名前を隠して楽しく日記。
指を切断したらどれくらい痛いですか
私はめちゃめちゃ田舎なので学校で友達になった子がいとこだったり、学童で一緒の友達が親がいとこ同士とかがある
だから、友達も幼稚園〜高校まで同級生だったし社会人になってからも最低月に一、二回会って遊んだりご飯食べたり電話やメールで1時間以上やり取りしたり旅行に行ったりしてたよ
学生時代は一緒のバイトもしてたし、大学生のときは週三くらいで遊んでて週末は彼氏との約束なかったら私の家に泊まりにきてたよ。
小さな我が子にも旦那が投げたものが当たり泣いていてもう出てきたいけどまずは冷静にどうしたらいいのか考えてから行動しなくてはと思って頭を冷やそうとすればするほど涙が出た
翌朝旦那が謝ってきた
朝になって冷静になったんだろう、いつもよくある流れ
あんなに怖い思いしたのに荷物もまとめて準備してるのにごめんねって弱くなった顔見てしまうと
許してあげてしまいたくなる
でもほんとに怖かったし子ども達にこれ以上辛い思いはさせられない
変わらなきゃいけない
うん…私もそう思うから6年働かなくて発言小町なら「離婚しろ」って言われる状態でも
離婚は考えてないんだ。
でもなー、さすがに6年よ。疲れるっていうの。
「できる仕事をやる」もキツくなってくる。
一時期はエッセンシャルワーカーの面接も受けようとしてたんだけど、
エッセンシャルワーカーってほんとすごい境遇なんだね、社会勉強になった。
体がきつすぎて無理そうだということになった。
エッセンシャルワーカーこそ、このAI時代に1000万円プレーヤーとかにしたほうがいいと思う。
人生経験としては実りが多いんだけど、エッセンシャルワーカーは無理だとわかって
振り出しに戻る。
・しぬ
「今日〇〇があったんだよね〜」
「やばいしぬんだけどw」「しぬw」
シラフの時に使ったらそれで話が終了することに気付いていない。
飲みの席で「ギャハハ」「しぬwww」みたいな合いの手程度でしか使われない。要は情報量がない。
あ〜虫か……
そもそも寝てる間に触られたり舐められたりましてや挿れられて気が付かない訳なくない?
激務で疲れて爆睡してる時に元彼に同じ事された事を起きてゴミ箱に捨ててあったゴム見て初めて知って激怒した事があるから、起きない女性=100%合意と取れるような、そういう性暴力まがいな行為を肯定・助長するような発言をしないで欲しい。
ギャンブル中毒者の中でもかなりの末期患者が集まる競輪界隈の人間ですら
スピード感もない走りで全力で強い選手の後ろを取り合う椅子取り合戦をやりながら一応禁止されてる牽制や横をやりながら(一応禁止されてるけど、選手がもうちょっと真面目にルール適用しろって苦情言い出すくらいガバガバ)限界までダラダラ走る(最後まで走る実力がある選手はいないので逃げを選択する人がいない。逃げたらまずまける)のを眺めるアニメなんて誰がみんねん
作っては度々投稿している。
それに「いいね」がつくかどうかで一喜一憂し、他のAIイラストレーターの作品を見ては多く「いいね」がついているとぐぬぬとなる。
そうしたAIイラストっていうのは他のAIイラストと比べて特別秀でているわけでもなく、如何にも「AIで描きました」といった見栄えの可愛いイラストだ。
こうした量産型の絵、似たり寄ったりのものにたくさんの「いいね」がつくのは不思議だった。
だって個性がないというか…人気キャラに実写風のボディをつけたキメラも度々よく見かける。
疑問は「そういった絵が人気なのはどうしてか?」というよりも「そういった絵が飽きられずに人気なのはどうしてか?」と考えた時、そこに昨今のAIイラスト問題の根本的な原因があるように感じたんだ。
結論を先に言えば、それはつまり「見る側」の問題なんじゃないかってこと。
そもそもAIイラストっていうのは楽して高品質なものを出力しようとすると、どれも似たり寄ったりの絵になりがちだ。
だからこそAIイラストにおいても凝ったものを出そうとすれば色々と工夫が必要となる。
このような工夫こそが差異化につながり、その差異化によって個性が際立つまでになれば、そのAI絵師独自の絵を生成することだって不可能じゃない。
そしてオリジナリティ溢れるAIイラストを作ることが出来れば、昨今のAIイラスト叩きで言われる「ただのパクリ」と呼ばれることも少なくなるのではないかと思う。
だって、差異化による個性化は一概に「パクリ」とは呼べない作品を作り出すことなのだから。
しかし現状、そうはなっていない。
安易なAIイラスト絵に「いいね」を押して支援することでAI絵師側も一定のクオリティで満足してしまう。
なら別にこれ以上工夫しなくてもいいやとなってパクリAIイラスト絵を淡々と投稿し続ける。
そしてそれに「いいね」をするという繰り返し。
この負のスパイラルを止めるには安易なAIイラスト絵に「いいね」するのをやめればいい。
結局のところ現状のパクリともとれるAIイラストの氾濫を許容し、促しているのは「見る側」であり、鑑賞する側も実は大きな責任を担っていることを自覚することこそが、今後のAIイラストに対する認識と、AIイラストの存在が許容されるまでの流れには重要になってくるのではないかと思う。