はてなキーワード: 入学とは
入学当初「俺、英語ちょっと得意だから」と誇らしげに言っていた男の子がいました。彼の英語力は実際のところ、私の高校の平均以下。私の英語を聴いて、彼は「もしかして帰国子女? 」と驚いてしまいました。本物の帰国子女を見 たことがないのですね。世間知らずでかわいいな。
読書家だという子の愛読書は、私が中学で卒業 したレベルの本。大学図書館に一緒に行った際 、彼女は私が借りた哲学書に目を丸くして「そ んな難しそうなのを読もうとしなくても…」と 呟いたのでした。え、読書ってこういうのじゃないの?
よく相談に乗ってあげる子は「これでも地元で は神童って言われてた」そうです。単位落とし で留年すれすれの人が神童って。よほどレベル が低い地元だったのかな。もちろん本人の前では言いませんよ、泣かせちゃうから。
私は灘出身だけど東大入試だいぶしんどかったよ。一応ギリギリで受かったけどさ。
自分が灘受験したのは、文化祭が楽しそうだったのと、ゲーム感覚で塾通ってたら何故か成績が良かったからで、大学受験なんて心底どうでもよかったんだよね。
だから入学してからはとくに勉強せず部活ばっかして楽しく過ごしてた。でもあの学校は狡猾で、明示的に受験を押し付けることはしないけど、「とりあえず理Ⅰ(東大理科一類)」という超気持ち悪い雰囲気を自然に作ってくる。馬鹿なことに自分もそれに乗せられちゃって、全然大学なんて興味ないのになあなあで受験勉強やって、やる気ないから当然身につかなくて、精神だけ疲弊して半分鬱病みたいな状態で東大入学することになった。
灘入って東大や医学部に行かない(行けない)のは、私みたいに無理な心の使い方をして潰れるタイプか、ちゃんとその雰囲気に抗って自分の好きな道行くタイプかな。
灘の入試を突破するのにある種の才能や早熟さが必要なのはそうで、そういう意味では、灘に入れる人間のほうが東大入れる人間よりも希少だというのは事実だと思う。でもそこで求められている才覚・精神の形は、東大受験で要求される「学校教育の王道」からは結構ずれてて、そのズレが致命的な水準に達してる学生は結構な傷を心に負って卒業することになる。バカバカしいことだと思うけどね。
「相手を人間として尊重しろ」「とにかく数を打て」ってブコメされてるけど、「女性と接するのが怖い」みたいな所に触れてる人がほとんどいないような気がする。異性と接することにトラウマを抱えている人はどうしたらいいの?
私は中学入学直後に、「階段で女子のスカートを覗いている」という根も葉もない噂を立てられた。女子からは露骨にキモがられてバイ菌扱い、カースト上位の男子には殴られるし蹴られるし暴言を投げつけられ、肉体的にも精神的にも辛かった。自分自身がキモいことを受け止め、誰にも加害しないように教室の隅でじっと本を読んでいても、向こうから突っかかって来るから、逃げ場はなかった。
すると、女性に嫌われる=社会的に死んで逃げ場すら無くなる、という思考回路が出来上がる。辛い思いを二度としたくないので、中学時代は徹底して女子から距離を取ってしのいだ。私からは絶対に話しかけない、目を合わせない、とにかく徹底して女子を避け距離を取る。今思えば逆効果だとも思うが、イジメられている状況では距離を取る以外に自衛のしようが無かった。
中学時代、私は異性から人間扱いされずバイ菌扱い、苦痛以外何一つ与えてくれなかった。だから、異性に対して尊重するとは?異性に何を与えればいい?私がしたことを、素直に喜んでくれる異性なんているの???
幸い、高校では男女問わず良い友人に恵まれたのだが、「相手を異性として尊重する」は全く分からないまま。友人として仲良くすることはできても、好きになった女子にどうやってアプローチしたら良いのかが全くわからない。大学も同じく、何をすればよいのか分からないまま、何も起きずに終わってしまった。
とにかく当たって砕けろ、数こなせと思われるかもしれないが、それだけは恐ろしくてできない。私には分からない理由で女子に拒絶され、また根も葉もない噂が立つかもしれない。辛いイジメに遭って、死ぬほど苦しい思いをするかもしれない。そんな生理的に強いブレーキが掛かるので、こんな風に誘えばいいとか、ネットにはこう書いてあったとか、頭で一生懸命考えたりしても、どうにも解決できない。
そうこうしている間に、時間がどんどん過ぎる。回りの友人は当たり前のように彼女を作る。自分だけが取り残される。さらに辛くなる。私のように彼女ができなくてしんどくなってる増田がボロクソに叩かれ、「まさに見た目より中身だよなという感じ。」とかコメントされているのを見て、私も中身がダメダメなんだろうなと思い、自己肯定感は更に低くなる。
「女性に嫌われても大したことは起きない」という体験を得るしかないのだろうか。アレルギーと同じで、摂取しなければ一生治らない。だが、少しでも摂取しすぎればショック死する。ショック死しない微妙な量を、少しづづ我慢しながら経験するしかない。しかし、それは意識的にできるものではないし。
だから、「相手のことを尊重しろ」とか、「自分のことばかり考えるな」とか、「とりまマチアプで数をこなせ」とか有り難いアドバイスを頂いても、やるせなく思うだけで終わってしまう。
逆に聞きたいんだけどそこまで酷い事されて何で女と関わりたいと思うの?
なぜそこまでしてパートナーがほしいのか?
等
誰かに受け入れてもらえる経験に乏しくて、それが羨ましく感じるから。異性として受け入れてくれる恋人の存在はその最たるもので、異性から愛されたことが無いし自分が愛することも許されなかったので、その欲求が人一倍強いのだと思う。
イジメられた中学時代でも、話しかけてくれたり仲良くしてくれた男子が一定数いたので、同性に対しては「酷い奴ばかりじゃない」と心理的に納得できるのが早かった。
しかし異性の場合、相手から話しかけてくれる機会が少ないので、心で納得できるのに時間がかかっている。
高校以後にできた異性の友人は、友人としてふつうに話しかけてくれるので、友人として仲良くなる所までは何とかなった。本当に感謝している。
だけど、自分が異性として見られるような経験は無いので、友人関係から一歩外に出ると未知の世界すぎて怖い。自分が持っている好意が、少しでも相手に知られることはマズイ、という強迫観念にかられて、結局何もできない。
どうしても入りたかった会社に新卒で就職したばかりなのでそれは絶対に嫌。
カウンセリングしたら?
幸い、就職した会社には臨床心理医のカウンセリングを受けられる福利厚生があるので、利用しようと思う。
ただ、勤務時間内に受けなければならず、当分はグループワークの研修などで忙しいので、どのタイミングで利用するべきかは悩んでいる。
203x年、インキンタムシの突然変異が起こった。特にペニスや陰嚢に関して、酷いかゆみを伴う菌株が大流行した。大流行から3年後、やっとそのインキンタムシ菌へ効く抗菌剤が開発されたものの、根治は難しかった。多くの男性は、通気性の高さを求めて、ノーパンにスカートを履くようになった。
男性達は、陰茎や亀頭をむずむずさせながら働いている。特に汗や皮脂の生成が活発な10代半ばから20代については、1日中むずむずとしている。多くの若い男性は、スカートのなかでペニスを勃起させ、ヒマがあれば、陰茎をかきむしっている。中学や高校の休憩時間に、スカートをめくって、半勃起した陰茎に、かゆみ止めのクリームを塗り、手持ちファンの風をあてる男性が教室のあちこちにいる。新型インキンタムシ菌出現前であれば考えられないような風景だが、現在では特に違和感のない風景になっている。
男性と違い女性には、この新型インキンタムシ菌は大して流行らなかった。大流行しているのは男性がほとんどなのである。女性の一部にも新型インキンタムシ菌感染者はいるが、男性ほどのかゆみは伴わないようである。
ほぼ一日中、勃起もしくは甘勃起していて、頭がぼーっとしている男性の学業成績や社会的な活躍は非常に低いレベルになった。たとえば東京大学への入学者のうち男性の占める割合は、新型インキンタムシ菌の流行後は、5%以下になった。多くの男性が、陰茎や金玉のかゆさに困惑して、強い薬の作用によりぼーっとしているか、かゆみを避けるために陰茎をいじっているうちにオナニーして射精し、その間だけかゆみを忘れるような状態である。
こんな社会状況において、社会全体の安定度が急速に悪化し、例えば、物価は前年度比15%以上上がった。男性が働けない分、結局、女性が社会的に活躍せざるを得なかった。また、あまりにも家族や社会の負担になる男性に関しては、コミュニティから放逐される例も出てきた。政府や自治体の管理能力や資源も低下し、ホームレスとなり、下半身をかきむしりながらさまようゾンビのような男性も街のあちこちで見受けられた。そして男性達は学校や職場で小さくなり、怯えながら生活していた。政府は、新型インキンタムシ菌の駆除薬の開発を強力に進めながらも、社会的な混乱を最小限にしようと務めるものの、有効な手が打てず、結局は廃棄男性問題は無視されていた。
そんな中、ある高校では、男性狩りと呼ばれる遊びが流行っていた。それは、街をノーパンで歩いている男性を拉致して、路地や公園に引きずり込み、強制的に射精させ、その精子を顔になすりつけて、辱めを受けさせるというものだった。女性達も社会のお荷物になり、一日中、下半身をいじっている男性に対してイライラしているのだった。
第1章:K男の場合
現在、高校1年生のK男は、2年前に新型インキンタムシ菌に感染してから、もう2年間もひどいかゆみに悩んでいる。中学は有名私立中学に進学した。この近辺でもトップクラスだった。そして自分でも、自分のことを頭が良くて努力のできる人間だと思っていた。しかし、いまは、学力的には底辺に近い高校の夜間主コースに通っている。そして周りは、新型インキンタムシ菌に悩む男性ばかりである。特にK男は、かゆみの酷いタイプであった。今日はひさしぶりにかゆみのレベルが低く、高校に行った。現在、男性教員はほとんどおらず、女性の教員がてんてこ舞いの忙しさの中、男子学生の指導をしている。かゆみでぼーっとした男性学生に対して指示をしてもそれがなかなかうまくいかず、女性教員もヒステリックに声を荒げている。K男の担当のF先生は、男子学生達の物覚えや理解力の低下にイライラして、竹製のものさしで、男子学生をよく叩いていた。酷い場合には、千枚通しでチクリとやられることもある。そのことを抗議しても「ぼーっとしている男に言われたくない」とか「まともに考えられないようなやつに文句言われる筋合いはない、イヤなら高校を辞めなさい」と大声で脅されるのである。K男は何度も辞めようと思ったことがあるが、薬が開発され、新型インキンタムシ菌による障害が根治すれば、必ずもとに戻れるとがまんしたのだった。
F先生による指導が終わり、夜の9時過ぎに、スカートの中に手を入れて、かゆみを押さえながら駅の近くの暗い路地を歩いていた。
「あれ、K男じゃん、ひさしぶり。」
突然、横を歩いてた女性グループから声がかかった。K男が横の女性グループをよく観ると、小学校の時に同じ登校グループに所属していたS子がいた。
S子に挨拶する間もなく、4,5人の女性に囲まれ、S子から、「こいつ小学生の頃頭が良くて、私立のB中学に特待生で行ったんだよ。でも今はバカ高へ通っていて可愛そうなもんだよ。可愛い顔しているのに残念なおむつだね。おちんちんがかゆくてかゆくて弄りすぎてバカになったのかな。ハハハ」と茶化された。
あまりに図星で、反論もできないまま震えていると、スカートの中に突然手が入ってきた。S子の横にいる一見真面目そうな女の子だった。「ははは、こいつ、完全に勃起してるよ。おとこは惨めだね。一日中勃起させて、気がついたら射精しているのだから。バカじゃないの。気持ち悪い。しごいてやるから、ほらほらいけよ。」
というと、K男の陰茎を雑にしごき始めた。一日中弄っているから、赤く腫れたようになっている亀頭へも指をまわし、強引にしごきあげられる。
「痛い、痛いからやめて、お願い、お願いします」とK男が懇願しても止めない。そしてK男はなさけない声をだして、痛みと快感の中であっというまに射精してしまった。その子はK男の精子を手の平に受けると、その精子をK男の顔や髪の毛にべったりとなすりつけた。そして、女性達は射精の後ぐったりとしているK男をひざまづかせると、何度もK男の腹や顔を蹴りあげてきた。
「気持ち悪いんだよ。社会のお荷物でごみのクセに。おめえ達のような男がいるから、治安も悪くなるんだ。死ね、ボケ」
そういうとS子達は立ち去っていった。
K男は悔し涙が出た。決して好きで新型インキンタムシ菌に感染して、かゆみに苦しんでいるわけではない。
K男が近所の大きめの公園の中を歩いていると、突然中学生ぐらいの女子学生の集団に囲まれた。そして、そのうちの一人の学生がのる自転車にむりやり乗せられると、公園の奥にある林の中につれこまれた。何をされるのかすこしだけ覚悟はしていたものの、実際にひとけのない林の中にくると、心細くなった。
「おい、脱げよ。裸になれ」そう命じられた。K男は、震えながら、スカートを脱ぎ、上にきていたTシャツも脱いだ。新型インキンタムシ菌に感染するまではバスケを熱心にやっており、自分の体型や筋肉量にも自信があった。しかし感染してかゆみに悩むようになってからは運動はしておらず、一日中ベッドで過ごすことが多く、痩せ細ってしまっている。貧弱な身体を晒すと、
「気持ち悪い身体だな。ガリガリじゃん。チンポばっかりデカくなってる。一日中いじっているからだろう。ちんぽ怪獣だなぁ。」と酷い言葉を投げられた。
「おい、自分でしごいて、出せよ。精子、出して見せろよ。」 ギラついた目をした女子中学生にそう命じられて、K男は怯えながら、半勃起した陰茎を握りしめてしごき始めた。しばらくして、絶頂があり、少量だが精子が出た。「なんだたったこんだけか。さっきの小学生の方がたくさん出てたぞ。役立たずだな。罰に、お前のチンボにクズチンポと彫ってやる」といわれて、地面に押し倒されると、手、足、頭を押さえつけられて、一番身体のデカい女子学生に腹に乗られると、身動きができなくなった。そして、ペニスを手に取られると、突然、鋭い痛みが走った。なんとコンパスの先で、ペニスに文字が彫られ始めたのだ。あまりの痛さに大声を挙げると、お腹の上の女子学生が腹の上でダンピングをし「黙れ、静かにしないとペニスにハリを刺すぞ」と脅してきた。ペニスの痛みに堪えていると、「はい終わった、みんな見て、こいつのチンポに、クズチンポってコンパスで彫ってやった。ハハハ」と大笑いしてきた。そしてその後、鋭い突き刺さるような酷い痛みが走ったと思うと、その女子学生が、サインペンでそのクズチンポの文字の上に墨を入れていたのだった。
あまりの痛さに気を失った。しばらくして気がつくと、すっかり夜になっており、真っ裸のままだった。服はなかった。夜の闇に紛れて自宅まで帰ると、父が心配そうに声をかけてくれた。「どうしたんだ」、「たぶん中学生だと思う子達に襲われて、公園の奥に裸で置き去りにされて帰るに帰れなかった。しかも僕のおちんちんにイタズラ書きまでされた」と報告すると父はおどろいて僕のペニスを見てきた。そしてクズチンポと書かれて、しかもその文字がまっくろに塗られていることに涙していた。さすがに障害事件だろうと、父に連れらて、近所の警察署に行くと、女性の警官が出てきた。事情を話すと「最近、似たような事件が多発してます。正直、犯人は捕まらないと思います。これからは公園や街を一人で歩かないようにしてください。男性は通気性を求めて、いまや下着もつけず、スカートをはいているような状況ですので自業自得でしょう。襲ってくださいという感じですよ。いつも不衛生にしていて、トイレで手も洗わないような衛生観念だから新型インキンタムシ菌に感染するんですよ。女性の衛生観念や真面目さを見習ってください。これ以上、迷惑をかけない。」と説教されて追い出された。父も私も悔し涙を流しながら、自宅に帰ってきた。私が帰った時にはいなかった母が勤務先から帰ってきており、「どこに行ってたの。ご飯もお風呂も用意されてないじゃないの。だれが稼いでいると思っているの。やることやらないのだったら、家から出て行ってもらっても構わないのよ。そうでなくても男性は邪魔なんだから(怒)。甲斐性なしのクズが。」という様子だった。
第3章:電車にて
K男は、新型インキンタムシ菌の治療実験に参加するために都心の大学へ行くことになった。もしかするとこのかゆみともおさらばできると前向きな希望を持って、朝の電車にひさしぶりに乗っていた。男性が働かなくなり、女性が社会の労働を主に担うようになると、電車に乗る人の数も減った。それでもイスに座っている人より立っている人の数は多いし、男性も数は少ないが乗っていた。K男がドア付近に立っていると、数人の年上の女性が不自然にK男の周りを囲った。そして電車が発車すると、突然K男の身体に触れ始め、いきなりスカートをめくると、K男のペニスを何人もの女性達がいじくり始めた。K男は、朝の通勤電車の中で、男性が痴漢にあうことをニュースでは知っていたが、こんなにも強引に行われているとは思ってもみなかった。K男は小さな声で「やめてください。止めてください」とつぶやいた。すると突然、みぞおちを傘の柄でどつかれた。「うるさいなぁ。声出すな。我慢しろよ。男は社会のゴミで、養ってもらっているのだから、文句言うな」とドスの効いた声で、大柄な女性から言われたのだ。K男は急に惨めな気持ちになるとともに、下半身をいじられながら、そして自分の意志とは無関係にペニスがギンギンに立っていく様に、困惑していた。するとさらに別の女性から「可愛い声ぐらい出せよ。ほら、こっちなら声も出るだろう」と言われ、いきなり肛門に指を突っ込まれた。肛門の中をひっかくツメの痛さにびっくりして声を出すと、周りの女性達が一斉にニヤニヤしながら、K男を見つめるとともに、K男の身体や性器をまさぐる手が増えた。そしてK男は絶望的な気持ちの中、射精しないと終わらないのだろうなと、足に力をいれて無理して、逝った。悲しいことに、精子が飛び、ある女性のズボンについた。すると「きたねぇなぁ、冗談じゃないぜ。馬鹿野郎」と言われると、いきなりみぞおちにパンチが来て、痛みにうずくまると、周りの女性達に蹴り上げられた。
電車が駅につくと、人も捌けて、K男は通路から這い出してホームに出た。女性駅員もいたが、「邪魔になるから端に行って。」とだけ告げられた。
第4章:治療薬
大学に着くと、ある部屋に通された。いかにもリケ女然とした人から「これが新しい治療薬です。効果はそれほど強くありませんが、かゆみの程度はそれなりに下がると報告されております。どうですか、試してみるつもりはありますか。」と尋ねられた。K男は「ぜひお願いします。なんとかお願いします」と頭を下げた。すると「私としては、新型インキンタムシ菌が発生する前の社会に戻ることを希望してはいなのですよね。女性というだけで、理不尽なことも多かったですし、今、私はとても充実した日々がおくれております。」
「そんなことを言わずに、苦しんでいる男性のためにその薬を試させてください」
「ハハハ。そうですよね。人が苦しんでいるのを助けないわけにはいかないので、」
飽きた。誰か続き書いて
今月の頭ぐらいの事だが増田に婚活では高齢男性は歳の差婚が確率が高いと言われてるのに、なぜ歳の差婚が叩かれるのか?という記事が上がっていた。
実は私は発達障害のある女性と結婚し、夫婦生活を送っている。
そこで、今回は、発達障害のある妻を持つ男の実情を書いてみようと思う。
私
最終学歴:試験用紙に名前を書けば合格できるレベルのFラン大卒
年齢:40
職業:工場勤務
妻
最終学歴:試験用紙に名前を書けば合格できるレベルのFラン大卒
年齢:39
職業:主婦
最初の出会いは同じ大学で。Fランク大学によくあるヤリサーに、そこがヤリサーだと知らずに入ったがヤリには参加せずにいた私と、
1年後に同じ大学に入学し、同じヤリサーに、そこがヤリサーだと知らずに入った後輩の関係。
後輩(後の妻)が入った年の新歓で、他の奴らがそれぞれ新入生達をお持ち帰りしている中、
外見は可愛いが、幼稚園児~小学生っぽい言動等が多々有り、明らかに軽度知的障害か発達障害な雰囲気が有り狼男達をドン引きさせていた後輩(後の妻)は、
狼男達からお持ち帰り対象外扱いされた事で新歓で貞操の危機に遭う事を運よく回避した。
新歓で、狼男達が酔ったふりして新入生女子の胸とか触ったりして、まともな女子なら恥じらう、怒る等の何らかの反応を見せるのだが、
後輩(後の妻)は、恥じらいも怒りもしない。完全に無反応で、性的な知識とか羞恥という感情が無い様な感じだった。
それで「こいつはお持ち帰りしても楽しく無さそうだ」と思われたらしく、お持ち帰り対象外扱いされた模様。
それで、帰り道が同じ方向だったので私が一緒に帰る事になったのだが、ヤリサーのやばさを感じて、翌日には、その後輩(後の妻)と一緒にヤリサーを退会した。
それから、大学を卒業するまで二人でよく一緒に居た。付き合ってるという感じではなかった。
「こいつは一人にしたら確実に、ヤバイ奴にエロ漫画みたいな事をされる危険性が有る」と感じて護衛の様な感じだった。
後輩(後の妻)を一人で大学に残す事に何かしら危機感を感じて、私がわざと1年留年して、後輩(後の妻)と同じ年に大学を卒業した。
その後10年ぐらい、付き合っているという感じでもなければ、付き合っているという感じでもあるレベルの清い交際を続けた。
大学の卒業式で後輩(後の妻)の両親と会っており、後輩(後の妻)の両親公認の付き合いではあった。
10年間で、恋のABC(キス・胸・それ以上)のうち、Aすらしなかった。交際中にやった一番エッチな事は「手を繋ぐ」だったと思う。
交際10年目になる頃、後輩(後の妻)の両親に「娘と結婚してくれませんか」とお願いされた。
現在は、結婚してから5年と少しが過ぎている。
軽度知的障害か発達障害がある妻なので、家事を任せると、アイロンをさせたら消防車を呼ぶレベルにはならなかったが火事が起きたり、
料理をさせたら消防車を呼ぶレベルにはならなかったが、鍋から火が出たりする事が有り、
「家に居るだけでいいから、何もするな」と言い聞かせる様になった。
体だけはSEXできる体の、知能は幼稚園児~小学校低学年、と結婚している様なものだ。
結婚するまで妻は処女だった。
性的な知識や羞恥という感情が結婚当初も無く、初めて抱いた時も、喘ぎ声一つ出さなかった
ガチでマグロを抱いてる感じ。
未だに、マグロである事に変わりはない。
正直、もっとまともな女性と結婚したかったという思いも無くはないが、俺の学歴や収入ではこういう相手じゃなきゃ結婚できなかったと思う。
これからも、夜はマグロで、知能は幼稚園児~小学校低学年な妻と暮らしていくのだろうと思っている。
何故こういう話を書いたかと言うと、少し前・・・4カ月ほど前、妻の妊娠が発覚したからだ。
底辺男性な俺と、軽度知的障害か発達障害な妻で、これから育児をすることになるのかと色々と思う所が有る。
その上で、言っては悪いが婚活では高齢男性は歳の差婚が確率が高いと言われてるのに、なぜ歳の差婚が叩かれるのか?で書かれている
そこで40以上のおっさんの婚活の戦略として一番成功率が高いって言われてるのは
20代とかのずっと歳の差婚。
ただしただの歳の差婚ってわけじゃなくて、軽度知的障害や発達障害、高卒と言ったハンディキャップのある女性や低年収の貧困層を狙うニッチ戦略をとることなんだわ
というのは極めて正論だと私は思う。
※清潔感だけ気をつけてる。
泣きながら拒否する息子を無理やり入会させ早2年。
順調とは言わないが昇級も重ね、身体つきも痩せからは脱却した。
良い効果に思うが、ここに来て毎回行きたくないとぼやくようになる
でも辞めてもなにかしたいわけでもないらしい
だから辞めさせないでいるんだが、これで良いのか悶々としている。
送迎もそれなりに手間だ。仕事も早く上がれるよう調整している。
果たしてモチベーションのない彼にここまでやらせる必要はあるのか
でもフィジカルな強さって大人になってもすごく有用だと思うんだよね
だから辞めさせたくない
この親のエゴ、どこまで引っ張ろうかな
経験早すぎないか???高校1年生でヒロインが高校初カノで非童貞だと「マジ?」ってなる。
中学生で初体験済ませてるとかだいぶ引くんだが。沖縄は早いと聞くけど大体初体験って高校生〜大学生じゃないの?(彼女もちが前提なので非モテは母数に入らず)設定がアホ高校ならまだしも進学校で高1(入学時点で既に)ヤリチンって流石にファンタジー過ぎないか?
これから書くことは、自分でも分かっているのだけど本当に趣味が悪い。知らない人の人生について触れるし、それについてめちゃくちゃ好き勝手考えるので、そういうのが嫌いな人は読まない方が良いと思う。ほんと、ひとつ宜しくお願いします。
動物実験を伴う昔の研究で、足のつかないプールに入れられたラットが何分間泳ぎ続けるか、ということを調べたものがあるらしい。
何の操作もせずただプールに入れられたラットは数分~十数分で力尽きてしまうんだけど、溺れる→少し休ませてもらえる→また溺れさせられる…を繰り返す操作を加えられたラットは、なんと数十時間も泳ぎ続けるのだとか。結果の違いは、一説には「いつか助かる瞬間が来るかもしれない」という希望をラットが持つかどうかだ、と言われているとかなんとか。実験について最初に知った時は(なんと残酷な…)としか思わなかったんだけど、昨日この話をふと思い出して、ぼーっと実験について考えていたら、ずっと前に見たブログのおじさんのことが浮かんできた。
そのおじさんは東大の医学部だか法学部だかを目指していて、その年齢でもなお「仮面浪人生活」をしていた(ような気がする)。50歳前後くらいだったと思うんだけど、定職には就かず(就けず?)学習塾のアルバイトをしていて、そして女性への(特に20歳前後の女子大生)強烈な憧れがあった。
おじさんは高校の頃男子校に通っていて、当時共学へ通う同級生をとても羨ましく思っていた。学校帰りに彼女とファストフード店に寄ってたわいもない話をするような、そんな生活にあこがれていた。それを易々と叶える同級生を横目に、そうできない自分へのコンプレックスを着々と形成。自分もチヤホヤしてもらうためには、一流大学に入ることだ!と一念発起した。そこから怒涛の受験生活が始まるのだけれど結果は全くついてこず、結局4浪?して「現役の時に受かっていた大学」に入学する。念願だった共学キャンパスライフの幕開けなわけだけれど、実のところは大学で"自分より年下でバカな男”が女の子とキャッキャとしている現実を見せつけられてしまう。かたや、4浪を経てねじれ肥大化した自意識を培ってしまったおじさんは彼女どころか友人もできなかった。やはり一流大学に行くしかない、行けば女の子の方から寄ってくるさと偏りまくった判断をして、そして現在に至る。つまりおじさんにとって「女の子の関心を得る」というのは願っても願っても手の届かない光で、そこに1度も(まじで1度も、女子との会話というレベルにかみ砕いたとしても1度も)到達できていないからこそ、過去に回収できなかった「青春時代」を取り戻すべく、現職場での同僚女子大生と仲良くなりたいとひそかに思っていた。
だけど、そもそも大学時代くらいから人とまともに関わってこなかったおじさんが、すんなり女子と仲良くなれるはずもない。そもそも50前後である彼が20歳前後の大学生にまじってバイトしている事態そのものが尋常じゃないと思う。
それで彼は職場で孤立しているんだけど、その「孤立している」っていう状況もブログの文面からこちらが推察しただけで、おじさんはあまりそのことに気づいていない様子だった。おじさんは、職場ではあえて「チョイ悪の孤高の人」を「演じている」と言っていた。だから人から話しかけられなくても自然なことだし、女子がおじさんと関わりを持つことが出来なくても仕方ないのだ、と。
なぜそう思えるのか、信じられるのかが理解できない。バイトに来て黙って仕事して何も言わない50のおじさんなんか、浮いてしまうに決まっている。でもおじさんにとってはごく自然に「孤高の人だから話しかけられないのだ」と思えていたようだった。
あるいは、意識のどこかでは「孤高」ではなく「孤立」なのだと気が付いていたのかもしれない。でもそれを自覚してしまうともうどうしようもなくなるから、直面化せずにいただけなのかもしれない。
ブログは、おじさんが実家を出て(追い出されて?)一人暮らしを始めたくらいで更新が途絶えている。多分おじさんは(何か大きな変革が自身の中に起こらなければ)これから先も女性と付き合ったり仲良くなったりすることはないんだと思う。そう確信させるくらい、そのブログは赤裸々に、そして正確に、おじさんについて正直に書かれていた。
そしてそんな彼の姿が、冒頭のラットの実験となんだか重なってしまうのだ。
おじさんは多分、目の前の女子大生と仲良くしたり付き合ったりできるかもしれないという叶うはずもない「希望」を持っていたんだと思う。だからこそ、20代のバイト学生に交じることができたし、彼らと一緒に青春時代を取り戻すことを夢見れたんだと思う。やってくるかもしれない「いつか」を心待ちにできたのだと思う。
念のために書いておくと私はおじさんのある種の”異常性”をあげつらいたい訳でも、馬鹿にしたい訳でもない。ただ、希望を与えられたラットも最後は力尽きてしまったように、おじさんがどこかの場面でしっかりと「絶望」できていますようにと祈るような気持ちにはなる。どうかどこかの時点で、「あぁ、もう過去は取り戻せないのだ」と、永久に失われたのだと、気が付き受け入れられますように、と願う。だって、ありもしない「希望」を胸に走り続けるのなんか辛すぎるもの。ラットのようにどこかの時点でちゃんと「死んで」いてほしい。それで初めて、自分の人生を引き受けるためのスペースが生まれるんじゃないかと思う。
実は手元にそのブログのURLがあるのだけどなかなか見る気持ちにもなれないし、ここに挙げることもしないでおきたいなと思う。おじさん、元気かな。美味しいものがたくさん食べられていると良いな。
平成21年以降の東大生は東大に入るときから警察官と見た目が変わらないので、東大を受験するときから、お前警察官かよっていわれているわけだが、平成15年に入学した者は
キャンパスにいるときは、東大生の服装で東大ボーイ、 慶応ボーイ、などとして認識され、警察官の男とは思われていなかった。
当時の東大文系男は、平成18年、19年の間に、駒場のときは、東大ボーイと思われていたのが、本郷に移って卒業就職時期が近づいてくると、次第に大人しくなり、
現在の40代の警察官の中には、以前は東大ボーイとしか思われていなかったカジュアルな服装の東大男が卒業前後に警察官の服に着替えただけという技術を実施しただけの奴と信じられて
東京大学はお前のような犯罪者が入学できるところではないので、東大生だった経験者でもないのに、東大がどうのこうの言っている時点で論理的に矛盾している。
そもそも犯罪者であるのになぜ東大に入れているのかが問題である。
・大学教授は、多くの場合小学校に入学してから現在に至るまで学校しか知らない
・社会に出たことがない者の「社会に出てから〜」は想像であり、聞きかじりであり、当てずっぽうに過ぎない
・もしも大学教授が優秀ならば、社会から引く手数多のはずがアカデミアなんかで安月給に甘んじている
・特に東京大卒で大学教授やってるやつなんか、同級生が皆官僚になる中、官僚になり損なった落ちこぼれだ
・まして東京大でポストを取れずに、他の大学にいる者には、それなりの理由がある
・相対的には落ちこぼれでも、学力は高いはずだが、裏を返せば高い学力を打ち消して余りある特徴を備えているはずでもある
・目前の人物が答えを示している
・知能の高い人物には、時に圧倒されてしまうが、目前の観測事実から目を背ける理由にはならない
・やばいラボを生き残った者は、驚くほどパワフルだが、元々パワフルだから生きてるだけで、教育の成果としてパワフルになったわけではない
・生まれがパワフルでない者が、20歳を過ぎてからパワフルになることはない(と思う)
・憧れに目を曇らせてはいけない
・ゆえに、安全に命をかける知恵と言うべきものが研究室には伝統的にある
※ない研究室もある
・なんの工夫もなく戦うと死ぬことがある
・死ななくても健康を害する
・「そんなことはない」と思うなら、もはや戦うしかない
当時自分が置かれていた状況とあまりにも似ていて、読んでて胸が痛くなった。
元増田を読んでたら居ても立っても居られなくなったので自分の経験を書こうと思う。
自分は10年ほど前、某国立理系単科大学のとある実験系研究室に所属する院生だった。自分もその分野の研究に興味があって研究室に入ったのだけど、指導教員が問題のある人だった。元増田の教員と同じように学生に対して「こんなんじゃ社会に出たとしてもやっていけない」と発言したり、お盆にも実家に帰省させず実験をするように学生に強要したりと、まさにアカハラ教員だった。でも多分元増田の指導教員の方がもっと酷い。当然自分含め学生たちは毎日深夜まで研究室で過ごしていたし、休日も大学に通うのが当たり前だった。
そんな状況の中過ごしていた自分は無事大学院入学半年ほどでメンタルを崩し、次第に自殺の二文字が頭にチラつくようになった。今となっては何であんなことで深く落ち込み悩んでいたのだろうと思うけど、社会に出て働いたことの無い人間が、自分より社会経験のありそうな人から「お前は社会に出ても使えない」と言われ続けられれば、そうなってしまうのも仕方ないよなと感じる。かくして自分のメンタルは順調に蝕まれ、結局朝、布団から起き上がれない状態までいってしまった。
そんな自分を救ってくれたのは旧Twitterだった。学生の頃の自分はツイ廃で、メンタルがやられていたのもあってぼーっとタイムラインを眺めることが多かった。インターネットにはいろいろな人がいて、自分と同じように過酷な研究室で過ごす人の愚痴だったり、そういう研究室で過ごしていた人の体験談などが書き込まれていた。特に自分の目を引いたのが大学院を中退して就職したという経験の書き込みで、そこに書かれていた「社会では案外なんとかやっていける」といった文章で自分の道が開けた。というかあの頃の自分は藁にも縋る思いで、あの地獄のような環境から抜け出せるのならばなんでも良かった。
大学院を辞めて就活しようと決心した次の日、両親にそのことを相談した。いきなり辞めるのではリスクが大きすぎるということになり、1年間大学院を休学することにした。学生課に休学届を提出し、指導教員に今日から研究室に行かないという旨のメールを出した日のことは今でも忘れられない。平日の真っ昼間に大学の外をふらついているという現実が信じられなくて、自分は自由になったんだという実感がなかなか得られなかった。それから1週間くらいは家でゲームをしたり、都内を観光したり、目一杯遊んで気分をリフレッシュした後、就活モードに切り替えた。
大学院を休学する前から就活のターゲットは決まっていた。公務員である。公務員の就活は新卒であるかどうかが関係なく、年齢の条件と公務員試験をクリアすれば採用される。自分みたいな人生のレールを脱線しかけていた人間にもリカバリが可能である。そして自分は試験に受かるために半年間ひたすら勉強した。1日何時間も勉強するのは大変だったけど、研究室に閉じ込められて夜遅くまで過ごしていた時と比べれば屁でもなかった。そして最終的には某地方自治体の試験に合格し、内定をいただき、大学院には休学期間終了後に退学届を出した。今も同じ職場で働いているけど、メンタルよわよわでどんくさい自覚がある自分でも仕事は続けられてる。
長々と自分語りをしてしまったけど、伝えたいことは、あなたの人生はこんなところで終わらせるべきではないということ。
あなたはまだ本格的に社会に出て仕事をした経験がないから、指導教員の言うことだけが正しいと思っているのかもしれないけど、結局その人もn=1にすぎない。
普通の組織は、あなたやあなたの指導教員が考えているほど厳しくない。
むしろ大学教員の方が人生のほとんどをアカデミックの世界で過ごしている訳で、そっちの方が「社会を知らない」のではと思う。
人生、辛いことがあったら落ち着くまで休んでもいいし、なんなら逃げ出しても構わないと思う。
自分は大学院中退からの就職(公務員)を選んだけど公務員の仕事内容は相当ブラック。それでもブラック研究室よりはマシだし、同僚や上司に恵まれれば(自分は運よく良い人たちに巡り合うことができた)やりがいを持って仕事をできる。多分これは民間企業に就職したとしても同じだと思う。
ただし中退もいいことばかりでは無い。大学院を中退したという事実は、周りは気にしないと言ってくれるけど、自分は就職後も長い期間負い目に感じていた。ある決断を下す前には慎重に考える必要があると思う。
「生きててごめん」ゼミの後、うつ病に 22歳で命を絶った大学院生
研究ってのがやってみたくてわざわざ外部有名大学の大学院に進学したけど、間違った選択だった。
同級生は実質1年先輩みたいなもんで、研究内容の基本すらわかっていないのは自分だけ。
体力も気力もなくて全くついていけない。
休日は存在しない。早く帰れた日でもスーパーはすべて閉まっている。
それに加えて深夜27時でも余裕でメールは回ってくる。大学院って労働基準法が適用されないのかな?
お盆休みも正月休みもないらしい。先輩は2年帰省できていないらしい。
・これまで聞いてきたプレゼンで一番ひどい。
・あなた(のような能力が低い人間)がこの場に存在していいのは学生だから。社会では無言で呆れられ人々は静かに離れていく。
なんでも教えてもらわなければできない。研究室にいるだけでみんなに迷惑をかけている。絶対2年で修了できない。やめたい。
でも、学生相談室が開いている時間に研究室の外に出ることはできない。
指導教員が「みんなが当たり前にやっていることを出来ないお前はどこにいっても通用しない」ってよく言うけど本当なのだろうか。
もし、環境が合わないだけならこれ以上お金を無駄にする前にやめたい。応援してくれた人の期待を裏切り、後ろ指をさされる人生になるけど。
もし、指導教員の言う通り自分の能力では社会で生きていけないなら早めに死にたい。
10年前はランドセル背負ってたのにな。自分がこんなに無能だとは知らないではしゃいでいた日々がまぶしい。
夜中の衝動で書いた支離滅裂な文章にもかかわらず、たくさんの方が温かい言葉を書き込んでくださっていて驚きました。
髪色の明るい同い年ぐらいの人たちが楽しそうに歩いているのを見て、とても不思議な気持ちになりました。
「何してる人たちなのかな。働いているのか、学生なのか。肩書はなくとも夢を追っている最中なのかも。」
外の世界を見てそう考えていたら、ここ二カ月で自分の視野は狭まり変な方向まで思考が飛んでいたことに気づきました。
同時に研究室のことも悪く書き過ぎたかもしれないと思いました。
こんなに楽しいのに休むなんてもったいない!とばかりに、同じ環境で目をキラキラさせて研究に励んでいる学生もいるわけで…。
ここはスーパーマンたちがより輝くために用意された場所であって、とにかく私とは相性が悪かっただけかもしれないです。
世の中にはそういう人たちがいてそういう景色があるのだということは、進学しなければ知りませんでした。
一度知ってしまった手前、そっち側ではなかった自分にがっかりする気持ちは残りますが、良い経験でした。
相談室にも両親にも話せなかった悩みを、こんなに多くの人が見てくれるなんてすごい時代ですね。
大学院を続けるにしてもやめるにしても、皆さんの意見を参考にしてひとつずつできることは何か考えてみようと思います。
ありがとうございました。
一人暮らしを始める前に「こんな虐待犯がいる家に住めるか」と言われた
それ以降連絡も無視
息子の言い分
・機嫌が悪いと殴られた
確かに毎日殴りましたが男の子だしこのぐらい躾の範囲内だと思う
洗濯とか進学の妨害だってこの家に残ってもらうためにやっただけだし
親の心子知らずって言葉知らないのかって思った
子ガチャハズレって感じ
どうやって反省させればいいのかな?