はてなキーワード: 常人とは
衣食住の維持もできないくらいで、生活保護を受けていたんだけど、
受給開始当時から、明確な病名がないなら就労して貰わなければ困るって言われていた。
それでなんとか、当日受診が可能な病院を探して、なんとか内科、脳外科、循環器科で診て貰ったけど異常は見つからず、
うちで診れるような症状はなにもない、あなたは現状に甘えているだけの健常人と言われた。
じゃあ、こんなにも辛いのは何なんですかって聞いたら、
逃げたがる人間はそうやって何も異常が無い身体に勝手に異常を作り出して医者に迷惑をかける、
人間の身体ってそんなに都合よくできてるのかよ、初めて知ったわ。
ケースワーカーからは、もうこれ以上就労指導を先延ばしにはしない、
今後は健常者として扱い、生活保護廃止を前提に厳しく指導していくと言われた。
なんかもう疲れた。
ワイはとても常人の共感力やお互い様の精神があるとは言えない人間だけど、
それでも、自分の父ちゃん母ちゃんと同じ年齢の人には赤の他人であっても敬意を払うし、
自分の父ちゃん母ちゃんと同じ年齢の人に酷い対応する人を見たら『なんやコイツ』ってなるで
それと同じように、自分に子どもがいたり、姪っ子・甥っ子がいたり、それらがいなくても自分自身が社会に生かされたって思いがあれば、
子どもや若者、それもなんかありそうな人には、赤の他人であっても親切にするのは一般的なのよ
だから、どうしようもないおっさん・おばさんには、『人の親なのによくそういう対応が出来るな😡』って非難がなされるわけ
けどまぁ、親切するのが当たり前と言っても、本当に出来ているかはまた別の話なので、
自分の身内だけでも確実に親切にできていると断言出来るなら、それはそれで良いことじゃないでしょうか
自分が普段お世話になっている人の、親やパートナーや子どもがそれに該当するかもだからだよ
ゆうて、下記の通り、それをしっかり実践出来てはまだいませんけどね
リアルでは、何かありそうな人に対しては、自分が持っている権限の範囲で寄り添ってるつもりだけど、
過去の日記読むと、徳の高い人/意識高い人目指すどうたら以前に、常人の共感性や常人のお互い様の精神を身につけましょうってなるわね
露悪ぶってるのでも、本気で言ってるのでも、『周りの人には優しくしっかり出来てる』なら、まずは合格点なんじゃないでしょうか
世の中で一般的に言われている『性格が悪い』&『クズ』って、基本的に知能(想像力と感情制御能力)の能力の話だからな
知的な困難があると、本来は優しかったり、共感性があっても、感情制御が困難で不機嫌・不満を結果的に撒き散らすことになったり、
相手を思いやる心はあっても生得的な想像力の問題で相手の立場に立てない
そういう人に寄り添えるアップデートがポリコレなんですけど、皆様ホンマに出来てます?って思う
リアルでは、何かありそうな人に対しては、自分が持っている権限の範囲で寄り添ってるつもりだけど、
自分の過去の日記読むと、徳の高い人/意識高い人目指すどうたら以前に、常人の共感性や常人のお互い様の精神を身につけましょうってなるわね
常人は友人と月一で会うの?本当に?
別に廃ブクマカというわけではなく、大体1日あたり5〜10ブクマ程度で、1ブクマ辺りの平均スター数が70前後。まず打率が非常に高い。
よく「過激なコメントがスターを集める」と言われるはてブだが、この方の書いているブクマは至って真っ当なもの。
奇をてらわず、基本に忠実なブコメで圧倒的なスターを稼いでる。
なんと2位と倍以上の差をつけている。あまりにも凄い。
自分もランカーになりたいと思ってやってて、ようやく100位以内に入れたくらい。
しかも荒れやすいネタに過激なブコメをしまくってこれ(だって真っ当なブコメしても全然スターもらえないんだもん…常人はこうするしかないんだよ)。
プログラミングできてイラスト描けて曲も作れてモデリングもできてデザインもできます、みたいな人が稀にいる
常人じゃ考えられない努力したのは間違い無いと思うけど努力だけでここまでいけるものなのか?
1つくらい他の人に分けてあげても良くない?
注意:ここで言う「オタク」は表現の自由戦士とかポリコレリベラルとか一切関係なく、漫画や映画に必要以上に入れ籠んでる、SNSに常駐するすべてのコメントイナゴのことである。
https://twitter.com/investorz_mita/status/1785504430030475277
自分にはまったくもってよくある誇張した漫画表現以上のものは何も見られず、また誰かを侮辱しているわけでもないので、何をどう炎上させる必要があるのか一切わからないが、これに対しX上のオタクコミュニティが親を殺されたような勢いで群がっている。
このリプライ、リポスト群を見ると、「オタク」(繰り返すが、エロ表現とかポリコレとか以前に、漫画や映画に必要以上に入れ籠むオタクすべて)がどうして普通の人に醜悪で気持ち悪くて有害な存在と感じられるのか、その悪いところがすべて凝縮されている。
以下ではそのポイントをいくつか挙げるので、人間的におかしいオタクをやめたいオタクは読むと良い。
この漫画の中では、別に「映画を損切りしない奴はバカ」とか言ってるわけではない。ただ、「映画を損切りする奴は投資にも向いている」と言っているだけである。「投資に向いていない」(それだって、作中に出来なかった部員がいるように、完全な落第扱いでもない)と評価されたからと言って、なぜ人格否定されたように怒る必要があるのか? オタクのこういう時折爆発する当たり屋的劣等感は、ちょっと常人の理解の域を超えている病気である。
コメントを見ているとわかるが、この異常な拒否反応の裏には「投資家」という、漫画のパターンとしては冷酷な悪役と見なされがちな属性に対する先入観に基づく全否定が根源にあるように見られる。「投資家は冷酷だ」「投資家は他人をバカにしている」「投資家は豊かな人間生活を否定している」という偏見に基づいて、作品を普通に読めば読み取れるキャラクターの人間性をまったく読み取らずに、何か妄想上の「悪の論理」を勝手に見いだして「どんな無理ないちゃもんをつけても良いもの」という扱いをしている。敬意を持つなんて建前すらない。
作中に「ぼくの見た奴は面白かったから」という理由で、映画を「損切り」出来なかったことを正当化している部員がいる。これ、普通の読解力で普通に読めば、作者のエクスキューズである。「これは彼らの遊びに過ぎないよ。『つまらない映画』なんて単純な評価はできないし、彼ら自身もそれほど信じてるわけじゃないよ」という意味を込めてなければ、作家はこんなセリフを書かない。しかし、これすらも、号泣暴走グルグルパンチと化したオタクには「作家自身も気づいてない矛盾を俺が指摘してやる」といういちゃもんのつけどころになる。こういうのに絡まれたときの面倒臭さは、増田も覚えがある。
そもそも、これは漫画、物語である。極端なキャラクター設定をして、極端な立場からものを言わせることでテーマを浮き彫りにするというのは、シナリオづくりの最も基本的なスタイルである。差別的な思想を語るわけでもなく、ただ「映画を損切り出来る奴は投資に向いている」という程度の思想をもって極端なことをするキャラクターぐらいを肯定的に描いただけで否定されるのならば、「漫画は面白ければ良い」だって「男なら戦え」だって「命を食べて生きる」だって、普通は極端であえて日常の中で主張はしないようなテーマである。これらのオタクは、そもそも漫画の表現手法そのものを全否定している。
結局のところ「オタク」には、創作に敬意を持っているからこそオタクであるという建前どおりの存在は少ない。少なくとも、SNS等で声の大きい奴らほど、そんなところからは全然遠い。奴らにとって本当に大事なのは「自分」(劣等感を抱えて何かにすがりたい自分)なのである。漫画や映画という創作物は、奴らにとっては道具に過ぎない。自分の劣等感をすがって誤摩化して糊塗するための道具だ。だからこそ、自分の劣情が発揮された瞬間に、創作物や表現者に対する最低限の敬意すらゴミのように捨ててしまう。作品を好きなように切り取りして読んで、書いてあることをねじ曲げ、ごくごく当たり前のデフォルメ手法すらもあっさりなかったことにして見せる。
オタクと言うのは、漫画や映像という他人の創作物を身勝手に援用して、自分の劣等感、攻撃性を解放したいだけの、要するにフーリガンなのである。
障碍者向けに設定してある駐車スペースとか障碍者むけの階段設置してある車いす用昇降機とか健常人が使ってもよいってことよな?
健常人という種類の人間が使えるようにデザインしてあるものを障碍者が同等に使えないのが何が問題なんだ
デザインが違うんだろ
車いすが必要でもない人間が車いすに座りたい気分で障碍者として対応を必要としてみたいから使っていいのか?
自分の気質もだし、人との関わり方も何もかもよくわからなくなってきてしまった。
自分に対して、人と関わることや、その先の恋愛関係も向いていないのかなって思う出来事があった。
その原因の根本的なものは考えてみると、自分の気質からくる自己肯定感の低さみたいなものが来るのかなって。
おそらくは、自分自身ADHDみたいな感じなんだろうが、診断がついているわけでもないので気質と呼ぶことにしたい。
自分自身の行動から多動が出てしまっているなと感じたり、集中が全然違う方向にいっているなってことはしばしばある気がする。
これまでの人生の中でも、集中が違う方向にいってしまっていて、トンチンカンなことを言ってしまったり落ち着きのなさから”変な人”として扱われて関わりを避けられていると思うこともしばしばあった。
高校生から大学生くらいにかけて、少しは常人に擬態しようという努力をしたつもりだった。
特に不用意発言をできるだけ控えるように心がけていたような気がする。
発達障害の処世術として目にしたものが自分の中で少しだけしっくりきているような気もする。
https://anond.hatelabo.jp/20151101094059
ここで言うところの「沈黙は金以上なり」ということ。
これでは、人と深い関係になるなんてことは無理なのかな、本当に最近になって気がついた。
これまでは、「無難であること」を使って「人に受け入れてもらう」ように生きてきた気がする。
この手の話の中でそれでも受け入れてくれている人がいる、という話をされることがある。
でも、その具体例の話の当事者はみんな女性であることにモヤモヤする部分がある。
男だとか女だとかってことを考えたくはないんだけど、人との関係の中で男性としての振る舞いが求められている中では、誰かが自分のことを受け入れてくれることなんてないのかな、と思ってしまう。
ここ数日自分の中でもがきながらいろんなことを考えたつもりになっているのだけれども、堂々回りになってしまって何もわからなくなってしまった。
結局最初の「人並みの幸せは諦める」を実践できていないからなのかなと思わないでもない。
人並みの幸せってなんだっけ。
何とは申しませんけども口の利き方よ。外資やコンサル・シンクタンク系のポンコツとはまた違った味わい
元よりややサイコなため、いっぱい人に親切にしてもらっても、まだまだ常人には遥か遠いワイがこの文化で育ってたら、
いったいぜんたいどうなってたんでしょうね?これは仕事のスタンスだけに留まらず、プライベートにも影響すると思う
社会を知らない子どもに対してなんていう罪なことをするのかなぁ・・・と思うが、これに染まる・馴染む方も方だ
今までどういう人生歩んできたんでしょうね?塾とカラオケ&酒盛りと運動部しかやってなかったの?
ただ、こういう組織の方が、お堅い大企業よりも遥かに設計がしっかりしているのは闇深い(某ベンチャーもそうだった)
まぁ、エンジニアは他の文化圏からやってくるから、ポンコツではないのは『そうでしょうよ』と思うが、