はてなキーワード: アイデンティティとは
変更案→不快な言動をとられたことにより精神的な苦痛を被ったことに対する賠償を求めて、ジャイアン側がのび太に損害賠償請求を行う
検討事案②:スネ夫の自慢話を聞かされたのび太が悔しがってスネ夫に報復を行う
変更案→自身の行動を模倣されアイデンティティを毀損されたことに対する賠償を求めて、スネ夫側がのび太に損害賠償請求を行う
検討事案③:しずかちゃんのお風呂を覗いたのび太がお湯をぶっかけられてトホホな被害者ヅラをする
変更案→自身の裸体を性的搾取されたことに対する賠償を求めて、しずかちゃん側がのび太に損害賠償請求を行う
言ってみれば弱男のチー牛だからこうなるのか。
ひどいね令和。
ブックマークコメントという形で全世界に意見を発信しておきながら、反論されたら削除申請という形で反対意見を黙殺するなんてダサすぎねえ?
誹謗中傷された訳でもないのに。
「うえええ~ん。ドラえも~ん。ジャイアンに正論で殴られてくやし~よ~。なんとかしてよ~」
ってドラエもんに泣きつくのび太も同然じゃん。
ドラエもんの世界ならのび太は小学生だから保護者同然のロボットに泣きつくのも仕方がないけどね。
でも、いい年した大人が、
別増田だが、ワイも強制力がないと生活のリズムが作れなくて、強制で何かをしていないと頭がごちゃごちゃしちゃって負のループに入るタイプだけど、
仕事の忙しさでリズムを作ってそれに乗り続けると、ある日突然にエネルギー切れが来るから、そこは自覚的な方がええど
それから、増田みたいな仕事をしてる方が楽タイプはスキル『金と仕事に困らない』は、得ることができると思うんよ。ワイもそうだしね
ただ、金と仕事に困らなくても、強制力がないとリズムが作れなくて頭がごちゃごちゃしちゃうタイプは、何かを極めたり、高給を貰える組織のボスになるのって、なかなか難しいんよ
世の中はどんどん高齢化しているから、高給で器用貧乏がテキトーかます限界が何歳で来るのかは不明だが(とりあえず40代ではないみたい)、
なんらかの理由で、かなりお給与妥協しないといけない時も来るかもしれんのよ
その時に金を稼げるだけが自分の軸だと、学年1位だったのが俺のアイデンティティだった学歴厨みたいに、簡単に折れちゃうのよ
人の目に映る自分を見なければいけない。そうでなければ、自分というのは虚無になるから。
日常の中で、僕はいつも他人の視線を意識している。仕事場での同僚の評価、友人たちの言葉の裏にある感情、そして通りすがりの見知らぬ人々の一瞬の視線。これら全てが、自分自身を形成する一部になっているのだ。鏡に映る自分の姿だけでは不十分であり、他者の目を通して初めて自分という存在が確立される。
他者の評価に頼ることで、僕は安心感を得る。承認されることで、自分の価値を確認する。だけど、その一方で他者の期待に応えようと無理をしてしまうこともある。自分が本当に望んでいることや、自分の考えがどんどん薄れていく感覚に襲われるのだ。自分自身を見失い、他人の目に映る理想像を演じ続けることに疲弊してしまう。
社会の中で生きていく以上、他者との関係は避けられない。しかし、それに溺れてしまうと、いつの間にか自分が本当に何を感じ、何を望んでいるのかが分からなくなる。自分自身を見つめ直す時間を持つことが大切だと思う。静かな場所で、他人の目を気にせずに、自分の心の声を聞く。それが、自己を取り戻すための第一歩なのだろう。
しかし、現実はそう簡単ではない。他者の目を意識しないで生きることは難しい。人間は社会的な生き物であり、孤立することはできないからだ。結局のところ、他者の目に映る自分と、本当の自分とのバランスを保つことが求められるのだろう。
それでも、そのバランスを保つことは容易ではない。他者の期待に応え続けるうちに、自己の本質が徐々に薄れ、やがて消えてしまうかもしれない。そうしていつの間にか、自分自身というもの、アイデンティティは社会に霧散して二度と帰ってこなくなる。
ビジネス上の役職とか仕事のロールではなく、部下や上司という役柄とアイデンティティが一体化してるため、上司に言いづらいとか、仕事に関係なくてもヘコヘコしてるというか
労働者の人権を労働者自身が軽視していて、民主主義を勘違いしているアホの国なだけ
オタクって昔からずっとコレやってるんだけどさ、いい加減そういう形で自分を着飾って褒め合うのダサイから辞めたほうがいいよ。
トラペジウムみたいなニッチな作品でやってる分にはまだいいかもって気はしてたんだけどさ、アイカツやプリキュアにまで乗り込んでいって「子供向け作品の奥に宿る素晴らしい価値を見出す俺の凄さ」とかやってるキモさと比べればさ。
でも最近の褒め方は本当に気持ち悪くて、やっぱコイツらのやってることはどこで何に対してやった所でありえないぐらいダサイことなんだなと感じたわけよ。
何がどうダサイかってさ、結局のところオタクは「この作品の凄さが分かる俺」を騙りたいだけでしかないってこと。
一見すると語ってるはずの作品の良さなんてのは、本当は自分の凄さを引き出すための触媒ぐらいにしか思ってないわけよ。
よくよく見てくと「この作品のこんな所に気づく俺凄いなー」とか「こういうのが分かる俺の感受性って豊かだなー」しか言ってないわけ。
たとえば歪んだラーメンオタクはラーメンの美味さを語っているように見せて「この有益情報を広めている俺って本当に偉いな」にしか興味がなくなっていくわけだけど、トラペジウムの褒められ方は本当にそういった類のムーブばかりなんだよ。
なんでそんなになんでもかんでも自分のアイデンティティ確立のための手段へと貶められるんだろうね。
誰もが「この作品の面白さを理解し、こうして言語化してみせる俺のオタク教養の高さたるや」とナルシスってばかりいる。
ゲームを勝ち負けを通して自分の凄さを証明するための手段だと思いこんだり、アニメに対して痛いレビューを書きまくって自分の見識を自慢したりしてさ。
ちょっと変な所があるゲームをやたらとクソゲー扱いしてこき下ろして陰湿なオタク同士の中で人気物になろうとしてたこともあったな。
でも成長した今ならわかる。
ダサイんだよ。
自分という人間は凄いんだぞって必死にアピールしたいなら、自分の身一つでやるのが関の山だろ。
なんで他人が時間や情熱を注ぎ込んで作り上げたものを、赤の他人のお前がしょーもない自意識を満たすための小道具として持ち出してんだよ。
本当にダッセーよ。
そのダサさに早く気づいて欲しい。
人生の傷口が広がりすぎないうちに気づいてもらいたい。
「田舎における車とは"ラクダ"のことだ」と誰かが言ってたけど、本当にそうなんだろうなと思う。
砂漠におけるラクダのように、それを与えられることが一人前の人間の証でありアイデンティティの拠り所にもなるという話。
逆に言えば車がないと何をするにも保護者や大人の伺いを立てなければならず、自由が全くないということ。
都会だと車に対するそういう感覚はない(繰り返すがいい悪いの話ではない)。都市計画としてもいかに集積して賑わいを作り出すかという議論がされるしね。
まず前提として女性は歴史の流れとして纒足を強要されたり、男の好むように無理やり容姿を作り替えられてきたという歴史があるわけ。ここまでOK?
そのうえで、その鎖から解放されて、女性が自分自身のために容姿を磨くようになって、これは女性がファッションを自身のアイデンティティとして楽しめるようになったのに、男が自分好みにそれを捻じ曲げて元に戻そうとしてるから、キモいって言われてるんだよね。
もうほんと嫌っていうか下心みえみえのおべっかだから気持ち悪い
とか、
「さすが増田さん!聞いてよかったです〜〜✨✨」
みたいなこと言いまくる。
「前職でこういう経験あるって聞いた気がするんですけど分かりますか〜?」
とか無理やり質問してこちらに喋らせて、自語りさせて気持ちよくさせてあげた〜とでも言いたげに悦に入ってる。
無理やり趣味の話させようとするのもほんと嫌、めんどくさい
下心見え見えなんだよ
「子育てってお金かかるんですよね〜(チラチラ)、給料上がるように頑張らないとな〜(チラチラ)」
「沖縄旅行とか行きたいけどお金かかるしな〜(チラチラ)役職ついてからかな〜(チラチラ)」
すげえ疲れる
報連相を勘違いしてんのか、日報のごとく「共有です!」「報告です!」と私あれやりました!これもやりました!恐れ入ります!
みたいな感じで自分の言いたいこと、相談したいことで30分くらい電話につきあわされる。
報告だの共有だの言ってるけどこっちは「で?」でしかない話しかない。
上司として判断が必要な箇所が何も無い。もともとやる予定だったことをやっただけ。
見てて思うけど他人に自分の仕事内容を言いまくって「私は言いましたからね!みんなの耳に入れましたからね!これで何かあっても私だけの責任じゃないです!聞いてて何も言わなかったみんなも悪いんです!」みたいなアリバイ作りをしたいのが見え見え。
さすがに必要以上に他人を巻き込むな、自分の仕事に責任を持て、都合よく他人を保険に使うな、保険の先は上司たる私と私の上司だけだっていう話をしたけどたぶん効果はない。
みんなちゃんと業務を共有しないとか言って怒っている。周囲は関係ない業務の話を聞かされたり、業務カレンダー見れば済むその日のスケジュールの報告を求められて都度「スケジュールに入れてありますけど…」って言いながら返している。
そして時短でも一生懸命頑張るママの私!というアイデンティティのアピールも絶対に忘れない。
自分に都合よくするための言動行動だけ、別にそれは構わんけどもっと賢くばれないようにやれよ、下心が見え見えなんだよ。
「子ども連れてきてもいいんならフルタイムできるんですけどお〜🥺🥺」とか言い出したときはさすがに「じゃあ介護が必要な家族がいる人もご家族連れて来て仕事しながら介助ができるようにしましょうか?平均年齢40超えなので育児よりも介護に直面してる従業員のほうが多いと思いますし。どう思いますか?」って聞いたら黙った。
https://anond.hatelabo.jp/20240524180210
を読んで、タイトルのようなことを考えたよ。
女性って、親や兄弟からさえうっすら軽んじられていたり、社会でも「この話は女には難しいよね(笑」「女がいるとしたい話ができない」「チェンジ」みたいな軽差別や排除にも残念ながら慣れがある。
しかも、不本意でも身体開けば求められるって感覚を持ってる人も少なく無いから、男だけの街で男性がのびのび過ごす空想をしてても気にならないと思うんだよね。
少なくとも「私たち看護保育介護あるいは性的資源なしにやっていけると思ってるの?!」とは言わない。
だけど男性はそうではなく、事実として「俺らが維持してるインフラなしに生活を維持できるわけがない、女はわかってない」というような声が上がってきていたんだけど、これって見放される不安からきてるんだろうなと思ったの。
存在意義を「社会に必要不可欠である」「社会に貢献している」あたりで掴んでいるってことなのかなって。
しかも、男性って、最初の期待が高めな代わりに、いいところに落ち着くまでは引き算されてしまうし、その過程で自分より上に残る人もたくさん見てきてるだろうし。
だから、別に好きでもない女の空想であろうと「お前いなくてもなんとかなるわ」って言われると傷つくんだろうな。
周りからの期待の高さ、それに至らない中での自己肯定を、セックスで回復しているような事も聞くから、「女だけの街」を聞いたときにアイデンティティ崩壊しかかる人がそれなりにいるんだろうなって。
別に女がどう言ったところで、必要不可欠な存在であるこことには変わりがないのに、インセンティブが賃金の量だけだったりして、ドーパミン的な報酬が薄すぎるせいだよね。