はてなキーワード: ことなとは
つまり、自称スーパークレイジー君であり、crazy trainであり、just a little crazyなのである
でも、北米には「2000人の狂人」が住む村があるらしいし、問題ないのである
怖い話だけど、そもそも相対的に多産が楽なのと、弱かったら結局生き残れないから、ってのが組み合わさってできることな気がする。弱くても人権を保障しなきゃいけない世界では実現しようがない気が。
それは客観的に見てとてもいいライブだったのだが、何故か本人のパフォーマンスに物足りなさを感じてしまった
なぜそうなったかというと、2月のテイラーの来日ライブがめちゃくちゃ素晴らしく、当時の熱狂が頭にこびりついちゃってたから
テイラーは筋肉質だが女性的で美しい体、ダンスも一挙一動まで気を抜かず、笑顔がずっとめちゃくちゃ美しかわいくてディズニープリンセスみたいだった
対して推しはもちろん可愛いが、動作が美しくない、真顔が多いなどの細かい部分がどうしても気になってしまった
本当に、匿名であろうとも書いてはいけないことなんだろうけど、
アイドルの枠組みを同じ土俵の「アーティスト」に含めるのであれば、世のアイドルたちは、テイラーの完全劣化版だと思ってしまった
アーティストでなく「アイドル」という枠組みに入るのであれば、劣ったパフォーマンスでも絶賛できたんだけど…
完全に自分のエゴでしかないが、言ってしまえばテイラーも作詞作曲もダンスもできるアイドルみたいなもんで、なのになぜこんなにもパフォーマンスの差があるんだろうと思ってしまう
テイラーも作詞センスはずば抜けてるが作曲センスは努力型の平凡より上のタイプ(そこを音楽プロデューサー等がカバーする)なので、アイドルにも十分真似できると思うんだけど…
子どもが欲しいかもしれない状況なんだけど、自分の中でほんとに子どもを生んでも良いものか、みたいな整合性?が取れなくて、
実際に産んだ人はどのように考えて子どもを産もう!育てよう!となったのかが知りたいです。
私は記憶を遡れば保育園の頃すでに見た目のことでからかわれ、学生時代は常に容姿をきっかけにいじりやいじめを受けてきました。たしかに客観的に見てブスと言われるポジションです。
自分の容姿に自信がなく、自分の容姿によって辛い思いばかりしてきたので、この容姿を引き継がせてしまう可能性が高いことが申し訳なさすぎて子どもを産むという選択を取れずにいます。
もちろん絶対に私に似るとは限らないですし、自分の容姿を受け入れて楽しく過ごしてくれるかもしれません。でもそれは「かもしれない」の話です。
そういう微々たる可能性に賭けて私の「子どもが欲しい」欲を満たすのはあまりにも子どもに申し訳がないです。
結婚の次のステップとか、私が充実した人生を歩むために子供の命や人生を利用しているのでは?と思ってしまいます。
夫はどうしても子ども欲しいわけでもないし、何より私の健康やキャリアにも影響することなので私が納得するならどちらでも良いと言ってくれています。
自分が納得していないもの(私の場合は容姿や容姿を嘲笑する社会のあり様)を、自分にとって大切な存在となる子どもに押し付けてしまう、ということが自分の中でどうしても許せず、この気持ちを抱えたまま子どもを産むのは絶対に良くない、仮に産むのであれば客観的に見て整合性のとれる理由が必要だと感じています。
子どもを生んだ人の中にはさすがに私までと言わなくても見た目に自信のない方や、生活する上で苦労する身体的特徴や体質を持っている方もいると思いますが、そうしたものを子どもに受け継がせてしまうかもしれないことをどう自分の中で整理して出産に至ったのかが知りたいです。
ちなみにブスなのになんで結婚できてるんだ?と聞かれるかもしれないので話しておきますと、夫とは趣味を通じて知り合い、趣味を通じて仲良くなり、友人関係が5年以上続いた後、付き合い始め結婚となりました。
夫と仲良くなれたことも付き合えたことも本当に奇跡だと思っています。
分かりやすく私のブス度合いを言うと、振り返って二度見される、通りすがりの人と偶然目が合ったときにギョッとした顔をされる、は日常茶飯事です。
明確にある
03.資料3_(検討会後修正)活力ある持続可能な社会の実現を目指す観点から、優先して取り組むべき栄養課題について
https://www.mhlw.go.jp/content/10904750/000761522.pdf
令和元年における日本の低出生体重児の割合は、9.4%である。
低出生体重児の増加の要因として、医学の進歩(早期産児の割合の増加)、多胎児妊娠、妊娠前の母親のやせ、妊娠中の体重増加抑制、喫煙等の因子が報告されている。
https://www.small-baby.jp/about/difference.html
生まれたときの体重による分類では、2500g未満を「低出生体重児」と呼び、さらにその中で1500g未満を「極低出生体重児」、1000g未満を「超低出生体重児」と呼びます。
日本では出生数が減少しているものの、低出生体重児の数は毎年増加しています。全体の出生数に占める低出生体重児の割合は、40年前は出生の5%前後でしたが1)、現在は9.4%(2019年)にまで増加しており、世界平均の6.6%(経済協力開発機構37か国 )2)と比べても非常に高い数字です。
これは、不妊治療による双子や三つ子の赤ちゃんが増えたことや、新生児医療の進歩により、超低出生体重児の赤ちゃんも救出できるようになったことが大きな要因として挙げられます。
日本の母子保健 低出生低体重児(2)-出生体重2,500g未満の低出生体重児は、男児よりも女児、単産よりも複産、母親の年齢45歳以上で高い割合-
https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=77411
母親の年齢別に占める低出生体重児の割合をみると、45歳以上の母親で18.0%と最も高く、先行研究でも35歳以上や40歳以上の初産婦において低出生体重児の割合が有意に高くなる傾向を示すことが明らかとなった。
母体の年齢が高齢になるほど、妊娠高血圧症候群や妊娠糖尿病など妊娠合併症のリスクが高まり、胎児の体重が十分に増加しないうちに出生を迎える早産のリスクも高まることなどから、低出生体重児の割合に影響を与えることが推察された。
非モテとかのエントリにされる「アドバイス」で必ずと言っていいほど
まず人間として接しろってのがあるけどさ、何をすれば人間として接することになるのかという
核心部分を誰も教えてくれないからこちらはどうしていいか分からない。
何でそこ隠すんだよ。俺たちが一番知りたいのはそこなんだよ
発達障害女子漫画で理解ある彼くんが前触れも説明もなく一コマで生えてくるようなことなんでするんだよ。
というか確信的に加害してやるみたいな奴でもない限りみんな人として接しようとしてるよ。
でも俺らがやると他の人と同じことしてるはずなのになぜかおかしくなるんだよ。
それともおまえらみたいなキモい奴は他人にに一切永久に関わらないことがあんたらが求める「人として接する」ことなの?
それって今までと何も変わらないこれからも何も変わらないよね。でもそれが本当にしたい「アドバイス」なら
「人として接しろ」なんてごまかさずに「近づくな」「死ね」ってはてブでもリアルでもはっきり言えよ。そんなに「いい人」でいたいかよ
発達障害への配慮とかで指示は具体的にしろって流れになってるはずなのに何で俺らの時だけ時計の針戻すんだよ。
そういうことに俺らは絶望してるんだよ
とはいえ中級ミクロ経済学くらいの知識はいるので、馬鹿といっちゃうのは言い過ぎかも。
需要と供給のメカニズムが正常に働くためには、メーカーや通常の流通チャンネルが得る利益が上昇しなければならない。転売ヤーは、転売行為を行っている人が儲かるだけでメーカーは儲からないから価格メカニズムによる調整が働かない。転売ヤーがいないほうが商品のアクセスが簡単になる可能性が高いので、流通ともみなせない。生産者からファンへの商流に介入し付加価値を与えずに上前を撥ねるという意味では消費税のほうが原理としては近い。
で、消費税がそうであるように転売ヤーの存在によって消費者が支払う費用が上昇し、均衡供給が減少するので、総余剰が減少する。ゲームのエコシステムは広がらず、アイドルのファンのすそ野は狭くなる。消費税は公共の福祉のために使われることで総余剰の減少を相殺する、ということになっているが、転売ヤーにはそういうメカニズムがない。
そもそも企業が正しい値段付けをしていれば転売ヤーの入る余地はないので転売ヤーは悪くないというのも間違っている。企業には短期的な利益最大化の価格より低い値付けをするインセンティブがあるから。一番わかりやすいのはゲーム機本体のケース。ゲーム機が売れれば売れるほどゲーム機のエコシステムに正の外部性が働くから、売り出し時点の均衡価格より低い値段で本体を販売することで需要を刺激できる。ゲーム機のエコシステムから得られる総利益を考慮すると、ゲーム機本体の会社は均衡価格より低く売り出すインセンティブは強くある。これは、ゲーム機の販売による正の外部性をメーカーが内部化しているということなので、おそらく定価のほうが「短期均衡価格」よりも経済学的な意味で効率的(総余剰が高い)可能性が高い。逆に、転売ヤーみたいに販売後最初の一週間は定価の五倍から始めて一年かけて落としていく、みたいなことをされるとエコシステムの成長が阻害される。
おそらく、アイドルのチケットなどもそう。市場均衡まで価格を上げるより、あまり値段を上げすぎないで、現在収入が低いが熱心なファンにもチケットがいきわたるようにすることで、ファンのすそ野を広げ長期的な利益の最大化が図れる。
転売は悪だが、別に個人の利益の追求の結果としてエコシステムの成長が阻害されたって犯罪ではないし、犯罪とすべきでもないとは思う。マスクとか、全国民に外部性があるようなケースを別にすれば、法律で違法行為とするのは正直疑問感ある。不正競争防止法の文脈なら考えられなくもないけど、あれって具体的な対象の特定が必要だし、そこの建付けを転売ヤーのために変えるのか、というのはパターナリズムが過ぎるかなという感じ。反社会勢力に資金が流れてるとかなら別だけど。
もちろん、自分の利益のためにエコシステムに害を与えているので、ファンから非難されるのも、メーカーが工夫を凝らすのも当然だと思う。善か悪かだったら悪だよね。
漫画が尊重されてるというより、ドラマがいい時間に放送してるが故数字が求められるってことなんじゃないかなぁ
だからドラマは大衆受けする(とテレビ局や脚本含めた製作陣が思った)ものに仕上がる
原作と違うから原作も見てみよう!となってくれればそれはそれでOK
https://togetter.com/li/2376510
転売価格じゃなくて、本来の価格を定価としてるところがまず経済に明ることない
需要が供給を大きく上回らないと転売は成立しないし、そういう商品は完全に転売を禁止したら手に入る可能性が低くなるだけ
転売の否定は、大体定価で買えないものを定価で欲しいというわがままでしかない
子供の頃から姉が怖かった。いろいろと小間使いのように要求をしてくる。いうことを聞かないとすねて怒るし、いつもわたしが悪いような言い方で責めてくる。あれをもってこい、これをよこせ、洗濯物をたため。要求を全て飲まなければ、キレられる。だから要求を飲む以外の選択肢を取ることは許されない。私はこの人と一生付き合っていかなくてはならないのかと、怯えていた。自分にとって最も年齢の近い女性のモデルケースであるところの姉という存在。それは怖くて理不尽で理解し難いものであった。
今、私は女性(というか他人)を理解できない。基本的に言われた要求を全て飲まなければキレられるという強迫観念がある。だから好き放題言われ、言うことを聞き、そしてナメられる。これまではヘラヘラしていればよかったが、最近は年齢とともにある程度リーダーシップを求められており、女性に限らず他人に言うとを聞かせたり自分の主張をしたりしなければならなくなってきた。これはとてもつらいことだ。どうせわたしか言うことなど誰も聞かないし、相手の言う事を聞かなければキレられるか嫌われる(と自分は思っている)のだ。
どうすればこのトラウマを克服できるのだろう。姉と話し合ってみるしかないのだろうか。子供の頃と変わらず理不尽でキレやすい姉と。。
創作に政治的な主張がくっついてるやつ、創作が面白いから人がそれを見に来て、ついでにくっついている主張を見て「なるほどそういう考え方もあるのか」とか思って帰っていく、だと効果があると思うんだけれども
主張をするために創作をする、の場合創作そのものに情熱がないから創作が面白くなくて、感想が「主張が強かったな」だけになってしまうのかなと思った
主張ってどうしても誰が言ってるかによって受け取り方が変わってしまうと思うので、創作そのものがしょうもないと「しょうもないやつが主張が強いことを言ってるな」になってしまって、これが「アートに政治を持ち込むな」みたいな感覚になってしまうんじゃないかなと
創作に主張を持ち込むな、とは全く思わなくてそれは個々で好き勝手やればよいと思うんだけど
ただ、創作をピックアップする側が「面白い創作に主張がくっついている作品」を「主張があるから良いのだ」と認識して「しょうもない創作に主張がくっついてるやつ」をピックアップしていった結果「しょうもないものばっかり展示されている」からの「しょうもない展示って主張が強いのばっかりだな」になってしまうのが良くないんじゃないかと
個人的には面白い創作の作者に強い主張がある事自体は創作に対して前向きなことなんじゃないかと思っていて、創作に対して「我が強い人間がこだわって作りました!」みたいな印象を与えるのに効果的だとは思っているんだけど
ただこれってやっぱり創作ありきで、創作である、というところをないがしろにするのはやっぱり違うんじゃないか、という気持ちになった
それはそうとして主張は主張でどんどんしていくべきだと思っていて、芸術の文脈とは関係なくいろんな主張を見れる会、としてなにかやるのは良いと思う
会場でも「このような主張がある」を見せるためにクオリティーを上げようと思っている人たちの展示は良かった
ただこれだとみんな来ないのかもしれないけど
でもやっぱり過去の「情熱のある創作に主張がくっついてるやつ」の肩をに乗って情熱のない創作を垂れ流すと長い目で見たときに過去の貯金が失われていくんじゃないだろうか
VTuberは”絵”というガワを被る事で誰でも美男美女になれるようになった。
中の人がどれだけブサイクだろうが関係無い、配信上ではイケメン・美少女になれるのである。
これは良いように聞こえるかもしれないが、逆に言えば「容姿」という個性が無くなったとも言える。実写Youtuberのように見た目で差別化が出来ないのである。
恐らく次は「声」だろう。最近はAIボイスチェンジャーの発展が凄まじく、短時間の会話ならば人間との区別が付かないレベルのものまである。
今のところ長時間の会話で違和感なく聞けるものはないが、まぁ時間の問題だろう。
そうなれば声が最大の売りであるVtuberは淘汰される、だが一方で声がネックになっていた配信者が新たに発掘されるかもしれない。なんなら性別が逆でも良いわけだしな。
ただこれは本当に良いことなんだろうか?
うーん、10年後が楽しみだ。
そういうものを勝手に想像してるときわたしらは異性に対して緊張したり、萎縮する気持ちを抱く。
でも、一回異性というものと裸で付き合ってその幻想を一枚ずつ引っ剥がしていくとだんだん異性に対する気後れのようなものはなくなる。
結局、お互いに人同士でしかあらへんということに気づくこと、ただそれだけのことなんだ。
理屈を読むだけだと身につかない。
実際につきあって納得せんことには始まらないことでもある。
朝食 コーヒー
昼食 インドカレー
夕食 うな丼
ヤング・シェルドンロスでアマプラで観るものを探していたが、以前たまたまNHKで岸辺露伴を観て面白かったので一話から観ている
日本のドラマはどことなく仏教の匂いを感じるのは気のせいだろうか
運動やヨガ、食事をするのは許容範囲だが、パソコンの前でカタカタやるというのがどうも精神に堪える
何かで大成功するようなことに全く興味はなく、現状に満足し、スローライフを過ごしたいのである
おそらくユダヤ教の休息日のように、デジタルから意図的に距離を置く時間が必要だろう
パソコンの前にいると「これを使ってなーにか面白いことできねぇかな」と考えてしまい、疲弊する
男児ママは男を産んだことにより男よりも格上の名誉男性になったから男の立場でいうことを聞かない女に「わからせ」行為をしようとするんだけど
名誉男性になってるのは自分の頭の中だけの妄想で、相変わらずただの女であるから
他の女から「偉そうなだけのキチガイ」だと思われて嫌われている
弱者男性(じゃくしゃだんせい)とは、貧困・独身・障害・不細工など弱者になる要素を備えた男性のことである[1][2]。
弱者となる要素の候補としては、非正規雇用や低収入、容姿の悪さ、コミュニケーション障害、パートナーの不在、発達障害や精神疾患などが挙げられている[3][4][5]。
やで
https://note.com/yonahajun/n/n5f920bd34136
これ読んでぶったまげたわ。
「ゼレンスキー政権の全体を「ネオナチ」と呼ぶロシアのプロパガンダの歪みは明らかだが、独ソ戦下にドイツの側につくことでソ連からの独立を策した、ステパン・バンデラを標榜する勢力がウクライナに存在することは事実だ。
少なくとも彼らの視点では、ナチスは「良いこと」もしたのである。そう主張する、私たちにとって十分にはクリーンでない人々とも手を組まなければ、プーチンの侵略という「悪いこと」に対抗できない。世界はそこまで、追いつめられている。 」
バンデラを英雄視するウクライナ人が、「ナチスは「良いこと」もした」とは言わんだろ。
確かにバンデラは反ソの立場からナチ・ドイツに協力しようとしたが、それは同床異夢でしかなく、独ソ戦開始直後の1941年7月にナチ・ドイツから捕らえられて、強制収容所に入れられてるんだから。
また今の情勢で「ナチスは「良いこと」もした」なんて言おうもんなら、国際世論からも非難されるうえ、ロシア・プロパガンダに塩送ることになるわけで、ウクライナ・ナショナリストもそこまでバカではないよ。
しかも、「私たちにとって十分にはクリーンでない人々」って誰を指してんの? その直後に「プーチンの侵略という「悪いこと」に対抗できない」とあるから、もちろんナチではないよな?
直前の「そう主張する」とあわせて考えると、「ナチスは「良いこと」もした、と主張するウクライナのステパン・バンデラを標榜する勢力」ということなのかもしれんが、繰り返すように、別にバンデラを英雄視するウクライナ人が「ナチスは「良いこと」もした」と主張しているわけではないからな。
とにかく日本語としてわかりにくいうえ、ウクライナの歴史ならびに歴史認識の複雑さをまったく無視した暴論としか言いようがないよ。