はてなキーワード: MS-DOSとは
ガラケーとiPhoneは、ゲーム機とPCぐらい違うものだ。目的が違う。そのPCの中でも融通がきかないのがiOSで、融通がきくのがandroidだ。
ガラケーは連綿と続いた開発で洗練されているし、スマホは今が発展期だ。
iPhoneは、iTunes(今ならiCloud)を持ち運ぶデバイスとしてのコンセプトがあるわけだし、編集やコピーうんぬんはアップルとしてはパソコンですれば?って事だろう。シークレットについてはグループ分けすればいいんじゃない?
あと、アドレス帳は標準ではグループが無くて全ての連絡先が一緒だけど、iCloudから編集、グループ分けができるから、iCloudから連絡帳を開いてみてね!
俺は、物心ついた頃から家にコンピュータがあり、MS-DOSも、Windows 3.1も、PC-9801も触ってた。小学校時代には市内にプロバイダーが一個しかない頃からダイヤルアップ28.8kbpsでインターネットしてたし(時代はテレホーダイ)、中学時代にはWeb制作やプログラミングを覚えてた。高校時代には自作プログラムを配布したりしてたし、大学時代には代行制作でお金もらったりもしていて、今はIT企業に勤めて2年目になる。つまり何が言いたいかと言うと、俺は昔からインドアの陰キャラの陰毛野郎で、コンピュータが友達みたいな奴だった。余暇のほとんどをコンピュータと共に過ごしたし、それはそれで楽しかった。
でもそのせいで、他のみんなが興味を持つことに対して興味を失ってしまった。テレビみないし、基礎体力づくりができてないからダイビングとかスノボとか誘われても行きたくないし、みんなでスマブラやろってなっても俺だけ弱い。俺がコンピュータに向き合っていた時間と同じだけ、他のみんなはテレビを見て話題づくりをしていたし、サッカーとかして基礎体力づくりをしていたし、スマブラの練習をしていた。対して俺は、人間ではなくコンピュータを友達に選んでいたのだ。この結論に達したとき、なんともいえぬ空虚感にさいなまれた。俺は、人と違うことを選んでしまったがために、人が楽しめることを楽しめない人間なんだ、と思いながら生きてきた。
先日、大学時代の友人の結婚披露宴に招待されて行ってきた。余興を頼まれていたので、得意のコンピュータを活かしてビデオレターを作って流してプレゼントした。披露宴と二次会の様子を趣味のデジイチで撮った写真を製本してプレゼントした。参加者に向けて写真とビデオをまとめて思い出サイトも作った。そしたら、ものすごく喜んでもらえた。あ、こんなにも喜んでもらえるんやったら、今まで俺がしてきた時間の使い方、一概に間違いと決めつけるのも良くないのかもな、と思った。生きてたら何かしら経験してるはずで、経験値を得てるんよな。できないことがあっても、できることがあったらええやんな。さ、今週もがんばって働こー!
私は昨年度、ゲーム系専門学校を卒業したが、内定なしでの卒業だった。
就職活動は見かけ上は頑張っていた。見かけ上は。
しかし、これは就職課の言う「受けろ受けろ受けまくれ!」という言葉を実践していただけで、今思うと受かることより受ける事に比重を置いていたのが良く解る。
受ける会社に入る気はあったのだが、入ってから何をしたいかとかは一切考えず、とにかく受けられるから受けていた状態である。
良く書き損じていたので履歴書は何枚書いたかも良く解らないけど、中身のない履歴書だなとは活動中常々思っていた。
正直なところ、活動中は自分は何も持っていない人間だと思い込んでいたし、今でもそう思う
というわけで、今までの人生を振り返ってみることにする
幼稚園児の頃は普通に友達を作り良く遊んでいたが、基本いじめられっこであった
家では偶にMS-DOSを触ってインベーダーゲームだのブロック崩しだのをやっていた
小学校に入ってからも低学年の頃は大方似たようなことをしていたが、PCはWindows95になっていた
CUIとはおさらばして、GUIでレーシングゲームとかをやっていた記憶がある
中学年くらいでネットとエロサイトを覚え、Yahooでアダルトサイトを探していた
この頃にはWindowsの基本操作はマスターしていて、ローマ字も当たり前に知っていたので小学校のローマ字の授業は楽ちんだった
当時の私は非常に馬鹿だったので、毎回「ア」とだけ入れて検索して、何ページもめくって「アダルト」のカテゴリにたどり着いていた
勿論使っていたのは親のパソコンだったので、ばれないように履歴を消したり、Q2ダイアルのアプリを消す方法も身に付けた
誰からも教わっていないのにQ2ダイアルのソフトが出ないように始末できた自分は凄かったと思う
この頃は文系である社会と理系である理科の成績だけが妙に高かった
中学生活が始まると親からお古のノートパソコンを貰うことが出来た
この為、非常にインターネットに入り浸る最悪の生活が始まった
これが非常に楽しく、社会人や主婦を相手にし良くお喋りをしていた物である
あちらからしたら、こんな年少者がいるなど驚愕の沙汰であったのは間違いがない
そうこうしていると、親からはネットの禁止令が出たが、幸いにもパソコンと回線だけは奪われなかったので、ありとあらゆる手段を使い隠れてネットをしていた
丁度自室の真上の部屋にモデムがあったので、親がトイレに行った隙などを見計らい電源を入れて、水が流れた音がしたら電源を切るなどの姑息な事を良くしていた
最後はモデムのある部屋に南京錠を掛けられたが、ばれないように錠前そのものを外して部屋に入ったりしていた
勿論、勉強などしているはずもなかった
自体はどんどん悪い方向へしか行かなかった
因みに部活はテニス部に入ったのだが部活は性に合わないという事で三ヶ月で抜けている
中学2年になるとゲーム系のコミュニティサイトに入りびたりはじめ、そこでの交流に嵌ってしまう(そこの年齢層は小5~高1程度)
そうこうしている内に自分のWebサイトを立ち上げようと思い、HTMLの勉強を始めた
リファレンスサイトは殆ど見ることなく、正直ソースコードの改変で知識を蓄えていた
ぶっちゃけ中身のないサイトだったが、毎日日記だけは書いていた記憶がある
このサイトを運営していく中で色々な事もあった
他人のサイトで迷惑を掛けたり、こっちが掛けられたり
まぁ中2らしいと言えばらしい、そんなネットライフを送っていた
そして中3になり、更に事態は悪化した
リアル友人の勧めや、ネットで知り合った人たちの勧めなどで人生は素敵な方向へねじ曲がる
まずラグナロクオンラインとかいうタイトルを知ってしまう
まだこの頃プレイできる環境にはなかったのだが、プレイしたいという強い願望にかられた
それとはまた別にシスタープリンセス、灼眼のシャナ、Kanon、AIR、みずいろ、月姫、水月などと言った作品と出会ってしまう
いわゆる萌え系作品への出会いだ
高校に入ると新しいノートパソコンを親から買ってもらい、ラグナロクオンラインを始めた
これのおかげで高校の成績は常にカスだった
高校時代やったことなんてラグナロクオンライン以外にいう事がないくらいだ
しいてもう一つ言えば、小遣いと昼飯代とお年玉を全てエロゲーとエロサイトに回して3年間で20万くらい使ったこと
イーバンクはやばかった
そして上京してまで専門学校のゲーム学科に入った、今思えばソフト学科に入るべきだったと思う
理由は座学より実践でしょ!とソフト科の教師に言われたというそれだけ(ゲーム学科は実践、ソフト学科は座学が基本だった)
心機一転ネトゲは辞めようという事でアカウントまで消したのだが、勉強への熱意は半年で消え
その後はネトゲのアカウントを消したという後悔の念に苛まれて何もやる気が起きなかった
二年目にして、ネトゲへの復帰を果たし、再びネトゲ廃人になった
就活もしていたが、冒頭で述べた通り芳しくはなかった、そもそもやる気がなかった
ただ、そんな中でも真面目に受けていた授業がなかったわけではない
1年~3年にかけ、ゲームプログラミングはクソだと思っていたのだが、ゲームと関連性のない授業はまともに受けていた物が一部にあった
特に3年のアーキテクチャとアプリケーション開発は大分真面目にやっていた
最初はフリーターにでもなろうかと思ったが、決心が固まらず新卒者就職応援プロジェクトに応募した
そして、もうそろそろ一年が経とうとする今、結果として3社回った
専門学校での就活は40社受けたのだが、業種は絞らずありとあらゆる業界、業種を受けていた
働ければ何でもいいと思っていた
でもインターンをしてみて思ったのは、働ければ何でもいいなんてことは全くなかった
始めの工業系は仕事がなかった、楽ではあったのだが何か違うように感じた
営業系は仕事はあるが、とてもじゃないがモラルも糞もないし、その内訴えられて潰れそうなことばかりしている
少なくとも社会貢献と言うより、社会を破壊する業務しかしていない
客を欺き、金が落ちた後なら客がどうなろうと知った事ではない
とてもじゃないがこんな思想の元で働きたくはないと思った
ニコニコスマイルで限りなく詐欺に近いか、正真正銘の詐欺である営業をさせられるのは辛い
そう、働ければ何でもいいなんて言うことはなかった
そりゃ座ってるだけでお金がもらえるなら、それに越したことはないんだろうけど、それだと将来が不安過ぎる
もし会社が潰れたらどうなるのかなんて考えた日には転職先がありゃしない
気が付いたら、もうネトゲはしていなくって、むしろほとんど遊んでいない状態だ
今はまだその詐欺営業の会社に身を置いているのだが、業務上でも色々考える事が合ったりして、それを考えたり
後はPHPでTwitterのAPI叩いたりするものを作ったり、Perlでファイルフォーマットの変換スクリプトを組んだりしている
最近こういう事をしてて思うのは、プログラミングっておもしれーなってことだ
正直今の私の技術力なんてミジンコレベルなのだけれども、今更やっと進みたい道が見えた気がした
人生の本当に長い間、多分私は寝ている時間を除けばパソコンに触れている時間が最も長かったかもしれない
今まで散々遊んできた分際でいうのも生意気だろうが、IT系の会社に行きたい
やりたくもない事をやっても仕方がないし、やる気が出ないからどの道何も進まない
ITならやる気が出るのか?と聞かれたら、少なくともほかのよりは出るとしか答えられないけど、でもやりたい
就活でも最終面接まで二度も行けたのはIT系だけで、一般職の結果は散々たるものだった
正直、そこらの人よりはITが好きだし、技術に興味もある
ネトゲやつまらない事しか書いて無かったBlogやTwitterも今では更新頻度が減り、技術勉強ノートと化しているし、Pukiwikiを立ててノート代わりに使ってもいる
自分が長く接してきたのはWebだから、特にWebのシステムやサーバーの運用に興味がある感じ
あとは、Tweenみたいにな多くの人に利用される一般アプリも作ってみたいって願望もあったりはしますね
今までは情熱の欠片もない就活ばかりしてたけれども、今度からはもっと上手くいきそうな気がします
ここ最近まで大して就活する気がなかったけれど、今になってようやく就職する目的、情熱が見つかった感じです
一体ここまで遊んできた私に何ができるのかは謎ですが、出来る限り今後は頑張って行きたいと思います
ぶっちゃけ遊ぶだけならもう散々遊んできたしね
そこで置き忘れてきたものを今からでもなんとかして取り戻す
どこからつっこもうかと思ったけど、やっぱやめた。
で、おっさんのクソつまんねー思い出話や愚痴でも。
ミトニックのクラッキングがすでに伝説となっていた二昔前、今じゃ考えられないがワープロで1分間に60文字打てれば「すごい人」「先進的」「ハッカー的」などと思われていた。
ソフトウェアは FDD でのコピーが横行し、そういうグレーな行動で行動で存在感を示そうとした馬鹿野郎が増えて一部で問題になっていた。
5インチFDD を使った MS-DOS が主流だったから、1990年代前半のことだ。
しばらくしたら、今じゃ考えられないが HTML をメモ帳で書いてホームページを立ち上げることができれば「すごい人」「先進的」「ハッカー的」などと思われた時代がきた。
HTML や画像に音楽・映画ファイルなどを埋め込んだり、そういうグレーな行動で存在感を示そうとした馬鹿野郎が増えて一部で問題になっていた。
メディアは 3.5インチ FDD から CD-R に代わりつつあり、Windows の新バージョンが販売されるたびに行列ができていたから、1990年代後半のことだ。
もうすこし経つと、サーバを立ち上げることができれば「すごい人」「先進的」「ハッカー的」などと思われた時代がきた。
P2Pで直接ファイルをやりとりするようになると、音楽・映画ファイルなどをアップロードしたり、そういうグレーな行動で存在感を示そうとした馬鹿野郎が増えて一部で問題になっていた。
WinMX ~ Winny が全盛だった時代だから、2001年~2005年だ。
それ以後も、同じように「技術開発」→「悪用される」の繰り返しだ。
いまだに思う。
まだまだハッカーは足りない。
単にコンピュータを利用する画家のような、クリエイティブなユーザでもいい。
0 と 1 でしか表現できない無能なコンピュータを、賢く使えるハッカーとなってほしい。
ネットワークを便利に使えるWebエンジニアが増えるほどには、そのインフラを支えるネットワークエンジニアが足らない。
仕舞いには、ITの歴史を田舎のヤンキーにこじつけて罵倒するしかできない低脳まで現れる。
そんなもん「おまえがキライ」で済ませろや。
事前説明もほとんど受けられず、企業も新卒者も制度を把握しないまま続いてるカオス制度。
聞けば教えてくれるけど、聞かなければほとんど何も教えてくれない。
ほんとお笑い。
二ヶ月間くらい肉体労働系の会社に行ってたけど、まるで駄目だったので、このまま続けても仕方がないかと思って辞めようと派遣会社に連絡したら、担当の人から「企業を変更することも可能なんですよ!」なんて素晴らしい台詞を頂いた。
今度は卒業した学校の関係でIT企業(Web系)を受けてみたのだけど、企業担当者と話すときに社員数や熱意とかを聞かなかったせいで中々酷い目にあった。
後でわかったのだが、社長と副社長しかいないらしい、そりゃこねーわwww
事務所は貸してあげるからウチの業務を好きに勉強してね☆ミって方針。
出来る子ならいいんだろうけど、生憎俺にそこまでの気力はなかった。
(なんで、その企業を受けたの?って話ですけど、甘い考えですけど、僕はてっきりある程度までは教えてくれるんだと思ってたんですよ。)
つーか、前からいたインターン生の一人が何やら仕切っているのだが、大してわかってないくせに妙に仕切ってるからなんだかムカつくし…。
言動とかも妙に癪に障るし。
しかも、あと少ししたら気味にも実務を担当してもらうから必死に勉強してね!とかそのインターン生が言うもんなんで挫折した。
もうここではやっていけないっていう確信を持った。
プレッシャーが凄い。やるかやらないか、やれないなら出て行けって感じ。
確かにその通りなんだけど、その通り過ぎて出ていくしかないっていう。
正直、前の企業にいた方が随分とましだった(役には立てなくても籍だけは置けたから)
このIT企業で唯一学べたことはベンチャーは糞だってことだった。
丁度最近のGIGAZINEとかみてもそうだし、全部が全部ではないとはいえ、第一印象は糞だった。
取り敢えずはWeb系=ベンチャーってことにしておこう。少なくとも地雷。
取り敢えず、今日でこのIT企業は辞めようと思うのだが、記憶が確かならもう企業は選べないらしい。
親元を離れて単身の僕はこれからどうするべきだろうか?
精神的に親元には帰りたくないし、実質帰れない。
(実家に帰ると精神障害者がいるので自分まで池沼になりそうだし、
今住んでるところを出ると契約の関係で高額の違約金を払わないといけないので)
選択肢としてはアルバイトくらいだろうが、生まれてこの方やったことがないというね。
このあいだネカフェのバイトにネットから応募して面接受けに入ったら、店の人から「いやいや、そんなのしらないし、聞いてませんよ」とか白い目で見られたし。意味不明だし。
俺が間違ってたのかと思って、家に帰って求人情報見たら面接日時も場所も合ってたし、マジ意味不明。
勿論、次のバイト先も探して応募するけど、果たして雇ってもらえるのか?という疑念はある。
早くしないとお金もないから辛いし。
まぁ、雇ってもらえるかどうか気にしてたら埒が明かないから、応募しまくるしかないんだけど。
落とされなかったら可能性があるってことだろう多分!って信じてる。
若いうちは何でもやった方がいい気がするんだ。挑戦だ!
一番は、新卒者応援プロジェクトで別の企業の斡旋を受けられることなんだけど、多分無理だからね。
新卒者応援プロジェクトを続けられれば就活もスムーズにできるんだけど(今まではやってなかった)
それが無理ならバイトしながら就活するしかない…となると結構厳しそうではある
バイト先に就職とかもしてみたいけど、バイト募集してるのって将来性がなさそうな場所ばっかなんだよね
果たして僕はどこへ進んでいけばいいのだろうか…。
因みに学生時代の就活は40社程度受けました。全部落ちました。
警備・食品・廃棄物・清掃・小売・営業・流通・IT・飲食他にも色々受けました。
選り好みしなさすぎですね。介護だけは受けませんでしたが。
まぁこれが就活に失敗した要因の一つであることは間違いがないんですが。
漠然と持っているのは、事務職なら勤まりそうっていうのと、ネットワークとかサーバーの運用管理に興味があるってことくらい。
(具体的に企業名は挙げませんが、興味のある鯖屋が一社だけあります。もとい、その企業のせいで興味が芽生えたに近い。)
趣味はこういう感じで長文をグダグダ書いたり、ラノベを読んだり、ひたすらネット上の情報を読んだり、漫画を読んだり、RPGやったり、ネトゲしたり、オタショップを渡り歩いたり、買い物することです。
長く続けていることは自己サイトの運営、もう9年目です。老舗とかそういう部類に入ってる頃ですね。
ここ数年では時代の波(笑)にのってブログ形態に移行してます。
PC歴は年齢-3年。そこらの餓鬼が絵本読んでた頃にはブロック崩しとかインベーダーやってました。PC-9801で。MS-DOS3.2だったかなぁ?
専門学生になるまでインベーダーゲームはパソゲーだと思ってました。まさかゲーセンのゲームだったとはw
でも別にコアゲーマーでもないし、アニメもそこまで見てません(1クール1,2作)
変態ベクトルは大分逝ってると思います。そんじょそこらの変態に負けない自信はあります(キリッ
ピザではなくガリの部類です
特技は特にありませんし、得意科目と言えるものもないです
「高校の情報」なら学年トップだった気はします
大したもんでもないですが、情報活用二級程度は何もせず取れました。
基本情報技術者は問題の1割くらいしか解けません。
だけど何故か有識者から結構解ってる人と誤解される事があります。
なんかどうでもいい御託をつらつら並べましたけど、誰か僕みたいな人間ほしいトコありませんか?
どこかで言った気もするんですが、秋葉原はどういう方向に向かっていくんだろう、と時々思います。
僕の年齢が2桁にもなっていない頃、あの地は電子部品を売る店しかありませんでした。そもそもまだ大衆にPCが普及しておらず、電化製品というハード、というか主にそのパーツを売る場所だったんですよね。それが齢10歳を越えた辺りで先駆的PC販売がなされるようになってきて(まだMS-DOSとかBASIC言語の時代ね)、やっとこ大手電気店がPCの陳列をはじめだしたという記憶があります。
そして時代は流れて元号が変わって平成になり、だんだんサブカルチャとしてのメディアが生産されるようになって来ました(PCおよび電化製品ハード→ソフトへの転換期)。この時期に既存電気店のような物質(ハード)を売る店ではなく、販売ターゲットをソフトメインに据えたいわゆるPCゲーム店(?)が作られていき、PC美少女ゲーム層を形成しつつ、おりからのエヴァンゲリオンブームにも乗っかったカタチになり、アニメとゲームを融合させたメディアミックスという方向性を作り出すことになります。で、この複数面への展開が期待できるメディアミックスが、その有意浸透性を遺憾なく発揮した結果として今のオタクブームがあるわけですが、ここでの話はそっちへ向かわず(笑)、ハード→ソフト→多種メディアと遷移していった秋葉原電気街はすでに「秋葉原電子街」に様変わりしました。この辺までがオタク面からの認識できる範囲です。オタク視点であればここまでの変化が重要なのであり、本文これ以下の変化はそれほど重要と捉えていない気もします。
しかしながら昨今の秋葉原駅前再開発理念によって、UDXやダイビル等、本来の意味でのITビジネス方面への開発が進みだしました。これによって北神田地域周辺に今まで存在していそうで存在し得なかった「ITの波」といえる新しい方向性が植え込まれることになりました。この新波は既存のアキバ=オタクとは一線を画す(オタクと対をなす単語でよいものが思いつきませんが、ここでは「カタギ」と形容したい)ものであり、あまり交じり合いそうには僕には思えないんですが。どうなんでしょうか。
個人的には今後秋葉原電気街口、広義の北神田周辺地域は今もっている一般的な「電気街」「サブカルの街」「オタク街」という基本構成は今後薄れていくんではないかと思います。電気街→電子街への遷移はもうすでに書いてますがこの変移が行われたことこそ、今後の秋葉原の(方向性の)変革がおきやすいということの裏づけになるのではないかと考えます。結果的にいくつかの変革的ステージ(電気→電子→サブカル)を辿ってこれたということは、今後も柔軟にその形を変形できるということに他ならないのではないかと思うわけです。駅前再開発によりITビジネスを取り入れることに成功した秋葉原は、ITビジネスに限らずそれに付随する他の業種(例えば出張用宿泊施設とか、ランチ外食産業とか)も招き入れたということであり、それらは現在の「アキバ」とはちょっとまた方向性が違います。
相関があまりない物同士を混ぜ合わせるなら、その混合色は薄まっていくでしょう。
今のアキバをオタクの街として楽しめるのは、あと数年程度なのではないでしょうか。
※ 僕個人としては再開発自体に不満はないですし、変革も特別反対する理由も有りません。流れるように流れるべきです。既存層に傾倒するつもりもなく、かといって新風に肩入れするつもりもありません。単なるオブザーバとしての発言ですのでご理解いただけると幸いです。
「パーソナルコンピュータ」の略は日本だとパソコンだけど、アメリカだとPCになる。
そのアメリカでは、IBMが出したIBM-PCが80年代初めに売れたものだから、PCがパーソナルコンピュータの意味だけではなく、IBMのパソコン(あと、大量に生まれたIBM-PCクローン)を意味するようになってしまった。
そしてIBM-PCにつまれていたMS-DOSがWindowsに変わっていく中で、IBMのパソコンだけでなくウインドウズ機全般をPCと呼ぶ慣習が生まれてしまった。
なのでアメリカではマックはPCではない、はPCをウインドウズ機の意味で使う限り当然正しい文章なんだけど、このPCをパソコンと理解してしまった日本では混乱が生じて、アップル精神論じみたことを言う人がでてくるんだよ。
余談だけど
Microsoft Office 2007とか、「改悪」って言われているけど、あれって、自分よりずっと優秀なインターフェースの研究者に超お金かけて「直感的」を実装した結果なんだよね、たぶん。
MSは既存のOfficeユーザーが「直感的」を求める人種かどうかをまず考えるべきだったと思。
あと漢字文化圏の人間は、漢字自体がまず汎用iconなので、それを非汎用iconである『絵』にされるとかえって理解は妨げられ反応も遅くなる、というのが不評の理由でもあると思う。日本人にとっては「印刷」とか「削除」とかいう二文字で十分直感的なのであって、それを絵にされると「え?何この絵。ああ、プリンターの絵か。つーことはこれが印刷のボタンか……糞、使いづれえ」という反応になるのは火を見るより明らかなんだよね。(余談だけど漢字って、偏(へん)とか旁(つくり)とか、階層的な意味合いも持つという意味で非常に機能性の高いiconでもある。個人的には、その辺意識したソフトを中国の人とかが開発してくれると嬉しい。)まあそんな人間を意識してMSはソフト開発してないという意見もあるかもしれないけど、それは日本支社の人間とかが提言しなきゃいけないこと。
「世代間のデジタルデバイド問題」というのは、むしろ「文化間の…」とか「5年差でもう…」みたいな感じに、今後ますます加速するんじゃないかな。たとえば『MS-DOSでしこしこBATファイルをいじってたような人間が、今の携帯のメニューの多さにはウンザリで赤外線通信すら使えない』みたいな。
http://blog.livedoor.jp/natoi/archives/2008-12.html#20081218
プログラミングやり始めたのは、中1の時。
N88BASICから入ったけど、システムの基幹的なところがわからなかったので、中1の冬に応用MS-DOSとか読んでFATの仕組みとか一通り勉強して、中2の春ごろMASMとCでBIOSとかMS-DOSファンクションコール呼び出して遊んでた。中3の頃はBorland C++とかやってたっけなぁ。
でも、自分は中学時代、一切こういう勉強会みたいなのに行く気がしなかった。1996??1998年ぐらいの話だから、一応インターネットはあったんだよな。
「きっとみんなすごい人たちなんだろうなぁ、自分なんか足元にも及ばないだろうし、そこまで専門的な話を聞いてもその知識をどう生かせばいいのかわからないし・・・」って思ってた。
中3の冬あたりでLinuxをさわりはじめて、sambaとかapacheたてて遊んでたりしたけど。やっぱり、これらのソフトのソースコードを読もう、とかいう気にはなれなかったなぁ、なぜだろう。他のすごい人たちが作っているのだから、自分が勉強したりしたら邪魔かなぁ、と思ったんだと思う。
で、東大入学した。(カーネル勉強会に参加したこの中学生も、今から勉強すれば、東大とか、いい大学ふつーに受かるよ。その方が幸せな人生送れるよ。)
なんか、周りのすごい人たちは、ICPCとかいってる。ICPCとかに参加しても、数学が出来ないといい結果出せないしなぁ、数学は才能だからなぁ、足手まといになりたくないなぁ、って思って、参加しなかった。
院に入る。なんかすごい業績あげている先輩がいる。「なんかみんなすごいなぁ。僕も頑張らないといけないのかもしれないけど、この程度の成果じゃどうしようもないよなぁ」って思っていたら、出せるはずの業績も出せず。
今考えてみると、「あの時、あれに注力していれば、今頃トップになれたかも」みたいなのはあったんだよなぁ。JavaScriptでマルチタスクできないかなぁ??、みたいなことを高校の時にやっていたし。「まだ早い早い」って思いすぎたのが、自分の欠点だったのか。今考えてみると、どの人も、頑張っているけど、それほど革新的なことはやっていない気がするんだよなー。だからといって、自分の考えたものが革新的かといわれると、そりゃ、発表する時は革新的だっていって発表するけど、内心大して革新的じゃないって思っているから、やる気がしないんだよなぁ。
無理だよ。ある程度勉強していかないと。
まず、男で教えて君だとウゼーけどちゃんと教えている店員でも、女(オニャノコ)が来たって時点で身構えてるもん。
こっちの中身はほぼ男みたいなもんでも、人の話を殆ど聞く事無く、既製品買ったほうがいいですよ、的な事いいだすよ。最初に。
クロック数とか位相とかの話とか、あとMZ-80使ってました!幼稚園の頃!記憶媒体テープでした!初めて覚えたコマンドはRUNとLOADです!MS-DOSいいですよね!あれ、ご存知ないの?ああそーなんですか。みたいな話までしないと、打ち解けてくれない。というかそれ迄は女に何が分かるんだとバカにした雰囲気でこっちにくる。
この手の店で店員にCECIL McBEEやLUSHレベルのプロダクトインフォメーションサービスを求めても無駄。
反対に店員でも知らないようなレアな話を幾つか集めておいて、ちょっと興味をひきつけると同属意識を持ってくれて凄く楽。
昨日この記事http://anond.hatelabo.jp/20081124193051書いた増田なんだけど、
女が殆どいない分野だと、どうも製品の見た目の良さとか使い勝手の良さを追求しないから。しょうがない。
売り手がこんなの↑ばっかりのうちは、まだまだ無理かもしれないけど、今は女の子でもセルフメイカー増えてきたし、店員の態度も昔より大分良くなってきたよ。もうちょっと待つんだ。ちなみに携帯も昔は黒一色だったのに今はカラフルでしょ。ユーザーが増えるとそんなもんだよ。
昔話をつらつらと書いてみる。僕が子供の頃、コンピューターには夢があった。
今就いているお仕事は、SE(と言う名のIT雑用係)なのだけど、幸か不幸かこの職種に就いてしまったきっかけを考えるに、昔家に置いてあった『FM-7』と言うマイコンピューターがまず1つの大きな要因なのである。
兄貴がかなりのそっち系コンピューターおたくで、まず電子ブロックから始まり、自作でトランジスタラジオ作成、ワンボードマイコンいじりと家の中には常にそれ系の物が置いてあった。行きたかった秋葉原はうちからは遠かったので、同じ県内にそれ系のショップがあって、バスと電車を乗り継ぎ、たまに連れて行ってもらっていた。
その影響か、血筋か、僕もそれなりにそっち系への興味があって、ハンダゴテをもって基盤を触るまではやらなかったものの、子供の時の遊び道具は、もっぱら電子ブロックだった。
ワンボードマイコンの時代が終わり、次にやってきたのが、マイコンピュータブームだった。当時、コンピューターと言えば、NECのPC-8000シリーズが全盛期で、まず買うとすれば選択肢はPC-8801だったのだけど、なぜか兄貴が選んだのは富士通のFM-7だった。その理由は定かでないが、おそらくやりたいゲームがFM-7しか売ってなかったのだと思う。
その当時、家は裕福でなく、どちらかといえば貧乏な部類で、6+6畳くらいのフロアスペースに家族5人で住んでいたのだが、その狭いスペースにマイコンとディスプレイが一角を占有し、かなりな圧迫を強いられていたと思う。おそらく兄貴に対しては、それなりの期待があり、貧乏ながらもそっち方面の出費は優先的に出ていたのだろう。
そんなこんなで、僕も暇なときはFM-7を触っていた。Windowsとか、MS-DOSとか無い時代で、立ち上げるといきなり「BASICモード」と言うものが立ち上がる。それがその当時のパソコンのスタンダードだった。はじめは「信長の野望」とかゲームだけやっていたと思う。ゲームの媒体はテープレコーダー。まず、ゲームをやるのにテープから「ぴーひょろろー」と音を出し、データを全て読み出すのだけど、ロード終了まで1時間くらい掛かる。そこからようやくゲームが始められると言う今ではとても考えられない、壮大な時間が費やされていた。
それに加えて、テープの調子が悪く読み出しが出来ないときなどはロードの最後の最後で失敗し、結局頭からテープを読み出し直し、半日くらいを費やして、結局ゲームができなかったり、色々面倒だった思い出がある。必死だったけど、楽しかった。
もし、ブックマークが付いたら続き書いていきます。
現在の児童のネットでの扱われ方がすこし気になったので、過去を振り返ってみる。曖昧な記憶なのでところどころ間違っているかもしれない。
私が小学生のころはまだネットが普及する前で、パソコン通信が主流だった。MS-DOSでNIFTY-Serveにつないだりしていた。親は仕事の関係かパソコンをどっぷり使い込んでいたようだけど、私はPCにそれほど興味も無く、NIFTY-Serveはゲーム攻略本ぐらいにしか思っていなかった。パソ通は何か関税障壁のようなものがあって平凡な小学生だった私を寄せ付けない雰囲気だったし、当然ROMで一度も書き込んだ事は無い。親の部屋にはマイコンだのアスキーが積まれていたけど、異世界の言語のようでイミフだったし、多分一生こんな世界には行かないのだろうと思っていた。
当時のNIFTY-Serveの大人たちは小学生のユーザーをどのようにみていたのだろう。いまの私はネットでリアル小学生の実在を認識させられることが何度かあるが、当時は配慮されていたのだろうか。当時の議論や会話が小学生もみていることを前提に行われていたかは、まだ私が幼かったこともあり判断できない。当時NIFTY-Serveにいた大人たちが私たちをどう見ていたのかその視線が今頃気になった。邪魔だったのかなあ。空気読めなかったし。
そんな私がいまはバグと納期に追われながら土日にコソコソと職場で増田を書いているのだから因果なものである。
因みに、このあたりは小学生視線からみた”大きいお友達”に通じるところがある。そして"大きいお友達"からみた小学生。オタップルの子供がオタクになるとは限らない。そのとき子供は親に対してどのような視点を投げかけるか。おそらく世間様からの視線よりも微妙なバランスが生じると思う。
マサチューセッツ工科大学教授でコンピュータ・サイエンスの権威であるサスマンは
「ビル・ゲイツなんてコンピュータ・サイエンスになんの貢献もしてないぜ。
コンピュータの本のなかに彼の名前は1行たりとも掲げる必要はないんじゃないかな。
少なくとも、私にとってはそうだ」と言った。
ビルゲイツはこれをチャンスだとにらんだ。
松下幸之助やブリヂストン創業者の石橋正二郎、最近ではマイクロソフトのビル・ゲイツも、特別な考え方を持っていたわけではありません。
大成功を収めた現在から見れば、だれもが考えつくことを世界で最初に、なおかつ想像を絶する斬新な組み合わせで、世に問うただけなのです。
俺「何?」
姉「有名な探偵を祖父に持つMITを15歳で主席卒業した高校生の主人公は、ある時謎の組織に薬を飲まされ小さくなってしまう。しかし魔界からやってきた謎を食べる魔人とともに探偵事務所を開き、事件を解決してゆく主人公。そんな主人公に犯罪者を心臓麻痺で殺すという前代未聞の殺人事件の依頼が!主人公は人形を手にしながら事件を解決しようとするが、現場に残された食べ物につい気をとられてしまうのであった……
そんな主人公の決め台詞は「僕の頭は酢入りだぜ!」次号お楽しみに!」
俺「パクリじゃねーかー!」
俺「なんてマニアックなんだ……」
姉「ウィンドウズ95なんて大騒ぎしたけど、5年前のマッキントッシュにも追いついてないよ! おまけにほら、その画面のダサくてみっともないこと!まともな美的感覚があったら使えたもんじゃない!」
俺「何で突然山岡wwwwwwwwwwww」
姉「MS-DOSほど使いにくいものはないよ!あんなものを使う奴はマゾヒストだね、だからあれはMS-DOSじゃなくて、SM-DOSってんだ!」
俺「山岡自重wwwwwwwwwwww」
姉「というわけなんだが……こいつをどう思う?」
俺「凄く……パクりです……」
家に一人でいると、ふと変なことを考えるじゃないか。
本当に脈絡もなく。
それで考えたんだ。
10年前って何をしていたのかって。
おっと、俺の年齢を詮索するのは無しだ。気にはしないでくれ。匿名日記なんだから。
で、10年前のことを思い出していたんだ。
まぁ今と変わらないことと言えば、PCを弄くっていた。
けど、完全自作の今と違って、GatewayのPCを使っていたなぁ。
10年前なら、1997。
Windows 95は使っていたか。
HDDの一部にMS-DOSとWindows 3.1のパーティションはあったけど、ほとんどWin95に移行していたと思う。
不安定なOSだったなぁ。
一太郎は古いバージョンをDOSで動かしたりしてたような気がする。ver 4だっけ?
けど、ゲームの移行は早かったなぁ。みんなすぐにWin95に行った気がする。
そういや、エロゲーも遊んだ。
さすがに思い出せない。
とりあえず、alice soft と elf なら俺が遊んだの出してただろう。
おおお、96年末に鬼畜王ランスとこの世の果てで恋を唄う少女YU-NOが出ているじゃないか!
当時お世話になったなぁ。
懐かしいので調べて回ると、アリスソフト アーカイブズというサイトを見つけ、鬼畜王が現在配布フリーだと知る。
で、まぁしばらく悪戦苦闘してなんとか、イメージを入手、XP上で鬼畜王を起動させることに成功した。
懐かしい。若返った気分。
(いや、だから年齢詮索するなって)
・
・
・
しばらく遊んでみた。
・
・
・
なんていうか、あんまりエロくない。
そういや当時、同級生とか闘神都市とか見ると、まぁ興奮するけどいまいち感があった。
色数でこんなに違うんだってCD-ROMの偉大さをたたえていた気がする。
当時で5年前の差。
その後音声が付いたりとしばらくは遊んでいたけど、ここ数年はさっぱりご無沙汰。
日進月歩のドッグイヤーより早いエロの世界で、このメディアはどう発達しているのだろうか。
とも思ったけど、妻帯者の身で買うのは流石に憚られるので止めようと思う、深夜の独り言。
ふとはてブを見たら、前に仕事をしていた小さな会社の社長が、別の大きな会社の取締役になっていて、小さな会社と業務提携をする発表会の記事が載っていた。微妙に5Users。
ああ、あんな頃もあったな、と。
中学に入ったときにPC-9801VXを入手。高校時代にMS-DOSを操作するいわゆるパソコンおたくとなり、大学時代にLinux, FreeBSDの薫陶を受けた。
そして、大学出るところで怪しげな個人事業主に騙されてベンチャー企業で偽装請負、最初は18万の給料だったか。
そこそこ頑張っていると、やがてそのベンチャーの社長に声をかけていただき、その個人事業主と訣別してベンチャーに入社。気が付くと、ある大手のお客様に納品するサブシステムのリーダーを22の時にやっていた。
だが、開発のいろはを何もしらないペーペーだ。基本設計も詳細設計もぼろぼろというかやっていないような酷い出来で、正常系の1本も通るか怪しいプログラムをお客様に持っていって、ただ一言「動かねーじゃねーか。」と言われて6徹、そこからなんとか作り上げた体力と精神力やら何やらよくわからないものを買われたのか、日本で屈指と言われる大会社の事業部長から、蒼くぼーっと幻想的な雰囲気のバーで「うちに来て働かないか」と1:1で引きぬきをかけられたのを、あっさりと断ったところまでは良かったな。
まるでバブルのような、というか真正のネットバブルだったわけだが、きらめく怪しげな話の間を飛びまわった。異常系がまともにできていない大手小売業者向けのプロモーションシステム、お客様の要件をないがしろにして作り上げた画像配信サイト。
しかし、序盤の奇跡的な飛躍で力を見誤った自分も会社も、徐々に、不可逆的に傾いていった。
そして、度重なる失敗に組織から見放された自分は会社を抜け、25の時にいわゆる中堅ソフト屋に転職した。
ソフト屋にいたおかげで、基本設計書も詳細設計書も書けるようになった。もうぐちゃぐちゃなシステムは書かない自信はある。
だが、新技術は何でも吸収してきた自分が、その後に出てきたRubyやAjaxには、もう付いていくことができない。
今では、ごくごくありがちなオープン系システムのしがない保守要員だ。
ブラウザの上には、きらめいていたあの頃の面影を残す彼がいた。
そこには、確かにきらめいていた自分の残滓もまた投影されていて、そんな彼をブックマークする気にはなれなかった。
それでも、彼の名前を時々思い出しては、Googleに掛けてしまう自分に嫌悪する。
今はてなダイアラーをしているということは、まだ残滓にしがみついてしまおうとしている自分がいるんだろうな。そんなもうすぐ30歳。
NHKアーカイブス(番組ではなく、NHK各放送局にある過去の番組を見られる施設の方)では、様々な番組を無料で見ることができます。その中から、特に技術者向け(特にソフトウェア技術者)の番組を紹介します。
NHKは何を伝えてきたか NHKスペシャル 放送番組全記録一覧+番組公開ライブラリーリスト
パチンコ店の歴史や仕組みがよくわかります。サーバコンピュータにどんな機種をつかっているかは分かりませんでした。筐体は見たのですが、聞いたこともない会社のものでした(SGIとかでもなかったです)。大きさは一般的なパソコン並みでしょうか。OSはMS-DOSかな?
また、パチンコの制御プログラムのソースコードが写る場面がありますが、アセンブラで書いているようです。ICチップに書き込んでテスト打ちをしているそうなので、当たり前といえば当たり前かもしれません。最も放送されたのは12年前ですから今はCくらい使えるようになっているかもしれませんが。
NHKは何を伝えてきたか NHKスペシャル 放送番組全記録一覧+番組公開ライブラリーリスト
未視聴ですが、おもしろそうです。今のところ、新・電子立国シリーズで見られるのはこの2作品だけのようです。電子立国シリーズは全部見られるようですが。
生徒にグループを作らせて、その中で試行錯誤しながら、おもしろいゲームを作っていくというストーリー。提案する→問題が出る→解決する→問題が出るというスタイルで、分かりやすくて構成がうまいなと感じました。
安藤百福追悼として。
以下は私の趣味ですが
15年前の若者(現在30??40代)はこんなデートをしていたのでしょうか?ジェネレーションギャップを埋めるためにもいまどきの若者にこれを見せましょう。もちろんこの番組だけで当時の若者を語ってしまうのは危険ですが、話のネタ程度にはなるでしょう。
未視聴なので特にコメントなし。なぜかYOU関係は充実しています。
なお、視聴するときの注意点をいくつか