「主観的」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 主観的とは

2024-05-30

anond:20240530171908

一人一派を盾にするということはあなた書き込みあなた個人主観的感想に過ぎないってことですね

anond:20240530114931

恣意的という言葉意味説明するにあたり、まず、この言葉語源に着目せねばなりません。「恣意」という言葉は、「恣」と「意」という二つの漢字から成り立っています。「恣」は、「ほしいまま」「みだりに」という意味を持ち、「意」は「思う」「考える」という意味を持つ、いわば、cognitive functionを表す言葉であります

ゆえに、「恣意的」という言葉は、「自分意思欲望に基づいて行動する」という意味合いを持つのです。しかしながら、この言葉が持つニュアンスは、単に自分意思に基づいて行動するということだけではありません。むしろ、「恣意的」という言葉が使われる文脈においては、その行動が、社会的規範倫理、あるいは、客観的事実論理に反しているという含意が込められているのです。

例えば、政治家自分利益のために公共資金を使った場合、それは「恣意的な行動」であると言えます。また、科学者自分の仮説を証明するために、都合の良いデータだけを選んで発表した場合も、「恣意的データ選択であると言えるでしょう。

このように、「恣意的」という言葉は、主観的欲求意思に基づいた行動が、客観的基準からは逸脱しているという状況を表す言葉なのです。それは、言わば、個人ego が、社会の norm を超越してしまった状態を指す言葉だと言えます

この言葉が持つ意味合いを深く理解するためには、哲学倫理学、さらには心理学社会学といった、様々な学問分野の知見を総動員する必要があるでしょう。そして、その理解を通じて、我々は、個人社会関係性という、人間存在の根源的な問いに対する洞察を深めることができるのです。

2024-05-28

知的生命体の進化レベル

1. 感覚レベル

単細胞生物や単純な多細胞生物に見られるような、基本的感覚能力を持つ。

刺激に対する反応、光や温度の変化の検知など、限られた情報処理能力を持つ。

2. 知覚レベル:

感覚レベルに加え、より複雑な情報処理能力学習能力を持つ。

周囲環境認識し、行動をある程度制御することができる。

3. 意識レベル:

知覚レベルに加え、自己認識主観的体験を持つ。

過去記憶や将来の計画を立てることができ、感情感覚経験することができる。

4. 社会的知性レベル:

意識レベルに加え、複雑な社会構造形成し、他個体と協力したり競争したりする能力を持つ。

文化言語を発達させ、倫理観道徳観を持つ。

5. 宇宙的知性レベル:

社会的知性レベルに加え、宇宙生命起源について理解し、他の惑星文明交流する能力を持つ。

意識電磁波重力などの基本相互作用によって成立している。

5. 脱相互作用レベル:

意識構成する条件がなく、意識意識のみで成り立ち、電磁相互作用重力相互作用強い相互作用弱い相互作用制限から解放されている。

生命ではなく、次元限界がない。

2024-05-27

anond:20240527043955

やっぱり徹底的に脱線を禁じると、差別主義者はなんにも言えなくなるのね

まあメスは、主観的な快不快客観的差別区別する習慣がないから仕方ないけど

意味のある反論ならいくらでも歓迎したんだけど、そのスタートラインにも立てなかったな

2024-05-25

anond:20240525045104

正論いくら言ってもムダかと。

だけど不思議なことに、主観的幸福をみると、日本人男性の方が不幸になる。



弱者男性が救われると困る人たちが確かに存在します。

彼らは救済されそうになると残酷にも「この人たちは弱者男性ではない」などと言い出すのです。

anond:20240525043920

客観的幸福では不幸率は女性の方が高いよね。

職場待遇面では女性は不遇だし、パートナーは男女ではほぼほぼ同数だし。

だけど不思議なことに、主観的幸福をみると、日本人男性の方が不幸になる。

わたし弱者男性の生きづらさが無い、とは思わない。

だけど男性主観に影響を与えてる社会の中にある思想? を維持してるのは

他ならぬ男性だと思う。たとえばモテなきゃ立派な男じゃないとか。

女性から思想実態については見えないことが多すぎる。

から男性側の声を上げて指示してくれなきゃ、何も分からない。

2024-05-24

女性地位向上って具体的に何?

多分高年収仕事が男の独占になってるから女に寄越せって話だと思うんだけどさ

俺の見る限り、水準より高い仕事して高賃金もらってる人は高ストレス、たくさんの自己研鑽必須、激務の割合が多いよ

つーか鳶職とかやりなよ

簡単に参入できて有能なら平均の男よりずっともらえるよ

死ぬけどね

ほんとに、女性地位向上ってどういう事?

氷河期世代カースト制は構造問題として認識できるけど、女は「ガラス天井」なんて主観的で好きなように使える言い方以外で説明してみて

大黒柱兼業主婦、女が楽な方選択してるから男女の賃金格差とやらがあるだけでしょ

大黒柱やりゃいいじゃん

賃金格差解消しまくるよ

なんでやらんの?

育休産休フルにとっても昇進できて安泰な地位を寄越せと言うなら、その分の労働は、皺寄せは実際誰が受けてるの?男?会社

公正な仕組みになるならいいけど、現状違うし代替案も無いんでしょ

んでいざ高収入になったら、大多数の女は同等以上の稼ぎの男としか結婚してないじゃん、これは統計ではっきりしてる

そりゃ誰と結婚するかはその女性自由だけど、どっからどう考えても亡国するよね

まあこれについては女が犠牲になって低賃金になれというのはおかしいから俺にも解決策は分からんけどさ

2024-05-21

動物が増えるのは、主観的に言えば交尾したくなるからであり、交尾すると気持ちいいのでするだけであり、

それが結果として繁殖につながるが、彼らは増えようなどとは微塵も考えていない それほどの知能はない

そして"気持ちいい"と"繁殖"を完全に切り離した正しい人間自然消滅するだろう

2024-05-20

anond:20240520001601

え?確率割合ってぜんぜん違うけど?

確率=割合という考え方は頻度論的確率論といって、最も中心的な確率概念の一つ。

そうでない確率概念としては主観的確率というものがある。

2024-05-17

anond:20240517122432

多世界解釈的なのでちょっと違うけど、不慮の事故とかで亡くなる人がいるけど、その人は私の主観的世界では亡くなっているのかもしれないけど、その人にとっての主観的世界ではうまく不幸な事象回避して元気に生きてるんじゃないかと思ってる。

ももここまで生き延びてきているけど、誰かにとっては私が死んでしまった世界もあって、そこでは「気の毒に、運が悪かったんだね」とか言われちゃったりしてるんじゃないか想像している。

今生きている人は、生存した世界の方をうまく選択しながら来たから生きてるんだし、おそらくこの先も生物的な寿命くるまではそんな感じで生き続けるんじゃないかな。

永遠に生きることはできないからいずれ死ぬんだろうけど、死んだら自分主観的世界が無くなるだけなので気にしてもしょうがないと思ってる。

自分が死んでしまった世界が知覚できないのと同じかな、でもやっぱり死ぬのは怖い。

2024-05-16

陰茎が生えている人は客観的に見て男性である

陰茎が生えている人は陰茎が生えていてそこにあることを知っている、そう自分認識している

まり主観的にも客観的にも陰茎は生えている

2024-05-15

女性テスト考えてみた

試験は30歳以下の身体女性が受けられる


身長-体重=

110以上 優

105〜109 良

100〜104 可

99以下 不可 

年齢

18〜19 優

2024 良

25〜30 可

警察試験並に思想フェミニズムに被れているかどうかチェック

フェミニストなら即アウトで、リベラルネトウヨなど思想が偏ってるのは減点

その他外見や性格などは主観的な物なのでここでは考慮しない

簡単すぎて適齢期の女性なら大抵の人はクリアできると思う

多子子供幸せにするって無理ゲーじゃない?

都内家賃高めの区の私立幼稚園に通い始めて知ったのは、裕福で多子のご家庭も結構いるということ。

父が高収入、母が美人上品かしこ専業主婦の家庭が7割、残り2割が父も母も優秀な夫婦(この場合母の顔は中上)の組み合わせ、1割があんまり夫婦

で皆この少子化に3,4人当たり前。皆様は実際は大変だろうけど、優雅な顔で卒なく園、子供全員の習い事複数ママ友付き合いをこなされてる。

話してみると多くの皆さん賢くて優しくて勤勉なのよ。

でもお手本のように素晴らしい親御さんの下でも多子の子大体顔死んでるのね。

2人くらいまではうまくハンドリングすれば、子供全員幸せそうなんだけど。多子の子ってもちろんいつでも顔死んでるわけじゃないけど、顔死んでることが多い。

追記:確かに顔死んでるとか目が笑ってないとかはあまり主観的だったかも。優しい大人への喰いつき具合とか。

親の愛情リソース関心リソースを諦めてる感じ。

そして3人4人になると親もも子供の話す事平気で無視したりするようになるね。

別にそれでも立派に育つと思うし、今でさえ優秀な子供達だと思う。

でも親が子供を一人の人間として尊重し関心を持ち関われるリソースを鑑みても、少なくとも親から愛されてる実感は少なくなるだろうなと思う。

まあ別に親以外で充足できればいいだろうけど

2024-05-12

働きながら毎日料理する30代夫が、料理をする魅力を語る

私は今32歳で、子供は1歳3ヵ月。妻は専業主婦をしている。

料理基本的に私の担当だ。妻は子供離乳食だけ作る。

今は旦那さんが料理することも多いのだろうが、仕事をしながら毎食しっかり作っている、という話をすると、驚かれることが多い。

と言うことは、こういう生活スタイルは、まだあまり一般的だとは言えないのだろう。

自分料理担当して、3~4年くらいになる。

元はというと、(無自覚だったけれど)自分はかなり食にうるさい方だったらしく、

おいしくないもの我慢できない。それがプレッシャーになる、ということで、自分料理をするようになった。

ただ料理(食事)が好きなだけじゃん、と言えばそれまでなのだが、

別に元々自炊する習慣がついていたわけではない。学生時代や、社会人生活最初の方は、かなり適当食生活をしていた。

必要になってやり始めて、だんだん面白くなってきたのだ。

から、今回の話は、必ずしも生まれつき料理好きな人にだけ当てはまる、というわけではない、と思う。

自分料理をする上で、最もいいな、メリットだな、と思っている点は、

家での料理が、「一石多鳥」である、ということだ。

自分そもそも合理的な行動が非常に好きなので、料理という一つの動作で多くのメリットを同時に実現していることを思うと、それだけで嬉しくなる。

自分料理をすることのメリットは何か? 挙げていけば、下記のようになる。

節約になる。

健康になる。

③好きなものが食べられる。

④食への理解が深まり、味覚をより探求できる。

趣味としてのリラクゼーションになる。

仕事でのタスク遂行能力が上がる。

⑦妻に喜ばれる

以下、順番に説明する。

節約になる。

これは言わずもがな、だ。一部には、「自炊お金がかかる」と言っている人もいるようだが、そんなわけはない。

短期的に見れば、確かに一定の初期投資必要かもしれないが、一旦ルーチンが確立してしまえば、中長期的なコストはどう計算しても自炊の方がやすい。わざわざ計算式で表現するのが馬鹿らしいほどだと思う。

料理器具などについての議論は一旦おいておくとして、ぜひ注目してほしいのは、「保存の効く食材について」だ。

ある程度料理をするようになるとわかるが、案外、日常的な料理日本人使用する食材調味料レパートリーは限られている。

また、そのレパートリーを大別すると、

(a)生鮮食品のように足が早いもの・・・肉、魚、卵、葉物野菜牛乳ヨーグルト、など。

(b)ある程度日持ちのするもの・・・玉ねぎジャガイモにんじんねぎにんにく生姜昆布鰹節味噌醤油、酒、ワイン蜂蜜、塩、砂糖コショウ、その他種々の調味料、など。

となる。

ポイントは、(b)に分類される、日持ちのする食材のうち、特に根菜類を、例えばイオン場合であれば火曜市などの安価に入手できる日に、

常に一定数以上確保しておくようにすることだ。

(b)の分類の食材が常に冷蔵庫ストックされており、調味料なども揃っていれば、

あとはその日の気分次第で、適当に(a)分類の生鮮食品と組み合わせて調理する。

肉類も、日によって、この日は豚ロースが安い、この日は鮭が、などと変わっていくので、

特別なこだわりがなければ、こうした特売に合わせて食材をチョイスすると、より割安に材料調達できる。

こうした方式を導入すれば、仮に一人暮らしだったとしても、食材無駄にせず、常にジャストな分量の食事を、最も安い価格で実現することができるはずだ。

健康になる。

これについては、妻の嗜好をかなり取り入れたところがある。今となっては、むしろ出来合の食事を食べることがかなりストレスになってしまい、一食でもコンビニ食などで済ませるのは、非常に嫌になった。

野菜を取りやすい、というのは当然そうだ。

しろ調理済みの惣菜や、飲食店食事で、一日に必要野菜摂取量を十分に確保することは難しい。

また、これは料理をするようになって気づいたことだが、

調理済みの食品には、大抵の場合、多くの食品添加物使用されている。

昔は食品添加物など「そんなシャラ臭いこと気にしてられるか」という印象だったが、今はほとんど全ての買い物で、食品成分表示確認するようになった。

具体的に、何は取るべきではなく、何は取ってもいい、という情報はあまりにも細かな話になってしまうし、自分自身でも完全に把握できているわけではないので、立ち入らない。

が、実際にコンビニスーパーなどで普通に販売されている食材の中にも、専門的な見地から見て十分に安全とは言えない添加物が多数使用されているようだし、

加工食品をあまり摂取しない生活の方が、(少なくとも主観的には)体調がいい状態で日々を送れているように感じる。

また、砂糖や油などの、体調への影響度が大きい成分についても、

自炊をする中で、それぞれの分量や性質自分の体調に与える影響の度合いを、実経験観測していくことができる。

こうしたPDCA自炊をしていると自然と回るようになるので、自然ダイエットにもなり、体調管理もつながっていると思う。

③好きなものが食べられる

これも当たり前と言えば当たり前だが、自炊による料理のおいしさ、という点では、個人的にはYoutube以前と以後で、自炊を巡る状況は大きく変わっている、と思うのだが、どうだろうか。

コロナ以前の、あまりYoutube上での料理動画が充実していなかった頃は、ホットクックを見るか、料理本を見て作るか、くらいが基本的選択肢だった。

ホットクックは玉石混淆だし、料理本は色々試すにはハードルが高く、またレシピ通りに作っても必ず美味しくなるわけではない。

また、いずれの場合でも、レシピだけを見て作っていると、料理の背景に、ベースとなる基礎があることが理解しにくかった。

その点、例えば食材の切り方一つ、食材の投入タイミング一つでも、動画で示されれば、そこで用いられているテクニックは一目瞭然だ。

また、「これは本当にすごいな」という、作って感動するレシピがかなりたくさんあるのもYoutube料理動画凄さだと思う。

誰の料理が好きかは好みが分かれるところだろう。個人的には、コウケンテツさんは、このジャンルでは本当の天才だと思う。ほとんど全てのレシピ動画に、味という観点だけでなく、作りやすさ、シンプルさ、という観点からも、驚くような工夫が凝らされている。毎回非常にクオリティが高いのに、ありふれていない。単純に仕事として憧れるところがある。

Youtubeがあることは、今から自炊を始めることの大きな理由の一つになるのではないか

④食への理解が深まり、味覚をより探求できる。

上記のように、Youtube動画ちゃんレシピ工程確認しながら多くの料理経験していくことで、料理全般を下支えするセオリー体感にわかるようになってくる。

例えば、

 ・料理において、塩はどのような役割を持っているか

 ・どのようにして旨味を構成するか?

 ・〇〇の食材には、どのような調理法が、なぜ合うのか?

 ・〇〇の食材は、季節によって味がどう変化するか、いつが美味しいのか?

 ・なぜこの順序で食材を投入するのか?

 ・この食材で風味づけする意味は何か?

など、無数に論点がある。

もちろん、素人なので、こういう事柄について体系的にわかっているわけではないが、それでもかなり感得できるところがあるのは確かだ。

このことによって、例えば外食に行った場合も、

「なぜこのような料理の仕方になっているのか」「この料理のうち、何がユニークなのか?」「なぜこれが美味しいのか?」などを考える上で、それを言語化し、考えるためのヒントが自分の中で非常に多くなる。

また、それに対する考察が、日常料理にもフィードバックされるために、自分家族の食の経験がより豊かなものになっていく。

これは、とても創造的で、面白い頭の使い方だと思う。食をよく楽しむと、「ああ、人生を豊かに楽しんでいるな」という気に、ふとなる瞬間がたくさんある。

趣味としてのリラクゼーションになる。

これも、個人的にそう感じる、というレベルのことに過ぎないかもしれないが、料理食材は、「人間自然との強力な接点の一つ」だ。

この前たまたま流れてきた動画の中で、養老孟司さんが、

サラリーマン一年のうち3ヶ月は田舎に行って農作業をするべきだ」

というようなことを言っていた。

これは、人間は(人間以外の)自然に触れることで、人としての自然なあり様を取り戻せる、などというような話の文脈で言っていることのようだったが、

やはり現実的にはこれはなかなか難しい。

一方で、都会に暮らしていると、自然に触れることによって自分の心身が整えられる感覚があるのも、自分としては実感するところだ。

料理は、一つの自然である、と考えることもできる。

例えば、食材を茹でている鍋の中で、いろいろな食材の色を眺めていると、何となく癒されるものがある。

また、料理をすれば、その色彩を眺めるだけでなく、実際に手で触れ、匂いを嗅ぎ、それを味わう、という、五感総合的に用いたプロセスを、自然経験する。

これが、日常生活を生きる上での、癒しになっている面は非常にあると思う。これは、例えば電子機器などが介在するような趣味とは、少し異なる位置づけの趣味として考える必要がある。

仕事でのタスク遂行能力が上がる。

料理は細々したタスクの積み重ねだ。日々確実に、決まった時間に、下記のような要素を十分に考慮した料理提供する必要がある。

 ・おいしさ

 ・栄養

 ・原材料費

 ・材料調達(買い出し)

 ・家族の好み(カスタマイゼーション)

 ・新規レシピの導入

 ・在庫管理

 ・洗い物の段取り

これらの左脳的なタスクも、非常に奥深いものがあり、上記を同時に達成するためには、細かなオペレーション上の工夫や、機材の導入などを適切に行なっていく必要がある。

私自身は一介の勤め人だが、上記のようなスキルは、一般経営者が求められる全般的なスキルと通ずるところがあるのではないか、と思う。実際に、経営学等における考え方を、日々の料理管理活用している部分も色々ある。

こうした事柄について改善を行うためには、個々の作業をただ行うだけではなく、全体の工程俯瞰した上で、このプロセス全体を創造的に組み替えていく必要がある。

ここまで色々語っているが、自分料理に実際に日々費やしている時間は、平均で30分程度のものだろうと思う。

このような工夫を継続的に行うことで、「涼しい顔をして高品質アウトプットを出し続ける」ような仕事の仕方を、多少なりとも身につけることができつつあるのではないか、と思っている。

⑦妻に喜ばれる

結局、これが一番大事だ。

よくある言説として、「時給に換算するとこれは〇〇円だから外注した方がいい」などというものがある。

かに資本主義原則から考えれば、原則的に自給自足は不合理であり、分業こそ正義、というのは、理論的には正しいだろう。

しかし、近頃子供も産まれ、よく考えることは、

自分がすることのうち、何を内部化し、何を外部化するか、ということは、生き方のもの規定する哲学だ」ということだ。

それこそ原理から言えば、ありとあらゆることを外注化することができる。

料理外注化すること、子育て外注化すること、(仮想的に)家族・友人を外注化すること、(パッケージ化された娯楽を楽しむという点で)趣味外注化すること。

技術が発展すれば、例えば「息をする」というようなことも外注できるだろう。

原理を考えれば、デカルト式に、「我思う」以外の事柄は、全て外注可能である、と言うことができるかもしれない。

しかし、やっぱり自分はそういうあり方には、本質的な喜びはない、と思う。

食事を作り、家族と食べる、という行為は、「息をする」のと同じカテゴリーに入る、自分に属する行為だ、と、今の自分は感じているらしい。

まあ、どこにラインを引いていくかは、人それぞれだ。それが生きる姿勢の反映ということだと思います

すべての表現怪文書作成である

 この声明、「すべての表現怪文書作成である」は、コミュニケーション芸術の風変わりで独特な側面を強調する挑発的な主張です。この声明は、私たちが伝えようとするすべての行為にはある程度の謎と曖昧さが伴う可能性があることを示唆しています

 「怪文書」という用語は、通常、奇妙で理解しがたく、時には混乱を招くような文書を指します。このコンテキストでは、それは表現の不可解で風変わりな性質を捕らえています。すべての表現行為、それは芸術執筆スピーチ、または他の形態であっても、解釈分析複数レイヤーを残す可能性があります。それは、視聴者や読者を魅了し、魅了し、混乱させる可能性があります

 この声明は、表現主観的個人的性質認識しています私たちが何かを発信するとき、それは私たちの内なる精神私たちユニーク視点、そして世界に対する私たち個人的解釈から生じます。この内なるプロセスはしばしば曖昧で、完全に言葉表現することはできません。その結果、私たち表現は、他の人にとって風変わりで謎めいたものになる可能性があります

 さらに、この声明は、表現微妙な力と影響も示唆しています表現は、アイデアを伝えたり、感情喚起したり、視聴者の心に疑問を投げかけたりする可能性があります。それは、人々を魅了し、彼らの解釈分析を刺激し、彼らに独自結論を導き出すように促す可能性があります。この意味で、すべての表現は、その受信者の心の中で独自怪文書作成します。

 この声明はまた、表現革新的な側面にも光を当てている可能性があります表現は、境界を押し広げ、新しいアイデア提示し、主流の期待に挑戦する可能性があります。この意味で、それは風変わりで革命である可能性があり、視聴者に新しい視点や考え方を提示します。

 「すべての表現怪文書作成である」という声明は、コミュニケーション芸術の複雑さを認め、表現の不可解で風変わりな側面を祝います。それは、私たち表現が常に明確な答えを提供するのではなく、むしろ解釈、探求、そしてさらなる探求のための招待状であることを示唆しています

2024-05-10

https://anond.hatelabo.jp/20240508103703

記事

増田で何度か大炎上した経験から増田で知性のカケラも感じさせずブチギレてる人たちを分析してみると、いろんな話を

真実客観的に認められた事実主観的事実、伝聞、ポリコレお気持ち表明、願望、

くらいのざっくりしたレベルにすらうまく分類できてない気がするんだよな

事実気持ちで殴りかかってきたり、願望的なお気持ち表明に対して誰もが知ってて前提にしてる事実ドヤ顔披露してきたり

同じ日本語を使っているか言葉が通じるように錯覚してるけど全然通じていないことも多い

は三行目まで増田しか登場しないため、増田で知性のカケラも感じさせずブチギレてる人たち=増田達だが

後半の事実気持ちで殴りかかってきたりする、のは増田ではない(増田は殴り掛かられるほう)。

なので誰の話をしているのか分からない。

これを通じる日本語にするには以下のようにしてはどうだろうか?

argument:知性のない増田炎上する(内省

増田で何度か大炎上した経験から増田で知性のカケラも感じさせずブチギレてる増田たちを分析してみると、

自分も昔はそうだったが、いろんな話を(後略)

argument:ブクマカトラバ増田には知性が無い

増田で何度か大炎上した経験から増田で知性のカケラも感じさせずブチギレてるブクマカたちを分析してみると、(後略)

こうしてみると日本語は high context というが実際は no context とか no argument というのが相応しいのではなかろうか。

例えば background は context に明記しなければ context ではないが書いていないため「誰もが知ってて前提にしてる事実」が何なのか分からないがそれを「ドヤ顔披露」したり、

argument (事実として何の話をしているか)がないため「事実気持ちで殴りかかってきたり」する。

同じ日本語を使っているか言葉が通じるように錯覚してるけど全然通じていないな!なんで日本語が通じないのか言葉にできてやっとすっきりした!

まさしく no argument (話にならない)というわけだ HAHAHA! 増田も通じない日本語よりも英語で書いたほうが良いかもしれんな。

anond:20240510150109

で、なんで他人のくせに「マジ」を勝手に「主観的真剣さのあらわれだ」とかきめつけて他人攻撃する材料にしたんですか?

2024-05-08

anond:20240508180714

シンプルに両親と観れるか、職場の同僚と観れるかでいいよ

観れる人も観れない人もいて

観れないほうが正解とする理由はないわな。

そういう主観的判断を主張しつつ、自分側の感性を正解ってことにしたがるのは

平たく言って幼稚。

増田で何度か大炎上した経験から増田で知性のカケラも感じさせずブチギレてる人たちを分析してみると、いろんな話を

真実客観的に認められた事実主観的事実、伝聞、ポリコレお気持ち表明、願望、

くらいのざっくりしたレベルにすらうまく分類できてない気がするんだよな

事実気持ちで殴りかかってきたり、願望的なお気持ち表明に対して誰もが知ってて前提にしてる事実ドヤ顔披露してきたり

同じ日本語を使っているか言葉が通じるように錯覚してるけど全然通じていないことも多い

anond:20240508083549

医学的には熱はない状態から主観的な熱感・火照りと言えるのではないかな。

更年期障害精神疾患に伴う不定愁訴によくあるやつ。

2024-05-07

anond:20240506235335

女側が思わせぶりな態度をしてるケースの話ではないはずだが?

ここに拘ってるのがだいぶアスペっぽい。

ぬいペニって女側の主観100の話なんだから客観的に見れば恋愛関係に発展しそうな行為してても

女側が冷めてる状況でさえあれば成立する。

その主観的な部分を理解できない。

2024-05-06

一茶の句は反例にならない。

 

anond:20240506174540追記しようとしたら長すぎたので記事を改める。

meganeya3 短歌の考えは知らんが増田俳句の考えとして「やせ蛙 負けるな一茶 ここにあり」はどうなの?

私の短歌俳句論について、異論は認めるのだが、この一句は反例とは思えない。むしろ私の認識を強化することにしかなっていない。

この句は一見情念のこもった句に見えるが、この句における一茶はあくまでも風景の一要素としてやせ蛙と並列されている。つまりは蛙ごときに向かい合って必死になっている俳人描写である。一茶の句におかしみがあるのは、滑稽な自分を冷静に客観視できるからこそで、情念を込めてやろうという精神からはかけ離れている。

それに対して、例えば同じ蛙を描写した以下の斎藤茂吉の歌はどうだろう。

死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる

この歌は一茶の句と比べると写実的情念の無い描写に見える。しかし、用心深く読んでみると「かはづ」(蛙)の鳴き声が「天に聞ゆる」のは作者が添い寝をしていて地面に近いところにいて、天を眺めながら聞いているからそのように感じるのであり、実際に天から蛙の鳴き声が降ってきているわけではない。実はこの歌は非常に主観的情念によって風景を巧妙に歪めていることが分かる。茂吉にとっては「かはづ」も、それどころか「死に近き母」すらも己の寂しさや怖れの大きな比喩しかないのである。一茶のような引いた視点など待とうとする気もない。短歌情念産物と言うのは、こういうことを言う。

私の論に反論するのだったら、例えば短歌情念はいうが、奥村晃作のただごと歌、たとえば

次々に走り過ぎ行く自動車運転する人みな前を向く

などはどこに情念などあるのか?と言った指摘ぐらいは欲しいところだ。

ついでだから私が、これこそ短歌情念だと思う歌を掲げておく。

いらだちをなだめてばかりの二十代立ちくらみして空も揺れたり 江戸

あをき血を透かせる雨後の葉のごとく鮮(あたら)しく見る半袖のきみ 横山未来

電話口でおっ、って言って前みたいにおっ、って言って言って言ってよ 東直子

子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る 河野裕子

革命作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ 塚本邦雄

玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることのよわりもぞする 式子内親王

anond:20240506105837

かに自民叩きのマッチポンプになってるのかあのランキング

主観的アンケート調査で何の信用もないことは知っていたが。

2024-05-05

anond:20240505192930

この記事人間によって書かれたものだと思われます。以下の点から、そう判断できます

1. 文章の流れ、構成スムーズ自然であるAIによる生成された文章には、まだ人間らしい自然文章構造を作ることが難しい。

2. 具体的な例(東京-新大阪運賃の数値例)が適切に使われている。AIも例を挙げることはできるが、あまり具体性がなかったり文脈に合わない例を挙げがちである

3. 文章人間らしい主観価値観が反映されている(「かわいそうと感じ譲ってあげたい」「無理に譲る必要はない」など)。AI一般的にこうした主観的な記述は苦手である

4. 軽い言い回しや言外の意味自然表現されている(「指定席を取るべきだという意見もあるでしょう」など)。

5. 文体一貫性があり、話の流れに人間らしい自然節回しがある。

以上の点から、この記事AIによる自動生成ではなく、人間の手作業によって書かれた可能性が高いと判断できます

2024-05-04

anond:20240504151242

え、説明しないとわからない知能の人なの?

めんどくさ

出世は明らかに経済的価値につながるというのは出世しなくてもわかるし、政治家になれるというのが社会的権利として大きな意味を持つことは政治家でなくてもわかりますよね?

それに対して性行為幸せになれるかどうかなんて極めて私的主観的ことなので、やってみないとわからないんですよ

から全然違う話で、明らかに的外れなんです

まともな知能があれば説明されるまでもなく完全におかしいってわかるんですけどね

追記

あと別に行為制限されてはいないので、そこも全く違います

そんなにしたければすればいいじゃないとしか言えない

それから、知能が足りないことを馬鹿にしたのは申し訳ない

足りないのは仕方ないことなので謝罪しま

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん