はてなキーワード: 9条とは
元記事
http://yorogame.blog137.fc2.com/blog-entry-513.html
9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。
また、ネットとTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネットの人間がTVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。
そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上位である憲法の重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。
現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法の理念に基づいた行動というのを国民が意識するようになったら、憲法の解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。
そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙で当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民にポジティブな意識、モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVもネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。
そしてネットとTVと新聞の世界を繋げるために、政治家はTVで希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。
大阪の政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。
また考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国等海外で人気があり日本でも知名度の高いこの文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。
私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットのTV、新聞がどのような役割を果たしているかということある。
TV・新聞といったオールドメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネットが日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から、今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。
まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である。
という見知でこの文章では、各メディア(主にネット・TV・新聞)の主張を捉える。
そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民の感情について考える。
まず、311の地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。
この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。
私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫氏である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。
当然である。原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。
そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。
私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見が交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年~一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会に意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。
その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織が善意でネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTVの比重が大きい人間に、ネットの情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。
だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人が原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人は政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報は政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本のネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発の科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民の意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネットの情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。
原発の科学的情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的の効果を最大化させるために取り得る方法は何か。
国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民は政治に希望と期待などのプラスの感情、モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報を自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。
当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付けが全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。
それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院に入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。
病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語の勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダーに全然アクセスしなかった。
それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当にblogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福を志向する事の美しさみたいなものを学んだ。
話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットのblogにも情報は届くからだ。
そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。
その方法論を私なりに書きたい。
まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法は理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。
また、ネットとTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネットの人間がTVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。
そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上位である憲法の重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。
現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法の理念に基づいた行動というのを国民が意識するようになったら、憲法の解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。
そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙で当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民にポジティブな意識、モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVもネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。
そしてネットとTVと新聞の世界を繋げるために、政治家はTVで希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。
大阪の政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。
またこれらの考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国等海外で人気があり日本でも知名度の高い蒼井そらが社会の理想と希望について語りながら、性的な事を行う映像を創ることもまた効果的であるといえる。
その理屈を使って、ネット上で論じられる著作権問題を憲法が持つ全体の利益という視点を重視して、多少厳密さを欠いたうえで語るなら、インターネット上の無料コピーは日本人が一般的に思っているほど、あまり悪いこととも言えないという理屈も導ける。
ネット上の無料コピーによる、著作権侵害が違法であるといっても、動画サイトで見るのは良いが、ツールを使って落とすのはよくないとかそういうのは根本的に考えたら些末な問題でやってることは本質的には同じとも云える。それを差異があるように演出しているのはあまり社会を善くするという意味は無いと云う事もできる。なぜなら、どのような方法であれネット上で無料コピーにより著作権を侵害するという行為によって逮捕される人は現状、全然居ないに等しいからだ。なのでこのような違法としていて一部はそれを遵守せよ!と感情的になっているがその視点は近視眼的ということもできる。そういったあまり根本的に考えなていない意見によって脅迫をかけるような同調圧力と化していると思う。全体の利益という視点を重視したら、違法としててもろくに取り締まりもおこなっていないやったもん勝ちみたいな、現状の無料コピーに対する意識というのは不自然です。赤信号は場合によっては無視してもいいという意識は誰でももっているように、無料コピーにしても、目立つ形でやった人間以外ととても運の悪い人以外には、取り締まりなど無いに等しいから、やるのは個人の判断で赤信号を渡ることと似たようなこと。という意識を多くの国民がもっていたほうが国家としては健全だと私は思う。その国民の意識に応じて法を変えれば良い。
そのようなそこの浅いときに、脅迫的ともいえる同調圧力意見というのはネットにはありふれていて、その思考方法を変化させるためにも、国家はどうあるべきかという形を分かり易く国民全員に伝えなければいけないと思う。
(終わり)
日本のメディア間の隔絶について 日本のおけるネットとオールドメディアの最適な関係の構築方法の模索
この文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。
私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネット、TV、新聞がどのような役割を果たしているかということある。
TV・新聞といったオールドメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネットが日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から、今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。
まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である。
という見知でこの文章では、各メディア(主にネット・TV・新聞)の主張を捉える。
そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民の感情について考える。
まず、311の地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。
この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。
私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫氏である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。
当然である。原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。
そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。
私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見が交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年~一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会に意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。
その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織が善意でネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTVの比重が大きい人間に、ネットの情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。
だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人が原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人は政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報は政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本のネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発の科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民の意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネットの情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。
原発の科学的情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的の効果を最大化させるために取り得る方法は何か。
国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民は政治に希望と期待などのプラスの感情、モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報を自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。
当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付けが全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。
それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院に入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。
病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語の勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダーに全然アクセスしなかった。
それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当にblogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福を志向する事の美しさみたいなものを学んだ。
話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットのblogにも情報は届くからだ。
そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。
その方法論を私なりに書きたい。
まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法は理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。
また、ネットとTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネットの人間がTVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。
そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上位である憲法の重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。
現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法の理念に基づいた行動というのを国民が意識するようになったら、憲法の解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。
そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙で当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民にポジティブな意識、モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVもネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。
そしてネットとTVと新聞の世界を繋げるために、政治家はTVで希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。
大阪の政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。
また考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国等海外で人気があり日本でも知名度の高い
この文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。
私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットのTV、新聞がどのような役割を果たしているかということある。
TV・新聞といったオールドメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネットが日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から、今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。
まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である。
という見知でこの文章では、各メディア(主にネット・TV・新聞)の主張を捉える。
そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民の感情について考える。
まず、311の地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。
この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。
私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫氏である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。
当然である。原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。
そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。
私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見が交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年~一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会に意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。
その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織が善意でネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTVの比重が大きい人間に、ネットの情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。
だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人が原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人は政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報は政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本のネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発の科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民の意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネットの情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。
原発の科学的情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的の効果を最大化させるために取り得る方法は何か。
国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民は政治に希望と期待などのプラスの感情、モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報を自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。
当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付けが全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。
それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院に入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。
病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語の勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダーに全然アクセスしなかった。
それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当にblogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福を志向する事の美しさみたいなものを学んだ。
話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットのblogにも情報は届くからだ。
そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。
その方法論を私なりに書きたい。
まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法は理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、Permalink | トラックバック(0) | 04:44
えー自民党の西田昌司でございます。 えー関屋先生どうもありがとうございました。 えーあのー私も意見を申し上げさせていただきますが、 こらまぁ私の個人的意見でございます。 えーあの先生のあの報告の中にもですね憲法制定過程についての瑕疵があるとそのことに ついての問題点についてですねこの中に述べられておられますし今日のですね意見表明を されましたそれぞれの会派の中でもそのことを多くの方が問題視されておられます。 で、ところが、そうは言う物のそれはそれは横に置いておきながらですね、個別の議論が 次々次々生まれてくるんですね。あのたとえば9条の議論もそうでありますし えーこの非 常事態に対する法律(必要性)がないというそう言う問題がくるんですが 私は憲法問題と いうのはどこまでいきましてもその制定過程 そもそものですね その正当性があるのか と言うことの議論をせずにこの個別問題に入ってくるとその議論の闇の中に包まれてしま って本質が見えなくなると思っています。ですからまずはですね 制定過程がそれぞれの 会派の方々問題視 問題であるということであるならばですね、 そもそもこの憲法自体が 果たして有効性があるのかというところにいくべきなんですね。ところがこれ60年ほど使 ってくると、ま 実際それが有効に使われてきたんじゃないかと言うところで話しがですね 終わってしまうんです。 しかしそうじゃないんですね。 私は、この その問題についてはこの5分間では説明しきれませんので、また別の機会にで すね続けて発言をしたいと思いますがまずはこの正当性の話を議論しなければ、個別問題 に入ってくと本質を見誤ってしまうと 特に、本質問題で言いますと日本の憲法といいま すのはそれぞれの国、憲法がそうですけど国柄を表す物だとで国柄というのはなにかと言 うのを考えますときに、例えばアメリカ合衆国のようにですね ま いわゆるえー人工的に えーこの作られた国とですね、また、えー共産主義諸国のようにですね革命によって作ら れた国とは根本的な成り立ちが違うわけですね。それは よく先生方もよく伝統 ま 文化 そう言う言葉で使われますけれども、そのことをずっとたどって行きますと、まっ一言で 言えば相続と言うことに行き当たってしまうんですね。 つまり我々日本人の主権というのは、なにから来ているかというと、憲法によって保障さ れる、そういう問題ではなくてですね 我々の先祖が、この国をずっと代々、歴代にわた って守りつたっ 守って伝えてきたと、その相続人としての権利なんですよ。ですからそ の相続人としての権利ということを考えましたときには、国柄 国の伝統ということをで すね最大限我々が尊重しなければ 我々の主権自体がですね、実は否定されてしまうと。 そこをですね憲法によってできてるんだという風に考えてしまうとですね、そもそもの日 本の国柄という物が見えてこないんです。 で なにが言いたいかと言いますと、そう言うことを考えていきますときに一番象徴的に 出てくるのがひとつは皇室なんですね。で皇室の存在 存在というのがやはり日本の 日本 の国の形を考える上では一番大きなモンであります。ところが、今、この場で議論するの は、はばかれることかもしれませんけれどもこの皇統がですね、十分にこれから先もです ね 保証できるような状況あるのかというとですね非常にその辺に大きな問題を抱えてい るわけでありまして、そういう事かんがえますと私はまず憲法の議論をするときには本質 論から入らなければならないし 同時にそのことを考えましたときに まずは皇統が絶対に 絶えないと言うことをですね 法律的にやっぱり我々がですね担保する仕組みを作っておか ないとこれはとんでもない話になると思うんですね ですからえー皇室典範の話はですね政府の中からも議論されていたようであります。真偽 のほどはよくわかりませんがそういう事も含めて考えなければならないと思っております。 それからもう一つその皇室に象徴されるのは実は皇室に象徴されるように我々は相続によ ってですねこの国を守ってきてるんだと言うことはもう片っぽで家族という発想なんです ね。日本人が一番大切にする家族という物の価値観をですね実は今の憲法は何一つ、家族 の「か」の字も書いておりません。それぐらいに日本人の価値観とは非常に離れたところ からできている憲法であるとだから二重三重にいろんな意味を含めてですね。今の憲法に は正当性がないしそのことは皆さん方それぞれの会派の多くの方が共有されていること思 いますので是非ですねえー関屋会長の報告の中にも冒頭にありましたようにね制定過程の とこから含めてもう一度根本論をこの審査会ではですねしていただきたいと。そのことを 私の意見とさしていただきたいと思います。
Google が公表したオプトアウトの方式は「アクセスポイントの所有者に対して、名称 (SSID) を末尾が " _nomap " で終わるように変更することを求める」もの。たとえば SSID が " Jitaku_AP " だった場合、無線LAN機器の設定から " Jitaku_AP_nomap " に変更することになります。
ブコメには「Googleが勝手に盗んだのにこっちがオプトアウトしなきゃいかんとは何事だ」というものが多いが、それらは問題を根本的に誤解している。
(もしかすると総務省、ストリートビュー車の無線LAN傍受でGoogleに指導。再発防止策と日本語で周知を要求 -- Engadget Japaneseの件と混同している人がいるのかもしれない。これはビーコン信号ではなく通信内容そのものを傍受していたという話で、基本的には別件である――但し、法解釈によっては同じ問題ともなり得るし、根底に共通している部分はある。これは論点がズレるので、ここでは完全に別件として扱う)
そもそもの問題は、Wi-Fiの仕様において、Wi-Fi機器のMACアドレスが強制タレ流しになっていることにある。これは例えばSSIDステルスの設定でも止めることはできない。
つまり、あくまでGoogleは垂れ流されている情報を集めたに過ぎないということである。垂れ流されているものなら勝手に集めてもいいのかという論点はあり得るが、その点についてはGoogleだけを責めても全く意味がない。誰であれ収集は可能だからだ。「しかし、他の誰がそんなことをするのか?」との反駁には「はい、PlaceEngineがしています」が答えになる。仕組みは全く同じだ。PlaceEngineは、Googleのような巨大企業でなくてもこの技術を商用レベルにまで持って行けるということを既に証明している。
つまり、この問題は「GoogleのDBから削除してもらう」だけでは全く解決しない。
(追記: どうもこの節の表現は誤解を招いたようだ。「できるからやってもいい、Googleは悪くない」という意味ではない。その議論があること、今後も必要なことは承知の上で、そもそも「できる」こと自体が根本的な問題であり、しかも各国の現行法において確実に違法な行為ではないということが重要だ。何度でも言うが、Googleを憎んでも問題は全く解決しない。あくまでここでは問題の本質を理解することと、現実的で効果的な解決方法について考えたい――もちろん、GoogleやAppleやMSなどを相手取って世界中で訴訟を起こす、というのも一つの手だろう。今のところ強制力を持ちたいなら勝訴の判例を作るしかないし、勝訴すれば抑止力を備えた最強の解決手段になる。どうぞ。)
(a) 「申し出のあったMACアドレスは削除し、今後も登録しないようにする」という対応
技術的にはすぐにでも対応可能。ただし、本人以外の手によって無差別に大量のアクセスポイントを削除するという妨害行為を防止できないかもしれない。
PlaceEngineを利用していない人(PlaceEngineの存在さえ知らない人を含む)に対して、そのような手段が用意されていることを周知しなくては問題は解決したといえず、十分な周知は困難と思われる。
新たなアクセスポイントを購入するごとに削除手続きをする必要があることについて納得しない者が、「私のものは登録するな」という主張で争ってきたら対応できない。
(b) 「SSIDステルス設定にしているアクセスポイントは、登録拒否の意思があるとみなして、登録しない仕組みとし、また、既に登録されているものは次回検出時に自動的に削除されるようにする」という対応
技術的には容易に可能。しかし、そのような仕様であることを周知しなくてはならない。PlaceEngineを利用していない人(PlaceEngineの存在さえ知らない人を含む)に対して周知しなくては問題は解決したといえない。
(c) 「暗号化設定されているアクセスポイントは登録せず、他は削除する」という対応
暗号化していないアクセスポイントは特定の相手方に対してのものではないとみなすことで、電波法59条の問題をクリアできるかもしれない。
しかし、これを採用すると登録アクセスポイント数が減ってしまい、位置の測定制度が低下する。
(d) 所有者の同意を得たアクセスポイントしか登録せず、他は削除する」という対応
まず、ブコメで要求されているような「オプトイン」の仕組みは(d)だが、これは実現性に乏しいと考えられる。どうやってオプトインするんだという問題もあるわけだが、そもそも「誰でも収集できる」のだから、個別にオプトインなど根本的に不可能であるし、無意味でもある。例えGoogleが独自にオプトイン方法を用意したとしても本質的な問題は全く解決しないばかりか、ユーザに「Googleでオプトインしなければ安心」という誤解を与えかねないという懸念もある。
(b)や(c)についてはサービスプロバイダ側の設計の問題であり、ユーザは関与することができない。
今回Googleが提案した方法は、(a)の改良型(あるいは(a)~(c)のハイブリッド)というべきものである。再掲。
Google が公表したオプトアウトの方式は「アクセスポイントの所有者に対して、名称 (SSID) を末尾が " _nomap " で終わるように変更することを求める」もの。たとえば SSID が " Jitaku_AP " だった場合、無線LAN機器の設定から " Jitaku_AP_nomap " に変更することになります。
オプトアウトという意味では、(b)のSSIDステルス法も同様である。それよりも_nomapが優れているのは、これが「うちのAPをマッピングしないでくれ」という明確な意思表示となるからだ。
SSIDステルスや暗号化をオプトアウトフラグとして扱うかどうかは単に実装に期待するしかないが、_nomapがデファクトになれば、万一オプトアウトが実装されずにマッピングされた際「俺は一般的に合意されている方法でマッピング拒否の意思表示をしていたぞ!」と法的に主張できる可能性がある。Wi-Fiの規格に変更を加えるものでもなく、この用途以外に意味を持たないことから、デファクトとして広まりやすいだろう。確かにSSID変更が困難なケースは考え得るが、しかしこれ以上に簡単な代案は私には考えられない。
解決しない。
ここに挙げたどの方法を採ろうとも、原理的に「サービスプロバイダのマナー」程度にしかなりようがないからだ。オプトインですら、である。robots.txtを無視するクローラを根絶することができないことにも似ている。そしてそれは、Googleの責任ではないし、Googleに責を負わせても全く意味がない。
最初に述べた通り、そもそもの問題は「Wi-Fi機器がMACアドレスをタレ流しにしている」ことであり、これはWi-Fiの仕様改訂で対応しないとどうしようもない。また、対応したとして、新方式へ完全に置き換わるまでには気が遠くなるほどの長い時間が必要だろう。WEPすら未だに根絶できないというのに。
また、Wi-FiはMACアドレスをタレ流しているぞ、これは防げないぞ、という啓蒙ももっと必要だろう。一般ユーザには何のことやらさっぱりわからないと思うが、それでも啓蒙しないよりはマシである。
一つ付け加えるなら、個人的には、デファクトとなり得るオプトアウト方法を提示したGoogleさんはもうちょっと褒められてもいいと思う。これはAppleやPlaceEngineが今までしてこなかったことだ。
ちなみに、Google Location Serverでは既に「2つ以上のMACアドレスがDBとマッチしないと位置情報を返さない」などの様々な対策を実施済のようである。これにより、もしMACアドレスやSSIDが漏れたとしても、その所在地をこんな方法で正確に掴むことは困難になっている。PlaceEngineは知らない。
もう一つ。この問題は、Wi-Fiだけに起こりうる問題ではない。ひろみちゅ先生は本来この問題をRFIDの普及によって起こりうる問題として予測していたそうである。この辺りもっと知りたい方はgoogle:高木浩光 PlaceEngineとかして勝手に読んでください。
PlaceEngineより、Googleの提唱する_nomap方式のオプトアウトに準拠する旨のリリースが出た。
PlaceEngineデータベースにおける無線LANアクセスポイント(AP)情報の取り扱いについて
Google社から、Google Location Service のWi-Fi位置情報データベースから無線LANアクセスポイント情報を削除するためのオプトアウト方法(SSIDに"_nomap"文字列を追記する方法)が公開されました。
PlaceEngine サービスにおいても、Google社のオプトアウト方法に準拠する形でPlaceEngine位置推定データベースから該当するAP情報を削除する運用を実施する予定です。具体的な実施時期や運用方法については、別途お知らせします。
また、PlaceEngineサービスにおいては、以前より、主にモバイルルーターなどに対応するため、オプトアウト(削除)したいMACアドレスをサポート窓口へ送付して頂く方法などをとっておりましたが、こちらについても引き続き運用していきます。(「位置推定の改善」をご参照ください)
これこそがまさにGoogleの狙った効果だ。素早くデファクトになり得る。すると次の段階として、Wi-Fi機器の製造者が設定画面に「☑位置情報サービスからオプトアウトする(SSID末尾に_nomapを付加する)」のような項目を用意することが標準化する、などといった流れに進むことも期待できそうだ。これには一層の啓蒙活動が必要になるが、十分に現実的な範囲だ。
そして、「Wi-Fiだけの問題ではない」と書いた通り、あっさり同種の別問題が持ち上がってきた。今後、この手の問題はゴロゴロ出てくるだろう。そもそもどこまでが許される範囲でどこからが許されないのかといった大枠の議論も含め、どんどん問題にして世界中で合意やルールを形成してゆく必要がある。先は長い。
第1条
ひとりでいられる能力を意識して開発する。親は子供が十分に安心してひとり遊びに励めるよう、ついつい過干渉になりがちな自分を抑えつつ、子供とはいつも一緒にいて心地よい環境作りと十分な保護に努める。子供にテレビやビデオを見せる時間はなるべく短くしたい。
第2条
親は、子供が病気の時こそ、何が何でも子供のそばに居てやるようにし、子供を十分に甘えさせてやる。
第3条
子供をきちんと叱る。そして何故叱られたのか理由を十分説明する。叱った後は、子供にいらぬ不安を抱かせないように十分なケアをする。
第4条
自立した家族として日々の生活を重ねて行くことこそ人の幸せであるということを、言葉でなくて毎日の静かな生活そのものによって子供に伝えて行きたい。そのために親自身が毎日を楽しんで暮らせるようになる。見せるべき親の背中とは、楽しんで生きている親の日常だと思う。仕事の愚痴などは子供の現実逃避を助長するだけなので決して家庭に持ち込まない。
第5条
家庭の中で、どんどん子供に仕事と責任を与えて行く。また、子供をボランティアなどに参加させることで、実社会の中でも、徐々に仕事と責任を得る体験をさせて行く。
第6条
独立自尊の精神を養うため、子供には、自らの限界を推し進める喜び、成長を実感する喜びを出来るだけ沢山経験させる。
第7条
家に本棚を作り、広い分野の本を集め、図鑑など気軽に親子で本を手に取ることで、子供が読書に親しめるような環境作りに配慮する。子供が自主的に一人で本を読めるようになるまでは、意図的に読書をしている親の姿を子供に見せるようにし、読書は生涯続けて行くべき大切な習慣であるということを、身を持って伝える。子供が小さい頃は、子供が読書に慣れ親しめるよう、絵本の読み聞かせを日課とする。
第8条
現実として人間社会の厳しい競争に打ち勝つという視点を大切にしつつも、相対的な問題として、物事に対して「楽しみながら自発的に」チャレンジして行くという姿勢に価値を置いた教育をして行きたい。そのために、子供の内発的な好奇心を刺激することに努め、いわゆるアメとムチによる脅迫を前提としたコントロールをなんとか最小限としたい。
第9条
人生の本質である「退屈」と向き合い、自ら「楽しさ」を発見して行く機会を子供から奪わない。子供が何かへの熱中を示したとき、それが中毒ではないかを気にかける。子供がある程度の年齢になったら、刺激との付き合い方に関して、きちんと親子で話せるようになりたい。
第10条
教師と生徒の間に生まれるピグマリオン効果を利用するために、積極的に多くの教師と子供を出会わせる。子供には自分を「ひいき」してくれる先生をたくさん発見してもらいたい。また、こうした家庭の外にある社会とのポジティブな接触の体験を増やすことで、子供の自立を促して行きたい。
第11条
子供が親に反抗したときには、子供に「今、自分はどんな価値を守ろうとしているのか」を意識させる。それがテレビを見たいだとか、おもちゃやお菓子が欲しいといった自分勝手な価値であれば、親としてはそれに厳しく当たり、リスクを取った結果としての罰を慎重に判断して与えたい。子供が守ろうとしている価値がそれなりに意味があるものである場合、子供に親を説得する機会を与え、ときには十分に子供に反抗をさせてから、折れてやるようにする。いかに子供に説得力があっても、人間社会はロジックばかりではなく情緒によっても運営されているのだから、ロジックだけでは折れないように注意したい。
第12条
子供がケガをしたときは、焦ったり泣いたりしてもどうにもならないことを伝え、出来る限り子供自身にケガを観察させる(もちろんケガの程度にもよるが)。
第13条
きちんと自分の意見を持ち、衝突を恐れずにそれを主張することを奨励しつつ、同時にその怖さも伝えていきたい。何かを得るということは、多くの場合、何かを失うことでもある。
第14条
笑う側ではなく、笑わせる側にあることの重要性を伝えたい。誰かに「明るくしてもらう」のを待つのではなく、積極的に「明るくある」こと、そして誰かを「明るくさせる」ことに喜びを感じてもらいたい。
第15条
すでに「ぼんやり」と認知しているであろう「システム」という概念を固め、レバレッジ・ポイントとボトルネックの存在を感じさせつつ、あらゆるシステムの構造(機械論的世界観)への好奇心を刺激したい。
ttp://nedwlt.exblog.jp/i13/ カテゴリ:我が家の教育論 ( 20 )
まだ途中らしい。これが完成する日が来るのだろうか。興味深い。書籍になったらまた読み返したい。
http://hibari.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1319950981/
99:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/30(日) 14:26:24.20 ID:bCaDrVUp0
■冤罪の可能性がある
すべての刑罰に冤罪はあるので死刑に限って反対する理由にならない。
■命は取り戻せない
取り戻せないことを論点にするなら時間も取り戻せない。
さらに、潮流とやらで内政を決定しなければならない理由は主権国家である以上まったく無く、
仮にそうならば真っ先にあなたは9条の廃止と軍隊を持つように主張しなければダブルスタンダートである。
■抑止力が無い
嘘。非常に大きな抑止力があると証明されている。(一件執行されるたびに殺人が5件減少する)
刑罰は殺人では無い。正当な司法である。ならば懲役は監禁、罰金は恐喝になる。
自然権以外の人権は国が保障したものであり国の法に反した者の人権を制限することは何も矛盾が無い。
■終身刑でいいだろ
日本の刑務所は"満員"を超えて116%の収容率になっている。場所が足りない。税金も無駄。
さらに、死刑になるような凶悪犯罪に対する罰がその程度では国民が納得しない。
犯しません。普通は加害者になることよりも被害者になることを心配します。
■刑務官がかわいそう!
■野蛮!
hk2mr_hu 社会 サッカーボールを避け転倒→足を骨折→認知症になる→食べ物を気管につまらせ死亡。これでどうして死亡責任まで問われるかが理解できない。しかも問われるとしたら少年の責任ではなく、学校の管理責任だろう。 2011/06/28
だから学校の管理過失よりもより直接的な原因があるだろうがよ。
frsatti 司法, 事故, 裁判, 不法行為 国賠訴訟かと思いきや、どうしてこうなった。 2011/06/286 clicks
国賠に行くほうが例外。管理過失なんてのは、直接の加害者にゼニが無いときの代替手段だ。
shoji-no 事故, 裁判 高校野球のバッターに「打ち方によってはファールボールがスタンドの観客に当たることが予想できる」と言ってるようなもの。 2011/06/288 clicks
その場合は観客にファールボールが来ることについて同意がある。楽天砂かぶり席での事故について裁判があった。
mkusunok 風が吹けば桶屋が儲かる的な判決。ちょっと信じ難いのだが。学校の管理責任を問わない理由も気になるところ 2011/06/28166 clicks
答えは簡単。原告が学校を被告にしなかったから。被告でもないのに責任問われたらおかしいだろ。
tdam 桂充弘弁護士の"やや酷な印象"との指摘以上に、老人にはありうる"認知症の症状""誤嚥(ごえん)性肺炎"までサッカー少年の責任にするのはいくらなんでも因果関係の過大評価だ。控訴審で覆ると信じたい。 2011/06/28
「老人にはありうる」などという一般論で、個別具体的な事件を判断してるなよ。被害者は認知症じゃなかったんだから、「この」老人には「ありえ」なかった事故。
kubomi 俺みたいにあらぬ方向へボールを蹴る可能性のある奴はもっと人殺しの顔をしろってことですか 2011/06/28
人を殺さないように気をつけろ。
mrkn law, これはひどい "日本の"ではなくて"大阪の"司法が腐ってるんだろう。こういうのは最高裁で覆る気がしているんだが、そうならなければ結局日本の司法が腐ってるという事になるね。 2011/06/2850 clicks
なんでいきなり最高裁なのかと思ったら、そうか、「大阪」だから高裁も腐ってるって言ってるのか。だがそうだとしたら、法律審たる最高裁で覆えすのは比較的難しい。
いや、蹴った奴が第一義的な問題だ。
muipla 社会, これはひどい じいさんに向けて蹴ったわけじゃないのに、どうして学校の管理責任(ゴールの位置が適正だったとか)問われないんだよ。それに転倒して死亡したのではなく誤嚥性肺炎て…朝日タイトル直せ。 2011/06/286 clicks
道路にボール出すな。学校の管理責任は原告が問わなかったから。
なんだよ「無罪」って。いつ「有罪」になったんだよ。民事と刑事の区別くらいつけろ。さもなきゃ黙れ。
oguogu 848事故, 560判決 判決内容に納得できないのは当然としても、どうして一審判決が出るまで6年も掛かっているのが気になる。事故は愛媛なのに裁判が大阪というところも。 2011/06/287 clicks
こいつ前にもいなかったか?管轄が気になるなら民訴法読め。管轄についてはかなり手前の位置にあるからすぐ見つかるだろ。
T_Tachibana これはひどい, 司法, 事故 たとえ子供がふざけて蹴り出したとしても校内活動中の事であれば問われるべきは学校側の管理責任では?ちなみに歳をとれば嚥下機能は低下するので認知症でなくても誤嚥性肺炎を起こす可能性は十分ある 2011/06/28
こいつ特に酷いな。もし子どもがふざけて蹴り出したんなら、断じて学校側の管理責任なんかじゃねーよ。なんでも学校のせいにしてんな。てめぇみたいなのが教育を滅ぼすんだよ。
touchmee 事故に合われた方には申し訳ないですが、このケースで子供の親に賠償責任があるというのは無理があるような気がしますけど。 2011/06/287 clicks
んじゃ子ども自身に賠償責任(709条)負わせてみるか?どっちが外道だよ。
kalmalogy これはひどい, 司法, 社会 "足を骨折。その後に認知症の症状が出るようになり"ここの因果関係の証明とか無理だろ 2011/06/286 clicks
「因果関係」が事実的因果関係であれば、そこの因果関係は認めるべき。ひっじょーによくあるケース。
p_shirokuma 娑婆世界 子どもは「管理せよ」という公式見解。こういう判例が出るようだと、ますます子どもは育てづらくなるなー。 2011/06/2827 clicks
いや、子供は管理しろよ。つか管理しろってのは100年以上も維持されてきた法的義務だ。
goshi_goshi これはひどい, 社会, 事故, 裁判, 司法, news, ニュース, 生活, education, sports これはどうなんだろう。フリーキックに違法性なんて限りなくないと思うんだが… 2011/06/2811 clicks
公道にボールが出る危険を知りながら、何ら対策もせずにボール蹴ってたんだったら違法性あるだろ。
Moodykajigaya 最初は少年が蹴ったボールで死亡したのかとおもった。素直に解釈すれば、「若者は余計な事を何もするな」。こんな酷い判決が出てしまう時点で「日本は老害天国」と思う/ こういう訴訟こそ裁判員制度使うべき 2011/06/281 click
ボールも校庭の中に留まってたら良かったのにな。
tyatya_moon 最悪の想定ですべて動くと何も行動できなくなるんだが・・・本当に地裁とかとんでもない判決下すのが多いけどいらないんじゃないのか?こういう裁判こそ裁判員制度を導入すればいいのに・・・ 2011/06/28
最悪の想定でもいろいろ出来るだろ。お前の最悪の想定は「天が崩れ落ちてきたらどうしよう」ってやつだ。
koega これはひどい プロでも外すフリーキック。小五が一発外しただけで1,500万円の損害賠償。どうやったらこんな判決が出てくるのか。ぜひ最高裁まで戦ってほしい。 2011/06/28129 clicks
hiroyukiest 裁判 これは酷だな。介護で生活が一変したってのはわかるけど、事故当時80歳前後のじいさんの余生に小5の少年(とその家族)の人生を変えるだけの価値があるのか疑問。まぁただの感情論だけど。 2011/06/284 clicks
あぁ。ただの感情論だ。「生活が一変」の中には介護費用もある。]
tawafu 小学生に大人なみの注意力を要求するとは!高齢者優遇社会(悪い意味で)。これでは、老人を敬う社会にはならないだろう。年長者(裁判官含む)への敬う心は廃れる。年長者だからこそ丸くおさめられないのか? 2011/06/28
大人並みの注意力なんざ要求してない。5年生に必要な注意力を基準にすれば、公道にボール出さないよう気をつけるべき。
linden 社会, 事故, これはこわい これは酷な判決だな。この記事を読む限り、少年よりむしろ学校側の管理責任が問われるべきだろう。 2011/06/287 clicks
むしろとか関係ない。なぜなら裁判所は原告の訴えについてのみ判断するから。
「逸失利益の算出方法おかしすぎる」と思うなら、なぜ損害額が逸失利益だと思うんだ?
imo758 これはひどい 校庭から飛び出さないようになんて特に子供に対しては大人が監督してもどだい無理。責任は社会全体で負うべき。記事からの印象通りなら判決が反社会的な馬鹿。 2011/06/28
「子供」の理解の決めが粗すぎる。「無理」だから放置するのか?何歳まで放置するつもりだ?
tihoujiti 訴訟 なんともいえない判決。学校の管理責任は問題ないのか、という観点もある気が 2011/06/28
その観点は訴訟では問題になってない。
kk6 「蹴り方によっては道路に出ることを予測できた」これが通るなら球技が行われるであろう校庭をもつ学校という施設を設置した自治体に責任を問えちゃうよね 2011/06/289 clicks
自治体に責任を問えるからと言って直接の加害者の責任を問えなくなるわけではない。
yamasita3 社会 有罪はしょうがない気もするが、1500万か・・・。高齢者が増えてきたら、同じような事件が増えかねないし、なんらかの対策が必要だなあ・・・。 2011/06/286 clicks
filinion これはひどい, 司法, 学校 これは、学校(=市が)両親を全面的に支援して控訴すべき。こんなのが確定したら学校も大変なことになる。 2011/06/28
これは正しい。なぜ「学校も大変なことになる」かというと、両親から求償されるから。民訴法上は補助参加を行うことになろう。
yoshi1ym 避けようとしたということは、前方にボールが飛んできたわけ。仮に飛び出してきたのが子供なら避けるのは当たり前、よけれるスピードで当たり前。牽いたら前方不注意じゃないですか?しかも脳の持病って運転に耐える 2011/06/281 click
轢かないで転倒したんだろ。子どもの飛び出しを避けようとして転倒し、子供には全く触れず、それで運転手に損害が発生したら、子供側に賠償責任あるだろ。
REV 後期高齢者の安全を担保した校舎設計・学校運営が必要という判決だが、その金の出処が気になる。 2011/06/289 clicks
そんなことどこにも書いてない。せいぜい「子供にはボールを公道に出さないようにしつけろ」。
z0rac それを云うなら、自力で立ってられない二輪車に乗ってることが事故を招いたとも云えないか? 2011/06/28
言えないだろ。だいたい二輪車は自走するし。
rz1h931f4c 裁判 そもそも87歳が運転するバイクなんて「事故が起こる危険性を予想できた」だろ。立法、行政、司法は何をやっとるんだ 2011/06/28
どういう事故だよ具体的に言ってみろよ。今回の事故はその「予見」した事故か?
有罪じゃねーよ。
つーわけで、頭の悪いブクマが多すぎる。
参考までに一応、基本的な処理を書いておく。
まず過失の有無。
行為の良し悪しを判断する能力があれば、故意・過失は認められる。例えば小学生でも人殺しは悪いことだと分かるんだから、小学生による殺人には不法行為が成立する(3才児なら成立しないだろう)。で、この行為の良し悪しを判断する能力は、同じ年令でも、行為の種類によって変わってくる。例えば7才児にインサイダー取引の良し悪しを判断する能力はないから、この場合は不法行為責任は発生しない。
しかるに「サッカーをする場合、ボールを公道に出してはいけない」という点については、小学5年生ともなれば判断できる。つまり、小学5年生はボールを公道に出さないように気をつけて遊ばなければならない。
とすると、そのような注意を怠ったんだから過失は認められるだろう。
そしてその過失によって公道に出たボールを避けようとしてバイクの運転手が転倒した。少なくともこの段階についてまでは、因果関係を肯定できる。因果関係をどこまで肯定できるかについては後述する。
そうすると、少なくとも一定の範囲で少年に不法行為が成立する。
もっとも、5年生というと、ボールを公道に出したことによる(法的)責任についてまでは、判断能力が追いつかないかもしれない。というわけで、子供への優しさを持って、この少年には責任弁識能力(712条)が認められないとする。そうであれば、この少年自身は不法行為に基づく損害賠償責任を負わない。
もっともそのような場合「その責任無能力者を監督する法定の義務を負う者」が賠償責任を負う(714条1項)。すなわち両親だ。行為当時直接に子供を監督していたか否かは問題とならない。子供が勝手にどっかに行って不法行為を行ったときに、被害者が泣き寝入りになっては困るからな。
というわけで、晴れて両親に賠償を命じた判決の正当性が説明できた。
ところで少なくないブコメが言う「学校側の管理責任」とやらは何なのか。
普通は、損害賠償請求は直接の加害者に対して行う。しかし、加害者が一私人だと損害賠償に足るだけの金を持ってないかもしれない。そこで、絶対に取りっぱぐれない相手に請求しようと考える。
ここでふと考えてみたときに、もし学校に「管理責任」が認められれば、その管理責任違反と因果関係のある損害について賠償請求できる(国家賠償法1条,2条)。
そういうわけで、もし学校側と戦っても勝てそうであれば、より確実に金を回収できる学校を相手取って戦うわけだ。
さて、学校と直接の加害者(少年)のいずれにも損害賠償責任がある場合にはどうなるか。両者は共同不法行為を行ったと言うことができるから、両者の損害賠償責任は不真正連帯債務となる。つまり、学校と少年側、いずれに対しても、損害の全額を賠償請求できる(2賠の額を請求できるわけではない。一方から全額の支払いを受ければ、債権が消滅して他方には請求できなくなる)。
そして、学校側と少年側の間で、それぞれの責任の割合に応じて、被害者に支払った額について折半される。例えば責任の割合が(少年:学校側=6:4)だとして、少年側が全額(10割)を支払ったならば、学校側に、そのうちの4割について少年側に支払うように請求(求償)する。
というわけで、学校側の責任というのはあくまで加害者同士でやり取りする問題に過ぎない。
あと、裁判所は訴えのないことについて勝手に判断してはいけないから、原告が少年側だけを被告としているならば、学校の管理責任について判断してはならない。
で、本件の判決で問題となるのは、むしろその損害賠償の範囲だ。
実務に従えば不法行為と「相当因果関係」のある損害について、賠償責任が認められる。相当因果関係の有無は、簡単にいえば予見可能性で画定される。
公道にボールが出たら車両が事故るかもしれない。車両が事故れば骨折くらいはするだろう。だから、常識の範囲内で考えれば、少なくとも骨折については損害賠償が認められる。問題はその先だ。
骨折から認知症、認知症から誤嚥、誤嚥から窒息死という各段階は、少なくとも事実的因果関係としては、いずれも肯定しうる。骨折とボケが関係ないと言ってる奴は常識がないだけのこと。
しかし、だからといってそれが過失行為との相当因果関係を肯定しうるような予見可能性のあるものとは、必ずしも言い難いところがある。特に、骨折から認知症というプロセスは、被害者が高齢老人であるという被害者側の素因を加味して初めて予見可能であり、そうであれば予見可能性を否定するか、あるいは被害者側の訴因について損害の公平な分担の見地から過失相殺を類推するべきだと思う(私見)。もっとも、飛び出したボールによる事故が予見できるならば、その被害者が若者だと信じるほうがおかしいとして、高齢者の可能性も予見できる以上、認知症もまた予見可能だと、そういう見解が全く突拍子も無いとまでは言えない。
技術系では自分が素人だという自覚があってだんまりの人も、なぜか法律系は自分が素人だという自覚が無くなるようで。
はてなブックマーク - asahi.com(朝日新聞社):サッカーボール避け転倒死亡 蹴った少年の親に賠償命令 - 社会
tama_lion 「ボールが道路に出て事故が起こる危険性を予想できた」えええーだったらゴール置いた学校の責任じゃないの?つーか87歳なんて...いややめとこ 2011/06/2826 clicks
「予想できた」のはサッカーボールを蹴った人。なので責任は一義的にはサッカーボールを蹴った人にある。id:tama_lionは、自分の敷地内で遊んでる人間が他人に怪我を負わせたら、その責任が真っ先に自分に振りかかると思っているんだろうか?
napsucks 87って・・・もう寿命じゃんw 社会的生産性もないし命の残存価値など皆無だろw それに1500万って・・・頭おかしいわ 2011/06/284 clicks 40
1500万円も逸失利益があるわけ無いと思いながら、1500万円が逸失利益だと思っているという。ばーか。
solt-nappa ため息, 社会 うかうかサッカーの練習もできないよのなかになるな。イヤダイヤダ。 2011/06/28 18
半分正解。だがうかうかにも程がある。例えば公道を挟んでキャッチボールしたら「うかうか」じゃ済まされない。程度問題であり、遊ぶ側としては公道にボールを出さないべきだろう。
akawi フリーキックでホームランしたら人殺し呼ばわりされた挙句1500万? どう考えてもおかしいだろ 2011/06/2816 clicks
「どう考えても」の「どう」は空集合。「フリーキックでホームランした」というから悪くないように見えるが、「公道にサッカーボールを出したら交通事故が起きた」場合に何も悪く無いと思うのだろうか?
nextworker 普通、こういうときは学校の管理責任を訴えると思うんだけど、遺族はどうして少年を被告にしたんだろう。少年の両親が金持ってたのかな。 2011/06/28 56
それは「普通」じゃない。少なくとも民法の原則から言えば、責任追及は一義的には過失行為を行った者に対して行う。それが少年であるがために714条で両親に追求したわけだ。過失行為の主体ではない学校の管理責任を問うのが寧ろ裏道であり、学校=市町村からは取りっぱぐれないからという、まさに金のために殴る相手を広げる例。
しかも「少年を被告にし」てもいない。記事を見ろよ。「両親に」支払いを命じたって書いてあるだろうがよ。
こんな何一つ正しくないコメに☆が大量についているのはまさに集合恥。
お前は公園で遊ぶとき、公道にボールを出すなと教わらなかったのか?
過失はある。そして、「ある」ならば、1だろうが100だろうが、損害賠償責任を負う。被害者に過失がない以上、過失相殺はされない。
toronei news, 社会, soccer, sports これ少年側の責任なの? むしろ学校側の安全責任が問われるべき例じゃないの? これではもう子どもに球技なんて親は怖くてさせられないよなあ。 2011/06/28
少年側の責任だろ。少年側に過失がなかったらどうして学校側に責任があるんだよ。
学校側に責任があるとしても、それは少年との共同不法行為ということになるから、少年側の損害賠償責任はびた一文免れない。
Kou_RYU 社会, 裁判, ため息 東電の原発事故でも助け舟がでるのに、19歳がボールを蹴ったら1500万円支払えと言われる国ニッポン。年寄りを狙って蹴ったわけじゃないんでしょ? 2011/06/28
年寄りを狙ってないから過失が無いと?ってかボール蹴ったの19歳じゃねーよ。19歳だったら両親じゃなくてガキに直接請求だっつーの。
sasurai7 裁判, 事故 裁判を起こすのなら、サッカーやってた少年より、学校の施設管理責任(ゴール裏にボール飛び出し防止用のネットを張る必要があったか等)が問われるものでは? 2011/06/28
前述の通り。つーか、加害者より加害者が利用してた施設っていうその発想が馬鹿。
kz78 自分ちの庭で壁打ちでもやってたのかと思ったら、校庭でゴールに向かってボール蹴ったのか。それで賠償責任が発生するのはきつくないか。 2011/06/2813 clicks
自分ちの庭と校庭で何が違うんだよ。
相当因果関係の認定は微妙ではある(後述)。が、全然関係なくはないだろ。
Cai0407 これはひどい なんでボール蹴った少年の責任が問われるの?学校の管理責任のほうが大きいと思うんだが。しかもボール避けて転倒→骨折→認知症発症→誤嚥性肺炎で死亡→1500万賠償とつなぐのは無理じゃね? 2011/06/2838 clicks
「のほうが大きい」とか言ってる時点で馬鹿。共同不法行為だから学校と少年の両者が全額の損害賠償責任を負う。つまりどっちが大きいとか関係ない。
施設管理「も」問題になりうるに過ぎない。
bbk0524 これはひどい 87歳が街中でバイク乗り回すことの社会的責任は一切問われないのかよ。老人のゴネ得社会だなこの国は。 2011/06/28 67
なんで87歳(86歳だがな)が街中でバイク乗っちゃいけないんだ?
redfox2667 87歳で認知症になったのが子供のせいか? 因果関係が怪し過ぎ。 2011/06/2833 clicks
あとで書こうと思ったが、ここで書いてしまおう。今回の件と関係なく、しゃっきりしてた老人が骨折して歩けなくなった途端に認知症を発症するというのは、かなり頻繁に見られる症例だ。そうすると「認知症になったのは骨折のせい」とは言いうる。そして今回の骨折は少年のせいだから、事実的因果関係は肯定できる。
ただし87歳ともなればもともとボケやすい状態にあったといえる。それゆえ「被害者の素因」によって722条2項の趣旨に照らして損害額を減じたのだろう。記事にそれらしき言及がある。
絶対おかしいとまでは言えない。もちろん報道を鵜呑みにしない姿勢は良いのだが、存在しない情報を求めるだけでなく、報道の意味を正しく咀嚼することも必要だ。
いやいや、(ボケ→窒息はともかく)事故ぐらいは予測しろよ。公道にボール出したら事故ぐらい起きるわ。「ゴールに向かって蹴ったボールが外れるわけがない」ってか?日本代表になれよ。
hatomaguro これはひどい 転倒→骨折→入院で認知症進行→誤嚥性肺炎→死亡の流れはよくある話。"学校"側が転倒までの責任を負うなら判るけど。。。 2011/06/28
なぜ加害者をおいて真っ先に学校側になるんだよ。その方がわかんねーよ。
chi-bit これ重いよなぁ。これじゃ外で遊べなくなる可能性があるし、それを言うなら小学校側の責任は? 2011/06/28
前述のとおり。あるとしても共同不法行為。
okgwa 酷なようだが、87でバイクに乗るリスクを過小評価してた遺族側の過失のほうがよほど大きいと思う。しかしこの判事、事故と認知症との因果関係をよく認めたなあ。司法の常識ではあり得ないという印象。 2011/06/2813 clicks 67
87でバイクに乗ることが「過失」だって?んなわけねーだろ。「司法の常識」とかいうんなら参酌できる「過失」の意味を理解しとけよ。
ERnanchan これって、賠償命令ひどくねえ? 少なくとも記事の文面だけからみれば。トンデモ判決かどうかの第三者評価が必要そうな第一印象。 2011/06/28137 clicks
賠償「命令」?少なくともお前に「第三者評価」は無理だな。
pwiser これで1500万円はヒド過ぎで加害者は不可抗力、学校で練習中にボールが外に出たってことなんだから払うのもどうかと思うわ。それ以前に87歳でバイク運転してた爺さん側が一番落ち度あるから被害者側屑過ぎて笑えない。 2011/06/28
不可抗力の意味を調べて出なおせ。1500万円「は」ヒド過ぎっていうんなら1万円なら良いんか?それなら不可抗力じゃねーよな?
つか何で「学校で練習中にボールが外に出たってことなんだから払うのもどうかと思う」んだよ。練習無罪ってか?
ちげーよ。本田だって外しまくってんだろーが。「せめて公道にボール出すな」だ。
suyntory_junnama jiken p なんて判決だ!! 少年の行為より、87歳でバイクに乗って出かける行為の方が問われるべき。何故家族はバイクに乗る事を止めさせなかったのか、何時か他人を巻き込む事故につながると予測しなかったのか。其方の方 2011/06/2810 clicks
何を「問われる」ってんだよ。他人を巻き込む事故?他人に巻き込まれたんだよ真逆じゃねーか。
shukaido170 asahi, education 子「ママ、サッカー行ってくる」母「サッカーなんかして誰かに怪我させたら大変だから、DSやってなさい!」な世の中になるんだね…。 2011/06/2813 clicks
nippondanji さっぱり理解できない。入院生活が認知症に悪影響を及ぼしたのなら病院を訴えるべきだろ。老人が入院したら認知症になるなら誰も入院出来なくなるだろ。 2011/06/28143 clicks
ftype パソコンでニートになったのでパソコン会社を訴える、オンラインゲームで人生失ったので運営を訴える、2chで人生棒に降ったのでひろゆきを訴えることもできるようになりますか? 2011/06/28 19
ぜんっぜん関係ないじゃん。
BRITAN 極論、校庭から出るのを防げなかった学校の柵が悪いんじゃないの?飛ぶ方向制御なんてプロでないと無理だよw 2011/06/2821 clicks
そう思うんならそんな場所でサッカーするなってことだ。学校が悪くて少年は毫も悪くないってか?ばーか。
TakamoriTarou 社会, 事故 訴えるなら子どもじゃ無くてネットを張ってなかった学校側なんじゃないかな。子どもが蹴ると超える事が予想できるような状況なら、学校側がそういう状況を予想できるはずだし回避義務があるような気がする。 2011/06/28
rakko74 普通に考えれば学校の責任となるはずだが、どうしてこんな判決になるのかよくわからん。 2011/06/28
mmsshhrr これはひどい 「蹴り方によっては道路に出ることを予測できた」( ゚д゚)ポカーン 2011/06/2814 clicks
お前は予想できないのか?
hi_kmd これがアリなら傷害事件も殺人事件に出来そうな気がするぞ。 2011/06/28
しねーよばーか。民事だし過失だし、何一つ記事と関係ないだろ。
naga_sawa そもそもボールが存在する以上、道路にボールが出る可能性は0にはならない/すなわち、急いで全国の学校・家庭・販売店etcからサッカーボールを撤去しろ!間に合わなくなっても知らんぞー!! 2011/06/28
いや0になるだろ。
You-me 事故, 司法 これはもし事故の責任を問うなら、損害の公平な分担を求めるなら両親じゃなく施設管理者じゃないかなぁ/老人の歩けなくなるような事故と痴呆の関係は割と認められてたような気がしなくもないけどどーだったろ 2011/06/28
だから施設管理者はせいぜい共同不法行為責任。被告になってないなら不真正連帯債務だから施設管理者なんて出てこない。「損害の公平な分担」「施設管理者」なんて言葉を使ってみても、民法知らないのな。
「どんなに」は空集合。
shinkichi1986 記事まとめ このガキに罪があるわけ無いだろ、しかも当時小学生だぜ?むしろ学校側の不十分な安全対策が原因だな。だいたい運動場ではボールで遊んでる生徒が多いのに学校の囲いの金網って低いんだよなぁ。しかも外は通勤道路。 2011/06/28
10歳ともなれば、ボール遊びについて、責任を弁識する能力は書くとしても、事理を弁識する能力はある。
kaeru333 これはひどい, 裁判 裁判官は世界がどんな感じで見えてんだろ・・・ それにしても、なぜ遺族は少年を訴えたんだろ。 2011/06/2845 clicks
被告は少年じゃなくて両親な。そしてそれは極めて当たり前の話だ。加害者は少年なんだから。
ze-ki news 色々おかしい。だいたいバイクの87歳男性、足骨折しただけなのになんで認知症と結び付けられてるのか分からん。どういうロジックだよ。 2011/06/2864 clicks
お前は認知症をどれだけ知ってるんだ?前述のとおり、骨折から認知症発症はかなりよくあるパターンだ。
weekly_utaran なぜ学校側の施設管理責任ではないのか、そもそもこの年齢でバイクに乗ることによる事故の危険性は?高裁で逆転判決が出て欲しい、そうしないと全国の学校の校庭でサッカー禁止になる 2011/06/28112 clicks
原告が少年の過失責任を問うたから。問われてないことについて裁判所は答えてはいけない。被告でもないのに急に賠償責任負わせられたらおかしいと思うだろ?
W53SA これはひどい 「判決は『蹴り方によっては道路に出ることを予測できた』と指摘」裁判官の常識のなさに危機感を覚える。学校ではなく親を責める遺族側の発想を是認するのもおかしい。 2011/06/2814 clicks
いや、ボール遊びするときは公道にボール出さないように気をつけるのが「常識」だろ。お前の常識のほうが実害付きで危険だよ。
そして学校ではなく親を責めるのが民法の原則。なんで場所貸してただけで、蹴り出した張本人(の代位責任)を負うのか、そっちの方が例外的な考え方だ。
kumakuma1967 わからん, 児童の権利侵害 100%少年に責任がないとこの額は出ない気がするが、ボールから死亡まで予期できる裁判長はニュータイプか?事故は愛媛なのになぜ大阪地裁?田中敦裁判長名でググると信楽事故のトンデモ判決も出てきた。http://goo.gl/AVqzd 2011/06/28
100%じゃなかったって記事に書いてあるだろ。
つーか裁判所の管轄について疑義を呈してる時点でテメーのほうがよっぽどトンデモだよ。管轄は民訴法で細かく定められているが、今回はおそらく不法行為の結果(死亡)発生地だろう。不法行為においてはできるだけ被害者に都合よく管轄を認めるのが民訴法の立場で、その立場はまったくもって正当だ。
as62 民事は、一方の主張に対して他方が否定主張をせずにほっとくと事実認定されてしまうから、単に少年側の法廷戦略が下手すぎなだけなような。常識的に負けるわけねえと弁護士つけてなかったとか、あるんじゃないか? 2011/06/28
7年もかかってるのに弁論主義で処理ってのは無いだろ。まして本人訴訟なら求釈明する。
toaruR 少年や両親に過失があるなら、爺さんとその家族にもありそうなもんだけど。せめて、学校のせいだろ……地裁にしても酷い 2011/06/28
なんでそこで「せめて、学校のせい」がボール蹴り出した奴より先に来るんだよ。
「使えばいい」って、使えねーだろ。まさか民事に裁判員制度導入しろってか?悪夢もいいとこだ。
iwamototuka 裁判, 事故 そこまで小学生(当時)個人に責任持たせるのかよ。うかつに校庭でサッカーもできないな 2011/06/289 clicks
責任の主体は親、な。
nobuharasawa バイクでこけて死んだのかと思ったら、足を折っただけ。それで1500万円はあり得ん RT@ 2011/06/2810 clicks
「足を折っただけ」なら「1500万円はあり得ん」のに、なんで「足を折っただけ」で「1500万円」の判決が出たと思うんだ?
yukimi1977 これはひどい ボールが原因で死亡事故を起こしたわけじゃないのに。もしそうでも学校の過失で少年じゃない。ぐぐったらこの裁判官、別の判決でも因果関係が?な過失を認めてる。 2011/06/28
少年じゃないって理屈がおかしい。過失がなくってボールが公道に出るかっつーの。そんなんで責任負わされてたら校庭でボール遊び禁止だろ。
Sophitia 「蹴り方によっては道路に出ることを予想できた」のは、ボールを蹴った本人じゃなくて、そんな環境下で蹴ることを許した学校側の責任でしょ。その辺りを取り違ったおバカな判決。絶対控訴すべき! 2011/06/28
いや、本人だろ。なんで本人が予想できないと思うんだ?
また馬鹿か。
これはその通りで、結構な人が東電から賠償もらえるんだよ。東電のせいで倒産とか自殺とか、ちゃんと賠償請求できるってことをアナウンスしてたらもっと減ってるはず。
daisuk-com *その他, 裁判 どう考えてもこれはひどい。施設管理の学校じゃなくて子供側を訴えたのかわからん。 2011/06/2812 clicks
suzuki_kuzilla 東京電力が原発放置したせいで就職活動が長引き巨額の交通費支払いと長期にわたって授業を受けられないという損害を受けました。って訴訟する? / asahi.com(朝日新聞社):サッカーボール避け転倒死亡 蹴った少年の親 2011/06/28
これはちょっと無理筋かも、と思う。
snowdrop386 司法 おかしな判決だ。事故と死因の相当因果関係がなく、さらに学校管理下での行為によるものなのに保護責任を親と安易に決めている点が特におかしい。 2011/06/28
いや、保護責任じゃなくて714だから親なんだろ。子どもの居場所ごとに714の主体が変わるとでも?
Marin_MTB 事故, 裁判, これはひどい これ認めちゃダメでしょう。校外にボールが飛び出さないような校庭をつくるしかないじゃん。 2011/06/2811 clicks
程度問題ではあるが、そういう校庭が普通だろ。ゴールの方向に出口があるわけじゃなければ、出口方向に転がったボールは大して勢いは無く、外に出る前に走って追いつく。
NOV1975 司法 これは検察と弁護側とどっちの質が悪いの?司法と併せて三冠王か? 2011/06/2868 clicks
hk2mr_hu 社会 サッカーボールを避け転倒→足を骨折→認知症になる→食べ物を気管につまらせ死亡。これでどうして死亡責任まで問われるかが理解できない。しかも問われるとしたら少年の責任ではなく、学校の管理責任だろう。 2011/06/28
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キメこな問題についてのツイートのまとめを見た。
いつか来ると予測されていた問題がついに表面化。
しかしこれは梅ラボ本人一人が気分的に凹むということ以外は実害がなくてよかった。
災難だったね、としか言いようがない。
そして※欄の予想通りすぎる人格攻撃っぷりは、見てて少し虚しくなった。
ふたばという「歪な形で維持し続けられる楽園」の脆さを住人自体がいまだに把握できてない。
そんな場所の住人であるということがアイデンティティと不可分レベルに融合してしまった多くの
「としあき」たちにとってどうしたって不快であり、許しがたい行為だということは分かるが、
前提として招待制SNSでもなんでもなく「匿名掲示板」なんだから誰もがやってきてしまう、
ということはシステム上仕方ないのに彼らは「この中のルールを守ることで新参の訪問は最小限に抑えられる」
という幻想を持っている。まるで「9条さえ守っていれば戦争は起こらない」と信じる9条信者のようだ。
「外」の人間はそのルールを知らないし、意に介することさえないかもしれないのに。
今回の件は若干違うか。例えが悪い上に無駄なツッコミどころになったかもしれない。どう違うかは後述する。
ふたばはある意味、かつてのアンダーグラウンド系掲示板の文化の匂いを残したまま現在まで存続しているという
ちょっと珍しいサイトだが、哀しいかなシステム上でなんらかの方策を講じているわけではなくWeb上に
置かれたものは大概がフラットに消費される可能性を抱えている。それを作った人間の快・不快という感情的な
問題とは別個に。アンダーグラウンド、という領域が存在し得たのはGoogle以前でしかないだろう。
検索エンジンが未発達な時期には確かに「見つかりにくい領域」はあった。もう、昔の話だ。
ふたばが2chと違ってちょっと面倒なのは、「としあき」という名に仮託された奇妙な選民意識の
存在がある。だが、梅ラボ自身もブログで「2年ROMってた」ということを表明している。
(古参住人にとってはその理解はまったく足りないものに映ったのだろうとしても)
「不定形匿名人格の一部」である自分の立ち位置と自らの「表現欲求」やどうにも抑えようのない「作家性」
(「人のもんの貼りあわせだけで何が作家だ」とかいう意見もあるだろうがそこはひとまずおいといて)
の間で引き裂かれ、今回の件で梅ラボは苦しんでいる。かつて同人誌「カオス*ラウンジファンブック」にて
仲山ひふみに「著作権問題が発生したらどうなるのか」という問題提起があったので、冒頭の一言が
あるわけなんだが、感情的な「許す」「許さない」の問題はもうどうしようもないんだろうと思う。
少なく見積もっても1000の意見が表明された。それが1000人なのか一人なのかということも実際のところ
わからない。まあTogetter見てる分には流石に一人ではないだろうということは分かるが、ふたばのスレでの
そして多くの人間がいればその構成員の「許容の基準」だってバラバラだろう。もうこれは仕方がない。
だが、「絶対許さない」とか言ってる人間だって別になにかできるわけではないのだ。
それに、時間が経てば忘れられる。「絶対許さない」とか言ってる人間だってずっとこの件だけを
考えつづけることはできないだろう。出来るような人はちょっと常人離れしたなにかである。
それはそれである意味すごい。もしかしたら現人神「絶対許早苗」かもしれないwww
うむ、早苗さんに許してもらえないのは東方厨である梅ラボにはキツいなー。
冗談はさておき。
結局のとこ諸行無常、ってね。不変なものってのはなくて物事は相互に影響しあう。
水の上に油をたらす。油の粒は水の力によってその形を変える。しかし逆に見れば
油が垂れてきたことで水全体の形も変わったと言える。ネット上の出来事も基本的には
大して変わらない。ちょっと私見になってしまうが「キメこな」はともかく海外での
「Moetron」の成長において梅ラボの作品の特徴が全く影響がなかった、というのは
ちょっと考えにくいのだ。多くの作品で「いくつかの別のキャラの顔のパーツをひとつの
顔であるかのように構成した」構造が見られる。梅ラボの作品はTumblrなどを通して
かなりの拡散をしており、カオスラウンジはよくも悪くもそれなりに一部で目立つ存在と
なっていた。それに刺激された4Chanの人間が「Moetron」と梅ラボ作品に共通するエッセンスを
感じ取ったということはありうると思う。もっとも、根拠がないので妄想ととらえてくれて
一向に構わないが。
文化という言葉がこの件で多く出てきた。自身のコミュニティの文化に誇りを持ち、
それを保護する姿勢もわからんではないが、そんなに過剰に護らないと壊れてしまうほど
脆弱な文化なのか?ふたばは、二次裏とは。そうではないのではないだろうか。
「見ろ また奇妙なやつが出てきたぞ」
くらいの気持ちで興味をもって動向を捉えていればいいのではないだろうか。
キメこなは生まれてさほどの時間が経っておらず、成長途中のキャラである。
だからこれもまた、成長の一過程だと捉えることはできないだろうか。
なんのまとまりもないが、思いつくまま書いてみた。
異論は大いに認めたい。むしろ読みたい。
twitterでソラノート問題というのを知った。そんでここ数日追いかけてみていた。
んで、もう遅いだろうけれど自分が思ったことを書いてみる。
被害者の方の判断や苦痛を軽視しているように読めたら申し訳ないけれど
これ名誉毀損とかプライバシーの問題というよりは図式が公害事件に似てると感じた。
たまたま私が数日前に原発絡みで公害訴訟の本読んでたせいかもしれないけれど。
私にとって問題だと感じたのは、この問題が、公害問題における企業と私人の関係に似ているということだ。
「まともな運営では競争力がなく利益(PV)を稼げない」ことや
「企業外部の被害について責任を取る必要がない」という事情を逆手にとって
ネットに毒のようなものをばらまくことを止められる仕組みがないということだ。
こうした行為についてまったく規制や罰則が儲けられていないしスタンダードな解決ルートが存在しない。
そのため、被害者の声が小さい場合、問答無用でかき消されてしまっている。
こうした状況では、個人には為す術がない。泣き寝入りするしかない。
しっかりとした規則や罰則がないと、訴訟で問題を解決するのは恐ろしく困難だということがよくわかる。
まず当時は「法人 vs 私人 」といった判例が皆無と言って良いほどなく、問題解決のルートが全く確立されていなかった。
民放の不法行為があるじゃないかというかもしれないがこれは訴訟能力が対等な力関係を前提にしている。
実際イタイイタイ病訴訟では民法709条での過失の立証には膨大なデータと予算が必要で不可能だった。
そのため鉱業法109条を用いて因果関係のみに絞って提訴。これについても三井側は全面否認し現場検証が行われた。
やがて裁判費用は底を尽くことになり、訴訟救助で支払いを猶予してもらい、
町村議会も訴訟支援の助成金を出してもらうことでなんとか継続することが出来ている。
結果として、被害発生から弁護団が立ち上がるまでに7年。訴訟開始から3年が掛かっている。
実際、企業側(正確にいえば企業法務、弁護士など)もそのことはよく承知しているらしく、
当時の三井も「公の機関が三井に責任があると言うなら補償する」と開き直るような姿勢をとっていた。
実際、勝訴できたのには本当に幸運だった。
立証責任の転嫁が認められなければ、おそらく膨大な負担によって裁判を継続することが出来ず、
「騒ぎが大きくなってしまうと米が売れなくなる」「嫁が来なくなる」
「面倒な奴と思われたら就職できなくなる」「企業が撤退したら村が成り立たない」
といった声が強く、地元民が泣き寝入りを積極的にえらぼうとする動きが目立った。
リーダーが立ち上がり、団結しなければ、仲間同士で潰し合って活動が崩壊するところだった。
訴訟の間も何度も何度も活動が内部から崩壊する危険を迎えている。
非常に大きい負担を背負わされ、正義が確定するまでは周りも遠巻きに見守って近寄ってこない。
いろんなモノを我慢しながら、宙ぶらりんの状態をずっと続けるよりは
訴訟を取り下げてもいいから平和な生活に戻りたいという気持ちになる住民も少なくなかったと書かれている。
まとめを見る限り、ソラノート事件に関してすでに内部分裂を起こしている傾向が見られる。
後からこの問題の情報に当たるので、事件発覚当初の空気はよくわからない。
ただ、記録を見るかぎりは当初より名誉毀損を焦点にする当事者と、ネットの正義みたいなのを主張する周囲の人間の間に認識の齟齬があり活動に一体感がなかったように思われる。
結果として一部の人間は、被害者の行先と自分たちの将来の利害には関係がないと切断を行い
むしろ被害者に対して嫌がらせのような活動をしている人もいるようだ。
これは少し残念な状況だと言わざるをえない。
裁判後は、三井側が廃水対策を住民と共に行っている事、土地の復元事業にも参加している事が書かれている。
いわゆるソラノート的な企業は、社会的責任や制度が明確に規定されれば工夫してネット住民たちと良い関係を築くことも不可能ではないと感じる。
現在のように競争状態がますます激化していく中、完全な無法状態だと倫理を逸脱するものが出てくるのもやむを得ない。
法律とまではいかないが、なにかしらガイドライン的なものをソーシャルメディアに導入するためにも
この問題は大事に取り扱い、将来の指針になるような結果に結びつくことが望ましいと感じる。
ネット公害とは面白い視点だが、それを持ち込んだら事実上全ての事案が公害認定され得るのだから現実的ではない。だからこそ法があり法廷があるのだから、真に必要ならその場を使うしかあるまい。
反応ありがとうございます。私もさすがに公害認定は行き過ぎであるか思います。
公害でないにせよ、何かしら新しい視点の導入が必要ではないかということです。
たとえば名誉毀損で訴えるにしても「ネットのIDにどれほどの価値があるか」など新しい視点の導入が必要であるかと思います。
両者の立場が対等ではないこと、ソーシャルメディア全体に与える影響などを強調して
裁判において新しい視点を導入する補助線として公害という例を提示したかったのです。
ほんとうに公害と扱うことまでは望んでいませんが、この問題の重要性は伝わりにくいと思うのである程度強調が必要かと思います
「裁判の場をつかうしかない」とのことですが、私も裁判のことを考えています。
そして、もしかしたらここに認識の差があるかもしれませんが、私は裁判だったらまず体力負けすると思ってます。
9条があるから日本は平和であり、これからも平和であるという意見があります。これは間違いだと思います。
なぜなら、そもそも今の日本は9条を遵守していないからです。日本には実質的な軍隊である自衛隊が存在します。これは9条精神に反します。また軍隊があることで、周囲の国々との信頼関係がどれだけ損なわれているでしょうか。日本が侵略したアジアの人たちにとって、自衛隊は旧日本軍と重なって見えているはずです。いつまでも続く強固な信頼関係を築くためには、まずこちらから相手を信頼し、軍事力を持たない選択が必要です。自衛隊は廃止するべきでしょう。
在日米軍も問題でしょう。いくら日本人が平和を願う民族であっても、国内にアメリカ帝国軍が駐留していたのではまったくの無意味です。「日本は平和的関係しか認めないので国内に軍隊は必要ない」ということを説明した上でアメリカ軍を撤退させるのが、政治の責任というものではないでしょうか。
もちろん自衛隊を廃止し、アメリカ軍を追い出すだけでは安全を確保できないのは当たり前です。自衛隊を廃止し、アメリカ軍を追い出し、その分のお金で中国や北朝鮮を支援する。こうすることで心が通じあい、平和な関係が生まれます。平和を願う心は大切です。しかし、形で表さなければ意味がありません。
日本がアジアを侵略したことは事実です。しかしそのことを教訓として世界に誇る憲法9条が生まれました。日本から憲法9条の精神を世界へ。「平和立国」がこれからの日本が目指すべきあり方ではないかと思います。そのためにも9条を蔑ろにするような姿勢は即刻改めるべきです。
本土のブサヨから沖縄は侵略されてきた。本土の新左翼過激派は沖縄の市民運動の中に入り込んできて、ブサヨ運動をしてきた。新左翼過激派のサイトにも書いてあることだ。そういう本土ブサヨの沖縄侵略は、今までのように簡単にはいかなくなる。本土ブサヨの侵略から、沖縄県民が立ち上がったのが、今回の知事選だ。
伊波洋一が知事になることが沖縄の自立であるとブサヨは言ってきたが、それは真っ赤な嘘だ。伊波のような思想は米軍基地を固定化させ、アメリカ様様とアメリカにすがりつく結果になるブサヨ思想だ。伊波のような思想は中国にすがりついて、中国様様になる。沖縄に属する尖閣諸島に中国が攻めてきたのは、中国が沖縄に攻めてきたことだ。9条信奉するブサヨは自立精神など全くなく、中国様様、アメリカ万歳の米中隷属だ。
沖縄の自立を本当に言うのならば9条を改憲して国軍を創設し、その国軍が日本を守る自主防衛を言うことだ。自主防衛してから米軍基地の撤退を主張するのが沖縄の自立だ。伊波のような思想は、結局、普天間基地の固定化につながる。
【揺らぐ沖縄】児童の安全より反対運動優先か 基地隣接の小学校移転 (1/2ページ) - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100109/plc1001092327012-n1.htm
「米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)に隣接し、ヘリ墜落など事故の危険にさらされてきた同市立普天間第二小学校(児童数708人)で、これまで2回、移転計画が持ち上がったが、基地反対運動を展開する市民団体などの抵抗で頓挫していたことが9日、当時の市関係者や地元住民への取材で分かった。市民団体などは反基地運動を展開するため、小学生を盾にしていたとの指摘もあり、反対運動のあり方が問われそうだ。(宮本雅史)」
本土ブサヨの沖縄侵攻はブサヨの飯の種にやっているのであって、人権平和とか関係ない。ブサヨにとって、普天間は固定化したほうがいいのだ。ブサヨは人権平和と言って飯の種にして、米軍基地反対運動もできるというその位置でいられることが好都合なのだ。ブサヨにとって、沖縄がどうなろうが関係ない。
これから沖縄も含めて、米軍に頼らないで自主防衛路線で行くための道を切望するためには、伊波のようなトンデモ主張は邪魔なだけだ。下に書いたこともあわせると、沖縄にいる静かな沖縄県民の保守派の炎が覚醒してきていることは、もう隠しようがない。中国の沖縄侵攻が現実的になってきた今では、沖縄でも防衛の必要性がかなり認識されるようになった。本土ブサヨは観念しろ。本土ブサヨ侵略者の夢見る沖縄の終焉だ。
第1章 削 除 (第73条-第76条)
第2章 内乱に関する罪 (第77条-第80条)
第3章 外患に関する罪 (第81条-第89条)
第4章 国交に関する罪 (第90条-第94条)
第5章 公務の執行を妨害する罪 (第95条-第96条の3)
第6章 逃走の罪 (第97条-第102条)
第7章 犯人蔵匿及び証拠隠滅の罪 (第103条-第105条の2)
第8章 騒乱の罪 (第106条-第107条)
第9章 放火及び失火の罪 (第108条-第118条)
第10章 出水及び水利に関する罪 (第119条-第123条)
第11章 往来を妨害する罪 (第124条-第129条)
第12章 住居を侵す罪 (第130条-第132条)
第13章 秘密を侵す罪 (第133条-第135条)
第14章 あへん煙に関する罪 (第136条-第141条)
第15章 飲料水に関する罪 (第142条-第147条)
第16章 通貨偽造の罪 (第148条-第153条)
第17章 文書偽造の罪 (第154条-第161条の2)
第18章 有価証券偽造の罪 (第162条・第163条)
第18章の2 支払用カード電磁的記録に関する罪 (第163条の2-第163条の5)
第19章 印章偽造の罪 (第164条-第168条)
第20章 偽証の罪 (第169条-第171条)
第21章 虚偽告訴の罪 (第172条・第173条)
第22章 わいせつ、姦淫及び重婚の罪 (第174条-第184条)
第23章 賭博及び富くじに関する罪 (第185条-第187条)
第24章 礼拝所及び墳墓に関する罪 (第188条-第192条)
第25章 汚職の罪 (第193条-第198条)
第27章 傷害の罪 (第204条-第208条の3)
第28章 過失傷害の罪 (第209条-第211条)
第29章 堕胎の罪 (第212条-第216条)
第30章 遺棄の罪 (第217条-第219条)
第32章 脅迫の罪 (第222条・第223条)
第33章 略取、誘拐及び人身売買の罪 (第224条-第229条)
第35章 信用及び業務に対する罪 (第233条-第234条の2)
第36章 窃盗及び強盗の罪 (第235条-第245条)
第38章 横領の罪 (第252条-第255条)
第39章 盗品等に関する罪 (第256条・第257条)
第40章 毀棄及び隠匿の罪 (第258条-第264条)
第2章 内乱に関する罪 (第77条-第80条)
第3章 外患に関する罪 (第81条-第89条)
第4章 国交に関する罪 (第90条-第94条)
第5章 公務の執行を妨害する罪 (第95条-第96条の3)
第6章 逃走の罪 (第97条-第102条)
第7章 犯人蔵匿及び証拠隠滅の罪 (第103条-第105条の2)
第8章 騒乱の罪 (第106条-第107条)
第9章 放火及び失火の罪 (第108条-第118条)
第10章 出水及び水利に関する罪 (第119条-第123条)
第11章 往来を妨害する罪 (第124条-第129条)
第12章 住居を侵す罪 (第130条-第132条)
第13章 秘密を侵す罪 (第133条-第135条)
第14章 あへん煙に関する罪 (第136条-第141条)
第15章 飲料水に関する罪 (第142条-第147条)
第16章 通貨偽造の罪 (第148条-第153条)
第17章 文書偽造の罪 (第154条-第161条の2)
第18章 有価証券偽造の罪 (第162条・第163条)
第18章の2 支払用カード電磁的記録に関する罪 (第163条の2-第163条の5)
第19章 印章偽造の罪 (第164条-第168条)
第20章 偽証の罪 (第169条-第171条)
第21章 虚偽告訴の罪 (第172条・第173条)
第22章 わいせつ、姦淫及び重婚の罪 (第174条-第184条)
第23章 賭博及び富くじに関する罪 (第185条-第187条)
第24章 礼拝所及び墳墓に関する罪 (第188条-第192条)
第25章 汚職の罪 (第193条-第198条)
第27章 傷害の罪 (第204条-第208条の3)
第28章 過失傷害の罪 (第209条-第211条)
第29章 堕胎の罪 (第212条-第216条)
第30章 遺棄の罪 (第217条-第219条)
第32章 脅迫の罪 (第222条・第223条)
第33章 略取、誘拐及び人身売買の罪 (第224条-第229条)
第35章 信用及び業務に対する罪 (第233条-第234条の2)
第36章 窃盗及び強盗の罪 (第235条-第245条)
第38章 横領の罪 (第252条-第255条)
第39章 盗品等に関する罪 (第256条・第257条)
第40章 毀棄及び隠匿の罪 (第258条-第264条)
第2章 内乱に関する罪 (第77条-第80条)
第3章 外患に関する罪 (第81条-第89条)
第4章 国交に関する罪 (第90条-第94条)
第5章 公務の執行を妨害する罪 (第95条-第96条の3)
第6章 逃走の罪 (第97条-第102条)
第7章 犯人蔵匿及び証拠隠滅の罪 (第103条-第105条の2)
第8章 騒乱の罪 (第106条-第107条)
第9章 放火及び失火の罪 (第108条-第118条)
第10章 出水及び水利に関する罪 (第119条-第123条)
第11章 往来を妨害する罪 (第124条-第129条)
第12章 住居を侵す罪 (第130条-第132条)
第13章 秘密を侵す罪 (第133条-第135条)
第14章 あへん煙に関する罪 (第136条-第141条)
第15章 飲料水に関する罪 (第142条-第147条)
第16章 通貨偽造の罪 (第148条-第153条)
第17章 文書偽造の罪 (第154条-第161条の2)
第18章 有価証券偽造の罪 (第162条・第163条)
第18章の2 支払用カード電磁的記録に関する罪 (第163条の2-第163条の5)
第19章 印章偽造の罪 (第164条-第168条)
第20章 偽証の罪 (第169条-第171条)
第21章 虚偽告訴の罪 (第172条・第173条)
第22章 わいせつ、姦淫及び重婚の罪 (第174条-第184条)
第23章 賭博及び富くじに関する罪 (第185条-第187条)
第24章 礼拝所及び墳墓に関する罪 (第188条-第192条)
第25章 汚職の罪 (第193条-第198条)
第27章 傷害の罪 (第204条-第208条の3)
第28章 過失傷害の罪 (第209条-第211条)
第29章 堕胎の罪 (第212条-第216条)
第30章 遺棄の罪 (第217条-第219条)
第32章 脅迫の罪 (第222条・第223条)
第33章 略取、誘拐及び人身売買の罪 (第224条-第229条)
第35章 信用及び業務に対する罪 (第233条-第234条の2)
第36章 窃盗及び強盗の罪 (第235条-第245条)
第38章 横領の罪 (第252条-第255条)
第39章 盗品等に関する罪 (第256条・第257条)
第40章 毀棄及び隠匿の罪 (第258条-第264条)
第2章 内乱に関する罪 (第77条-第80条)
第3章 外患に関する罪 (第81条-第89条)
第4章 国交に関する罪 (第90条-第94条)
第5章 公務の執行を妨害する罪 (第95条-第96条の3)
第6章 逃走の罪 (第97条-第102条)
第7章 犯人蔵匿及び証拠隠滅の罪 (第103条-第105条の2)
第8章 騒乱の罪 (第106条-第107条)
第9章 放火及び失火の罪 (第108条-第118条)
第10章 出水及び水利に関する罪 (第119条-第123条)
第11章 往来を妨害する罪 (第124条-第129条)
第12章 住居を侵す罪 (第130条-第132条)
第13章 秘密を侵す罪 (第133条-第135条)
第14章 あへん煙に関する罪 (第136条-第141条)
第15章 飲料水に関する罪 (第142条-第147条)
第16章 通貨偽造の罪 (第148条-第153条)
第17章 文書偽造の罪 (第154条-第161条の2)
第18章 有価証券偽造の罪 (第162条・第163条)
第18章の2 支払用カード電磁的記録に関する罪 (第163条の2-第163条の5)
第19章 印章偽造の罪 (第164条-第168条)
第20章 偽証の罪 (第169条-第171条)
第21章 虚偽告訴の罪 (第172条・第173条)
第22章 わいせつ、姦淫及び重婚の罪 (第174条-第184条)
第23章 賭博及び富くじに関する罪 (第185条-第187条)
第24章 礼拝所及び墳墓に関する罪 (第188条-第192条)
第25章 汚職の罪 (第193条-第198条)
第27章 傷害の罪 (第204条-第208条の3)
第28章 過失傷害の罪 (第209条-第211条)
第29章 堕胎の罪 (第212条-第216条)
第30章 遺棄の罪 (第217条-第219条)
第32章 脅迫の罪 (第222条・第223条)
第33章 略取、誘拐及び人身売買の罪 (第224条-第229条)
第35章 信用及び業務に対する罪 (第233条-第234条の2)
第36章 窃盗及び強盗の罪 (第235条-第245条)
第38章 横領の罪 (第252条-第255条)
第39章 盗品等に関する罪 (第256条・第257条)
第40章 毀棄及び隠匿の罪 (第258条-第264条)
第2章 内乱に関する罪 (第77条-第80条)
第3章 外患に関する罪 (第81条-第89条)
第4章 国交に関する罪 (第90条-第94条)
第5章 公務の執行を妨害する罪 (第95条-第96条の3)
第6章 逃走の罪 (第97条-第102条)
第7章 犯人蔵匿及び証拠隠滅の罪 (第103条-第105条の2)
第8章 騒乱の罪 (第106条-第107条)
第9章 放火及び失火の罪 (第108条-第118条)
第10章 出水及び水利に関する罪 (第119条-第123条)
第11章 往来を妨害する罪 (第124条-第129条)
第12章 住居を侵す罪 (第130条-第132条)
第13章 秘密を侵す罪 (第133条-第135条)
第14章 あへん煙に関する罪 (第136条-第141条)
第15章 飲料水に関する罪 (第142条-第147条)
第16章 通貨偽造の罪 (第148条-第153条)
第17章 文書偽造の罪 (第154条-第161条の2)
第18章 有価証券偽造の罪 (第162条・第163条)
第18章の2 支払用カード電磁的記録に関する罪 (第163条の2-第163条の5)
第19章 印章偽造の罪 (第164条-第168条)
第20章 偽証の罪 (第169条-第171条)
第21章 虚偽告訴の罪 (第172条・第173条)
第22章 わいせつ、姦淫及び重婚の罪 (第174条-第184条)
第23章 賭博及び富くじに関する罪 (第185条-第187条)
第24章 礼拝所及び墳墓に関する罪 (第188条-第192条)
第25章 汚職の罪 (第193条-第198条)
第27章 傷害の罪 (第204条-第208条の3)
第28章 過失傷害の罪 (第209条-第211条)
第29章 堕胎の罪 (第212条-第216条)
第30章 遺棄の罪 (第217条-第219条)
第32章 脅迫の罪 (第222条・第223条)
第33章 略取、誘拐及び人身売買の罪 (第224条-第229条)
第35章 信用及び業務に対する罪 (第233条-第234条の2)
第36章 窃盗及び強盗の罪 (第235条-第245条)
第38章 横領の罪 (第252条-第255条)
第39章 盗品等に関する罪 (第256条・第257条)
第40章 毀棄及び隠匿の罪 (第258条-第264条)
ゆずの代表曲の一つに「夏色」がある。
そしてその曲の有名なサビの部分はこうだ。
この長い長い下り坂を
君を自転車の後ろにのせて
ブレーキ一杯握りしめて
ゆっくりゆっくり下ってく
そもそも自転車の二人乗り自体、道路交通法第57条第2項、さらにゆずは横浜出身なので神奈川県道路交通法施行細則第9条の該当規定により、2万円以下の罰金又は科料が課せられる立派な犯罪行為なのだが、まー警察の必死の抵抗むなしく(嘘)ヒット曲になっちゃったわけだし今回そこは大目に見てしまおう。
しかしサビの部分をもう一度確認していただきたい。
どこかおかしくないか?
長い長い下り坂、自転車の後ろに「君」をのせ進む。
そこでブレーキをいっぱい握り締める。
ていくわけないじゃん!
坂道で、しかも人ひとり余分に積載した自転車のブレーキを思いっきり握り締めたら、急停車するに決まってるじゃん!
こりゃおかしくねー???
こんなありえない歌詞を堂々曲に、しかもジャンジャン流れるサビにしてしまったゆずもおかしいし、それを黙って受け入れる日本国民もおかしいぞ!
しかし俺の知る限り、このことを指摘した人をまだ知らない。こんなに大ヒットした曲なのに、そしてかなりの国民が自転車で坂道を駆け下りた経験をもつであろう自転車大国日本であるにも関わらずだ。
もしかしてこの痛恨のミスは「J-POP界のタブー」で、これを指摘した人間はひとり残らず「粛清」されているから、そしてその指摘は完膚なきまでに「検閲」されているから世の中に流通していないだけかもしれない。
だとしたら俺も危ないのかもしれない。今この日記をかいている瞬間も、ゆず直属のスナイパーが俺の命を狙っているのかもしれない。
しかしやはり俺はこんな物理的にありえない歌詞を看過しておくわけにはいかない。俺が指摘してやらなければ、だれがする。そのためにとられる命であるならば、一遍の悔いもない。
さてそもそもなぜゆずはこんな歌詞を書いてしまったのか?その原因をさぐってみたい。
(1)単に表現の仕方をあやまった説
マジメに考察するなら、この説がもっとも有力だろう。つまり本当は「ブレーキを適度に握りしめながら」と歌いたかったところを、PVに見られるような「溢れだす若さ」が災いして勢い余って「いっぱい握りしめて」なんてやってしまったのかもしれない。
実はゆずの二人は好きな人を自転車の後ろに乗せて坂道を駆け下りるなんて、もう教科書レベルに模範的な「まぶしすぎる青春の構図」を体現したことなどなく、それどころか女子に相手にすらされない、悶々とした青春時代をおくってきたのではないか。それゆえ歌詞を全て「妄想」でこしらえたために、リアリティーが極端に欠如したこの歌詞が生み出されてしまったのではないか。しかもこの曲は彼らの「メジャーデビュー曲」である。根暗なやつが何らかの「デビュー」(その多くはいわゆる「大学デビュー」というやつである)を機にリア充をきどろうとして痛々しい結果になるのは、毎年この時期全国各地で見られる恒例のシーンである。つまりこの歌詞は、非リアの非モテがリア充をきどってかえって痛々しくなってしまった一つの例に過ぎないという説だ。
もしゆずが本当に長い長い下り坂をブレーキ一杯握りしめて「ゆっくりゆっくり」下っていった経験があるとしよう。全くきかないブレーキの自転車で長い下り坂を下ったら間違いなく猛スピードになるだろうから、ある程度ブレーキは効いていたのかもしれない。しかし人間二人(推定100キロ)を積載した上、ブレーキをいっぱい握りしめても停止しないということは、やはりその自転車は完全に整備不良である。
そもそも長い長い下り坂の後半にはそれなりのスピードに達していると思われるが、この自転車は止まることが出来るのか?もし坂道の途中でクルマが飛び出してきたらもう轢かれるしかないし、止まることがマトモに出来ない自転車で二人乗りなんかしてたら確実に事故る、もしくは誰かを轢いてしまって殺してしまったり重大な障害を負わせる結果となるだろう。そしたら最悪死ぬか、重傷を負うか、あるいは交通刑務所行きのあげく多額の損害賠償請求を受けるだろう。死んでしまったら「ゆず」は下界ではデビュー出来ないし、仮に重傷を負ってしまったり刑務所行になったならそんな悲惨な経験をあんな楽しげに歌うはずがない。よってこの説の可能性は非常に薄いだろう。
個人的には(1)の説を信じたい。言い間違いか、ただの語呂の問題だったのかもしれない。しかし(3)はともかく(2)の説もまたやはり濃厚だ。デビュー曲の、よりによってサビの大事な部分がそんな痛々しい「非リアの似非リア充アピール」だったなんて、今や紅白出演アーティストであり、北川悠仁に至っては「月9俳優」でもある彼らにとっては「不都合な真実」だろう。そしたらやはり、俺は「ゲシュタポゆず」によって粛清されてしまうのかもしれない。
でもやっぱりこのことを伝えずにはいられなかった。もし俺がゆずに消されてしまっても、俺が残した「ゆずの夏色のサビってヘンだよねー」という指摘が消えずに読者のみなさまに残っていくのであれば、筆者として望外の喜びである。
定員割れ引き起こしてる地方の私立大学をそのまま放置して潰しまくるだけでいいんじゃないかと思う。
減った大学の分だけ18歳人口は就職するわけだし、大学が減れば私学助成金も節約できるし。
そもそも私学へ税金投入するのって憲法上色々問題あるわけでしょ。
第89条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
これを厳格適用して、私立大学を淘汰させまくればいいんじゃね?