名前を隠して楽しく日記。
高嶋政伸のNHKドラマで娘に手をかける父親役を演じるにあたって現場で相手の子役を見て自分に娘がいたら演じられないと思ったというインティマシーコーディネーターの重要性の話と、
インティマシーコーディネートのシーンを茶化すクドカンのドラマ『不適切にはほどがある』のメッセージが「女性に対してどこからがダメかは、みんな相手を自分の娘だと思って考えればいいんじゃない?自分の娘が嫌がることをしなければいいんだ」っていうものだったのと、
それよく言われてるけど実際に言ったのは「彼は出来ない理由を考えた」だぞ
豚の耳とか牛の蹄も売ってるよ
でもよく考えたら、犬も猫も室内飼いするなら本来去勢は必要ないはずなのに、
だったらまず出て来るべきは「犬や猫その他動物を人間のオモチャにするな」じゃない?
保護がどーのとか関係ねーわ、そもそも人間と馴れ合わなきゃ野生で進化してった(あるいは退化していった)生き物だったんだからさ
ペットショップで買おうが保護団体から譲り受けようが、人間様がお動物をコントロールしようとしてることに変わりはないというか
無責任に捨てるやつがいるから保護団体てのがいるわけで、そもそも動物をペットにしようとかいう考え方自体なきゃそんなかわいそうな動物も生まれなかったわけで
夕飯に肉や魚買って帰る時「ああ今自分が買ったことでまた新たな牛やマグロが犠牲に…」とか毎回考えるタイプの人だったらごめん
売れなかった時の廃棄狙いで取り扱おうってコト?
正直あれに関してはどちらかといえば叩きコメント側を揶揄してる内容だからな
ずんだもん側をめちゃくちゃ可愛く描いてるし
許容してもらえると思ってた被害者に予想以上に反発されたことにビビって守りに入ったのが駄目だった
②は完全に悪意しかないが
でもお前肉食ってるじゃん
いや、お前にはどうやら話がうまく伝わってないみたいだな。
絶対に100勝てる! と、戦争で攻める側と守る側の両方がなったら、戦闘行為の必要はないのよ。
外交段階で「これから戦争したら私が100勝つわけですが、市民が死ぬ前に全面降伏せんか?」これで済む。
戦闘したらそのコスト分、負けが120とか200になるんだから。合理的に判断するならそうなる。
別に同盟しても同じ。どっちがどのくらいの量、勝つか負けるかが、合理的に判断できてさえいればそうできる。
でも守る側が「あいつは100勝てるって言ってるけど、実際には抵抗すれば20ぐらいは残るだろ! 降伏して100払うよりも、戦闘して負けて20残したほうがマシ!」と思ったら、そこで降伏は起こらない
で、完璧に信頼できる軍事力ランキングがあったら、まあそういう価値判断の齟齬は起こらないんじゃないか?
チー牛もペットショップで売ろうぜ
東京県よりマシです
ペットショップで犬猫その他動物を買う事が本当に無理って考えてて
どう考えても理解できない
でもそこ場にいる犬猫たちも早く誰かに飼われて大事にされて欲しいと思うから、「買うな!」とは思わない
ただペットショップに生体が並ぶことが嫌い、そこで買ったら新しい別の命が犠牲になると考えてしまう。
ペット産業が地獄なのもあるしそれに加担しようとしていて、自分が買った一匹の命は大事にする考えが理解できなくて考えてみた。
そして、そういう命をお金買う人と違うのはわたしの考えがそもそも犬や猫をすぐ「個性として考えない」ということなのかもと。
ペットショップに行ったら複数の選択肢の中からすぐ「この子」となる
保護団体とかに引き取りに行ったら「この数の中からこの子を選ぶ」となる
わたしは良い意味でも悪い意味でも、目の前に現れた「動物」を「個性」としてすぐ考えないんだなと思った
だから、目の前に現れた動物が「どういう体調でどういう気持ちなのか」ということをすぐ考える
例えば犬なんて表情筋もあるから悲しんでるとか喜んでるとか人懐っこいとか人嫌いとかも当たり前にわかるって思っているし周りのわたしと同じような考え方も同じようなことは言っている(そして勘違いかもしれないけどねとオチになるけど)
また、人間も動物なのに、わたしが実際に会ったショップで買う人って人間と動物の区別がはっきりとついているんだなと思った。
今住んでる土地や家も今は近代文明がゴロゴロとあるけど、実際は全て「自然」でできてて、みんなの「場所」であるから、動物と暮らしているのを「お世話してる」と考えるんじゃなくて「一緒にこの家に住んでもらっている」って考えがないんだなと。
「この家に買われなければ今ごろ殺処分」とか「買われなければ野良になってた」とか自分の側に置かなかった場合の未来を想定して「うちの子にしてあげてる」っていう人間の方を優勢に考えてるのかなと思った。
かといってショップで買うな!とは思わない
ショップで買う人じゃなくて、ショップを嫌いになるべきなのにそのペット産業をどうにかするのもできないからどうも動物愛護が故に思い浮かべる殺意の矛先がショップで買う人に向きがちなんだと思った。
前に話したことがある男の人は「俺は犬買う時、毛色、大きさ、性別、顔の作り、全てにこだわって選んだ」って言ってたから
お金でなんでも選べるという考えより、
根本的な「命」や「生き物」に対して考え方が
「人間とそのほか」で分けてるんだなってその時思った
そういう人たちは数は少ないとは思うけど、何かしら犬や猫を飼いたいと思った時に保護が真っ先に出てこないのが教養の無さと知名度の低さなのかと思った