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2020-07-29

LISTENERS、軽いジブリ臭。

お姉ちゃんの声がすごく良い。誰だろうか?

(川尻早人@ジョジョGUの声の人だった!世間的にはとある御坂さんの人という認識だろうか?)

あと、村瀬の声って偶に緒方恵美の声と間違えちゃう。続けて聴くと違うんだろうけど。

で、こちらの作品。よくある素っ頓狂な筋のお話

MAPPAらしい感じ。MANGLOBEっぽくもあるけど。

どくとく。

ん?

原作:じん

って、あの「じん」か?

なる…ほど…

次回、ノイバウテンね。

2020-07-03

Ergo Proxy見終わった。

哲学的な様でいてそうでもないという。

lainとかが大好きな外国人が好みそうな作風だったなあと。

manglobeっぽいかと訊かれるとそうでもない様な?

2クールあったけどそれなりに楽しめたと思う。

ただ、最後ピノとパパを会わせてあげて欲しかったわ。

パパは結構外道だけどピノのことが好きだったんだからピノもパパが好きだったんだし。

コギトに感染したピノが、好きな人の死を目の当たりにしてどうなるか…ってのもあるじゃん

変わらないんだろうけど。

2020-07-01

やっぱりGOD EATERはきつそうなので途中でやめ、Ergo Proxyを見る。

Manglobe2006年キャラデザ恩田さん。

冒頭から面白そうな雰囲気だ。

主人公?がエヴァネッセンスVo.を細くしたみたいな顔。

今日はとりあえず1話だけ見てもう寝よう…。

2015-11-17

伊藤計劃原作劇場版ハーモニー感想

 映画化は継ぎ接ぎだ。

 ある状況下において必要だった形質も、喉元すぎれば不要になる。その場その場で必要であった言葉の集合、小説文体は場当たりの継ぎ接ぎでできている。映画化なんて前向きな語は間違ったイメージを人々に与えやすい。エンタメは、いやすべてのコンテンツは膨大なその場しのぎの集合体なのだ

 だとしたら。我々読者が獲得したこの伊藤計劃なる奇妙な作家を、とりたてて有り難がり、神棚に祀る必要がどこにあるのだろう。『ハーモニー』は、『虐殺器官』は、すべて時代への適応として作家が描出したにすぎない継ぎ接ぎの一部だ。死後の評価も、映画化の「プロジェクト」も、すべて「ある時代で」においてのみ、皆が生きるために必要だったから、SFというジャンル生存寄与たか存在しているだけだ。

 かつて読者には、怒りが必要だった。

 かつて読者には、喜びが必要だった。

 かつて読者には、哀しみが必要だった。

 かつて読者には、楽しみが必要だった。

 1990年代(かつて)、2000年代(かつて)、伊藤計劃が生きていた時代(かつて)。

 それは過ぎ去った名作と時代に向けられる弔いの言葉

 かつて読者には、「これ」こそがわたしであるという思い込み必要だった。

<list:protocol>

<p:チケット券売機で買う>

<p:購入したチケットをもぎりのあんちゃんに渡す>

<p:その他パンフ等を入念にチェックする>

</list>

大丈夫。わたしは観られる」

 そうつぶやくと、斜面に並べられ、ふかふかのウレタンの詰まった座席に腰を沈めた。

「やあ、読者。七年ぶり、だよね」

「でしょ。ここでやってるって、映画.com で聞いたから」

「『屍者の帝国』は――残念だった。エンディングロール後も」

 不思議と、そう言われても頭に血が上りはしなかった。

「でも、仕方なかったって言うんでしょうね、きっと」

「ええ、言うわ。『仕方なかった』」

 わたしは例の盗撮注意CMを聞いた。映画泥棒パトランプの白い指先をかすめ、法で定められた条文が読み上げられる。

「わたしにとっては、仕方なくないわ」

「そうだね。でもこれ以上衰退させるわけにはいかないんだよ。わたしたちの世界SF)をね」

プロジェクトがあるから?」

「そう。わたしたちの望みはね、伊藤計劃読者のハーモニクスなの」

 わたしはね、永遠と人々が思っているものに、不意打ちを与えたい。

 止まってしまった時代に、一撃を食らわせたい。

 わたしたち三作の死が、その一撃なの……。そうわたしは聞いた。世界って変わるの。

 わたしたちにとっては、すべてが変わってしまうわ。

「ついに、わたしたちはここまで来た」

「ここまでって」

「『すばらしき新世界』。ユートピアだよ。

 業界幸福を目指すか。真理を目指すか。読者は<天才夭逝>のあと幸福を選んだ。まやかし永遠であることを、自分進化のその場その場の適応パッチの塊で、継ぎ接ぎの出来損ないなコンテンツであることの否定を選んだ。人格を圧倒すれば、それが得られる。すべて、わたしたちが読んでいるこの世界のすべてをシノギに置換すれば、それが得られる。読者はもう、戻ることのできない一線を超えてしまっていたんだよ」

 わたしは画面にくぎづけになったまま、戸惑いの表情を浮かべる。

 それを憎んでいたのは、

 誰よりも否定していたのは、

 伊藤計劃あなたじゃなかったの。

wikipedia で見たわ。あなたは――」

「そ、わたしは『意識のない』作家の一員。というより、生を必要としない作家の一員、と言ったほうがいいかな。生を獲得した今となっては、だった、って過去形なっちゃうけど。わたしの生はあなたたちのそれとは管理する現実のセクションが違うんだよ。TOHOアニメーション早川書房の一部でエミュレーションしている、らしい。わたしのプロジェクトはね、ここで生まれたんだ」

 性器が屹立したような桃色の建造物の群れ。『チャージマン研』のころの未来像。

「ここはね、アニメスタジオだった。書店から誘拐された原作本(おんなのこ)たちが、ここで毎日アニメーターにやられてた」

 百合百合百合

「わたしにのしかかってきたプロデューサーはね、わたしに繰り返し繰り返し入れながら、原画台本をわたしに触らせてた。これがアニメだ、これが贈与だ、これが力だって言いながら、まるで自分のもうひとつペニスをさすらせ、しゃぶらせるようにわたしの口にredjuiceを突っ込んで、何度も何度も突き入れた」

 わたしは計劃の話を聞きながら、既に涙を流していた。

 これほどのことを、こうもにこやかにさわやかに話すことのできる意識

 それはいったい何なのだろうか。

「そうして突き入れられて、台本修正校でべたべたにしているときに、わたしは生まれたの。このスクリーンなかには、LINEスタンプ新装カバーコミカライズ特集トリビュートアンソロジーもグッズも本屋大賞も、すべての夢がたっぷりと染みついている。わたしは希望のなかでもう一度生まれた。いわゆる、プロジェクトとしてね」

「計劃は言ってたじゃない」と言うわたしの顔は涙と鼻水でぼろぼろになっている。

「計劃はこの世界を憎んでいるって。愛し愛され真綿で首を締められるようなこの産業を憎んでるって。どうなの、あそこはここ、この劇場よりひどい場所だったの……わたしたちの読んでいたジャンルは、この生首ディスカッションばかりのアニメよりひどい作品だったの……」

「どうしたらいいか、わからなかった。

 わたしは1990年代に、2000年代に生きていた。

 この世界を憎んで、この世界に居場所がないって、どの作品も叫んでいた。わたしはそのときに思ったの。わたしは人間がどれだけに自意識過剰になれるか知っている。そしていま、逆に人間自意識を――自然を押さえつけようとして、どれだけ壊れていくかを知った。そのときは、わたしは単純に思ったの。この社会が、このクール・ジャパンが、この2010年代という時代の仕組みがおかしいんだって。内部から自分の裡からあのときの感動を徹底して求める読者がおかしいんだって考えたの」

 そうだ。商業健康を何よりも優先すべき価値観とするイデオロギーの許に、ポジティブ感想を常に提出しつづけなければならない空気ジャンルの存続のために自らを厳しく律することが平和協調と新作を生むと皆が信じている社会

「そう、あなたはこの業界の仕組みを憎んだ」

「でも、manglobeが潰れたときに、わたしは学んだの」

「何を」

「読者は変われるってこと。読者としての、信者としての偏狭視点限界突破できるってことに」

「この業界を、わたしたち読者を憎んでいるから、あん桜Trickを作ったわけじゃないのね」

「うん。わたしは愛している。この映画を全力で愛してる。あなたたちを愛してる――すべてはこの世界肯定するため。すべては『わたし』を忘却できず、『わたし』に侵食される世界を救うための」

「この世界にとって完璧プロジェクトを求めたら、作品の質は最も不要な要素だった。お笑いぐさよね」

「わたしは、笑わなかったよ」

 感動げな大自然映像が流れる。感動げなコーラスが流れる。どこからニコニコ動画の亡霊の歌声が響いてくる。

「そうすべきだと思った。いま、世界中で何万というコンテンツが発生している。日本でもね。ジャンル要請する小さな利益とか、そういう細々した関係性を扱う以前に、わたしたちはまずどうしようもなく読者で、継ぎ接ぎの機能としての快楽や欲望のよせあつめにすぎない、っていうところを忘れることはできないんだ」

あなたは思ったのね。この現状に信者たちがなじめず腐っていくのなら――」

「そ、伊藤計劃読者であることをやめたほうがいい」

 伊藤計劃が指をぱちん、と鳴らすと、今度は『ファイト・クラブ』の上映がはじまった。

 "タイラー・ダーデンを知っているか、とよく訊かれる"……。

「というより、読者であることをやめたほうがいい。SFファンを、オタクであることをやめたほうがいい。文化が生み出した継ぎ接ぎの快楽摂取行為にすぎない読書を、この身体の隅々まで徹底して駆逐して、骨の髄まで社会的存在に変化したほうがいい。わたしがわたしであることを捨てたほうがいい。社畜になったほうがいい。書を捨てよ、会社に行こう――『わたし』とか意識とか、夭逝天才だとか、プロジェクトだとか、SFだとか、アニメだとか、映画だとか、環境がその場しのぎで人類に与えた機能は削除したほうがいい。そうすれば、復讐を目指したあなたたちに、本物の復讐が訪れる」

「じゃあ、計劃は戻りたかったんだ。あの『エヴァンゲリオン』以前の風景に。自分民族本来はそう在ったはずの風景に」

 伊藤計劃は小さくうつむくと、そっとうなずいて、

「そう、なのかもしれない。ううん、きっとそうなんだね」

「じゃあ、それを奪うことは、わたしのささやか復讐になるのかな」

「え」

SF死ぬ必要がなかった。だから早川コンテストを再建したんでしょ。創元は短編賞作ったんでしょう」

「……そう、なのかな」

あなたの『プロジェクト』は自己正当化する必要があった。あのときは。既に受賞済みの、止めようがない才能たちに対して」

「そうなのかな」

 わたしはうなずいて、そしてきちんと座り直した。

「だから、わたしはここでSFと冬の時代復讐をする」

「どうやって」


あなたの望んだ映画は公開してあげる。

 だけど、あなたの望んだ忘却は与えない」


 そして、わたしは席を立った。

 
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