はてなキーワード: SDガンダムフォースとは
これは「意見がネットでは多数派だったはずだ。*1」で挙げられてるソースというかサンプルが極めて偏ってるというか、5ch(2ch)のニュー速(嫌儲)を挙げられてもそのっていう話ではある。それで多数派は無理やろ的な……。
ただこの辺は正直もとの増田が間違ってるというだけで済むような話ではなくって、ネットの多数派なるものをサンプリングしたい時どこをどう掘ればいいのか、という話にはなる。確かに2chを実質多数派扱いできる時代はあったわけだし、一方でそれはねーよという異論も超認めなきゃいけないわけだし、そしてそのどちらも過去の歴史ではある。いまや5chは(あとふたばもとかか)老人の巣窟であろうし。もちろん各ユーザーの年齢構成が実際どうなのかという統計は無いはずなので、「であろうし」の部分は叩いてくれても構わないのだが。(もちろんはてな・増田だってそういう意味では多数派なんかじゃない)
でっていうか話をラップに戻すのだが、これが許す許されないの歴史については、そもそも「許されない」という現象が明示的に発生していなかった、もしくはあっても力で捩じ伏せられてきた、よって大昔から実質許されてきた、としか言いようがない。
つまり例え話として2000年代を例に挙げるが、エウレカやSDガンダムフォースの曲がめちゃくちゃ叩かれて大炎上して以降ラップが使われなくなりました「などという歴史が結局実在せず」その後も様々なアニソンで使われ続けてきた以上、叩いてた奴なんかいなかったか、いても少数派として肯定系多数派に勝てなかったのだろうということになる(そして後者は、こういうと元エントリの言いたい文脈からは場外乱闘反則になってしまい申し訳ないのだが、「別にインターネット上の声である必要はない」)。
またこの文脈では例えネタ扱いであっても売れたり歴史に残ったりすれば良いわけで、そこも叩く側にはブーメラン的な不利ではあったかもしれない。古参インターネット民の声はいつだって現実側にとってアテにならないものである。war...war...ネット上争いはstop it...現実売上には勝てぬから…
なお自分はラップというか音楽全般に詳しくないため、ヒップホップ界隈から見た場合の個々のアニソンラップが良悪どのように評価されているかは知らない。その方面からの(ある種正当な)批判もあるのかもしれないが、この辺りは(今回は)脱線もいいところであろう。
東京怖い
東京恐ろしい
今までの人生で一回しか行ったことないのに、一週間も滞在するなんてむーりぃー
と思っている増田、多いんだろうなあ
というわけで、いろんな人の東京の意見を聞いて、参考にしてください
出渕裕「東京はTOKYO JUPITERに覆われているからですね」
押井守「それ、メガゾーン23のパクリじゃね? メカ音痴なだけでなく、設定もパクるのか。
出渕裕「パパパ、パクってねえし!」
押井守「よくみたら、ジェガンとイングラムも一緒だし、お前の人生パクリだな」
押井守「は? なら、俺が攻殻機動隊にラムちゃん出してもいいのか? ええのか?」
押井守「俺のもんじゃ! なんなら、夏と花火と私の死体もJOJOも俺のもんじゃ!」
押井守「ちょっと待てよ、JOJOが俺のものということは、西尾維新も俺のものであり、俺は神谷浩史と結婚していたのか!?!?」
出渕裕「なんでだよ! 全方位的になんでだよ!」
押井守「だって、週刊誌に書いてあったよ、アジアナンバーワン人気声優神谷浩史自身が主演のアニメ原作者と結婚! って」
出渕裕「その理屈なら、SDガンダムフォースでも主演してるから、富野さんとも結婚してるよ」
押井守「えええ!?!? そ、そんな! じゃあ、なんで君たちのアレをアニメ化するときサンラインズに言いいかなかったのさ」
出渕裕「あーもう、めちゃくちゃだよ」
キミにはちょっと早かったみたいだね。
オススメのガンダムがある。「SDガンダムフォース」っていうんだけど。
そのあとは「Gガンダム」を観てね。
http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「∀以前」を濃縮しきっていて、「∀以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。長さも4クールだし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この世界名作劇場的総まとめな作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなアニメ(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「ガンオタとしてはこの二つは“腐女子向け”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のSFアニメオタが持ってる軌道エレベーター時代への憧憬と、スタジオオルフェ監修のオタ的な考証へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも水島精二な
「俺ガン(俺ガンとは - はてなダイアリーではなく、「俺がガンダムだ」の台詞)なださカッコよさ」を体現する刹那
の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「○○○だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の主義主張が(先進国では)その後続いていないこと、これが中東では大人気になったこと、
全米ならドキュメンタリーになって、それが劇場で公開されてもおかしくはなさそうなのに、
00年代でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱりアニメは子供のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「機動武闘伝Gガンダム」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける3DCGへの思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも「ガンダムシリーズ」の最長の全52話、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「3DCG」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
「ザコザコアワー」の長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが
富野や福田だったらきっちり全50話にしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて全52話を作ってしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえSDガンダムがそういう作風でなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でZ見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
逆シャアよりも前の段階で、富野の哲学とかアニメ技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの作品がテレビアニメでこの時代にかかっていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくアニメ好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆるブレンパワード以前の富野を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
富野の「目」あるいは「絵づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「終わらないガンダムシリーズに区切りをつける」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそアニメ版『∀ガンダム』最終話は「ディアナ様、また明日」以外ではあり得なかったとも思う。
「人気シリーズ化したガンダムと共に生きる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
終着点は逆襲のシャアにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうヤンデレ風味の恋愛をこういうかたち(カテジナさん)でアニメ化して、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にファーストを選んだ。
∀から始まってファーストで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、80年代以降のアニメ時代の先駆けと
なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
セル彩色だけど、カメラがデジタル化されたのでそのそのままビデオコンポジットという感じですかね。
エフェクトは光学ではなく、CGあるいはビデオ合成していたのでしょうか。興味あります。
∀ガンダムなんかでも、カプルがこちらに向かってくるときにすごいゲンナリするようなズームで飛んできたりして、デジタル編集のこなれていない感があったんだけど、サンライズ第1??3スタがどのへんでデジタル作画に切り替えたか、資料がでてこないのです。SDガンダムフォースなんかは、谷原のサンライズDIDがバリバリにやっていたっぽいのですが。
セルアニメがデジタル化したことの最大の恩恵は、使用できる色数の制限がなくなったことと、撮影表現の可能性が飛躍的に広がったということだと思います。
撮影台で、拝啓やセル画を重ねて光学撮影するというアナログ環境においては、A,B,Cセル……と重ねる枚数に物理的限界がありました(向こうがみえなくなっちゃうので)が、デジタル撮影では、ご存知のようにレイヤーが無限に重ねることができますので、ひとつのシーンを作るのにZセルまで使う!なんてことも可能になっていますね。