「教養」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 教養とは

2024-06-02

シンクタンクレポートを見たはてなー「よくまとまっている」だとさ

三菱UFJリサーチが出したサマリレポートブクマが集まっているのだが、

地政学リスク全体像の整理 | 三菱UFJリサーチ&コンサルティング

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.murc.jp/library/economyresearch/analysis/research/report_240528/

そこで「よくまとまっている」とかコメントしてるブクマカが数人いて失笑するするしかない。なんだよそのエラソーな態度はw

 

そもそもネット国際関係に関して調べる時、膨大なゴミ情報が掛かり易いわけだ。だからこういう金融シンクタンクレポートが出てくるま検索を続ける、出てくるま検索式を変えてみるっていう風に一定基準とされる事が多いもんだろ。

大学レポートでどっかのインフルエンサの動画を参照したとかネット活躍する誰それのメルマガ参照とか書いたらリジェクトされるし、仕事でやったら馬鹿レッテル貼られて渉外的な仕事からは一生干される。そういう意味で安牌なのがこういう金融シンクタンクなわけだ。

仮にその予想や分析が間違っていても格好はつく。

 

特に今回みたいな「地政学リスク」を論じる時には重要だ。何しろこの10年の日本で「地政学」と来たら新聞も読まない馬鹿向けコンテンツとして有名だ。

なんでそうなるかというと、元々日本での地政学アゲの元祖90年代福田和也で、反米知的スノビズムなのよ。

一方で80年代末に急な円高による海外旅行ブーム対米貿易摩擦があった。これに刺激されて「国際的」というのがバズワード化して、多くの大学に「国際学科」なんかが雨後の筍のように出来たのだが、元が必要に迫られた国際化なのでこれ以後特にビジネス教養として国際関係重要視されるようになった。

 

この「国際政治と国際経済を中核とした常識化した教養」が無い人にとって「地政学」とやらはもの凄く魅惑的で、それらの踏まえなきゃならん常識無視して、他国本質も見えるし物事が明瞭に見える。

なんでそんなに明瞭に見えるかって言えば、白紙からだ。白紙に線引きゃ明瞭だし自由に引ける、A国の隣にB国がある、とか中国概要進出ブロックする形で日本列島がある、とかそういう目で見て直ぐに判るような事ばかりで構成される。

本質が見える」「よくわかる」というのは、単純にその対象の事を全く知らないという事はしばしばである

 

でも普通の人にはそうは出来ない。各国の産業構成グラフとか、輸出入品目の図、国の成長度合いと関税品税率、航路貿易協定の線とか、世界地図上はごちゃごちゃしてる。そこでカッコ付き「地政学」で使われてる地図図示されても「今は帝国主義じゃねーし」で終わりだ。「中国海外進出の蓋になってる日本列島」の図を見ても「いや、中国海洋条約に対して大陸棚方式を主張してるし」とか「11段線の元は民国9段線とかなんとかでそれを一国主義に基づいて反射的に主張したのが最初から…」とか余計な事を考えてしまう。

それらの知識消しゴム掛けなきゃ「地政学」の線を引けないんだが、正直、元の記述より重要なの?この線は?って感じでリーチしないんでありますな。

地政学」が小馬鹿にされてるのはこういう事だ。

 

そもそも現在現役の地政学講座なんかがあるのは多分英国の幾つかの大学くらいではないかな?麗澤大学とかハッピーサイエンスユニバーシティにはあるかもしれないが。

そうなると議論で踏まえるべき「正統」も無いって事になるので、余計に白紙に線を引く自由度は上がる

 

さて一方で「地政学リスク」というのはシンクタンク国際政治論なんかの頻出ワードだ。国家間地理的条件が政治的緊張を産み、戦争リスク経済リスク世界的な不安定さに繋がるって意味で、かなりカジュアルに使われる。

こういう地政学リスクを扱う場合ネットとか本屋の一階、特にマンガサブカルコーナー寄りの平積みとかブックオフの200円コーナーとかで情報仕入れようとすると、どうしても俗流地政学」の方を引いちゃう可能性あるわけよ。

そういう時は検索式を工夫したりして、首記の金融シンクタンクが出てくるまで頑張るっていうのが恥をかかない為のハウトゥなわけだ。

 

でもブクマ見ると地政学地政学リスク混同している人は結構いるし、それよりも目立つのウエメセで「よくまとまっている」だ。

あのさ、これってどういう風にまとまっているかって言えば、「ネットゆっくり地政学とかで言ってる事が書いてある」って事でしょう?そういうのと区別する為に金融シンクタンクなどを引くものなんだよ??

因みにシンクタンクだけだとこれもダメだ。というのもネットおかし言論商売してる奴っていうのはみんなシンクタンク名乗ってるのでな。

 

はてなのこういう常識が無いせいで間抜け情報に踊らされてるのに偉そうな態度などは外から見るとかなり目立つし結構滑稽なんだよ。

コロナの初期に社会免疫デマに乗っかってしまい、内容を理解してないのに「SIモデルがー」と挙って言ってたのも超害悪だったし、その後はPCRデマに乗り換えてウジウジ言い訳してたのも超害悪で溺れる者藁をも掴むの典型だった。

コラボ事件では盛り上がったのに暇が全然成果上げないのでいつの間にか女叩きにスライドしていって、数か月間もホッテントリの1/3が扇動的な男女論と女叩き、男性差別論という状態を出来させていた。

で、いつもそんな時にやたらイキってるのが特長で、馬鹿晒してイキってる、というのがはてなイメージになっている。

 

もういい加減努力もせずに知的背伸びしてイキるのは止めるべきだし、ソーシャルブックマークなのだから踏まえるべき基礎的なコンテンツブックマークするようにせんといかんだろ。

ホッテントリなんかSEOが強いサイトばっかじゃねーか。それってソーシャルブックマーク意味あんのか?

anond:20240602170511

クソみたいなマニアがこれは教養からやっとけみたいなこと言い出すから駄目

所詮ゲームアニメ漫画なんかに教養として触れておくべきものなんて存在しない

2024-06-01

anond:20240601224021

?????

なんか必死に「文系理系を腐す」みたいぶってるが、言語学に対する理解もアレすぎて、小学生くらいの下手な知ったかぶりしか見えないぞ?

こっちは「センター国語」を最低限の教養レベルという意味で書いたんだが、どうやらお前にはそれが「学問レベルに難しい話に見えてるみたいだ。

まあ、君のようなやつだよ、俺が「最低限」に達してないと言っているのは。

今日訪れたでかいブックオフの、ライトノベルコーナーには若者臭いオッサンがいて、時代文庫にはヨボヨボのジジイたちがいて、教養雑学コーナーには誰もいなかったのが印象的だった。

映画クラスタだがここ数年全く映画をみなくなってがそれでいいと思うようになった

数年前まではツイッター映画好き界隈(今はあまり言わないがクラスタと言われてたやつ)にかなり出入りして毎日映画感想議論をしてたのだが、俺の私生活の変化で映画を見る時間が出来なくなってガクっと映画を見る時間が減り、そのまま界隈に積極的に参加することもなくなり、暇な時間に界隈のTLを眺めるだけになっていった。

その結果どうなったかというと、「俺はなんてムダな時間を使っていたんだ」と思うようになった。映画クラスタなんてもう10年くらいやれポリコレだのやれ監督倫理観だの労働問題だの邦画カスだの代り映えのない話題をずっと繰り返している。それかバカしかいない。

その間俺は仕事もっと有意義時間を過ごし、そのうえで彼らがわざわざ映画越しに学んでいるらしい社会問題価値観アップデートちゃんとした本を読んで学んでいる。まるで「麻雀頭の体操になるんだよ」とのたまうジジイみたいにまるで映画を見るだけで自分が頭よくなってると思ってるバカ共をしり目に、俺は充実した生活を送っている。

映画なんて見なくても人生は充実するし教養は身につくし価値観アップデートできる。むしろお前たちのほうが退化している。映画なんて気が向いた時だけ見ろ!一回2000円かかる意味を考えろ!!!

うおおおおおノベルス雑語りしたくなってきたー!!!

ノベルスがライトノベルか否かって言われたら雑なノベルス語りをしたくなってきたぜ!!!!!

ということでしていきます

ライトノベルノベルスの違い

そもそもライトノベル」と「ノベルス」を分ける定義の人たちってのは昔から連綿と存在していて、例えばノベルスって言うとどういうものかっていうと以下のようなレーベルです

等々……

さて、ライトノベルとどう違うの?と言われると、ものすごい簡単にいうと「文庫新書か」という分け方になる

ライトノベルは主に「文庫」で書かれているレーベルを指すことが多く、ノベルスは「ノベルス版(新書版)」と呼ばれるちょっと細長い感じの本で二段組で書かれているものを指す。

違いはそれだけか?と言われるとまあそれだけなんだが、もうちょい踏み込むにはノベルスの歴史を知る必要がある

1950年代ごろだと、そもそも日本における新書サイズの本と呼ばれるものは「岩波新書」に代表されるお堅い学術書が主だったもので、それに対して光文社が「大衆向けのもうちょいわかりやす教養レーベルを作りたい」として作ったのが「カッパ・ブックス」と呼ばれるレーベルになる

(余談だが著者近影という文化を始めたのもこのレーベルが初らしい)

で、そこから姉妹レーベルとしてフィクション物語を扱う「カッパノベルス」が創刊された。

カッパノベルスは松本清張西村京太郎小松右京など書いた日本ミステリSFエンターテイメント小説に多大な影響がある作品を出して大ヒットを飛ばした。

それを見た他の出版社もこぞってノベルスレベルを立ち上げてそれぞれのレーベル作品を発表していった。

これが大体1960年から1980年くらいにかけてのものすごい大雑把な流れで、ライトノベルより早い段階で日本エンターテイメント小説ノベルスは多大な影響を及ぼした

特にミステリファンタジージャンルに関してはこのノベルスの影響度が尋常じゃないほど高く、ミステリだとカッパノベルスや講談社ノベルス、ファンタジーに関してはC★NOVELSなどで有名作品が数多く存在する

ライトノベルノベルスに含まない人の意見

じゃあ、なんでライトノベル定義論でノベルス含む含まない論争になるかというと、ここからは若干雰囲気ベースになるが「出自ターゲット層」じゃないかというところになる。

ノベルスは刊行されているものを見てみるとわかるが結構ターゲットの年齢層が高い。ぶっちゃけサラリーマンとかそっちくらい向けの作品群が多いのだ

この辺りはレーベルの当初から社会派ミステリ松本清張などを使っていることからも伺えるだろう

内容としてもハードボイルドや伝綺小説などが多く、いわゆるエンターテイメントの中でも硬派でおじさん主人公のもの結構多い

対してライトノベルというものは、ジュブナイル小説と呼ばれるいわゆる青少年向けの文化に影響を強めに受けていて、ターゲット層的にも青少年ないし大学生くらいが主だったターゲット層になる

この辺りの歴史的経緯から来る文化圏の違いみたいなものが、「含まない」という人たちが多い理由ひとつだろう

ライトノベルノベルスに含む人の意見

では逆に、「含む」派閥がなぜいるのか。というと、そもそもノベルスの歴史を見てもカッパ・ブックスの成り立ちからして、「大衆向け」でありエンターテイメント小説の土壌としてあったのはここまで話した通り

で、ライトノベルも言ったらエンターテイメント小説の集合の一部なわけで、まあ内容的に近しい作品が多いからだ

この辺り、時代を経るにつれライトノベルノベルスというのは似た成長を遂げた経緯を歩んだところがある

ライトノベルは様々な近傍文化漫画アニメゲームジュブナイル小説)をごった煮でまとめていったというのだけれども、

ノベルスは時代が経るにつれて対象である大人たち」の変化を受けて、アニメ美少女ゲーム文化さらにその近傍文化を取り入れていき、ライトノベルと似たような変遷を辿っていった

特にこれらを取り入れていったのが、講談社ノベルス(及び講談社BOX)とC★NOVELSである

講談社ノベルス(BOX)で言うと、西尾維新奈須きのこ佐藤友哉など

C★NOVELSで言うと、茅田砂胡多崎礼

あとはどちらにも書いている森博嗣京極夏彦などなど……

上記作家たちは、ご存知の通り小説もさることながら、アニメゲーム漫画などにも多大な影響を与えていった(というか奈須とかに関してはゲームそもそも出自ではある)

これらの作品群は内容的にライトノベルでも出ていてもおかしくない作風のものもあれど、ノベル刊行になっている

また、ライトノベルにおいても、「C★NOVELSで出てそう」「講談社ノベルスで出てそう」みたいな作品結構ある

個人的には紅玉いづきさんとかはわりとC★NOVELS風味かなと思ったりもする)

実際「ブギーポップシリーズ上遠野浩平講談社ノベルスで「殺竜事件」等の「戦地調停シリーズ」を書いているし、ラノベ出身作家ノベルスレベルで書いている例も多い

まとめ

こういった経緯で位置としてはめちゃくちゃ近い位置にあれど、しかし、ノベルスをラノベに入れるか?みたいなのがとても別れやすい、という妙な性質がこの二つにはある

個人的には、まあ歴史的経緯もあるし、レーベル史観でいいんじゃね?という意見なのでノベルスはノベルス、ライトノベルライトノベルでいいかなあと思っている

ただここまでの歴史的経緯を踏まえても、現状似ている作品群も多いというのはあるので、含める気持ちもわかる

なので、もし今後議論する際には内容派閥レーベル史観派閥かの宣言くらいはしてもいいんじゃねえかなあと思う

ただそれはそれとして、ノベルス、ライトノベル双方に面白い作品はたくさんある

ノベルスが好きな人も、ライトノベル好きな人もそれぞれお互いに合う作品結構あるので探してみるのもいいのではないだろうか

更新履歴

24/06/01

指摘があった「ノベルス」と「ノベルズ」の表記ゆれ修正。ちなみに表記は「novels」を日本語読みしたものなのでどっちもあるっぽく、出版社によっても呼び方に揺れがある。(トクマノベルズはズ、講談社ノベルスはス)。自分もなんかノベルスっていったりノベルズと混ざっていってしまうので癖です……

2024-05-31

anond:20240531165010

ユーザー層が入れ替わったのでしょうね

昔のはてなー現在対立煽りしているはてなーは別の人種なのでしょう

  

[B! 教育] どうやって子どもに「文化資本」をプリインストールしていけばよいだろう? | Books&Apps

  

これはシロクマ先生による記事です。(539users)

昨今は、「文化資本」という言葉が語られることが多い。

文化資本とは、語彙力や言葉遣い、学力教養美的センスといった、個人的リソースのことを指す。

文化資本は直接的にはお金にならないかもしれないが、地位人間関係へのアクセスを左右し、巡り巡って経済資本をも左右するという点において、やはり資本である

こんな感じで少なくとも当時は本来意味で使われていました

 

はてな話題になりがちな文化資本関連トピック

  

1個くらいは見たことあるのでは?

この手の話に熱心に参加していたのは子供を持つ親や教育関係者ですね

トピ主さんやしんざきさん、まつもとさん辺りも文化資本関連で何か書かれていそうな気がしますが探すのが面倒になったのでここでやめます

こうしてみればホッテントリするブクマ傾向が変わりましたね

知識子育て系のブログはなくなり不毛対立煽りばかりです

  

なぜ文化資本という単語が《東京すごいポルノ》に使われるようになったのかよくわかりませんが 

本来意味では住んでいる場所よりも親の方が重要ですし、問題視しているのは貧困再生産です

 

anond:20240531193402

日本人女は世界一糞。

勉強しない、教養ない、今どき文系事務職しか就けない、自立心ない、自尊心すらない

日本人男が結婚するメリットほぼないぞ

文化資本」がどうとかって話題になってるけど、素直にブルデューの『ディスタンクシオン』でも読んでみればいいじゃんって思う。いつまで何をごちゃごちゃやってるんだろう。

ネット上で偉そうなこと書いてる人たちでもちゃんと専門書読んでなかったりするよね。入門書、概説書だけでも読んでればかなりいい方で、ほとんどの人はウィキペディア読んだだけで理解した気になってる。もっとひどいとウィキペディアすら読まずに「こんな感じの意味だろ」って勘で理解した気になってる。もっともっとひどいと言葉意味理解する必要性すら感じていなくてただ喋りたいこと喋ってるだけとか。世の中そんな感じの人も多いけどね。

知りもしない理解してもいない言葉を使って語ってるのって無教養な人がやりがちだと思う。余裕がないというか、いつも自分を大きく見せてないと気が済まないというか。逆に、「文化資本」って言葉は知らないあるいは理解してないから「文化資本」って言葉を使わなかった人は誠実な態度だし教養があると思う。こういうところに差が出てくるんだよね。細かいことだけど見てる人はそういうところ見てるよ。

anond:20240531095923

ごめんな、今は平社員だけど一流大学通ってたか文化資本受けてたんだわ

嫌味になるから言わなかっただけで

英語の本も好きだから五十冊くらい洋書屋で買って読んだり、都立多摩図書館でお硬い洋雑誌片っ端から読み漁って知的生き方してた


資格教養必要な界隈に入れない底辺コンプレックス刺激しちゃってほんとにごめんな

努力もしないし人を殴りたいだけの田舎のド底辺が読む事を想定してなかったからさ

ほんとに悪かったな

anond:20240531142754

馬脚を現したのはそちらでは?w

世間常識についていけない非常識で幼稚なドブ高齢ジャップですよね

その腐った人間性教養のなさ知能の低さ開き直る態度、見下される対象ですよ

anond:20240531060924

なぜわざわざ「資本」って言葉が使われてるかといえば文化教養のような形のない物も貨幣や財のような富と同じく

社会的地位経済的利益を生む元手となることに注目してるから社会的地位経済的利益再生産に寄与する」ことが一番重要ポイントなんだよ

美術館博物館なんて「庶民にも文化の片鱗に触れさせてやろう」って施設でとてもじゃないが資本なんて言えるもんじゃないんだよな

阪神岡田監督が「親が有力なタニマチだったか子供のころから阪神選手が家に来て野球教えてくれた」とかそういうのが文化資本だよね

音楽家とかも大体親が業界とつながりがあって子供の頃から高名な音楽家と面識があったとか多いしね

anond:20240531095923

都民ってせっかく都内東大あるのにわざわざ地方に行くよね

教養資本享受したくないのかな

東京文化資本百番煎じ

そもそも文化資本定義とは

フランス社会学者ピエール・ブルデューによって提唱された社会学における学術用語の一つであり、金銭によるもの以外の、学歴文化的素養といった個人的資産

とのこと

東京には個々人が様々な文化資本教養体験を積める場所が多くある。以下例を挙げると

A. 一流大学で行われる授業や研究、一流の文化人講師を務める講座、芸能人が集まるテレビスタジオクラブ

  日本リーディングカンパニー経営者が集まる会合大型書店の専門書・洋書コーナー、

B. 野球サッカーコンサート等が頻繁に開かれる球場美術館博物館、かつては若者文化の発信地だった渋谷原宿オタクが集まる秋葉原、金と欲望暴力歌舞伎町六本木

  デート観光釣り野宿もできるお台場マルチ商法詐欺師がカモを連れ込む新宿喫茶店外国人と話ができるカフェバー瀟洒議員会館の威容

等々、文化的体験を積める場所は数え切れない

また、一流大学や一流タレントだけでなく、準一流大学アイドルの卵など、場は階層も深い

資格教養が無いと参加できない場もある(主に上記Aで挙げた場所)し、誰でも参加できる庶民場所もたくさんある(上記Bで例に挙げた場所

多様な経験ができる事と、その厚みが厚い事(日本語が下手)が東京文化資本とやらだと思う

なので美術館博物館以外の東京文化資本と言えば、たくさんありすぎて列挙する事すら大変だと思います以上終わり

オタクがトラペジウム褒めたくなる気持ちは分かる。分かるからこそ軽蔑してる

「この凄さが分かる俺マジスゲー」ぐらいさっさと卒業しなよ。

オタクって昔からずっとコレやってるんだけどさ、いい加減そういう形で自分を着飾って褒め合うのダサイから辞めたほうがいいよ。

トラペジウムみたいなニッチ作品でやってる分にはまだいいかもって気はしてたんだけどさ、アイカツプリキュアにまで乗り込んでいって「子供向け作品の奥に宿る素晴らしい価値を見出す俺の凄さ」とかやってるキモさと比べればさ。

でも最近の褒め方は本当に気持ち悪くて、やっぱコイツらのやってることはどこで何に対してやった所でありえないぐらいダサイことなんだなと感じたわけよ。

何がどうダサイかってさ、結局のところオタクは「この作品凄さが分かる俺」を騙りたいだけでしかないってこと。

一見すると語ってるはずの作品の良さなんてのは、本当は自分凄さを引き出すための触媒ぐらいにしか思ってないわけよ。

よくよく見てくと「この作品のこんな所に気づく俺凄いなー」とか「こういうのが分かる俺の感受性って豊かだなー」しか言ってないわけ。

たとえば歪んだラーメンオタクラーメンの美味さを語っているように見せて「この有益情報を広めている俺って本当に偉いな」にしか興味がなくなっていくわけだけど、トラペジウムの褒められ方は本当にそういった類のムーブばかりなんだよ。

マジで気持ち悪い。

なんでそんなになんでもかんでも自分アイデンティティ確立のための手段へと貶められるんだろうね。

素直に作品面白さを語る気のあるオタクが全く見当たらない。

誰もが「この作品面白さを理解し、こうして言語化してみせる俺のオタク教養の高さたるや」とナルシスってばかりいる。

マジで軽蔑するわ。

理解できるからこその軽蔑

俺も昔はこういうオタクだったからね。

ゲームを勝ち負けを通して自分凄さ証明するための手段だと思いこんだり、アニメに対して痛いレビューを書きまくって自分の見識を自慢したりしてさ。

ちょっと変な所があるゲームをやたらとクソゲー扱いしてこき下ろして陰湿オタク同士の中で人気物になろうとしてたこともあったな。

でも成長した今ならわかる。

ダサイんだよ。

自分という人間は凄いんだぞって必死アピールしたいなら、自分の身一つでやるのが関の山だろ。

なんで他人時間情熱を注ぎ込んで作り上げたものを、赤の他人のお前がしょーもない自意識を満たすための小道具として持ち出してんだよ。

本当にダッセーよ。

マジでダサい

そのダサさに早く気づいて欲しい。

人生の傷口が広がりすぎないうちに気づいてもらいたい。

2024-05-30

日本って女が壊滅的にゴミなのにGDP4位ってすごすぎん?

こんな衰退しまくっててホルホルしてて痛いやつって思われてるかもしれないが

日本GDP4位ってまじですごい

俺は帰国子女からわかるが日本人の女、教養なさすぎ。勉強しなさすぎ。

STEAM時代文系しか進めないってそりゃAIリプレイス可能低賃金事務職しか就けないわ。需要ないし。

教養低学歴低賃金デフォから未だに自立心がない。自覚いかもしれないが自尊心なさ過ぎ。

無自覚に金を恵んでくださいって土下座してるってのわからいかな?

日本人口の半分がゴミなのにGDP4位。まじですごい。

ついでに言えば政治世界一レベル低くてこれはマジですごいよ。

あぁぁ〜ホルホルするしかいね、これ

anond:20240530124908

人口が多いか文化人の数量が多いのであって、普通の人が大多数なのかな。

深い教養の話を頻繁にしたいところだが、東京でも特殊な集まりがないとできないんだろう。

anond:20240530175720

プロ代々木駅近くの紀伊国屋洋書売り場で過ごしてるから

あれが新宿一の文化資本だと思うよ

美術館やら博物館やらの薄っぺら文化資本論してる人達と違って真の教養ある人間しか楽しめない場所だし(増田のお手本みたいなマウンティング

昔は全フロア書店楽しい場所だった

文化資本って、学歴とか、スポーツ楽器習い事をしてたとか、古典教養があるとか、食事マナーがあるとか、味がわかるとか、TPOに応じた服装ができるとか、社交的にふるまえるとかいろいろあると思うんだ。

文化資本についての議論で「美術館コンサートに行けるから~」みたいなわかりやすい例しかでてこないと、この人たち文化資本が豊かなの?って感じになる。

anond:20240530065636

まれも育ちも関外先祖代々関外エリアという金物屋の倅が、ナチュラル文化芸術歴史に関して異様に教養あって、新住民として東京で生まれ育った自分は凄くコンプレックスを逆なでされた

東京文化資本がある、ない」っておかしくない?文化資本って個人に属するものだよね?

そしてはてなーには文化資本ないよね・・・無知だし教養ないし学歴も家柄もないし・・・

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん