はてなキーワード: 同調圧力とは
あららご愁傷さまwwwwwwwww
日本人女の95%は同調圧力と教育と文化の賜物で「正しさ(笑)」を内面化しているから、男にこういうことやられると自尊心を傷付けられるんだな。
もちろん自尊心を傷付けてるのは自分自身だけど、日本人女の95%にとって自他の区別は関係ない。
デート中に犬のウンコ踏んだとしても、それは男が悪いwwwwwww
もちろんそうじゃない、安っぽい正しさにとらわれない女も5%くらいはいるだろうが、ぶっちゃけお前はそういう女好きにならないだろwwwwww
今回の件だったら、デート中に徘徊老人に出会った時点で、もはや運が悪かったとしか言いようがないなwwwwwwwww
・助けない→この人優しさがないのかしら(それでも助けるよりかはだいぶマシ)
そこそこ長いカフェ従事者としてバリスタさんとの繋がりも増え、お誘いも受けることもしばしば。
そんなわけで今回足を運んだのは国内では最大級のコーヒーイベント、TOKYO COFFEE FESTIVAL。
コーヒー×音楽!表参道の華やかな開催地!SNSはおいしいコーヒーへの称賛とバリスタたちの交流を喜ぶ声!
★何も考えていないオペレーション
まず何よりもブースの配置。これだけ混むと想定できていながら待機列の導線を1ミリも考えてない。
言っちゃ悪いけど知名度の低いコーヒー屋が大金払って参加しても、人気店の待機列で遮られて閑古鳥。
そういうこれから来るところを新規さんに紹介するのがこういうイベントなんじゃないの?
客が来ないのはプロモーションしない自己責任〜!なんてのは平等な配置と導線提供してから言え。
次にスタッフの数と質。
ブース同様来場者数を考慮せずに受付だけ用意しときゃいいだろ的な配置で、場内の客案内は高い金払って参加した出店者様に丸投げ。
コロナ明け×カフェブームで膨れ上がった客数をこれまで通りかそれ以下の人数でまわそうとしてるなんて正気とは思えない。
そもそもスタッフをボランティアで募集してるイベントはクソってのが相場なんだけど、この集客規模のイベントで受付スタッフが友達と駄弁って大行列になってるのを誰も注意しないのは正直頭おかしい。
★出店料とzine協力費
出店料1日2.5万円、まぁ大きいイベントだし場所的にもある程度の価格になるのはわかる。
ただ今回の目玉となるおしゃれなzine…この参加協力費がえぐい。
これがなんと当初6万円と出店料の倍額以上の提示で、あまりに高すぎたのでかなり非難轟々。
しかも参加した店舗を優先的に出店という、絶対出店したいやつは払えシステム。
あまりに不評で最終的に半額くらいになったというけど、その金額もかなりギリギリまで出なかったとか。
zineは凝ったつくりしてたから原価はかかってそうだけど、1,200円で販売するのにそんなにとる?
※以下出店料関連のみでの収益試算
(コーヒー関連の知人しかいないためフードやグッズは同額で予想)
[1日目]
[2日目]
計64店舗×2.5万円=160万円
[zine掲出料]
3.5万円×30店舗=105万円
★総括
「大盛況でいいイベントだった!」なんてのは出店者ブース内から見ればそりゃそう。
案内もろくにされず、お得なはずの飲み比べは大行列で飲みたい店のコーヒーも飲めずな新規客は2度と来ない。
そもそも出展内容の告知も遅すぎて一般来場客の事なんて考えてないんだろうなあ。
前回はわかるよ、コロナ明けてイベントに飢えた民衆が押し寄せたからね。
カフェブームも盛り上がってこれだけあちこちでコーヒーイベントやってて、だいたいイベントは長蛇の列なのになんで改善しようとしないんだろ。
「コーヒーイベントはこういうもの!」で押し切ろうとしてる空気感はそろそろ限界なんじゃない?
SNSだとポジティブな感想ばっかりでびっくりなんだけど、客も出店者も不満ある人が黙ってフェードアウトしてるだけなのでは…。
出店者は忖度とか同調圧力も強そうだけど、しっかりクレームぶつけないとコーヒーブーム自体の寿命縮めない?
ブームを逆手にとって出店者と客から搾取、運営は見積もりも取らずにジャブジャブ予算使ってやった感だしてるのが見えてくるよね。
勝手のわかったベテランだけが楽しめるイベントなんてジャンル衰退を推進するだけなのにな〜。
信者がついてくるうちに、太客抱え込んでかわいい子食って店作って安泰!みたいなやり方する人たちが先導して、それに憧れるフォロワーが湧いてきてるからブームも末期なのかな。
最近大手のメディアでも暴力的と思われるワードを自主規制したりするのを見かける。
誰も言わないのに勝手にマスコミが天皇を敬称つけたりするのに感じるような、同調圧力のような気持ち悪さだ。
でも一個人が勝手に何かを察して自主規制したりすることに自意識過剰さと、過度な察しによるどうでもいい事象の蔓延の兆しを感じて気持ち悪くなる。
ただでさえ遠回りな表現を好む日本で察し察しのこういう謎文化を広めてほしくない。ただの一個人が。
一般人が何も考えず誰かがやってるのを見て、勝手に何かを察して
SEOでいうなら平仮名にして文字を開こうがそんな小細工まったく意味がない。
こずるい真似をしてこそこそやっているのも、小市民みたいでむかつくんだよ。
どんな気分になるのか体感してみたいよ…。
でもさ。
「ルッキズムへの加担…」
「ルッキズムへの加担…」
…という念仏が頭の中に流れ出すんだよ…。
女性をはじめとするメイクユーザーが、どうやって葛藤を、ルッキズムへの加担という非難を乗り越えてるのか知りたい。
オレは
「ルッキズムが自己完結してるならOK」じゃ到底納得できない。
だって化粧してるのは周りにバレるし、化粧してる人が多いから化粧する、それが同調圧力だろ?
「他人の見た目なんて気にしませんよ」って言ってきたら信用できるか?
できないだろ。
顔を気にする人たちが集まった社会が、他ならぬ、化粧圧力のある社会だ。違うか?
無言の圧力をかける人が100人集まれば、氷山の一角の5人くらいは有言で圧力してくるだろうさ。
氷山を下から支える氷に加わりたくない。
加担したくない。
長いものに巻かれたいし、同調圧力には屈したいし、権利だけは享受するけど、責任は他人に押し付けたい普通の日本人なので、真実に目覚めた真の日本人と戦いたくない…。
Rの支払いでLのコンビニコーヒーを飲むと数百円の差額で懲戒免職になるという。1900万円の不正支出や自殺への追い込みはどれほどの懲罰になったのだろうか。
職場の中における同調圧力が強すぎて本人の意志とは半ば無関係に同和利権を容認するような書類を処理してしまうのは、職務における真剣さや勇気の欠如ではあるが、それは個人の生存戦略と社会通念上のモラルのどちらを優先するかの話であって、その人間を明確な悪と断ずるのはいささか求めるハードルが高くないか?
対してコーヒーの値段をちょろまかす行為は、明確な自由意志に寄る明白な詐欺・窃盗行為であり、100%自由に自分の行動が選べる状況において、完全に自己の利益のみを目的として、他者に不当で不誠実な取引、というよりハッキリ言って差額分の万引きと等しい行為を行っているわけで、判断力の低下を招くような追い詰められている状況でもなければ、本人以外の意思が介在するようなシチュエーションでもないわけだから、明確にその人間が悪党であると断ずることが出来るんじゃないのか?
扱った額の大小に注目してどっちが重い罪をなしたかではなく、どちらがより「自分の自由意志をもって犯罪行為に手を染めることを選んだのか。犯罪行為に手を染めない道を選択できる自由がどれぐらいあったのか」で判断すべきじゃないのか?
というかそもそも、この2つを比較するのが完全におかしいというか、状況が違いすぎないか?
妊娠の恐怖を背負うのは女だし性欲の解消も男にもたらされるメリットだしこっちは男のために化粧も服も金をかけないといけないのに男はそれほど金をかけずに済むしそれでいて平均賃金は女のほうが低いし甲斐性なしの男が増えてご飯を奢るのすら渋る有り様だし今の世の中男女で恋愛する価値なんてないと思う
普通の恋愛は女が損するばかりで何にもメリットがない、と、よく言い切ってくれた。
多分、本当に腐っているのは「普通の恋愛」とかいうジェンダー規範を同調圧力で維持してきた社会なんだと思う。
陽と陰の差って行動力の差だと思っていて、オタクでも積極的に遠征いったり推しと繋がろうとするやつと、家で引きこもって悪態ついてるやつには明確な差がある
地方だと積極性がないとコミュニティにも属せないし行動範囲狭すぎたらスーパーにも行けず生きていけないので積極的にならざるを得ないと思う。逆に都会だと同調圧力が強く出る杭は打たれるので必然的におとなしくなる
コミュニティが異なると価値観が異なる。だからマッチングアプリは実は合理的ではないのでは、と感じている
今Xでしょっちゅうフェミニストとミソジニーが争っているのを見るが、あれは地方の男(家父長制・男尊女卑)と都会の女(社会進出・男女同権)が価値観の違いで戦っているように見える
子供の頃の私は親の知り合いや親族の中にいる「独身の、おもしろい、話が通じる、頭の柔らかな大人」がとても好きだった。かなり懐いていたように思うし、その人物たちはほかの子供たちにも大人気だった覚えがある。
私は結婚する予定が現在なく、自分がそのルートに乗っかっていく可能性も一応検討しておいた方が、後々のためにも幸福かもしれないと思い、最近つらつらと考えているのだが、意外とハードルが高いのかもしれないと気づきつつあり、怯えている。
まず、子供のそばに置いてもよいという判断を親からもらえるレベルの社会性や身分の保証が必要である。
次に、友人や親族が続々と結婚や妊娠・出産のラッシュを迎えていても同調圧力や社会規範に屈することなく、あくまで朗らかに緩やかかつしっかりとした関係性を築く。
そして、子供たちの流行やその世代におけるなんとなくの暗黙の了解、社会的なルールやタブーをアップデートし続けることで、頭の固い親とは違った唯一無二のポジションを獲得する。
意外とステップも多い。その上、実は二つ目の、社会規範に流されない、卑屈にならずにちゃんと接しやすく親しみやすい己を整えておくことで好かれるように努力する、という手順。実はこれこそが曲者で、みんな自分ならできるだろうと軽んじているのに、最も難しく、乗り越えがたいハードルなのかもしれない、と薄ら理解し始めてしまった、という話である。
人手不足の時代である。一つ目の、定量化できる身分の保証が一応の定職があるということを指すならば、そこまで実現は難しくない。ちゃんと食い扶持さえ稼いでいて、そこそこやっているように見せられればある程度はよさそうだ。
三つ目の子供たちの暗黙の了解の獲得はとりあえず、ちゃんと相手の話を聞くことと独身ゆえの身軽さを利用して、インターネットなど社会に広く開かれた窓口を往復しておくことが重要だろう。また、自分が若い頃の文化について体系的に話せたら、おそらくそれなりにはおもしろがってもらえるのではないだろうか。よほど話が下手で聞いていられないほどではない限り、親というものは権威があるので、子供と同じ目線に降りて自分の若い頃の情熱や失態を話せないから、親と同世代の自分がきっと楽にかっさらっていけるのだ。
じゃあ、自分のケアをして愉快な接しやすい人格を保っていられるか。ここがどうやら思っていた以上の難関なのだ。
というのも、現在アラサーの私の友人や知り合いの動き方を眺めるにつけ、人間というのはかくも一貫性を保つのが難しいのかと実感するからである。
彼氏を作った友だちに呪詛を吐き、結婚式を唾棄していた女性がいつのまにか結婚する。ポップな女嫌いをつぶやきまくっていた男が唐突に結婚相談所に登録する。恋愛がわからない、自分はひとを好きになれないと悩んでいた友人が、その悩みがどこにいったか、なぜ解決したのかの経緯を説明することなく嬉しそうに同棲中の部屋の写真を見せてくる。こういった流れに対して、なぜか私と同じ身分の者たちがどんどん卑屈になっていき、他者との関わりを絶ってしまうのだ。
私は先述の通り、愉快なおもしろおじさん・おばさんポジションが欲しい。まぁ、実際に得られるかはわからないが可能性はとりあえず残しておきたい。なので、上述した人々はまさに格好の獲物である。「あなたのお母さん、昔は彼氏持ちのひとを心底羨んでてね……」「お父さん、若い頃は結構おもしろい荒れ方してたんだよ!」「好きになることわからないとか言ってたけど幸せそうでなによりと思ってるわ〜」など、密やかな秘密の話としてポップに子供に吹き込む、毒にも薬にもならない存在を目指すのに楽だからだ。当人たちは自分の子供にそのような話は決してしないだろうし。「お父さん/お母さんには内緒ね!」と告げたときの相手のきらきらとした目が見たい。
でも、仲間がどんどん消えていってしまう。なんなら消えている期間に自分もパートナーを見つけて、何事もなかったように戻ってきて、私の次の獲物に変貌するひともいる。それはそれで構わないのだが、帰ってこなかった「おもしろおじさん・おばさん」候補はどこへ消えてしまったのだ。というか、なぜ消えたのか。これではどんどん私がマイノリティになっていってしまうではないか。
と、ここまで至ってなるほど、自分自身のケアをして揺るがない自我を築いていくという作業は思っているよりも難しいのだ、という結論を得た。周囲の「結婚ラッシュ」に焦る気持ち、自分は出来損ないなのではないかという劣等感、現実が見えなくなり狭窄になっていく感覚、なんとなく慢性的に存在する不安感。こういったものに抗うのは、意識的でなければ、人間は全員ちっぽけなので、不可能に近いのだった。
いまの私は、まぁたぶん、まだこのビッグウェーブに呑まれていない。そう信じたい。なので、一応おもしろおじさん・おばさんポジションの候補にはなれていることだろう。未来のことはわからないので、もしかしたら文字通り「闇落ち」を迎え、候補者リストから外れるかもしれないが。それは考えても仕方のないことだ。
最近は休日にひとりでドライブをしたり、写経をやっている。また、ジムにも通い出した。そして、編み物にも手を出している。映画も観るし、若いアイドルたちにもおそらくほかの友人よりは詳しい。こんなことを続けながら、自分自身の心のケアをしておくくらいしか、おもしろおじさん・おばさんルートは開かれないのだとしたら、それはまるでライトな修行僧のようではないか。実際に結婚や妊娠・出産とも縁遠かった結果として開かれるルートではある気がするので思っているよりか近い存在なのかもしれない。
幼少期に懐いていた「独身の、おもしろい、話が通じる、頭の柔らかな大人」にもこんな苦悩があったのかもしれないと思うとなかなかの感慨である。そして、だからこそ、わりと寛容な人格者だけが残り、子供からちやほやされていたのだなぁ、と思う。結果だけを見たらお気楽そうにも見えるが、努力をしたからこそ得られたボーナスポイントで若い世代からの支持を得られるのだろう。
2年連続で同じクラスを受け持っているのだが、そのクラスの女子20人ほどの中に制服をスラックスにしている女子が1人いる。スカート姿も見たことがあるが、1年の9割程度はスラックスだ。
それは構わない。ジェンダー平等の時代だ。『女子はスカート』などと押しつける気はない。
別の子が友達から「○○ちゃんって私服はいつもパンツルックだよね。私服でスカート履いてるの見たことない」と言われているのを見たことがあるが、その○○ちゃんも制服はスカートだ。
スラックスの子が嫌われている・嫌われていないがぼっちで半無視状態ということはない。
女子にありがちなこととしていくつかのグループに分かれているが、このクラスはグループが違うとまるで会話しないようなクラス(そのようなクラスも持ったことがある)ではない。
グループを越えた交流も普通にある、全体として仲が良いクラスだ。
スラックスの子も所属しているグループがあるし、そのグループが他から孤立しているわけでもない。
既にスラックスの子というロールモデルがいて、「女子はスカート」という同調圧力がそれほどないクラスなのに、いまだにスラックスはその子1人だけ。
その理由は何なのだろうか。単に「両方買うと高い」なのかそれ以外なのか。よくわからない。
【三行で要約】
普段スラックスにしている女子は1人いるがそれ以外の子にスラックスが広まらない。
増田の所属する事業部は8年前にスタートした新規事業部。約50名が所属。
本業は男女比率6:4くらいだが新規事業部は1:9で女性が圧倒的に多い。役職者も1人を除いて全員女性。
男女比7:3だった前職や他と比較して、女性ばかりの職場の良いところを挙げていく。
前職では高いところの物を取る、荷物を運ぶ、というような仕事は男性がやることになっていた。そして書類の整理とか電話対応、飲み会の店決め、事務用品発注は女性。とくに雑務に関しては明らかに男女で役割があった。増田はそれが結構嫌だった。
今の職場は小柄な女性でも高いところは脚立を使って自分で取ってるし(近くに男性がいても)、重い荷物は台車を使うか女性数人で協力して運んでいる。
増田は171cmあってスポーツもやっているので小柄な細身の男性と比べたら肉体的に出来ることはそう変わらない。
それなのに前職では男女で仕事が異なることに違和感を覚えていたので、今は過ごしやすい。
前職でもあからさまなセクハラは無かったが「女の人としてどう思う?」とか「こういうのは女の人の方が得意だから」とか言われるのが地味に嫌だった。別に女性を代表してるわけじゃないしと毎回思っていた。
また、声を荒げる人がいない。前の上司は男性で縦にも横にも大きく、本人も自覚なく大声で話したり注意するので毎回ドキリとした。今はそういうのは全く無い。
③時間に厳しい
上司、同僚たちが介護や育児やらで忙しいので、始業ギリ出勤、終業時間になった瞬間に帰宅するのが普通。
終業5分前からみんなトイレを済ませ、通勤用の靴に履き替えて、鞄を足元に置いてスタンバイしている。増田は入社当初、始業20分前には席に着いていた「早く来るな」という同調圧力に屈した。もちろん嬉しい。
前職は始業ギリに出勤なんてあり得なかった。
みんながみんなプライベート優先なので喫煙室や飲み会、ゴルフで話が決まるようなことが全く無い。(そもそも飲み会がない)
手順に従って意見を言って、妥当性があれば採用される。社内政治に腐心する必要がない。
以前の会社は仕事以外のことでも上司の評価が変わるので、気を遣う時間が長くて結構疲れていた。
付与される有給25日、毎年全部使える。使っていないと周囲から使うように促される。増田は2週間休んで海外に行ったりしている。
上司によると、「育児や介護している人だけが有給やフレックスを使うから不公平感が生まれる。全員同じくらい休めばそのようなことはなくなる。」とのこと。残業もほぼない。毎月平均して3時間くらい。
総務部の友人によると、有給をMAXで使ってるのは増田の所属事業部くらいだという。
⑥嫌なやつがいない
上記のように余裕がある職場なのでみんな大らか。少しいる男性社員もこの雰囲気に馴染めるタイプの人なので柔和だし接しやすい。
たまに変な人(悪口を吹聴する人、上司に過剰な媚を売る人)も異動して来るが、そのうちに毒気を抜かれて馴染むか、半年くらいで他の事業部に行く。本業の事業部にはギラギラした人がたくさんいる。
前職は日本型企業だったので、どんなに有能な人でも女性であれば課長止まりだった。
今は部長も他の役職者も女性ばかりだし、自分も真面目にやっていけばキャリアを築けるんだと安心出来る。
転職前は女性ばかりだと陰湿だったりするのか?とか少し思っていたが杞憂だった。
上司によると、立ち上げ時は全員女性で本業ではお荷物とされる時短社員や育休明けの社員が少なくなかったらしい。
そういう人達と、フルタイム勤務の独身の人達が公平に働けるように色々調整したら今の形になったという。
書いていて思ったけど、今の社会では育児や介護が女性に偏重しているから、女性だけで仕事を回すには今の事業部のような形にせざるを得ないんだよなぁ。
プライベートも仕事に捧げ、育児も介護も妻に丸投げできるような人ばかりが出世していったら、なかなかこんなふうにはならないと思う。
男性にも子供はいるし、親の介護がある人もいるし、それこそ体が弱い人だっているのにね。
増田は独身で何のしがらみもないけど、今の働き方は本当に良い。
いつ戦線離脱する人がいても良いように常にバッファがあるので、産休や介護休職に入る人がいてもそんなに仕事が増えた感じはしない。
あと、体の不調を同僚や上司に相談しやすいのも良い。おかげで仕事の調整をしてもらいやすいし健康的に働けている。
給料は31歳で役職なし、残業ほぼなしで年収550万くらいだから給料も悪くないと思う。
とにかく、転職して良かった!
勘違いしないで欲しいが、「女」という性そのものが悪いという話はしていない。
現状の「女の文化」(つまりそれはジェンダーバイアス社会が生み出したものでもある)に問題があるという話をしている。
だから、「女」という性でも、「女の同調圧力がきらい」という個人には全然問題はないし、そういう人は同じような批判を女の側からしているのをよく見る。
しかし、そういう「女」は、残念ながらびっくりするほど女の中で発言権がない。SNSでいうなら、まったくRT等はされない。(どうやってそれを見つけるか? エコーチェンバーに籠らず、個別の問題についてキーワードをまんべんなく検索してみるという地道な見識の広げ方をしていればいくらでも見つかる。)
つまりここが問題なのだ。現状の「女」というコミュニティがもつ同調圧力、そこで無批判に培われるある言論の傾向、そういうところに明らかに問題がある。
「女」の自称リベラルが差別を広げる問題の原因は主に以下のようなところにある。
これらは、「女」という性とイコールではないが、傾向として明らかに現状の「女」文化の影響があるといえる問題点である。
結果として、「女」の関心に比重がおかれるようになった現状の「リベラル」運動は、歴史を忘れた差別的な主張が平気で通る有様になっている。
これらは一例でしかないが、このように、人類が歴史上培ってきた「弱者の保護」を全部ひっくり返してゼロベースで書き直すような暴論を平気でやるのが昨今のSNSを中心に広がる「リベラル」運動の問題である。
一方で、男社会だった「オールド左翼」にももちろん問題はある。(学生運動の中で「女はサポート」として炊き出しや繕い仕事をする役目を与えられていた例など。)しかしこれはまあ、世代交代とともに消えつつあるものでもある。
繰り返すが、現状の「リベラル」の問題が「女」の参画によって出てきたものであるということは、「女を排除すれば良い」ということをもちろん意味しない。
ジェンダーバイアスをなくすということは、「女の文化」というものとも戦わなければいけないということである。
「女性誌」を見よ。ファッション、コスメ、芸能、恋愛、占い。そんな話題でページが占められている。
「少女漫画」を見よ。主人公は美少女でなければならず、また美男子と恋愛をしなければならない。少女がただ仕事や部活に精を出すだけの漫画は、少年漫画と違って存在を許されていない。
SNSを見よ。「女の話題」は芸能人やら子育てやら「推し活」やら。ただ学問や仕事の興味をつぶやくだけの女は、いても「女コミュニティ」からは存在を無視される。
「女」が「女」(ジェンダーバイアス社会で、無知な側という地位に落ち着いて生きた「女」)であること自体を否定し戦わない限り、本当のジェンダー平等なんてある得るはずがないのは、合理的に考えれば明らかである。
「有害な女らしさ」とでも言おうか。
「価値観のアップデート」とは、これまで人類がひとつひとつ改善してきた差別問題もすべてなかったことにして、ガラガラポンで「弱者ランキング」を一から書き直すことなのか?
そんなわけはない。女性だけが不当に貶められてもいけないのと同様に、今まで弱者であったものを突然弱者でないと見なすような暴論もあってはならない。
現状のリベラルの問題をより一般的にいうならば、大衆化、ファッション化(歴史の忘却)、無知化(非学術的な感情論の横行)が急速に進んでいることにある。これは(無知な側という地位の)「女」文化を、それ自体進歩させずにいきなり「リベラル」の優先順位の上位に上げてしまったことからくる問題に他ならない。
性差別は、他の差別問題と排他的に選ばなければ解決できない問題ではない。「今は女性問題が話題だから」で他の差別問題を軽視するような「リベラル」などあってはならないし、こんな状況を野放しにしていては、いずれ全体的な問題意識は、性差別含め悪化する方向にしかいかないだろう。
願わくば、「リベラル意識の普及」が「社会全体の知性の底上げ」という意味になって、「バカに合わせる」方向には行かないで欲しいものである。
予言しておくが、こんな言葉は「リベラル」には届かないだろう。
彼らは痛いと思ったら無視するし、どこか隙が見つけられたと思ったらそこをせめて言葉尻を取り誤摩化すだけだろう。
「女の問題を口実に「部落差別」や「地方差別」「子供の人権無視」を肯定するな」と言っているだけなのに、彼らは自分のそういう傾向には一切反省をしようという考えをもたないだろう。
その指摘が刺さった。目からウロコが落ちたわ。
いままで、イジメが悪いというのは社会の共通認識だと思ってた。
多くの元児童は、あなたはイジメ加害者だ、と非難を受けた経験もない。
だから大人になっても自分からイジメをするし、被害者に共感したりもない。
後でイジメに加担してたと気づいて「悪いことをしたな…」と反省することも無い。
ではモラルとは何か。
自分たちがモラルに従うのは、別に集団の同調圧力を受けたからではない。
イジメられたくないからでも、イジメに使いたいからでも無い、イジメ感覚自体が鈍いのだ。
ましてや誰かに迷惑をかけないためとかじゃない。単に流れに乗りたいだけ。