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絵における「動き」とは一体何なのか?という話 - pal-9999の日記
http://d.hatena.ne.jp/pal-9999/20141030/p1
について。
まず、マンガにおける「動いてない絵」については、BSマンガ夜話のスラムダンクの回で一条ゆかりといしかわじゅんが指摘した言い方が一番わかり易いと思う。曰く、「スラムダンクの絵はどちら向きに動いているのかわからない時がある」と。
自分も、ルカワがスピンターンをするような場面で、右回りに回っているのか左回りに回っているのかわからず、前のページと往復しながら位置関係を把握しようとした記憶がある。
それを、デフォルメとコマ割りの創意工夫で読者に伝える、というのがいしかわのいう「動き」なのだと思う。
マンガのページはただの静止画で、本来そこには時間の動きはない。一方、読者は基本的に右上から左下に向けて読んでいくという意味で、仮想的な時間の流れがある。
この相反する要素の組み合わせを使い、止まっている絵を動かしてみせる、読者に動いていると思い込ませるという技術こそが、写真や映画、アニメにもできない、マンガだけにしかできない「動き」だ、というのがいしかわの主張なのではないかと思う。
それといしかわじゅん関連の話しておくと、「動きと画質の間のトレードオフ」に関して、AKIRAの大友センセは画質重視の作画をしており、動きの情報を示すモーションブラーはあまり使ってません。なんで、あの漫画の場合、1コマ内では、動きはそれほどありません。僕は、AKIRAの作画を見て、「動きのある漫画」とは呼びません。画質は素晴らしいですが、動きの情報は極端に切り捨てた漫画になっています。
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/pal-9999/20141030/p1
単純な一枚絵について言えば指摘通り「動き」と「画質」はトレードオフの関係にあるのだろう。だが、マンガにおいては前述のとおり、静止画であることと時間が動いていることが共存している。
AKIRAのシーンでは、右のコマの背景の流線の方向と視線の(イコール読者の時間の)方向を使って、パンチの動きを表現している。どちらのコマも画自体はピントがはっきりしている(写真としては止まっている)のに、右から左に向けてパンチの力が働いたということが表現されている。
いしかわはこれを、「動き」と「画質」をトレードオフの関係から開放し、両立させたものとして見ているのだと思う。ブラーがないから動いていないのではなく、ブラーがないのに動いていることが凄いのだ。
デフォルメについても重要で、AKIRAのシーンでの、殴られた側の派手な首の伸び方、ねじれ方が殴られた感を出している。元記事で対比に使われているドラゴンボールのコマも、着目すべきなのは殴られたピッコロの描き方で、非常にデフォルメが効いている。触覚の残された感など感動すら覚える。
大友以前のマンガでは、こういった動きを表現するために多くの記号を使っていた。動きを表す流線(ブラーと似ているが同じではない)や、よくわからないトゲトゲ → Σ(゚Д゚) 、オノマトペなど。
元記事で動きがある画の例として挙げているワンピースやはじめの一歩のシーンに、余計なものがたくさん書かれていることに気づく。ワンピースは言うに及ばず、一歩のシーンでもパンチの撃ち出しの軌道上、会長のミットに向かって突き抜けている"気"のような何かが描かれている。単純にシャッタースピードを長くしてもあの軌道をあの距離動いているものはないはずで、あれはブラーではなく記号なのだ。
これらの記号に頼らず、純粋に画力とコマ割りの力で動きを表現した、というところに大友の凄さがあるのだと、いしかわは評しているのではないだろうか。
いしかわじゅんはマンガを見る目は確かだと思うが口が悪い(失礼)ので本当に主張を汲み取れているかは分からないが。
id:kanose 大友克洋氏は漫画独自の記号を使わずに動きを表現するのがすごいというのがいしかわじゅん氏の主張だと解説。ただ大友氏は流線を多用しているよね
そうですね。流線や集中線をつかったコマが異常に多いです。が、あれ背景なんですよね。従来だったらモノ(例のパンチシーンなら、アゴの右手)についていただろう流線が、背景全面に置き換わってます。そうやって、モノよりも読者の視線や意識の方向をコマごとにコントロールしてるのだと思います。
footballfreak 沖縄, ビジネス, メディア, 仕事 新報とタイムスw / 何だかなあ。著者側からお願いして宣伝してもらうなら広告費払えば?と思った。記者の人件費とか記事枠とかタダじゃないよ。 2010/09/08
TakamoriTarou web, 社会 これ著者側の依頼だよな。広告費も払わずに自分が無料で応じてやるので宣伝させろという。これぞまさに「狭いところで大きな顔をしていると、どんどん周りが見えなくなって」行った末路、「貧しく細った存在」だな 2010/09/08
http://b.hatena.ne.jp/entry/business.nikkeibp.co.jp/article/life/20100826/215984/
noisegate 石川氏は沖縄県での知名度が低いんだよ。ニュースバリューがないのにコネで取り上げてもらおうってんだから頭下げないとダメだろう。これは沖縄に限らず当たり前。石川センセイの勘違い。 2010/09/08
http://b.hatena.ne.jp/entry/business.nikkeibp.co.jp/article/life/20100826/215984/?P=1
放送し始めて14年のBSマンガ夜話をやってて"無名"なのか、ってのはおいとく。でも上で言ってるのってつまり、「沖縄は二大紙でも、著者から売り込まれさえすりゃあ限りある人員も紙面のスペースも省みないで、知名度もニュースバリューもない人間の話をほいほい載せる」って言ってるのと同じだよなwww
まともなメディアなら「報道に乗せるべきか乗せないべきか」は自己判断できるし、聞いた話をただ丸呑みすることもないだろ。
相手が無名なら礼は尽くされない、というのは一般人なら非礼を働いてもいいというのと同じことで、正気のメディアなら口が裂けても言えることじゃない。
いやまあ、下らないメディアもあったもんだ。判断力も取材力も批判能力もないんだろうねwww 沖縄人は実にかわいそうだ(棒)。
岡田斗司夫はかなり早い時期から「オタクと物知りは違うよ」って言ってるけど、増田のイメージしているオタクは「物知り」なんじゃないか?
岡田の言うオタクってのは、自分の得意分野を足がかりにして社会を語ることが出来る人だってさ。
ファッションで言えば、
BSマンガ夜話見てみ。マンガオタクがファッションに疎いなんて、ありえないから。
増田の得意分野に携わっている人達、みんな裸か?人民服みたいな無個性な服を着ているのか?
サザエさんの登場人物のように(基本的に)いっつも同じ服を着ているか?
そんなはずはないだろう。
もちろん岡田個人への賛否はあるだろうけど、岡田のこの視点、増田は本当にオタクなの?物知りではないの?というところから考え直してみるべきじゃないか?
BSマンガ夜話『よつばと!』の回にゲスト出演するはずでした。 - 伊藤剛のトカトントニズムを読んで、思った事をちらほらと
ところが、9月3日になり、NHKと制作会社・共同テレビジョンの担当者から、伊藤の出演は取りやめになった旨、説明と「謝罪」がありました。「岡田斗司夫氏より、『伊藤さんはちょっと違うんじゃないか』と言われた」ということでした。
これで憤慨するのはよく分かる、非常によく分かる。
ただ、その次がいけない。
1. 今回の番組出演は、岡田さんと落ち着いて話ができるよい機会だと思っていること。
2. 『国際おたく大学』の一件に関しては、岡田さんも唐沢の被害者であると認識していること
3. なんらかの形で岡田さんから謝罪があれば、一連のことを水に流してもよいこと
……えーと、これを受けたところで、岡田さんに何のメリットもないでしょう。
岡田さんが伊藤さんと落ち着いて話がしたいのであれば、そもそも出演を断らないよ。
それに、伊藤氏が「岡田さんは唐沢さんの被害者である」と認識していても何の意味もないよ
だいたいあの二人友人なんでしょ。友人を加害者扱いされて、怒らないわけがないよ。
いや、立場が逆だからといって何なんだって。
このエントリーを発表したことによって、岡田氏の「ハードル」は上がったかもしれない。でもそんなの、越えればいいだけの話です。越えていただきたいです。真の意味で「和解」を考えるのならば、その程度の試練はあってもいいんじゃないでしょうか。
ここまで読んでも、岡田さんが伊藤さんと和解するメリットがよく分からない。和解のメリットを提示出来てないのにかかわらず「その程度の試練はあってもいいんじゃないでしょうか」と主張出来る理由がよく分からない。