はてなキーワード: マスメディアとは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/ogawatamaka/n/n5049be9f6157
IkaMaru 春名風花という人間の醜さから目を背ける人と分かり合える気がしない。オタクだとかフェミニストだとか、それ以前の話として
hotelsekininsya 春名風花があくど過ぎてな。批判が多くなると直ぐツイート消すし。このツイートも「日本の女性運動は」とか冒頭で言って自分はあの嫌われ者のフェミとは違うとか味方に媚びまくりだし。私が正しいって?ふざけんな。
soraboby “教室の中で、いじめ首謀者ではないけれど、自分がいじめられたくはないから必死に「あの子たちとは同類ではない」ってアピールする子たちを思い出す。”わかる
yuhka-uno 2019年元旦に炎上した西武そごうのCM思い出した。マスメディアの偉いおじさんに忖度してしまったのかな?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.bengo4.com/c_23/n_10611/
quick_past 本人自身無自覚毒散布マシーンだけど、それはリンチしていい理由にはならないからなあ・・・。直接の差別者にも優しく接しろみたいな話が飛び出てきた時は心底ぞっとした。
VikAkoona こいつの場合、単なる反論や事実の指摘を誹謗中傷だと受け取ってるだけだからな。裁判しても100%負ける。
mouseion やればいいけど黙ってやれよ。芸能人の特権で弁護士ドットコムから訴訟を起こす宣言自体が脅迫行為だし竹田恒泰や高須院長と同じで単なるスラップ訴訟だよ。そもそも母親代筆説を否定する根拠示してないよね。
white_rose 批判と中傷は分けて受け取れてるのかな。長年の言動からあんまり信用してないけど、弁護士ついてるなら指導はあるか。
ywdc ブロックしてほっときゃいいのに何で勝たないと気が済まないんすかね。ずっと新しい敵を見つけて戦い続けるといいよ。拗らせ人生もまた良し
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1806/04/news107.html
hate_flag 春名風花は「私は被害者」と主張したことで成功体験を得すぎてあらゆることに自分が被害者だという妄想を抱くようになったのではないだろうか。かわいそう。
kanzencyouaku 経歴を調べるに、やはりこの女の考えや行動が社会に認められていては正直強い不安感。 特に今回は人前で脱ぐ(自体許容すべきではない)連中と同席だし。 今だに居座ってるけど、ホントどうにかならないのこの女?
blueboy それより本質的に「売れないから裸になる」という発想が痛々しい。売れないんだから、いい加減、諦めろ。このままじゃ、どんどん墜ちるばかりだぞ。AV に墜ちて、麻薬に墜ちて、自殺に至りそうだ。
lnimroder 春風とかいう子供は自分なら多少のわがままを言ってもネットが味方してくれるって計算ずくでやってるフシがあり、それが昔から毎回気持ち悪い。ただの面倒くさいガキだよ。
baronhorse こいつは子供であることが売りだからな。哀れなもんだ
surume000 理屈じゃなくて敵か味方かで判断するタイプだったみたいだね。今まで応援していた方お気の毒。合掌
quick_past 徹頭徹尾、ださい。あとはるかぜ本人に関しても、内容をチェックして周りが止めるべき。お金くれるからって、ホイホイついていく頭のゆるい子になってきてるだろこれ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.mu/harukazechan/n/n4e6ac466c807
cia62872 天下のナベプロが「お前炎上発言以外に使い道無かったわ、クビなwww」って言うわけないしね。15歳って小生意気なガキで済む年齢じゃないし、女優としてはほぼ無価値だし、不良債権化する前に切られたってとこかなあ。
bulbulbulbulrunbul これもお母さんが書いているんですか?
toronei この子がチバレイ化するぞという俺の予想正しかったやろ。むしろnoteのブラックホール化のほうがすげえな。
Domino-R ある種の人たちを見てると、この無駄な能力やエネルギーを何とか電力に変換できないかな、とふと思っちゃうことがあるけど、noteってそういう発想が根本にあるんだろうなと思う。
azumi_s ノートて知らないうちにゴミ捨て場になっちゃったのね。悲惨な末路だ。/名前を書いてはいけない人はかなり初期から炎上芸人枠でしたが…
これね、共同通信だけの問題じゃないけど、そういうことだよね。ミスインフォメーション・キャンペーン。
[B! 上川陽子] 【内部文書入手】上川陽子「うまずして」切り取り報道の共同通信「全くひるむ必要は無い」差し替え経緯も判明
共同だけの問題じゃないというのは、共同通信に乗せられたとしても、各社一斉に
「出産を願ってもできない人への配慮に欠けるとの指摘」で揃ったこと。いかにも日本的な乗せられ方だ。
これは欧米でミスインフォメーション・キャンペーンと呼ばれるもので、誤報による世論誘導だ。
ミスインフォメーション・キャンペーンとは、世論や有権者の行動に影響を与える目的で、意図的に虚偽の情報や誤解を招くような情報を流すことを指す。こうしたキャンペーンは、民主的プロセスに対する信頼を損ない、地域社会を分極化させる可能性がある。誤情報は、ソーシャルメディア、マスメディア、口コミなど、さまざまなチャネルを通じて拡散される。フェイクニュースを作成したり共有したり、事実を操作したり、問題を誇張したりして、有権者の間に疑念や混乱を生じさせるような戦術がとられる。
その目的は、選挙結果を左右したり、政敵の信用を失墜させたりすることだが、ひいては選挙制度に対する国民の信頼を低下を招くため、このようなキャンペーンは、選挙結果に対する有権者の信頼や民主主義全体の健全性に影響を及ぼす可能性がある。
これがいかにヤバいことかのメディア自身の自覚のなさが、世界報道自由度ランキング70位という結果にも反映しているんだよ。
今回の場合、完全に誤報を流したというより、もともと解釈に幅がある、どちらにとられてもおかしくない表現だったことが特徴だ。
それは、女性たるもの出産すべし、と解釈できる、そういう解釈しか思いつかない人が一定数いる、というのは、この記事がでてもなお、上川発言に非があるとするブコメが少なくないことでわかる。
上川氏が女性の役割に対して固定観念を持っている、という指摘はありうると思う。ただ、最初からそういう指摘をする報道だったら、ここまで炎上しなかったのではないか。
しかし、これが炎上したのは、実際の各社の報道が「出産を願ってもできない人への配慮に欠けるとの指摘」だったからだと私はみる。
ジェンダーロールの偏見の指摘と弱者への配慮欠如の指摘は必ずしも同一のこととはいえない。
今回のメディアの場合、不妊で悩む女性を主に念頭に置いたのかしらないが、そういう方々が可哀そうだと、感情的な正義に訴えたわけだ。
上川氏の潜在的な差別意識を指摘するのとちがって、この訴え方は、「出産を願ってもできない人」というデカ主語を据えるものだ。
出産困難者というのは、もやっとしたイメージだ。人それぞれ「出産を願ってもできない人」のイメージが違う。
子育て環境の制度的な脆弱さを思い浮かべるひともいるだろうし、家族親族からのプレッシャーとして理解するひともいるだろう。
女性の出産の役割に自己実現の価値を見出している人もそうでない人も含めて、かなり多くの人が感情的共感の網にかかってしまう。
つまり、上川叩きの味方を増やす効果があって、上川氏からすれば、保守からも批判されうるし、フェミからも批判されうるという状況に置かれてしまったことになる。
今回の誤報キャンペーンでは、感情的共感をより広く、網を張り、特定のターゲット層に的を絞らない戦略が功を奏し、同町圧力の強い傾向のある日本で、あとに続くメディアを一斉に吊り上げ、ばっちりと効いてしまったというわけだ。
「出産を願ってもできない人」への配慮、という形で大衆の感情を煽ったのが今回のミスインフォメーションキャンペーンだったといえるだろう。
問題は、これが選挙に影響を与えかねない、ということを報道機関が自覚しているかどうか。
それに対して「全くひるむ必要は無い」というのが、共同通信のスタンスなのね。確信犯であることがよくわかった。
とはいえ、共同通信だけでなく各社報道機関は、「出産を願ってもできない人」への配慮を犬笛として使いたかったのかもしれないが、その副作用についてはやっぱり少しは考えてもらいたい。
「出産を願ってもできない人」への配慮を訴えたつもりでいても、出産を願ってもできない人々を一つのカテゴリーとして固定化することで、そのグループが常に特別な配慮を必要とする、社会的に弱い立場にあることが強調され、固定観念が強化されることもありうる。
これって女性の弱さ傷つきやすさについての別の意味の偏見が強化されるってことでもある。
社会的に弱い立場であるとの認識が広まれば広まるほど、社会的に敏感なトピックになり(タブー化)、それついて話す際に、他者の感情や意見を過剰に気にすることになる。これにより、人々は自分の発言を自己検閲し、無意識のうちに自らの意見を抑制するようになる。
「兵隊さんご苦労さん」みたいな、何気ない表現が大衆を戦争に巻き込むプロパガンダとして一番効果があるのと似た話で、こんな配慮や遠慮、忖度の積み重ねで、誰かが傷つくのを恐れて何もいえない社会にどんどんなってしまう。
これに対して、いやいやむしろ、偏見解消は積極的にキャンペーンをやるべきだ、女性に対する偏見が解消されて、社会全体としてハラスメントが減るならそれは結構な話じゃないか、といわれるかもしれない。
しかし、実際のところ、偏見というのは、配慮すればなくなるというものでもない。
強さや傷つきやすさの男女差というのは、いってみれば偏見なんだけど、悟りを開けば自分の偏見を解消できるわけでもないし、
言論警察よろしく配慮に欠ける発言をバッシングすれば解消できるわけでもない(公言しないようにすることは可能だとしても)。
近代の黎明期に、イギリスから隣国で起きているフランス革命で、反革命派が断罪されている様をみたエンモンドバークは、
なんでも理性的に判断できる、偏見を解消できると考えちゃう傾向はヤバいと考えた。
偏見なんてなくならないんだから偏見をなくそうという発想をやめて、偏見を生かそうという考えを進めた。
それが保守の出発点なんだけど、世の中が保守一辺倒というのもそれはそれでどうしようもない社会だ。伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとだっている。
さすがに、公平性については、制度が、最低ラインとして補助線というか設計図を引かないと、いつまでも伝統的な価値とか懐古的になっててもしょうがないだろう。
ということでまあ、ジェンダー問題は、極力、制度としての公平性、機会としての公平性という観点に限定して話をするように注意しておくのがいいってことかな。
もちろん、制度機会平等を理性的に討議したとしても偏見がなくなるわけじゃない。
偏見はなくならないけど、制度の普及・概念の進歩に伴い、ひとの意識は変わっていくだろうと期待する。それだけでよく、それ以上のことはあえてしないほうがいい。
ひとはすべて進歩した価値観にもとづいて幸福を追求しなければならない、みたいなのは押しつけがましい左翼の傲慢だからだ。
「伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとがいる」一方で、伝統的な価値観で自己実現をしたいひとだっているんだよ。
進歩的な価値観に基づいて偏見を解消しようすると、社会のどこかで肩身の狭い思いをする人が出てくる。
「世の中はいつも変わっていくから頑固者だけが悲しい思いをする」(中島みゆき、世情)というわけだ。
私から言わせると、そういう進歩史観を押し付けようとするところがもっともサヨクのムカつくところなんだよ。
かつて反戦フォークの全盛期、学生運動が最高潮を迎えていた時期、中川五郎の「主婦のブルース」のなかにこんな歌詞がある。
息子は今夜も帰らない 私は心配で眠れない
だけど私は家庭が一番 真面目に生きるのには疲れたわ
おお 人生は悩みよ ちっとも楽しくない 恋なんてしない間にふけちゃった
わびしい夢に はかない楽しみ 思い通りには何もならない
安保世代では親ですら論破すべき守旧派だった。しかし、学生運動は結局、どの社会階層とも連帯できずにスピンアウトしてゆく。1968年に作られたこの歌はそれを暗示しているかのようだ。一方、中島みゆきの「世情(1978)」は、この10年後の70年代の世界がうたわれたもの。ひとつ前の安保世代の情熱が新左翼へと変遷、空回りしてゆくさまを見せつけられたシラケ世代からみると、左翼残党はあたかも守旧派とさして変わらない頑固さでイデオロギー打破を訴えている、という皮肉な構図になる。
今回の場合でも、産みたくても産めない人が可哀そうだなどと感情的正義で持論を補強すると、そうした表現のタブー視が蔓延し、出産に自己実現を見出している人まで遠慮しなければならない、という空気をつくるかもしれないし、他方で、女性の傷つきやすさを過度に強調することで、女性が弱い存在であるという潜在的な差別意識が助長されるおそれだってある、みたいな妙な副作用が現れる。
かつて、なだいなだが、ケシカラニズムといって、理性的な正義と感情的な正義を区別し、自分のことでもないくせに感情的な共感によって主語がでかくなるのが感情的な正義の特徴だとした。そのことで人々がプロパガンダに流されやすくなる、という趣旨のことをどこかで書いていたのをひさしぶりに思い出した。
たまにはケシカラニズムに陥っていないか自己点検でもするか。フェミニストさんも自分の偏見を認めたほうがいい思うんだよね。
制度的に不幸になっている者は救済する、しかし、偏見ある社会のなかで生きている者の幸せや自己実現は否定しない、という具合のバランスがちょうどいい。
男性社会にあって嫁として母として子供を育ててきた誇りある人生を否定するのがフェミではないと思うし。
そういう意味じゃ、左翼は保守主義のマインドも頭の片隅に入れておく必要があるし、保守派も制度的な公正について左翼の主張に耳を傾ける必要がある、といったところか。
上川外相の発言「うまずして何が女性か」だけど、メディアの取り上げ方がヘンだという、当たり前のことを、
生みの苦しみという比喩として昔から成立している表現を、まさしくそのような用法で発言しているにもかかわらず、マスコミは一体なんなんだ。
候補の当選によって新たな知事を誕生させたいとの思いがあったとみられるが、出産を願ってもできない人への配慮に欠けるとの指摘が出る可能性がある。
一連の報道で、とても気になったのは「XXへのへの配慮に欠けるとの指摘が出る可能性」という表現。
こうして、「出産を願ってもできない人」というグループを示唆することで、それらが何かしら傷つきやすいメンタルを持っているという、配慮を要する人々としてイメージを固定してゆくのがとても気になる。これは発言の曲解よりも根が深い。(補記:なかなか伝わりにくいかもしれないが、以下で提起している問題は、<ある表現がいかに配慮に欠けるか欠けないか>ではなく、<ある表現が配慮に欠ける>というふわっとした規範的な圧力が、社会的包摂性とか社会経済的な脆弱性の分析を置き去りにして、主に政治的に利用されることの問題点だ)
実際には、出産を願ってもできない人々というのは多様だ。みんないろんな事情があるんだよ。
単に適齢期を過ぎているだけとか、仕事と両立したいなどの理由で機会を逸している、とか、あるいはそもそもパートナーに出会えないなど、
要するに、ないものねだりをしている場合だってある。経済的な問題で躓いているひともいるはずだ。
じゃあ、逆に「出産を願ってもできない人」というカテゴリーにはそういう社会経済的弱者は入りませんよ、というのかね?
体や心の障害に起因して、ある意味、病理的な意味で、出産ができない人を指すのだと定義したりしてしまう?
そうすると、今度はむしろ、健常ならできるはずのことができない人々は悔しいと思っているに違いない、かわいそうだから、産むとかそんな言葉に触れさせないよう配慮が必要っていう、潜在意識がますます透けてくる。
でも心身の問題で出産できないというのを、自分にはいかんとしもしがたい宿命的なものして捉えた場合、
それって社会経済的な理由で出産できない場合と実際のところ、地続きだと思える。
例えば、親の介護など家庭の事情で適齢期を逃した人がいたとするよね。それってその人にとっては、自分の意思で選んだわけではなく、自分にはどうにもできなかった、そういう運命だったという意味では、病理的に出産できないという宿命とさほど変わらないようにも思うんだよね。
「出産を願ってもできない人」
産みの苦しみとかいう表現を嫌がるような、そういう配慮を要するグループがあたかも存在するかのように、それを空気のように記事するマスコミのほうが怖い。
障害者や病人ができなそうなことを比喩的にでも表現するのは彼らを傷つける行為だとする空気をまん延させることは、「そういうカテゴリーの人たちを可哀そうだと思うべきだ」とする社会規範を空気として押し付けてくることだ。
そこでは、知らず知らずに、どこまでが可哀そうなグループで、どこまでが身から出たさびとみなすグループなのかの選別が空気として形成される。
実際には、よくよく考えると、どこからどこまでが配慮を要する、などと到底割り切れるものではない。誰かを傷つけるかもしれない、と配慮することはそのイメージから漏れた人を知らず知らずに排除することでもある。その意味で、病理的な意味で出産ができない人に限定して、「出産を願ってもできない人」というイメージを作り上げるなら、それは差別的ですらある。その場の雰囲気で、発言の文脈をよく考えずに配慮を求めることで、逆に、特定のグループを過度に保護し、そのグループを弱者として固定化する結果を招きかねない。
抽選結果で「落選」はやめます 都立中高説明会、表現めぐる指摘受け:朝日新聞デジタル
これなんかも、「受験生」の感受性因子(susceptibility)を過剰に捉えていて、おかしなことになっている。
「出産を願ってもできない人」なんていうふわっとしたイメージは、そもそもそんなに必要かね?
言論空間を浄化して、きれいな発言だけをすればいいというものではない。
浄化できるというのも幻想でしかなく、「女性なら生むべきだ」という固定観念を打破し社会的包摂性に配慮したつもりでいて、内実は単にステロタイプな別の固定観念が形成され、それが政治利用されることもある、ということも頭に入れておく必要があるだろう。
政治家の発言に過度な配慮が求められると、知らず知らずに本来の意図や文脈が歪められる恐れがある。
特に選挙に絡んだ発言については、妙な世論誘導に使われかねない。
自由な表現が妨げられることで、社会全体の健全な議論が損なわれることになる、ということの不利益をちゃんとマスメディアは理解しておくべきだ。
本当のことを言う奴がマスメディアに出られるわけないだろ
日本ではなかなか見られない、本質をついているまともな意見ばかりで参考になる。
共同親権を先に導入してきた彼らを見習って日本も後に続いていこう!
/r/japan/comments/1c591sx/japan_lower_house_oks_bill_to_allow_joint_custody/
C0rvette
これは非常に嬉しいことだが、私はインスタグラムのコメントで、それに反対する日本人女性たちと命がけで戦っていた。男には何の権利もないし、子供を育てる能力もない、というのが定説になっているので、とても憂慮しています。
Previous_Refuse8139
C0rvette
そのほとんどは、暴言と身体的虐待に関する同じような投げやりなコメントが中心だった。
私は、裁判所はそれを考慮するだろうし、虐待する女性もいろいろなタイプがいる、と反論した。
さらに、その人が良い親であれば、とにかく離婚はしないというキックバックもあった。
すべてのナンセンス
Tsukiyo_Hitori
CDPが家庭内虐待を懸念して法案に規定を設けた後も、彼らは法案に大反対し、ツイッターなどのSNSで大騒ぎしていた。その時点では、子どものことではなく、男性に対するある種の「仕返し」が目的だったのだ。日本に蔓延している社会問題やジェンダー問題(特に女性)は理解しているが、このような話題は取り上げるべきものではなかった。
C0rvette
MktoJapan
C0rvette
EvenElk4437
tokyoevenings
なぜ反対なのか?
EvenElk4437
単純な党派性。これもあると思う。今、自民党の支持率が下がっているので、ここで大きなムーブメントを起こしたいという思いがある。
少し前までは多くの人が賛成していたが、今は反対する左翼が多い。
liatris4405
というのも、男女の性役割分担について、日本と海外では認識のギャップがあるからだ。海外の人は、日本は男尊女卑の国だと認識していますが、実際は男女の性的役割分担が非常に強い国だというのが正しい認識だと思います。性役割分担が強いと聞くと、外国の人は「女性は家庭に閉じこもってお金がない」と認識する。しかし、実際はそうではない。
日本の女性は社会生活において一定の権力を有している。その一例が、この親権に関するものだ。日本では、母親は子供に対して非常に強い親権を持っているが、男性は基本的にそのような権限を持っていない。そのため、女性が夫を気に入らない場合、子供を連れ去り(実質的には誘拐)、自分が親権を得ることができる。これは、たとえ子どもを連れ去られたとしても、母親が親権を得る確率が非常に高いからである。
その結果、日本人女性が外国人男性と結婚して子供をもうけた場合、その外国人男性と不和になれば、子供を引き取るという選択をする可能性がある。男性が外国人女性と結婚して子供を連れ去ることはあり得るが、これは非常にまれなケースである。
日本のフェミニズムは、このような女性の強い力を維持するために、さまざまな場で活動している。政治の場でもマスメディアでも活躍している。そしてフェミニズムは左翼政党と強く結託している。典型的な例は、日本キリスト教婦人矯風会(https://kyofukai.jp/)という組織で、日本共産党と強い結びつきがある。
その結果、左翼(あるいはフェミニスト)の日本人は、母親である日本人女性の権力維持に寄与しない政治活動に反対したり、あまり支持しなかったりする。
Elvaanaomori
最近、妻とその話をしているんだ。ここ3~4週間、彼女はインスタグラムやツイッターでアンチグループに溢れかえっている。
「共同親権から子供たちを守ろう」と、他国ではどうなのかというフェイクニュースを流す母親たち。
「フランスでは13歳の少女が父親から性的虐待を受けている blablabla」とんでもない、こんなことが起こるはずがない。
子供たちが両方の両親と良好な関係を持つことを妨げてはいけない。もし夫婦を保てないのであれば、それは子供たちではなくあなたの責任だ。
MyStateIsHotShit
夫が酔いつぶれるまで待ち、DVを警察に通報し、離婚を申請し、(大半の場合)子どもを手元に残すことができる。
父親は養育費の支払いに追われ、うつ病になり(文字通り、腹黒女に子供を引き離されたのだから)、悲しみに暮れる。
そして、男性にとっての純粋な悲しみは、弁護士軍団を雇い、私立探偵を雇って合法的に元彼をストーキングし、何百万ドルもの資金を投じて数年にわたる訴訟を闘わせ、子どもを引き留めることができる超富裕層によってしか防げないということだけは、もっと笑止千万である。
さらに悪いことに、男性が子供を手元に残すための他の農民レベルの富を得る方法は、元妻が臨床的に精神異常で動揺しており、裁判官が親権を与えてくれるよう祈ることだ。
ReindeerPlayful8797
興味深いことに、日本のフェミニストたちは、妻が家にいて夫が外で働くという日本の伝統に由来する考えにもかかわらず、単独親権は「女性の権利」の一部だと信じている。また、女性の権利という点では欧米が進んでいると漠然と信じているため、欧米人の(白人)ボーイフレンドや夫には、欧米から見れば超保守的な「フェミニスト」的態度をさらに示す傾向がある。外人の夫が一人で稼いだ家計をすべて管理しようとするのは典型的な例だ。
Just_Cruising_1
待てよ。日本人男性は以前、自分の子供の親権を持てなかったのか?なんてことだ。不公平だ。法律が変わるのは素晴らしいことだ。
そりゃあ驚くよね!
いまさらやっと導入して、しかもそれに反対してる勢力がいるんだって?
法律が変わるのは素晴らしいことだ!!
例えば、
英語版ウィキペディアには各国の人口10万人あたりの強姦発生率が掲載されているが
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Rape_statistics
2005
India🇮🇳…0.35
Japan🇯🇵…1.6
2010
India🇮🇳…0.45
Japan🇯🇵…1.0
暗数がって言ったら、女性差別の激しい日本の方が女性の声をあげにくいから暗数は当然多いし
(男女平等ランキングでは、インドは108位、日本は110位)
一体なんでインドにレイプや強姦大国ってイメージがついたんだ?
珍しいことが起きたら、ニュースバリューが高いのでマスメディアが報道しやすい、結果的にそう言ったことが多く起きてるように感じるってやつなんかなあ
(例えば少年犯罪が珍しいから、少年犯罪のニュースを流してたら少年犯罪が多くなってるように感じてしまいやすい
「日本人が犬を噛んでもニュースにならないが、犬が日本人を噛んだらニュースになる」っていうやつ)
インドでは強姦事件が珍しいので、インドで強姦事件が起きるとニュースになりやすく、インド=強姦大国って日本人が考えるようになったのかなあって思うわ