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はてなキーワード: 電球とは

2012-02-07

久しぶりにホテルに泊まったら居心地が良かった

よくあるビジネスホテルの魅力を探してみた(ステマ

お部屋

ユニットバス

全体的に、床や机の上に物を置かないよう徹底しているなーと思った。

こういう狭い部屋を効率よく使ってるところ、真似できたらなあ。

2012-01-01

http://anond.hatelabo.jp/20120101185153

昔は日本も、家の管理に関する仕事ほとんど男性仕事だったって聞いた事あるけど、そこんとこどうなんだろ。

障子紙の張り替えとか、電球変えるのや、サザエさんなんて見てると庭掃除まで男性がしてたりしない?

2011-11-29

窓をなんとかしたい

会社の先輩(窓際)が超うざい。

仕事らしい仕事はしてなく、会社ビルの点検管理とか、

電球の交換ぐらいしていないのに、無駄にえらそう。



それで、電球が切れたから交換をいらいすると、

ものすごく面倒くさそうに「そっちでできないん?」

など横柄な態度を取ってくる。

そしてヒマだからそういった仕事の連絡だけも

話相手になるのか、どうでもいい話の引き延ばしをしてくるし・・・・・・。

なんかクビになってもらう方法ってないものですかね。

2011-10-06

前の職場を辞めた理由

http://anond.hatelabo.jp/20111006203110

これ見て思い出した。

 

設計・開発・管理・営業のすべてを一人でやらされた。

全てがぼろぼろ。

ベータ版どころかアルファ版以前の物を売りに行かされた。

売れなくてよかった。

 

部下を雇ってくれなかった。

開発・管理をやる部下を求めたが、求人すら出さなかった。

経験者でもいいと言ったが無視した。

レジ打ちで雇ったパートのおばちゃんが暇な時に手伝うと言われた。

 

評価

システムの方向性は上司社長)が決め、設計から営業までは私の責任

まともに作れず、売れず、その責任は私にあるらしい。

 

職場環境

小売り店舗の奥の4畳くらいのスペース。

120×60の机。

周囲はテストサーバとなぜか購入したラックブレードサーバ

うるさい、寒い、狭い。

 

その他

人がいない時はレジ打ち。たまにお使い。

店舗電球変え、掃除、雪が降ったら午前中はずっと雪かき

残業代は800円/h。

1024×768のノートPCで開発。

 

 

何を言われても家では何の作業もしなかった。

やってられるか。

家のネットから稼働中のサーバにつなげていいとか言うな。

 

 

辞めた後二人雇ったらしいけど、両方いないみたい。

 

いい経験させてもらいましたが、辞めてよかったと心から思ってます

2011-08-28

http://anond.hatelabo.jp/20110828003840

人類史上最低と言われる現職と比べたら正直この程度どうということはないと思っちゃう

安倍晋三以降、毎年毎年そう言ってき総理大臣トイレ電球みたいに交換してきたわけだが、次の総理が菅よりマシなんて保証はどこにあんの?

まさか自民党に戻せばましになるとでも思ってんの?

2011-08-12

さっきTBSでやってたバラエティ番組

なんかすげー一家が出て来た。電気代が毎月1,800円とか。

まあ8割がたヤラセだと思うけど、もし本当に実践してるとしたら奇人変人の部類。

まず家の電球、一部屋を除いて全部外してる。なので日が暮れたら完全に真っ暗。夜は太陽光充電式のランタンを使ってる。

テレビも常時押し入れに収納していて、必要な時だけ取り出すらしい。

エアコンは勿論なし。お風呂の水は、黒く塗ったペットボトルを外に置いて暖めたやつを使う。

スタッフ節約の理由を尋ねると、おばさんは「(家電製品を)必要だと感じないから」「何となく」「趣味で始めたら止められなくなった」と。

家自体も、築50年近くの年代物でタダ。家具含めて居抜きで、払ったのは土地代だけらしい。

そして何より驚いたのは、子供が二人居るという点。1歳と4歳。

それを見た嫁、「この人、子供教育費とかもケチりそうだよね。『必要無いでしょ』って言って高校にも行かせてくれなさそう」「女の子がいたみたいだけど、結婚とか出産の時どうするんだろ」「成長した子供が外の世界を知った時の反動が怖い」。

「いやいや、そういう人なら最初から子供なんて産もうとは思わんでしょ。子供達の将来のために節約してるんだと思うよ。多分」と一応返しておいたが…。





ちなみにこの節約おばさんはドヤ顔テレビに出てたけど、旦那は顔にモザイク入ってた。

2011-04-13

大停電の夜に

停電だー停電だー(ボソっと てえへんだー)」

っとまあ、古いギャグを言いながら廊下を走ってくるヒロシ

コイツはとってもイイヤツだ。上背があって手がデカい。グローブたいな手だ。

だが、ナニは小さくて、メンソールライトたいな味のスースーした包茎しい

グローブたいな手でシコるとチンポコがヒリヒリして痛いから内股でいつも歩いている。

普段からテンションが高いやつだが、ここ2、3日はおりから計画停電の影響で学校も暗いから、気持ちだけでも明るくしようと頑張ってるけどその効果は大体豆電球大。可愛いやつだ。

ヒロシは別に計算ができないわけじゃない。

円周率だって13桁覚えたし、好きな子(15人位いる)の誕生日だって覚えた。

どっちかと言うと、頭はいい方だ。

好かれる人だし、教師からは口の上では注意されているけど、本当は末端の教師からも人気の教師からも、どこかでいてくれて感謝されている。

だけれど、あんまり女の子とは付き合えない。

面と向かってしゃべれない、前の席の白いブラウスから透けている青いブラジャーで抜いているよくあるシャイ高校生だ。

美沙子はそんなヒロシをちょっと気に入っている。美沙子筋肉も発達しているが、天性が味方したスラリとした陸上部女の子

ヒロシからは気づかれていないが、基本的に大体ヒロシの顔かたちと性格調和平均が、彼女プロフィールに書かれた”好きなタイプであるジャニーズの2.5軍の子のそれに大体一致している。最近ジャニーズでもトーク力は重要から流行りのタイプとも言える。

ヒロシがちょっと落ち込んだ時にメールしたこともある。

ヒロシ男子に好かれるから、結構メールをするのも大変。

いいネタにされて、性欲で湯気の出そうな思春期男の子から好奇と精子の入り交じった目線を送られるに違いない。

美沙子は今年限りは陸上に打ち込むつもりだし「女子力」も少し上げたいと思っていて、まだ準備不足

どうせヒロシ女子とそう近いうちに付き合うことはなさそうだからと踏んでいる。

から地震最近学校が早く終ることも多い。そんな中、「お前らは早く帰ってもロクな事が無い」が口癖の眉毛の繋がった体育教師の”サクライ”の猛烈な校長へのプッシュもあって、奨励されていて、美沙子毎日陸上に励んでいる。

余震も多くて、ガラスビリビリいる教室で退屈な計算式を聞いているよりのがウザくてたまらないか美沙子はマユゲのサクライに少し感謝しながら、アシックス蛍光色に塗られたトレーニングシューズに履き替える。

一歩走りだすと、もうそこは日常だ。走っていたら地震なんて関係ない。

スースーする息、安定した鼓動、刻むラップと秒針だけの世界

美沙子は殆どの陸上に打ち込む人間と同様に、個人的な世界が好きだ。

都会では中々一人だけでいられる時間が殆ど無いから、行き帰りの電車の中、雑踏の中、狭い家での家族との会話、めんどくさい女子との会話。それら全てがとけてなくなる。

多分、一つ一つ吐く息が自分を包んで、点となって風景が周りを通り過ぎていく。

走る時間が長くなると、抽象画のように風景画ダラーっと目の前から原形をなくして、セロトニンとレセプターが反応してランナーズハイ時間が続いていく。

美沙子美人で、多くの物を与えられているけれど気付いていない。同様に、ヒロシからの好意にも。

ヒロシヒロシでとても適当性格だが美沙子美沙子適当で、大雑把だ。

部屋は物が無いから幸いにして難を免れているが、大体ご飯の食べ方もきたないし、服も適当に脱ぎ捨てて、親まかせ。

よく似たもの同士で、一人っ子

ひょんなことから携帯アドレスを交換したのもいつだったか

大体、携帯をのアドレスを交換するには、それなりのきっかけや、もっともらしい理由付けがあるものだが、この2人は本当に適当適当な。

2011-04-11

脱原発を達成する10の政策

  1. CO2排出削減を諦め、京都議定書から脱退する
  2. LNG火力発電を30ヶ所建設する。政府天然ガスの確保に努力する
  3. 電力を大量に消費する工場などの海外移転を促進する
  4. 省エネ促進のため、ガソリン価格電気料金を数倍にする
  5. 都市ガス利用燃料電池の普及促進を行う
  6. 電気自動車オール家電などは弾圧する
  7. 白熱電球などのエネルギー効率の悪い製品を禁止にする
  8. 店舗の営業時間を制限する。コンビニパチンコ店、飲食店も例外にしない
  9. 自販機の削減。例えば、タバコ酒類などの未成年に販売が禁止されている物品の対面販売を義務化する
  10. 夜間イベントは禁止する。ライブスポーツナイトゲームは禁止にする

2011-04-04

日教組による教育大阪

30年ほど前、日教組バリバリ小学校教育を受けた。

記憶も怪しいが、覚えている限りのことを書こうと思う。

1980年代大阪府北摂地方の話。その後卒業と同時に関東引っ越したのでその後不明。

職員室には、日教組の団結旗?が飾ってあり(おそらく教職員)の名前が書いてあった。

担任やってた先生が、いきなり担任外に外され、子供ながらに何が変だと感じていた。

通知表

相対評価の5段階評価でも3段階評価でもなく、絶対評価の2段階評価だった。

○と◎、できたか良くできただったと思う。×はあったかもしれないが、覚えが無い。


「にんげん」という授業時間

道徳時間とは別に、にんげんという授業時間があった。

部落とか在日への差別を無くしましょうとか、彼らは弱者から日本人が守る必要がありますとかそういった内容。

でも子供の間ではチョン校とむやみに関るなというのがルールだった。

何でかというと電球口にくわえさせたまま顔殴るとか、俺らのルールでは禁じ手とされている内容を普通に使うのが、彼らのやり口だったから。

なので、差別してはいけませんと言われても、無理だよという空気

今思うに、土地ルールを守らずに自分勝手に振舞えば、そりゃ元からいた連中に嫌がられる訳だし、そこにいるならルール守るようにするのが先だろうと。

いやなら帰れなんだから

少し前まで出ていた帰国船に乗らずに残ったのだから土地ルールは守るべきだよな。

ブラジルアメリカに渡った日本人達はそうしてきたのだし。

指導要綱には無いと思う、どこぞにハングル教えている小学校があるそうだが、そういったものは裁量の範囲で教えていると思いたい

2011-03-15

http://anond.hatelabo.jp/20110315102612

そこらへんでモノ買いためてエクスタシーに浸ってる脳ゆるババア

こいつらが必死こいてチャリで坂登って買出しに来る熱量を電力に変えられないものか。

あるいは、人間の脳は微弱な電気信号を発しているわけだから、脳ゆるババアを大量に拘束して頭に電極を差し

直列回路に接続すれば、豆電球くらいの電力はまかなえるのではないか

1日目

その時、私は書店にいた。仕事は3時から始まる。

業務の前に書店に寄ることが、半ば習慣化していた。

買いたい本を片手に持って、レジへ向かう。

人の声の重なりのような、妙なざわつきを感じる。

地面が揺れていることに気づいたのは、その後だった。

一昨日の余震だろうか?それならばすぐに収まるだろう。

生まれて初めて体験する激震が、我が身を、そして店全体を揺らしたのは、そんな甘い考えが脳裏をよぎった瞬間のことだった。

平成23年3月11日午後2時46分の出来事である

本を買うより、身の安全の確保が第一だ。

左手に持つ本を放り投げ、私は出口を目指して駆け出した

棚の高い場所から、多くの本が勢い良く吐き出されていった。

店を出る瞬間に、視界の片隅だけに見えていたものだけど、その光景は良く覚えている。

職場はすぐ近くにある。職場へ向かおう。

激しく揺れ動く地面と同様に、あまりにも落ち着きのない思考が私を動かしていた。

だけど私は運が良かった。ガラスが割れる軽やかな音に気づけたから。

目の前で、ガラス造りの街灯が落ちて地面に砕け散った。

あと数秒、私の走りが早かったら、危なかったかもしれない。

まずは身の安全の確保だ。最優先事項にやっと気づいた私は、元々いた書店入り口近くにある金属の柱にしがみつく。

建物の近くにいては倒壊に巻き込まれるのではないか、という考えもあったが、倒れそうには見えない外見のビルであったし、何よりも、屋根があった。

何かが落ちてきても、屋根があれば最悪の事態を免れることが出来るだろう。

一息ついて油断した、その瞬間を見逃さずに追撃するかのように、それはやってきた。

もっとも、どんな覚悟も、あれの前には無意味だったと思う。

視界に入るもの全てが揺れ動いていた。地面が左右に揺れる、というのを視認したのは初めてだったと思う。

地鳴りと悲鳴が重なる。震度表には「立っていられないほどの揺れ」という表現があるが、まさにそれであった。

銀色の柱にしがみつき、身体を支えること以外、何も出来なかった。

勇気ある人は、危険な位置にいた女の子たちを比較的安全な場所へと誘導していた。

その後、ガラスの街灯がまたひとつ落ちた。ガラスの破片が散らばったけれど、気にしている余裕はない。

私は死ぬのか、この世は終わるのか。本当にそう思った。

長い、長い、私の体感では3分ほど、実際はもっと短いだろう(これを書いている時点では正確なデータがないのです)、

だけど長い地震が終わって、私の思考はまた落ち着きのないものへ切り替わっていた。

そうだ、職場に行かなければならない。

揺れが収まり、身動きが取れることを確認すると、私は職場ビルへと向かった。

本震があって間もなく、仙台市内全域は停電となった。

エレベーターは動かない。12階立建てのビルの3階に職場はある。

階段の壁は一部が崩れ、破片がそこらに落ちていた。非常灯がなかったので、昼と言えど薄暗かった。

それは階段だけではく、各階でも同様のようであった。日の光が差し込むだけ、階段よりは明るかった。

ドアを押しあけ、オフィスへ入るとほぼ同時に、余震が襲いかかった。あの本震の直後の余震である。実際にどれほどの震度の余震だったのか、これも現時点ではわからないけれど、本震と同じくらい強いものに感じた。

「危ないから入ってきちゃ駄目!」と悲鳴に近い声が私に掛けられたけれど、入ってきてしまったものは仕方ない。

オフィスの中にいた他の方々とともに、私は机の下に身を隠した

自ら飛び込んできた私はともかく、朝から働いていたオフィス内の人々は、突然の、しかも未曾有の大きさの地震を受け、憔悴しているようだった。

それから階段を降ってビルを出て、一度は近くの小学校へ避難したしかし、地域の方々の避難が最優先であるため、解散の命令が出るまで、私たちは歩道で待機していた。

その間も余震はまるで容赦しない。地面が揺れる、街灯や電線が揺れる。大きな看板地震で壊れていて、たくさんの人が携帯電話写真を撮っていた。

本震の最大震度が7と聞き、やっぱりね、とか、宮城県沖地震かな、などという話題が上がった。少量ながら雪が降り始めて、とても寒かった。

地震保険の話があった。我が家には適用されるのだろうか。いや、それよりも我が家は無事か。

携帯電話操作して、自宅に電話をかけるも、繋がらない。当たり前のことだった。

それからしばらくして、今日のところは解散、ということが上司から伝えられた。私は家まで歩いて帰ろうとしていたけれど、同じ方向に住まいがある同僚がいたので、家の近くまで送っていただくことになった。

車道は当然のように渋滞していた。加えて、一部を除いて、信号も動いていない。

仙台市中心部から郊外へ移動しようというのだから渋滞に巻き込まれるのは致し方ないことだ。30分で100メートル移動出来たかどうか、ということもあった。

正直に言えば、自宅まで徒歩で戻った方が、早く家についたかもしれない。しかし、車で送って頂いて本当に良かったと思う。

そう思う理由はいくつかある。ひとつは、複数の人とともに移動することによって、不安や恐怖と言ったものを少しは紛らわせたということ。また、車にはラジオが搭載されているから、最新情報を確認することが出来たのも大きい。外気を遮断し、暖をとりつつ移動出来たというのもある。被災直後から仙台市内には断続的に雪が降り、吹雪くことさえあったから。

最終的なマグニチュードが8.8であるという報道を聞き、私たちは笑うしかなかった。この地震で亡くなった方が出るかもしれない、という話題にもなった。これを書いている今現在、確認されている死者は1000人以上であると聞いている。ここまで多くの方が亡くなってしまうとは、あの時、思いもしなかった。

移動中、私は家族が心配でならなかった。特に、自宅にいるであろう、母。我が家は築25年の木造住宅である。自宅が倒壊してしまったのではなかろうか、それに母が巻き込まれてしまったのではないか、心配で心配で溜まらなかった。

同乗している同僚は、2歳のお嬢さんを心配していた。夫の実家に預けているのだが、連絡が取れないのだという。

私も母との連絡は取れない。「頼りがないのは良い証拠」であるという、この場にはまるでふさわしくない故事を信じるしかなかった。

被災直後であるから携帯電話は全く役に立たない。それはとうに承知していても、家族の安否を確かめたいというのは当然のことだ。電話はとても繋がりにくかったが、幸い兄との連絡はついた。それから機械に疎い家族が見るかどうか分からないが、災害伝言板に書き込みをしておいた。

車に乗っていても、余震は我が身に伝わる。窓から見える外では、多くの人が歩いていた。結婚式最中だったのか、よそ行きの格好のまま避難する人、スーパービニール袋を被る人、クリーム色のカーテンを纏う人、様々いた。

1、2時間も経つと、日が傾き、徐々に日の光が失われていった。明かりがあるのは車ばかりで、どの店、どのビル、どの建物も真っ暗なままだった。唯一、警察署だけは明るかったけれど、自家発電装置はいつまで持つのだろうか。

これだけの巨大な地震であるにも関わらず、高層ビルの倒壊がなかった、このことはすごいことだと思う。

しかし、それは外見の話だ。どこも大なり小なりの被害を受けていて、壁が崩れたり、窓ガラスが割れたりするのは当たり前、水道管が壊れて、水が溢れだしている家もあった。

時間半ほどの時間を掛けて、自宅の近くまで送って頂いた。ここからは、歩いて帰ることになる。

外はやはり寒かった。実際の気温だけではない。街のどこにも光がない。駅の近くにある大きな交差点、そこの信号は機能していたけれど、他の信号は依然光を失ったまま。これまで車で通り過ぎてきた光景と同じく、街のどこにも灯りはなかった。

この夜の空は、山中で見るもののようだった。星座が確認出来るくらい、綺麗な星空。あまたの星がいつもと同じように、黒のキャンパスの上で煌めき、瞬く。暗い街並みといつにも増して美しい夜空を、私は生涯、忘れないと思う。

さて、この地震では、かなり多くの方が避難所での生活を余儀なくされている。

我が家はかなりましな状況であるということを、ここで記しておく(こうやって被災最中に手記らしきものを書いている時点でお察しの方も多いだろう)。

何せ、不自由なことは多いものの、自宅で生活が出来ているのだ。現在、これを書いている3日目の朝も、白いご飯を食べ、暖かな野菜スープを飲み、ゆで卵まで頂くことが出来ているのだから

時間かけて自宅まで戻ってきたが、電気はついているはずもない。もしかしたらみんな、避難所にいるのかもしれない。あるいは……。

最悪の事態を思い浮かべながら、玄関を開ける。ただいまと誰もいないかもしれない家に声をかける。返事はすぐに戻ってきた。

家族全員茶の間にいた。みんな、無事だった。そのことに安堵の息を漏らしつつ、私は茶の間に入った。

意外なことに、茶の間は暖かだった。捨てるつもりでいた石油ストーブを物置から持ってきて動かしていたのだ。停電していても暖が取れるのはありがたかった。さらに、ストーブの上にやかんを置けば、時間はかがるがお湯が湧く。パンを置けばカリカリに焼ける。外は氷点下にまで冷え込む中、石油ストーブで外から身体を暖め、お茶で内からも暖める。とても幸せなことだった。これを呼んでいらっしゃる皆様には、是非一家に一台、石油ストーブの購入をお勧めする。

家の中には、父、母、兄、それに近くに住む親戚の小母さんがいた。小母さんは、この地震で誰とも連絡が取れず、また誰も帰ってこないという。家の中は地震家具が散乱しており、中にはとても入れない。一人でいるのも不安である。そのため我が家に来たのだという。

自宅へ帰って来た頃、時刻はもうすぐで8時を迎えようとしているところだった。こたつの上には大きな蝋燭が立てられていて、その脇にラジオが置かれていた。懐中電灯もあるにはあるが、あまり明るくないので、部屋全体は照らせない。そのため、トイレに行く時等、移動する際に使われていた。

そういえば、自室に小さなライトがあるのを私は思いだした。いつだかにゲームセンターUFOキャッチャーで取ったものだ。おもちゃに近いが、電球はなくLEDなので、大きさの割には強い光を出す。

本棚が倒れたため、本で埋め尽くされ、足の踏み場がない部屋へ行く(自室の荒れ方がまた素晴らしかったので、出来ればお見せしたいところであるが、この時既に携帯電話の電池が切れていた。残念である)。机の引き出しの中にライトはあった。スイッチを入れると、白い光が散乱した部屋を照らした

また、その時の私は、黒いタイツストッキングと随分冷える格好をしていた。荒れ果てた部屋からジーンズを引っ張りだして着替えた。ついでに、タオルケットと毛布を茶の間へ持ち出した

茶の間に戻り、ライトで辺りを照らしてみせると、蝋燭や懐中電灯よりも広い範囲をより明るく照らせたので、当座はこのライトで部屋を照らすことになった。裸火がなくなり、火事可能性が低くなったのでひとまず安心した

余震は断続的に続いていた。これを書いている今もそうだが、大小の関係なしに、何度何度地震に遭っていると、いつも地面が揺れているような感覚に襲われる。恐怖が完全に拭われることはなく、むしろ大きい余震があるたびに増大していった。

地震当時、各々が何をしていたかを話した

母は、少し昼寝をしようとしていた時に地震に見舞われたそうだ。これほど大きな地震であれば、逃げることをまず第一に考えそうなものだが、母は42型の液晶テレビが倒れないか心配だったらしいテレビを支えつつ、近くの柱にしがみついて、本震を耐えきったそうだ。

兄は仕事をしていた。オフィスの中にあったパソコンは全て倒れて使えなくなったそうで、しばらくは仕事にならないだろう、それどころか解雇されるのではないか、と心配していた。

父もまた、仕事をしていた。スーパーでカゴ集めのパートをしている父は、地震の瞬間に店内にいた。これは危ない、と思い、しかし出口からは遠い場所にいた父は、普段は閉じられたままのガラス張りのドアをこじ開けて外に出たという。後から聞いた話によると、父の勤務地のスーパーは、天井が落ちてしまったそうだ。

ラジオから聞こえてくる男性の声が、この地震による被害の状況を伝える。泉区で家がひとつ倒壊した、壁に挟まれて死んだ人がいる、火災が発生した津波で何もかも飲み込まれた……。いつもの夜のラジオなら、軽やかな音楽や楽しげに話すDJの声が漏れてくるのに、今宵は厳しい現実と、それを乗り越える手段が、無機質に流れ出ているだけだった。

私が自宅に帰宅して、1時間ほどして、親戚の小母さんの娘さんが帰ってきた。

この時、電話はまともに使えなかったが、メールインターネットならば使用可能な状態にあった。

機械音痴しい小母さんは、メールを打てない。私が代わって、娘さんに「小母さんは我が家にいる」との内容を打ち、送信したところ、娘さんはすぐに我が家に駆けつけた。それまでは近くの避難所を当たっていたらしい

娘さんの勤め先は、長町にある。我が家仙台市泉区に位置しており、長町とはかなりの距離がある。娘さんは同僚の方から自転車を借り、ここまで帰ってきたのだった。それまでに1時間半の時間を要したそうだ。

午後の10時頃に、小母さんの旦那さん、つまり小父さんが帰ってきた。小父さんは地震発生直後に車に乗ったのだけど、ひどい渋滞に巻き込まれて、この時間に帰ってきたのだという。実に7時間もの時間をかけての帰宅だった。

先にも述べたが、被災はしたものの、我が家はかなりましな方だった。屋根瓦が吹っ飛んだり、壁に多少のひびがはいったりはしたけれど、とりあえず住める状態にはあったのだから停電していて茶の間以外は真っ暗だし、ガスも当然止まってはいるけれど、この時点水道は使用できた。トイレも流せる。これだけで、精神に随分と余裕ができた。とは言っても、時間が経つにつれて水圧は低下していき、2日目の昼には断水になってしまうのだけど。

しかし、断水前に風呂に水を貯めておけたのは良かったと思う。おかげで、今のところ、トイレの水には困っていない。流石に大しか流せないので、そこらへんの節約は必要だ。

とにかく、電気とガスが使えないのが痛い。そうは言っても、ライフラインが回復するまでは今ある環境で耐えるしかない。母に菓子パンを食べるように勧められたが、遠慮して、お茶だけ飲んでいた。……皮下脂肪が厚いので、少しの間飲まず食わずでも耐えられる。

夜の11時を迎えたところで、両親に就寝するように言われた。どうせ、余震が続いて眠れないので、次の日の夜明け、6時50分頃まで起きているつもりだったが、せめて横になるように、と言われたので、茶の間の畳の上に体を横たえた。今夜は座布団が枕の代わりだ。寝転がり、目をつぶるだけで、少しは休むことができる。

形だけの就寝をし始めて1時間。日付が変わった後、ふと母の携帯電話を見てみると、2、3時間前まであった電波がなくなっていた。メールネットならば使えたのに、それすら出来ない。ラジオ以外の情報獲得手段がない。ニコニコ動画ユーストリームNHKの放送をしている、とラジオは伝えていたけれど、そんなもの役に立たない、と思った(もちろん、まだ電池のある携帯電話等を持っている人には重要なのだと思うけど)。ちなみに、家に帰ってきた時点で、私の電話の電池は切れてしまった。

日の出まであと6時間ラジオは伝える。どうか日の出まで、希望を持ってと。ラジオは伝える。現実を。荒浜に、200から300の遺体が流れ着いたとの報を聞き、涙が頬を伝った。

3時か4時になった頃、NHKラジオ音楽を流した。2曲流れて、1曲は確か「カノン」だったと思う。そのおかげがどうかは分からないが、私は少し、眠ることが出来た。余震がある度に起こされはしたものの……。

 

長い、長い夜を過ごしているうち、私はひとつ思いついた。

被災している最中から、忘れないうちに、体験談を記しておこうと。

携帯電話は使えない。iPadは不向きだ。だから今、pomeraを使って書いている。我が家にて、単4電池を使う懐中電灯等もなかったから、こうやって書いている。

これは被災してから2日目に書き始めた。現在荒削りながら、被災当日のことを書き終えて、5日目である。出来れば電気が繋がった3日目のことまで書いて、増田に上げられれば、と思う。私なんか、とてもとてもましな方だったけれど、千年に一度とも言われる天災体験談は書いておかなければならないと思った。……エゴイストで申し訳ない。

また、普段は趣味小説のようなものを書いているので、そのような表現があり、読みにくい箇所も多々あったかと思う。このことについてもここでお詫びする。

私が住んでいる仙台市泉区とあるところでは、3日目で電気が繋がり、4日目で携帯電話の通話及びメールが使用可能に、そして現在、5日目の朝にネットが復旧した

ガスと水道は未だ使用不能。ライフラインが完全に復旧するまで、一ヶ月はかかるそうだ。

しかし、命があるだけ儲け物である。生きていれば何とかなる、との言葉を信じてみようかと思う。

2011-03-14

http://anond.hatelabo.jp/20110314210717

家電量販店電気無駄遣いはともかくとして、調光に対応している電飾ばかりでもないから難しいと思う。

あいうところの配電盤はボタン一つで一定エリアON/OFFにする程度しかできない。

それ以上の節電をやろうとしたら専門の技術者を呼んで設備を作り直したりとか必要になるだろう。

現段階ではせいぜい電球蛍光管を間引いて節電するのが限界じゃないかな。

結局いきなり節電しろと言われても無理だと電気プロである電力会社が判断したから計画停電により全体の消費量を抑える方向に向かったわけで。

もっとも夏場の電力大消耗に耐えるためには、光量を嫌でも落とさないといけないからこれからどんどん節電されていくと思うよ。

2010-12-29

そういう時期ってあるよね

http://anond.hatelabo.jp/20101229001547

や、何のアドバイスもできないんだけどもさ。

やること全部裏目に出たりとか、何のイベントもないはずなのになぜか、知り合い、身内、彼女……はまあいいから関係ないけど、しょっちゅう連絡取り合っている間柄なのに、ほんと誰とも連絡がつかない空白の日とか、ネットの書き込みですら、全くリアクションもらえなかったり。流石に食べることで裏切られることも無いだろうと思って出掛けたら、好物がことごとく売り切れだったりとか。じゃあ、家に籠ろうかと思った途端に電球が切れて真っ暗になったりとか。ツイてないことの一つ一つは、割としょっちゅうあるんだけど、なんだろな、世の中と全く繋がっていない感覚に襲われることが、ほんと年に何度かある。

しかもそれが、周りも浮き足立ってる盆暮れに重なるっていうのは、そうとうな寂しさだろなあ、と勝手共感した

誰かがそこにいて、「ホント、ついてないね」って一回頷いてくれるだけで随分楽になるのにさ、ほんと、孤独

2010-12-28

http://anond.hatelabo.jp/20101227230116

いま手元にあるソニエリのPremier3、付いてるよそれ。

横っ腹にマナーモードとかボタンが並んでて、長押しするとカメラ脇のLEDが点灯するボタンもある。

電球マークが目印)

いま買える機種に付いてるかはシラネ

2010-11-28

http://anond.hatelabo.jp/20101127001845

ねーよ!

例えば電気屋に電球を買いに行っただけのつもりがパソコンを買っちゃったなんて話は、少なかれどまったくない話ではないだろう。

2010-11-27

貯金ほぼゼロで3000万のマンション衝動買いした。

28才。SE6年目。年収400~500万。

今日スーパーの帰りにフラっと立ち寄ったモデルルームで、そのままマンション契約をしてきた。

比較もなにもなく、1軒目。

衝動買い自分の癖の一つで、よく会社でもネタにされていた。

「昨日さ、○○(俺の名前)作戦を発動しちゃったよ」

とはつまり、衝動買いしたよ、ということだ。

例えば電気屋に電球を買いに行っただけのつもりがパソコンを買っちゃったなんて話は、少なかれどまったくない話ではないだろう。だがマツキヨシャンプー買った帰りに3000万のマンションも買っちゃったなんて人はそうはいまい。

本題に入る前に少し、過去の話を書こうと思う。

学生、親の管理下にいる頃はお金の扱いに非常に厳しく、お小遣いすら支給してもらえずおやつひとつ買うのも母親承認が必要で、100円のおやつがほしいともなれば3日はおやつを我慢しなければならなかった。

社会人になり自分お金を稼ぐようになって、その反動がきたかのように「ほしい物を、ほしい時に」買うようになった。はじめは会社の寮に住んでいた為お金は溜まりに溜まり、とにかくありとあらゆるものを即金で買うようになった。パソコンホームシアター、大型液晶テレビ最近ホームベーカリーCisco社のルータも買った。特に衣食住における”住”のウェイトが高かったように思う。

その考えはそのまま住居に直結し、不景気煽りで退寮を迫られたときには賃貸デザイナーマンション契約し、引っ越した。家具家電も全て新調したため、引越し総額は100万を軽く超えた。

しかし、それまでタダ同然の家賃でで暮らしていた自分に9万オーバー家賃想像以上に重くのしかかり、それ以降まったくお金も貯まらず、それでも浪費癖だけは健在でボーナスを含めた総支給でなんとか生活が出来ている状態だった。いや、なんとか、というと語弊があるかもしれない。少なくとも切り詰めてはいないのだから。スポーツジムにも通ったし毎年冬山に7,8回程度滑りに行っていた。今が幸せで楽しければそれでいい。そんな考えで手取りめいっぱい使って生活していた。もちろん今もその考えは変わっていない。(だからこその3000万の借金なのだが

そんな自分にも彼女ができ、結婚を考えるようになった。デザインがどんなに優れていようが、居心地がどんなによかろうが所詮一人暮らし用の賃貸マンション。さすがに手狭で引越しを考えていた。お金もないし結婚資金も必要で、現実的に考えてもう少し広めの、もう少し安めの、普通アパートに。

だけれども自分にとってやっぱり衣食住の何が大事かということを考えると、”住”なのだと思う。今よりもう少し広めの、もう少し安めの、普通アパートに住むなんて、もちろん現実的だけど自分には考えられなかった。

だから、買った。立地も間取りも広さも階数も問題ない。問題なのはお金だけ。貯金ゼロ円。手付金すら払えない。

来週、契約に行ってくる予定。婚約者に手付金を借りて。

もちろん彼女には返します、12月ボーナスで。ローンを組む前から自転車操業

2010-10-24

結局エコポイントで「スティックブースター」を買うことになった

http://www.coneco.net/ReviewList/1091111631/

LED電球は癖が強すぎてややこしく断念。

癖の強さではスティックブースターもだけど

最悪電池2本は確実に使えるしまァいいか、って感じで。

少しは冒険したい。

http://anond.hatelabo.jp/20101016174933

(ちなみにスマートフォン持ってないです。)

2010-10-16

エコポイントそろそろ商品に変えないとな・・・

とりあえず1000点分でLED電球1個買って

あとは図書カードにする、ってことでFAとなった。

LED電球は怪しいとこあるけどまあ試しに1個だけ、ってことで。

2010-09-23

http://anond.hatelabo.jp/20100923152028

電信ぐらい、小学校実験した技術で十分じゃねーかw。

電池と豆電球スイッチの奴。



ほかにも当時使える電気関係はその頃にやってるはず。

ライデン瓶とか、ボルタの電池とか。

2010-08-03

電球の周りは暗いけど、少し離れたところを明るく照らすなんていうことはないんだよ。

身近にいる人を幸せにできないのに、その先の人を幸せにできるはずがない。

まず、身近な人に喜んでもらうんだよ。

2010-06-23

リアルドリフコント

文章書く練習に昨日の体験談を。



日歯医者親知らずを診てもらいに行ってきたんだが、

予定より早く15分くらい着いたんだ。

それで前に診察してもらってるおじさんが結構なおしゃべりで、

歯医者先生に一方的にずっと話し続け、

予約時間20分くらい過ぎてるのになかなか終わらなかったんだ。

しかし待っている患者は私以外にいなく、

別に時間的に余裕があったのでお構いなしに読書していたんだ。



ふと気がつくと水がぽちゃぽちゃ鳴っている音が聞こえてきた。

最初は「えっ!何?地震?」とか思ったんだけど、

ふと上を見上げてみたら、

天井と壁の端っこの方から茶色い汚水漏れ始めて来たんだよ。

「えっ?何あれ?」って目を疑ったんだが、

次の瞬間に天井に埋め込まれているスピーカー電球から、

茶色い汚水が勢いよく床と私が座っているソファーのすぐ横に向かって降り始めたんだ。



その時受付に誰も居なかったので、

すぐに診療中の歯医者さんと受付のお姉さんを呼んで、

汚水が振り終わるまで雑巾で拭きながらバケツを置いてやり過ごしたんだ。

診療中であったおしゃべりなおじさんは

中断されたせいか知らないが

なぜかぶち切れていた。



しばらくすると水道工事をしてた現場の人が来て、

どうやら歯医者の直接上の4階で水道メーターを換えていたらしい。

その時に水道のバルブが閉まらずバケツ一杯分の水が下へ流れていったようだ。




おじさんは現場の人に向かって切れて、



お「おい!お前これどうするんだよ!!弁償もんだよな、おい!!」

現「はい、すいません。そうですね。。」

お「俺がざっと見積もって100万円だな。おい!!」

現「保証については担当の者が来ますので、もう少しお待ちください。」


のような問答を繰り返していたんだ。

歯医者さんは困惑気味で、私はボーっと立ち尽くしていた。




とりあえず頭にも服にもバッグにもかからなかったから良かったんだが、

こんなドリフコント的な体験は初めてだ...

2010-05-15

http://anond.hatelabo.jp/20100515151629

そうか、処女厨はそんなにいるのか。

でもみんな使用済み電球に文句を言うのに精を出して仕事をしてくれそうにないな。

電球を交換するのに何人の増田が必要か?

って考えたら、学歴厨が一人、統合失調症が一人、処女厨が一人、って数えて、あれ、肝心な電球の交換をしてくれる増田はどこ?

2010-04-18

就寝中妙な音を耳にして目が覚めた

耳元の方からから

カサカサカサカサカサカサ…

朦朧とした意識のまま起き上がり豆電球を点け目にしたものは

20cm級の特大ムカデ

全身の血の気が引きカクカク震えながらも熱湯掛けて何とか退治

もしあのまま気付かずに起きてたら確実にやられてたわ

後で知ったが、ムカデ被害の7割は就寝中に襲われるものらしい

2010-02-17

今世紀に起こること(2)

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その3 http://anond.hatelabo.jp/20100217133836 に続く

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