はてなキーワード: ビジネス書とは
アメリカも実は「結婚して1人前なんです」って話でちょっと議論が起きてる。
異常独身中年達が幅を効かせて「二次元とオナホで十分」「BLと吸引バイブで十分」などと結婚や恋愛を単なるセックスの手段としか思ってないヴァージン共が持論をぶちまけられるのはネットの中ぐらいのものである。
両親が結婚してセックスしてそれから生まれたのに、自分は結婚もせず子供も作らないままで人生を終えることを異常としない社会なんてあるのか?
自由の国アメリカから渡ってきたビジネス書に並ぶ「挑戦」「勇気」「革命」「脱皮」といった言葉達が、彼らの中にも前例踏襲主義が根付いていることを裏付けている。
やはり存在しないのだと思う。人の股から生まれておきながら、自分は股から誰も産み落とすことなく消える異常な一生を送る異常者に理解を示す社会なんて。
「20代のうちにこれ読んどけ」とか「本を読んでない俺が薦める本」とか、そんなの見てたら俺も本紹介したくなったからするわ。
1999年に埼玉県で発生した桶川ストーカー殺人事件を追った週刊誌記者のルポルタージュ。事件が事件だけにこういう言い方は不適切かもしれないが本当にとんでもなく面白い。こんな酷いことができる人間が本当に存在するのか、警察はここまで人間の命を軽んじるのか、マスコミは面白おかしく報道できれば事実なんてどうでもいいのか……、とにかく最初から最後までずっと衝撃を受けっぱなし。この世界の見え方がぐわんぐわんと歪み、最終的に気持ち悪くなってくるほどの恐怖や憤りを覚えた。また、文庫版あとがきにも言葉を失った。打ちのめされる読書体験がしたい人は読むべき。
「人間って生き方下手すぎるだろ、ちょっと動物見習ってみろよ」みたいな本。半分漫画、半分解説文で猛烈に読みやすいから気軽に何度も読み返すうちに大好きになっていた。゛「生存戦略」がテーマのビジネス書”と紹介されているが、バリバリのビジネスマンから完全なる無職まで、老若男女誰もが普遍的に楽しめて勇気づけられる内容になっているのがすごい。
世の中なんてクソくらえ、と思っている人にはこれを読んでほしい。世の中には「世の中なんてクソくらえ」と思っている人が割と大勢いて、その中でも哲学者中島義道はかなりクソくらえパワーが強い人間。中島が嫌いなのは「常に感謝の気持ちをわすれない人」や「自分の仕事に誇りを持っている人」、「けじめを大切にする人」など。普通だったら良いこととされる考え方の中にある欺瞞や建前を丁寧にあぶりだしてすさまじく罵倒する。「わが人生に悔いはないと思っている人」に対して「ああ、そう思いたければそう思いなさい!そう思って、さっさと死んでいくがいい!」とブチギレまくっている。中学生の頃にこの本を読んで価値観を根底からひっくり返されるような衝撃をうけた。
はいきました、直木賞作品。小説には゛奇妙な味”という、まあ今ではほとんど死語になりつつあるジャンル?があって、阿刀田高はその名手。なんとも後味の苦いブラックユーモア満載の短編が13話入っているのだけれど、文章とオチのキレがすごい。ありふれた日常風景から導入して途中に「おや?」と思い、その違和感がいつの間にかとんでもない事態になっている。やっぱり短編小説は読みやすいよね。作品世界に慣れて没入し始めた時に終わってしまうので物足りないこともあるけれど、これはどの作品も大体最後は破局的な結末でスパっと終わるので読後感が爽やか。
めっちゃふざけたタイトルだが、中身はめっちゃ理系!マジで想像以上に理系。文系の私にはさっぱりわかりませんし、もはや何が書いてあったのかすら全然覚えておりません!しかし何というか、宇宙人と出会った時に恥をかかないためにはどういう教養を身に着けどんな会話をすればよいのか、その会話の先に何が待ち受けているのか。そんな考えたこともないようなシチュエーションを解説してくれる宇宙会話ハウツー本として不思議な魅力がある。講談社ブルーバックスという自然科学、科学技術系の新書シリーズの中の一冊。
光文社古典新訳文庫。その名の通り『カラマーゾフの兄弟』とか『方丈記』とか古今東西の古典的名著を、今生きている言葉でとても読みやすく出版してる神シリーズがあり、その中から出会った一冊。一言でいえば若い男女が愛の炎に燃えて駆け落ちする話、なのだがとにかくエネルギーがすさまじい。ああ、お互いのことが好きで好きで堪らないけどとにかく金がないから親から金借ります、その金使っちゃったので友人騙して金借ります、だめだ金足りないから詐欺します、どうやら彼女が浮気してるぞこのビッチめ、ごめんやっぱり愛してるよチュッチュ♡、そうこうしてるうちにまた金なくなったから人殺します……、最初から最後までやりたい放題でものすごい疾走感、最高に面白い。驚くのはこれが300年前の小説だということ。
小学生の頃図書館で読んで不思議な気持ちになった漫画。猫と人間が同じことをしゃべる世界で、性格が終わってるデブ猫ヒデヨシとその友達のテンプラやパンツたちの日常の話。最近久しぶりに読み返しているがヤバい、毎回最後のコマで泣きそうになる。降る雪の上を歩ける靴を履いて「ほんとうに・・・粉雪は冬の散歩身だね」って……(´;ω;`)。別に感動的な話ってわけでは全くないんだけれど美しくて。余韻って言葉はこの漫画のためにあるんじゃないのかってくらい、毎話余韻がすごすぎる。
無人島に一冊だけ持っていくとしたらこの本を選ぶ。40年近く前の本だが、この本はそれだけ長い間日本全国津々浦々、大都会の本屋で、片田舎の図書館で、おじいちゃんちの本棚で、様々な人にひっそりとけれど強烈に衝撃を与えてきた名著。「ものぐさ精神分析が本当に面白くて」みたいな話を、全く別々の3人から聞いたことがある。日本人について、歴史について、性について、すさまじい筆力でぐいぐいと独自の理論が展開されていく気持ちよさ。今読み直してもその理論が社会にピタッと当てはまってしまうような鋭さ。今後もずっと読み続ける一冊。
読んでおくだけでいい。中身は覚えている必要はない。読んでおくことで「読んだことがある」と言える。それが大事。
内容について思い出したくなったらググればいくらでも出てくる。でもググって知ったのと読んだことがあるのは違う。何故なら「読んだことがある」と言えるようになるから。
読んだことがあるビジネス書の数や傾向でマウント取ってくるアホに対して全方位に万能に最低ラインを超えていると思わせたいならひとまずこの2冊が高コスパ。ビジネス書マウントで人を値踏みするような連中からの評価を簡単に稼げてオススメ。
「じゃあこれも読んだほうが良いよ!」と言われたときは「今、資格の勉強してて時間なくってえ……」「ポケモンの名前覚えて子供と話合わせなきゃいけなってえ……」とか言っとけば読まずに済むよ。この2つさえ読んでおけばね。
純文学的な何かっぽい何かを読んだことがあるかどうかでマウント取ってくるアホに対して同じように高コスパで好感度稼げる2冊。
漫画や映画で元ネタになることも多いし、内容的にも簡潔に面白いところが纏まっているので大体誰でも楽しめる。
「「それから」も読めよ」とか言われたら、「どんな話なんすか~~~」と聞いて、途中途中に「つまり高学歴ニートなんすねー」「でも気持ちはわかるな―」「現代にも通じますねー」を挟んでいけば勝手に相手が全部ネタバレするから最後に「なんかもう内容分かっちゃったから、忘れた頃にでも読みますわ~~~自分の頭で感動したいんで~~~」で〆れば逃げれるよ。
別に動画でもいいけど、とりあえずこれで数を水増ししておけば良い。物語の基本的な類型を一通り味わってないと大人になってから「叙述トリックまじですげぇ!読んだことがない奴は人生損してる!」みたいな最悪のハシカにかかって周囲からドン引きされるので。
漫画や映画でも一通りは味わえるけど、一通りの原液に触れておく方が予防接種として確実性が高いので。
しょーじきクッソつまらんけど一度読んでおいた方がいい。別に漫画でも映画でもいいけど、適当な邦訳で原本をササっと読み終えちゃう方が結果的に楽だと思う。
如何に宗教が滅茶苦茶言ってるかに触れておくことで、カルトにはまりにくくなるし「神様は超えられない試練は与えないんだよ」みたいなアホすぎることを抜かす輩にもなりにくくなる。
宗教的な何かを神格化してしまうのは、まともに触れたことがない証拠みたいな所あるから、マジで少しでいいから触れておいてアホクサを味わったほうがいいよ。
知るべきでない社会について超スピードで勉強するために読むべき。
ギャンブル・借金・薬物・風俗・極端に頭の悪い友達との関わり方について考察するための材料になる。
特に家庭科の教科書は生活習慣病予防における基礎知識が一通り網羅されているのでその辺だけでも読むべき。
高校3年の内容まで来ると大学への入門編みたいになってくるけど、高校1年ぐらいまでのは本当に覚えておかないと色々な所で躓くので、自信がないなら一通り読みなおした方がいい。
俺はもう20年読み直してないから世界史とかかなり曖昧になってきてるけど、読み直すのは面倒くさいから放置してるせいで世界情勢とか見ててもイマイチ頭に入らんことがあって困ってる。
もしくは、信という名の下僕のガキが気合と根性と拳でトップを目指すヤンキーマンガ。
キングダムファンはたくさんいるそうだ。けど正直この作品は俺にはキツい。
5シーズン途中まで全部観たけど、やっぱりキツかった。
何がキツいって、あの半沢直樹とか下町ロケットみたいな浪花節なノリが。
やりがい搾取、気合と根性の強要、私怨で動く上司、顧みられない無数のヒラたち。
あと作中で「あいつは見込みが」とか「あいつの将の器は」とか「あいつの成長力は」とか人事評価みたいなセリフが頻繁に出てくる。
なんかこういうのも疲れる。いつも自分が評価に晒されてるようなあのめんどくさい空気感。
氷河期の俺は、古参でありながら実力も付かず大して出世もしない尾平あたりに感情移入する。
横山三国志とかそういうキツさをまったく感じずに面白く観れるんだけど。
キングダムに文句を言うつもりはない。血沸き肉躍るストーリーだし普通に面白い。
けど「キングダムはビジネス書だ」とか言ってる連中には苦言を呈しておきたい。
バカじゃねえの。
キングダム好きな経営者がいる会社は100パーセントブラック企業だ。
こういう経営者がキングダムから学ぶのは「いかに部下をこき使って自分が成り上がるか」ということだ。
ただの労働者である俺はこういうブラック上司に飛信隊で最初に突っ込まされる歩兵よろしく潰されるだろう。
「お前がいちばんキングダムをビジネス書として意識してんじゃん」と言われるだろう。その通り。
ググったか、つべ動画だったか、とにかくどこかで見ちゃったんだよなあ、「キングダムはビジネス書だ」って。
それを見ちゃったのを今激しく後悔してる。
物凄く前向きに言うなら、「自分なりの文体を確立することに成功しすぎてしまっている」という状態に陥ってる。
自分流のパターンをこれ以上成長させられない壁に閉じ込められているような感覚。
何をどう書こうとしても同じようになってしまう。
ふと自分の書いた増田を「ブクマつきまってくんじゃん~~~」と読み直しているときに、ふと気づいてしまったわけだな。
「俺どれ書いても何書いても大体同じような文章じゃね?」ってことに。
まず軽口っぽい言い回しと「」の多様が特徴としてあるようなのでこれを封印すればいいのだろうが、そうすると急に文章力が下がるらしい。
小学生が書いたような極めて簡素でカタコト的な言い回しばかりになる。
そもそもの原因は俺のインプットがインターネットの軽口文化中心だからであり、これを解決したいならある程度硬い文章を読みまくれば良いわけだが、現代にはそういう文章が不足している。
ビジネス書だろうが学習書だろうが、「こういう新設がマチャチューチェッチュで証明されたっぽいのを知っていますか?」「猫さんありがとう!これなら僕にも出来そうだよ。とお猿さんは言いました」みたいなのばっかじゃねーかよぉおぉぉぉぉ。
当然のように小説なんて基本的には口語調でもうなんか地の文は登場人物の独白も同然の状態がスタンダードじゃねえか?
論文でさえもなんかちょっと語りかけてくるような言い方するじゃん?
俺は、文語調が、読みてえ!って主張してんだよ!
ビジネス書に出てくる「期待」は
彼らの言う「期待」とは、ある種命を預けるような、他者の振る舞いを自身の人格の拠り所にするくらいの勢いと重さを持っているもののようだ。
「怒らない人は他人に期待していないだけ」ということはビジネス書とかでよく言われるけど、この「期待」というのがそれなんだと思う。
などということはなく、普通に任せた仕事に対して結果を期待する、の期待だと思うよ
お前のは思い込み
俺は理解できないんだけど、どうも普通の人(?)は他人に対してものすごく「期待」するものらしい。
彼らの言う「期待」とは、ある種命を預けるような、他者の振る舞いを自身の人格の拠り所にするくらいの勢いと重さを持っているもののようだ。
「怒らない人は他人に期待していないだけ」ということはビジネス書とかでよく言われるけど、この「期待」というのがそれなんだと思う。
他者が期待に沿ってくれるかどうかで命が左右されるくらいの重さで寄りかかるので、それが裏切られた際には耐えられない苦痛を覚えるのだろう。
そういう期待を他人に対してするタイプの普通の人々にとっては、他人に「期待」をしないということは極めて冷徹で非人間的な振る舞いに見えるらしい。
だから「怒らない人は他人に期待していないだけ」という言い方になる。「期待しない人間」として冷酷なサイコパスのような人格をイメージしているのだ。
俺みたいな人間はそもそもそういう重さで他人に依存するという発想自体がないので、
「期待しない」と意識したり冷酷に切り捨てると意識したりすることなく最初から自然に期待していない。「期待する」という回路が無いんだよね。
村上春樹が海外で売れるまでの経緯は彼の職業観や執筆スタイルについて書かれたエッセイ「職業としての小説家」についてよく書かれている。
ちなみにこのエッセイはビジネス書としての評価が高く、文学や村上作品に全く興味のない人でもまあまあ面白く読めると思う。
それによると、バブル期の日本(「金が余ってるので予算無制限で適当に旅行エッセイでも書いてくれませんか?」と出版社から言われたり、どこへ行っても「いくら稼いだか」と金の話しかされない)に嫌気がさし、一時期アイルランドやスコットランドなど当時の日本人があまり訪れていないスポットに逃げて執筆活動をしていたらしい。その中で講談社のアメリカオフィスに訪れるようになり、アメリカの作家と同様自ら翻訳者やエージェントを探して出版するようになったらしい。
最初はイマイチだった反応が何かの権威ある文学雑誌で評価されて以来注目されるようになり、一気に人気になったというよりは徐々に火がついていったとのこと。