメなところも全部知られてるから、無理にかっこつける必要はない
大人になって自分を取り繕えるようになってから出会ってたらこうはいかないだろう
どれだけ俺の社会的地位が上がっても、彼女にとっては「泣き虫だった増田くん」のままだから、そばにいると安心できる
結婚した時点ですでに知り合って20年くらい経ってるわけで、お互いの考えてることはだいたいわかる
それで喧嘩せず仲良くいられるのは、お互いに絶対こういう嫌なことはしないとか、相手にとってマイナスになることはしないっていう信頼関係ができあがってるから
よく察してもらえないですれ違ってる夫婦のネタが上がってるが、ああいうのは無縁
そのかわり、隠し事もできない
浮気するつもりは全くないんだけど、もししたとしても秒でバレる
お互いの実家もよく知ってるし、親同士も仲が良い
近くに住んでるので、子育ても両方の親に助けてもらえたから本気で楽だった
同じ地域の同じようなレベルの家庭出身で、ずっと一緒に生きてきたから金銭感覚がだいたい同じ
今はそこそこ金を稼げるようになったけど、無駄遣いはしないし、望んでる暮らしのレベルが一緒だからお金で揉めることは全く無い