はてなキーワード: 毒親とは
さも困った風に相談とかきて、それをよくよく聞いてみると
せいぜい「お洒落な鞄が買えない」とか「駅チカで築浅のオートロック付きマンションに住めない」とか
「実家の毒親(実際は過干渉なぐらい)と折り合いが悪く、家からも出られず辛い(じゃあ自立して働いて一人暮らししろよって話)」
「一重がコンプレックスで二重にしたいのに整形費用が無い」といった程度の下らない事から
「ホストに貢ぐ為に体を売らなければいけないのが辛い、病みそう」といった、しょうもない上に犯罪に繋がる様な事が大半だったりして
過労死、孤独死、精神疾患、生活苦、いじめからの長期引きこもり、3K低賃金仕事、そして自殺と言った、
男性のガチな苦悩に比べれば、話にならんレベルで軽いなってつくづく思う
ガチの貧困層に関わった経験からすると、上記のなんちゃって貧困では無い
もはや、“女性の貧困“というワードすら、本当の貧困者に対する冒涜に聞こえて虫唾が走る
某スカウトマンの知人も言ってたけど、貧困ですってそういう仕事してる人達は
ホスト本人ですら、その女性に「少しは自分の為に使いなよ」と言っても
労働のモチベは貢ぐ事なので自分の為なら働けません、って感じらしい
こういうのが貧困女性とか言って手厚く支援していきましょうね、って一方で
こちらも活動には限度があるけど風当たりも強く、女性の社会に「ガラスの天井」があるならば
男性の社会には少なくない人達が「鉄の地下室」に押し込められ、そのまま消えていく現実がある
「助けが必要なものは助けたい形をしていない」なんて事はよく言われるけどさ
こういうのは行政の範囲だと思うんだけど、今じゃ行政ですら女の方ばっか見て
男は勝手にやってろ死んどけ、支援するなら女の方を何故優先しないの?って態度でうんざりする
そしてこういう事書くとすぐに「男ハー!」って叫んで場を荒らして
男性の貧困問題や男性差別など「無かった事」にしようとする人達は
恥を知れよ
> こういう発想が一番嫌なんだよな弱者男性論界隈、自他関わらず人を尊重する倫理から離れようとする。女に教育するな~とか不謹慎チキンレース的な、無論本気ではあるまい(本気出されても困るが)。
人として尊重されたことなんてほぼねぇ~~~~~~~お前の人生クソワロタと言われた経験しかないから、すべての人生はクソワロタンバリンシャンシャンくらいしか混ぜっ返し方わかんないし喋れねーんですよ。他人からずっとないがしろにされてきたら、大した能力もないのにどうやって自分を尊重するのか。そしてどうやって他人を尊重したらいいのか。辛いな。
コミュニケーションに飢えまくってるからグダグダ書くぞ。でも毒親の話はカット!いつも通りのテンプレ毒親!(最近ネトウヨってるらしい。ばーかばーか)
社会的な立場もないし、大した能力もない人間って、何話しても基本的には否定しか返ってこないよ。毒親辛い話もたいてい「育ててもらった」だの「産んでもらった」だの、まず親は正しくてお前の考えが歪んでる前提のお説教が返ってくるし、いじめ被害経験も最終的には「そんなだからいじめられる」ばっかりよ。私の中にあるもののうち、肯定的なものって「メシつくったらうまかった」とか「今やってる仕事けっこう上手く行ってる」くらいで、自分のほとんどを占めてる暗くて長くて気色悪い時代は、存在を許されてないんですよ。「30歳近くなって未だに他責」で「そうなったのは自己責任」な自分を尊重?どうやって?
他人のそんな感想とかが思い通りにならんなんてのは当然なんだけど、思い通りにならないことを楽しめるやつなんて最低限が保証されてる奴だけで、生き延びるので精一杯なんですよ。で、これ以上生き延びててもしょうがないなーっていう消極的な希死念慮ってのはずっとついて回ってて、「産んでもらったんだから」とか「育ててもらったんだから」の否定として無意味に死にたい積極的希死念慮がたまに出てきてすべての人生はクソワロタンバリンシャンシャンしちゃうんだろうなぁって。
救いなどは人類誰にも与えられてないってのはなんとなくわかるんだけど、せめて許しはくれよ。赦し?どっちでもいいか。まあこんな辛さも一理はあるって感じてほしいです。二理は感じなくていい。まず存在するんだよ、こういう人間も。人間だよ、弱者男性論界隈でもチー牛でもないよ。いるんだよ。
少々、読みにくかった。
質問の手紙、質問への回答という順序になっているが、ところどころに、実際に会ったと思われる記載がある。実際に会ったところは途中には書かれていないことが多いので、読み飛ばしてしまった?と混乱した。
内容については、微妙…
何百もの豆腐パック、箸の上を歩くゴキブリ、想像したくないけど、ゴミ屋敷があるのだから、存在自体は疑っていない。
毒親、と呼びたくない、という気持ちは、なんとなくわかる気がする。
もし私と同じでなかったら、申し訳ないけど。
狭い世間に生きてきた、と言えば、そうなんだろうけれど。
今では、「女性が大学に行くなんて」、というのは男尊女卑だ、というかもしれないが、そういう考え方がとても一般的だった時があったことも事実で、それを今の時代からどうのこうの言うのは、なんだかなあ、と思う。
もちろん、男女関係なく、学びの機会が与えられるのは、私にとって素晴らしいことだと思う。男女差別などない方がいいし、それぞれがそれぞれに相応しい職業を選べるようになっている時代のほうが生きやすいと思う。
実際、子供は親の持ち物、のような感覚を持った親がたくさんいた時代もあったわけで、それがいいか悪いか(悪いに決まってるけど)そういう感覚だったんだろうなあ、と感じる。
「愛は勝つ、もんか」にも姫野さんのお母さんの話があったように思う。「関白宣言」のところだったかな。また読みたくなった。
私には姫野さんの軽めのエッセイのほうが向いている。
愛着障害だな。
外注すなわち愛着の問題を抱えるとは一概に言えない。データが足りない。血が繋がった毒親を持っている愛着障害者の割合と比べたデータはない。
半自叙伝というよりフィクションとしてだして、最後の最後に全部実話ですって表明してる構成だったはず。10年前の小説。著者の直木賞の『昭和の犬』の裏拍みたいな内容。
暴力も、経済的な不自由さもないけれど、子供を萎縮させ怖がらせる。でも「厳しい親」とは違うから身近な人は誰もわかってくれない。そんな「毒親」を持つ少女が主人公。事実をもとにしている相談形式の小説。ルールが決まっていない、その時の感情で時に激昂する両親への対応に主人公が苦戦する。
特にこのお父さんがこの家の感性を全て仕切っていたようなので、それを元に独特の反応がお母さんを通過して出てしまった、のかも。
この、毒親というものの訳のわからなさは、わからない人にはとにかくわからないから説明が難しい。 理論的にそんなの絶対ありえないでしょということをいきなりぶちまけられからほんとに混乱して申し開きもできなくなる。 したところで怒鳴られて終わり。
毒親あるあるが満載で、共感しかないけれど、普通の人には理解されないんだろうな。地雷がどこにあるのかわからない、こんな人間でも結婚し、子供がいると社会的に認められる恩恵がありすぎて、目くらましになっているのが辛い
nessko 森茉莉はそういう自分を客観視して自嘲自虐的におもしろがる視点も持ってたけど。逆に、姫野カオルコは『謎の毒親』読むと、お母堂によく似てらっしゃるのに無自覚と感じて、距離を取って見るようになりましたよ。
指輪程度で済むのと、こういうチクチクした行動する奴、しかも離れて暮らしてるのならともかく
同居してるのに未だにすねてるとかやばすぎだろ
学校の検診で一部のお医者さんからの性的な目線?が問題になってるようだ
その問題に対する政治家先生の主張が「じゃあ裸を見られないよう着衣でやらせる。それによって発見できない病気については大人の知ったことではない。子供の性的消費を防ぐのが身体の健康より大事だ」とか「生徒に着衣か脱衣かどうか選択させる。もし着衣で発見できなかった場合はそれを選択した子供の自己責任であり大人の知ったことではない。子供の性的消費を防げば皆幸せな世の中になるのである」とかいう思想に基づいているらしい。
脱衣で健診させるのは人権侵害だという思想みたいだけど、それよりも子供の病気を早期発見するための制度を改悪する方がよっぽど人権侵害だと思うぞ。
女性の人権や性的犯罪に敏感なのは結構だが、それと児童の公衆衛生は分けて考えるべきだ。
ごく一部の男医による行為が問題なのはその通りかもしれんし、対策しなきゃいかんのはわかる。
せっかく女医にやらせたい→健診できる女医が足りないっていう現実認識があるんだから、じっくりそこが増えるよう制度や金を持ってきたり関係者間の利害を調節して回ったりするのが政治家の仕事だと思うんだ。
法的な部分は弁護士に丸投げし、子供のためを思ってという建前で自分が気持ちよくなるための単発的な仕事だけやって満足してるのって政治家以前に大人としてどうなんでしょう。なんか考えが毒親とか、そっちに寄ってませんか。