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2024-05-24

これね、共同通信だけの問題じゃないけど、そういうことだよね。ミスインフォメーションキャンペーン

[B! 上川陽子] 【内部文書入手】上川陽子「うまずして」切り取り報道の共同通信「全くひるむ必要は無い」差し替え経緯も判明

共同だけの問題じゃないというのは、共同通信に乗せられたとしても、各社一斉に

出産を願ってもできない人への配慮に欠けるとの指摘」で揃ったこと。いかにも日本的な乗せられ方だ。

これは欧米ミスインフォメーションキャンペーンと呼ばれるもので、誤報による世論誘導だ。

ミスインフォメーションキャンペーンとは、世論有権者の行動に影響を与える目的で、意図的に虚偽の情報や誤解を招くような情報を流すことを指す。こうしたキャンペーンは、民主的プロセスに対する信頼を損ない、地域社会を分極化させる可能性がある。誤情報は、ソーシャルメディアマスメディア口コミなど、さまざまなチャネルを通じて拡散される。フェイクニュース作成したり共有したり、事実操作したり、問題を誇張したりして、有権者の間に疑念や混乱を生じさせるような戦術がとられる。

その目的は、選挙結果を左右したり、政敵の信用を失墜させたりすることだが、ひいては選挙制度に対する国民の信頼を低下を招くため、このようなキャンペーンは、選挙結果に対する有権者の信頼や民主主義全体の健全性に影響を及ぼす可能性がある。

これがいかヤバいことかのメディア自身自覚のなさが、世界報道自由度ランキング70位という結果にも反映しているんだよ。

今回の場合、完全に誤報を流したというより、もともと解釈に幅がある、どちらにとられてもおかしくない表現だったことが特徴だ。

それは、女性たるもの出産すべし、と解釈できる、そういう解釈しか思いつかない人が一定数いる、というのは、この記事がでてもなお、上川発言に非があるとするブコメが少なくないことでわかる。

上川氏が女性役割に対して固定観念を持っている、という指摘はありうると思う。ただ、最初からそういう指摘をする報道だったら、ここまで炎上しなかったのではないか

しかし、これが炎上したのは、実際の各社の報道が「出産を願ってもできない人への配慮に欠けるとの指摘」だったからだと私はみる。

ジェンダーロールの偏見の指摘と弱者への配慮欠如の指摘は必ずしも同一のこととはいえない。

今回のメディア場合不妊で悩む女性を主に念頭に置いたのかしらないが、そういう方々が可哀そうだと、感情的正義に訴えたわけだ。

上川氏の潜在的差別意識を指摘するのとちがって、この訴え方は、「出産を願ってもできない人」というデカ主語を据えるものだ。


出産困難者というのは、もやっとしたイメージだ。人それぞれ「出産を願ってもできない人」のイメージが違う。

子育て環境制度的な脆弱さを思い浮かべるひともいるだろうし、家族親族からプレッシャーとして理解するひともいるだろう。

女性出産役割自己実現価値見出している人もそうでない人も含めて、かなり多くの人が感情的共感の網にかかってしまう。

まり上川叩きの味方を増やす効果があって、上川からすれば、保守から批判されうるし、フェミから批判されうるという状況に置かれてしまたことになる。

今回の誤報キャンペーンでは、感情的共感をより広く、網を張り、特定ターゲット層に的を絞らない戦略が功を奏し、同町圧力の強い傾向のある日本で、あとに続くメディアを一斉に吊り上げ、ばっちりと効いてしまったというわけだ。

その意味で、上川氏がすぐに発言撤回したのは賢明だった。

出産を願ってもできない人」への配慮、という形で大衆感情を煽ったのが今回のミスインフォメーションキャンペーンだったといえるだろう。

問題は、これが選挙に影響を与えかねない、ということを報道機関が自覚しているかどうか。

それに対して「全くひるむ必要は無い」というのが、共同通信スタンスなのね。確信犯であることがよくわかった。


とはいえ共同通信だけでなく各社報道機関は、「出産を願ってもできない人」への配慮を犬笛として使いたかったのかもしれないが、その副作用についてはやっぱり少しは考えてもらいたい。

出産を願ってもできない人」への配慮を訴えたつもりでいても、出産を願ってもできない人々を一つのカテゴリーとして固定化することで、そのグループが常に特別配慮必要とする、社会的に弱い立場にあることが強調され、固定観念が強化されることもありうる。

これって女性の弱さ傷つきやすさについての別の意味偏見が強化されるってことでもある。

社会的に弱い立場であるとの認識が広まれば広まるほど、社会的に敏感なトピックになり(タブー化)、それついて話す際に、他者感情意見を過剰に気にすることになる。これにより、人々は自分発言自己検閲し、無意識のうちに自らの意見抑制するようになる。

兵隊さんご苦労さん」みたいな、何気ない表現大衆戦争に巻き込むプロパガンダとして一番効果があるのと似た話で、こんな配慮や遠慮、忖度の積み重ねで、誰かが傷つくのを恐れて何もいえない社会にどんどんなってしまう。

これに対して、いやいやむしろ偏見解消は積極的キャンペーンをやるべきだ、女性に対する偏見が解消されて、社会全体としてハラスメントが減るならそれは結構な話じゃないか、といわれるかもしれない。


しかし、実際のところ、偏見というのは、配慮すればなくなるというものでもない。

強さや傷つきやすさの男女差というのは、いってみれば偏見なんだけど、悟りを開けば自分偏見を解消できるわけでもないし、

言論警察よろしく配慮に欠ける発言バッシングすれば解消できるわけでもない(公言しないようにすることは可能だとしても)。




近代黎明期に、イギリスから隣国で起きているフランス革命で、反革命派が断罪されている様をみたエンモンドバークは、

なんでも理性的判断できる、偏見を解消できると考えちゃう傾向はヤバいと考えた。

偏見なんてなくならないんだから偏見をなくそうという発想をやめて、偏見を生かそうという考えを進めた。

それが保守の出発点なんだけど、世の中が保守一辺倒というのもそれはそれでどうしようもない社会だ。伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとだっている。

さすがに、公平性については、制度が、最低ラインとして補助線というか設計図を引かないと、いつまでも伝統的な価値とか懐古的になっててもしょうがないだろう。

ということでまあ、ジェンダー問題は、極力、制度としての公平性、機会としての公平性という観点限定して話をするように注意しておくのがいいってことかな。

もちろん、制度機会平等理性的に討議したとしても偏見がなくなるわけじゃない。

偏見はなくならないけど、制度の普及・概念進歩に伴い、ひとの意識は変わっていくだろうと期待する。それだけでよく、それ以上のことはあえてしないほうがいい。

ひとはすべて進歩した価値観にもとづいて幸福を追求しなければならない、みたいなのは押しつけがましい左翼傲慢からだ。

伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとがいる」一方で、伝統的な価値観で自己実現をしたいひとだっているんだよ。

進歩的な価値観に基づいて偏見を解消しようすると、社会のどこかで肩身の狭い思いをする人が出てくる。

「世の中はいつも変わっていくから頑固者だけが悲しい思いをする」(中島みゆき、世情)というわけだ。

から言わせると、そういう進歩史観を押し付けようとするところがもっとサヨクのムカつくところなんだよ。

かつて反戦フォークの全盛期、学生運動が最高潮を迎えていた時期、中川五郎の「主婦ブルース」のなかにこんな歌詞がある。

機動隊学生の衝突が テレビニュースで映される

息子は今夜も帰らない 私は心配で眠れない

息子は私に議論を吹っかけて 沈黙共犯だと責め立てる

だけど私は家庭が一番 真面目に生きるのには疲れた

おお 人生は悩みよ ちっとも楽しくない 恋なんてしない間にふけちゃった

わびしい夢に はかない楽しみ 思い通りには何もならない

安保世代では親ですら論破すべき守旧派だった。しかし、学生運動は結局、どの社会階層とも連帯できずにスピンアウトしてゆく。1968年に作られたこの歌はそれを暗示しているかのようだ。一方、中島みゆきの「世情(1978)」は、この10年後の70年代世界がうたわれたものひとつ前の安保世代情熱新左翼へと変遷、空回りしてゆくさまを見せつけられたシラケ世代からみると、左翼残党はあたか守旧派とさして変わらない頑固さでイデオロギー打破を訴えている、という皮肉な構図になる。


今回の場合でも、産みたくても産めない人が可哀そうだなどと感情的正義で持論を補強すると、そうした表現タブー視が蔓延し、出産自己実現見出している人まで遠慮しなければならない、という空気をつくるかもしれないし、他方で、女性の傷つきやすさを過度に強調することで、女性が弱い存在であるという潜在的差別意識助長されるおそれだってある、みたいな妙な副作用が現れる。


かつて、なだいなだが、ケシカラニズムといって、理性的正義感情的正義区別し、自分のことでもないくせに感情的共感によって主語がでかくなるのが感情的正義の特徴だとした。そのことで人々がプロパガンダに流されやすくなる、という趣旨のことをどこかで書いていたのをひさしぶりに思い出した。

たまにはケシカラニズムに陥っていないか自己点検でもするか。フェミニストさんも自分偏見を認めたほうがいい思うんだよね。

制度的に不幸になっている者は救済する、しかし、偏見ある社会のなかで生きている者の幸せ自己実現否定しない、という具合のバランスがちょうどいい。

男性社会にあって嫁として母として子供を育ててきた誇りある人生否定するのがフェミではないと思うし。

そういう意味じゃ、左翼保守主義のマインドも頭の片隅に入れておく必要があるし、保守派も制度的な公正について左翼の主張に耳を傾ける必要がある、といったところか。

上川外相発言はきりとりという学者たち

どうも法学系、経済学系の学者の方々の中で、上川発言比喩なので”うまずして何が女性発言を騒いだのはことばがりだということになったようだ。

かに新聞の書き方は腰がひけていて、不快だった。

しかし、読んでいて、自民党の支持者の女性を集めて、”女性だったら自民党知事一生懸命応援しろ”というメッセージ出産に引っ掛けるのはあまりいいものじゃないように感じましたがどうなんだろう。知事女性のためにいろいろと政策を打ち出しているひとであればまだしも、そういうのもなく空疎応援を求める演説ですよね。

これが例えば夫婦別姓法案を”うみましょう”とかいう話であればまだ小生はそれほど反感を持たなかったかもしれないと思います

出産女性共通話題としては受けることも認めますが、それは大臣がつかうの?という感じで、なんともな感じ。

2024-05-23

予算キリ下げて軍拡方針かよ

→さっさと政権降ろせグズ野党

メルケル辞めたらロシア侵攻、メイ辞めたらブレグジット

上川?辞めたら台中戦争準備中臭い

フラグが立ちかけだが碌な野党がねえ

台湾の親英米潰せ

anond:20240523182103

女性オンリー選挙で選ばれたのではないにしろ知事レベルでは、太田小池国会議員で言えば、与党高市野田上川野党蓮舫辻本あたりが最高最上位最高レア限定品質の上澄みof上澄みなのが本邦の女性政治家の現状なので、どれだけ下駄履かせたところで…。

2024-05-20

なんで「子どもを産まずして」に変換されるの?

上川外相は)自民党推薦候補について、

「この方を私たち女性が(知事として)生まずして何が女性でしょうか。生まれてくる未来静岡県を考えると、手を緩めてはいけない」

と述べ、支持を訴えた。

  

https://www.yomiuri.co.jp/politics/20240518-OYT1T50142/

  

上川外相発言

法学系のKO大学のO氏や飯田橋の某大学のK氏などの言説投稿からは、切り取りじゃないかという指摘もあるようです。

で誤解があるならと撤回させて、撤回したらやっぱりそうだったのだというフォーマットについておっしゃってます

まあ知事はもともと産めないので比喩であることは明らかでしょう。

で、当然出産できないひと、してないひとにも含まれるわけではありながらも、女性集会で産むのは女性だといえば、

やっぱり女性の支持者がもっと頑張れ、というネタとして、出産を使ったということは言えるでしょう。

自民党がおしている候補者当選させるのはひとり一票である以上、ほかの人にも声をかけろ、という

意味で言ってるわけで、まあそれが出産と同じように大変でも頑張れということですか。

じゃあ出産してない人は大変なことを避けてるのか?

選挙という下世話なことを、下手をすると、命をかけるかもしれないひとがいる出産と絡めることは、

役割固定の問題だけではなく、何かひっかかりますけど、どうなんでしょうね。

anond:20240520084833

上川は「産まずしてなにが女性か」だから「生まない女は女じゃない」っていってんだよ

こどもを産むことがすばらしいことは誰も否定なんかしてないが

anond:20240520085232

共産党さんの価値観では上川と同様にアウトだよね?

ワイとか統一だとかの価値観は一切関係ないよね。

もしかして自分らはOK他人だけNGかいダブスタなんですかあ?

anond:20240519014952

上川外相発言「うまずして何が女性か」だけど、メディアの取り上げ方がヘンだという、当たり前のことを、

ちゃんと指摘しておかないと日本はどんどんおかしくなる。

これ必死マスコミが悪いって方向に話を持っていこうとしているけど、

当の上川が「不適切でした」って言って発言取り下げてるんだから

マスコミ解釈が正しかったって言ってるんだよね、本人が

もしそうじゃなくても、数々の不祥事自民党のものが揺らいでいる時に、

切り取りよう次第でいかようにでも解釈できる余地を残す発言をする時点で、

危機管理能力がないとしか言いようがないので、

要職を担える人間じゃないのは明らかでしょ

河野みたいにXでクソリプマンやってるのがお似合いだよ

上川外相発言よりも発言していないことを報道してほしい

上川外相のうまずして発言ですが、自民党女性支持者を固めるための発言であったようです。

当初は新聞には普段よりも熱を持った話を上川外相地元静岡で行って首相への意欲満々みたいな記事が出てたと思います

実際のところ、いつかNHKの昔の番組を流す番組で離れた場所方言バリバリのおばあさん通しが話すのに、最初はあまり反応が良くなかったのが、出産の話になったら、ことばは違っても打ち解けて話し出したのを見たことがあります

ということで出産話題はある年代女性集会でうける”鉄板ネタなんじゃないでしょうか。

それこそ出席していた人からすると大した問題とも思われなかったのではないかと。そういうひとは自民党支持しないし、ましてや、そういった集会に集められる層というのは上川外相イスラエルでどうのこうのというよりもそういう話のほうが受けると踏んだのでしょう。

ただ、ライターが誤ったのは、いまやお笑い番組などでもこういった性別に関する”笑い”のようなものは外されているということです。

ちょっと気になるのはこういった風潮を”窮屈”とおもうひとはいて、例えば松本某の支持者などもそんな感じじゃないでしょうか。

ということで、長くなりましたが、この複雑な時代に、自民党候補者が何をするかじゃなくて、女性が生み出すみないなスローガンをしゃべっている風潮がなんなのか?とか、先に書いたようにわりと年配の女性を集めるとそういう話題が”熱をもって話した”とかい評価になる(最初はそんな報道が出てました)新聞記者のセンスの方がよっぽど問題だと思ってます。いつもですが、今でも例えば朝日新聞はひとごとのような伝え方で、なんだかなあという感じですな。

anond:20240519220635

上川さんは派閥解散たか無派閥になったけど、元岸田派。

総理就任は岸田路線継承ということになる。保守派であっても阻止したいのかもしれないね

anond:20240519220635

上川首相誕生するとジェンダーギャップ指数ジャンプアップしちゃうわけだけど、そこらへんどう報道するんかね。

うまいこと調整してあがらないようにするのかな?

2024-05-19

今回の無理やりな上川大臣叩きを見ると、永田町では次の首相上川陽子で決まりつつあるんだろうなって

anond:20240519014952

メディア上川大臣自民党総裁になって次の衆院選を迎えるのを恐れてるんだよ。

せっかく自民党が負けるかもしれない空気なのに、憲政史上初の女性首相なら話が違ってくるから

今のうちに上川首相はない空気を作りたいんだから仕方ないでしょ。

上野発言より上川発言のが何百倍も酷い

同じ女性でも言っていいことと悪いことがある。

今回の上川発言は完全に名誉男性価値観に毒されたとしか言いようのないもので、欧米でも全く通用しない。

外相を名乗りながらこれとは、国際感覚を疑うよ。

Xを見てもらえると分かる通り、リベラル知識人から上川発言への批判が相次いで呈されている。

上川外相

最近外交はとんと声がかからなくなって、SNSに取り上げてもらうために

あいった微妙なところを突くというのはすごいですな。

比喩から、といういいわけをできると思っての作戦でしょう。

でもそんな作戦にのっているマスコミのほうがどうかしてるとおもいます

上川さんの「うまずして~」は子供を産むことに掛けて問題だと糾弾するのは若干言いがかりのような面もあるように思うが

元の言いたかったであろう文脈で取ると、この候補者当選させないなら女ではないというような意味になるっぽく

こっちのが普通に問題じゃねという気がする

〇〇しないのは非国民みたいな。これはこれであかんのではという感じがする

上川外相発言「うまずして何が女性か」だけど、メディアの取り上げ方がヘンだという、当たり前のことを、

ちゃんと指摘しておかないと日本はどんどんおかしくなる。

生みの苦しみという比喩として昔から成立している表現を、まさしくそのような用法発言しているにもかかわらず、マスコミは一体なんなんだ。

候補当選によって新たな知事誕生させたいとの思いがあったとみられるが、出産を願ってもできない人への配慮に欠けるとの指摘が出る可能性がある。

一連の報道で、とても気になったのは「XXへのへの配慮に欠けるとの指摘が出る可能性」という表現

こうして、「出産を願ってもできない人」というグループ示唆することで、それらが何かしら傷つきやすメンタルを持っているという、配慮を要する人々としてイメージを固定してゆくのがとても気になる。これは発言曲解よりも根が深い。(補記:なかなか伝わりにくいかもしれないが、以下で提起している問題は、<ある表現いか配慮に欠けるか欠けないか>ではなく、<ある表現配慮に欠ける>というふわっとした規範的な圧力が、社会的包摂性とか社会経済的脆弱性分析を置き去りにして、主に政治的に利用されることの問題点だ)

実際には、出産を願ってもできない人々というのは多様だ。みんないろんな事情があるんだよ。

単に適齢期を過ぎているだけとか、仕事と両立したいなどの理由で機会を逸している、とか、あるいはそもそもパートナー出会えないなど、

要するに、ないものねだりをしている場合だってある。経済的問題で躓いているひともいるはずだ。

じゃあ、逆に「出産を願ってもできない人」というカテゴリーにはそういう社会経済的弱者は入りませんよ、というのかね?

体や心の障害に起因して、ある意味病理的な意味で、出産ができない人を指すのだと定義したりしてしまう?

そうすると、今度はむしろ、健常ならできるはずのことができない人々は悔しいと思っているに違いない、かわいそうだから、産むとかそんな言葉に触れさせないよう配慮必要っていう、潜在意識ますます透けてくる。

でも心身の問題出産できないというのを、自分はいかんとしもしがたい宿命的なものして捉えた場合

それって社会経済的理由出産できない場合と実際のところ、地続きだと思える。

例えば、親の介護など家庭の事情で適齢期を逃した人がいたとするよね。それってその人にとっては、自分意思で選んだわけではなく、自分にはどうにもできなかった、そういう運命だったという意味では、病理的に出産できないという宿命とさほど変わらないようにも思うんだよね。

出産を願ってもできない人」

産みの苦しみとかい表現を嫌がるような、そういう配慮を要するグループがあたか存在するかのように、それを空気のように記事するマスコミのほうが怖い。

そういうの、すごく傲慢上から目線だと思わないのかね。

障害者や病人ができなそうなことを比喩的にでも表現するのは彼らを傷つける行為だとする空気をまん延させることは、「そういうカテゴリーの人たちを可哀そうだと思うべきだ」とする社会規範空気として押し付けてくることだ。

そこでは、知らず知らずに、どこまでが可哀そうなグループで、どこまでが身から出たさびとみなすグループなのかの選別が空気として形成される。

実際には、よくよく考えると、どこからどこまでが配慮を要する、などと到底割り切れるものではない。誰かを傷つけるかもしれない、と配慮することはそのイメージから漏れた人を知らず知らずに排除することでもある。その意味で、病理的な意味出産ができない人に限定して、「出産を願ってもできない人」というイメージを作り上げるなら、それは差別的ですらある。その場の雰囲気で、発言文脈をよく考えずに配慮を求めることで、逆に、特定グループを過度に保護し、そのグループ弱者として固定化する結果を招きかねない。

抽選結果で「落選」はやめます 都立中高説明会、表現めぐる指摘受け:朝日新聞デジタル

これなんかも、「受験生」の感受性因子(susceptibility)を過剰に捉えていて、おかしなことになっている。


出産を願ってもできない人」なんていうふわっとしたイメージは、そもそもそんなに必要かね?



とりわけ政治家発言については、言論多様性重要だ。

言論空間を浄化して、きれいな発言だけをすればいいというものではない。

浄化できるというのも幻想しかなく、「女性なら生むべきだ」という固定観念を打破し社会的包摂性に配慮したつもりでいて、内実は単にステロタイプな別の固定観念形成され、それが政治利用されることもある、ということも頭に入れておく必要があるだろう。

政治家発言に過度な配慮が求められると、知らず知らずに本来意図文脈が歪められる恐れがある。

特に選挙に絡んだ発言については、妙な世論誘導に使われかねない。

自由表現が妨げられることで、社会全体の健全議論が損なわれることになる、ということの不利益ちゃんマスメディア理解しておくべきだ。

2024-05-18

上川外相自民推薦候補当選に向け「私たち女性がうまずして何が女性でしょうか」と述べました。

2024-05-11

ポスト岸田

自民党に限ると、

 

上川原稿読むだけの人力音声合成ずんだもんでも代理できそう。

高市安倍の後光がなくなって空気

石破→党内は勿論、自民の固定支持層から無党派層まで幅広く嫌われている。カリスマ性0。

河野官僚無駄敵対してミンスの二の舞いになりそう。

野田→元暴力団員の嫁。反社の長としては最も適性が高い。

進次郎→カリスマ全振りの電波無能ではあるがコントロールやすい。お飾り適性が高く、最も首相の器がある。

 

上川高市野田あたりに任せて、選挙惨敗して、政権運営が行き詰まって「やっぱ女の政治家は駄目だな!」って空気を作って、合法的政治男尊女卑を維持するか、進次郎に任せて電波発言で耳目を集めている間に、他の議員官僚粛々と実務を進めていくか。自民党は前途多難だ。

 

河野と石破はさすがにない。

2024-04-03

anond:20240402175747

違います。「なぜ川勝が選挙に強いのか」の理由は単に「県自民がろくな対抗馬候補擁立できなかった」に尽きます

自民著名人候補知名度全国区でなく中途半端選挙から「現職には勝てないわ」となる候補ばかりでした。

静岡県保守的県民性ですから現状維持重視で現職が出ればそのまま選ばれます。そこを打破するにはよほどの有名人全国区話題となる候補必要でした。(そもそも川勝氏も石川知事に県立大招聘され県とゆかりができ細野豪志らかつての民主党保守派擁立された。)

三期目選挙の時に細野豪志が噂されてた通り擁立されてれば勝てたんではないか、4期目選挙の時に上川陽子擁立していれば勝てたんではないか、と思ってました(上川氏はその後外務大臣になり今では総理候補なんだから出なくて正解でしたね)。

リニアに関して大井川の水問題は水返せ運動の時から県は超党派で取り組んでることなんで、自民も「そんなの関係ねぇ」なんて言いません。問題が大きくこじれてきた3、4期目の選挙でも「水問題解決する」という姿勢は同じで大きな争点にもなりませんでした。

川勝氏のリニア発言難波副知事任期満了で辞任してから特に不安定になっていきましたね。2期目の途中で「川勝はかつて2期で辞めると言っていたか難波副知事を後継候補にするつもりでは」という憶測も流れてたのですが、ほんとそうなってれば全てに幸せだったでしょうね。

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