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はてなキーワード: 江戸時代とは

2024-06-02

ひやむぎそうめん、どちらがうまいのか

ひやむぎが美味しいに決まってるだろうが。

まず、歴史的経緯から言ってみようか。そうめんが登場したのはいつごろか知ってるか?実は、江戸時代そうめんって、つまり相撲めん」って呼ばれてたんだよ。相撲取りが食べてたんだってさ。そうめんって、なんか力強そうなイメージじゃねーか?

それに比べてひやむぎは、戦国時代からあったからね。武士戦場で食べてた。だからひやむぎ武士の魂を宿してる。そうめんなんて、ひやむぎシャドウのようなもんだろうが。

それに味だってひやむぎの方が上だよ。そうめんって、ただの細い麺でしょ?つまり、食感も味も何もかも薄っぺらいってわけ。対してひやむぎは、コシがあって食べ応えがある。だからひやむぎこそが真の麺だよ。

そして、食べるときの楽しさも違う。ひやむぎって、つけダレによって味が変わるんだ。醤油ベースでもいいし、ポン酢ベースでもいい。それに対して、そうめんはどうだ?だいたい麺つゆで食べるだけでしょ?飽きるに決まってる。

もちろん、そうめんファンいるかもしれない。でも、ひやむぎの素晴らしさを知ってたら、寝返るに決まってるんだよなぁ。

2024-06-01

anond:20240601234528

それでも江戸時代になると「鉄砲は農具」になるんだから不思議なもんよね

anond:20240601175720

バカげた言動放置してるとバカ煽動されるからだよ

正しい知識は繰り返し語らなければアホの作ったデタラメ情報簡単駆逐されるし簡単に変な信仰が生まれ

何十年も前の賢い昔の人たちはそれがわかってるからポリコレとかカウンターカルチャーを作ったわけ

日本バカどもは江戸時代思考が止まってるけど

市の動物園がクラファンやってるんだけど

うちの地元にある小規模な市営動物園

無料入園できてアジアゾウが見られるのがウリなんだけど

飼育方法杜撰なのか、金がないのか、けっこう動物が死んでいる


過去1年ぐらいの間、自分が知っているだけでもルリコンゴウインコリャマ?、ラクダが死んだ


ルリコンゴウインコは1歳弱という幼鳥から抜け出したぐらいの時期なのに、なぜか外の鳥舎で飼育し始めて、春のはじめに死んだ

季節と年齢から考えるに寒くて凍え死んだのではと疑っている

鳥は、特に若い鳥は保温しないとすぐ死ぬ生き物だって飼育員じゃない自分ですら知っているのに、なぜそんな飼育方法をしたのか疑問


ラクダは他県の動物園かやってきた子みたいなんだけど、この動物園引っ越してきてわりとすぐに死んだ(理由は知らない)

元の動物園では移動直前まで元気そうにしていた記事が残っているので不思議すぎる


そのラクダ舎と同じ建物にあるリャマ舎でリャマ?ラマ?も暮らしていたのだけど、その子は顔に大きな腫瘍ができる病気を長らく患っていたのね

結局病気で衰弱して死んでいった

最後らへんは歩けなくて、古くて小汚いリャマ舎の中でずっと寝たきりだった

まりにもかわいそうな最後だった


ネットで同じように疑問に思っている人がいないか探してみたら、リャマより前に死んだラクダウイルスが移ったのではと指摘している人がいて震えた

ラクダがどう死んだのかは知らないけど、その人が言うには、羊ヤギラクダ系は病死したらウイルスが広まらないように飼育舎を解体埋め立てして作り直さなければならないらしい

他の動物うつるだって


他にもニホンザルエリアの猿たちは、個体識別のために顔に×とか△の入れ墨がいれられている

江戸時代の罪人かよ

夏場は鉄板のように熱されたコンクリートの上で暑そうにしていて、どの子ストレス栄養失調なのか薄毛でやせ細っていて、見ていると暗い気持ちになる



そんな動物園がなんとクラファンを始めた

お金がなくて運営が難しいのと、新しい動物を迎えたいかだって


誰がおまえらに金を払うかーー!というのが正直な感想

だって飼育方法杜撰すぎる


どうせ新しい動物を迎えてもすぐに死なせるでしょ

そう思ってる市民が多いのか、クラファンを始めてけっこう経ってるのに目標額の3割ぐらいしか集まっていない


インスタで飼育員が発信している内容も他の動物園みたいに、動物の生態や知識のPRはなく

「俺たちおもしろいでしょ^^?」「今日はこんなことしました☆」的な学生サークルノリでしかない


運営費のたしに収益が欲しかったのか、お手製の下手なイラストプリントしたグッズやゾウのうんこからつくったグッズを売ってるんだけど、ぶっちゃけ魅力がなさすぎる

民間人の目からしたらなんでこんな甘っちょろい企画でイケると思ってるのか謎すぎ

これで市が雇っている公務員なんだから頭が痛い



子供ちょっと遊ばせるのに便利だから地元動物園があったほうがうれしい

でも動物をすぐ死なせる・余裕をもって飼えないなら動物園をなくそ

もしくはがっつり入園料を取るようにしてくれ

2024-05-31

anond:20240531084008

俺も、早くAIが俺の仕事を奪ってくれと思う。

江戸時代生活水準で良ければ週二日のアルバイトでも将軍様レベル生活水準だろう。

扇風機インターネット、塩・胡椒、肉、卵、白米、飲める水、干してない魚)

生涯独身がセットでついてきてしまうのがつらいところ。

anond:20240531005632

人権労働法理解できないバカ管理職になれちゃう日本職場レベルの低さすげえよな

仕事できない無能な奴でも管理職になれちゃう

江戸時代の人なんか?

普通はこんなやつ即更生プログラム即クビなんだけど

2024-05-27

anond:20240527131448

毎度思うんだけどこれ資本主義関係なくねって思う

江戸時代からそうじゃん

株式会社が無い、帝政の国でもそうでしょ

2024-05-26

長崎の新サッカー場ではサッカー後に観客席からゴルフを出来るようにするべき

ピッチに向かってホールインワンチャレンジ

1回1000円でOB場合罰金1万円(デポジット制)

参加賞にはちょっとしたグッズを与える

ホールインワン者または一番穴に近い人に次回のタダ券をサイン付きで授与すると盛り上がるだろう

平日にもゴルフおじさんを呼べるのでよいだろう

会員権システムにしてもよいし仕事の話をしながら財界人が談笑する風景リッチ一言

芝生に一般客を入れず芝生を傷めずに。芝生グラウンドをつかった、市民毎日利用できることを日本初で達成可能な名アイデア

江戸時代より続く長崎最先端という「らしさ」をサッカーゴルフの融合という大胆な発想で令和前期に、衝撃を与えたという歴史を作ろう

多摩川スーツケースから動画配信活動する男性

はいどーもぉ。「スーツケースボートにしてみた」第3弾、今日はぁ、大師河原を渡ってみたいと思いまぁす。

この大師河原っていうのはぁ、江戸時代川崎大師詣でが流行ったときに、この場所で川渡しをしていたらしいんですよね。

令和のスーツケース果たして江戸時代渡し船の代わりになるのか、行ってみま…しょぅっ!

2024-05-22

anond:20240521170751

ところで「一寸の虫にも五分の魂」の「五分」は長さの単位としての分(1寸の1/10)というのが国語辞典解説のようだ。

そもそも漢語の「分」とは何であるか。漢和辞典を引くと

A三(数)

❶二分の一。半分。

人生百年、昼夜各分じんせいひゃくねん、ちゅうやおのおのぶんナリ

人生は百年で、昼と夜とがそれぞれ半分ずつである〈列・周穆王〉

❷十分の一。一割。

例歳蔵㆓三分㆒としゴトニさんぶヲぞうス

訳毎年三割をたくわえる〈管・乗馬

A四(量)

単位名。

㋐長さの単位。一尺の百分の一。

㋑重さの単位。一両の百分の一。

㋒面積の単位。一畝ポの十分の一。

時間単位。六十分は、一時間

㋔角度の単位。六十分は、一度。

貨幣単位。百分は、一元。

(中略)

日本語用法一わ-かる。理解する。明白となる。「答えが分かる」二ぶ。①勝負などの優勢の度合い。「分が悪い」②単位。㋐数で、一の十分の一。㋑歩合で、一割の十分の一。㋒重さで、匁もんめの十分の一。㋓江戸時代貨幣で、一両の四分の一。

という説明があり、どうも単位としても1/10だったり1/100だったりする。

(日本語用法ではない)漢語としても1/100の場合があるということは、把利→割の定着後に分=1/10割=1/100になった、というわけではなさそうだ。

貨幣で1両の1/4に至ってはもうわけがからない。

2024-05-21

正常独身青年先祖戸籍を取り寄せる

アブスト

 結婚の見込みがない29歳正常独身青年が、ご先祖様に申し訳ないという気持ちから先祖戸籍請求した。6市町から31通の戸籍謄本を取り寄せ、Excelにまとめた。戸籍制度の変遷や行政区画歴史を知ることができ、何故か海外移民歴史にも繋がり、祖父母との会話のきっかけにもなった。独身暇つぶしにはもちろん、子供自由研究にもおすすめであるかわいいの子と新戸籍編製したい。助けて。

背景・目的

俺が末代だ(誤用)→ ご先祖様に申し訳ないにゃあ → そもそも先祖って具体的に誰やねん → そうだ、戸籍、取ろう

 ワイ、29歳素人童貞自分は子孫を残せないかもしれないというぼんやりした不安がいよいよ現実味を帯びてきた今日この頃。親にも祖父母にもご先祖様にも顔向けがきぬと思った時、はて自分先祖ってどんな人たちだったんだらうという疑問が湧いてきた。祖父母に聞いてみても、こんな先祖がいたという話は出てくるがそれが自分にとって何にあたる人なのか(曾祖父?曾祖母?高祖父?)が分からない。墓石や位牌を見てみても名前戒名と行年が分かるだけ。家系図なんて高尚なものもなし。というわけで、先祖戸籍、取り寄せてみました。

僕はどこから来たのか、僕は何者か

 僕は埼玉まれ埼玉育ち、岐阜県在住29歳素人童貞工場勤務現場労働限界サラリーマン父親次男地元山口県母親は次女で地元栃木県、そんな2人が地元を捨てて東京大学出会い埼玉で僕が爆誕したってわけ。親の背中を見てすくすく育った僕は当然のように親元を離れ、縁もゆかりもなかった岐阜で働き、親に会うのも年1回、これが因果ってやつです。

How to 戸籍請求(※2023年版)

 さて、いざ戸籍請求しようと思っても、やり方もようわからん。こういう時はとりあえずググる。ふむふむ、直系尊属戸籍なら請求できる、と。まずは自分とか親の戸籍を取って、そこに親の名前と前の戸籍本籍地が書いてあるから、親、その親、そのまた親って遡っていけばいいわけか。同じ市町村内なら先祖戸籍をある分だけまとめて請求も出来るんだな。自分本籍地父親実家にあることは以前に住民票取った時にわかってたから、山口県役所まで行かなきゃいけないのかなと思ってたけど、どうやら郵送でも請求できるらしい。これはありがたいね。で、必要ものは、と……、まず請求書か、これはあとでコンビニプリントだな(プリンターなんて持っていない限界独身青年)。本人確認書類免許証でいいな、これも後でコンビニコピー。返信用封筒切手は買ってこなきゃ。あとは手数料を、定額小為替?、何だこれ、ていがくしょうかわせって読むのか?郵便局しか入手できないし、貯金窓口って平日16時までしか空いてないのか、これは面倒だな……。

 実際の手続き市区町村サイトにやり方書いてあるんで、それを見れば誰でもできます。面倒だったり時間がなかったりする人は司法書士とか行政書士かに依頼したらやってくれるらしいよ。僕はコミュ障からそっちの方が面倒なので1人でやった。手続き関連で意味わからんのは定額小為替。読み方もわからんくて、僕は最初郵便局の窓口で「ていがくしょうかわせください」って言って小恥かいた(ていがくこがわせ)。これは要するに戸籍の発行代を、現金は郵送できないから代わりに為替で送るってことなんだけど、小為替の額面にかかわらず1枚の発行に200円の手数料がかかる(2022年までは100円だったらしい)。200円の定額小為替1枚にも200円かかるし、750円定額小為替5枚で1,000円の手数料だよ⁉ 平日の昼間になんとか時間作ってるのにこんな手数料取られるの、ほんとアホらしい。オンライン決済に対応してくれ。社会人時間と金を返せー。北方領土も返せー。

 まあそんなことは置いといて、戸籍請求の時に用意しとくと便利なもの挙げときます。①プリンター: これがないと請求書の印刷とか本人確認書類コピーとかでいちいちコンビニに行かなければいけなくなる。行った。必要項目さえ書いてあれば手書きの書面でもいいらしいんだけど、今時そんな人なかなかいないよね。②角形2号封筒: 請求書発送と返信用として同封する分で結構使う。③A4クリアファイル: 封筒に入れる書類クリアファイルに入れる、これ社会人常識ね。え?ギリギリ働けているだけの無能社会人面してんじゃねえ?いいいいイキってすみません

戸籍の、種類

 戸籍には、3つ種類がありまして、戸籍に除籍に改製原戸籍、この3つなんですが、まあ大雑把に言ってしまえば生きている戸籍と死んだ戸籍旧版戸籍って感じです。先祖のことを知りたいのなら、とりあえず全部1通ずつ請求すればオケ現存している先祖戸籍は全部手に入れてやるくらいの気持ちでいきましょう。請求理由家系図作成のためって書いておけば、まとめて請求もできます

 戸籍はこれまで法改正によって6種類の様式が作られていて(明治5年式・明治19年式・明治31年式・大正4年式・昭和23年式・平成6年式)、現在入手可能で最古のもの明治19年式。ここまで遡れれば、だいたい江戸後期生まれ先祖がわかります。そして、さらに遡りたくなります、なるんです。ところが、明治5年はいわゆる壬申戸籍ってやつで、新平民とか元穢多とかの表記があるらしく、昔の差別ガーって五月蠅かった奴らのせいで見ることができない。これ、完全に国民知る権利侵害じゃね?今の法律だと直系尊属戸籍しか請求できないんだし、見せてくれたって何の問題もないよね。まあそもそも部落差別がどうとかいう話がまず胡散臭すぎるし(職業差別なんか?地域差別なんか?血統差別なんか?)、そんなもん現代存在しないやろ。解放同盟とか、差別反対って叫んでる連中が日本を歪めてるって、こんなとこでもわかんだね。みんなも部落探訪、もとい曲輪クエスト©鳥取ループ)してこ♪ 楽しいよ!

この本籍地はどこなんだ?

 で、戸籍請求して特に不備がなければ、1週間程度で返送されてくる。僕は最初戸籍をまとめて請求した時、想定よりも枚数が多かったので小為替が足りず、追加で小為替を送ることになった。小為替は多めに用意しとくのがヨシ。

 ここから自分先祖戸籍の話。父方の実家山口県田舎で、江戸時代からそこに住んでいたと聞いていたので、1回の請求で割と簡単明治19年戸籍まで入手することができた。しかし、よく見ると本籍地表記現在のものと違っている。もちろん市町村合併が何度かあって〇〇郡〇〇村とかが今と違うのはわかるんだけど、番地が全然違うのだ。今の番地が「〇〇番地」なのに対し、明治19年式では「第△□番屋敷」になっていて数字も違う。調べてみると、現在本籍地地番記載しているが、明治19年式の段階では地番とは別の壬申戸籍編製時に家ごとにつけた屋敷番号というものを載せているらしい、ということが分かった。そしてややこしいのが、地番屋敷番号は全く対応していないようなのだ。その辺は地域差もあるみたいで、近代化の過渡期って感じのカオス面白いですね。まあ現代でも住所表記は複雑で統一されてないし、そんなもんか。もしこの明治19年式の期間に先祖転籍していたら、以前の本籍地現在でいうどの場所にあったのか、地番対応していないのでちょっとやそっとじゃわからないらしい。僕も詳しくはないから、知りたい方はググってみてくれ。そう思うと、父方の家が江戸時代からずっとそこにあるというのは、運がよかったのかもしれん。

 他にも、高祖母家系明治19年戸籍で、「〇〇郡〇〇浦」という、「町」でも「村」でもない表記のものがあった。町村制明治22年施行から、それ以前の藩政時代表記が残っていたのだろう。これまた過渡期って感じでたまらぬ。こうなると郡制とか府県制とか市制町村制とか、行政区画歴史についても、わたし、気になります状態。心の中のえるたそが犬みたいに瞳を輝かせて迫ってくる。やれやれ、僕の頭脳はほうたるだからね、手短にね、やっちゃいましょうかね(Wikiを読む)。

Excelにまとめたよ

 そんなこんなで、クソ労働により病みそうで病まない少し病んでいる状態になりつつも請求粛々と進め、とりあえず6市町から31通の戸籍を入手した。ある程度集めたところでExcelにまとめる作業に入り、そちらの作業の方に時間がかかってしまってまだ先祖戸籍すべては請求できていない。単純に高祖父母の代まででも2^4=16家系あるからね、というのは言い訳ですごめんなさい。今のところ、一番遡れた人が高祖母祖母にあたる人で文政3年(1820)生まれさらにその1代前の両親まで生年月日は不明ながらも名前は判明した。やろうと思えば200年くらい遡れるんやな。

 戸籍には生年月日や出生地婚姻などによる入籍・除籍日、死亡日、死亡地などが載っているので、ひとまずExcelでまとめてみた。眺めてみると、子供が早くに亡くなっていたり、夫と死別して出戻りしていたり、養子を迎えたり、韓国京城で死んでたり樺太真岡で死んでたりアメリカで死んでたり、戸籍から見えてくるものなんてその人の人生のごくごくわずかな部分にすぎないけれど、だからこそいろんな人生があったんだなと想像ちゃう。それに対して僕の人生……。もうずっと静止期、Stationary phase。Log phaseが一瞬すぎたんよ。いや、まだ長すぎるLag phaseの途中って可能性もないことも……ないか

戸籍から見えてきたこと①

 戸籍で父方の方を辿っていくと、長男がずっと(途中養子を挟んでいたが)家を継いでいて、一方母方の方を辿ると四男の四男の長男みたいな感じで家を継ぐという感じではなく、そこは対照的だなという感想をまず持った。自分アイデンティティはやっぱり父方の方にあるけれど、自分自身の境遇次男長男です)を思うと、母方の方にも親近感が湧く。故郷を離れる、離れざるをえない人生というものに。特に母方の方は、一度栃木県を離れて北海道に渡ってからまた栃木に戻ってきており、中には樺太に渡って真岡で死んでいる親族もいて、これはおそらく長男家系じゃなかったか移住したのだろうと思う。真岡なんて真岡郵便電信事件しか知らなかった地名だよ。こんなところで樺太と繋がるとは思わなかった。戸籍だと直系しか辿れないから、祖父母兄弟とか曾祖父母兄弟とかの傍系がその後どうなっていったのかまではわからないんだけど、自分自身が親元を離れていて昔の次男三男みたいな生き方をしているので、そっちの方も気になってしまう。それでも、おそらく当時の人たちには生まれ故郷という感覚はあったんだろうなと思ってて、自分なんかはもはや故郷存在しなくていつか故郷に戻るみたいな感覚が全くないので、故郷が欲しい帰る場所が欲しいと思ってしまうんだけど、これはないものねだりだよね……。強く生きていくしか、ないね……。

戸籍から見えてきたこと②

 父方の方は父方の方で、明治から大正時代アメリカに渡ってアメリカで死んだ親族が2人もいた。で、調べてみると山口県は全国でも5指に入る移民送出県らしい。有名なのは周防大島屋代島)からハワイ移民で、島には日本ハワイ移民資料館もあるよ。行ってみたいね海外移民歴史については、詳しくはググればWikiとかも出てくるし(Wikiの「広島県人の移民」の項目は読み応えあった)、興味ある方は調べてみてほしい。実際、父方の実家から瀬戸内海を挟んで周防大島がよく見える。でかい。一時期周防大島出身民俗学者宮本常一の本を読んでいたことがあって、そこに宮本常一父親明治27年にフィジー出稼ぎに行く話が出ていたので、まあ島と本土の違いはあるとは言え、あの辺一帯に外に出ていく気風みたいなものがあったのかなと想像してる。こんな感じで、家系っていう私的ものから歴史に繋がるのも面白いですな。

祖父母に報告です

 ここまで調べたことを表にまとめて、父方の祖父母に見せてみた。よお調べたのおって言われました。

  「この人はアメリカに渡って、稼いだから家を建てちゃるけぇって言っちょったけど、向こうで喧嘩を止めに入って死んじゃったんよ」

  「このおばあさんは酒造の娘でのぉ、気位が高い人じゃった」

  「このおじいさんは働かん人だったみたいでねぇ、田んぼを売っちゃって大変じゃったんを○○さん(息子)が頑張って立て直したんよ」

 (方言ネイティブじゃないのでうろ覚えで書いています

 あとは祖父が実は山口ではなく東京で生まれて幼少期は東京暮らしていたり(当時は東京東京市)、祖母京都で生まれていてそれが実は自分大学時代下宿していた場所の近くだったり、なんてことも初めて知って、いろいろと話せて楽しかったです。

今後の展望

① 引き続き戸籍請求:多分まだ結構取り寄せられる戸籍が残っているので、続けていこうと思う。古い戸籍は廃棄している自治体もあって(実際にもう無いですって3件ほど言われた・昔は除籍後80年経過したら廃棄してもよかったらしい・今は150年)、あれはとても悲しい。1回広島市請求した時に無いですって言われたので、もしや原爆のせいか⁉と思って調べてみたんだけど、戸籍疎開させていて無事で、単純に大正3年以前に除籍された戸籍を廃棄してだけでした。貴重な資料なんだし、廃棄せずに何とか残せんかったんかな。

② 昔の住宅地図を見る:せっかく先祖本籍地を集めたので、古い住宅地図本籍地がどういうところだったのかを見てみたい。複写したい。でも住宅地図図書館でも禁帯出で、地域図書館とか国会図書館とかの現地に行かないと見ることができないからな……。やるか――住宅地図複写旅――。

菩提寺過去帳を見せてもらう:これもいつかやってみたいね

終わりに

 実際にやってみて思ったけど、これ、中学生自由研究かにいいんじゃないかな。役所手続きして、資料集めて、整理して、発表用にまとめる。広げようと思えば家制度とか行政区画とかの歴史にまで広げてレポートにもできる。祖父母との会話のきっかけにもなる。お子さんがいる方、おすすめですよ!もちろん子供もつ見込みのない独身暇つぶしとしてもかなり面白いと思う。まあ、休日に何してるの?って職場で聞かれたとき先祖戸籍集めてまとめてますって答えたらちょっと引かれたけどね。そもそも休日が少なすぎて疲弊して遊びにも行けんのじゃこのクソ会社がコラ。でも一人、この話に食いついてくれた女の子もいたので、あわよくばお近づきになりたいよ。一緒に新戸籍編製しませんか?住宅地図複写デートとかどうですか?もちろんオシャレなカフェとか映画館とか夢の国かにも行きますから。高いご飯も奢りますから自分、やれますやらせてください。使うあてもないのにNISAで順調に積み立てられていく資産、何も積み上らない人生、虚しい。寂しい。一発やるまで死ねるか!!!

anond:20240521171333

ありがとー。

これはトリビアで、誰も調べなくて構わないんだが、室町以降から江戸時代になる直前まではなんで記録が残ってないのか気になるな。(1)安土桃山が短いか室町の一部にしてるだけなのか、(2)借金を明記して行う余裕がなかったのか、(3)みんな戦火燃えたのか。まあたぶん(3)要素がちょっとある(1)なんだろうな。

 


追記

違った。太閤検地のせいもあって近世までには把利使ってる制度が廃れたらしい。どれも不正解だった。まあ用語としては残ったのかな。

anond:20240521170751

https://www.shinko-keirin.co.jp/keirinkan/sansu/WebHelp/05/page5_24.html

この「割」は,鎌倉時代から室町時代にかけての金利単位として用いられました。当時の文書には「和利」という文字表現されています。その後も利子計算必要性が増大し,「割」だけではすまされないほど複雑になってきました。

一方,江戸時代のはじめに,中国から小数の考えが導入されました。小数では,1の1/10を1分,1分の1/10を1厘,1厘の1/10を1毛……のようによんでいます

その影響で利子計算にも小数が取り入れられ,1割を基準として,1割の1/10を1分,1分の1/10を1厘,1厘の1/10を1毛……と名づけられました。

「割」っていつから使うようになったんだろう。

あれね。打率とかの割合単位のことね。

ちょっと調べたら、これは「歩合」の単位とされていて、その方面で調べれば過去使用例がわかるらしい。小学生教育方面だと「最初借金の利率で使われた」って説明があったけど、その初出までは書かれてなかった。まあ小学生がそこまで興味持たないだろうからしょうがいか

正直、興味を持ったのは「分」との歴史的前後関係なのだ勘違いしがちだが、「1割1分」の時の「1分」は1%で0.01だが、「五分五分」のときの「五分」は50%でこれはつまり0.5,つまりこの場合の1分は0.1になる。数字の扱いが違うだろうと思ったかもしれないが、「割」はもともと十分率の単位で、十分率を単位とすればその1分は0.1で正しいのだ(このへんはWikipediaにも書いてある)。これを無理やり百分率で例えると、1.1%を「1%1分」と書くようなものだ(実際には今はこういう書き方はしない、例示として書いた)。

とはいえ借金の利率なら最初から「分」で表してもそれほど困るような気がしない。実際前述にもあるようにことわざでは「割」使う場面少ないしね。「割」だけが先に使われていて、その大雑把な率が使いにくくなったから分をあとから付け足したのか、まえは「分」で示していたのが何らかの都合(借金特別扱いしたいとか)で「割」を使うようになってそっちが当たり前になったのか、たぶんどっちかなのだ

税率を割合で示すようなことは租庸調の時代からやってたみたいだから、たぶん文献は豊富にあるはずなんだが、こんな簡単なことがネット検索でわからない。調べるキーワードが足りないだけかもしれないけれど。

 


(追記: ついでにまとめ)

みなさん反応ありがとうございます結果的人力検索になってしまいましたが、もともとこれはそれを目的として投稿したものじゃなくて、自分が「ここまで調べた」のまとめとして書いたものでした。いずれ調べが捗って本当に感謝しています

とりあえず、

ようで、「割」だけが先に使われていて、その大雑把な率が使いにくくなったから分をあとから付け足した、の予想がそこそこ近かったようだ。

 

調べているうちに出てきた新たな疑問としては、

あたり。このへんは今回の疑問から少し外れるので、まあそのうち。

 


ひとつ追記

リファレンス使えば」。これね、時々思う。実際使ったこともある。とある地名表記ブレを、行政機関があまり一般的じゃない方統一した、って時に、それが単なる自治体PR(統一したほうにはそのPR要素があった)なのか、それともまあそうするだけの根拠があったのか、疑問に思って、「その地名の2つの表記古文書での使用頻度」を調べてもらった。ちなみに結果としては30件くらい見つけてもらって、見事に半々っぽい結果だったのでまあ納得することになった。

今回は今回で調べてもらってもいいのだけど、前に頼んだ図書館にはおそらくこれ関連の古文書少ないのよ。そうすると一般書籍記述のあるもの探してもらうことになる。それだったらネットで同じような疑問を持ってそれ調べた人の成果を探したほうが早いの。リファレンス使うとその図書館調査には2,3週間かかることもあるのね。だったら自分で調べてたどり着けなくなってから頼んだほうがいいと思った。そうね、「分」の1/4 1/10 1/60問題についてはそのうち聞くかもしれない。

2024-05-20

「失われた30年の原因は江戸時代にある」みたいな意見を見かけたんやが

明治~昭和まで失われなかったのに平成以降になって失われるのは不思議に思わんのやろうか

2024-05-19

anond:20240517191939

江戸時代農民の残した古い文書で残っているのは「作物が不作で困っているのでなんとかしてくれ」とお上に訴える文書だけ。豊作なんで嬉しいという文書などない。

調査円安利益が増えたと答えた企業が少ないのはそういうこと。わかるだろ?

anond:20240519023316

無視されてきた底辺が「私は病んでいます」と発信することが可能になっただけのこと

平安時代なんて平民に記録を残す手段がないか現代では貴族以外はほとんど家畜のようなものだったと思われている

江戸時代ぐらいになってようやく識字率も上がり平民も多少は記録が残せるようになった

明治になって出版文化が拡大して、平民でも高等な悩みを抱えていることが「純文学」などの形で認知されるようになるが、

ここに至っても多くの人に読まれるだけの「才能」が必要だった

金も才能もない大多数の底辺が悩みを発信するには、ホームページ時代ブログ時代でもまだ足りず、SNSの登場を待つ必要があった

誰かがつぶやいた「悩み」に「いいね!」を送るだけでも有意な発信となるシステムが構築されたからだ

底辺の悩みは何も変わっていないが、認知可能範囲という意味では家畜人間になるほどの変化があったのだ

こういったバイアス考慮できず単に多く目につくものを「増えている」と認知してしまうのは知能が足りないと言える

2024-05-18

おにぎり一個の万引きでも市中引き回しがセットになる現代日本凄いよな

江戸時代死刑になった人を見せしめにするための+αだったのに、いまや容疑者の段階で「みんな~~~この馬鹿面白おかしく消費して好き放題言おうぜ~~~」と全国報道だ。

凄い時代だよ。

それに対して警察も「うんうん。俺達の仕事が広く知られて誇らしいなあ」みたいな態度でしょ?

2024-05-17

anond:20240517165534

そう言う説は多いけど、異性との付き合いが規制された結果性産業が発達したのか、性産業が発達したから異性との付き合いが減少したのか、どちらが因果でどちらが結果かはわかってないはず

で、江戸時代とか過去研究を見ると、異性との付き合いが制限された結果、性産業が発達したという方が主流だと思う。

脱サラしたら宝くじ売るといい

半分は生活費にして

半分当選金にしてな

ネット販売したらええで

たった一つの問題日本でやると違法

宝くじ素人ができません

江戸時代なら寺とか個人で好き勝手やってたけども。制限されちゃったからね。明治幕府も受け継いでるし。ずっとそのまんま

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