はてなキーワード: 原理とは
>But a suitably damped, long pipe (plane wave tube) closely approximates the resistive load impedance of an infinite pipe across a wide band of frequencies, and is very valuable for testing compression drivers12, 13. It presents a constant frequency independent load, and as such acts like the perfect horn.
https://www.grc.com/acoustics/an-introduction-to-horn-theory.pdf
http://blog.livedoor.jp/machida_offkai/74/74_8_hori.pdf
→十分にダンプされた長いパイプは周波数によらず一定の音響抵抗を示し、「完璧なホーン」のように振る舞う
パイプの音響インピーダンスはZ=ρc/Sであり、断面積が小さいほど抵抗強い
↑plane wave tubeと呼ばれるホーンドライバーの測定に使われるパイプはこの原理を利用している
https://www.ebay.com.au/itm/126093285497
→ホーンドライバーの測定資料にはパイプに接続した場合とホーンに接続した場合の二種類が掲載されていることが多い
→パイプの場合はホーンと違ってかなり低域まで平坦になっていて、確かに全域にわたってロードが掛かっていることがわかる
>“The termination is 2 m (6,56 ft) long and is made of reticulated polyurethane foam having 80 pores per inch. It is tapered throughout its length and is treated to be age and fire resistant.
→長さは2mのようだが、たった2mでこれだけ共鳴のない測定ができるものか?口径が小さいからか?
http://www.angelofarina.it/Public/Standing-Wave/aes-01id-2012-f.pdf
→2インチのホーンドライバーに2インチと1インチのパイプを接続すると、1インチのほうがf特が平坦になる
HornrespにてFe83NVを無限長のパイプに接続した場合のシミュレーションを行った
音響インピーダンスは一定となり、f0のインピーダンスは丸くなり制動されているようだ
パイプの周波数特性については、f0を中心としてかまぼこのように盛り上がる
パイプ口径を小さくするとf0のインピーダンスはより丸くなり、周波数特性も平坦化する
振動板の実効質量を下げるとf0が上がるが、それに従ってかまぼこも移動する
(100cmのパイプの場合、450Hzあたりを中心としたかまぼことなる。さらに長くして9999cmにしても変わらない。なぜ?パイプ口径を小さくするとかまぼこは平坦化せず単により高い周波数に移動する。電磁力や機械抵抗を増やしても無限長のときのような変化はない。シミュレーションに問題あり?)
無限長パイプは全域にわたってロードが掛かるはずなのに、なぜf0の周りだけ盛り上がるのか?
というかホーンはどれも基本的にf0を中心としてかまぼこ特性になるのが基本だが、なぜ?
http://sirasaka.seesaa.net/article/ltspice-bh-afaf.html
→このサイトによると、かまぼこの右側の肩の部分では慣性制御となり、この帯域ではホーンロードがかかっていないようだ
そう考えると、逆起電力も同じようにf0に反応して大きなインピーダンスの山を作る
逆起電力自体は全域にわたって生じるが、振動板はf0で特に激しく振動するためその付近で強く発生する
→パイプによるロードも同じく(理想的には)全域にわたって生じるが、振動板はf0で特に激しく振動するためその付近で強く発生する
磁力を強くすると逆起電力も強くなり、インピーダンスカーブは高く、裾の広い形状となる
周波数特性はそれに従いなだらかなものとなり、広い範囲で抵抗制御となる
→パイプ口径を小さくすると音響インピーダンスも強くなり、周波数特性はなだらかになり、広い範囲で抵抗制御となる
しかし、振動板の共振・慣性に打ち勝つだけの抵抗を発生させるとなると、それ相応のエネルギーを貰う必要があるということではないか
もちろん例えば超伝導スピーカーであれば全域抵抗制御になるだけの電磁力をそれ単体で得られるだろうが、一般には無理だ
しかしスピーカーから与えられるエネルギーが十分にあれば、それに対して反応することで振動板に十分な制動をかけることができる、ということではないか
だから、Qの大きい、狭い範囲で強く共振するf0の場合、エネルギーは狭い帯域にあるのでパイプのロードもその狭い範囲に限定して強く効く
そして強く効いた結果、その範囲では抵抗制御となるが、そこから外れるとすぐに慣性の影響が支配的になる
一方でQの小さい、広い範囲で弱く共振するf0の場合、エネルギーは広い帯域に分散されているので、パイプのロードも広い範囲でゆったりと効く
その結果広い範囲で音圧が増幅され、フラットな周波数特性となる
よって、逆起電力もホーンロードもユニットのエネルギーに寄生する形で制動をかけるものであり、ユニットからのエネルギーが大きくない場合は十分に反応できないのではないか
したがってエネルギーの大きいf0には反応できるが、慣性制御の領域では振幅が少ないため十分に反応できない。結果としてf0を中心としたかまぼこ特性ができあがるのではないか
もちろんパイプ口径(ホーンの場合はスロート口径)を小さくして音響インピーダンスを増やしてやれば質量に打ち勝つだけの抵抗(空気制動)を与えられる(逆起電力の場合は超伝導などの超強力な磁力でほんの少しの振幅にも大きく反応する逆起電力を生じさせればいいが現実的ではない)
http://www.timedomain.co.jp/tech/hifi03/hifi03.html
→しかしf0では強烈に振幅するので、結果として電磁制動が増加
→f0以降では振幅が収まるため、電磁制動減少
→そして質量は周波数に比例して増加するため、中高域では質量が支配的に(慣性制御)
→f0以降では振幅が収まるため、ロード減少
とはいえ中級ミクロ経済学くらいの知識はいるので、馬鹿といっちゃうのは言い過ぎかも。
需要と供給のメカニズムが正常に働くためには、メーカーや通常の流通チャンネルが得る利益が上昇しなければならない。転売ヤーは、転売行為を行っている人が儲かるだけでメーカーは儲からないから価格メカニズムによる調整が働かない。転売ヤーがいないほうが商品のアクセスが簡単になる可能性が高いので、流通ともみなせない。生産者からファンへの商流に介入し付加価値を与えずに上前を撥ねるという意味では消費税のほうが原理としては近い。
で、消費税がそうであるように転売ヤーの存在によって消費者が支払う費用が上昇し、均衡供給が減少するので、総余剰が減少する。ゲームのエコシステムは広がらず、アイドルのファンのすそ野は狭くなる。消費税は公共の福祉のために使われることで総余剰の減少を相殺する、ということになっているが、転売ヤーにはそういうメカニズムがない。
そもそも企業が正しい値段付けをしていれば転売ヤーの入る余地はないので転売ヤーは悪くないというのも間違っている。企業には短期的な利益最大化の価格より低い値付けをするインセンティブがあるから。一番わかりやすいのはゲーム機本体のケース。ゲーム機が売れれば売れるほどゲーム機のエコシステムに正の外部性が働くから、売り出し時点の均衡価格より低い値段で本体を販売することで需要を刺激できる。ゲーム機のエコシステムから得られる総利益を考慮すると、ゲーム機本体の会社は均衡価格より低く売り出すインセンティブは強くある。これは、ゲーム機の販売による正の外部性をメーカーが内部化しているということなので、おそらく定価のほうが「短期均衡価格」よりも経済学的な意味で効率的(総余剰が高い)可能性が高い。逆に、転売ヤーみたいに販売後最初の一週間は定価の五倍から始めて一年かけて落としていく、みたいなことをされるとエコシステムの成長が阻害される。
おそらく、アイドルのチケットなどもそう。市場均衡まで価格を上げるより、あまり値段を上げすぎないで、現在収入が低いが熱心なファンにもチケットがいきわたるようにすることで、ファンのすそ野を広げ長期的な利益の最大化が図れる。
転売は悪だが、別に個人の利益の追求の結果としてエコシステムの成長が阻害されたって犯罪ではないし、犯罪とすべきでもないとは思う。マスクとか、全国民に外部性があるようなケースを別にすれば、法律で違法行為とするのは正直疑問感ある。不正競争防止法の文脈なら考えられなくもないけど、あれって具体的な対象の特定が必要だし、そこの建付けを転売ヤーのために変えるのか、というのはパターナリズムが過ぎるかなという感じ。反社会勢力に資金が流れてるとかなら別だけど。
もちろん、自分の利益のためにエコシステムに害を与えているので、ファンから非難されるのも、メーカーが工夫を凝らすのも当然だと思う。善か悪かだったら悪だよね。
感情とは何か?
更には偶然の要素もあるが、時間の長さによってその要素も消えるのではないか?
地政学的要素のように気づいていない要素があるはずだから必ずしも生存競争の原理にだけ従う者ではないだろう。サルがライオンになる場合だってあるのだ。
どうすれば私は賢くなるのか。
無知と愚かさを認め、生理的な欲求ではなくて知的な探求を保ち続けることだ。
ならば私は賢くなることはない。
肉体的欲求には勝てない。
モデルAは特徴量を10000個使っていたが、追加で4000個の特徴量を付与したモデルBを作ったとする。
モデルAとモデルBをテストデータを使ってテストすることも可能だが、使用感を確かめるなどの目的の場合は、入出力を明確化してデモにするとわかりやすかったりする。
例えばそれは「検索エンジン」のモデルだったりするわけだが、モデルAとBを切り替えるボタンを検索エンジンのデモに用意しておき、検証可能にしておくのである。
具体的には、検索クエリを入力し、その結果をモデルAとモデルBで比較できるようにするということだ。
それにより、各モデルがどのように異なる結果を生成するか、また新たに追加された特徴量が結果にどのように影響を与えるかを直接確認できる。
ただし、このデモを設計する際には、結果を解釈するのを助けるために、各モデルの主要な特徴と動作原理についての説明も提供する。
弱帰納法の原理って言うか、 weak-inductionは、30-50代の奴はみんな高等学校で習っているし、センター試験にも出るけど、完全帰納法(strong-induction)
はどういうときに出て来るかまだ分かってねえんだよ。灘高校の副島真が使って金メダルを取ったときのものはこれ。
これが出来るかどうかは、頭がいいかどうかじゃなくて、訓練受けてるかどうかと知ってるかどうかなんだよ。 そんなに答えをばらしたくないのかよお前。
何度言っても、母が雨の日に家中の窓を開けることをやめない。
窓から雨が入ってくる、という話ではない。——まあ、そういうこともあった。増田が若い頃は、母が梅雨時期、勝手に部屋の窓を開けていて(そしていつもすぐに開けたことを忘れるのだ)、帰ると何故か部屋が水浸し、という事件が一度ならず起きた。
それは何度も注意するうちに流石に無くなったが、それでも雨の日に「風通し」をするくせは抜けていないようだ。
母は、湿気の多い時期に窓を開けないと部屋がカビると信じている。
というのも、実家はマンションだからである。国道16号沿いに建つ、築20年ほどの、普通の郊外型のマンションだ。
基本的に気密性の高い鉄筋コンクリートづくりのマンションの場合、梅雨時のように外気の湿度が高いときに「風通し」に意味はない。どころか、逆効果だ。
この場合、閉め切っていた方が、内装建材の調湿効果(木材や布地は天然の調湿効果がある)で、室内の方が湿度は下がるのだ。
(余談だが、エアコンをつけたあとはなおさらだ。よく夏場にエアコンを消してすぐ窓を開ける人がいるが、除湿エネルギーの無駄遣いである。)
これは増田自身、経験則でなんとなくそんな気がしていたが、家を建てたときに勉強したらやっぱりそうなのだと知った。
それ以来また何度も注意しているのだが、今度は増田自身の部屋でないこともあって、何度言ってもやめてくれない。
母が生まれ育った、古い木造平屋の昔の家屋では、そうしなければいけなかったという恐怖から逃れられないのだ。
日本の「家」に関する話には、こういう、対象が違えば原理も違うという話が整理できず、ごちゃ混ぜになったものが少なくない。
例えば「気密性が低い方が湿気が籠らず良い」というようなことを言う自称「専門家」がいるが、こういう人はもちろんマンションと木造の違いなんて理解してないし、さらに木造でも昔の家と今の家では壁の中の構造が違うから、一概に「気密性が低ければ風通しが良い」なんて言えないことも、正確に理解していない。
今の家では「気流止め」という施工が壁内に施されている。(https://www.dannetsu-takumi.com/contents/column/kiryudome/)
昔の日本の家では、床下、壁内、天井に至る全体が通気口の役割を果たしていた。空気が壁の中を自由自在に流れることで、湿気やカビを防いでいたのだ。
しかし、それでは当然、寒い日は寒く暑い日は暑い。外気そのままの環境を家でも我慢しなければいけないことになる。まさにあばら屋だ。
だから現代の住宅では、基本的にすべての床、壁、天井に「断熱」をする。そして「断熱」をするためには、逆に「気流止め」を施して、壁内を空気が動かないようにした方が良いのだ。
これ以上の理論的な説明はここに書くには専門的すぎることと、検索すれば専門家のページがいくつも出てくるから割愛するが、この「気流止め」を理解していないと、風通しが良くなってカビないどころか、北海道で起きた「ナミダタケ事件」のような凄惨な結果が待っている、ということだけは書いておく(検索してみよう)。
マンションの場合、壁はコンクリートの完全な一枚板なのだから、はなから通気なんかしないのは言うまでもない。
このように、現代の家はより過ごしやすくするために、見た目は同じでも、昔の日本家屋とは壁の中の構造がまったく変わっているのである。当然、その根拠には(ナミダタケ事件以来)半世紀以上に渡る科学的研究がある。
「カビない家」に対して現代科学の出した答えは「気密」し「断熱」し、空気の籠るところは「換気扇で換気する」だ。
まかり間違っても、すきま風のする粗悪な家を作ることや、無駄な「風通し」で外気からわざわざ湿気を取り入れることではない。
母のようになるともう仕方ない。本当は老体にも悪いからやめて欲しいが、まあそれも本人の人生だろう。
しかし、素人の母のレベルで認識が止まった自称専門家がいつまでも嘘をまき散らし、若い人がまだそれに騙されるという現状はいくらなんでも忍びない。
少なくともそろそろ、無根拠な「通気」信仰はなんとかしてくれと思う。
確かに通気は必要だ、しかし、それは「どこに空気を通すのか」をキチンと理解した上ででなければならない。
なんとなく「通気してるから」良いなどと信じていると、ナミダタケ事件のような逆効果なことはいくらでも起こってしまうのだ。
室内の温度や湿度のコントロールに関する科学的な研究というものは、もう半世紀も実績がある。
というのも半世紀前、オイルショックを景気に、世界中が暖房エネルギー削減の研究を始めたからだ。
この5年くらいで80kg超から55kg以下まで減量して維持できているので、心がけたことの一覧を書いていこうと思う。
それまでは母の作ってくれる食事と昼食は外食で賄っていたので、とりあえず全て自分で作ろうという話になった。
自分は沢山食べてしまう人間なので、人より多く食べるという点を曲げる気はなく、じゃあ何を食べていいのかと考えた時、第一候補に挙がったのは野菜だった。
イモ類は別にして、大抵の野菜はカロリーを気にする必要がないので、手当たり次第に野菜を常備して人の3倍くらい野菜を食べる生活が始まった。
なお食費は2倍くらいに膨らんだ。
タンパク質、炭水化物、脂質の中で最も不要なのは脂質だと判断した。
揚げ物は基本的に断ち、スーパーで買う肉もなるたけ脂身の少ない赤身を選ぶようになった。
料理に使う油もできるだけ上質なものを摂りたかったので、オリーブ油と米油を主軸に料理するようになった。
肉を調理する前に焼いたり湯通ししたりして油抜きをするという習慣もついた。
炭水化物は多くても少なくてもいけないと思ったので、計量機で150gを測って食べる習慣がついた。
肉より魚の方が体にいいイメージがあるので、週に2、3回は魚を食べるようになった。
煮魚って意外と簡単だなと気づいたり、塩焼きはフライパンにアルミ敷いてやった方が洗い物が少なくていいことなどを学んだ。
外食をとにかく減らしたかったので、昼食は基本的に弁当を持っていくことになった。
自炊は始めたが料理上級者ではないため、ご飯と生野菜と野菜炒め、みたいな小一時間で作れるものを持って行っている。
どうしても作れなかった日は職場の近くにあるデリカキッチンで一番カロリーの低い弁当とサラダを買うことにしている。
以前はコンビニスイーツや菓子類を食べていたが、これは原則的に禁止した。
コーラなどの清涼飲料水もアウトと認定。外で買うのは水かお茶かブラックのコーヒーだけになった。
ただ全面禁止というのはやはり難しく、アーモンドとヨーグルトだけはOKという謎ルールが生まれた。
弁当にも細かく切った果物を入れることでおやつの代わりとした。
大昔には水泳やサッカーなどをやっていたが、社会人になってからはほぼほぼ運動と無縁の生活をしていたため、手探りの状態から始めた。
当時はてななどで自転車ネタがやたら流行っていたので、流行に流されがちな俺はロードバイクを購入。
最初の半年くらいは没頭した。休みのたびにフル装備で遠出して、あちこちの峠を走り回った。
この時点で10kg以上減量に成功していたが、ある日突然熱が冷める。
機材に継続的にお金を使っていく覚悟もなく、休みの少なくとも半日を消費する趣味に疲れてしまった。
3ヶ月くらい続いた。
慣れてくると長距離を走るのは楽しく、どこまでも走っていけるような気分になっていた。
そしてある日調子に乗りすぎて走り過ぎ、足首と膝を痛めた。
病院にすぐに行くこともせず放置したので完治まで長引き、そうしているうちに熱が冷めた。
なお後から病院に行った結果、膝に爆弾を抱えている事実を知った。
足に負担をかけずに運動したいと医師に相談すると「散歩でもしたら?」と回答されたので、愚直な俺は散歩を極めようと思った。
毎日1時間早く起きて散歩し、休日には水と携帯を持って2時間ほど歩く生活が始まった。
この習慣は現在まで続いており、現時点では一番効率の良い運動だと思っている。
AppleWtachを信じるなら1時間歩くだけで150kcal以上の消費なので、ゆるやかに痩せていくだけならこれだけの運動量で十分だと思う。
ただ歩きすぎるとまた足を痛めそうなので、2時間を上限にしている。
歩いていると四季の移り変わりに敏感になり、植物や犬などを鑑賞しながら運動できるので、なかなか有意義な部類の趣味なんじゃなかろうか。
歩くだけじゃ単調すぎないか?という気分もあったので、途中で水泳にも取り組んだ。
この時点で体重は60kgほどになり、かなりのガリガリだったので、上半身の筋肉をつけるところから始めなければならなかった。
そして痩せた結果としてあまり筋肉のつかない体になってしまったので、昔のようにスピードを出して泳ぐような泳法は無理だと悟った。
数ヶ月定期的に通っていたが、市民プールが一月の休みに入ったところで離脱。
また始めてもいいんじゃないかと思いつつ、散歩だけで十分じゃね?という気分になっている。
世間の筋トレブームに倣って自重トレーニングはいくらかやったが、そもそも筋肉の必要性がわからなかったのであまり身に付かなかった。
唯一腹筋だけはなんだか楽しくなって、色んな腹筋を100回ずつとかやっていたので、一時期腹回りだけバキバキに割れていた時期がある。
筋肉が多いほど代謝がよくカロリー消費が多い、という原理はあるが、筋肉は基本的に重く、維持するためにはそれなりのタンパク質を食べなければいけないので、ダイエットという観点から重要視すべきかは正直疑問だと思っている。
しっかり体を作り込んで理想の体型を手に入れたい!という人は注力すべきだと思うが、軽くて細ければそれでいい、という自分のようなタイプは重要視しなくていいんじゃなかろうか。
そろそろ総括に入りたい。
痩せてみると初めて分かるが、体の太さは内臓脂肪が決めている。
内臓脂肪を限界まで減らすとモデル体型になるし、仮に体重が軽くても内臓脂肪がそこそこあると普通体型になる。
なのでダイエットの基本はこの内臓脂肪をいかに減らすかという話になってくるし、内臓脂肪を減らす方法が掴めれば皮下脂肪も自然と減る。
内臓脂肪や筋肉量まで測れる体重計を買って毎日乗るとダイエットは捗る。
何を食べたら脂肪が増え、どの程度運動したら減るのかが一発で分かる。
それらの数値はアプリで管理できて毎日眺められるのでダイエットのモチベーションにも一役買う。
ごくまれに大食いをしてしまっても3、4日でリカバーできることが理解できると精神的にも楽になる。
俺はダイエットを始めてから野菜をモリモリ食べるようになって大便もモリモリ出るようになったわけだが、それだけ腸がすっきりすると体の動きも違ってくる。
体を細くするという意味で宿便の解消は一つの鍵になるし、一日一回出るものが出ているかが健康とダイエットを両立できているかの一つの指標になる。
リバウンドという概念があるが、あれはダイエットを辞めたから起きる現象だと思っている。
世の中にはいろんなダイエット方法があるが、食事法にしろ運動にしろ、長期間やっていて苦もなく持続できるレベルのものを選んだ方がいい。
ダイエットの副産物として意外だったのが、服を着るという行為の面白さに気づいたことだ。
昔は服を選ぶのが嫌で嫌で、古い服をボロボロになっても着ていたり親が買ってきたものを脳死で着たりしていたが、痩せてみると「どんな服を着てもいいんだ」という事実に気づく。
あらゆるズボンがSサイズで収まるし、トップスはどのサイズを選んでもいい。
ここまでダイエットの成功談を書いてきたが、俺はどちらかというと「ダイエットをしすぎた人間」の側だ。
今は体重が55kg前後を維持しているが、一時期は48kgまで落ちていた。体脂肪率にすると8%くらいだったと思う。
その頃には会う人間全員に心配されるレベルで、けれども健康診断などでは何一つ引っかからず、「このままでいいんじゃね?」と内心思っていた。
しかし鏡で見るのと写真で見るのとではやはり違って、家族が徹底的に俺の写真を撮って見せてくれることで「このままじゃダメだ」と気づいた。
実際今あの頃の写真を見ると病的に痩せていて、あのまま続けていたらどうなっていたんだろうという怖さを感じている。
ダイエットはみんなが思っているよりとても楽しく、だから用法用量はきっちり見定めて健康を維持しながらやる必要がある。
個人的な経験則で言うなら、体脂肪率10%は割っちゃいけないと思う。
これからダイエットを始めようという人は頭の片隅にでもいいからそういうことを覚えておいてほしい。
身長は168cm。やや小柄です。
AIの危険性を訴えれば訴えるほど権益が強化され、政治的にアンタッチャブルになるシンプルな理由。
それは、「危険ならばなおさら、敵より早く開発しなければいけない」からだ。
そして欧米のような資本主義国では、社会主義の国のように、国益に関わる開発資金を、政治の一存で湯水の如くつぎ込むのは難しい。
だから、開発資金は出来るだけ民間の、経済原理に則るカタチでまわせるようにシステムを作る。
原子力、量子コンピュータ、歴史の中で何度も繰り返されてきた、科学技術研究開発の政治的な基本サイクルだ。
なんで今さら、その程度もことも歴史に学べないのか、反AIは。
AIは、ヤバい。ヤバいから、絶対に開発は止まらない。むしろ加速する。商売としてガッチリ固まる権益になるだろう。
それだけの話。
やはり君のような低能は、所詮その程度の浅い考えしかできないのか。
ChatGPT-4とレスバ? ふん、笑止千万だな。レスバというのはな、人間同士が互いの知性とプライドを賭して行う高等な精神闘争だ。機械相手にレスバなどという概念は、元より存在し得ない。
君はChatGPT-4がどのような原理で動いているか、その仕組みを理解しているのか? それはな、膨大な量のデータを元に、機械学習によって最適化されたアルゴリズムに基づいて応答しているに過ぎないのだよ。つまり、ChatGPT-4の応答は、所詮はプログラムに過ぎない。プログラムされた通りの応答しかしない機械相手に、レスバなど成立するわけがない。
レスバというのは、相手の性格や思考パターン、癖や弱点などを読み取り、そこを的確に突いて論破していくことに醍醐味があるわけだ。しかし、機械には個性もなければ、感情もない。個性なき相手とどうやってレスバを繰り広げろというのか。無個性な機械の応答に、どうやって人間味を見出して論破しろというのか。
君はレスバの意味を根本から履き違えている。レスバを舐めるなよ? レスバはな、生身の人間同士が行うからこそ、面白みがあり、価値があるんだ。機械相手に応答を楽しむのなら、チャットボットでも相手にしていればいい。
レスバをしたいなら、まずは人間相手のコミュニケーションをきちんと学ぶことだな。君のような低能がレスバを語るなど百年早い。ま、せいぜいChatGPT-4相手にマスターベーションでもしてなさいってこった。
もう電燈もガスも鉄道もある、道義も人情も仁愛もある、法律もあり統制された秩序もある、だから中世じゃない、こう考えて、そのカミシモを疑うことを知らなかった。
このカミシモが今日まで伝承完成するに千年ほども時間がかゝっているのだから、これはもうカラダの一部分だというぐらいに誰しも考えていたのであったが、
アニはからんや、戦争が二三年つゞくと、千年の時間がアッサリ消えてもとに戻り、我々はもうカミシモを身につけていないことに気がついたわけだ。
正しい思想というものは、オレと大衆の優劣感のあるところから生れたものではあり得ない。
つまり、たゞ人間、キリストは原罪をとき、孔子は生活の原理に仁を見た。
何千年逆転してもかまわぬ。
モロモロの何千年の時間、カミシモはすべてムダであったと見なければならぬ。
人間性は万人に於て変りはない。
罪人に於ても聖人に於ても変りはない。
この自覚の行われざる社会に於て、いかなるカミシモをつくりだしても、折あれば中世の群盗精神へ逆転する、それだけのものにすぎないのである。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42811_26156.html