はてなキーワード: うんざりとは
んーしかし、二つのシナリオが同時進行することでとっちらかって、人間ドラマの量が増える。
因縁があるような恐竜も出ず、先々でイベントのようなアクションシーンにいろんな恐竜が添えられる。流石にCGはよくバイクや車とのチェイスシーンは好きでしたよ。その前の人の飛び降りとか視界外の移動に超反応で別ルートから追走するのは嫌い。
合流したらご丁寧に全員の正面が映る画を作り、ノルマのように順繰りに危機に陥るのは正しく失笑した。いい感じにオールスターでございと出来ている。
メイン目標も遺伝子操作されたイナゴを何とかしろというぼんやりとしたミッションとなっており、ここでも恐竜は添え物。メインディッシュではないのが悲しい。イナゴには恐竜のDNAの研究結果が反映されてる?だからなに?
OPを除けばゆったりと恐竜を眺めることもなく生態を利用するでもなく。危険装置として働いている。そういえばほぼ銃を持った敵が出なかったのでそういう一般的な敵の代替程度の扱いだろう。
恐竜的仕草・恐さについても鼻先だけ映して匂いを嗅いだりうなり声を出したりのオマージュが多用され辟易とする。お前らそれしかできんのかい。その場面に持っていくために視覚・聴覚・嗅覚がガバガバな恐竜が出来上がり2020年代にもなって行動が生き物らしくない恐竜を見せられる。見た目はリアルになる一方でこんな生き物にされて恐竜ファンは嬉しいのか?ケツァルコアトルスとかもノルマ的にいるだけ参戦だしよぉ。飛行機襲って破壊するとかぶっとんだ舞台装置だよ。
とにかく白人ばかりになってしまった主要メンバーたちを助ける善人はバランスを取るためにか黒人である。
密輸上等常習犯なのに女の子の受け渡しを見て良心が疼き母親のために危険も飛行機も投げ打って行動を共にする女性も黒人。一緒に密輸した恐竜の子供に思うところはないのか?コイツはなぜかそこそこ恐竜の知識がありながら恐竜への思いいれや因縁などはなにもない。人身売買に関与したのが初めてなの?加入までの流れは非常に人間至上主義的で、ご都合主義にしても「恐竜がいる世界」もなにもかも活かせていない真っ黒のクソの塊。
中国系科学者も良心の呵責に耐え切れず改心し主人公たちに協力する。
義務のように各場面によい黒人を帯同させてるのはうんざり。全体のバランスをとるにはコレぐらい必要かもしれないが、新味方キャラという視点では固まりすぎている。せめてこんな長期シリーズの決算でやるなよな。
じゃあ面白くなかったのか?と聞かれると、悔しいかなそこそこ面白かった。映像のよさは七難隠すし、なによりやはり人間のキャラクターがよい。昔のキャラもちゃんと活きていて懐かしさを覚えるし若々しいキャラも若いなりのアクション含めまた見れるのは嬉しい。
とかく同窓会としてよく出来ている。
さも困った風に相談とかきて、それをよくよく聞いてみると
せいぜい「お洒落な鞄が買えない」とか「駅チカで築浅のオートロック付きマンションに住めない」とか
「実家の毒親(実際は過干渉なぐらい)と折り合いが悪く、家からも出られず辛い(じゃあ自立して働いて一人暮らししろよって話)」
「一重がコンプレックスで二重にしたいのに整形費用が無い」といった程度の下らない事から
「ホストに貢ぐ為に体を売らなければいけないのが辛い、病みそう」といった、しょうもない上に犯罪に繋がる様な事が大半だったりして
過労死、孤独死、精神疾患、生活苦、いじめからの長期引きこもり、3K低賃金仕事、そして自殺と言った、
男性のガチな苦悩に比べれば、話にならんレベルで軽いなってつくづく思う
ガチの貧困層に関わった経験からすると、上記のなんちゃって貧困では無い
もはや、“女性の貧困“というワードすら、本当の貧困者に対する冒涜に聞こえて虫唾が走る
某スカウトマンの知人も言ってたけど、貧困ですってそういう仕事してる人達は
ホスト本人ですら、その女性に「少しは自分の為に使いなよ」と言っても
労働のモチベは貢ぐ事なので自分の為なら働けません、って感じらしい
こういうのが貧困女性とか言って手厚く支援していきましょうね、って一方で
こちらも活動には限度があるけど風当たりも強く、女性の社会に「ガラスの天井」があるならば
男性の社会には少なくない人達が「鉄の地下室」に押し込められ、そのまま消えていく現実がある
「助けが必要なものは助けたい形をしていない」なんて事はよく言われるけどさ
こういうのは行政の範囲だと思うんだけど、今じゃ行政ですら女の方ばっか見て
男は勝手にやってろ死んどけ、支援するなら女の方を何故優先しないの?って態度でうんざりする
そしてこういう事書くとすぐに「男ハー!」って叫んで場を荒らして
男性の貧困問題や男性差別など「無かった事」にしようとする人達は
恥を知れよ
この前、通勤ラッシュで電車に乗ったら、もうぎゅうぎゅう詰めで呼吸できないレベル
しかも隣の人が汗だくでヤバくて草
夜遅く帰ると、駅から家までの道のりが怖い!街灯少ないし、酔っ払いとかウロウロしてて、いつもビクビクしてる
大都会なのになんで暗い道が多いんだよ、おれの最寄駅は
しかも、買い物カゴをぶつけてくるおばちゃん多すぎて、うんざり、この前なんて、カゴが足に当たって痛かったし!
アパートも狭すぎ、窓開けても隣のビルの壁が見えるだけ。隣の部屋の人が夜中に騒いで、うるさすぎて寝れないし。たまにエッチな声も聞こえてくるし…
まあそれはいいけど
それに都会の人たち、冷たいし
この前、友達とカフェ行ったら、なんかオシャレすぎて落ち着かないw
語源に対して頓着がなさすぎるだろ。
俺としては淫夢由来の言葉を使うこと自体が人としての恥だと思うんだけど、平気で使うよね。
同性愛者差別と著作権違反が混ざりあった文化圏の表現なんて俺は口に出したくないんだけどなあ。
今使われている「ガバ」に当たる表現が他にないならともかく「荒い」「雑」「杜撰」「適当」「緩い」「拙い」「嘘(無自覚の)」といった表現がいくらでもあるなかであえて「ガバガバ」という意味があるのかと。
こういう話をすると「じゃあキリスト教徒は「利益」も「挨拶」も「旦那」も使えなくなりますねw」みたいに揚げ足取ってくるような奴がおるんやけど、そういうレベルの話ではないじゃん淫夢は。
たとえば歴史や文化の教科書に淫夢が載ることが今後あると思う?
25世紀の教科書に「インターネット初期の文化紹介」として「当時、ニコニコ動画では真夏の夜の淫夢シリーズを違法視聴してコメントを書き込むのが流行っていた」みたいに画像付きで紹介される可能性が0.0001%でもあると思うか?
ないだろ流石に?
だからやめろって。
誤読が多く見受けられるのでまずそこについて改めて整理させてもらう。
私は「物理的な緩さに対して使われる「ガバガバ」は淫夢発祥である」と言った覚えは全くない。
タイトルにも「(計画や見積もりの精度が極めて低いという意味で)」と書いているので、タイトルだけでもちゃんと読んでいればそうやって捉えることは全く無いと思うのだが・・・。
改めて言うが私が言及しいるのは「計算や計画における緩さ・杜撰さ」という意味での「ガバガバ」であって、物理的なものに対して「ガバガバ」というオノマトペがどのように使われているのという話はここでは一切していない。
本当に残念なことに、はてなーはついに「タイトルさえまともに読めない集団」に成り下がったと言わざるを得ないだろう。
はてなーのことだからシレっと消して知らんぷりしかねないので、一つだけ魚拓を取っておく。
当選おめでとう
ignio 青空文庫はこういうときに便利。大倉燁子の「恐怖の幻兵団員」(昭和25年)に「孔のまわりの羽目板はがばがばにゆるんでいる」という文がある。
「昔から使ってたぜ~~~ホラホラ~~~」とソースを撒き散らせばいいものを何一つソースを持ってこないで「昔から使ってたけど!」と言い張るだけ。
子どもの「皆持ってるもん!皆RTX4090使って生成AIで画像作りまくってバズってるもん!僕にも買って~~~皆持ってるんだからいいでしょ~~~」と何も変わらねーじゃん。
一人一つずつ他の人と被ってないものを持ってきて欲しいぐらいだけど、我こそはという数人が10個ぐらい持ってきてくれたら俺もアッサリ折れるよ。
ただし、もう一度言うけど「淫夢以前からあったもの」だからね。
たとえば最近出たオタク擁護辞典なんかが「元がホモネタだろうと流行ってるんだから入れちまうぜ!」と突っ込んできたのを「どうだ!辞書にも載ってるぞ!まいったか!」とかは辞めろよな。
それは「一部の恥知らずな辞書が語源関係なく新規用法を載せる乱暴なスタイルを取っている」というだけの話でしかないから。
はぁ・・・昔のインターネットにあったソース至上主義はどこにいったんだろうなあ・・・ノーソースのままで「俺の記憶では確かなんだ!」で主張するやつばっか・・・
子どもの賑やかな声が絶え間なく続く
いいじゃん仲良さそうでってみんな言うんだけど、道路族でもあるから家の前を通ろうものならここ通るんじゃねえと睨んでくる
ほぼタイトルに尽きるんだけど。
昔からある硬派な出版社も、最近Xのアカウントとかもってるじゃん?
で、ただ新刊情報を伝えるならまだしも、(出版社に拾われるの目当てっぽい)大袈裟な感想をリポストするじゃん?
あと、本の内容紹介とか抜粋をウェブメディアにのっけるじゃん? 超おおげさな見出しと共に。
そういうのでこちらも期待が高まるわけよ。でも、だいたいそういう広告が大袈裟な本って、言うほど面白くない。
ただ書店で見かけて手に取って読んだなら「まあまあだな」って気持ちで終わるけど、絶賛広告を見させられてから読んで普通だったら、「だまされた」って気持ちになるじゃん?
なんかそういう失望の経験が蓄積して、SNSで大袈裟に広告している本は読みたくないな、って気持ちになった。
どいつもこいつも似たような声で下手くそ
世間一般で「歌上手い」と言われている宮野真守、谷山紀章、確かに上手いかもしれないけどこのパターン以外に無いのか?
演歌のようにこぶしをまわしたり、ジャズのように掠れたセクシーな歌を歌える声優が居ない
これだけ沢山声優が居るのに、皆ロックとアイドルポップしか歌えない
女性声優は若い人はクソみたいな萌え声でしか歌わせて貰えないが、中年以上の実力派は割とバリエーションに富んでるから別にいい
伸びてた
アニメゲームは好きだけど声優の歌を好んで聴いてるわけじゃなく好きなミュージシャンがアニメゲームや声優へ曲提供するから聴いてる
だからヒプマイもセルフカバー出してくれ(もし出てたらすまん)
無職になって2か月が経った。
いや、徒歩圏内というのは一般的な意味での徒歩圏内じゃない。「無職者にとっての」徒歩圏内だ。
それはまぁいい。
別に学習意欲が旺盛なわけでも、知的好奇心に溢れているわけでもない。
ただ、何もせず一日を過ごしてしまうと16時くらいから窓の外が完全に暗くなるまでの数時間、心の中の小さなハムスターがシクシクと泣き出してしまうので彼を慰めるために図書館に出向いている。
ところで、近所に「旭小学校」という小学校があって、図書館で「郷土の歴史」的な本を読んでいたらその由来が解説されていた。
その小学校は近隣の三つの村から子供が通うために作られたもので、学校の名前をどうするかでもめていた。
三つの村がそれぞれに自分の村の名前を小学校の名前にするべきだ、と主張していたそうだ。
ある夜にそれぞれの村の代表と校長が学校に集まり、喧々諤々の論争を行ったが、ついに結論が出ることなく朝になってしまった。
その時、窓の外の雪が積もった校庭に朝日が射し込み、なんとも美しい風景が、会議で血眼になっていた参加者の目を奪った。
奇しくも、その日は「9日」。
校長は言った「今日は明けて九日、九日を記念し、各々の主張は押さえ、この文字を組み合わせて『旭』という校名でいきましょう」
村の代表たちは皆賛成し、それ以来この小学校は「旭小学校」という名前になったそうだ。
いい話だ。
なんとなく感動的な気もするが、よく考えると別に徳の高いことは行われていない。そこがいい。
つまり会議は宿命的に平行線をたどる他ない、そんなことは参加者全員が分かっていて、でも会議を続けるしかない。
責任、疲労、うんざり、投げやり、そんな空気のグラデーションを経て、さっと射し込む朝日を見て、校長は「いまだ!」と思ったに違いない。
そして各村の代表も、正直「助かった!」と思ったのではないか。
いいじゃないか、旭小学校。うん、いいよいいよ。それでいきましょう。いやぁ良かった、良かった!はぁやれやれ、やっと帰れますな。
という声が聞こえる気がする。
今も昔も、大人たちの「面子」と「ちょっとの投げやりさ」で色々なことが適当に決定されている。
そんな世の中で自分を追い詰めても仕方がない。
くじ引きに敗れ昨年度1年間PTA活動をしてたのだけど、ストレスがとても溜まったので吐き出す。
問いに対して答えが返ってこないことが本当に多い。
「これって〇〇でいいですか?」「そういえば〇〇って〜だよね、〜といえば…」
「この前決まった〇〇、発注するので内容間違いないか確認お願いします」「やっぱり〇〇じゃなくて△△がいいかな、どう思う?」などなど、、話が長引く。
平日15-16時の集まり、仕事の休憩をとって参加してるからできれば時間通りに終わりって欲しいんだけど、時間の意識が薄い。
仕事の都合で集まりを欠席すると上記のようなことを言われるけど、下の子の急病、親の送迎は言われていない。
わたしはIT企業の保守運用部門に勤めているので、障害が起きると対応が必要になる。一度障害対応でPTAの会議を欠席したことがある。その際かなり失礼なことばかり言われてうんざりしてしまった。
正直システムの障害は子供の風邪くらい急に起きるので許して欲しいのだが、仕事は都合がつけられるのにつけないのは専業主婦を下に見てる、働いていることがえらいのか?と言われてもう何も言い返せなかった。
言いたいことはたくさんある。いろんなことを効率的に進めていきたい気持ちも強い。
仕事の都合で集まりを欠席したことは申し訳ないけど、それに対して働いてるから偉いつもり?はおかしい。今回の議事は〜でした、これやっておいてもらえますか、次回は出てもらえると助かる、でよくないですかね。
あと、みんな時間の意識を持とう。無給でやってるんだからせめて少ない時間でやろうよ。何でもかんでもみんなで集まる必要なくて、役割があるんだから各自対応しよう。
でも、上手く言えないんだけどわたしみたいな考えは会社では問題ないけど、ママたちの集まりでは嫌われるのがわかる。わたしは嫌われるだけならいいけど、それが子供が仲間外れになったらどうしようと思うと思ったことも言えず、すみませんと謝ることしかできない。これが一番ストレス
こわいね。こういう人は他人と環境に救いを求めちゃいけないよ…若い人達にこだわるのも優位に立ちたいからだろうし、年齢関係なく感謝されるようなことした方がいい。ボランティアとかそういうの。
いつもながら心底うんざりする。
ニートにはボランティアさせろ、悪ガキにはボランティアさせろ、承認欲求持て余してる奴はボランティアさせろ…
何も考えずに言ってるわけだがこういう輩が本当にわかってないのはボランティアについてではなく「人助けは技術が九割」ということである。
感謝に飢えた手合は有難迷惑しか生まないのだ。弱みにつけ込んだ搾取。
全く同じように扱われるものとして「農業」がある。何故か馬鹿でもできるものとして、損や得ではない「行」として扱われている。何も知らない連中から。
「ニートには農家で無償奉仕させろ」というバカの結晶みたいな主張もあった。
本題の増田のお悩みについてだが、これもあるブコメの通りで、おおいに自省してるようで表層しか見えてないので独力じゃどうにもならんと思う。カウンセラーに何が期待できるでもないが、そんな話を聞いてくれる他人はカウンセラーくらいしかいないのでカウンセラーの前で喋ってみれば良いのでは
今どきガイドラインある作品なんかいくらでもあるのに、ガイドラインない作品で同人やってて原作側に火をつけにくる頭おかしいやつがいすぎで本当に無理
原作が好きなだけなのに勝手に同人やってる奴らに火つけられて、お前らが本が書けないとかどうとかマジでどうでも良いのになんで好きな作品ボロクソ言われてんの見なきゃなんないんだよ
男に人気のある女キャラが作中キャラと付き合うとビッチとか言われるし、女に人気ある男が女キャラと付き合うとやっぱり女キャラ叩かれるし本当になんなん?
お前らの承認欲求のために原作があるわけじゃないんだが?やりたいならオリジナルでいくらでもやったらいいじゃん
社会風刺でもフェミでもアンフェでもポリコレでも好きにやったらいいけどなんで二次創作でやるん?どうしてもやりたいならアニメ会社でも買収して版権買い取って好き放題やればいいじゃん
金もないし頭も悪いのに他人から掠め取ったモノをこねくりまわして金稼ぎしてあげく燃やしてって本当にうんざり、原作以外もういらないから出てってくれよ 何回やれば気が済むんだよ
クソつまんねぇからだよw
そんなことする男はクソつまんねぇヤツで、たいていの女性からみたら男性的にも人間的にも魅力皆無だからだよw
同性の俺から見ても「おもんな~w相手かわいそ~w」って感じだよw
あのねぇ、「試し行為は良くない」ってのもまあ真っ当な理由なんだけど、そうじゃないんだよ。
はてなブロガーたちはカマトトぶって言わないけど、いい年して「初デートでサイゼ」なんてクッソつまんないし、そんなクッソつまんない選択をするやつと恋愛したい女、結婚したい女はね、いないのよ。いるかもしれないけどごくごく少数なのよ。
「何がいけないんだろう」じゃないよ。「本末転倒ではないでしょうか。」じゃないよ。お前のやってること(もしくはやりたいこと)がつまんないんだよ。
初回デートなんてお互い相手を見極めるために、自分をよりよくするのに頑張るところなのに、なにが悲しくてサイゼいかなきゃいけないんだよw
それさ~、楽しい?w
生活感を試したいなら「もう絶対一押しの安くておいしい定食屋があるんです!初デートでいくような感じの店じゃないんですけどぜひ!!もう絶対食べてほしいんです!!」とかいって試せばいいじゃん。
俺なら絶対やらないけど、サイゼよりは若干マシだよ。「こういう人いいな」って思ってくれる確率はほんのちょっと上がると思うよ。
どうせ「え~と、サイゼでいいですか?安いし」とか言ってんだろ?頑張れよもうちょっと。工夫しろ。
揚げ足取りに手ぐすね引いてるカスどものためにも書いておくけど、サイゼっていう店自体が悪いわけじゃないんだよ。
あの低価格であのお味、素晴らしいですよ、結婚した後に何度もお世話になりますよ。
でもそういう誰でも知ってる素晴らしいいつでもいける低価格の店しか提案できないという行為自体は、大抵の異性からしたらクソつまんないし、そういう提案しかできないヤツは魅力がないんだよ。
あっこの人サイゼしか知らんのだな、ってなるんだよね。透けて見えるよね、人間性が。
そういう意味では試し行為としてはまぁ最適ではあるよね。相手からするとダルいけど。
あともうひとつ言っとくと学生とか若年者が初デートでサイゼとかだったらそれはアリだと思うよ。
「大学の下校時に勇気を出して同期の女の子をサイゼの晩御飯に誘いました。」←素晴らしいよね。これは「面白い」よね。クソつまんなくないよね。
でもお前の書きぶりからはこういう爽やかさがないよね。
「何がいけないんだろう」じゃねーよ。暗いんだよオッサン。まぁこじらせた学生だったらごめんだけど。学生でも改まって誘うならそれなりの店が良いよ。
色々書いたけど、試し行為云々じゃなくて、お前の提案には魅力が皆無でクソつまんないから相手からしたらうんざりするってのが一番だよ。
つまんないことされると相手はダルいんだよ。時間の無駄なの。お前はタイムロス防げてるのかもしんないけど、相手の時間無駄になってますからw
お前の提案に魅力がないのを、「試したほうが効率的だから。」とかごまかしてんじゃねーよ。安くてデート向きの良い店しらんだけだろ。
どうしてもそこで「試し」たいんだったら、デートのアポイントの時に
「自分、初デートのときはサイゼに誘って相手の人間性みることにしてるんですけど、良いですか?」ってきけよ。
いつかそれを受け入れてくれる女も現れるかもよ。
私の両親は放任主義であったので、私は色んな物語の背中を追って成長した。家にある本を対象年齢などお構いなしに片っ端から読んでいたので早いうちからどうやら人間は必ず死ぬらしいということを知った。事故、病、それらに気をつけたところで寿命というので死ぬらしい。幼い私の狭い世界の中では老人といえば父方の祖母と母方の祖父母であった。当時の私は血縁関係など知らず、やたら会う回数が多くて、やたら親しげに話しかけてくる親ではない人間、その程度の認識だったが、それでもこの人たちはもう間もなく死ぬのだと思うと堪らなく悲しくて、祖父母宅に泊まり眠る時の「おやすみ」や、帰宅する際の「さよなら」で別れを強く意識してしまい泣くことがよくあった。
しかしその三名の間というのは私が思ったよりも用意されており、私が初めに対面した死は保育園の友人のものだった。友人と言っても同い年ではなく、私がそう認識しているだけだった給食調理員の女性で、友人と思っていたために意識していなかったが彼女も今考えれば当時の祖母たちとそう変わらない年齢だったように思う。
礼儀作法を知らないので何度も何度も棺の中を覗きに行っては泣いた。いくら泣いたところで目を閉じた彼女が横たわっているだけで何も変わらなかった。
二度目は小学校の2〜3年生の頃、またもや勝手に友人扱いしていた女性の教頭先生だった。
学校の体育館で行われたお別れの会で大きな額縁に入った彼女の写真を見た。遺体があるわけではないので前のように泣きはしなかった。ただ、急だなと思った。
三度目は飼っていた猫だった。私が生まれるより前から家にいた猫の女の子ししまる。
母が譲り受けて、初めは家の中で放し飼いされていたらしいが兄が生まれた時にケージに入れられるようになり、それからは基本ケージの中がししまるの全てになった。
私は私たちのせいで自由を奪われることになったししまるへの罪悪感からあまり積極的に関わろうとはしなかった。
高校の帰り道、同級生数人の本当に心底どうでもいい話に付き合っている最中に母からメールでししまるの危篤が知らされた。どうしてか、私はどうでも良い話を切り上げず最後まで聞いて家に帰った。ししまるは冷たくなっていた。21〜2歳だったと思う。
なぜすぐに帰るという選択をしなかったのか、あんな会話よりもずっと大切な存在だったのに。
私よりも悲しんでいるに違いない母の前で泣くのは躊躇われて、やり場のない怒りと悲しみを階段に座ってやり過ごした。
数年後、くだらない話をしていた内の一人が飼っている猫がもう亡くなるかもしれないというLINEがきた。たしかに写真や映像でうんざりするほど見せられていたが、私はいつも適当に聞き流していたのでどんな猫だったかはこれっぽっちも覚えていなかった。そんな猫が死ぬかもしれないと聞かされたところで正直どうしたものか反応に困ったが、眼前に迫った愛猫の死に動揺して私という藁にまですがる様子に「本当に大切ならこうなるはずだ、お前はどうだった」と問われているような感じがして口の中が苦くなった。
四度目は父方の祖母が亡くなった。同じ家に住んではいたものの特に交流はなく、幼い頃から苦手な祖母だった。
祖母の部屋はニ階にあり、私の部屋は一階にある。あの日、夜、二階の台所で飲み物を手に入れて自室に帰るという時、祖母の部屋からガタッと物音がして「部屋から出てくるかも」と思い微かに開いた扉を横目に逃げるように階段を降りた。少し経ってから帰宅した兄が「婆ちゃんが倒れている」と家中に知らせて、部屋の中で固まる父、父の代わりに各所へ連絡を取る母、救急車やパトカーの音、集まってくる従姉妹たち、その全てを私は凪いだ目で見ていた。
父方の祖母は以前に一度死にかけたことがあり、救ったのは家の鍵を忘れた中学生の頃の私だった。
私は幼い頃から忘れ物常習犯であり、家の周りに民家がないのをいい事に家の前で欲しいものを大声で伝えて家の中にいる人間に取ってもらうというのをよくやっていた。
その日も帰宅したら玄関には鍵がかかっており、また、私は鍵を持っていなかったため外から「鍵開けて」と何度も繰り返し叫んだ。かなり長い間何も反応がなく、どこかに出かけているのかもしれない、帰ってくるまで玄関先で座って待っていようかと思い始めた頃、ようやく階段を降りる音が聞こえてきた。玄関の扉が開いて真っ先に伝えられたのが「病院に連絡して」だった。
諸々が終わった後で聞くには、どうやら意識を失っており、私の声で戻ってきたとの事だった。
以降、祖母はこの話を何度も繰り返しては私に感謝した。「綺麗な真っ赤な空間にいたらあんたの声が聞こえた、だから私は助かった、ありがとう」と。顔を合わせるたびに話されるので話すのをやめるようお願いしたほどだった。
死にかけた祖母はその後何もなかったように生き続け、恐らくボケて、兄と揉めることが多くなった。兄が言うには包丁を持ち出してくることもあったらしいが、 真偽は分からない。
そんな揉め事が起こるたびに私は「あの日、私の帰りがもっと遅ければ」「私が早々に呼びかけを諦めていたら」などと思ったのだ。
ガタッと物音がした時に私が様子を確かめていたら、祖母はまた帰ってきたのだろうか。祖母はあの日のように真っ赤な空間で私の声を待っていたんじゃないだろうか。あんなに嫌っていた祖母である。「あの時死んでいればこんな問題起きなかったな」とさえ思ったことがある祖母である。
そんな祖母の葬式で私は涙をなかなか止められなかった。悲しむ資格も道理もないのにどうして涙が止まらないのか不思議で自分に腹が立ってしょうがなかった。
祖母が亡くなってから父はよく兄妹たちを家に呼び、兄妹たちも呼びかけに応じて気軽に集まる。父も兄妹たちも祖母が生きていた時はそんなことしなかったのに。
五度目はまだ起きていない。
母方の祖母は癌治療中で、祖父はボケが始まっているがまだまだ元気にやっている。出来る限り健康で長く生きてほしい。
いつか絶対に五度目がくる。
何度経験しても慣れない死を悲しんだり、悲しんだふりをしていることに気づけないでいたりを繰り返しながら自分の番を待つ。
みんな死んでほしくないな、死にたくないな。
ろっぱっぱーろんぱっぱー
ばっか力でぶっ飛ばす
あんた間違いだらけ
おっとと危ないな
ろっぱっぱーろんぱっぱー
説得力はぜろぜろ
そろそろ降伏時か
くだらない主張に
うんざりだよもういい加減
そろそろ論破かな
ろっぱっぱーろんぱっぱー
知恵の矢で射抜くぞ
ウソはばれバレよ
愚か者のたわ言に
誰が騙される馬鹿げた
そろそろ論破だ!
取り扱うネタ自体は全く違うんだけど、周りの反応とその変遷が似ているなあと感じさせる。
フミコフミオは半自伝的なブログを独特な書き味でやってたのがウケてたんだけど、これが徐々に飽きられていったんだよね。
飽きられてくると、その芸風がネガティブに評価されるようになっていった。
ファンが多かった時期は、そういう意見もアンチのいちゃもんで済んでいたんだけどね。
現在は芸風を変えて、お仕事系の記事ばかり書くようになったのは賢明だった。
フミコフミオはあんな感じのを今でも書こうと思えば書けるし、そのためのネタも持ってるはずだけど多分もうやらない。
もし、周りの反応が悪くなってるのに芸風そのままだと山本一郎みたいになる。
山本一郎の芸風も十数年前まではウケがよかったんだけどね。
まあ、ジスロマックはもうしばらくは大丈夫だと思うけど、彼の芸風にうんざりしてきている人の意見も徐々に強くなってきてる。
ジスロマックが取り扱うネタって界隈では散々こすられてるサブカルが多くて、それを「読ませる文章」にするのが彼の持ち味。
だからこそ、その文章に読者が慣れてしまうと陳腐化しやすい(持ち味そのものが評価されなくなる)。
メリットがメリットとして機能しなくなると、今までは気にならなかったデメリットが気になってくる。
こういう時に、持ち味に頼っただけの、手癖で書いたような記事とかが出てきたら「いよいよ」って感じ。