はてなキーワード: シンクロとは
小学校のころの俺の放課後は、ほとんどオナニーのためにあった。
中年になった今の劣等感や支配欲で濁った性欲ではなく、まぶしいほど純粋な性欲に漲っていた。
わくわくするような好奇心に突き動かされて、俺は早熟の天才としてオナニーの深みを探求していた。
正しいオナニーなど知らない俺は、本能でそれを会得しようとしていた。さながら芋虫が誰に教わることもなく蛹になるように。
オナニーの道具で想像するような激しい振動をするものではなく、何かのおまけでもらったようなちゃちな振動をするだけの白いプラスチック製のマッサージ器だ。
マッサージ器と出会う前は、床に擦りつけるだけのオナニー原始人だった俺は、このマッサージ器を手に入れたことで飛躍的な進歩を遂げた。
スイッチをオンにしたマッサージ器をチンコの付け根に押し当て、そのまま寝そべる。
括約筋と床にかける体重を調整しながらそれが来るのを待つ。
おかずはもちろん、貧相なものだ。その当時親がとっていた新聞に載っていた少しエッチな広告をこっそり切り抜き、集めていた。
重力をまだ知らない想像力が導く世界を、俺はもう忘れてしまった。
この世には存在しない何かを見て、触って、嗅いでいた。
その世界とチンコの付け根の振動がシンクロすると、やがて、来る。
最初は恐ろしかった。身体が自分の意思とは関係なく動き、必死に抗うと目の前が真っ白になる。
頭を血が駆け巡っているのが分かる。
チンコを中心として下半身に感覚がない、そう思った次の瞬間、自分が強烈な快感の台風の目の中にいたことを思い知る。
奥歯を強くかみしめても声が漏れる。言葉にならない声がどんどんあふれてくる。
どれくらい時間が経ったかわからないが、立ち上がろうとしても足が痙攣していて上手く歩けない。
このオナニーに俺は耽溺していた。
だが、やがて小学校高学年になり、精通を経験すると、次第にそれは訪れなくなっていった。
暫くたってからもあの感覚をもう一度味わうためにいろいろなものを試したが、すべては徒労に終わった。
懐かしさと好奇心から触ってみると、なるほど、これはかなり強力な振動だ。
もうここ数年はすっかり諦めていた、あの感覚を取り戻すためのチャレンジをもう一度してみたくなった。
だが、この振動の強さ、大丈夫だろうか。よくわからないが俺の前立腺的なものは耐えられるのか。
EVに乗るとなぜバナナが食べたくなるのか、それは一つのミステリーだ。
静かで、しかもスムーズな乗り心地のEVは、どこか未来的な雰囲気を漂わせている。
そんな中で、プラスチックの香りと新車の匂いが混ざり合い、不思議とバナナの甘い香りを思い出させるんだ。
それに、EVを運転していると、エコな気分になるからか、自然と体に優しいものを求める心理が働くのかもしれない。
だから、EVに乗っていると無意識のうちにバナナを欲するんだろう。
EVの静かな走りと、黄色いバナナは、なんとなく未来的なビジョンを結びつける色だ。
それに、バナナは曲がっている。
EVの曲線的なデザインと、バナナの曲線は、どこかシンクロしているような気がする。
まるで、バナナがEVの曲線をなぞるように、手に取りたくなるのかもしれない。
そんな時、手軽に食べられるバナナは、最高のスナックになるんだ。
友達とEVでドライブに出かけた時、バナナはシェアしやすい食べ物だ。
だから、バナナはEVに乗る時の、コミュニケーションツールにもなるんだ。
EVに乗るときの静けさと、バナナのリラックス効果は、ドライブをより快適なものにする。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、自然なことなのかもしれない。
子供の頃、おやつにバナナを食べた記憶は、多くの人にとって懐かしいものだ。
EVの新しい体験と、バナナの懐かしい記憶は、不思議と心地よい組み合わせを生み出すんだ。
EVのユニークなデザインと、バナナのユニークな形は、どこかでマッチしているような気がする。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、デザインの親和性からくるのかもしれない。
それに、バナナは安い。
バナナはコストパフォーマンスが高く、EVの効率的なイメージに合っている。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、経済的な理由からかもしれない。
EVを運転すると、世界中どこでも行けるような自由な気分になる。
バナナは世界共通のスナックで、EVのグローバルなイメージにぴったりだ。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、世界観の拡がりを感じるからかもしれない。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、シンプルな美学からくるのかもしれない。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、健康への意識の高さからかもしれない。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、多様性を求める心理からかもしれない。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、全世代に共通する楽しさからかもしれない。
EVのアクセシビリティと、バナナの入手の容易さは、利便性で結ばれている。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、手軽さからくるのかもしれない。
EVの静かなパワーと、バナナのエネルギー補給は、ドライブをサポートする。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、エネルギーのシナジーからかもしれない。
それに、バナナは気分を明るくする。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、ポジティブな気持ちからかもしれない。
バナナはインスタ映えするし、EVのスタイリッシュなイメージと合う。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、SNS映えを意識すると当然だ。
そんな時、バナナを一本かじることで、ほんの少しの冒険を味わえるんだ。
「なぜバナナなの?」という疑問から、新しい会話が生まれることもある。
突然のバナナの皮で、ドライブ中の友達を驚かせることもできる。
EVの静かな室内で、バナナを食べるリズムは、まるで音楽のようだ。
バナナの皮で作るアートは、ドライブの思い出に残る一品になる。
「バナナは曲がっているけど、宇宙は曲がっているのか?」という深い問いかけをすることもできる。
EVでのドライブ中に、バナナを使ったゲームで盛り上がることもある。
バナナを半分こして食べることで、友達との絆を深めることができる。
EVでの旅にバナナを持っていくことで、何か新しいことが始まる予感がする。
バナナをゆっくり味わいながら、EVでの時間の流れを感じることができる。
バナナの味をじっくりと感じながら、自分自身について考える時間を持てる。
「なぜバナナがこんなにも多様なのか?」という疑問を解き明かす手がかりになる。
子供の頃に食べたバナナの味を思い出しながら、過去を振り返ることができる。
EVの快適な座席に座り、バナナを食べながら、現実から少し離れることができる。
バナナの形や色を見ながら、新しいアイデアを思いつくこともある。
バナナのシンプルな味わいから、人生の小さな幸せを見つけることができる。
バナナを分け合うことで、友達との小さないざこざを解決することができる。
バナナを食べていると、同じくバナナ好きな人と話が弾むこともある。
バナナを持っていると、なぜか安心してEVでのドライブができる。
バナナを食べながら、EVでのドライブを通じて、自然の美しさを感じることができる。
バナナの存在を通じて、生命の不思議や宇宙の広がりに思いを馳せることができる。
それに、バナナは時には新しい自分を発見するきっかけにもなる。
バナナを食べることで、新しい趣味や興味を見つけることができる。
バナナの一本一本が、EVでのドライブのように、人生の一歩一歩を表している。
バナナを食べながら、異なる国のバナナの食べ方を学ぶことができる。
バナナの持ち方や食べ方で、自分の個性を表現することができる。
バナナを食べることで、EVでの新しい旅に踏み出す勇気が湧く。
それに、バナナは時には人とのコミュニケーションを円滑にする。
バナナを食べることで、日常のルーチンから抜け出すきっかけになる。
それに、バナナは時には新しい自分を見つける旅にもなる。EVでのドライブは、日常からの小さな逃避行だ。バナナを片手に、新しい景色を眺めながら、自分でも知らなかった一面を発見するかもしれない。それに、バナナは時には心の栄養にもなる。EVの静かなエンジン音をBGMに、バナナの甘さが心に染み渡る。それに、バナナは時には冗談のネタにもなる。友達との会話の中で、「バナナは曲がっているけど、お前の道筋はどうなんだ?」なんて笑いを誘うこともできる。それに、バナナは時には旅の仲間にもなる。一人でのドライブが寂しい時、助手席に置いたバナナが、なんだか慰めてくれるような気がする。それに、バナナは時には思い出のアルバムにもなる。旅先で食べたバナナの味が、その場所の記憶とともに蘇る。それに、バナナは時には未来の夢を語る相手にもなる。EVでの静かな夜道を走りながら、バナナに向かって「いつかこうやって宇宙を旅するんだ」と夢を語る。それに、バナナは時には過去の懐かしい味にもなる。子供の頃に食べたバナナの味が、EVの新しいテクノロジーと融合して、新旧のハーモニーを奏でる。それに、バナナは時には自分を励ます言葉にもなる。ちょっとした失敗をした時、バナナを一口かじりながら「まあ、次があるさ」と自分を励ます。それに、バナナは時には旅のリズムを作る。EVの滑らかな加速と、バナナを食べるリズムが、まるでジャズのようにシンクロする。それに、バナナは時には新しい出発を告げるサインにもなる。バナナを食べ終わった瞬間、新しい何かが始まる予感がする。それに、バナナは時には自然との対話を促す。バナナの木が育つ熱帯の風を感じながら、EVでのドライブが自然との調和を教えてくれる。それに、バナナは時には人生の小さな発見をもたらす。バナナの中に隠れた種を見つけた時のように、EVでのドライブ中にも、予期せぬ発見がある。それに、バナナは時には新しい挑戦の象徴にもなる。バナナを食べながら、「次はどんなことに挑戦しようか」と考える。それに、バナナは時には人生の楽園を思い描くキャンバスにもなる。バナナのトロピカルな味が、EVでのドライブを南国のビーチへと連れて行ってくれる。それに、バナナは時には心のオアシスにもなる。疲れた時、バナナを食べることで、心にひと時の安らぎをもたらす。それに、バナナは時には新しい自分を受け入れる勇気をくれる。バナナの柔らかさが、変化を受け入れる柔軟性を教えてくれる。それに、バナナは時には人生の旅路における休息の時を与える。EVでの長いドライブの途中、バナナを食べることで、ほっと一息つける。それに、バナナは時には新しい友達を作るきっかけにもなる。公園でバナナを食べていると、同じくバナナを楽しむ人と友達になれるかもしれない。それに、バナナは時には人生のサプライズを運んでくる。バナナを食べていると、思いがけない幸せが訪れることもある。それに、バナナは時には新しい発見を促す探検家にもなる。バナナの味を追求することで、未知の食文化に足を踏み入れることができる。それに、バナナは時には人生の航海図を描く羅針盤にもなる。バナナを食べながら、EVでの次の目的地を決める。それに、バナナは時には心の平和を守る盾にもなる。バナナの甘さが、日々のストレスから心を守ってくれる。それに、バナナは時には新しい自分を育てる土壌にもなる。バナナを食べることで、新しい趣味や興味が芽生える。それに、バナナは時には人生の喜びを分かち合うための道具にもなる。バナナを人と共有することで、共感や喜びを感じることができる。それに、バナナは時には新しい冒険の始まりを告げる。EVでのドライブが終わり、バナナの最後の一口を食べると、次の冒険が待っているような気がする。それに、バナナは時には人生の旅路における忠実なコンパニオンにもなる。バナナと共に過ごす時間は、EVでのドライブをより豊かなものにしてくれる。それに、バナナは時には新しい自分を発見する旅の始まりにもなる。バナナを食べながら、EVでのドライブが新しい自分を見つける旅になる。それに、バナナは時には人生の旅路における快適な休憩所にもなる。バナナを食べることで、EVでの長いドライブの疲れを癒すことができる。それに、バナナは時には新しい自分を発見する旅の終わりにもなる。バナナの最後の一口を食べた時、EVでのドライブが終わり、新しい自分との出会いが待っている。それに、バナナは時には人生の旅路における楽しい仲間にもなる。バナナを食べながら、EVでのドライブが楽しい冒険になる。それに、バナナは時には新しい自分を
まず、ツーオンアイスが打ち切られた。
その頃、ウィッチウォッチでは「ニコが幼稚園のおゆうぎ会に向けて側転をする話」をやっていた。
ウィッチウォッチの方の物語はまあネタバレにならないように言うと、モイちゃんがガッツポーズを決めるシーンを通して俺はスポーツモノの面白さを強く感じていた。
スポーツモノの面白さは、成長や挑戦を祝福されることにあるのだと。
ツーオンアイスはペアの絆は描けてたし、観客から応援や称賛される光景は描いていた。
でも、氷上にいない誰かが成功を祝福する姿を果たして描けていたのかという疑問がある。
祝福なんだ。
仲間たちは称賛はしてくれたけど、それは同じスポーツで凄い結果を出した奴への尊敬であって、目の前に起きた成功を軌跡とさえ捉えて目を輝かせるようなものではなかったのではないか?
氷上にいた二人はお互いを称え合っていたし、シンクロする自分たちに奇跡を感じていただろう。
当事者という壁を超えて伝わる強烈なエネルギーを読者へと届けるにはその表現では足りないんだ。
SLAM DUNKを傑作たらしめる屋台骨とも言われる「今年の山王はいいぞ」おじさんのような存在が足りてないんだ。
見るものに感動を与える何かがあることを読者の元に届けるための中継地点となってくれるキャラクターが必要だったんだよ。
ツーオンアイスは感動を二人の間で閉じ込めることで強いエネルギーを生み出そうという意思があったのかも知れないが、結局それは読者には届かなかったんだ。
近くて遠い場所で、その姿を見守り祝福し、本人たちよりも強い気持ちで、本人たちとは違うベクトルで感動してくれる誰かが必要だったんじゃないのかな?
ツーだけじゃ駄目なんだ。
が4/5に公開されて急いでチケットを取った
チケットはクラブイベントなので普通に取れたが宿取ろうと思ったらもう1万超えシーズンになってた
都内でイベントやるとなったら3ヶ月前ぐらいに言ってくれると宿が安く取れるんだけどな・・・
金持ちな海外客がめっちゃいるからカプセルホテルに日本人集まって上野はほとんど取れないorカプセルにしては高いになってる
池袋も取れなくなった
ラブホは基本2人で止まるから1.5万円ぐらいで泊まれるけど1人だとちと高いのと1.5万だすなら中華街とか町田あたりで泊まるかになってきてる
父に厳しく躾けられ、「酒を飲む女はみっともない、新人歓迎会でもお前は酒を断りなさい」と言われその通りにして
酒のむわタバコ吸うわの同僚女を「女の人なのにあんなに飲むなんて・・・」とドン引きし、
イケメン社員も「お前飲み過ぎ、◯◯さんを見習いなよ」などと言うのだが
はじめて読んだ時は主人公にシンクロしてビッチ臭い方を選ぶとかおい~と思ったものだが
大人になってから読むと、飲み会でガンガン飲んで盛り上げる女の方がそりゃ面白いし、
当たり前の注意されただけでビクビク傷ついて半泣きになる主人公は職場にいたらめんどくさいし
「君の出すお茶いつもぬるすぎw」と言われただけで「でも煎茶は70度で煎れなきゃって…」と半泣きになる主人公に
「気にすんなってw文句言うならおっさんが自分で煎れればいいのよwお茶くみなんかあたしいつも適当よw」
と言う酒女は優しいいい奴だったのだと気づく
あとイケメンは、確かにイケメンだし仕事もできるようだが、「俺は大卒だぞ」「俺は男らしいぞ」みたいなマウントを随所でやってて性格に若干難ありだ(当時は大卒が稀少な時代)
万が一主人公がイケメンをGETできたところで、びくびくおどおどしてイケメンの難を増大させモラハラ夫に育て上げてしまうだろう
酒女は主人公のびくびくも、イケメンのマウントも上手いことくるんで場を和やかにする働きを見せているので、彼女ならイケメンの舵を取れそうだ
語られる教訓はアイドルに限らず、普遍的な、いまの自分と未来の自分をどう捉えるかという内容である。
プリンセスプリキュアの「プリンセス」があえて曖昧な概念で、子どもが持つそれぞれの夢や目標と重ねやすいようにしているのと同じだと考えるとわかりやすいかもしれない(わかりにくい)
ともかく、アイカツ!にどういう教えがあるかというと、
未来の自分が振り返ったときに、自慢できるような過去の自分でいよう。だから、今を精一杯生きよう。
この一貫性が見事で、初期EDのカレンダーガールの歌詞から、10年後を描いた劇場版まで全くブレない。
それがぶっ刺さってしまって、人生が大きく変わった。きっとそういう人は他にもいると思う。
卒業も決まり、暇になって夕方テレビをつけるとアイカツ!というアニメがやっていた。
第121話「未来に約束!」だった。ちなみに、アイカツおじさんはサブタイトルではなく話数で言うことが多い。
留学生が帰るタイミングの話のようだった。自分から見る自分と他人から見る自分の折り合いをつけるような話だった。
1話見た瞬間ピンと来た。これはすごいアニメなんじゃないかと。人生で最も正しい判断であった。
はてなー一同ご存知の通り、ほとんどなにもしないのと同義のような仕事をしていた。
もちろん定時で帰れていたので、1話からアイカツを追いかけた。
仕事にも慣れてきたころ、125話に到達した。(アイカツおじさんはサブタイトルではなく話数で言うことが多い)
125話は初代主人公のいちごから、2代目主人公のあかりに、話のバトンを完全に渡すという話だった。
そして、ライブパートでの、Good morning my dream。。。
(簡単に説明すると、私がもっている大切な「夢」、私のことを選んでくれてありがとう。きっと叶えるからね。という歌)
そしてそして、OPがLovely Party Collectionに変わった。
(簡単に説明すると、今日の自分にリボンをかけて(未来の自分にとっての)宝物にしよう。という歌)
これが決定打となった。
あの時の自分、あの時の毎日、振り返ったら宝物にできるだろうか。
できないと思った。
こうして会社をやめて、違う道に進むことにした。
具体的には、博士課程に進学した。
3代目主人公も登場し、トークショーなどイベントも盛り上がり、まだまだアイカツ!は終わらない。
そう思っていたら、翌年突然アイカツ!は終わった。
しかし、アイカツ!を全話視聴した者にとっては、この別れが新たな始まりであると立ち直ることができる。
アイカツ!がなくても、アイカツ!を好きになった自分が、アイカツ!のことを考える自分がある限り、その自分を拠り所にして立つことができるのである。
仏教でいう自灯明法灯明の教えだと思えばわかりやすいかもしれない(わかりにくい)
こうして、アイカツ!のない期間も、未来の自分に恥じないように毎日をがんばって過ごしてきた。
アイカツ!の展開としては、新シリーズの次のシリーズの次のシリーズまでやったあと、
アイカツオンパレードという、まあPIXARの映画のEDで流れるNG集みたいな感じのファンサービスがあった。
ただ、アイカツ!の本質というべき思想はどれにもなかったかな。
アイカツ10周年ということで、突然完全新作の劇場版が製作された。
それも、同窓会的映画ではなく、完全にTV版が終わった直後からそのまま続くストーリーである。
しかも、新シリーズを経るごとに変わっていったキャラクターデザインや3DCGのクセもガラッと戻し、
「あのときからのアイカツの10年」を完全に捉えた映画であった。
アバンでのいちごの「ただいま!」から始まり、終盤での観客への語りかけ。
「アイカツがなくても、アイカツを好きな自分を信じて」と考えていたのが、自分の暴走的妄想ではなかったと、今までの期間のがんばりが正しかったんだと認められたようで、本当に嬉しかった。
これからまたアイカツ!のない世界が続いても、振り返れば、がんばってきた過去の自分がいるじゃないかと、送り出されるような映画だった。
こうして、突然打ち切りにあったようなTVシリーズも7年越しに卒業式を迎えることができ、我々もアイカツ!から卒業したのである。
アイカツ!で進んだ博士課程、そこから続くアカデミアの道。(簡単に言うと、ポスドクから大学教授まで進むルート)
あるいは、企業に進むAcadexitの道。(Brexitのようにアカデミー+EXITを組み合わせた造語)
アイカツ!がなかったら今の自分はなかっただろうなと本気で思う。
ギターキッズなら一度は練習するであろう RacerX の technical difficulties のポールギルバートのリードギターをめちゃくちゃ練習した末に、おそらくミスが目立たないレベルでは弾けるようになって3年位経つんだけど、オリジナルを1音ずつ分解しながら改めて向き合う試みをしたらなんかスイープがまったくできなくなった。Animals as leaders の CAFO は弾けたりするので技術が急になくなったとかではないと思う。
んで、明日買い物いかなくちゃなーとか考え事しながら休憩がてら適当にピロピロやってると今まで通り普通に弾けたりして、よっしゃと思っていざ練習を始めるとやっぱり詰まる。なんだか運指とピッキングがうまくシンクロしなくてうおーーとなる。
元々どういうルールで走ってるのかIGPXなみに意味不明な漫画だったのがいよいよ凄いことになってきてる。
そこに情緒不安定通り越したポキ泉、バカすぎてヤバイ鏑木、ティータイムしすぎの手嶋、様々なしょーもなが組み合わさりもう漫画の方向性が完全に迷子。
キン肉マンII世を彷彿とさせるほどのグダグダっぷりが酷すぎて本当に面白い。
ラッキーで勝ち取った王者を実力だと認めさせるための戦いの中、超絶グッダグダを見せながらもギリギリで食らいついていくという展開が、まさにこの漫画の2年生編そのもの。
そんな所シンクロしなくていいからwwwwwって思いながら読み出すと凄い楽しい。
普通に期待してよんだらクソすぎてキレてたと思う。
ほんまなんなんこの漫画。
子宮をぞうきん絞りされる中
ビチグソと鮮血を何度も何度もトイペで拭き上げ
蒸され擦られヒリつくケツにため息をついたこともないくせに
女の生理に何かを言うな
合わない机、届かない棚、手が痛くなるキーボード
エレベーターでの1%の神経
残業帰りの夜道
少なくとも労働させていただくということは
お前は「熱があるので休みます」に何℃か確かめないと気が済まないのか
賢しらにお前の薄っぺらな定規を当てて
誰かのしんどいを計ろうとするな
ましてや家に住めない災いの只中にある人の、
「ナプキンがほしいです」に、一体、何を言うんだ
十代のある日突然パンツに鮮血がついて
もう自由に走り回る日々は終わったと知って
下腹部と地面が鎖で繋がれて
たくさんのポケットを持てるくせに
ぐったりとした眠気 血が足りないまま薬を探す朝
「ああ今日か」を知らないくせに
惨いニュースにあと何度心を折らなければならない
痛みをくれてやりたいよお前の気が済むように
無関心をくれ
それは配慮じゃないんだとあと何度
無関心をくれ
一抹でも怒りを覚えた、おまえ
大丈夫です。もういいです
大丈夫です。諦めて下さい
そっと安心だけをくれる人もいた
無遠慮の盾となり守ってくれる人もいた
痴漢を捕まえてくれてありがとうと泣きながら何度頭を下げても名乗らなかったあの人
一人一人をずっと覚えている
もうとっくに、お前は違うってだけなんで
大丈夫です。消えてください
だからどうか見ないでくれ
近付かないでくれ
関心を持たないでくれ
陳列しないでくれ
女は脱げない
人間でいたい
女へ言いたいことは、一つだけ
JAL2機の機長はいずれも、管制官から「離陸がある」(we have departure)と伝えられていたが、1機が滑走路に突っ込んだ
国交省は管制官との会話資料の和訳版において、管制官が海保に指示した「ナンバーワン」(No. 1)の言葉を削除し、SNSで「海保機長が誤ったようだ」をばらまき、警察まで出動させた(プランB'1)
しかし外国人記者クラブから英語原文会話資料がリークし、海保機が「ナンバーワン」と言われていたことがバレた
「誤侵入防止表示に気づかなかった管制官が悪い」ということにし(目の前のモニターに出るのに気づいていなかったわけがない)、管制官は「離着陸兼用の異常な滑走路運用」を告発(プランB'2)
そして、「ナンバーワン」の言葉を、空港ではひとまず使用禁止する方向(これは釣りだ。いつから使用していたのか分からない)
管制官が言った「we have departure」の言葉はもう離陸していて、空中に浮かんでる
・最高!と最低!が混在してた
・マイナスのとこ→結局仲間最高!ものかよ! 部下への転職先電話にに上司が対応するのはちょっと…
理解を深めていくっていうのは新鮮だった
仕上がりのクオリティも上がってくるっていうのは
・しかし今の時代に「編集部に持ち込んで〜」は前時代すぎんか…?
いやでも部長はバズとかじゃなくて「当時」できなかった「持ち込み」を
経験値とか加齢による考え方の変化とかによる齟齬は発生せんのか…?と思ったけど
・一段づつ上の立場の人に各部下がタイムループ鳩わからせするとことか
お局、何かあると思っていたが…!のとこの流れの引き込み力すごかった
ひたすらこいつ敵!だったけどそいつも所詮ピラミッドの中間層よ…感の
・憧れの仕事人、実際会ってみないと感じ取れない「嫌さ」の
醸し方が良かった 咳するのは勝手だけど一言なんか言えや!の感じとか
会うと「あっ…」ってなる生身で会ったからこそ気付いてしまう嫌さ
・後輩2人のコンビ感良かった