はてなキーワード: キーワードとは
中学受験の時の偏差値は70。大学受験の偏差値は49。最終学歴ニッコマ。
落ちぶれたものだろ?
だって大学受験のときでさえ毎日1時間、長くても1日で3時間ぐらいしか勉強してなかったし、中学~高校の授業中はずっとラノベ読んでたからな。
中学受験における地頭に限定すればかなり恵まれてたと思うんだよね。
図形や場合の数のパズル色が強い問題、歴史や地理のちょっと考える必要がある問題、国語における漢字や慣用句を暗記しなくても解ける問題、ぜーんぶ簡単に解けた。
国語の長文なんて先に問題文読んでキーワードメモったらあとは淡々と読んだら勝手に答は出るって感覚だったからなあ。
暗記がちょっと苦手だったけど中学受験レベルの出題範囲なら語呂合わせ覚えまくればどうとでもなった。
1日1時間ぐらい勉強すれば簡単に偏差値なんて上がるんだって思い込んだまま中学に入って、そこでも最初の2年ぐらいはなんとかなってた。
中3ぐらいから皆少しずつ勉強するようになってきたけど俺は勉強してなかった。
周りが将来のことを考えて受験勉強しなきゃって気持ちとか、あとで一気にガチれば余裕なんてことはないって気づきとか、そういうのをボンヤリ持ってる中で「ゆーてガチれば俺は余裕やし」と調子に乗ってたよ。
結果はもう言ったけど、偏差値が40代まで落ちて最後はニッコマ。
ニッコマ入ったら最初の2年間ぐらい高校の復習みたいなことしてて、全然大学の勉強始まらなかったな。
まあゆーて俺も高校の勉強ちゃんと終わってなかったからそれでもヒーヒー言ってたけどな。
理系なのに数学力が2Bを必死に解いてるぐらいのレベルだったもの。
分子の構造式見ても使われている原子が分かるだけでどういう結合してるのかとかあんま分からんしな。
理系の学士名乗っていいレベルじゃないし、マジで終わってると思う。
俺の言ってた中学も偏差値は高かったけどスーパーでカゴ盗んで自慢してるようなアホとか普通におったし、自閉症っぽいコミュ障同士が言い争いから殴り合ってるのもちょいちょい見たわ。
俺が本当の底辺を知らんと言えばそうなんやけど、たかが地元の公立中程度でそこまで致命的に治安が悪くなるとも思えん。
名前書いたら受かる底辺高校行ったらそりゃ終わってるんだろうけどな。
結局大事なのは大学入るまでにどこまで基礎学力を積めるかと、勉強することを習慣に出来るかでしょ。
まあゆーて勉強出来なくても食ってける仕事なんていくらでもあるし、年収を1000万円の桁に載せたいと思わなきゃ勉強してなくてもどうとでもなるんじゃね?
勉強できなきゃ人生どうしようもねーみたいなんは、単に自分の人生設計がバグってる理由を学歴に求めてるだけだと思うわ。
仕事は仕事と割り切って超つまんねーって言いながら働いて、家帰ったら酒のんでシコって寝て、土日は適当にソシャゲポチポチやってネットでバカと喧嘩して部屋の掃除して寝る。
これでええやろ。
これは一連のシリーズになっていて準じ公開されて今も増えているもの。
リンクに上げている紀伊國屋のページから日本語でどんなものがあるか見ることが出来るんだが。やっぱり読んでないだろ。
https://mirai.kinokuniya.co.jp/catalog/dnsa_japan
探す能力が無いから次から次に行ってくると思うので、一応載せておくと紀伊國屋の販売ページの元になってるのはここな
さらにもう面倒くさいから元の話に戻すと、こうして公開されている文書に対して、春名幹男という昔からしつこくCIAを追ってるジャーナリストが「ロッキード疑獄 角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス」という本を書いてるんだが、これも陰謀論を直接的に示唆する文書は出てこなかったで終わってるよ。
この人は無茶苦茶公文書にあたって調査してて、強烈な左派でロッキード事件についても調査しているが、その人でもこんな結論なんだよ。
ページ内検索でキーワードで「ケネディ」って出てこなかったからといって、適当に貼るのやめような。理解してからにしような。
そんで、陰謀論者にありがちだが、自分があると信じている陰謀文書が出てくるまで「隠蔽されているんだ」って言い続けるのもやめような。
知りたくなかったのに知ってしまって一週間?二週間?が過ぎた。でもまだ引っ張ってる。
半額セールやってたからいつものように推しの出演作をポチっとする流れの中で、ふとレビューのところを見た。
レビューの内容なんか関係なく買う気ではいたのだが(内容関係なく推しは常に可愛い)その時は本当に何となく見てしまった。
そこで見た幾つかの不穏な言葉。
は????
昨年に死んだ???
なんで???
そんな訳ないだろと名前で検索したらTwitterのアカウントが出てきた。が、それはどうやら移行前のものらしく新アカウントがあるらしい。
早速新アカウントを見てみたところ、直近の投稿こそないが今年の投稿はある。ほらみろやっぱりデマじゃん!!!と安心したいがどう見ても本人のアカウントには見えない。恐らく同名アカウントを第三者が取得したパターンに見える。
(なお自分は推しのSNSは見ない主義。完成された推しの作品を見たいのであって、推しと同じ空気を吸いたいわけでも同じSNSを使いたいわけでも無い)
冷静にキーワードを多少工夫して検索したところ、真相というか当時の情報が出てきた。推しが亡くなってしまったのは否定しようのない事実だった。
自分から見て推しは一言で言えば「あざとかわいい」タイプだった。自分の武器を完全に理解し一番望まれているものを出し惜しみなく提供する。メンヘラ的な雰囲気も全て計算された自己プロデュース的なものだと思っていた。しかしSNS等を通じて知る推しの姿はそうではなかったようだ。
推しの最後の言葉の中に、やっと楽になったんだと思って欲しいみたいなものがあった。生きること自体が苦痛と思う人に生を望むのは酷いことかもしれないが、それでも生きていて欲しかった。推しがいなくなるのは、つらい。
ちょっと調べたら、これは「歩合」の単位とされていて、その方面で調べれば過去の使用例がわかるらしい。小学生教育方面だと「最初は借金の利率で使われた」って説明があったけど、その初出までは書かれてなかった。まあ小学生がそこまで興味持たないだろうからしょうがないか。
正直、興味を持ったのは「分」との歴史的な前後関係なのだ。勘違いしがちだが、「1割1分」の時の「1分」は1%で0.01だが、「五分五分」のときの「五分」は50%でこれはつまり0.5,つまりこの場合の1分は0.1になる。数字の扱いが違うだろうと思ったかもしれないが、「割」はもともと十分率の単位で、十分率を単位とすればその1分は0.1で正しいのだ(このへんはWikipediaにも書いてある)。これを無理やり百分率で例えると、1.1%を「1%1分」と書くようなものだ(実際には今はこういう書き方はしない、例示として書いた)。
とはいえ、借金の利率なら最初から「分」で表してもそれほど困るような気がしない。実際前述にもあるようにことわざでは「割」使う場面少ないしね。「割」だけが先に使われていて、その大雑把な率が使いにくくなったから分をあとから付け足したのか、まえは「分」で示していたのが何らかの都合(借金は特別扱いしたいとか)で「割」を使うようになってそっちが当たり前になったのか、たぶんどっちかなのだ。
税率を割合で示すようなことは租庸調の時代からやってたみたいだから、たぶん文献は豊富にあるはずなんだが、こんな簡単なことがネット検索でわからない。調べるキーワードが足りないだけかもしれないけれど。
(追記: ついでにまとめ)
みなさん反応ありがとうございます。結果的に人力検索になってしまいましたが、もともとこれはそれを目的として投稿したものじゃなくて、自分が「ここまで調べた」のまとめとして書いたものでした。いずれ調べが捗って本当に感謝しています。
とりあえず、
ようで、「割」だけが先に使われていて、その大雑把な率が使いにくくなったから分をあとから付け足した、の予想がそこそこ近かったようだ。
調べているうちに出てきた新たな疑問としては、
あたり。このへんは今回の疑問から少し外れるので、まあそのうち。
「リファレンス使えば」。これね、時々思う。実際使ったこともある。とある地名の表記ブレを、行政機関があまり一般的じゃない方に統一した、って時に、それが単なる自治体PR(統一したほうにはそのPR要素があった)なのか、それともまあそうするだけの根拠があったのか、疑問に思って、「その地名の2つの表記の古文書での使用頻度」を調べてもらった。ちなみに結果としては30件くらい見つけてもらって、見事に半々っぽい結果だったのでまあ納得することになった。
今回は今回で調べてもらってもいいのだけど、前に頼んだ図書館にはおそらくこれ関連の古文書少ないのよ。そうすると一般書籍で記述のあるもの探してもらうことになる。それだったらネットで同じような疑問を持ってそれ調べた人の成果を探したほうが早いの。リファレンス使うとその図書館の調査には2,3週間かかることもあるのね。だったら自分で調べてたどり着けなくなってから頼んだほうがいいと思った。そうね、「分」の1/4 1/10 1/60問題についてはそのうち聞くかもしれない。
・最初は「スゲェ!!アンケに答えるだけで金もらえるの!?こんなに件数がある!!」と思ったけど誰でも答えられるようなものはやっぱりそこまで頻繁に流れてくるわけじゃない
・よくよく見たら「○○の商品を使ったことがある方」 「○○の美容外科で施術を受けたことがある方」みたいな経験を必要とされるアンケが多く自分にあてはまるものが少ない
・最初の方は勝手が分かってなくて条件をちゃんと満たせていなかったのか、承認されていない案件があって承認率が95%を下回っている。信頼度が高い人(95%以上の人)しか回答権のないアンケートからはじかれる
・承認された案件のタイトルが実績一覧に出るのが恥ずかしい。年齢や趣味などが知られてしまう。例えば「大便を漏らしたことがある方の体験談を募集します!」なんていうのに答えたらそれが表示されてしまうわけで……
・ 「このキーワードで検索したら上から何番目にどんなサイトが表示されるか教えてください」系のは件数が多くめんどくさいわりに5円とかで虚無る
・タスク以外だとゆっくり解説、ずんだもん解説の台本はやりたいしできると思うけど「継続して3日に1回納品できる人」みたいな募集が多いので締め切りを守れる保証がなく断念
実家暮らしだから親に草むしりを頼まれるとかペットが急に具合悪くなるとかあるし……単発でコンペ形式だったらいいのに
・どうせPCに貼り付かなきゃいけない+微々たる金額しかもらえないなら魂を売りインプレ稼ぎかアフィブログかファンボックスかnoteの方がいいんじゃないだろうかという気がしてくる
・スパチャみたいなのがもっと普及すればいいのに ファンボックスでサブスク契約して月額500円で支援して投稿者は毎月更新とかじゃなくて「おっ!こいつのSSええやん!50円やるわ!」 「お前のツイート役に立ったで!ほい300円!」みたいな……単発作にポッと金やるみたいな……はあ……
漫画を追いかけるにはプログラミングも勉強しないといけないみたいな考えになる。
bookliveとかで、登録されている作品を全て一括表示するとそれはそれは何十万件と出るわけだ。
一個一個ざっと見でもサムネを確認して大雑把に内容を確認する、そのなかから気になったものをジャケ読みするという方針をとるにしても、しらみ潰しにそれを行うにはネットワークやデータベースの挙動に関する知識が必要だと知る。
これはブラウザ履歴にキーワードが反映された検索結果のURLがあってそこからダイレクトにアクセスしても検索結果が表示されることからも明らかだ。
これは裏を返せば、たとえば8時丁度に検索結果1ページ目を表示してから何秒か経って一通り見てから2ページ目を表示した場合と、同じ8時丁度に最初から2ページ目を表示するのとではそのページの検索結果としての構成が微妙でも異なる可能性があることを示している。
1ページに100件漫画を表示する仕様を採用していて検索結果が2000ページだとしよう。ソートは仮に人気順だとする。まあこれはしらみ潰しするうえでは絶対選んじゃいけないソート法なんだけど。
1ページ目を表示したその瞬間に、5ページ目に表示されるようになっている漫画があったとしても、5ページ目を表示したころには1ページ目とか4ページ目に表示されるようになってるかもしれない。普通に順番に次々ページを進めていって5ページ目に到達したときにはこのことに気づかないかもしれない。以降やっとの思いで2000ページ分確認を完了しても、ついにその漫画を確認する事なくしらみ潰しできた気になってしまい得る。
二周すればいいと思うかもしれないが原理上何周しようが同じように1ページ目に表示されなくてスルーしてたら2ページ目を表示したときには1ページ目に表示順位が変わっていたりして、結局「入れ違い」になり得る。
今のような具体的な話を聞いていると「別タブに1ページ目を表示しておいてじゃあページを進めるたびに1ページ目の表示を更新する定点観測をすればいいじゃん」と浅い考えを持つ人がいるかもしれないが、こうした順位の変動は2000ページの範囲のあらゆるページとページの間で起こりうることなので、そうした考えは全く通用しないことは、少しでもアルゴリズム的な思考を駆使できれば理解できる事だと思う。
最低でも新着順じゃなければならない。新着順にした上で1ページ目を定点観測。ページ進めているときに1ページ目の表示が変動したら、プルプッシュ?式の考え方なら直前に見たページにあったいくつかのデータが今のページに追いやられていることに注意すればいい。しかしこれで果たして完璧なのか?プログラマー的センスがまだまだ足りなすぎて盲点はないか(実際いずれは自動化を検討しているのでもろプログラミング技術の学びが必要)?Code CompleteとかClean Architectureとか読まなきゃだめちゃう?みたいなことを考えてしまう。
でもいざ漫画の造詣が深い人で「こういうことを難しく考えて」プログラミング身につけたしプログラミングが役に立った漫画オタクのきょうようだなんて言ってる人聞かないし、自分が考えていることの力点ずれてるだけでもっと気楽に生きるべきって気がしてしまう。
ネットで、あるいはリアルでも、「この人は頭が良いのか悪いのかわからない」と思ったことがないだろうか?
学歴があり、高い能力があるはずなのに、何か言っていることがちぐはぐで要領を得ない。
確認すると知識はあるのに、それを日常的に活かして仕事することができない。
これまでいわゆる知性とされてきた、知能テストで図れる能力を認知能力という。
かつてはこれがいわゆる頭のよさだとされてきたが、徐々にそれだけではバランスが悪いことがわかってきた。
IQ以外の能力指標というと、EQと言うものは大分前から知られている。
これは非認知能力とも呼ばれるもので、簡単に言うと「心の強さ」だ。
どれだけ試験のできがよくても、難しい問題にトライしたり、困難な状況でも努力を継続する心の力が弱ければ、大きな成果は得られない。
しかし近年はこれらに加え「メタ認知能力」というものも重要だということが知られてきた。
メタ認知能力とはその名の通り、「認知をメタ認知する能力」だ。
「自分が何を知っているか知らないか」「相手が何を知っているか知らないか」を認知する能力だ。
この能力が低いとどうなるか?
相手の視点に立ってものを考えることができない。適切な情報交換をしたり、確認がとれない。
こういう人が仕事につくと起こる典型的な事例が、報連相ができない、他社とのやり取りで言った言わないのトラブルを起こす、等である。
考えてみれば当たり前だが、本人の知識や論理的判断力を試すだけの試験では、こういう能力は測れないのだ。
ここからは私の推測になるが、論理的に言って間違いのないことだと思う。
ネットでトラブルを起こす変な人たちというのは、往々にしてこのメタ認知能力が他に比べて著しく低い人たちである可能性が高い。
というのも、単に認知能力が低ければ、ネットというハイテクや、文章投稿あるいは動画投稿のような形で情報発信すること自体のハードルが高いだろうし、非認知能力が低ければ、炎上やトラブルを気にせずに暴れ続けることは困難なはずだからだ。
認知能力、非認知能力が十分高いのに、メタ認知能力だけが著しく低いという場合でないと、ネットのようなハイテクコミュニケーションツールを使ってトラブルを引き起こし続けるということは考えられない。
メタ認知能力こそが、現代社会の数々の問題を理解するための最重要キーワードなのだ。
冒頭、雨宮さんは、最近の政治のキーワード「リベラル」について「共産党は『リベラル』政党と呼んでいいのですか?」と質問しました。
小池氏は、現在の安倍政治は、戦後民主主義の到達のうえに立ってきた従来の自民党政治とも異なる「破壊の政治」だと指摘。「リベラル」は、安倍政治への対抗軸として、「個人の尊厳」を土台に、戦後民主主義の到達点に立って政治をつくるという文脈で語られているとし「そういう意味でのリベラルであれば、まさに共産党は、最も個人の自由、基本的人権を主張している政党」「筋金入りの『リベラル政党』です」と応じました。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2018-01-27/2018012705_01_1.html