はてなキーワード: 曲解とは
そもそもサトマイは「自己啓発系のデメリット」を俯瞰して論じてるのだけど、いかんせんジョージがそれに対してネットの脊髄反射みたいな
ジョージの動画を見ても、いや論点そこじゃない…とかサトマイが言ってる事を曲解してるから噛み合っていない…という部分が多い
あと、ジョージはいちいち「俺は気にしてないけど」と言いつつ顔真っ赤に反論してる(しかもズレてる)のが分かるのが普通にダサいって。弱いよ(真似)
ジョージのような自己啓発は、現実を極端に単純化する事でゴールとすべき事を明確にする点で優れていると思う
実際ジョージはそれで目標を達成してるわけだし、俺もジョージはかなり好きではある
ただジョージのようにそういう自己洗脳を続け過ぎると、相手の話を理解する事が難しくなるんだろうなあという感じがする
ジョージが数年後かに自分の弱さを受け入れてくれるとありがたい
辛い時ほどやるべき事やってこ(真似)
育休がキャリアにとってマイナスだなんて証明するまでもない話を
男は知ってた~なんて車輪を再発見したつもりになってるアホがいる。
「育休格差」だとか育児のコミットの差こそが男女格差のキモだって
ノーベル賞のゴールディンも自著にわざわざ書く位にしつこく説いていたんだけど、
上川外相の発言「うまずして何が女性か」だけど、メディアの取り上げ方がヘンだという、当たり前のことを、
生みの苦しみという比喩として昔から成立している表現を、まさしくそのような用法で発言しているにもかかわらず、マスコミは一体なんなんだ。
候補の当選によって新たな知事を誕生させたいとの思いがあったとみられるが、出産を願ってもできない人への配慮に欠けるとの指摘が出る可能性がある。
一連の報道で、とても気になったのは「XXへのへの配慮に欠けるとの指摘が出る可能性」という表現。
こうして、「出産を願ってもできない人」というグループを示唆することで、それらが何かしら傷つきやすいメンタルを持っているという、配慮を要する人々としてイメージを固定してゆくのがとても気になる。これは発言の曲解よりも根が深い。(補記:なかなか伝わりにくいかもしれないが、以下で提起している問題は、<ある表現がいかに配慮に欠けるか欠けないか>ではなく、<ある表現が配慮に欠ける>というふわっとした規範的な圧力が、社会的包摂性とか社会経済的な脆弱性の分析を置き去りにして、主に政治的に利用されることの問題点だ)
実際には、出産を願ってもできない人々というのは多様だ。みんないろんな事情があるんだよ。
単に適齢期を過ぎているだけとか、仕事と両立したいなどの理由で機会を逸している、とか、あるいはそもそもパートナーに出会えないなど、
要するに、ないものねだりをしている場合だってある。経済的な問題で躓いているひともいるはずだ。
じゃあ、逆に「出産を願ってもできない人」というカテゴリーにはそういう社会経済的弱者は入りませんよ、というのかね?
体や心の障害に起因して、ある意味、病理的な意味で、出産ができない人を指すのだと定義したりしてしまう?
そうすると、今度はむしろ、健常ならできるはずのことができない人々は悔しいと思っているに違いない、かわいそうだから、産むとかそんな言葉に触れさせないよう配慮が必要っていう、潜在意識がますます透けてくる。
でも心身の問題で出産できないというのを、自分にはいかんとしもしがたい宿命的なものして捉えた場合、
それって社会経済的な理由で出産できない場合と実際のところ、地続きだと思える。
例えば、親の介護など家庭の事情で適齢期を逃した人がいたとするよね。それってその人にとっては、自分の意思で選んだわけではなく、自分にはどうにもできなかった、そういう運命だったという意味では、病理的に出産できないという宿命とさほど変わらないようにも思うんだよね。
「出産を願ってもできない人」
産みの苦しみとかいう表現を嫌がるような、そういう配慮を要するグループがあたかも存在するかのように、それを空気のように記事するマスコミのほうが怖い。
障害者や病人ができなそうなことを比喩的にでも表現するのは彼らを傷つける行為だとする空気をまん延させることは、「そういうカテゴリーの人たちを可哀そうだと思うべきだ」とする社会規範を空気として押し付けてくることだ。
そこでは、知らず知らずに、どこまでが可哀そうなグループで、どこまでが身から出たさびとみなすグループなのかの選別が空気として形成される。
実際には、よくよく考えると、どこからどこまでが配慮を要する、などと到底割り切れるものではない。誰かを傷つけるかもしれない、と配慮することはそのイメージから漏れた人を知らず知らずに排除することでもある。その意味で、病理的な意味で出産ができない人に限定して、「出産を願ってもできない人」というイメージを作り上げるなら、それは差別的ですらある。その場の雰囲気で、発言の文脈をよく考えずに配慮を求めることで、逆に、特定のグループを過度に保護し、そのグループを弱者として固定化する結果を招きかねない。
抽選結果で「落選」はやめます 都立中高説明会、表現めぐる指摘受け:朝日新聞デジタル
これなんかも、「受験生」の感受性因子(susceptibility)を過剰に捉えていて、おかしなことになっている。
「出産を願ってもできない人」なんていうふわっとしたイメージは、そもそもそんなに必要かね?
言論空間を浄化して、きれいな発言だけをすればいいというものではない。
浄化できるというのも幻想でしかなく、「女性なら生むべきだ」という固定観念を打破し社会的包摂性に配慮したつもりでいて、内実は単にステロタイプな別の固定観念が形成され、それが政治利用されることもある、ということも頭に入れておく必要があるだろう。
政治家の発言に過度な配慮が求められると、知らず知らずに本来の意図や文脈が歪められる恐れがある。
特に選挙に絡んだ発言については、妙な世論誘導に使われかねない。
自由な表現が妨げられることで、社会全体の健全な議論が損なわれることになる、ということの不利益をちゃんとマスメディアは理解しておくべきだ。
典型的な「感情が充填された語(loaded language)」の詭弁ですね
ロシアが実際にウクライナへ侵攻する前に、その侵攻は時期も含めてアメリカによって予測されていたという純粋な事実に対し、
https://www.afpbb.com/articles/-/3379186
【12月4日 AFP】米紙ワシントン・ポスト(Washington Post)は3日、米情報機関の報告書の内容として、ロシアが来年早々にも最大17万5000人を動員したウクライナ侵攻を計画していると報じた。
何度もいろんな調査で似たような結果が出てるけど、一部の異常者の声が拡大されすぎて実態より遥かに大きく見えてしまってるのが色んなところで問題を引き起こしてる気がするな
虐げられてきた人々の叫びが可視化されたとかいうと聞こえは良いけれど、曲解と強すぎる被害妄想からくる過度に攻撃的で誰も幸せにならない強すぎる主張が異常者の異常な行動力によって何百倍も過大評価されて、それに辟易した人たちが静かに去るからさらに異常者がのさばる
もともとの主張自体に反対の人ばかりではないと思うんだけど、火のないところにガソリンまいて全員燃やし尽くしてる一部の異常者ばかりが可視化されてて世も末だよ
https://anond.hatelabo.jp/20240411140010
上記の増田の追記で、私(id:hazlitt)のブコメに反応されたようなのでお返事を書いておく。(記載されたはてなブログによると増田は id:hotelsekininsya)
追記:
hazlitt 翻訳と称して他人の記事を転載してる note の記事は元記事の著者・掲載メディアの許諾と訳文の権利者を明記してください。権利関係が不明だと訳文の利用にもリスクがあるのでまともな人は参照しません
とありますが、もちろん著作権上の問題は認識しております。著作物を勝手に翻訳して公開することは著作権法に抵触するのは知ってます。
が、翻訳公開しているものは無料で読めるネット上の不特定多数に向けて公開された情報に限定しており、Google翻訳等の自動で翻訳してくれるサービスとやってることは変わらないと考えています。
もし仮に私の翻訳公開がダメというのであれば、Google翻訳等の自動翻訳サービスもダメなのではないのでしょうか?
日本にはフェアユースを認める判例はありませんが、とある場所で海外の方(著作者ではありません)に聞いたらフェアユースだからいいのでは?と返されています。
別に私の翻訳文を利用してほしいとも考えておらず、単なる情報の提供に留まります。私の訳文を例えば研究論文などに利用する人がいるなどとは考え難いことでもあります。
元リンクは示しているのですから、引用したいのであればそちらを利用して自分で翻訳するのが当然だと思いますが。
要は。
日本語で情報公開しないと、日本の多くの人が理解しづらいだろうから、単にボランティアでやってるのです。
それでもダメだとなるのであれば、Amazonレビュー同様、私はネットから去ります。そうなったら、もはや絶望しかありません。
→ 誰でもタダで読めることは勝手に翻訳を配信していい根拠にはなりませんよね。インターネット上にはたくさんの無料公開されているコンテンツがありますが、誰でも好き勝手に翻訳公開してもいいんですか?
→ 機械翻訳サービスを提供することと翻訳したコンテンツを配信することは、コピー機を置くこととコピー本を配布することくらいの違いがあります。貴殿の主張は「図書館に行けば誰でもタダで閲覧できる本を備えつけのコピー機で複製して配布することは問題ない」と言っているのと同じです。
→ たとえば米国におけるフェアユースでは通常「著作権のある著作物全体との関連における使用された部分の量および実質性」という要素が勘案されます。貴殿の掲載している「翻訳」は本当にフェアユースに該当しますか?
→ 「単なる情報の提供」のために事細かな翻訳が必要ですか? たとえば議論に必要な部分の要約や抜粋ではダメですか?
→ 当方の曲解かもしれませんが、善意のボランティアだから多少は他者の権利を侵害してもよい、という態度は危険だと思いませんか? それから、 誰がどう「利用」するかとは関係なく、翻訳を提供することにはそれ自体価値があります。その価値を提供する対価は、通常であれば翻訳に関する契約などを介して原著者や翻訳者に還元されるものです。貴殿がボランティアで無料の翻訳を公開することは、本当にその還元されるべき対価を損なっていない(将来もその可能性がない)といえますか?
→ 許諾を得てないなら、たとえば全文そのままの転載ではなく要約にすればいいだけです。その方がよほど日本語読者には有益なのではないでしょうか。
蛇足ですが、世の中の研究者や記者やその他の文筆家は言論のプラットフォームを毀損しないためにいろいろルールを守りながらやっています。匿名だろうがボランティアだろうが、ネット上に何かを書くことは立派な言論活動ですので、「勝手翻訳がダメならネットから去って絶望する」などという認識はちょっと安易に過ぎる気がしなくもないです。(なお「ネットから去る」場合は権利侵害の疑いのあるコンテンツをきちんと削除してからにしてください。そうでないと未来永劫、有害なコンテンツとして残ってしまいますので)
みたいなのってモヤっとするよね。
「性癖」は元々「性格」+「癖」で、特定個人や集団の行動特性を指している言葉だ。
だが「性的な趣味」を意味する短い言葉が存在しなかったため、いつからかその意味で流用されるようになった。
そこから派生したのか、「性癖に性的な意味はないよ」という誤用指摘を曲解したのか、性と無関係の趣味の話に性癖を持ち出す人が出てくるようになった。
言葉の扱い方としてこれは流石にどうなんだろうか?
たとえば単に「ハードルが高い」と言えばいいだけの場面で、「敷居が高い」と言ってしまったりすることによって起きるわけだ。
「敷居が高い」が「後ろめたい」に限定されなくなったというのは事実だ。
だからといってなんでもありになったわけじゃない。
流石に「敷居」が存在しない場面でまで使って良いものではないと思う。
一度誤用されてしまった言葉が更に誤用されることはちょくちょくある。
そもそも元の意味が分かりにくいというのもあるのだろうが、それ以上に「誤用ではありませんよ」と言われたのを「じゃあもうなんでもありでいいのかな?」と拡大解釈されることが多いんじゃないだろうか。
いや、分からんな。
4/9 追記
様々な意見を頂けていて驚きました。
読みづらい文章なのにいろいろ反応を貰えていて嬉しいです。
曲解されてるかもなので補足を書きました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
写メ日記という風俗業者が自身の近況とかお客さんへのお礼とかを投稿するSNS的サービスがあります。
私もこれだけは本当に不思議です。
小中は家倒壊でほぼ不登校、定時高でまともに通えるようなったので
普段仲良くしてくれている友人達と話している時もズレは感じています。
個人的には理解できないけど、言われてみれば確かに背徳感に訴えるシチュが
人妻や、賛否分かれるNTRが人気なジャンルな事も知っています。
普段過疎地賃貸に住んでいて、元々のバイトの給料は生活費学費以外はゲームやリアイベ、
このまま続けていたら駄目になると感じました。
200万稼げるってこと~の方は生活水準が高くて羨ましいです。
手取りは6割でした。1日で5回呼び出しあれば多い方でした。
1日に入った数はその日によって変わりましたが7人が最大でした。
その蔑称は知っていますが、難のある性格や人柄は身長起因ではなく
偶然かわかりませんが東北在住で東北他県のお店に採ってもらったので
そこらへんはよく分からないです。
今のところ何かに罹ったわけではないとはおもうけど、
浅はかだったとも思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以下本文です。
ー
独り言です。
-
軽度の鼻炎持ちだからかも。
多くてびっくりした、みんな金持ちだね。
-
・意外と160cm以下の男性が多かった
私161cmで女性平均より高めなんだけど、
-
なぜ?
-
-
・さも当然に挿れようとしてきてワロタ
なぜ、ソープに行かない?スタッフ召喚しようとすると焦るのダサいからやめよう。
-
・ネットでよく言われてるコンビニスイーツ(特に生菓子)持ってくるお客さんが本当に多くてワロタ
予約が続くとバッグの中で腹下し菓子に
値段とか価値とかの話じゃなく、
-
・写メ日記の自撮りをスクショ保存するのは規約違反だろ(スタッフに報告済み)
・ビジホのユニットバスに無理やり2人で浸かろうとするのはなぜ?
・まんkに指突っ込んだ手で髪撫でるのよくない
・唾つけた指を万こに入れないで
・ベロチューはいいとして顎とかほっぺた舐めるのコスメ味で不味そうなのに何故やる?
・乳首勃つのは9.9割興奮してるわけじゃないからあまり執拗に弄らないで。取れる。
-
-
正直性風俗に足踏み入れた罪悪感はないです。
-
実際にされてうわ〜ってなった行為の大半が
-
夜職が多いのもなんとなくだけど理解できました。
今までフィクションなんだから好きにさせとけって思っててすみません。
-
これやだって感じなかった事ばかりで、
自戒も込めて。
-
もう二度と従事したくありません。
-
オモコロはただ滑っていただけでホラー云々は関係がない、曲解だということだけど
YouTubeのコメント欄は知らないけどツイッターの方ではトレンドにモキュメンタリーが入っててホラー嫌いがずっと愚痴ってたけどね
モキュメンタリー=びっくり系コンテンツだと勘違いしてモキュメンタリー作品やその作り手全般を叩いて
視聴者をあっと驚かせる要素のある作品全般を潰すべきだという世論にもっていこうとしたがってたし
憎悪クリエイターも何も繊細さん()があちこちで傷ついたんです怖かったんですって大騒ぎしてキャンセルカルチャーしようとするからこうやって反撃されるんだろ
って書いたところで思ったけど
ホラー嫌いというかひぐらし、まどマギ、がっこうぐらしみたいにほのぼの萌えアニメと見せかけて死人が出るようなSFシリアス作品でした~な
最初に提示されたジャンルと違う展開がされていく作品全般が嫌で嫌でしょうがない人たちと言った方が正しいのかもしれない
「実は〇〇でした」と明かされるジャンルがホラーなことが多いからホラーが槍玉に上がりがちなだけで
ほら腐女子ってホモカップルの突っ込む方突っ込まれる方が自分と違っていたものと違うだけで比喩ではなく寝込んだり吐いたりするから厳重に注意書きして事前の説明に反することを絶対にするなみたいなマナーがあるらしいし……
肉体労働者ってのは結局のところは事故を起こさないことが最優先だから、「ミスをしない」「手順通りに出来る」「変に工夫しない」「嘘をつかない」ってことが求められる仕事でしょ?
でも頭脳労働者ってのは「工夫をする」「嘘も方便」「チャレンジ精神」「日々改善」「新規アイディア」わけじゃん?
なによりも肉体労働者ってのは1人が3人分働くぐらいが限界だけど、頭脳労働者ってのは1人の人間が上手いやり方を思いつけばそれまでの10人分100人分ぐらいの結果が出力できる世界。
肉体労働者のような感覚で頭脳労働者に働いてもらっちゃ困るってのは、はてなーもIT系の話題で結構口にしてない?
「学校を出てきただけの数合わせ3人を雇う金で、業界5年ぐらいの人間を1人雇ったほうがよっぽどコスパがいい」を結構言うよね?
つまりさ、皆心のなかでは肉体労働者と頭脳労働者の働き方が全く違うってことを知ってるんだよ。
単にそれを口にしないってだけじゃん?
言うまでもなく、コレは例の知事の発言についての話なんだけどさ、あの発言が批判されるのって単なる揚げ足取りにしか見えないんだよね。
頭脳労働者と肉体労働者で平均知能レベルを測ったら、当然のように頭脳労働者が上だと思うんだよ。だって適性がある仕事に皆つこうとするもの。
逆に肉体労働者の方が体力・筋力がずっとずっと上だと思う。
たとえ「メンタルのために筋トレするのが今のテック業界のはやりなんだぜ~~~」とイキって見せた所で、毎日8時間ミッチリ肉体を酷使してる人達に基礎体力で勝てるわけがないじゃん?
じゃあたとえばどこかの作業場で「毎日パソコンの前に座ってたり、書類の整理をしていたりする人達と違って、皆さんは体力に自身のある人達だと思いますし、そうあらねばいけないという気持ちで働いてください」って訓示があったらこれも炎上するの?
「は?俺は握力60kgあるんだが?キレて破壊したエンターキーの数は10じゃ効かないが???」ってキレ始めるの?
そうはならないと思うんだよね。
多分さ、「そうそう。肉体労働者さん達がんばってね^ー^」で終わると思う。
なんでそうなのかっていうとさ、結局お前らって肉体労働者をバカにしてるんだよ。
バカにしてるからさ、肉体労働者が頭脳労働者に頭脳労働で劣るって発言に対して弱いものイジメを感じてキレるんだろ?
守ってあげなきゃいけない被差別階級として下に見てるんだよ。
例の知事は単に「頭を使う仕事なんだから頭を必死に使いなさい。とにかく手足を動かしまくって沢山残業することだけが頑張ることみたいな考え方をしているなら、それは改めておかないと頭脳労働はうまくいきませんよ」と言いたかっただけだと思うんだよ。
それを何故か「肉体労働の人が頭脳労働者より頭脳に劣るだって!許せん!」と盛り上がるのは、そこに「事実陳列罪」の如き侮蔑を勝手に見出してるだけでしょ?
じゃあなんでそうなのかっていうと、もともと自分たちの中にそういった蔑みの心があって、そういうメガネをかけてこの発言を読んだってだけなんじゃないの?
いやマジでさ、肉体労働者を軽んじ、馬鹿にし、差別し、コケにし、哀れな存在として蔑んでいるのは、知事の発言を曲解してしまったお前たち自身だよマジでさ。
日本がラストチャンスとばかりに開始した「日の丸半導体」ラピダスに多大な公費が追加されていることが話題を集めている今日この頃。
心無い専門家たちからは必ず失敗するだの金ドブだの批判殺到中だが、本当に日本(経済産業省)主導の国家プロジェクトは今まで成功しなかったのだろうか?
この記事では主に経済産業省、旧・通商産業省が中心となって始めた国家プロジェクトを振り返る。
大規模集積回路(LSI)の研究、特に基礎研究に力を入れた国家プロジェクト。
当時、半導体弱小国であった日本で700億円以上の金を基礎研究に投資するのは挑戦的であったが、電子ビーム露光技術などの研究レベルのアイディアを実用・量産レベルに持ってくることに成功。
よく「日本は半導体生産はダメだが、生産機械はまだシェアがある」というが、この40年前の国家プロジェクトの技術的成功がかなり大きく、現在でも半導体製造機械はこのプロジェクトに関わった企業が上位にいる。
この成功をバネにして1980年台の日本は半導体生産の8割を占めることとなった。しかし鮮やかすぎる成功体験と日本政府の政治的脆弱性により、90年台に入ると見る影もなく没落したのはあまりにも有名。
通産省は前述の大規模集積回路(LSI)の成功体験を強く意識し、コンピューター技術の「進歩段階」は大規模集積回路が「第4世代」、そしてAI技術が来たる「第5世代」であると想定した。
「仕様書を読んでプログラムを作ってくれるすごい機械」を目指し、500億円規模の国家プロジェクトに踏み切った。
しかし当時の通産省は何もかも見通しが甘かった。大規模集積回路の次がAIというのも謎の括りで、ハードウェアとソフトウェアを混同していた。そもそもなにを研究するのか?という具体的な内容すらあやふやで、やがてはスパコンをよせ集めてもそんなものは出来ないという技術的課題に直面。
現在でいう自然言語処理などのソフトウェア開発を散発的に行い、難航。
それぞれが独自のプログラム言語を作ったりOSを作ったりしたが、特に統合されることも活用されることもなく、「ソフトウェアはむずかしい」ということだけが判明し、放棄された。
なお、唯一の結論「ソフトウェアはむずかしい」ということですら後に生かされることはなかったが、通産省は成功したと主張している。
「10年後にはソフトウェア技術者が60万人不足して、日本は技術的に取り残される–––」
この現代でもよく聞くようなフレーズに慌てた日本産業界は、ソフトウェア技術者の育成に熱い視線を向け始めた。
そこに通産省が入り込むと、さまざまな思惑が一致し、ついには国家プロジェクトとして250億円を投入するΣ計画が発足。日本はソフトウェア技術者の天国となる予定であった。
ソフトウェアという実態の見えないものに予算をかけることへの抵抗感からか、対象は主にハードウェア系企業に集中。
ソフトウェア技術者を増やすという本来の目的は曲解され、最終的には「安価な計算機を普及させる」というハードウェア重視の目標にすり替わっていた。
その結果としてΣステーションと呼ばれる計算機が誕生したが、特に安いわけでもなく、規格が致命的にガラパゴスだったので、ほとんど普及せずに失敗した。
失敗した後も地方を名目としてダラダラと予算が積み重ねられたが、何の成果もなかった。
日本のソフトウェア技術の息の根を止めたとして有名なプロジェクトである。
日本がIT技術に致命的に遅れていることにようやく気づいた通産省は、起死回生の一手としてIT技術に約500億円をかけることを決定。これを「リアルワールドコンピューティングプロジェクト」と名づけた。
しかしそもそもこのプロジェクトには、何の見通しも何の戦略もなかった。
約50個の研究が「リアルワールドコンピューティングプロジェクト」の内容であったが、その実態は検索ソフトから光ファイバーまでバラバラであり、散発的かつ無計画に予算をばら撒くという意味不明な行為は、もはや単一の計画である必要性がなかった。
この計画は最終的に10年にもわたって継続されたが、特に何の成果もなかった。そして膨大な予算とともに記憶の彼方へと消えた。
2000年に入ると、経済産業省は「かつて世界一だった日本の半導体産業を復活させる」という妄想に取り憑かれるようになる。
その数はまさに膨大である。
「みらい」プロジェクト(2001年)に465億円を注ぎ込むも見事に失敗すると、「はるか」プロジェクト(2001年)、「あすか」プロジェクト(2002年)、「DIIN」プロジェクト(2002年)、「あすか2」プロジェクト(2006年)、「つくば半導体コンソーシアム」プロジェクト(2006年)などが代表で、そのほとんどが失敗はまだしも、なんの検証もなく消えさった。
「アスパラ」(2002年)はかなり象徴的で、日本の先端半導体企業が集合して日の丸半導体企業を作ろうと国費315億円を費やしたが、2006年には泡の如く消えた。
これらの膨大な失敗は特に顧みられることもなく、なぜ失敗したのかいう考察もなく、ただ予算ともに忘れ去られた。
いったい何故だろうか?
摩訶不思議なことに、ソフトウェア技術者が致命的に不足していた日本においては、国産の検索エンジンが誕生しなかった。
中国やロシアが自前の検索エンジンを開発し始めると、日本でも国産検索エンジンを作るべきという安全保障上の発想が経済産業省に芽生える。約300億円をかけて国産検索エンジンを開発することにしたが、当時普及し始めたネット界隈はこれを激しく批判。
失敗続きの国家プロジェクトと比較されるが、経済産業省は「かつての国家プロジェクトとは違う!」と強い自信を見せた。
しかしなにも成さず、なんの検証もなく、予算とともに忘れ去られた。
ラピダスにおいては、経済産業省主導の国家プロジェクトは失敗するという根拠のない批判が多い。
しかしこうしてまとめてみるとどうだろうか?
膨大な数の実績が経済産業省には積み重なっている。
少しは信じてあげよう(完)