はてなキーワード: コンタクトとは
標準体型、非喫煙者
お付き合い経験なし
申し受け:約150(お相手年齢:26歳~38歳)
お見合い数:11回(申し込み6、申し受け5、お相手年齢:30歳~34歳?)
仮交際受け数:9回(成立3)
仮交際申し込み数:4回(成立3)
仮交際成立数:3回(途中終了3)
仮交際中お断り申し込み数:1回(相談所から仮交際を勧められたが合わなかった)
仮交際中お断り申し受け数:2回(生理的に無理と思った、婚活疲れて退会するから)
トラバひとつもつかないと思ってたものに反応いっぱいもらえて驚き!嬉しい!
自分用のまとめじゃなくて、人が読む用に覚えている限りちょっと編集しました。
蛇足も書く。なるべく役に立つ情報が書きたいが、自分語りにはなりがちだし長い。
寂しいのと、異性のパートナーと暮らしながら徒歩圏内で生活を楽しみたかった。
あと、Tさんのブログ読んで結婚するなら相談所なのでは?婚活するなら早いほうがいいのでは?と踊らされていた。
ただ、取れる選択肢の中で相談所での結婚がベターかな、と思ってはじめたんだけど間違ってた。
あと相談所は、設計として心身の負荷がすごい高くて、とりあえず会ってみるってのはマチアプに比べて難しいと思った。
一人とお付き合いできるのは最長6ヶ月だし、高負荷で短期決戦という、とてもしんどい仕様。
自分はプロフィールもしっかり見て、自分とタイプが合うか確認してた。
会ったら話合うだろうなーとか弾むだろうなー、って人は大体アクティブすぎる感じ。
落ち着いてる、聞き上手、真面目みたいな喋るのが苦手そうな内容だけの人も避ければ良かったかなあとは今思う。
相談所の人に「今は若い人も子なし希望が増えてきて、実は結構いる」と言われて、子無し希望の方もっといるもんだと思ってた。
どっちでもいいみたいな女性はそこそこいたかな。なかにははっきりと子無し希望の方も紛れているらしい。
入会しなくても1ヶ月1万とかでお相手検索システムだけお試しできる相談所もあるから、迷ってる人はそれを進める。
で、「この人とこの人、申し込んだらお見合いできると思いますか?」とかを相談所に聞いてみるといいかも。
相談所婚活という場が特殊なのと、相談所にいる人たちが特殊なのかも。
男性はほぼ全員「受け身じゃない女性がいい」と言い、「受け身の女性ばっかだ」とも言うと聞いた。
女性には「受け身をやめろ」「積極性のある女性が勝つ」的なことが言われるそうな。
そもそも相談所は男性の売り手市場で、男性の負荷が明らかに高い設計になってて、お互い初対面から歩み寄っていくことが必要で、でも一人とお付き合いできるのは最長6ヶ月で、いくらでもプロフィールを元に話題や話の展開を考えて準備ができて、プロフィールにインドア系の趣味があったら簡単に触れてみたりとかもできるのに、受け身になる女性とは・・なんだろうなあ。
社内恋愛は否定派だけど、そもそも年下も年上も基本既婚者。あとはラブラブ彼氏持ち。
応援はしてくれてる。
自分みたいに高望みだったり条件を求める人にしては、回数はすごく少ないと思う。
ただ、成婚した人のお見合い回数の中央値は8とかだった気がする。
結婚していく人の多くは、それほど相手に求めない人なのかもなあ、とかは思う。
他にも蛙化グセとか色々あったけど、努力でなんとかしてきた感じではある。
だからお見合いでも喋れるし、相手に楽しんでもらおうと頑張ってお相手からの受けもいいけど、頑張ってはいるからすごい疲れはする。
コンタクトですら「健康で文化的な最低限度の生活」の対象にならないと言うのに…。
渋谷区で生まれて、大学の時に4年間だけ地方都市に住んでたけど、
ひい爺ちゃんの代から東京なので、まあ江戸っ子と言っても遜色ないかなと思う。
やたらと敵視してる人がいて、東京育ちの人間からするとマジで意味がわからない。
恵まれてると言われれば、そうだと思うけど、それは地方だっていい所あるんじゃないの?知らないけど。
んで、本当に東京で生まれ育った人間について、書いてある文章少ないなと思ったので、ちょっと実情を書いてみる。
・オタク仲間がたくさんできる
思春期が90年代〜2000年代くらいだったのだけど、明らかにオタク系の友達が沢山いた。
新宿の西スポのヴァンパイアハンターの大会とか出て、梅原にボコボコにされたり、
秋葉のイエサブでMtGの中古カード買い漁ったり、国府田マリ子のラジオの公開収録行ったりと、
コミケに初めて参加したのも16の時で、中学校の時の同級生の女子がレッツ&ゴーのコスプレしてたのに出会ったりしてた。
押切先生のハイスコアガールの世界観はかなりリアルで(可愛い女の子は出てこないけど)、
ゲーセンに居た夜職の兄さんに誘われて行ったのが初めてだったと思う。
ちょうどR&B全盛期の時代で、宇多田ヒカルがAutomaticをクラブに歌いにきてたり、
ダンスバトルみたいなのもよく見に行った。
当時は無茶苦茶緩くて高校生でも、なんか適当な偽造IDとか作ってもらって、それで入ってた。
高校生男子に色々と教えたい大人達がたくさんいて、とてもみんな優しくてアットホーム。
週4〜5でクラブに行ってた時もあった。行きつけのクラブは店員も友達になったりしてたので、
自分はTCG大好き格ゲー大好きのオタク少年だったが、クラブに行くときはコンタクトに変えて
ダボっとしたKANIを着込んで、武装してた。上京したての女子大生をナンパして、
初めての彼女を作ったのもこの頃だった。
・東京のコミュニティはすぐに生まれる。そして、すぐになくなる。
東京で生まれるコミュニティは、基本的に新規参加者へ寛容である。
地縁や血縁を軸としたコミュニティではないので、基本的に同じ興味対象があれば、誰でもウエルカム。
逆に来なくなっても、別にそれはそれ。誰も追いかけてはこない。
なんなら、突然コミュニティ自体が簡単に霧散するなんてこともよくある。
とにかく、こういった人の集まりが無限に生まれて、どんどん消滅する。
自分を振り返ってみても3年くらいで周りの友達関係は一掃する。
ただそれでも、その中で特に仲の良かった人とかは、コミュニティがなくなっても
普通に友達として繋がったりしてて、それで人間関係が残っていったりする。
逆に自分と繋がってない人に対しては、全く興味を持たない。
隣が誰住んでるのかも知らないし、参加しなければ近所のコミュニティなども全く知らない。
人はたくさんいるけど認識しなければ風景と同じで、お互いにそういう感じで過ごしている。
逆説的に、人を認識しないので人との繋がりが少なくて快適なのだ。
総じて、東京の良さは何かにハマった時のコンテンツの距離が近いこと。
ポケモンセンターでバイトしたりしたこともあったけど、中の人との距離感近いのも東京の特徴だと思う。
あとは、周りが放っておいてくれる。勉強しろとか言うのは、親と学校の先生くらいで、
それ以外の大人や世間は、ほとんど自分に対して興味を持っていない。
おかげで、ファッションがどうであれ、趣味がどうであれ、自由に自分のやりたいことにハマれる。
そしてハマった先には、もっとハマってる先輩方がいて、受け入れてもらえることが多いような気がする。
自分はオタク系の趣味とクラブという趣味2つの全く異なる趣味にハマったけど、
こんなことを許容してくれたのは、東京という土地だからのように思う。
多分、美術マニアでも、ラーメンマニアでも、フィギュアマニアでも、
なんでも受け入れてくれる懐の広さが、この街の良さだ。
それスーパーフレックスにする意味ある?裁量制労働でいいじゃん
2022-11-13
コロナになって在宅ワークになったんだが、部下が6時に起きて仕事をしているログになっていて、
朝方で早起きするタイプならばそれで、好ましいんだが。とてもそうは思えないタイプ。
初めの方は在宅ワークになった時「在宅になって8:55に起きても、9:00~できるので最高ですね!」
とかいわれて絶句した(君は起きてパジャマで、朝飯食べずに仕事し始められるのかと。。)。
でもまぁどこぞの外資には、スーパーフレックスで朝5~6時から仕事して15時で上がる人はいたな
でも、mtgは当然ブッチできないので毎日ではないし、『子育てでー』『介護でー』とかはやが上がりでコンタクト取れなくなる建前は必要だったよ
三顧の礼で迎え入れた人材以外はね (三顧の礼で迎え入れた人材はコアタイムがあった頃もコアタイム無視しても何も言われなかった。人事はおこだったが)
うちの母親は体が丈夫な上、歯並びも視力も良く肌質や髪質も良いというパーフェクト人類だったが、
その娘である私は父親に似て、歯並びは良くなく肌質と髪質には悩みが多かった。さらに視力は悪く、鼻炎持ちで、生理が重かった
だがうちの母親はパーフェクト人類だったため、病院に行ってその辺のケアをするという発想がなかった
私が小学校で健康診断を受けるたびに、歯列や視力について要検査のお便りが来ていたものの、それをきっかけに病院に行ったことはついぞなかった
高校生にもなると一人で病院に行ける。保険証をくれたら一人で行けるよ、と言ったら「保険証は失くしてしまった」と返ってきた。仕方がないので市役所で再発行の手続きをした
大学生になった際に一人暮らしを始め、住民票を移した。すると手元に保険証が届くようになり、また「病院に行く」と言って嫌な顔をされることもなくなったので、自由に病院に行けるようになった
行って分かったこととして、体のメンテナンスは定期的にした方がいい。初めて行った歯科では歯石がかなり付いていると驚かれたし、大学の視力検査では左目が0.02くらいの視力しかないと言われた。耳鼻科ではハウスダストアレルギーの可能性を指摘され、婦人科では血液中の女性ホルモンがかなり少ないと言われた
歯の検診をし、コンタクトを入れ、点鼻薬や低用量ピルの処方を受けたことで、生活の質は格段に上がった
やっぱり餅は餅屋、人体についてはお医者さんに任せるのがいい
両親揃って病院が嫌いだったのは何が原因だったのかはよく分からないが、嫌な思い出でもあったのかもしれない
それでも私は体の悪いところをお医者さんに診てもらうと安心する性格で、実際に処方や生活指導によって症状が良くなった
この話を職場の先輩にしたら、「自分は逆に些細な症状ですぐ病院に連れて行かれて、毎回注射されるのが嫌だったな〜」と言っていた
このスタンスの違いは大きい。ここが子供と親で異なると結構なミスマッチになるんだなと思った
未成年の医療費は無料の自治体もあるらしい。そんな場所で生まれ育った子供が羨ましい。いや、うちは親が病院嫌いだから、無料でも行かせてもらえなかったかもしれない
なぜなら増田の祖父母、両親、兄弟、友達、付き合う人間みんなが体力おばけだからだ。
増田は子供の頃からとあるコンタクトスポーツを嗜んでおり、一時は結構良い線までいった。
母親は祖父とは違うスポーツだが元国体選手、父親も元日本代表、兄弟や親戚もそんな感じ。
自ずと付き合う友達もそんな感じ。
競技をしている時は早寝早起きだったが、引退してからは毎朝5時に起きて10キロ走って家事してちょっと資格の勉強して出社、ジムに寄って帰宅して料理して食べてから深夜営業の映画館で新作映画観てバーに寄って帰る。みたいな生活をしていた。
30代後半になって、普段とは違うコミュニティで出会った人と同居することになって驚かれた。
増田は同居する前から上記のような生活をしていることは伝えていたのだが、せいぜい週1〜2日なのかと思われていた。
夜は23時には寝て、朝も7時過ぎに起きてくる。
だけど木曜日あたりからだるい、めんどいと言っている。学生がカッコつけて言っている感じではなく、マジのトーンで言っている。
気になって職場の人に聞いてみたが普通だと言う。そして少しぼかしながら自分の生活の話をしたら「たまにだよね?」「そんなこと毎日している人は体力おばけだよ」と言われた。
やっぱり異常らしい。
あまり他人の生活に興味がなく、自分のプライベートについてもコミュニティ外の人に話す機会があまりなかったので分かってなかった。
まじで驚いたので、兄にこの話をしたらやっぱり驚いていた。兄は結婚相手もあるスポーツの実業団の選手だった人なので、一緒に聞いていた彼女も驚いていた。
こういう違いって同じような人と一緒にいると全然気付けないんだなと知った。知ることができて良かった。電車の席はガンガン人に譲ろうと思う。
なぜなら増田の祖父母、両親、兄弟、友達、付き合う人間みんなが体力おばけだからだ。
増田は子供の頃からとあるコンタクトスポーツを嗜んでおり、一時は結構良い線までいった。
母親は祖父とは違うスポーツだが元国体選手、父親も元日本代表、兄弟や親戚もそんな感じ。
自ずと付き合う友達もそんな感じ。
競技をしている時は早寝早起きだったが、引退してからは毎朝5時に起きて10キロ走って家事してちょっと資格の勉強して出社、ジムに寄って帰宅して料理して食べてから深夜営業の映画館で新作映画観てバーに寄って帰る。みたいな生活をしていた。
30代後半になって、普段とは違うコミュニティで出会った人と同居することになって驚かれた。
増田は同居する前から上記のような生活をしていることは伝えていたのだが、せいぜい週1〜2日なのかと思われていた。
夜は23時には寝て、朝も7時過ぎに起きてくる。
だけど木曜日あたりからだるい、めんどいと言っている。学生がカッコつけて言っている感じではなく、マジのトーンで言っている。
気になって職場の人に聞いてみたが普通だと言う。そして少しぼかしながら自分の生活の話をしたら「たまにだよね?」「そんなこと毎日している人は体力おばけだよ」と言われた。
やっぱり異常らしい。
あまり他人の生活に興味がなく、自分のプライベートについてもコミュニティ外の人に話す機会があまりなかったので分かってなかった。
まじで驚いたので、兄にこの話をしたらやっぱり驚いていた。兄は結婚相手もあるスポーツの実業団の選手だった人なので、一緒に聞いていた彼女も驚いていた。
こういう違いって同じような人と一緒にいると全然気付けないんだなと知った。知ることができて良かった。電車の席はガンガン人に譲ろうと思う。
どうしてアンフェはすぐ感情的になってリーガルアウトな中傷に走ったり迷惑メール送りつけ攻撃に走るの?
アンフェが最近攻撃してる相手みんな迷惑メール送りつけられてて定番化してるよね
https://twitter.com/Cristoforou/status/1780905548596019647
saebou
@Cristoforou
昨日から、たぶんプログラムを使って神奈川新聞社のコンタクトページを経由して私のアカデミックアドレスに2000通くらい迷惑メールを送る嫌がらせが発生しております。
そのチームは、はっきり言って、お話にならないくらい下手だった。もちろん技術面でもそうだし、ゲームに対する姿勢そのものがいまひとつ弱腰だった。おそらくだが、このゲームのクランマッチのデザイン自体に、プレイヤーに言い訳をさせるようなところがあるのだ。ふだんはある程度任意の動きを許されているプレイヤー達は、ユーバーチャージが貯まるタイミングでチームプレイにシフトし、まとまって動いていかなければならない。しかし、チームプレイというものには、個別のプレイヤーの動きとは異なり、実体がない。ここに自分への甘えを許す罠がひそんでいるのだ――おれのプレイが悪かったのではなく、チームとしてのまとまりが悪かったのだ、というような。
Nとの出会いと「MGE」
折しも大学に合格したばかりで浮かれていた私自身も、この甘えに参加していなかったかと問われれば、違うとは言い切れない。そんな私とともにこの悪い流れに拍車をかけていたNも、私がチームに参加しはじめたころは、手数よりも口数のほうが多い人間だった。他のメンバーに不出来なプレイを指摘されると、よくもまあそんな理屈をすぐに思いつくよなと感心するほどの切り返しで、「だって」から始まる台詞を連発した。
「だって、ソルジャーが付いてこなかったんだ。」「だって、相手がゴリ押ししてきたんだ。」「だって、おれは下手なんだ。」おそらく連日の負け続きのために、彼自身にどうしようもない負け犬根性が染みついてしまい、しかも彼はそのことを自覚できていなかったのだと思う。チーム自体にはおもしろい人間が揃っていたし、Nもまた日常会話ではとても楽しい思いをさせてくれたが、勝負事となるといかんせん悪いところが出てしまっていた。
「第一回プニ4トーナメント」が開催されるころには、すでに多種多様な戦法が開発され、そのうちのいくつかは創始者の名前を冠するほど有名なものとなっていた。たとえば「エアショ」という技術は、語感から空中にいる相手にミサイルを当てるものだと想像できると思う。しかし、たとえば高所に立っているプレイヤーの視野の狭さを逆手に取り、地上からミサイルの直撃を狙う「タンザナイト」や、攻撃を避けるために圧倒的な地形的有利をあえて捨て、さらに対戦相手の動揺を誘う「ハイペリオン」、その派生系の「疑似ハイペ」などは、あの当時の盛り上がりと、そこで活躍したプレイヤーの革新的な発明がなければ生まれなかった、奇跡的な語彙と言っていい。
「MGE」は、相撲と将棋を掛け合わせたようなゲームだった。要するに、狙ったところに駒を正確に打つために専門技術が要り、しかも持ち時間はゼロなのだ。技術、体力、精神力、集中力、持続力――思いつく限りのあらゆるゲーミングスキルが試され、しかも言い訳はできない。繰りかえすが、負けは負け、勝ちは勝ちなのだ。私たちは否応なく加熱していく舌戦とともに、ただ次の戦いに勝利することだけを望み、全身全霊をかけてこのゲームに臨んだ。
そして、いつごろからか、あれだけ言い訳ばかりしていたNが、「プニ4」での試合に限って、だんだんと自分の欠点を認めるようになっていった。あそこで高所から降りるのは悪手だった、あそこで狙いが乱れたのは集中力不足だった、もっと大胆に動くべきだった――そんな言葉が彼の口からいくつも溢れだし、その希望を象徴するかのように、彼の強さを表すポイントは天を突くような勢いで伸びていった。
そして5年が経った。先日、私はこのゲームの思い出を記すために、かつての「山本Gaming」のメンバー、Gにコンタクトを取った。彼は快く私を迎えてくれ、ボイスチャットに誘ってくれた。矢のように過ぎ去った時をほんのすこしでも埋めようと、Gと話をしているとき、仮眠から目覚めたNがボイスチャットに現れた。どう話を切り出したものか迷っていたが、私が「プニ4」という言葉を口にすると、Nの口から光に満ちた言葉がとめどなく溢れだした。彼は昔とおなじように、私のスクリーンネームを短く縮めた「ロールさん」という言い方で、私のことを呼んだ。
「ロールさん、これだけは言っとくよ。もし『プニ4』がなければ、いまのオレはないよ。オレはあそこで、勝負のおもしろさを知ったんだ。あれがなければ、おれはこんなふうに戦えていなかったよ。たとえば、いま、負けるとするじゃないか。でも、そんなことは当たり前のことなんだよ。負けるなんて当然のことなんだよ。だってオレは何百回も、何千回も、何万回もあそこで負けてきたんだ。でも、そのたびに取り返してきた。戦ってきたんだよ。いまやっているゲームだって、負けることは当然ある。でも、そんなこと、ほんとうに当たり前のことなんだよ、ロールさん。だって、オレの心は、絶対に負けないんだから。勝つために、オレたちは戦い続けることができるんだから。」